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花魁 其の弐

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 花魁 其の弐

 あくる日、女衒に廓( くるわ )に連れて来られたお春。
 吉原遊廓に入るとき入り口に大きな門があった。大門を呼ばれる、その門は女郎たちが逃げ出さないように、いつも門番が見張っていて、お春が女衒と遊廓の中に入ると後ろで、がちゃーんと門を閉める音が響いた。
 自分は生きて、ここからは出られないのかも知れないとお春は悟った。
 ――ここは苦界なのだ。

 お春が売られた御見世は、吉原でも奥に位置する御店(おたな)で、吉原遊郭では奥に入るほど格式の高い御見世になる。「嵯峨野屋」と金文字看板のかかった、豪勢な造り妓楼だった。奥から出てきたこの御見世の主は、廓の女将と思えないほど気品のある女だった。

「おや、利口そうな娘だね」
 女衒が連れてきたお春をしげしげと見て、そう云う。
「うちの御見世では器量良しより、読み書きの出来る利口な娘の方が調法するんだよ」
 女将は、どうやらお春がひと目で気に入ったようだ。
 その後、女衒と女将はお春のことで商談を始めた。お春は御見世の玄関先でぼんやりとその遣り取りを眺めていたが、こんな立派な御店(おたな)に奉公できて良かったと思っていた。

 すると奥の座敷から、目も醒めるような綺麗な着物を着た女郎が出てきた。いわゆる花魁と呼ばれる高級な女郎である。あまりの美しさに思わずお春は息を呑んで佇んでいると、その花魁も立ち止まって、お春の方をじっと見ていたが……。
「おまえ、名はなんというかえ?」
 凛とした美しい声で訊ねた。
「お春と申します」
 どぎまぎしながら、ぴょこんとお辞儀をするお春だった。
「お春っていうんだね……そうかい、お春かい……」
 美しい顔でお春を覗きこんで、花魁がひとり言のように呟く。
「お母さん、その娘はうちの御見世に奉公するんでありんすか?」
 廓では「女将」のことを女郎たちは「お母さん」と呼ぶ仕来りである。
「皐月(さつき)太夫、そうだよ。利口そうな良い娘だろう」
「だったら、あちきの部屋で修業させます!」
 花魁が急にそんなことを云い出した。突然の申し出に驚いた女将だが、
「おやまぁー、皐月がこの子の面倒みるのかい? 別に構わないけど……」
「あちきがきちんと仕込みます」
「そうかい、それじゃあ、皐月太夫に任せるよ」
「お母さん、今日からその娘はあちきの妹でありんす!」
 これでお春の嵯峨野屋での身の振り方が決まった。

 お春が修業についた、姉女郎の皐月(さつき)は、吉原女郎の中でも上臈(じょうろう)皐月と呼ばれ人気、美貌、聡明さ、共に一目置かれる花魁である。
 馴染み客も大名旗本など幕府の要職についている者ばかりで、歌を詠み、書を嗜み、馴染み客とも機知に富んだ会話ができなければ、吉原屈指の妓楼、嵯峨野屋の看板花魁は務まらない。
 その皐月太夫が素直で聡明なお春のことが、ことのほか気に入って、特に目をかけて、行儀作法、芸事も一から叩きこんで一人前の遊女に育て上げてくれた。

 ――吉原に来て三年目、今年十五のお春は初見世である。
 女郎がお客を取って初めて寝ることを初見世の御開帳という。いっぱしの女郎になるための大事な仕来たりなのだ。お春の初見世の準備に姉女郎の皐月は江戸中の呉服屋、仕立て屋を呼んで自ら着物を見立てて準備を整えてくれた。
 それらの着物は目の醒めるような紅緋色の仕掛けや絹の寝具など、贅を尽くしたの品々だった。

 上臈皐月の妹女郎の初見世の御開帳と聞き、初客の申し込みが殺到し相手を選ぶのに姉女郎と女将は頭を悩ませたが、結局、姉女郎皐月の古い馴染み客で旗本のお殿様が選ばれた。
 お春には何も分からないまま初見世の準備は刻々進んでいく。そして豪勢な花魁道中も予定されていた。吉原で権力を持つ姉女郎の後ろ盾がついた、お春の初見世を羨ましがらぬ女郎は吉原中に誰一人としていなかった。
 いよいよ後、ひと月でお春は御開帳で女になる。

 金箔張りの襖を開くと、清々しい青畳の匂いが立ちのぼる。
 初見世からひとり立ちして、新造から花魁、春野(はるの)太夫になる。そんなお春のために嵯峨野屋の女将が座敷をあてがってくれた。
 座敷は襖も畳も新しく入れ替えられて、豪華な調度品も運び込まれていた。後は主(あるじ)である、お春が座に就くだけの状態なのだ。
 この部屋で、これからお客の接待をし、自分の元に付く新造や禿たちの面倒を見ていかなければいけない。嵯峨野屋の花魁春野になったからにはしっかりとやらねばならないのだ、身が引き締まるお春だった。

 振袖新造のお春は皐月の座敷で舞いや三味線、お客にお酌をすることはあるが、まだ生娘である。
 女郎がお客と寝所ですることは頭では分かっているが経験がない、不安だらけなのだ。これだけの支度をして貰って、ちゃんとやっていけるのか……実は重圧で逃げ出したいお春だった。そんな気持ちで格子窓の外を眺めていて、白い猫と目が合ったのだ。
 ……まさか飼い猫のゆきだったとは!

「ゆき、おまえと逢えて嬉しいよ、佐吉さんは元気にしているの?」
 お春の膝の上でゆきは気持ち良さそうにごろごろと喉を鳴らす。
 ふわふわとした真っ白なゆきの毛並みを撫でながら、売られる前の日、佐吉と泣きながら抱き合って別れを惜しんだ、あの日の自分を思いだしていた。ふと思いついて、ゆきの赤い首紐を外すと、

 ― 佐吉さん、ゆきをありがとう 春 ―

 青い布に筆で書いて、ゆきの首にしっかりと結んだ。

「春姉さん、皐月姉さんが呼んでいます」
 座敷にいると、禿がお春を呼びに来た。その声に反応するように、ゆきはむくっと立ち上がり、来た道からさっと出ていった。
「あっ、ゆき!」
 その後ろ姿を目で追いながらも、今の自分はそんな感傷に浸っている時期ではないのだと、現実に立ち戻ろうとするお春だった。

「お春、どこへ行ってたんだい?」
 襦袢姿で花魁髷を髪結いに結って貰いながら、皐月が怪訝そうに聞く。
「座敷にいって居りました……」
「そうかい、いよいよだね」
 嬉しそうに姉女郎はいう、自分が育てた妹女郎がひとり立ちするのは一入(ひとしお)の感慨だろう。
「なんだか最近、おまえ元気なくて……心配していたんだよ」
「こんな立派な支度をお母さんや姉さんにして頂いて、ちゃんと、やれるかと心配で……」
 そう云って俯くお春に、
「心配ないさ、お春、おまえならやれるよ!」
 温かく励ます皐月の優しさにお春の胸は熱くなり、涙がぽろりと零れた。
「お春は生娘だから……御開帳が怖いのかえ?」
「……はい」
 こくりと、首(こうべ)を垂れた。
「おまえの御開帳の相手をしてくださる、お殿様は良いお方だよ、決して無茶はしないから、安心おしよ!」
「…………」
 皐月の言葉に、何故かお春の胸に佐吉の面影が浮き上がった。そんなお春の心の動きを見逃さないで、皐月が聞いた。
「……おまえ、好きな男でもいるのかい?」
「いいえ、そんなんじゃないんです……」
「女郎は好きな男がいても、お客に抱かれなければいけない因果な商売さ!」
「はい……」
「だけど……お客に抱かれるときは、好きな男に抱かれていると思って相手をすればいいんだよ」
「はい、姉さん」
 皐月はお春のことを実の妹のように目を掛けてくれる、嵯峨野屋に来てから、お春は皐月太夫のお気に入りの妹女郎というだけで、決して苛められたり、粗末に扱われたことがない。まるで身内のように、いつも自分のことを見守ってくれている。

 一度、皐月に聞いたことがある、
(どうして、こんなに可愛がってくれるんですか?)
 おまえは死んだあちきの妹に顔も性格もそっくりでね、おまけに名前まで同じ『 お春 』っいうんだよ。それで運命を感じてさ、放って置けないんだ、早死にした妹の分までおまえを幸せにしてやりたい。
 そう云って、気丈な皐月が珍しく袖で涙をぬぐっていた。

 陽が暮れ、長屋に夕餉の匂いが立ち込める頃、にゃーにゃー、ゆきが鳴いている。その声に裏木戸を開けて餌をやろうと出てきた佐吉である。ゆきは不思議な猫でお春が売られてから、ずっと、佐吉が面倒をみているのだが、決して佐吉の家には上がって来ない。あれから、ずっと空家になっているお春の長屋で寝泊まりしているようだ、まるでお春の帰りを待っているかのように、あの家から決して離れない。
「おや……?」
 ゆきの首紐の色が変わっていたので何気なく解いてみて、佐吉は驚いた。そこには紛れもない、お春の筆で自分宛の手紙がしたためられていた、信じられない。
「ゆき、お春のところへいったのか?」
 嬉しかった! まさかこんな形でお春の手紙を受け取るとは……ゆきがお春と引き合わせてくれたんだ。佐吉は吉原のどこにお春が売られていったのか知らなかった。あれから三年、お春の消息は長屋の誰ひとり知らなかった。
 お春が売られた半年後にお春の父親が死んだ。賭場でやくざと揉めたらしく腹にどすで何箇所も刺されて深川掘に浮かんでいた。自業自得だと長屋のおかみさんたちは噂した。その時もお春に知らせる伝手(つて)がなかった。

 あの日から、一日としてお春のことを佐吉は忘れたことがない。
 売られる前の日、抱き合って泣いたお春のことが今でも好きだった。いや、物心ついた頃から佐吉にとってお春は特別な存在だった。絶対に自分が守って遣らなければいけない女なのだ。それなのに三年前……何もしてやれなかった。そんな自分が不甲斐なくて悔しかった!
 絶対にお春を見つけ出して、助けあげたいとそればかりを願っていたのだ。お春に逢いたい、さっそく新しい布に手紙を書いてゆきの首に捲いた。
「ゆき、お春に届けてくれ!」




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カットのイラストはフリー素材 [ 四季の素材 十五夜 ] 様よりお借りしました。http://ju-goya.com/


   創作小説・詩
by utakatarennka | 2011-06-11 14:13 | 時代小説

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