饒舌なる死者 最終話
「会社の者ですが、急な出張で迎えに来られなくなったので、私が代わりに来ましたと流暢な英語で話し掛けたらさ、すっかり信用して車に乗ってきたよ」
「な、なぜだ!? ナオミには関係ないだろう? どうして、どうして彼女を……」
「おまえと結婚しようとするから、天罰が下ったんだよ!」
婚約者のナオミが殺されてしまった! 俺の想い描いたアメリカンドリームがガラガラと音を発てて崩れていく――。ショックのあまり眩暈がしそうになった。
「おまえは由利亜と永遠の愛を誓ったんだ。それは由利亜が死んでも変わらない。あのペアリングを嵌めた日から運命は決まっていた。あたしと由利亜の最後の電話で、おまえを誰とも結婚させないでと懇願された。――ずっと、由利亜のその言葉を守ってきたんだよ」
死んでも他の女に盗られたくないというのか。凄まじいほどの俺への執着心だ。
「おまえは狂ってる! 死んだ人間との約束で、生きてる人間を殺してもいいのか!?」
「あたしにとって、由利亜の意思は絶対なんだ!」
「――おまえも古賀も俺に復讐するために生きてきたのか?」
「古賀君は由利亜が自殺した原因は自分にもあるんじゃないかと、ずっと苦しんでいたんだ。死にたいという彼を……今死んでも犬死にだから、あたしがいいというまで死ぬなと言い聞かせてきたんだ。あの男は写真は撮ったけれど、由利亜に指一本触れてないよ。あたしらにとって由利亜は神聖な存在なんだ!」
「俺が悪かった。もう……もう許してくれ……頼む……」
珠美の前で土下座して謝った。
「見苦しい奴め! 今さら謝っても遅いよ」
「命だけは助けてくれ! まだ死にたくない!」
冷静さを失った俺は、子どものように泣き喚いていた。
「もう終わりだよ――。あたしも、おまえも……いずれ死ぬのだから」
そう言って、珠美は大声で笑った。
「……どういう意味だ?」
「あたしは病気になった。だから、おまえも道連れにする」
その後、珠美の口から病名を聞かされた。それは性交渉によって感染する、あの病気――。ヒト免疫不全ウイルスHIV感染、頭の中がパニックになった。
「おまえの背中の爪跡に、あたしの血をたっぷりと塗り込んでやった!」
「チクショウ―――!!」
俺は珠美に飛びかかって彼女を殴っていた。何発か弾を撃ち込まれたが、それでも殴り続けた。今まで女を殴ったことなどなかったが、これは怒りでもない。憎しみでもない。
――恐怖だった。この女は化物なんだ。今、殺さないとこの俺が殺される!
珠美は銃弾が無くなると俺の腕に噛みついた。肉を喰い千切る凄まじさで、引き離そうと顔を拳で何発も殴ったら歯が折れて、俺の腕に刺さっていた。飛び散った珠美の血が眼にも入った。
珠美は顔から血を流しながら激しく抵抗していた。
ついに身体に銃弾を浴びた俺は力尽きて倒れた。薄れゆく意識の中で聴いた、珠美の最後の言葉は――。
「由利亜があの世で私たちを待っている……」
銃声を聴き付けたホテルの従業員によって救急車が呼ばれ、警察に通報された。
修羅場と化したホテルの部屋には血まみれの男女が倒れていた。何発か弾丸を撃ち込まれた俺は病院に運ばれたが、急所を外れていたお陰で命が助かった。珠美も俺に殴られて血まみれだったが命には別条無しだった。
一見、ホテルでの痴情のもつれかと思われた事件が、その後の調べで日系米国人ナオミ・ミヤシタ殺害犯人だと分かった。
空港内の監視カメラには、珠美とナオミが一緒に歩いている画像が何枚も映っており事件への関与が疑われていたが、警察の取り調べに対して、珠美は黙秘権を行使して、ひと言も喋らなかったという。
サンフランシスコに居た珠美は、ギャングの溜まり場テンダーロインでギャングの情婦だった。ドラッグの運び屋として国際手配されている犯罪者であった。
その後、事件の解明を見ずに朱美は留置所で病死した。病名はたぶん……俺に告げた、あの病気だろうか。
――朱美が死んだと聞いた俺は、いよいよ『死へのカウントダウン』が始まったと思った。恐怖心から病院へ診察に行くことさえ躊躇した。
そして、数ヶ月後に俺は発症していた。
現在の医学では治せない難病……今は病院のベッドから起き上がることもできない状態になった。――あいつらに復讐されて、ゆっくりと俺は死んで逝く運命なのだ。
由利亜が死んで十年経っても、珠美も古賀もその亡霊に縛られて生きてきた。
あの日、俺に渡したシルバーリングに刻まれた言葉、『love is eternity』それを貫徹させるために、他の女と俺が結婚することを絶対に許さない。――その由利亜の意思を二人は守っていたのだ。
俺が邪慳に扱って捨てた女だったが、その影響力は凄まじいものだった。
まさか、十年後に、由利亜を『女神』と崇める二人の人物から、こんな形で復讐されるとは思ってもみなかった。
「死人に口無し」ということわざがあるが、あれは嘘だった。――死人ほど饒舌な者はいない。
死して、なお人の心をコントロールできる死者がいるという事実なのである。
最後に、この手記を書き残すことで、俺は「饒舌なる死者」となる。ここに書かれてあることが真実か嘘かは読む人の判断に委ねよう。
これは死に逝く者の、最後の足掻きというべきダイイング・メッセージなのだ――。