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― Metamorphose ―

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RESET vol. 18

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 第十八章 啓子の選択肢

 家に帰ってきた母、啓子の様子がおかしい。
 すっかりしょげて……元気がない。
 父のアパートで何かあったのだろうか?
「愛美ちゃん、お母さんもうダメかも知れない……」
 そう言って、溜息をついて黙り込んだ啓子である。
「どしたの? ねぇー、何があったの?」
 こんな沈んだ母を見たことがない……。いつも元気で天然だけが取り柄の、あの母が深刻な顔で考え込んでいた。何を聞いても、「うん……」と生返事で、すっかり自分の殻に閉じ籠ってしまっている。

 今日、幸恵の思わぬ懺悔を聞いて啓子はひどく動揺して悩んでしまった。
 離婚届けには絶対に判子を押さないつもりだったが……あの幸恵の言葉で全て許して宏明の『妻の座』を譲ってもいいと思った。
 最後に幸恵さんを幸せにしてあげたい! 
 死に逝く人への餞(はなむけ)に離婚届けに判子を押してもいいとさえ啓子は思っていた。愚かな選択肢かも知れないが……もう、自分は宏明に頼らなくても、生きていけそうだと思う。娘の愛美も当分はお嫁に行きそうにもないし、母娘水いらずで、しみじみ暮らしていこうか。
 ――そんな気持ちに啓子はなってしまった。

 そして、今日も宏明の住むアパートを啓子は訪ねた。トントンとノックをするが、返事がない。しばらく戸口で待っていると、ようやくドアを開いた。
 やっと部屋から出て来た。宏明は疲労困憊していた。
「昨夜から……幸恵が重体なんだ」
 そう言って、眠そうに目を擦った。今は強い鎮痛剤で幸恵は眠っているらしい。
「なにか食べたの?」
 目の下に隈が出来ている。一晩中付きっきりで看病していたようだ。やっと幸恵の容体落ち着いて、ウトウト……仮眠している時に啓子が訪問したようだ。
「いや……何も……食ってない」
「そう、ちょっと待っててね!」
 部屋に上がって来た啓子は、タッパに入ったものをレンジで温めた。それを食器に移してキッチンのテーブルに置くと、
「さあー、召しあがれ」
「おや、ビーフシチューじゃないか」
「食べてみて!」
 宏明は大きなスプーンでビーブシチューを掬いあげて口に運んだ。
「…………」
 黙って、味わっているようだ。
「……どう?」
「…………」
 もうひと匙、口にふくんだ。
「美味しい?」
 宏明は静かにスプーンを置いた。
「……啓子……か?」
「あなた……」
「君は……啓子なのか?」
「そうよ」
「なぜだ……?」

 ――啓子のビーフシチュー。
 それは啓子にしか作れない味だった。長い結婚生活で作りあげた、いわば『家庭の味』なのだ、そこには啓子の家族への愛が込められていた。ひと口食べれば分かる味なのだ。
その後、啓子は若返った経緯(いきさつ)を手短に宏明に説明した。非常に驚いた宏明だが、ひと目見た時からケイちゃんが昔の啓子にソックリなので、他人の空似にしても似過ぎていると、不思議に思っていたらしい。

「今日、あなたに渡すものがあって来たのよ」
 そう言うとハンドバッグの中から、封筒を宏明に渡した。
 封筒の中身を取り出した宏明は、驚いて啓子の顔を見た。それは離婚届の用紙だった。きちんと啓子の署名と判子が押してあった。
「いいのか?」
「……はい」
「すまない」
「幸恵さんを籍に入れてあげてください」
「啓子……」
「若返ったことだし。わたしだって新しい相手を探します」
 宏明を見て、啓子が薄く笑った。
「啓子、すまない……。なあ、人の生きる意味ってなんだ? 大事な人を幸せにすることじゃないのか? 俺はやっと気がついたんだ。金じゃない、物じゃない。――人は心でしか人を幸せには出来ないんだ!」
「ええ……そうだと思う」
「俺は決めたんだ。この不幸な人生しか生きて来れなかった女を、最後に幸せにしてやるんだと……」
「…………」
 宏明の決意を複雑な気持ちで、啓子は聞いていたが――。
「人生はリセット出来ないんだ。だから……今、この瞬間だけでも『幸せ』だと思って、幸恵を死なせてやりたいんだ。――これは俺の彼女への罪滅ぼしだから……啓子許してくれ!」
 そう言って、宏明は啓子に深々と頭を下げて詫びた。
 今の啓子なら、宏明が幸恵さんを幸せにしてあげたい気持ちも分かってあげられる。

「そんなの認めないからっ!」
 いきなり声が聴こえた。宏明と啓子は驚いて振り向くと玄関に愛美が立っていた。いったい、何時からそこに居たんだろう? いつもの冷静な愛美と違って泣きそうな顔でふたりに訴えている。

「離婚なんて、あたしが認めない!」
「愛美……どうして、ここへ?」
「お母さんの様子が心配だったから……後を付けて来た」
「ごめんね。もうお父さんと離婚するって決めたの」
「――そんな大事なことを、自分たちだけで決めないでよ」
「すまん! 父さんが全部悪いんだ」
 頭を下げて宏明が詫びると、
「お父さんの過去の懺悔のために、わたしたち家族は捨てられる? そんなの自己中じゃない?」
「…………」
「イヤだよ! お父さんとお母さんが別れたら、あたしはどっちの親を選べばいいの? 親を選ぶなんて、そんなこと出来ないよ!」
「愛美ちゃん……」
 その言葉に啓子も切なくなった。
「あたしもお姉ちゃんも親が居なくても生きていける歳だけど……家族という塊を壊したくないよ。そんなの悲しいよ……離婚したらイヤだよう!」
 そう言って、愛美が泣きだした。
 離婚は自分たちだけの問題ではない。子どもの心まで傷つけるのはさすがに啓子には辛過ぎる。せっかく心を決めて、ここに来たのにまた心が揺れる。――どうしたらいいんだろうか? 宏明も愛美の言葉に衝撃を受けたようで、口を一文字に結んで押し黙ったまんまだ。
「ダメだよ、お父さんもお母さんも離婚なんて……しないでよう……」
 しゃくりをあげて愛美が泣いていた。

「……コウちゃん」
 隣の部屋から幸恵の声がした。静かに立ち上がって宏明が様子を見に行く。
「幸恵、大丈夫か……」
「コ、コウちゃんのミニカー……」
 幸恵は息も荒く苦しいそうで、うわ言を喋っている。もうこれ以上自宅での看病は到底無理そうだ。
「ミニカー買って……い……く……」
「おいっ、幸恵!」
「幸恵さん、しっかりして!」
 いよいよ危険な状態だ。このまま昏睡状態に陥ったら意識が戻らないままで逝ってしまうかも知れない。《どうか死なないで! 幸恵さん》啓子は心の中で祈っていた。
 ――その時、啓子はふとアレの存在を思い出した。そうだ! アレを使うしかない。ダメ元でも試してみる価値がある!

「愛美、あんたスクーターで来たの?」
「うん」
「今すぐ、家に帰ってあの薬を取って来てちょうだい。お母さんのあの薬を……キッチンのテーブルの上に置いてあるから!」
「えぇー! あの薬って、まさか? お母さんどうするつもりなの」
「いいからっ! 今すぐ取って来てちょうだい!」
 いつになく厳しい口調の啓子に、愛美はそれ以上訊かずに「分かった」と家までスクーターで薬を取りに行ってくれた。
どの道……このままでは幸恵さんは死んでしまう。もしかしたら、あの薬で奇跡が起こるかも知れない。――これは最後の賭けなんだ!

 まだ幸恵の息がある内に急がないと……。
 最後の希望〔若返りカプセル〕リセットに賭けてみようと啓子は思った。そして、愛美が家から急いで持って来た〔若返りカプセル〕リセットを、幸恵の口に入れると、無理やり水で喉の奥に流し込んだ。
 宏明は啓子が何を始めたのか、オロオロしながら見ていたが……。啓子の真剣な表情に何も言えずに居る。愛美も黙って母の行動を見て居た。

「幸恵さん、あなたの人生をリセットしてあげる!」

 ――それから、幸恵は静かに……昏々と眠り始めた。





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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2011-11-17 18:45 | 現代小説

by 泡沫恋歌