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カテゴリ:時代小説( 29 )

鳰の海 其の陸

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イラストはフリー素材 [ 四季の素材 十五夜 ] 様よりお借りしました。http://ju-goya.com/


   第六巻 幸せな姫君に

 瀬田の屋敷ではもうすぐ得度式が行われる。姫君と乳母は黒い法衣に身を包んで、石山寺から訪れる僧侶たちを待っていた。
 古(いにしえ)より『 髪は女の命 』という。その大事な髪を切り落とされてしまわれる。生まれた時から、ずっと伸ばし続けた黒髪は、こんなに艶やかで美しいのに……女の煩悩と共に切り落とされる所存なのだろうが、勿体ないことよ。……どうしても乳母の湖都夜には諦め切れなかった。
 その時、呟くように瑠璃姫が独り言をいった。
「最後の逢瀬の褥で、わたくしを北の方にすると、あの方がおっしゃったのに……あれは嘘だったの、兼通様」
 まだ未練が断てず、姫君は懊悩(おうのう)としておられる様子だった。
「もう、あんな男は忘れておしまいなさい」
 叱りつけるように、きつい口調で湖都夜が云ったら、その声に力なく項垂れ肩を震わせて忍び泣いておられる。痛ましいほどに打ちひしがれた姫君の様子に、乳母も胸が張り裂けんばかりで……。
 ――おのれ兼通め、わたくしの姫君をこんな目に合わせて……呪詛(じゅそ)してやるわ。
 おおよそ、今から授戒(じゅかい)を受けて出家する者が考えるようなことではない。それほどに湖都夜は悔しかったのだ。
「僧侶の方々がご到着なされました」
 知らせにきた侍女の目が赤い――。女主人の出家を悲しんで泣いていたのだ。瑠璃姫は高貴な身分なので、在家のままで出家修行者となる。だが、屋敷の主が尼になれば、華やかな祭事や道行とも無縁になってしまう。ひっそりと身を隠すようにして生きて行くのだから、もう訪れる人もいない。そのせいで侍女の何人かは暇を出されてしまうのだ。この屋敷が、あの頃のように華やぐことはもう二度とない。

 ――得度式が始まった。
 僧侶たちの荘厳な読経の中、瑠璃姫も合掌して念仏を唱えている。瞑目(めいもく)した美しい横顔は悲しみを湛(たた)えていた。ぬかづくように頭(こうべ)を垂れる姫君の黒髪を、僧侶がひと房掴むとついに剃髪の儀式が始まる。いよいよ剃刀を入れようとしていた。
「しばし、待たれよ」
 その時、声がした。どかどかと廊下を走りながら誰かが入ってきた。狩衣(かりぎぬ)姿の公達が息を切らせながら走り込んできたのだ。一同は驚いて儀式を中断した。
 その声に、頭を垂れて瞑目していた姫君が顔を上げた。目の前に現れた、愛しい男の姿に茫然としておられた。
「姫、わたしを見捨てて出家などしてはならぬ。ふたりは二世を誓った夫婦ではないか」
 瑠璃姫の肩を強く握ると、兼通は真っ直ぐにお顔を見てそうおっしゃった。声も出ぬまま、姫君の目からは、ただ、ただ滝のように涙が溢れていた。
「僧侶殿、誠に申し訳ないが、姫君は出家などなさらぬ。この藤原兼通の北の方になるお方ですから」
 そう宣言なさると、兼通は法衣姿の瑠璃姫をひょいと横抱きにしたままで、誰憚ることなく塗籠に入っていった。これから、この中でふたりは熱く語り合うのだろう。
 乳母の湖都夜は何が起きたのか分からぬまま、法衣姿で座っていた。兎に角、得度式は中断されて、僧侶たちも引き上げる支度をしていた。
 確か……、兼通殿が姫君を北の方にすると申された。右大臣家のご嫡男の北の方に瑠璃姫さまが、なんとまあ、名誉なこと、女冥利に尽きる。ほんのさっきまで、尼になるはずだった姫君が右大臣家の正妻の座に……すごい……衝撃の大きさに、乳母はその場で気を失った。
 侍女たちに介抱され、やっと気がついた時、御髪(おぐし)に手をやられて、
「髪があって良かったあ……」 と、乳母がおっしゃっられて、侍女たちはくすくす笑った。

 瑠璃姫と乳母は生まれ故郷、鳰の海を後に「瀬田の唐橋」を渡り、京の都、右大臣家の寝殿造りの北の対に住まうことになった。嫡男、藤原兼通の正室として迎え入れられたのだ。兼通は通っていた女人たちと別れられて、瑠璃姫様、おひとりだけを寵愛なされた。
 瀬田の姫君の玉の輿は、京(きょう)童(わらべ)たちの口の端に上がって、忽ち噂話になったが幸せな姫君だと誰もが羨み微笑んだ。父の近衛大将も大喜びしたが、その北の方だけは悔しがった。
 やがて、瑠璃姫は兼通との間に若君三人と姫君二人をもうけられた。若君たちは将来有望な公達として内裏で要職につかれた。二人の姫君の内のおひとりは入内(じゅだい)されて、中宮(ちゅうぐう)となり東宮(とうぐう)を挙げられた。もうひとりの姫君は左大臣家に嫁がれて、右大臣、藤原兼通の一族は栄華を誇った。
 そして瑠璃姫と兼通はいつまでも仲睦まじく、おしどり夫婦のままであった。瑠璃姫の傍らには、いつも乳母の湖都夜がいた。幼い頃から大事に育て上げた姫君の幸せは、すなわち乳母の幸せでもあったろう。
「姫君のお陰で乳母は幸せな一生でございました。ありがとう……」
年老いた乳母の湖都夜は、姫君とその家族に見守られて、天寿を全うし、眠るように静かに息を引き取られた。

 鳰の海や 秋の夜わたる あまを船 月にのりてや 浦つたふらん
                         (俊成女「玉葉集」)

 右大臣家の池には瀬田の里から持ってきた、葦(あし)が群生している。その葦の穂が風もないのに大きく揺れた、まるで天に向かって掌(て)を振るかのように――。そして、生まれ故郷の鳰の海を目指して飛び立った、ひとりの乳母の魂が「瀬田の唐橋」から、京の姫君に別れの挨拶をして、ゆっくりと昇天していったのである。


                 - 完 -

       **************************************************

 ■授戒《じゅかい》⇒ 仏門に入る者に師僧が戒律を授けること 。

 ■嫡男《ちゃくなん》⇒ 嫡男とは、嫡子(嫡嗣、ちゃくし)とも呼ばれ、一般に正室(正嫡)の生んだ 男子のうち最も年長の子を指す。
 長男と同一視されることも あるが、たとえ長男であっても側室の生んだ子である場合、正室の生んだ弟が嫡男となることもあることから、嫡男と長男は必ずしも同一ではない。

 ■入内《にゅうだい》⇒ 皇后・中宮・女御になる人が、儀礼 を整えて正式に内裏に入ること。

 ■東宮《とうぐう》⇒ 皇太子のこと。




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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-11-06 14:17 | 時代小説

鳰の海 其の伍

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イラストはフリー素材 [ 四季の素材 十五夜 ] 様よりお借りしました。http://ju-goya.com/


   第五巻 尼になる決意

 その頃、京の都の右大臣家、藤原兼通の屋敷では、信じられない事件が露呈していた。
 兼通は御所の蹴鞠(けまり)の競技で脚を挫いて、しばらく床に臥せっていたのだ。そのことを知らせた文を瀬田の瑠璃姫の元へ寄越したのだが、なんら見舞いの文も来なかった。ずいぶん薄情だと思ったが……兼通は病床の中で、毎日々、姫君に文を書き送っていた。だが、まったく返事がこない。使いの者に様子を見に行かせたが「息災(そくさい)に暮らしています」と伝えられたが、肝心の姫君からの文がない。
 怪我で逢いに行けないので、ご機嫌ななめなのかと京の珍しい品々を瀬田に送り届けたが、姫君からは礼の一文もない。さすがの兼通も「いくら、田舎暮らしとはゆえ、あまりに礼儀がなっていない」と立腹した。
 先日、亡くなった北の方の乳母、笹塚(ささづか)に瀬田の姫君を北の方に迎えたいと相談したばかりだったのに……まさか、瑠璃姫がこんな情愛の薄い女人とは思わなかったと、兼通はすっかり幻滅してしまった。

 それでも、夜になると姫君の褥での愛らしい肢体が忘れられず、悶々としていた。もしかしたら、新しい男が通って来ているのかも知れないと……妄想で嫉妬して眠れなかった。何故、こんな邪険な態度を取るのか、理解に苦しんだ。ふたりは契りあって二世を誓っていたはずなのに……人知れず累々と涙を流した。
 怪我が癒えた頃、兼通は「姫に逢いたい」と、居ても立ってもいられないほど、恋しさが募っていた。自分でも信じられないほど、瑠璃姫に執着していたのだ。瀬田の地へ行って、たとえ姫君が逢ってくれなくとも、遠くからひと目だけでも見たい……そして、愛しい姫君の面影を抱いて、鳰の海に、この身沈めてもよいとさえ思っていたのだ。
 兼通は、家人を呼びつけると、今から瀬田に参るので、牛車の支度をするように言いつけた。その言葉をきいて、いきなり家人のひとりが平伏して泣きながら、兼通に許しを乞うた。その男は笹塚の乳母子(めのとご)であった。

 いきなりの来訪に驚いた侍女たちだったが、無礼を止めるのも聞かず、憤怒した兼通はどかどかと乳母、笹塚の部屋へ入っていった。いつも穏やかな主人はなりを潜め、怒りで顔を紅潮させて、
「乳母殿、隠している物を見せて貰おうぞっ」
 きつい口調で云い放った。その剣幕に怖れをなした笹塚は、隠していた葛篭(つづら)を見せた。葛篭の中には、兼通と瑠璃姫の手紙がいっぱい詰まっている。几帳の奥には瀬田に送ったはずの品々が隠されていた。
「笹塚、これはどういうことだ」
 送ったと思っていた文も、あちらから届いていた文も、全て笹塚が隠していたのだ。まさか、こんなことをすると……怒りを通り越えて呆れてしまった。
「どうか、お許しください。亡き北の方を忘れて、新しい北の方に迎えるのが、どうにも悔しくて……文を隠したり、使いの者に金品を与えて、瀬田には行かず、行ったと嘘をつかせて、ふたりの仲を裂こうとしました。兼通殿が瀬田の姫に愛想を尽かして、諦めてしまえばよいと思ったのでございます」
 乳母は自分の罪を告白すると、泣きながら、
「罪深いことをいたしました。この笹塚、尼になって、亡き北の方の御霊を弔いますゆえ……。どうか、お許しくださいまし……」
 床にぬかづいて詫びられた。笹塚の乳母子はその片棒を担いでいたのだ。兼通に瀬田に行かれれば、すべてが暴かれてしまうので、先に謝ったのだ。

 ――やっと、仔細が分かった。
 兼通は自分に送ってきた、瑠璃姫の文を一通一通丹念に読んだ。急に連絡もなく、通わなくなった自分のことを驚き、嘆き、悲しんでいた――。
 ああ、姫君も自分と同じ気持ちだったのだと分かって嬉しかった。
 次々と文を読み続けていくと……新しい文には姫君が病気になられましたと、乳母の湖都夜から恨みのこもった文面だった。そして、一番新しい文には姫君が尼になられると書いてあった。
「なにっ、尼だと……」
 兼通は驚いた。姫君が尼になってしまったら、何もかも取り返しがつかなくなる。もう、二度と逢えなくなってしまう。――明日が得度式ではないか、何としても止めなくては、もう時間がない、瀬田まで間に合うか。
「馬だ。誰か、馬を持てい」


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 ■蹴鞠《けまり》⇒ 平安時代に流行した競技のひとつ。鹿皮製の鞠を一定の高 さで蹴り続け、その回数を競う競技である。

 ■乳母子《めのとご》⇒ 乳母は、実母に 代わって母乳を与え、育てる女性ですが、乳母子とは、その乳母の実子のことです。




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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-11-05 13:59 | 時代小説

鳰の海 其の肆

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イラストはフリー素材 [ 四季の素材 十五夜 ] 様よりお借りしました。http://ju-goya.com/


   第四巻 伝わらぬ想いを

 それが、ふた月ほど経ったある日。急に、兼通からの音信が途絶えてしまった。京からの使いも文もなく、こちらから送った文にもまったく返事がない。それでも、瑠璃姫は毎日々幾通も文を出されたが、兼通から音沙汰がないので、心配で心配で……夜も眠れず。
 昼間は几帳の中でしくしくと泣いておられて、食も喉を通らず、見る見る間に、げっそりとやつれてしまわれた。
 何故(なにゆえ)、急に通われなくなったのか、兼通様のお気持ちが分からないと、姫君は嘆き悲しんだ。もし、病気ならば、知らせがくるはずなのに、無しの礫(つぶて)だった。こんな片田舎に通うより、京の都の女人の方が良いのでしょうか。父君のように……。
 そう云って、姫君は床に伏して泣かれた。そのお嘆きぶりは、側にいる湖都夜にも痛々しく伝わるほどだった。またとない良縁と思えるほどの仲睦ましさだったのに、殿御(とのご)の気持ちは分からぬと乳母は憤怒(ふんど)した。

 ついに、瑠璃姫は床に臥せってしまわれた。床の中では、薄目をあけて悄然(しょうぜん)として、生きる気力もないようである。この度のことが姫君から精魂を抜いてしまったようだ。病気平癒(びょうきへいゆ)の加持祈祷をしたが効果もなく、日に日に痩せて弱っていく。――ああ、このままでは姫君が死んでしまう。
「姫君、どうか、どうか、この乳母を置いて逝かないでくださいまし……」
 湖都夜は小枝のように細くなった姫の指先を掴んで、掻き口説いては訴えたが、魂が抜けたような姫君は何もしゃべらない。
「もう一度、この乳母にお声を聴かせてくださいまし、赤子から大事にお育てした姫様をどうか、どうか、冥界(めいかい)に連れていかないでくださいませ……御仏のご慈悲でどうか……」
 乳母は涙を流し嘆いた。その時、姫君の瞳からひとすじ涙が流れた。
「乳母や……」
「姫君」
「尼になりたい……父君に頼んでおくれ……」
「はい、姫君が尼になるなら、この湖都夜もお供いたします。近衛大将にお願いいたしますゆえ、どうか、お気を確かに……死なないでくださいまし」
「尼になって、念仏三昧がしたい。母君のように……男を待つだけの日々は耐えられぬ」
 そう云って、瞳を閉じられたが、そこから新たな涙がひとしずく零れた。

 乳母は、瑠璃姫の父君、近衛大将に嘆願の文を書いた。
 姫君が重病で、このままでは助からないかも知れないので、出家して尼になりたいと申されておられます。どうか、姫君の願いをお聞き届けください。――そういう内容で近衛大将に文を出したが、最初は尼になることには大反対だった。
 再び乳母が……今にも息絶えそうです。姫君に御仏の加護があるように尼になることをお許しください。乳母が何度もせがんだので根負けした近衛大将からついに許しがでた。
 尼になることを許されて、心の平安を取り戻せたせいか、僅かに生気がよみがえった。姫君の体調が戻り次第、屋敷に僧侶を招いて、得度式(とくどしき)を行う手筈である。仏門に帰依して尼になれば、生きていても死者と同じ。華々しいことには無縁で、御仏に縋って、ひたすら念仏三昧の隠遁(いんとん)の日々。浮世の苦しみもないが、また喜びすらない――。
 それでも死なれるくらいなら、尼になってでも生きていて欲しい。姫君が生きがいの湖都夜にとって、どんなことがあっても側から離れない覚悟である。……とはいえ、うら若き姫君が尼になってしまわれるとは不憫でならぬと、乳母は袖で涙を拭った。
 ――瑠璃姫をこんな目に合わせた、兼通殿を恨みまするぞっ。


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 ■隠遁《いんとん》⇒ 世俗を離れて生活すること 。世間を去って山中などに住み,仏教の修行に専心すること。

 ■仏門《ぶつもん》に帰依《きえ》⇒ 帰依するとは、仏教の教えに従い生きること。

 ■得度式《とくどしき》⇒ 僧侶入門の儀式のことで、剃髪《ていはつ》し戒を守ることを誓約し、戒名(僧名) を与えて頂きます。




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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-11-04 13:44 | 時代小説

鳰の海 其の参

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イラストはフリー素材 [ 四季の素材 十五夜 ] 様よりお借りしました。http://ju-goya.com/


   第三巻 塗籠の睦言

 式部大輔が帰ってから、乳母に叱られた。
「姫君なんですか、あの慎みのない、お言葉は……高貴な姫君が自分から『お越しください』などと、殿御に云うものではありませぬ」
 いつも無愛想だと怒るくせに『お越しください』と云ったら、もっと怒られた。乳母なんか嫌いじゃあ。ぷくっと脹れて、姫君は几帳の影で拗ねていた。だけど、今日お逢いした兼通様とは、また逢いたいと思っていた。乳母が云うように、慎みのないことを口走ってしまったなら、きっと愛想を尽かされて……もう来てはくれまい。
 ……そう思っていたら、翌日、兼通から昨夜のお礼の文が来た。それには近々訪問しますと書いてあった。乳母の湖都夜は大喜びだった。――そして、瑠璃姫も嬉しかった。

 それから、五日も経たない内に兼通は再び通って来られた。今度は二度目ということで、先日の堅苦しい挨拶だけではなく、御膳も振舞い、侍女たちが和琴などを奏でて、和やか雰囲気になっていた。兼通からも姫君へ絹の反物がお土産に持参された。
 ――いよいよ夜も更けて、屋敷の灯火がひとつ、またひとつと消されてゆく。
 乳母と侍女たちはしずしずと退出していく。兼通はそっと、瑠璃姫の几帳の中に入って来られた。恥かしそうに扇でお顔を隠しておられる姫君の手を取って、優しく抱きしめて、美しい御髪(おぐし)を撫でておられた。
「あなたの髪は瑠璃鳥の羽根のように、艶やかで美しい」
 兼通の声に姫君の頬は紅潮し、身体が熱く火照ってきて、胸が脈打つ……さらに強く包み込むように抱きしめられた。
 そして、ふたりは抱き合ったまま、縺れ込むように塗籠(ぬりごめ)へ入っていった。

 塗籠の中では姫君は、兼通に身体を預けた。
 なさるように帯を解き、香をたきつけた羅(うすもの)を脱ぐと、惜しげもなく白い肌をさらした。
「姫の肌は白くたおやかで、内裏の池に舞い降りる白鷺(しらさぎ)のようです」
そして、優しく丹念に愛撫して、姫君の秘所を熱く濡れさせた。耳元に熱い男の吐息がかかった時に、
「あっ……あぁ……」
 思わず、お声を漏らしてしまわれた。恥かしげにお口に手をあてられた姫君に、
「わたしが触れると、姫が美しい声で囀られる。もっと、囀(さえず)りを聴かせておくれ」
 と、兼通がもうされたので、姫君も大胆になられた。
 後は、なすがまま身体を開き、心地よい小舟に揺られながら夢心地だった。今までの男たちは何だったのかと思うほどに、兼通とのまぐあいは姫君を夢中にさせた。かつて達したことのない領域まで、幾度も誘(いざな)われて悦楽の高みへのぼった。夜が明けるまで、ふたりは幾度も愛し合って、満ち足りた疲れを共に……抱き合って眠った。

 翌朝、ふたりは昼近くまで塗籠の中で眠っていた。
 塗籠の外から、遠慮がちな乳母の咳払いを耳にして、ようやく起き上がった。目が覚めた時、愛しい男の顔が側にあって、この方の妻になれて幸せだと瑠璃姫は思った。
 身支度を整えると、侍女が膳を運んできた。契りを結んだ、お祝いの紅白餅を兼通とふたりで食べた。
「兼通様はどうして、こんな片田舎に通ってこようと思われたでしょう」
 思い切って、気になっていたことを訊いた。
「先日、方違えで瀬田の長者の家に逗留した折に、わたしは長者の家の者に付いて、瑠璃姫の屋敷をこっそり訪れました。田舎の割には立派な造りの館だと見ていたら、丁度、姫君が几帳から出て来られて、乳母殿と一緒に廊下で何やら楽しげに話しておられた。京の澄ました女人しか知らぬ、わたしにはそのお姿が愛らしく、好ましく思えたのです」
 見知らぬ殿御に顔を見られたことを……恥ずかしいと姫君は思われたが、昨夜、契ったふたりはもう夫婦だから、恥ずかしがることもないのである。
「わたくしは都育ちではないので、不調法者でございます」
 姫君がそう申されると、
「そんなことは気になさるな。わたしが元服(げんぷく)した頃に若い乳母が屋敷に居ました。その者は近江国の生まれで、鳰(にお)の海(うみ)や瀬田の夕照(せきしょう)の美しさなどよく話して聞かせてくれた。わたしが、その乳母をたいそう気にいっていたものだから……。他の侍女たちに妬まれて、ひどい仕打ちを受けて、乳母は病になり、里へ下がり近江の地で亡くなったと聞く。未だ若くて、わたしに力がなかったばかりに……あの人に可哀相なことをしました」
 兼通は悲しそうな顔で瞳を伏せられた。その乳母に今でも後悔の念を抱いているのだろうか。たぶん、その乳母が若い兼通に閨房(けいぼう)の手解きをした女人なのかも知れない。都の公達は童貞から乳母に女体の扱いを学ぶという。そういう仕来りが殿上人(てんじょうびと)にあると、以前、湖都夜に聞いたことを瑠璃姫は思いだした。
 その後、牛車でお帰りになられる兼通のお姿を、名残惜しげに姫君は屋敷の廊下でいつまでも見送っていた。
 お戻りになられてから、ほどなく瀬田の姫君の元へ、後朝(きぬぎぬ)の文が届けられた。その文に返事を書いて使いの者に渡すと、この「ご縁が長く続きますように」姫君と乳母は、阿弥陀様に掌を合わせてお祈りをした。

 それからは、五日、六日おきに、遠方にも関わらず、兼通は姫の元へ通って来られた。
 来る度に姫君や乳母、侍女たちにまで、都の珍しい品物を持参してくださる。誠に気の利く殿御で「今宵参られます」と、先まわりの者が告げたならば、屋敷中がぱっ活気づいて、姫君は化粧をして、衣装を調える。長い下げ髪に、瑠璃の桂(うちき)を上に単衣(ひとえ)を重ね、紅袴姿の姫君は凛として美しく、乳母でさえ感歎の溜息を漏らすほどであった。
 お迎えの支度をする度に、こんな片田舎の屋敷が女主人と共に輝きを取り戻してゆくようだった。
 夜も更ければ、塗籠の中から……時おり漏れくる姫君のあられもないお声に、乳母の湖都夜が赤面するほどであったが、今まで、どの殿御とも深く心を通わすことがなかった姫君だったのに、兼通とは仲睦まじく、ほんとうに良かったと乳母は涙ぐんで喜んだ。
 ――瑠璃姫は、兼通という男を身も心も深く愛し始めていた。


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 ■塗籠《ぬりごめ》⇒ 寝殿造りの母屋の一部に 設けられた、厚い壁で囲まれた部屋。板扉をつけて出入りする。寝室として使われ た。

 ■几帳《きちょう》⇒ 平安時代以降公家の邸宅に使われた、二本のT字型の柱に薄絹を 下げた間仕切りの一種。

 ■不調法者《ぶちょうほう》⇒ 行き届かず、 手際の悪いこと。

 ■元服《げんぷく》⇒ 奈良時代以降、 男子が成人になったことを示す儀式。
 ふつう、11~16歳の間に行われ、髪を結い、服を 改め、堂上家以上は冠、地下《じげ》 では冠の代わりに烏帽子《えぼし》を着用した。

 ■瀬田《せた》の夕照《せきしょう》⇒ 近江八景のひとつ

 ■後朝《きぬぎぬ》⇒ 衣を重ねて掛けて共寝をした男女が、翌朝別れるときそれぞれ身につける、その衣。
 男女が共寝をして過ごした翌朝。また、その朝の別れ。




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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-11-03 13:09 | 時代小説

鳰の海 其の弐

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   第二巻 片田舎の姫君

 それから、十数年の歳月が流れた。
 家柄は悪くないのに、こんな片田舎ゆえに年頃になっても、瑠璃姫の元に通ってくる殿御はいない。たまに文がきても乳母の湖都夜が、
「こんな身分の低い男とでは姫君と釣り合いませぬ」
 と、勝手に握り潰してしまう。
 湖都夜は、瑠璃姫を身分高い貴族の北の方にさせて、京の都に還るのが夢だった。そのために姫君を美しく聡明に育てあげたのだ。乳母に取って自慢の姫君である。
 三年ほど前に、一度だけ、湖都夜のお眼鏡に叶った殿御がいた。弾正尹(だんじょうのかみ)、橘国善(たちばな くによし)いう少将で、すぐれた歌を詠んだ。歳は姫君よりも二十歳も多いのだが、北の方が病弱だったので、いずれは北の方にという条件で通われたが、あろうことか、瀬田に来る道中で夜盗に襲われ命を落としてしまわれた。
 その後も三、四人の公達が通われたが、まず遠いことと、いつまで経っても打ち解けない姫君の、かたくなな性格に愛想をつかされて、
「姫君は気位が高くて、とてもお相手が務まりません」
 男たちの足が遠のいていった。片田舎に高貴な姫君が住むと聞いて、単なる好奇心から通い始めたくせに、冷たくあしらうと、すぐに諦めてしまう。なんて実(じつ)のない男たちよ。こんなことはもう懲り懲り夫などいらぬ、ご機嫌を取ったり、男女のまぐわいも嫌だった。
 瑠璃姫は浮世の煩わしさから逃れたかった。兼ねてより尼になりたいと考えていた。阿弥陀様を信心していたので、父の近衛大将にお願いして、お寺に寄進して仏門に帰依し、亡き母君の御霊を弔い、念仏三昧の日々を過ごしたいと、そう願っていたのだ。それなのに……乳母も父君も尼になることを断じて許してはくれない。――どうせ今度(こたび)の縁(えにし)も上手くいくとは思えなかった。

 近江国(おうみのくに)、瀬田川に舟遊びに来られた式部大輔、藤原兼通は陰陽道の方違(かたたが)えで、瀬田の長者の屋敷に逗留することとなった。瀬田の長者は乳母の湖都夜の実家である。その時、家人から、こんな片田舎に貴族の隠し姫が居ると聞いて、兼通は興味を持った。
 毎日、叔母の湖都夜の元へ、瀬田川で獲れたしじみやごりなど届けに行く甥御について来て、こっそりと瑠璃姫の屋敷に訪れていたのだ。その時に、瑠璃姫の姿を遠くから見染められて、乳母の甥御を通して文が届けられた。その後、何首か歌の遣り取りがあって、ついに今宵、こんな片田舎の屋敷に通ってこられるという。

「姫君、そんな憂鬱な顔をなさっては、美しいお姿が台無しでございます」
 やたらと張りきる乳母とは対照的に、瑠璃姫は欝々とした気分だった。
「だって……どうせ、また……」
 口の中でもぞもぞと反発するが、
「あれ、紅が薄いようでございますね。これ、誰か、姫君の化粧箱を持ってきや」
 沈んだ姫君の様子に全く意に介さない、乳母の湖都夜である。
「わたくしのお育てした瑠璃姫様は、都の女人にも負けない美しさ。その長く艶やかな黒髪に心を奪われぬ殿御はおりませぬ」
 姫君の衣装に香を焚きつけている。伽羅麝香(きゃらじゃこう)の甘き獣の匂いが扇情的で男を誘うようだった。「ああ、嫌だ……」扇で顔を隠して、姫君は顔をしかめた。

 いよいよ夜も深まって、もうすぐ式部大輔殿のお車が着きますと知らせが届いた。今宵は初見なのでお泊りにはならないと思うが、乳母の湖都夜は自分のことのように、そわそわと落ち着かない。
「いいですか、殿御のおっしゃることには『はい』とか『さようでございます』とか、ちゃんとお答えしなくてはいけませんよ。姫君は無愛想でいけません」
ぐちぐちと説教を始めた。
 どうせ、二、三度通われて、足が遠のく殿御に媚びなど売らぬと姫君は考えていた。この縁(えにし)にしくじったら……父君も呆れられて、もう尼になってもよいとおっしゃるかも知れぬ。心の片隅で、そんな不埒なことを瑠璃姫は考えていた。
  屋敷の前に牛車が到着して、にわかに活気づいてきた。共の者たちと一緒に屋敷の敷地に通されて、さらに奥の間へと式部大輔は進まれた。

 今宵、初めて通われた式部大輔、藤原兼通という人物を、御簾の奥でじっと息を潜めるようにして瑠璃姫は見ていた。
 たぶん、歳は自分よりも十歳ほど上だろうか、藍色の 直衣(のうし)姿で、指貫(さしぬき)には、浅黄緯白(あさぎぬきじろ)、藤の丸紋に入っている。頭には立烏帽子(たてえぼし)を被り、手には扇子(かわほり)、懐中には帖紙(たとう)を入れている。申し分ない出で立ちで男振りも良い。さぞや、宮中の女官たちに騒がれているであろうに、何故(なにゆえ)、よりに選って、こんな片田舎の自分の処に通って来るのだろうか。瑠璃姫には不思議で堪らない。
 先ほどから、乳母の湖都夜が兼通の機嫌を取ろうと、あれこれ話かけている。時折、聴こえてくる、お声も低く心地よい。
「おほほっ、姫君はねんねで世事に疎いお方でございますから、どうか、ご容赦くださいますように……」
「わたしは世慣れた女人よりも、姫のようなひっそりとしたお方を好ましく思っています」
「まあ、そう云って頂けると……何しろ、ここは片田舎なもので、都の流儀が分かりませぬゆえ……」
「堅苦しい流儀は気にせずに、気が置けないもてなし有難く思います」
 今まで、通ってきていた男たちとは受け答えがぜんぜん違う。この人はなんて心の広い人なのだろうと瑠璃姫は思った。
「それでは、今宵はこれくらいにして退席させて頂きます」
「さ、さようでございますか」
 早い退席に、気分を害されたのではないかと乳母はおろおろしていた。
「では姫君、また、ご機嫌伺いに参りましょう」
 あの方が帰られる。思わず瑠璃姫の口から声が出た。
「ど、どうか、またお越しくださいまし……」
 小さな声で呟くように話した。
「おお、これは愛らしい。小鳥の囀りのようなお声だ。姫の声が聴けて良かった」
 そう云って、朗らかに笑うと兼通は帰って行かれた。
 わずかな時間だったが、瑠璃姫には深く心に染み入るような時間であった。こんな気持ちになったのは、たぶん生まれて初めてかも知れない。


       **************************************************

 ■弾正尹《だんじょうのかみ》⇒ 律令制度における弾正台の長官《かみ》である。従三位相当。
 職務として、非違の糾弾、弾劾を司る。二官八省から独立して監察を行う。太政大臣を除くすべての役人の不正を摘発するのが主な任務である。

 ■方違《かたたが》え ⇒ 陰陽道に基づいて平安時代以降に行われていた風習のひとつ。方忌《かたい》みとも言う。
 外出や造作、宮中の政、戦の開始などの際、その方角の吉凶を占い、その方角が悪いといったん別の方向に出かけ、目的地の方角が悪い方角にならないようにした。




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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-11-02 09:02 | 時代小説

鳰の海 其の壱

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イラストはフリー素材 [ 四季の素材 十五夜 ] 様よりお借りしました。http://ju-goya.com/


   第一巻 瀬田の唐橋

 鳰の海や霞のうちにこぐ船のまほにも春のけしきなるかな
                    (式子内親王「新勅撰集」)

 鳰(にお)の海(うみ)とは琵琶湖の古称で近江国の歌枕である。京の都から近い淡水の海として近淡海(ちかつあわうみ)と呼ばれる琵琶湖(びわこ)。その煌めくさざなみが、やがて穏やかな流れとなる瀬田川(せたがわ)、その瀬田川と琵琶湖に架かっている「瀬田の唐橋」は古来より歴史の拠点として度々その名が挙げられる。その存在は古くは日本書紀にも記されている。「唐橋を制する者は天下を制す」という云われるほど、東国から京の都に入る唯一の橋であった。

 その「瀬田の唐橋」のほど近くに、高貴な姫君がひっそりと暮らして居られた。だが、普段は静かな屋敷の中がざわめいている。乳母(めのと)の湖都夜(ことよ)は大張りきりで侍女たちと、今宵、初めて通ってこられる式部大輔(しきぶたいふ)のお迎えの支度を調えていた。粗相のないようにと、細かく侍女たちに指図をしているのだ。屋敷の前では篝火(かがりび)を焚いて牛車の到着を待っている。
 しかし、当の本人、瑠璃姫(るりひめ)は、そんな乳母たちを尻目に御簾(すみ)の奥で所在なさそうに脇息(きょうそく)にもたれ、物憂い表情で溜息を吐(つ)いていた。乳母の湖都夜には内緒だが、もう男に通って来られるのは煩わしいと姫君は思っていて、人知れず平穏な日々を送りたいのである。
「姫君、これはまたとない、ご縁(えにし)でございます」
「もう、殿御はいらぬ……」
「何をおっしゃる、姫君には殿上人(てんじょうびと)の北の方として、都に還るのが天命、これは好機でござりまする」
 おおいに乗り気な乳母は、姫君の尻を叩いている。
 今宵通われる。式部大輔、藤原兼通(ふじわら かねみち)は、父君は右大臣、母君は大納言の家柄の娘で、由緒正しき血統の嫡男(ちゃくなん)である。今は、まだ若いので正五位、式部大輔と官位は低いが、将来有望な公達(きんだち)なのだ。しかも、兼通は、一年ほど前に北の方を亡くされて以来、ずっと喪に服しておられた。噂では通っておられる女人も何人かはいるようだが、誰も北の方になさろうとはしない。今なら寵愛が深ければ、兼通の北の方になれるかも知れないのだ。

 こんな片田舎の瀬田(せた)の里に住まう、瑠璃姫だが決して家柄は悪くはない。瑠璃姫の父君は、右近衛大将(うこのたいしょう)、九条良憲(くじょう よしのり)で、母君は中宮(ちゅうぐう)に仕える女官であった。内裏(だいり)で近衛大将に見染められた母君は宮仕えを辞して、夫が用意した屋敷に住まうこととなったが、近衛大将の北の方は悋気(りんき)の強いお方で、都に居を構えることを許さなかった。それゆえ、都より遥か遠い琵琶湖を望む、瀬田に屋敷を構えることになった。
 そうなると、遠方ゆえに近衛大将は通うことも儘ならず、男の愛情は思った以上に早く冷めてしまわれた。都の女たちの元ばかりに通われて、瀬田の母君の元へは、月に一、二度しか通っては来られなかった。
 瑠璃姫が生まれて、瀬田の長者の娘、湖都夜(ことよ)が乳母(めのと)として奉公にあがった。湖都夜は、生後まもなく我が子を亡くし、夫とも疎遠になっていたので、屋敷に召されて姫君を育てることを生甲斐と感じていた。乳母は田舎育ちだったが、若い頃、都で貴族の屋敷に奉公したことがあって、都育ちの女主人を尊敬し憧れていた。鬱々と物思いに耽る母君とは違い、乳母は朗らかで活発な性格、姫君にはきびしいが情の厚い女である。
 元々、病弱だった母君は、瑠璃姫が七つの時に身罷(みまか)った。夫を待つばかりの寂しい日々が寿命を削ったのかも知れない……と、姫君は思っている。母が亡くなって、北の方の元へ引き取る話もあったが、幼く愛らしい姫君を……あの悋気の強い妻の性格を知っている近衛大将だけに、瑠璃姫の養育を乳母の湖都夜に任せて、この地に姫君を残した。


       **************************************************

 ■鳰《にお》の海《うみ》⇒ 琵琶湖

 ■式部大輔《しきぶたいふ》⇒式部省は、日本の律令制における八省のひとつ。官位は正五位下

 ■右近衛大将《うこのえたいしょう》⇒近衛大将《このえのだいしょう》は、日本の律令官制における令外官の一つ。宮中の 警固などを司る左右の近衛府の長官。
 左近衛府には左近衛大将《さこんえのだいしょう》 、右近衛府には右近衛大将《うこのえたいしょう》が置かれた。官位は従三位

 ■殿上人《てんじょうびと》⇒ 九世紀以降の日本の朝廷において、天皇の日常生活の場 である清涼殿の殿上間に昇ること(昇殿)を許された者のことである。

 ■中宮《ちゅうぐう》⇒ 天皇の妻たちの呼称の一つ。皇后・皇太后・太皇太后の三宮の総称。

 ■内裏《だいり》⇒ 古代都城の宮城における天皇の私的区域のこと。御所《ごしょ》、 禁裏《きんり》、大内《おおうち》などの異称がある。

 ■悋気《りんき》⇒ ねたむこと。特に情事に関する嫉妬。やきもち。

 ■身罷《みまか》る⇒ 身が現世から罷《まか》る意。死ぬ 。




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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-11-01 20:59 | 時代小説

れきし脳 ⑭

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古の人の情けに涙して 粋を知らぬは脳なしか


   第五巻 羅刹丸 ②

 ある夜、夜盗の羅刹丸は村の長者の屋敷に盗みに入った。たいそう立派な屋敷である。
 ここなら忍び込んでも広過ぎて、簡単には見つかりはしないと踏んだ。屋敷の主は留守のようで屋敷の中はしんと静まり返っていた。金目の品を物色しながら羅刹丸は屋敷の中をあっちこっち彷徨って、一番奥の部屋の戸を開けると……。
 ――まだ若い女が眠っていた。
 この女は《この屋敷の主の妻か……?》月の明かりに照らされて眠る。美しい緑の髪と白い肌の高貴な女だった。薄物から覗く乳房や脚……その姿態に羅刹丸は劣情した。
 ごくりと息を飲んで、いきなり女の上に馬乗りになった。驚いて目を覚ました女だが、叫び声をあげようとした瞬間。羅刹丸は女の口と鼻を掌で押さえ窒息させようとした。
 手足をばたつかせて抵抗していたが、やがて気を失った。
 ぐったりした女の衣服を剥ぎとり、全裸にして白く美しい肌を堪能してから、女の股を開き秘所に、おのれの物を無理やり押し入れた。――途中、ううん……と意識を取り戻しかけた女の首を絞めながらなおも犯し続けた。
 羅刹丸が果てた時、女は痙攣して目を見開いたまま絶命していた――。
 獣のような羅刹丸は欲望のままに女を犯し、殺しても、一片の良心の呵責もない男である《さすが長者の妻だ上等の味だったぜぇー》ご満悦である。
 この部屋で金目の物を物色したら逃げ去ろうとしていた羅刹丸だが、屏風に掛けてある美しい打ち掛けに目が止まった。緋色に金糸銀糸の刺繍を施した豪華な着物である。羅刹丸は思わず、それをひっつかんだ。――が、屏風を倒してしまい大きな音がした。
「もし! どうかなされましたか」
 隣室から乳母とおぼしき女の声がした。
 戸を開けて様子を覗いた乳母が死んでいる主の妻を見て、絹を裂くような悲鳴をあげた。
「人殺し! 人殺しー!」
 大声で乳母が騒いで、その声に屋敷の中が急にざわついた。羅刹丸は慌てて逃げ出したが、すぐさま追手がかかりそうだった。
 何とか……竹藪の庵まで逃げ帰った羅刹丸だが乳母に顔を見られたので、すぐさま追手がここへ来るに決まっている。

 庵の中に入ると女が蒼白い顔で眠っていた。産み月近くになって、女は床に臥せることが多くなった。丈夫ではない身体に、まだ母体として十分に成長しきっていない妊娠である。かなり身体に負担なのだろう。
 このころには羅刹丸も優しくなっていて、山で雉など捕まえて滋養をつけるため食べさせてやっている。女は羅刹丸から逃げたい気持ちなど毛頭ないようだ。
 寝ていた女を起こし長者の妻から盗んできた着物を渡した。その美しい着物を見た瞬間、女は目を丸くして驚いていた。たぶん、生まれてこの方こんな美しい着物は見たことがなかったのだろう。
 貧しい生まれの女には一生触れることも出来ないような、それは豪華な着物であった。嬉しそうに美しい着物を羽織って見ていた。
「追手が掛かった! 逃げるぞ」
 そんなことをしている場合ではない。早く逃げなければ追手がやってくる。具合の悪い女の手を引っぱり、羅刹丸は竹藪の庵から逃げ出した。《長者の妻を殺したのだから……ただでは済むまい。きっと大勢の追手がかかる。とにかく、遠くへ遠くへ……逃げなくては……》気ばかり焦る羅刹丸。竹藪を抜け森の中に入った。――今夜は山越えになるかも知れない。

 先ほどから、女の具合がかなり悪そうで……足がよろよろして上手く歩けない。腹を押さえて、苦しそうに肩で息をして呻き声を漏らす。産み月が近い、大きく腹がせり出た女に山越えなど無理である。羅刹丸はだんだん焦ってきた。
 どうして、こんな女まで連れて来たんだろう? 足手まといで進めない! このままでは追手に追いつかれてしまう。置き去りにするか? 殺すか? 羅刹丸は迷っていた。
《追手に捕まれば俺は殺される。命が惜しい、死にたくない!》羅刹丸も必死だった。
 ついに女は地べたにしゃがみこんで泣き崩れ腹を押さえ、もがき苦しみだした。とうとう破水して、陣痛が始まったようだ。
 寄りによって、こんな時に産気づくとは……仕方ない! 女を置き去りにしようと羅刹丸は考えた。自分ひとりなら何んとか逃げ果(おお)せる。――だが、女の苦しそうな呻き声を聴いていると……羅刹丸はその場を動けなくなってしまった。
 陣痛の苦しみに耐え、いきんで赤子を産み落とそうとする女。出血も多いし、女の体力は限界に達していた、やっと……赤子の頭が出てきて、羅刹丸が引っぱり出した。
 おぎゃーと大きな声で赤子が産声をあげた。その泣き声が森の木々に木霊した――。
 産み終えた女に、赤子を見せてやると憔悴しきった顔で薄く微笑んだ。くしゃくしゃで顔は分からないが女の子であった。
 女は泣いていた――。大きな瞳に涙をいっぱい溜めて……雫が頬を伝って零れ落ちた。もう自分の命が幾ばくもないことを悟っているようだ。
 悲しげな瞳で羅刹丸の方見て、何か言いたそうに口をパクパクさせていたが……。口の利けない女は、やがて、力つきて……。
 静かに息をひきとった――。

 羅刹丸は森の中に女の遺体を横たえて、その脇に生まれたばかりの赤子を置いた。上から美しい打ち掛けを羽織ってやった。母親が死んだのだから、いずれ赤子も死んでしまう。血の匂いを嗅ぎつけた山犬どもの餌食になってしまうかも知れない。
「――俺の女だった。俺の子を産んで死んでしまった」
 そう呟いて、しばらく茫然と女の死顔を眺めていた。なんだこれは……? 気がつけば目から雫が零れていた。幼いころから滅多に泣いたことがない羅刹丸が泣いている。
《これは涙か? 俺が泣いてる? まさか……?》袖でゴシゴシと乱暴に目を拭いて、羅刹丸は走りだした。
「ちくしょう! ちくしょう!」
 泣きながら羅刹丸は森の中を無茶苦茶に走り続けた。
《こと切れる前、女は俺に何を言いたかったんだろう?》口の利けない女の悲しそうな死顔が心に焼き付いて離れない。
「あいつは俺の女だった。唯一、俺が愛した女だったんだ!」
 森の木や枝に身体を打ちつけながら、それでも羅刹丸は我武者羅に走り続ける。
「ちくしょう! ちくしょう!」
 泣き叫びながら《長者の妻なんか殺さなければよかったー。具合の悪い女を無理やり引っ張って逃げなきゃよかった!》後悔で胸が張り裂けそうだ。
「許してくれ! おまえに死なれて……」
 俺は……そう心の中で呟くと、がくりと膝が折れて羅刹丸は地面に倒れ込んだ。
 さっきまで生きていた女の愛らしい顔が目の前にちらついて離れない。
《ほんの小娘だったのに……可哀相に――あっけなく死んでしまった》
 人殺しなんか、何んとも思っていなかった。悪鬼のような羅刹丸が愛する者を亡くして、初めて……。
 ――人の死の悲しみを知った。


「赤子の声がします」
 森の木々の中、風がどこからか赤子の泣き声を運んできた。
 生まれた時から大事に育て上げた姫君を羅刹丸に惨たらしく殺された乳母は、たとえ一太刀でもあの者を斬り付けねば、憎しみが納まらぬと追手として家人(けにん)たちに付いてきた。
「乳母殿、空耳でしょう? このような所に赤子など……」
 追手の指揮を執る、右馬権頭(うまのごんのかみ)が怪訝な顔で答えた。
「いいえ。右馬権頭殿、確かにこの乳母には聴こえます!」
 尚も、耳を澄まし音を探す――乳母である。
「こっちじゃあー」
 そう言うと乳母は惹き寄せられるように走り出した。
 そして赤子の泣き声を辿っていくと、大きな楠の木の根元、亡き姫君の打ち掛けの下に、まだ若い産婦の遺体と赤子がいた。
「おおー、姫君の打ち掛けの元に赤子が……きっと、これは姫君のお引き合わせ違いない!」
 そう言って乳母は涙を流し、愛おしげに赤子を抱いて屋敷に連れ帰った。
 産婦の遺体は家人たちに寄って森の中に葬られた。


 羅刹丸は幽鬼のようになって森の中を彷徨っていた。女を喪って抜け殻のような魂。
「――俺はどうしたらいいんだ? もう逃げたってしょうがない」
 あいつに死なれて、もう俺は生きていたって仕方がないんだ。追手に捕まったら、どうせ殺される。――だったら……。

 獣の咆哮のような叫び声が轟いて、真っ赤な血しぶきが森の木々に飛び散った。
 刀を首に突き刺して、地面に倒れ、もがき苦しむ血まみれの羅刹丸の姿がそこにはあった。自分の流した血の海の中で羅刹丸の命が消えようとしている。
 死の直前、薄れゆく意識の中で――女の声を聴いた。

『かわいそうなひと……』

 ――人殺しの羅刹丸は最後に自分を殺した。

― 完 ―



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-03-25 09:30 | 時代小説

れきし脳 ⑬

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古の人の情けに涙して 粋を知らぬは脳なしか


   第五巻 羅刹丸 ①

 人を殺すことなんか、何とも思っちゃいない。大人も子どもも殺す。年寄りは、大っ嫌いだ殺す! 若い女は……いたぶってからゆっくり殺す。

 ――俺の中には『憎悪』しかない。


 男は羅刹丸(らせつまる)と呼ばれる東山の麓の鹿の谷(ししのたに)あたりを根城に悪さを働く一匹狼の夜盗だった。金のためなら、人殺しなんか何んとも思っちゃいない。村を襲っては金と食糧を奪って、女を犯す、まるで悪鬼のような男である。

 その日、羅刹丸は人里離れた民家に押し入り、その家の老婆を殺して食糧を奪って逃げようと戸口で様子を窺っていると……野良仕事を終えて帰ってきた、若い娘とばったり鉢合わせになった。
 まだ十五か十六の生娘のようだった。
 殺された老婆の死体を見て茫然と立ち竦んでいる。恐怖に声も出ないのか、娘は目を見開いて顔を強張らせ震えていた。
 丁度、旨い餌にありつけたとばかりに羅刹丸は娘に襲いかかった。固まったように動けない娘は抵抗するまでもなく、組伏せられて、衣服を剥がされ、無理やりに犯された。
 蹂躙している最中も……苦痛に顔を歪め涙を流していたが、不思議なことに娘は悲鳴や呻き声は発するが「助けて」とひと言も叫ばなかった。

――ことが終わって。
 身を震わせて泣いている娘を用済みだから殺してしまおう。娘の首に刀の刃をあてると……恐怖で「ひぃー……」と呻いて首をすくめた。
 その時はっきりと分かった。この娘は口が利けないのだ。

 娘を殺そうと思っていた羅刹丸だが――。
 口が利けないのなら、逃げ出しても何も言えないから都合が良い。余計なことをしゃべらないから静かでいい、まだ若いし生娘だった。肌もきれいだ。《俺の棲み処に連れて帰って慰め者にしてもいいなぁー》と不埒なことを考えた。
 殺すのが惜しくなった羅刹丸は、泣いている娘を刀で脅して引きずるようにして……村はずれの竹藪の中にある庵に無理やり連れ帰った。

 元々、この庵には年老いた僧侶がひとりで住んでいた。
 一年ほど前、役人に追われ手負いになった羅刹丸は血まみれになって竹藪で倒れていた。その瀕死の羅刹丸を助けて、手厚く介抱してくれたのがこの庵に住む僧侶であった。
 やがて傷が治り、すっかり元気になった羅刹丸は年老いた僧侶を殺そうと目論んだ。自分の命を助けてくれた。――その僧侶なのである。
 野良犬のような羅刹丸は恩など端(はな)から感じてはいない。殺して金目の物を奪って逃げる算段だった。

 ある夜、よく切れそうな包丁を厨房から持ち出すと……。
 僧侶の寝ている部屋へ静かに入っていき、枕元に立って胸に包丁を突き立てようとした瞬間! カッと僧の目が開き、ぎょろりと羅刹丸を睨んだ。その眼光の凄まじさに思わず羅刹丸はのけぞって尻餅をついた。
「拙僧を殺す気か?」
 羅刹丸は慌てて、包丁を後ろ手に隠した。
「おまえを助けた時からこうなることは分かっておった」
「――じゃあ、どうして俺を助けた?」
「憐れだったからじゃ、人の心を持たぬ羅刹のようなおまえが……」
「らせつ?」
「羅刹とは鬼神のことで、人の肉を食う凶暴な悪鬼のことじゃあ」
「そうか! 俺はその羅刹って奴か? だったら、今日から俺は自分のことを『羅刹丸(らせつまる)』と名のることにするぞ!」
 今までこの男には名前などなかったのだ。
「わしは年寄りじゃ、命などもう惜しくないわ。さっさと殺せ!」
 そう言うと僧侶は座禅を組み、念仏を唱え始めた。
「いい名付け親だったぜぇー、あばよ!」
 年老いた僧侶の首を包丁で斬りつけて殺しまった。
 僧侶の死体を竹藪の中に埋め、奪った仏像や経典を市で売り捌き、その金で羅刹丸はひと竿の刀を手に入れた。
 ――そして、この男の悪事はもう止(とど)まることを知らない。

 今は鬼畜のようになった羅刹丸だが、幼い頃に母に捨てられた。住んでいた村は戦に捲き込まれ火を放たれ焼かれてしまった。その時、父と兄弟を亡くし、母とふたり生き伸びたが村を焼かれ、住むところをなくした親子は仕方なく都に出て暮らすことに……鴨川辺の橋の下に粗末な小屋を建て、母は男に身体を売って稼いでいた。――だが、その母がある日忽然と消えてしまった。
 ずっとずっと母の帰りを待っていた。薄暗い小屋の中でひとり取り残された羅刹丸は膝を抱え、ひたすら母の帰りを待っていたのに……いつまでも経っても母は帰って来なかった。
 何日も小屋の中で飲まず喰わずで倒れていたら、ある日、見知らぬ老婆がやって来て羅刹丸に水と食べ物をくれた。
「童(わらし)、おまえくらいの餓鬼を探しておった」
「――え?」
「飯は喰わせてやる、さぁー婆の元に来い」
 そして羅刹丸は妖しげな老婆に引き取られることになった。
 後ほどのことだが、鴨川(かもがわ)の下流で羅刹丸の母とおぼしき遊女の死体が上がった。首を絞められた痕あり、どうやら客に絞め殺されて川に投げ込まれたようだ。そんな事実も知らず、羅刹丸は母に捨てられたと思い込んで、――そのことで、ずっと恨んでいた。

 羅刹丸を連れて行った老婆は通称『まむし婆』と呼ばれていた。
 深い森の中に住んで居て『まむし酒』作りを生業しており、森の中で捕まえた毒蛇まむしを薬草と混ぜた酒に生きたまま漬け込んで作る婆の『まむし酒』は滋養強壮に利きめがあると市ではよく売れた。
 そして……その毒蛇まむしを捕まえることが羅刹丸の仕事だった。
「今まで二十、三十人はまむしにやられたかのぉー」
「えぇー?」
「おまえは気張るんじゃぞぉー」
「…………」
「ぎょうさんまむしを捕まえてけれや」
 そう言って、まむし婆はふぉっふぉっと歯のない口で嗤った。
 まむし婆に言い付けられたように、毎日、森の中を歩き回ってまむしを探した。悪運が強い羅刹丸は上手くまむしを捕まえることが出来た、まむし婆も羅刹丸にはご満悦だった。

 長じて、羅刹丸は立派な若者に成長した。
 羅刹丸が市に『まむし酒』を売りに行くと、女たちが見目(みめ)の良い羅刹丸目当てに買いに来て、飛ぶように『まむし酒』がよく売れた。
 そうなると、年甲斐もなく……まむし婆が羅刹丸に色目を使うようになった。身体を触ったり、市で若い娘を見ただけで嫉妬するようになった。
「おまえはいい男じゃのう。わしの亭主にならんか?」
 老婆のくせにそんな事を若い羅刹丸に言うようになった。
 そして、ある夜、羅刹丸が眠っていると……。
 寝所の中に誰かが入ってきた。帯を解くような音がして、肌に何かが密着した。息苦しさに目を覚ました羅刹丸の上には、まむし婆が全裸で覆い被さっていた。
「わしはまだ生娘なんじゃー。おまえの嫁にしてけれー」
 そう言って羅刹丸に抱きついて離れない。汚い舌で身体中を舐め回す。萎びた乳房、皺だらけの手足――もう気持ち悪くて鳥肌が立つ!
 満身の力でまむし婆を撥ね退けて、そのまま一目散に森の中へ羅刹丸は逃げ込んだ。
 翌朝、だらしなく眠っている。まむし婆の寝所の中へ毒蛇まむしを数匹放り込んで、婆を蛇に殺めさせた。婆が甕に隠していた銭を盗み出奔した。――それから盗みや悪事をはたらきながら、ほうぼうを羅刹丸は彷徨った。

 竹藪の中の庵に連れ帰った娘。
 最初の頃は逃げないように……縄で縛って柱に括っていたが、羅刹丸が余程怖しいのか? 口が利けないせいもあってか? 大人しくしているので、羅刹丸が居る時は縛めを外してやった。
 まだ十五、十六の幼顔が残る大きな瞳の可愛い娘であった。
 毎夜、羅刹丸は欲望のままに娘を犯した。情などない! 肉の快楽のために身体を弄んだ。最初の頃は苦痛に顔を歪め泣いていた娘も……少しずつ羅刹丸に快楽を教えられ女になっていった。
 情事が終わった床の中で、羅刹丸の背中の刀傷を指でなぞり、口の利けない女は《痛かったでしょう?》と言うように、傷痕にそっと口づけて、背中をぎゅっと抱きしめてくれる。その肌の温かさが……まるで母の優しさのようで、荒ぶった羅刹丸の魂さえも落ち着かせてくれた。無理やりさらってきた娘だが――羅刹丸を恨む風もなく気立てが良い。
 ――やがて女は羅刹丸の子を孕んだ。
「俺の子か?」
 こくりと女が頷いた。下腹部がぷっくりとせり出てきた。
「まさか、俺の餓鬼を孕むとは……」
 生娘から犯し続けたのだから……もはや羅刹丸の種に間違いなかった。
 ……羅刹丸は悩んだ。夜盗の俺に嫁も子も要らん! どうする? 足手まといになる前に殺してしまうか? 少しばかり、この女と長く暮らし過ぎたようだ。――もう簡単に捨てられなくなった。女も俺に慣れて従順になっている。
鬼畜のような羅刹丸だったが……この女を殺すことだけは躊躇していた。




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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-03-24 18:21 | 時代小説

れきし脳 ⑫

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古の人の情けに涙して 粋を知らぬは脳なしか


   第四巻 五百年の楓 ④

 山梨県にある身延山地(みのぶさんち)で宿坊と呼ばれる、寺が経営する宿に逗留することになった。
 宿坊とは基本的にお寺であり、ご修行やお参りのための宿なので、ホテルのようなサービスはないし、トイレも共同だった。料理はいわゆる精進料理で、地元で採れた新鮮な山菜や野菜の天ぷらや煮物など、ゆばやごま豆腐も味わい深い、何よりも米が美味かった。
 宿坊の住職に「この辺りに楓の木が有名な場所がありますか?」と訊いたところ「身延山東参道の奥に古い楓の木があって、一説では五百年は経つと言われています。その楓は季節外れに、いきなり真っ赤に紅葉する不思議な木なのです」と、説明された。
 その季節外れに紅葉する楓の木と言うのが夢の男が言っていた『血染めの楓』のように思えて、そこに行ってみようと僕は思った。
 久しぶりに、そういう日本的な霊的パワーに触れて、いわゆるスピリチュアルスポットにやって来て、僕の五感は研ぎ澄まされたように思われる。

 身延山は標高1,153mの山である。そこにある身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)は、鎌倉時代に日蓮(にちれん)によって開かれたお寺で日蓮宗の総本山だ。
 その東参道を二時間ほど、かなり急勾配な山道を登って行く、目印に聞いた滝から山道を外れてケモノ道に入って行く、深い山なので迷子になって遭難しないか、ちょっと心配になった。そこから更に三十分くらい歩いて奥に入ると楓の木があるらしい。そこは地元の人しか知らない場所だと住職に訊いた。
 深い森の中をずんずん歩いて行く、ここでいいのか? あっているのか? 夢の男に訊いた話なので何の根拠もない。一時の衝動に駆り立てられて、ここまでやってきたが――。
 果たして、『血染めの楓の木の元で女が待っている』という、その楓が本当に、ここにあるのだろうか?
  木々がざわざわと風に揺れたと思ったら、天から紅いものがひらひらと降ってきた。
 僕の肩に掛かったものを指で摘まんで見てみれば、ひとひらの紅葉だった。《こんな季節に紅葉(こうよう)か?》もしかしたら、これがあの血染めの楓の木なのか!? 
 何かに引き寄せられるように、いきなり駆け出した。

 そこだけ真っ赤に紅葉した楓の木の下で、女がひとり佇んでいた。
 風景に溶け込んだ女の輪郭はぼんやりと薄く、白い着物の足元は血のように赤い楓が敷き詰められていた。
 そこから霊気が放たれて、もはやこの世の者ではないことは窺いしれた。『血染めの楓』の元で待っているというのは、この女かも知れない……。
 震える声で僕は話しかけた。
「――あなたは?」
『わたくしはここで待っているのです』
「誰を待っているのですか?」
『喜助を待っています。楓の木の元で五百年待ち続けました』
 そう言うと、女は悲し気な顔で薄く笑った。
 五百年……五百年も誰かの言葉を信じて待っていたというのか? その女のけな気さが憐れに思えた。僕は鞄の中から櫛を取り出し、それを見せた。
「こ、これを……」
『折れておるが、ギヤマンの櫛!』
 僕の手の中の櫛を見て、女がそう叫んだ。
「ここで待っていたのは、この櫛を受け取るためだったのですか?」
『いいや! 櫛などではない。わたくしが待っておるのは喜助じゃ!』
 喜助? 誰だろう。 もしかしたら僕の夢に出てきた、あの男のことだろうか。
「僕が代わりに櫛を届けました」
『喜助が来ない、来ない、来ない……』
 女が泣きながら『来ない』を連呼する。
 五百年も待っていたのに期待が裏切られて、さぞ悲しいだろうと僕にも分かる。
 そして落胆したようにガクッと肩を落とした。その瞬間、女の頭がもげて地面にぽろりと落ちた。「ひいぃぃ――――!!」あまりに驚いた僕は、飛び上がって尻餅をついた。
 その時、鞄の中から飛び出した観音像が女の方へころころと転がっていった。すると、観音像の中から白い煙のようなものがモクモクと立ち込めて、やがて、それは人の形へと変化していった。――その情景に声もなく、驚愕した僕はただ見ていた。
『紅芭(くれは)、俺だ』
『その声は……』
『喜助だ』『喜助!』 いつの間にか、女は先ほどの人の姿に戻っていた。
『ずっと、ずっと……楓の木の元で待っていた。なぜ早く来てくれなかった?』
『すまね。紅芭、聴いてくれ、実は……』
 ふたりの霊魂は人の形になり抱き合っている。どれほど長い間、お互いを待ち焦がれていたことだろうか。いったい、何が起きてこうなったのか僕も知りたかった。
 これから喜助の長い話が入る。掻い摘んで説明すると――。
 楓の木の元で待っている紅芭を残して、急いで喜助は小屋に帰った。隠して置いたギヤマンの櫛を取り出すと、なんと! 真っ二つに櫛が折れていた。これは不吉だと嫌な予感がしたが、とにかく、これを持って紅芭の元へ戻ろうと小屋を飛び出した。
 途中、滝の辺りで三人ずれの武士に出合った。慌てて、茂みに隠れてやり過ごそうとしたら、奴らの話し声が聴こえてきた。そこで男たちが紅芭を犯して、殺めたことを俺は知った。そして真っ赤に染まった袋の中には……愛しい紅芭の首が入っていることまで聴いてしまった。
 俺の大事な紅芭の命を奪った奴らが憎い!
 紅芭の仇を討つために、いったん小屋に帰り、平家の落ち武者の家系なので、床下には武器が隠されていたのだ。山は子どもの頃から駆け回っていたので地形を分かっているし、夜目もよく利く、槍と弓などを持って、再び、小屋を出ると滝の辺りで夜が明けるのを待っていた、武士たちを襲撃した。
 一人目は小用しているところを音もなく近づき槍で突き刺し殺した。二人目は不穏な気配を感じて仲間を探しに来たところを矢を放ち、動きを止めたところで大きな石で頭を叩き割って殺した。残る最後の武士は相当な手錬れ(てだれ)と見えて隙がない。
 奴は仲間を襲った見えない敵から身を守るために、見晴らしのよく利く、滝の上の崖に陣取って俺を待ち構えているようだった。――紅芭を喪った俺は自暴自棄になっていたので、この武士と遣り合って相殺(そうさつ)でも構わないと考えていた。

 俺は野兎の巣で捕まえた兎たちを放って、奴の注意をそっちに向けた瞬間に飛び出して、槍で突き刺したが、さすが急所は外され刀で槍の先を切り落とされた。だが、土地勘のある俺はすばしっこい。
 刀で向ってきた敵に俺は吹き矢を放つ、それが運良く目に当たって動きが止まった。槍の棒で何度も叩きつけ奴の刀を落とさせた、小刀で斬りつけ組み合って殴り合いとなった。
 奴を道連れに、俺は死ぬ気だったので「死なば諸とも!」組み合ったまま、地面を転がり崖から滝壺へ二人で落下していった。

 気が付いたら、川に流されていたが俺はまだ生きていた。
 だが、すべての記憶を失っていたのだ。自分が誰か分からないまま山野を彷徨っているところを旅の僧侶に拾われた。偶然なのか、運命なのか、その僧侶は都へ行くのだという。
 新しく建立された寺院へ赴く途中だったが、お供の者が病に倒れて、難儀していたところだった。俺が経典や仏具の入った大きな葛籠(つづら)を担いで京都まで僧侶のお供をすることになった。
 その後、その僧侶のお供の者として都の寺で世話になった。
 俺は観音像を彫るのが巧かった。なぜ、そんなことができるのか、自分でも分からないまま、彫った観音様の顔はいつも同じ女の顔で、どこか懐かしく愛しい感じがする。だが、この女が誰なのか思い出せなかった。
 しかも俺の懐には折れた櫛が入っている――これも誰のものか分からない。ただ、観音像の顔の女と深い繋がりがありそうだと思っていたが、俺の記憶は生涯戻らないままだった。
 やがて天命が尽きて召されるとき、死の瀬戸際、俺の記憶は走馬灯のように巡り思い出したのだ。――俺のことも、櫛のことも、そして楓の木の元で待っている女のことも……すべての記憶が死の淵で蘇えった!
 俺の魂は天に昇らず。この観音像に憑依して、いつか紅芭に逢えることを願いつつ、悠久の刻(とき)を過ごしていた――。

『楓の木の元で俺を待っている。おまえにどれほど逢いたかったことか』
『わたくしはいつか喜助が来てくれると信じておりました』
『やっと逢えた!』
 ふたりの霊魂は融合して輝く光の柱になって天に昇っていこうとしていた。互いに強い念から解放されて、やっと成仏できるのだ。
『ありがとう……』
 どこからか声が聴こえた。
 僕の力でふたりを逢わせて上げられて良かった。感謝して貰えて僕も嬉しいよ。
 五百年の永久の時を経て、ふたりの想いが重なり合って、都ではなく天へと昇っていった。楓の葉がまるで別れを惜しむようにひらひらと空中を舞っている。
 ふたりの固い絆にいつしか涙を流しながら、美しい昇天の儀を見ていた。
 さらに不思議なことに、僕が手に持っていた折れたギヤマンの櫛がきれいに直っていたのだ。たぶん、この櫛はふたりが裂かれる運命を予知して折れたのかもしれない。

 京都に帰ってきた僕は、あのふたりのために祠を建てた。
 そこには喜助が彫った観音像と櫛を奉納して、その傍に楓の木を植えることにした。血染めの楓の木は一晩で立ち枯れてしまったと宿坊の住職に、その後(のち)訊いた。五百年も樹齢があったのは、紅芭さんの強い残留思念力(呪い)のせいだったのかもしれない。
“信じていれば、待つことは辛いことではない”五百年待ち続けた愛はきっと極楽浄土で輪廻転生を待っていることだろう。来世で、ふたりが再び巡り逢い、今度こそ生きて幸せになれることを心から願っている。
 理数系脳の僕だけど、この不思議な経験に触発されて、自分自身で《愛の方程式を解いてみたい》なんて、思い始めていた。

 いつか紅い楓の木の下を、未来の恋人と手を繋いで歩きたいと――。


― 完 ―




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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-03-23 15:30 | 時代小説

れきし脳 ⑪

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古の人の情けに涙して 粋を知らぬは脳なしか


   第四巻 五百年の楓 ③

 ― 2013年 京都 ―
 東京の理科系大学の研究室に勤務していた僕は、亡き祖父の住んでいた古い寺を処分するために京都へ帰ってきた。
 僕の両親は現在海外転勤中で日本にはいない。元々、母の実家にあたる寺なのだが、京都でも辺鄙な場所にあって、観光の目玉になるような国宝や文化財クラスの仏像や庭園もない、檀家だけで細々とやってきたような寺で、跡を継ぐ者もいないので廃寺にすることになった。
 祖父の寺は歴史だけは古く、建立されたのが室町時代の中期1500年頃だというのだから、五百年もの歴史がある。
 数年振りに訪れたお寺は檀家のみなさんが掃除をしてくれていたので、すっきりと片付いていた。処分するといっても、こんな古い寺を買ってくれる者もいないし、結局、地元に寄付するような形で、今後の管理を任せることになっていた。
 どうやら寺を壊して公民館として利用する案があるようだ。――そのための事務手続きがいろいろあって、委任状を渡された僕が書類に記入捺印することになっていた。
 僕は理数系脳なのでお寺や仏像といった歴史的な物には全く興味が湧かない。元より、こんな古い寺なんぞ相続しても仕方ないと思っていたのだ。

 久しぶりに誰も住んでいない母の実家へ休暇を兼ねて戻ってきた。
 もう長い間、空家同然だったので寺の中には私物は何も置いていない。母の父の住職が亡くなって五年になる、小学生の時には毎年夏休みになると帰省するのを楽しみにしていたものだが、大きくなると法事くらいにしか寄ったこともない。――今回の帰省は祖父の葬儀以来である。
 子供の頃の思い出が詰まった、この寺を最後によく見ておこうと僕は山門から法堂や庫裏(くり)、鐘楼などを見て回った。小さいが規模だけは本格的な寺院で、昔はもっと規模が大きかったと言われているが、最初の建屋は戦火や災害などで失われており、今の本堂は古い土台の上に建っているだけである。

 最後に本尊を祀ってある仏殿に入る。ここは長年焚き込んだ線香の香りと、カビの臭いが鼻孔を擽る、この寺の古い歴史を感じさせる。
 本尊の前に立つと、読経を上げていた祖父の後ろ姿を思い出して、しんみりした気分になった。
 あまり入ったことがないが、本尊の裏側に古い仏具や仏像などが仕舞われている納戸があって、そこは壁一面が戸棚になっていた。
 僕はなに気なく……一番下の戸棚を開けて、奥の方に手を突っ込んでみたら、戸棚の奥に、更に隠し戸棚があって、古い布に巻かれた観音像が出てきた。
 それは全長30㎝ほどの木彫りの観音像で、誰の作かは分からないが、ノミ一本で彫ったような荒々しい作風だが、顔の部分だけは細部まで丁重に彫ってあった。まるで、モデルがいたかと思うほど、妙に艶めかしい女の顔であった。
 僕は手に取って、その観音像をしげしげと眺めていたが、振ってみたら、カラカラと音がする。
 あれ、何だろう?
  裏返してみると蓋が付いていた。それを外すと空洞になっていて、中から櫛が出てきたが、残念ながら……それは真っ二つに折れていた。
 こんな物が観音像の中から出てきて、僕は背中に悪寒が走った――そこから、もの凄い念を感じたからだ。
 もしかしたら、この櫛の持ち主だった人の御霊を祀るために彫られた観音様なのかもしれない。――と僕は思い、そっと棚の奥に観音像を戻した。

 その夜のことだった、僕は不思議な夢を見た。
 見知らぬ男が夢枕に立って、僕にどこかにある山に櫛を届けてくれと頼まれた。
 朝、目が覚めて、妙にリアルな夢だったが不思議と怖いという感覚はなかった。真剣に、この僕に頼んでいるのだという気持ちが伝わってきたからだ。
 その次の夜にも、また、その男が夢枕に立った。
 顔などが少し鮮明になってきた、自分よりもずっと若い男だった。手に櫛を持ち、これを女に届けて欲しいと真剣に頼んでいた。
 三日間同じ夢を見たが、段々とハッキリと見えてきて、その場所の地形やそこに楓の木があるとか、こと細かく説明された。
 最後に、夢の中の男が『血染めの楓の木の元で女が待っている』と不気味なことを言って消えた。
 さすがに、三日目の夢を見た時には、そこに行かないと祟られるのではないかとさえ思えてきた。夢に出てきた男の真に迫った表情から、これは無視することができないことだと悟ったからだ――。
 何かしら、得体の知れないモノに引き寄せられるようだった。
 パソコンで、夢の男が言ったことを検索したら、山梨県にある山が分かった。多分、そこに行けば手掛かりが掴めるだろうと、何の根拠もなく僕はそこへ行ってみようと思った。
 旅行鞄には木彫りの観音像と折れた櫛を入れて持って行くことにする。




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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-03-22 15:11 | 時代小説