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れきし脳 ⑭

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古の人の情けに涙して 粋を知らぬは脳なしか


   第五巻 羅刹丸 ②

 ある夜、夜盗の羅刹丸は村の長者の屋敷に盗みに入った。たいそう立派な屋敷である。
 ここなら忍び込んでも広過ぎて、簡単には見つかりはしないと踏んだ。屋敷の主は留守のようで屋敷の中はしんと静まり返っていた。金目の品を物色しながら羅刹丸は屋敷の中をあっちこっち彷徨って、一番奥の部屋の戸を開けると……。
 ――まだ若い女が眠っていた。
 この女は《この屋敷の主の妻か……?》月の明かりに照らされて眠る。美しい緑の髪と白い肌の高貴な女だった。薄物から覗く乳房や脚……その姿態に羅刹丸は劣情した。
 ごくりと息を飲んで、いきなり女の上に馬乗りになった。驚いて目を覚ました女だが、叫び声をあげようとした瞬間。羅刹丸は女の口と鼻を掌で押さえ窒息させようとした。
 手足をばたつかせて抵抗していたが、やがて気を失った。
 ぐったりした女の衣服を剥ぎとり、全裸にして白く美しい肌を堪能してから、女の股を開き秘所に、おのれの物を無理やり押し入れた。――途中、ううん……と意識を取り戻しかけた女の首を絞めながらなおも犯し続けた。
 羅刹丸が果てた時、女は痙攣して目を見開いたまま絶命していた――。
 獣のような羅刹丸は欲望のままに女を犯し、殺しても、一片の良心の呵責もない男である《さすが長者の妻だ上等の味だったぜぇー》ご満悦である。
 この部屋で金目の物を物色したら逃げ去ろうとしていた羅刹丸だが、屏風に掛けてある美しい打ち掛けに目が止まった。緋色に金糸銀糸の刺繍を施した豪華な着物である。羅刹丸は思わず、それをひっつかんだ。――が、屏風を倒してしまい大きな音がした。
「もし! どうかなされましたか」
 隣室から乳母とおぼしき女の声がした。
 戸を開けて様子を覗いた乳母が死んでいる主の妻を見て、絹を裂くような悲鳴をあげた。
「人殺し! 人殺しー!」
 大声で乳母が騒いで、その声に屋敷の中が急にざわついた。羅刹丸は慌てて逃げ出したが、すぐさま追手がかかりそうだった。
 何とか……竹藪の庵まで逃げ帰った羅刹丸だが乳母に顔を見られたので、すぐさま追手がここへ来るに決まっている。

 庵の中に入ると女が蒼白い顔で眠っていた。産み月近くになって、女は床に臥せることが多くなった。丈夫ではない身体に、まだ母体として十分に成長しきっていない妊娠である。かなり身体に負担なのだろう。
 このころには羅刹丸も優しくなっていて、山で雉など捕まえて滋養をつけるため食べさせてやっている。女は羅刹丸から逃げたい気持ちなど毛頭ないようだ。
 寝ていた女を起こし長者の妻から盗んできた着物を渡した。その美しい着物を見た瞬間、女は目を丸くして驚いていた。たぶん、生まれてこの方こんな美しい着物は見たことがなかったのだろう。
 貧しい生まれの女には一生触れることも出来ないような、それは豪華な着物であった。嬉しそうに美しい着物を羽織って見ていた。
「追手が掛かった! 逃げるぞ」
 そんなことをしている場合ではない。早く逃げなければ追手がやってくる。具合の悪い女の手を引っぱり、羅刹丸は竹藪の庵から逃げ出した。《長者の妻を殺したのだから……ただでは済むまい。きっと大勢の追手がかかる。とにかく、遠くへ遠くへ……逃げなくては……》気ばかり焦る羅刹丸。竹藪を抜け森の中に入った。――今夜は山越えになるかも知れない。

 先ほどから、女の具合がかなり悪そうで……足がよろよろして上手く歩けない。腹を押さえて、苦しそうに肩で息をして呻き声を漏らす。産み月が近い、大きく腹がせり出た女に山越えなど無理である。羅刹丸はだんだん焦ってきた。
 どうして、こんな女まで連れて来たんだろう? 足手まといで進めない! このままでは追手に追いつかれてしまう。置き去りにするか? 殺すか? 羅刹丸は迷っていた。
《追手に捕まれば俺は殺される。命が惜しい、死にたくない!》羅刹丸も必死だった。
 ついに女は地べたにしゃがみこんで泣き崩れ腹を押さえ、もがき苦しみだした。とうとう破水して、陣痛が始まったようだ。
 寄りによって、こんな時に産気づくとは……仕方ない! 女を置き去りにしようと羅刹丸は考えた。自分ひとりなら何んとか逃げ果(おお)せる。――だが、女の苦しそうな呻き声を聴いていると……羅刹丸はその場を動けなくなってしまった。
 陣痛の苦しみに耐え、いきんで赤子を産み落とそうとする女。出血も多いし、女の体力は限界に達していた、やっと……赤子の頭が出てきて、羅刹丸が引っぱり出した。
 おぎゃーと大きな声で赤子が産声をあげた。その泣き声が森の木々に木霊した――。
 産み終えた女に、赤子を見せてやると憔悴しきった顔で薄く微笑んだ。くしゃくしゃで顔は分からないが女の子であった。
 女は泣いていた――。大きな瞳に涙をいっぱい溜めて……雫が頬を伝って零れ落ちた。もう自分の命が幾ばくもないことを悟っているようだ。
 悲しげな瞳で羅刹丸の方見て、何か言いたそうに口をパクパクさせていたが……。口の利けない女は、やがて、力つきて……。
 静かに息をひきとった――。

 羅刹丸は森の中に女の遺体を横たえて、その脇に生まれたばかりの赤子を置いた。上から美しい打ち掛けを羽織ってやった。母親が死んだのだから、いずれ赤子も死んでしまう。血の匂いを嗅ぎつけた山犬どもの餌食になってしまうかも知れない。
「――俺の女だった。俺の子を産んで死んでしまった」
 そう呟いて、しばらく茫然と女の死顔を眺めていた。なんだこれは……? 気がつけば目から雫が零れていた。幼いころから滅多に泣いたことがない羅刹丸が泣いている。
《これは涙か? 俺が泣いてる? まさか……?》袖でゴシゴシと乱暴に目を拭いて、羅刹丸は走りだした。
「ちくしょう! ちくしょう!」
 泣きながら羅刹丸は森の中を無茶苦茶に走り続けた。
《こと切れる前、女は俺に何を言いたかったんだろう?》口の利けない女の悲しそうな死顔が心に焼き付いて離れない。
「あいつは俺の女だった。唯一、俺が愛した女だったんだ!」
 森の木や枝に身体を打ちつけながら、それでも羅刹丸は我武者羅に走り続ける。
「ちくしょう! ちくしょう!」
 泣き叫びながら《長者の妻なんか殺さなければよかったー。具合の悪い女を無理やり引っ張って逃げなきゃよかった!》後悔で胸が張り裂けそうだ。
「許してくれ! おまえに死なれて……」
 俺は……そう心の中で呟くと、がくりと膝が折れて羅刹丸は地面に倒れ込んだ。
 さっきまで生きていた女の愛らしい顔が目の前にちらついて離れない。
《ほんの小娘だったのに……可哀相に――あっけなく死んでしまった》
 人殺しなんか、何んとも思っていなかった。悪鬼のような羅刹丸が愛する者を亡くして、初めて……。
 ――人の死の悲しみを知った。


「赤子の声がします」
 森の木々の中、風がどこからか赤子の泣き声を運んできた。
 生まれた時から大事に育て上げた姫君を羅刹丸に惨たらしく殺された乳母は、たとえ一太刀でもあの者を斬り付けねば、憎しみが納まらぬと追手として家人(けにん)たちに付いてきた。
「乳母殿、空耳でしょう? このような所に赤子など……」
 追手の指揮を執る、右馬権頭(うまのごんのかみ)が怪訝な顔で答えた。
「いいえ。右馬権頭殿、確かにこの乳母には聴こえます!」
 尚も、耳を澄まし音を探す――乳母である。
「こっちじゃあー」
 そう言うと乳母は惹き寄せられるように走り出した。
 そして赤子の泣き声を辿っていくと、大きな楠の木の根元、亡き姫君の打ち掛けの下に、まだ若い産婦の遺体と赤子がいた。
「おおー、姫君の打ち掛けの元に赤子が……きっと、これは姫君のお引き合わせ違いない!」
 そう言って乳母は涙を流し、愛おしげに赤子を抱いて屋敷に連れ帰った。
 産婦の遺体は家人たちに寄って森の中に葬られた。


 羅刹丸は幽鬼のようになって森の中を彷徨っていた。女を喪って抜け殻のような魂。
「――俺はどうしたらいいんだ? もう逃げたってしょうがない」
 あいつに死なれて、もう俺は生きていたって仕方がないんだ。追手に捕まったら、どうせ殺される。――だったら……。

 獣の咆哮のような叫び声が轟いて、真っ赤な血しぶきが森の木々に飛び散った。
 刀を首に突き刺して、地面に倒れ、もがき苦しむ血まみれの羅刹丸の姿がそこにはあった。自分の流した血の海の中で羅刹丸の命が消えようとしている。
 死の直前、薄れゆく意識の中で――女の声を聴いた。

『かわいそうなひと……』

 ――人殺しの羅刹丸は最後に自分を殺した。

― 完 ―



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   創作小説・詩

# by utakatarennka | 2017-03-25 09:30 | 時代小説

れきし脳 ⑬

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古の人の情けに涙して 粋を知らぬは脳なしか


   第五巻 羅刹丸 ①

 人を殺すことなんか、何とも思っちゃいない。大人も子どもも殺す。年寄りは、大っ嫌いだ殺す! 若い女は……いたぶってからゆっくり殺す。

 ――俺の中には『憎悪』しかない。


 男は羅刹丸(らせつまる)と呼ばれる東山の麓の鹿の谷(ししのたに)あたりを根城に悪さを働く一匹狼の夜盗だった。金のためなら、人殺しなんか何んとも思っちゃいない。村を襲っては金と食糧を奪って、女を犯す、まるで悪鬼のような男である。

 その日、羅刹丸は人里離れた民家に押し入り、その家の老婆を殺して食糧を奪って逃げようと戸口で様子を窺っていると……野良仕事を終えて帰ってきた、若い娘とばったり鉢合わせになった。
 まだ十五か十六の生娘のようだった。
 殺された老婆の死体を見て茫然と立ち竦んでいる。恐怖に声も出ないのか、娘は目を見開いて顔を強張らせ震えていた。
 丁度、旨い餌にありつけたとばかりに羅刹丸は娘に襲いかかった。固まったように動けない娘は抵抗するまでもなく、組伏せられて、衣服を剥がされ、無理やりに犯された。
 蹂躙している最中も……苦痛に顔を歪め涙を流していたが、不思議なことに娘は悲鳴や呻き声は発するが「助けて」とひと言も叫ばなかった。

――ことが終わって。
 身を震わせて泣いている娘を用済みだから殺してしまおう。娘の首に刀の刃をあてると……恐怖で「ひぃー……」と呻いて首をすくめた。
 その時はっきりと分かった。この娘は口が利けないのだ。

 娘を殺そうと思っていた羅刹丸だが――。
 口が利けないのなら、逃げ出しても何も言えないから都合が良い。余計なことをしゃべらないから静かでいい、まだ若いし生娘だった。肌もきれいだ。《俺の棲み処に連れて帰って慰め者にしてもいいなぁー》と不埒なことを考えた。
 殺すのが惜しくなった羅刹丸は、泣いている娘を刀で脅して引きずるようにして……村はずれの竹藪の中にある庵に無理やり連れ帰った。

 元々、この庵には年老いた僧侶がひとりで住んでいた。
 一年ほど前、役人に追われ手負いになった羅刹丸は血まみれになって竹藪で倒れていた。その瀕死の羅刹丸を助けて、手厚く介抱してくれたのがこの庵に住む僧侶であった。
 やがて傷が治り、すっかり元気になった羅刹丸は年老いた僧侶を殺そうと目論んだ。自分の命を助けてくれた。――その僧侶なのである。
 野良犬のような羅刹丸は恩など端(はな)から感じてはいない。殺して金目の物を奪って逃げる算段だった。

 ある夜、よく切れそうな包丁を厨房から持ち出すと……。
 僧侶の寝ている部屋へ静かに入っていき、枕元に立って胸に包丁を突き立てようとした瞬間! カッと僧の目が開き、ぎょろりと羅刹丸を睨んだ。その眼光の凄まじさに思わず羅刹丸はのけぞって尻餅をついた。
「拙僧を殺す気か?」
 羅刹丸は慌てて、包丁を後ろ手に隠した。
「おまえを助けた時からこうなることは分かっておった」
「――じゃあ、どうして俺を助けた?」
「憐れだったからじゃ、人の心を持たぬ羅刹のようなおまえが……」
「らせつ?」
「羅刹とは鬼神のことで、人の肉を食う凶暴な悪鬼のことじゃあ」
「そうか! 俺はその羅刹って奴か? だったら、今日から俺は自分のことを『羅刹丸(らせつまる)』と名のることにするぞ!」
 今までこの男には名前などなかったのだ。
「わしは年寄りじゃ、命などもう惜しくないわ。さっさと殺せ!」
 そう言うと僧侶は座禅を組み、念仏を唱え始めた。
「いい名付け親だったぜぇー、あばよ!」
 年老いた僧侶の首を包丁で斬りつけて殺しまった。
 僧侶の死体を竹藪の中に埋め、奪った仏像や経典を市で売り捌き、その金で羅刹丸はひと竿の刀を手に入れた。
 ――そして、この男の悪事はもう止(とど)まることを知らない。

 今は鬼畜のようになった羅刹丸だが、幼い頃に母に捨てられた。住んでいた村は戦に捲き込まれ火を放たれ焼かれてしまった。その時、父と兄弟を亡くし、母とふたり生き伸びたが村を焼かれ、住むところをなくした親子は仕方なく都に出て暮らすことに……鴨川辺の橋の下に粗末な小屋を建て、母は男に身体を売って稼いでいた。――だが、その母がある日忽然と消えてしまった。
 ずっとずっと母の帰りを待っていた。薄暗い小屋の中でひとり取り残された羅刹丸は膝を抱え、ひたすら母の帰りを待っていたのに……いつまでも経っても母は帰って来なかった。
 何日も小屋の中で飲まず喰わずで倒れていたら、ある日、見知らぬ老婆がやって来て羅刹丸に水と食べ物をくれた。
「童(わらし)、おまえくらいの餓鬼を探しておった」
「――え?」
「飯は喰わせてやる、さぁー婆の元に来い」
 そして羅刹丸は妖しげな老婆に引き取られることになった。
 後ほどのことだが、鴨川(かもがわ)の下流で羅刹丸の母とおぼしき遊女の死体が上がった。首を絞められた痕あり、どうやら客に絞め殺されて川に投げ込まれたようだ。そんな事実も知らず、羅刹丸は母に捨てられたと思い込んで、――そのことで、ずっと恨んでいた。

 羅刹丸を連れて行った老婆は通称『まむし婆』と呼ばれていた。
 深い森の中に住んで居て『まむし酒』作りを生業しており、森の中で捕まえた毒蛇まむしを薬草と混ぜた酒に生きたまま漬け込んで作る婆の『まむし酒』は滋養強壮に利きめがあると市ではよく売れた。
 そして……その毒蛇まむしを捕まえることが羅刹丸の仕事だった。
「今まで二十、三十人はまむしにやられたかのぉー」
「えぇー?」
「おまえは気張るんじゃぞぉー」
「…………」
「ぎょうさんまむしを捕まえてけれや」
 そう言って、まむし婆はふぉっふぉっと歯のない口で嗤った。
 まむし婆に言い付けられたように、毎日、森の中を歩き回ってまむしを探した。悪運が強い羅刹丸は上手くまむしを捕まえることが出来た、まむし婆も羅刹丸にはご満悦だった。

 長じて、羅刹丸は立派な若者に成長した。
 羅刹丸が市に『まむし酒』を売りに行くと、女たちが見目(みめ)の良い羅刹丸目当てに買いに来て、飛ぶように『まむし酒』がよく売れた。
 そうなると、年甲斐もなく……まむし婆が羅刹丸に色目を使うようになった。身体を触ったり、市で若い娘を見ただけで嫉妬するようになった。
「おまえはいい男じゃのう。わしの亭主にならんか?」
 老婆のくせにそんな事を若い羅刹丸に言うようになった。
 そして、ある夜、羅刹丸が眠っていると……。
 寝所の中に誰かが入ってきた。帯を解くような音がして、肌に何かが密着した。息苦しさに目を覚ました羅刹丸の上には、まむし婆が全裸で覆い被さっていた。
「わしはまだ生娘なんじゃー。おまえの嫁にしてけれー」
 そう言って羅刹丸に抱きついて離れない。汚い舌で身体中を舐め回す。萎びた乳房、皺だらけの手足――もう気持ち悪くて鳥肌が立つ!
 満身の力でまむし婆を撥ね退けて、そのまま一目散に森の中へ羅刹丸は逃げ込んだ。
 翌朝、だらしなく眠っている。まむし婆の寝所の中へ毒蛇まむしを数匹放り込んで、婆を蛇に殺めさせた。婆が甕に隠していた銭を盗み出奔した。――それから盗みや悪事をはたらきながら、ほうぼうを羅刹丸は彷徨った。

 竹藪の中の庵に連れ帰った娘。
 最初の頃は逃げないように……縄で縛って柱に括っていたが、羅刹丸が余程怖しいのか? 口が利けないせいもあってか? 大人しくしているので、羅刹丸が居る時は縛めを外してやった。
 まだ十五、十六の幼顔が残る大きな瞳の可愛い娘であった。
 毎夜、羅刹丸は欲望のままに娘を犯した。情などない! 肉の快楽のために身体を弄んだ。最初の頃は苦痛に顔を歪め泣いていた娘も……少しずつ羅刹丸に快楽を教えられ女になっていった。
 情事が終わった床の中で、羅刹丸の背中の刀傷を指でなぞり、口の利けない女は《痛かったでしょう?》と言うように、傷痕にそっと口づけて、背中をぎゅっと抱きしめてくれる。その肌の温かさが……まるで母の優しさのようで、荒ぶった羅刹丸の魂さえも落ち着かせてくれた。無理やりさらってきた娘だが――羅刹丸を恨む風もなく気立てが良い。
 ――やがて女は羅刹丸の子を孕んだ。
「俺の子か?」
 こくりと女が頷いた。下腹部がぷっくりとせり出てきた。
「まさか、俺の餓鬼を孕むとは……」
 生娘から犯し続けたのだから……もはや羅刹丸の種に間違いなかった。
 ……羅刹丸は悩んだ。夜盗の俺に嫁も子も要らん! どうする? 足手まといになる前に殺してしまうか? 少しばかり、この女と長く暮らし過ぎたようだ。――もう簡単に捨てられなくなった。女も俺に慣れて従順になっている。
鬼畜のような羅刹丸だったが……この女を殺すことだけは躊躇していた。




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   創作小説・詩

# by utakatarennka | 2017-03-24 18:21 | 時代小説

れきし脳 ⑫

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古の人の情けに涙して 粋を知らぬは脳なしか


   第四巻 五百年の楓 ④

 山梨県にある身延山地(みのぶさんち)で宿坊と呼ばれる、寺が経営する宿に逗留することになった。
 宿坊とは基本的にお寺であり、ご修行やお参りのための宿なので、ホテルのようなサービスはないし、トイレも共同だった。料理はいわゆる精進料理で、地元で採れた新鮮な山菜や野菜の天ぷらや煮物など、ゆばやごま豆腐も味わい深い、何よりも米が美味かった。
 宿坊の住職に「この辺りに楓の木が有名な場所がありますか?」と訊いたところ「身延山東参道の奥に古い楓の木があって、一説では五百年は経つと言われています。その楓は季節外れに、いきなり真っ赤に紅葉する不思議な木なのです」と、説明された。
 その季節外れに紅葉する楓の木と言うのが夢の男が言っていた『血染めの楓』のように思えて、そこに行ってみようと僕は思った。
 久しぶりに、そういう日本的な霊的パワーに触れて、いわゆるスピリチュアルスポットにやって来て、僕の五感は研ぎ澄まされたように思われる。

 身延山は標高1,153mの山である。そこにある身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)は、鎌倉時代に日蓮(にちれん)によって開かれたお寺で日蓮宗の総本山だ。
 その東参道を二時間ほど、かなり急勾配な山道を登って行く、目印に聞いた滝から山道を外れてケモノ道に入って行く、深い山なので迷子になって遭難しないか、ちょっと心配になった。そこから更に三十分くらい歩いて奥に入ると楓の木があるらしい。そこは地元の人しか知らない場所だと住職に訊いた。
 深い森の中をずんずん歩いて行く、ここでいいのか? あっているのか? 夢の男に訊いた話なので何の根拠もない。一時の衝動に駆り立てられて、ここまでやってきたが――。
 果たして、『血染めの楓の木の元で女が待っている』という、その楓が本当に、ここにあるのだろうか?
  木々がざわざわと風に揺れたと思ったら、天から紅いものがひらひらと降ってきた。
 僕の肩に掛かったものを指で摘まんで見てみれば、ひとひらの紅葉だった。《こんな季節に紅葉(こうよう)か?》もしかしたら、これがあの血染めの楓の木なのか!? 
 何かに引き寄せられるように、いきなり駆け出した。

 そこだけ真っ赤に紅葉した楓の木の下で、女がひとり佇んでいた。
 風景に溶け込んだ女の輪郭はぼんやりと薄く、白い着物の足元は血のように赤い楓が敷き詰められていた。
 そこから霊気が放たれて、もはやこの世の者ではないことは窺いしれた。『血染めの楓』の元で待っているというのは、この女かも知れない……。
 震える声で僕は話しかけた。
「――あなたは?」
『わたくしはここで待っているのです』
「誰を待っているのですか?」
『喜助を待っています。楓の木の元で五百年待ち続けました』
 そう言うと、女は悲し気な顔で薄く笑った。
 五百年……五百年も誰かの言葉を信じて待っていたというのか? その女のけな気さが憐れに思えた。僕は鞄の中から櫛を取り出し、それを見せた。
「こ、これを……」
『折れておるが、ギヤマンの櫛!』
 僕の手の中の櫛を見て、女がそう叫んだ。
「ここで待っていたのは、この櫛を受け取るためだったのですか?」
『いいや! 櫛などではない。わたくしが待っておるのは喜助じゃ!』
 喜助? 誰だろう。 もしかしたら僕の夢に出てきた、あの男のことだろうか。
「僕が代わりに櫛を届けました」
『喜助が来ない、来ない、来ない……』
 女が泣きながら『来ない』を連呼する。
 五百年も待っていたのに期待が裏切られて、さぞ悲しいだろうと僕にも分かる。
 そして落胆したようにガクッと肩を落とした。その瞬間、女の頭がもげて地面にぽろりと落ちた。「ひいぃぃ――――!!」あまりに驚いた僕は、飛び上がって尻餅をついた。
 その時、鞄の中から飛び出した観音像が女の方へころころと転がっていった。すると、観音像の中から白い煙のようなものがモクモクと立ち込めて、やがて、それは人の形へと変化していった。――その情景に声もなく、驚愕した僕はただ見ていた。
『紅芭(くれは)、俺だ』
『その声は……』
『喜助だ』『喜助!』 いつの間にか、女は先ほどの人の姿に戻っていた。
『ずっと、ずっと……楓の木の元で待っていた。なぜ早く来てくれなかった?』
『すまね。紅芭、聴いてくれ、実は……』
 ふたりの霊魂は人の形になり抱き合っている。どれほど長い間、お互いを待ち焦がれていたことだろうか。いったい、何が起きてこうなったのか僕も知りたかった。
 これから喜助の長い話が入る。掻い摘んで説明すると――。
 楓の木の元で待っている紅芭を残して、急いで喜助は小屋に帰った。隠して置いたギヤマンの櫛を取り出すと、なんと! 真っ二つに櫛が折れていた。これは不吉だと嫌な予感がしたが、とにかく、これを持って紅芭の元へ戻ろうと小屋を飛び出した。
 途中、滝の辺りで三人ずれの武士に出合った。慌てて、茂みに隠れてやり過ごそうとしたら、奴らの話し声が聴こえてきた。そこで男たちが紅芭を犯して、殺めたことを俺は知った。そして真っ赤に染まった袋の中には……愛しい紅芭の首が入っていることまで聴いてしまった。
 俺の大事な紅芭の命を奪った奴らが憎い!
 紅芭の仇を討つために、いったん小屋に帰り、平家の落ち武者の家系なので、床下には武器が隠されていたのだ。山は子どもの頃から駆け回っていたので地形を分かっているし、夜目もよく利く、槍と弓などを持って、再び、小屋を出ると滝の辺りで夜が明けるのを待っていた、武士たちを襲撃した。
 一人目は小用しているところを音もなく近づき槍で突き刺し殺した。二人目は不穏な気配を感じて仲間を探しに来たところを矢を放ち、動きを止めたところで大きな石で頭を叩き割って殺した。残る最後の武士は相当な手錬れ(てだれ)と見えて隙がない。
 奴は仲間を襲った見えない敵から身を守るために、見晴らしのよく利く、滝の上の崖に陣取って俺を待ち構えているようだった。――紅芭を喪った俺は自暴自棄になっていたので、この武士と遣り合って相殺(そうさつ)でも構わないと考えていた。

 俺は野兎の巣で捕まえた兎たちを放って、奴の注意をそっちに向けた瞬間に飛び出して、槍で突き刺したが、さすが急所は外され刀で槍の先を切り落とされた。だが、土地勘のある俺はすばしっこい。
 刀で向ってきた敵に俺は吹き矢を放つ、それが運良く目に当たって動きが止まった。槍の棒で何度も叩きつけ奴の刀を落とさせた、小刀で斬りつけ組み合って殴り合いとなった。
 奴を道連れに、俺は死ぬ気だったので「死なば諸とも!」組み合ったまま、地面を転がり崖から滝壺へ二人で落下していった。

 気が付いたら、川に流されていたが俺はまだ生きていた。
 だが、すべての記憶を失っていたのだ。自分が誰か分からないまま山野を彷徨っているところを旅の僧侶に拾われた。偶然なのか、運命なのか、その僧侶は都へ行くのだという。
 新しく建立された寺院へ赴く途中だったが、お供の者が病に倒れて、難儀していたところだった。俺が経典や仏具の入った大きな葛籠(つづら)を担いで京都まで僧侶のお供をすることになった。
 その後、その僧侶のお供の者として都の寺で世話になった。
 俺は観音像を彫るのが巧かった。なぜ、そんなことができるのか、自分でも分からないまま、彫った観音様の顔はいつも同じ女の顔で、どこか懐かしく愛しい感じがする。だが、この女が誰なのか思い出せなかった。
 しかも俺の懐には折れた櫛が入っている――これも誰のものか分からない。ただ、観音像の顔の女と深い繋がりがありそうだと思っていたが、俺の記憶は生涯戻らないままだった。
 やがて天命が尽きて召されるとき、死の瀬戸際、俺の記憶は走馬灯のように巡り思い出したのだ。――俺のことも、櫛のことも、そして楓の木の元で待っている女のことも……すべての記憶が死の淵で蘇えった!
 俺の魂は天に昇らず。この観音像に憑依して、いつか紅芭に逢えることを願いつつ、悠久の刻(とき)を過ごしていた――。

『楓の木の元で俺を待っている。おまえにどれほど逢いたかったことか』
『わたくしはいつか喜助が来てくれると信じておりました』
『やっと逢えた!』
 ふたりの霊魂は融合して輝く光の柱になって天に昇っていこうとしていた。互いに強い念から解放されて、やっと成仏できるのだ。
『ありがとう……』
 どこからか声が聴こえた。
 僕の力でふたりを逢わせて上げられて良かった。感謝して貰えて僕も嬉しいよ。
 五百年の永久の時を経て、ふたりの想いが重なり合って、都ではなく天へと昇っていった。楓の葉がまるで別れを惜しむようにひらひらと空中を舞っている。
 ふたりの固い絆にいつしか涙を流しながら、美しい昇天の儀を見ていた。
 さらに不思議なことに、僕が手に持っていた折れたギヤマンの櫛がきれいに直っていたのだ。たぶん、この櫛はふたりが裂かれる運命を予知して折れたのかもしれない。

 京都に帰ってきた僕は、あのふたりのために祠を建てた。
 そこには喜助が彫った観音像と櫛を奉納して、その傍に楓の木を植えることにした。血染めの楓の木は一晩で立ち枯れてしまったと宿坊の住職に、その後(のち)訊いた。五百年も樹齢があったのは、紅芭さんの強い残留思念力(呪い)のせいだったのかもしれない。
“信じていれば、待つことは辛いことではない”五百年待ち続けた愛はきっと極楽浄土で輪廻転生を待っていることだろう。来世で、ふたりが再び巡り逢い、今度こそ生きて幸せになれることを心から願っている。
 理数系脳の僕だけど、この不思議な経験に触発されて、自分自身で《愛の方程式を解いてみたい》なんて、思い始めていた。

 いつか紅い楓の木の下を、未来の恋人と手を繋いで歩きたいと――。


― 完 ―




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   創作小説・詩

# by utakatarennka | 2017-03-23 15:30 | 時代小説