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カテゴリ:ミステリー小説( 60 )

危険なネット ③

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表紙の絵の著作権は鶴田二郎氏に帰属します


   第九章 戦慄の告白

「どうして、君が……」
「わたしがなにも知らないと思って!」
悪びれる様子もなく妻がいう。
やっぱり彼女はネットの中で、わたしを監視していたんだ。そういえば妻はパソコン操作もかなり上手いし、パス抜きくらいできても不思議はない。
わたしを監視するためなら、どんな手段でも用いる女――それが妻だ。
正直、彼女の精神状態が正常ではないということを、少し前から薄々気づいていたんだ。

「しょうちゃんのことは任せて、この人とリアルで会うわ」
「キリちゃんになりすまして……か?」
「そうよ、いいでしょう?」
「いつも……そうやって、わたしのパソコンを覗いていたのか?」
「あなたがネットで女になりすまして、こそこそ遊んでいるのをわたしが知らないとでも思っているの?」
「まさか……前のふたりとも……会ったのか……?」
以前から心に引っかかっていた疑念をぶつけてみる。
すると妻はニヤリと笑い。
「あなたのネットの恋人はわたしのもの」
「…………」
「最後に気持ちの良い思いさせてあげたわ。だって、わたしカマキリの雌だもの、交尾した雄は殺すのよ!」
あはははっ、と狂ったように笑う妻に、戦慄が走った!
やはり、そうか! 
……という思いもあったが、この異常な状況に気が動転して言葉を失くしてしまった。

わたしの妻が殺人犯!?
ショックのあまり、頭の中が真っ白になったわたしの代わりに、妻が君とチャットを始めた。その様子をただ茫然と眺めていた。

「僕も……そのふたりみたいに殺されるところだったんですか?」
「そうだ……」
「なぜ生きているんですか? 彼女が手渡した缶コーヒーを飲んだのに……」
「わたしが……妻の隙をみて取り替えたんだ。妻の飲んだ水にトリカブトを入れて、君のコーヒーには睡眠薬を入れたんだ」
「……そうか」
「もう、これ以上……妻に人殺しをさせたくなかった」
「だからって……殺さなくても……」
先ほどホテルでのキリちゃんの艶めかしい肢体を思い出して、胸が苦しくなった。 病気だったら治療させればいいのに……あんたも医者だろうが!?
なぜ、なぜ? 殺したんだ自分の妻を!

「わたしはこの事件を表沙汰にしたくないんだ」
「それは歯科医としてのあなたの名誉や看板にキズが付くからですか?」
「もちろん、それもあるよ」
「なんて身勝手な男なんだ! キリちゃんはあなたに冷たくされて精神がおかしくなって、こんな怖ろしい犯罪をおかしたんですよ!」
「それは分かっている」
「キリちゃんひとりが、すべての罪をかぶって闇に葬られるんですか?」
「…………」
「じゃあ、僕はどうなるんだ……?」
「……欝で自殺願望の人妻と心中する男っていう役回りもあるよ」
男が不気味にニヤリと笑った。
「えぇ―――!」
やっぱし!  殺される運命なのか!?

このままではこの男に殺されるかもしれない……だけど、強烈な睡眠薬を飲まされた僕はかろうじて意識は保っているが、身体の自由が効かなかった。
きっと、この後で僕はトリカブトを飲まされて、この男の妻と心中させられるんだ!
「イヤだ! 助けてくれ―――!」
「…………」
男はじっと僕の顔を覗きこんだ。
「誰にも言わないから……頼むから……お願いだ……」
僕は見苦しく、その男に命乞いをしていた。少しずつ身体は動くようになっていたが、この状態では逃げ出せない。

「あはははっ」
急に男が笑い出した、妙にさわやかな笑い声だった。
「嘘だよ」
「えっ……?」
「わたしは君を殺したりしない」
「ほ、本当ですか?」
「うん!」
「まだ、僕は死にたくないんです」
「そうだろ」
「去年の今頃は恋人が事故死して……毎日、死ぬことばかり考えていたけど……今は生きたいんです」
「しょうちゃん、君はわたしたちの分まで生きるんだ」
「えっ?」
男の言葉に引っかかる。《わたしたちの分って》いったい何を考えているんだ?

――静かに男は、死んでいる妻の口から流れでた血をハンカチできれいに拭き取り、見開いた目を瞑目させた。 愛しげに妻を凝視していた……男の目から、ふいに大粒の涙が零れ落ちた。
しばらく嗚咽漏らし、男は静かに泣いていた。

「妻を殺して、初めて分かったんだ……わたしは彼女を愛している」
「…………」
「妻がいないと生きていけないのは……わたしの方だった!」
「まさか?」
「もう、これ以上殺人を犯させたくないという決意と、狂っていく妻に対する恐怖と……殺されたふたりのマイフレンドの仇討ちみたいな気持もあって、妻を殺してしまった……これで彼女の束縛から逃れられると思っていたのに……」
「…………」
「しかし……違った! 彼女を失って、わたし自身が生きる気力を失くしてしまった」
「なにを考えてるんですか?」
「妻はわたしの全てだった! 彼女はわたしだけを深く深く愛してくれた、そんな女はもうこの世にはいないんだ!」
そういって、男は流れる涙をぬぐった。
「頼むから! バカなことは考えないで自首してください!」
「……彼女をひとりでは逝かせない、わたしは夫だからどこまでも付いて逝くよ」
「キリちゃん……死なないでくれ……」
「死んだ妻の罪は、わたし自身の罪でもある!」
「止めてください!」
なんと激しい夫婦愛に、僕は不覚にも泣いてしまっていた。

「もう決めたことだ」
男は静かに、そしてきっぱりと言った。
もう何を言っても無駄だと、はっきりと見て取れる態度だった。
「――ひとつだけ教えて欲しい。僕のマイフレンドのルミナちゃんはどうなったんだ?」
「ああ、彼女は殺された大学生のマイフレンドだったからねぇー、すぐに『蟷螂』を疑って、いろいろ嗅ぎまわったり、君に警告のミニメールを送ろうとしていたので、妻がルミナさんのパス抜きをして、本人になり代わり……」
「なにをやったんですか?」
「チャット部屋でいろんなユーザーからパスを抜いて、それを運営事務所に通報して、彼女のIDを強制削除させたんだよ」
「そんなことされたら……ブラックリストに入れられて、ルミナちゃんのパソコンではもう二度とサイトに登録できないじゃないかっ!」
「すまない……彼女には申し訳ないことをした」
そういって、男は僕に頭を下げた。
「それじゃあ、僕にいたずらメールを送っていたのは……?」
「あ、あれはわたしの妻だよ、君に嫉妬していたんだ、スマナイ……」
あぁーそういうことだったのか! すっかり謎が解けた。

「ありがとう、しょうちゃん、君にすっかり話して心が軽くなったよ」
いきなり男は僕の手をにぎって握手した《この人こそ、ホンモノのキリちゃんだったんだ》なんだか複雑な心境だ――。

「最後にひとつだけ心残りがあるんだ」
「なんですか?」
「蟷螂のマイページの中のアイテムバックにある、わたしのコレクションだよ」
「あぁー、あのレアなアバターですか?」
「そうだ、あれをしょうちゃんに全部譲るよ。消えてしまうのが惜しいんだ」
「だ、だ、だってぇ―――!!」
驚いた! あれはアバ廃人なら喉から手が出るほど欲しいアバターばかりなのだ。
「そ、そ、そんな貰えないでっす!」
「しょうちゃんに貰って欲しい。それがわたしの最後の願いだ」
「蟷螂のパスワードはね……」
「……うん」
「2010※※※※だから」
たぶんそのパスワード番号はこの夫婦の結婚記念日かもしれない、とくに理由はないが……なんとなく、そんな気がしたんだ。
「分かりました」
「わたしたち夫婦のことを世間に公表するかどうかはしょうちゃん、君に任せるよ」
「はい」
「もう15分もすれば薬がきれるから大丈夫」
そういうと、男は助手席の妻の死体を抱きあげて、赤いデミオに乗せた。
「じゃあ、頼んだよ!」
男は軽く手を振り、まるで奥さんとふたりでドライブに出かけるように車を発進させた。
その赤いデミオの後ろ姿を見送り……。やがて、身体が動くようになるとパジェロミニ EXCEEDを発進させて、僕は自宅に帰りついた。


   最終章 新たなるプロローグ

あれから三ヶ月、僕はネットを開かなかった。
仕事が終わってからは、会社の同僚と飲みに行ったり、カラオケに行ったり、たまには誘われて合コンにも参加したりした。
僕のパソコンは仕事以外では使わなくなり、部屋の片隅で埃をかぶっていたが……だけど……もう二度とネットにはINしないと心に誓っていたんだ。

あの日、リアルのキリちゃんと会って、伊吹山に行き怖ろしい体験をして、帰ってきた僕――。
その後、キリちゃん夫婦がどうなったのか?

   O月O日、午前九時頃。
   滋賀県伊吹山で、谷底に自動車が墜落していると
   山菜取りにきたグループから通報があった。
   車種はデミオで奈良県の歯科医師のOOOOさんが
   運転していたとみられる。
   山道は急カーブも多く、スピードを出し過ぎて曲がり切れず
   500m下の谷底に墜落、車が炎上したと思われる。
   車内からは歯科医師夫婦と思われる男女の焼死体を発見。
   遺体の損傷が激しく、警察では身元確認を急いでいる。

翌日の新聞に、こんな記事が載っていた。
間違いなく、あのキリちゃん夫婦だと思った……男は妻と共に逝くといって、車を発進させたのだから……。
帰ってからの僕は、あの事件を警察に通報するかどうか、ひどく迷って悩んでいたが……キリちゃん夫婦が死んだ、今となっては、もうこのまま固く口を閉ざして……事件を闇に葬ろうと決心した。
――そして、自分自身もネットを封印したのだ。

二度とやらないと誓ったネットだが……。
友人と飲んでも、コンパで女の人としゃべっても、お笑い番組を観ていても……心から楽しめない。
何かが足りない……なんともいえない喪失感で心が満たされなかった。
毎日の生活が味気なくて、どうしようもなく孤独だった。
一年前に恋人を喪った時よりも、さらにひどい状態になっていた。――ついに鬱状態で会社も休むようになった。
その日も会社をサボって、家でゲームをしていたが……イライラして集中できず、散々な戦歴だった。
怒った僕は、プレステのコントローラーをモニターに投げつけた。

もう我慢できない!
狂ってしまうくらいなら……僕は自らの“封印”を解いた。
――ついにウェブサイトに入ってしまった。
そこには華やかな別次元が存在している、俄かに心がウキウキしてきた。

自分のマイページにいってみた。
ああ、訪問者もなく……すっかり廃れていた。
ネットの世界では一週間INしないと訪問者は激減する、一ヶ月INしないともう退会したと思われる、三ヶ月もINしないと存在すら忘れ去られる。
それがネットのスピードだろう、そう、所詮そういう世界なんだ。

確かにマイフレンドも何人かに削除されて少なくなっていた、もう退会したと思われていたんだな、まあ、いっか!
今の僕にとっては、その冷淡さが心地よいから、もう、Syochan85というHNに未練はなかった。

次に『蟷螂』こと、きりちゃんのマイページを見にいった。
そこには最後の日にチャットしたアバターのまんまで、可愛いキリちゃんが微笑みかけていた。
じーっとキリちゃんのアバターを見ているうちに、僕の頬に涙が伝ってきた。
ああ、キリちゃん……もう一度、君に会いたいよ。

「キリちゃん、君を死なせない……」

やっと気がついた、僕はキリちゃん夫婦が好きだったんだ。
ネットでのお淑やかで聡明なキリちゃんも、リアルで激しい気性だが僕に抱かれたキリちゃんも、どちらも愛している。
ふたりの想いがこもった、この『蟷螂』のHNをこのまんま眠らせていてはいけないんだ!

「キリちゃん、君を死なせない!」

僕は男に教えて貰ったパスワードを打ち込んだ。
「2010※※※※」IN。

そして『蟷螂』のマイページは開かれた。

しょうちゃん、お帰り。
やっぱり還って来てくれたんだね。
わたしは今から愛する妻と逝くよ。
全然、怖くないんだ。
わたしたち夫婦はどこまでも一緒だから。
『蟷螂』のHNとアバターを全て
しょうちゃん、君に譲る。
だから、『蟷螂』のことは任せたよ。
      O月O日O時O分 伊吹山にて
           きりちゃんことOOOO

ブログの日記に、非公開で僕宛のメッセージが書いてあった。
あの男は、いずれ僕が『蟷螂』のマイページを開くことを予感していたのだろう。

O月O日O時O分 伊吹山にて……あの後、死の直前に携帯からネットのブログにアクセスして書かれた日記のようだった。
いわば、ダイイングメッセージともいえよう。
子どものいないあの夫婦にとって『キリちゃん』は子どものような存在だったのか?
『蟷螂』を託された僕は、あの夫婦の想いを受け止めなくてはいけないんだ!

「キリちゃんは、僕が生きかえらせるよ!」

まず、キリちゃんのアイテムバックを開いた、そこには信じられないほど、高価なレアアバターが表示されていた。

「おぉ―――!」
思わず、歓喜の雄叫びを漏らす。
キリちゃんのアバターコレクションは半端ではない、これはもう100万円レベルで集められている。
元々アバター好きなので、コレクションの凄さに目を見張った。
しかも……軍資金としてウェブマネーには50万円近くチャージしてあるではないか!
これも全部使ってもいいんだろうか?

僕は取りあえず、キリちゃんのアバターを着替えさせた。
いろいろ迷って決めたアバターは、まるで女王様のようにキリちゃんが光り輝いて見えるアバターだった。
これは単なるネットのアプリではない!
このアバターには魂が宿っている、そうキリちゃんは生きているんだ。

僕はキリちゃんのHNとアバターでチャットルームへいった。
ロビーに入った瞬間に……5~6人の男性ユーザーからアクセスがあった。

「彼女ひとり?」
「すごいレアアバだねぇー」
「可愛いねぇ~僕とチャットしようよ!」

いらでもネットの男たちが寄ってくる、これはもう快感だぁ―――!!
僕も『ネカマ』が止められないかもしれない……。

僕 「(○´-ω-)っ[蟷螂]ト申シマス。」
男 「すごいHNだね!!∑d(*゚∀゚*)チゴィネ!!」
僕 「うん!でも怖くない(★^o^σ)σЧo」
男 「アバター可愛いくて(* ̄。 ̄*)ウットリ」
僕 「キリちゃんって呼んでね♪ヾ(´・ω・`)ノョロシク(o´_ _)oペコッ」
男 「キリちゃん、か━━ヽ(´・о・)ノ゙わ━━━いヾ(Д・`)ノ━━ぃ!!」

そして……僕は見知らぬ男とチャットルームに入っていった。
彼は、まさか本体が“男 ”だとは知るまい……。
現実逃避の変身願望に心が満たされていく――。

「わたし、キリちゃんでぇ~す♪ (o´艸`o)ムフフ」

僕はもう……たぶん、きっと。
このネットの世界から、永遠に抜け出せないかもしれない……。

― 完 ―



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-14 10:11 | ミステリー小説

危険なネット ②

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表紙の絵の著作権は鶴田二郎氏に帰属します


   第五章 リアルの女

キリちゃんが、初デートの待ち合わせに指定してきたのは意外な場所だった。
僕はK府、キリちゃんはN県、両方の県が隣接するS県の高速道路のサービスエリアの駐車場であった。
チャットの後、すぐにメールがきた。

S県の阪神高速道路
伊吹サービスエリアの駐車場で
ナンバーOOOの赤いデミオを探してください。
                             蟷螂

待ち合わせの日時に、僕は愛車のパジェロミニ EXCEEDでやってきた。
愛車はシルバーに紫のラインが入ったツートンでかなり目立つ。休日の午前中なので車の数は多いが、容易に赤いデミオを探し出すことができた。

愛車から降りた僕はデミオのナンバープレートを確認した後、運転席側のガラスをトントンと軽く叩いた。
運転席には20代後半に見える、髪の長い色白のきれいな女性が乗っていた。ふと顔を上げて僕の方を見て、にっこりと微笑んだ。
あぁー、この人がキリちゃんだ!
想像していたよりもずっとずーっと美人じゃないか!
会いたかったキリちゃんにリアルで会えたんだ。僕は嬉しくて感動して胸がいっぱいになった。

デミオから降りて、キリちゃんは僕に挨拶をした。

「蟷螂こと、キリちゃんです」
「僕はしょうちゃん、初めましてなのかな……?」
いつもネットでしか知らないキリちゃんが、生身の女として僕の目の前に存在している。何とも不思議な感覚だった。
初対面といっても、僕らはネットでは恋人同士……気持ちは分かり合えているはずだ。僕は当然、女としてのキリちゃんに興味を抱く。

「あたしの車はここに置いていくから、しょうちゃんのパジェロに乗ってもいい?」
「もちろん!」
「ねぇ、伊吹山(いぶきやま)の方へドライブに行かない?」
「伊吹山かぁー季節も良いし、よしドライブにいこう!」
僕のバジェロにキリちゃんが乗ってきたら、車内にプーンと良い香りが漂う、キリちゃんがつけてる香水は、ディオールの「Forever and Ever」かな?
死んだ彼女と同じ香水だ。僕はキリちゃんに女を感じて下半身が熱くなった。

途中、どこかにラブホーはあったかな?
……と不謹慎なことを密かに考えている僕だった。

助手席に座っている。キリちゃんを横目でチラチラ観察する。
髪はロングのストレートを栗色にカラーリング、顔は色白で派手過ぎないナチュラルメイクの美人。ファッションは黒の七部丈のTシャツの上に白いロングカットソーをふわりとはおり、ボトムスはフェイクレザー風の黒のレギンスで足元はヒールの高いミュール、大人の色気のあるファッションだ。
そして膝にはルイ・ヴィトンのパピヨン、とても趣味がいい。

僕は今までオフ会やちょっとした切欠で、ネットの女性たち数人とリアルで会ったことがあった。死んだ前の彼女も元々ネットで知り合った仲なのだ。
だけど会ってみると……ほとんどの場合、ネットで抱いているイメージとだいぶ違うことの方が多い。ずっと年上だったり、かなり肥満していたり、鬱っぽい人だったりと……。
相手に失望して、一度きりでもう会わなくなったことの方が多いくらい。

――それなのに、キリちゃんときたら僕の想像以上の女性だった。
たしか離婚してシングルだと言ってたけど……リアルの男たちが、こんな美人をよく放って置くなぁーと不思議に思った。
こんな素敵なキリちゃんと毎晩チャット部屋でイチャイチャしていたのかと思うと、ニヒヒッと思わずほくそ笑んでしまう。

高速道路を走っていると、キリちゃんが突然いい出した。
「ねぇ、この先にホテルがあるの。休憩していってもいいわよ」
「ほ、ほんとにぃ――――!?」
僕は嬉しくって、思わず急ブレーキを踏みそうになった! 危ない、危ない!
まさか、そんな大胆なことをキリちゃんの方からいい出すと思ってもみなかったので面食らった。
たぶん……きっと離婚して1年も経つんで寂しいんだろうか?
いわゆる男ヒデリってやつだなー、だったら僕がたっぷりと……頭の中で卑猥な空想が膨らんでいく――。

ここから先は高速を降りて……僕の目にはラブホテルの看板しか入らなくなった。
しばらく走ると、駐車場から部屋を選んでチェックインできるモータープール式のラブホテルがあった。「恥ずかしいから……」とキリちゃんが言うので、そこならフロントで顔を見られないで済むからと、僕らはそこに決めた。
ルームパネルの点灯している部屋から適当なのを選びボタンを押した。ふたりはエレベーターに乗って、自分たちの部屋へ向かった。
キリちゃんはまったく物怖じする様子もなく、平然と僕の後ろをついてきた。

キリちゃんって……意外と遊んでいるのかなぁー?
すごい美人だし、いっぱいの男に言い寄られているのに違いない。もしかしたら、それが原因で離婚したのかもしれない。
勝手な想像しながら、僕は横目でキリちゃんをチラチラ見ていた。

エレベーターが止まってドアが開いた。番号が点滅している部屋を僕らは開けた。
そしてラブホテルの部屋に入っていった、中央にドンと大きなベッドとソファーに小さなテーブル。
……それだけの部屋、アレを目的とした部屋、こんなところにきたのは、久しぶりかもしれない。
ここでキリちゃんを今から抱くんだ、なんだか現実と思えない不思議な感覚だった。

キリちゃんは喉が渇いたと冷蔵庫からペリエを出して、そのまま瓶から口飲みしている。僕はビールが飲みたかったけど、運転があるのでコーラにした。
携帯を開いてチラッと見ていたキリちゃんはパチンと閉じてバッグにしまう。
そして慌ただしく――。

「先にシャワーに入るわね」
そういって、さっさとシャワールームに入っていった。
思わぬ急展開……ていうか、ネットではお淑やかに見えていたキリちゃんがリアルでは、結構、大胆な女だという事実に驚いた。
もしかしたら、ネットで男漁りしているのかも……?
今から始まるスイートな出来事と裏腹に、僕の心の中では何んともいえない重い感情に覆われてしまった。
キリちゃんを抱いてしまったら、もう後戻りできないような……そんな気がした。

シャワールームからバスローブを着てキリちゃんが出てきた。その中身は全裸だろうか?
ドキドキしながら、交代で僕もシャワールームに入った。
僕がシャワールームから出てくると、キリちゃんはベッドの上に寝そべって携帯をイジッていた。
なんだか、リアルで初対面とは思えないキリちゃんのリラックス振りに、薄ら寒いものを感じながらも、ベッドの上の御馳走を食べたいオスの衝動は抑えられない!
ベッドに腹這いになって、肘を付いて携帯を打つ(誰にメール送っているんだろう?)脚は上に90度に曲げている、その肢体が艶めかしくてセクシーだった。
抱いたら、キリちゃんは僕のモノになるのかな?

黙ったまま、僕はベッドの彼女の横にいくと……
抱きしめてキスをした、キリちゃんは僕のキスを受け入れた、僕が舌を入れるとディープなキスを返してくれた。
僕らの相性は悪くなさそうだ、ごく自然にふたりは結ばれた。

「避妊しなくていいの?」
……と僕が訊くと、
「赤ちゃん欲しいから中で出して……」
キリちゃんが信じられないことをいう、もしデキても……キリちゃんとなら結婚してもいいや、てかっ、絶対に結婚したい!
彼女の許しを得て、僕は彼女の膣で何度も果てた、その度にキリちゃんは喜びを身体で表す、何度も痙攣しながらイッてしまった。
すごく感度も良さそうだ、キリちゃんとは身体の相性も最高だった。

どのくらい時間が経っただろうか?
ふたりともベッドの上でまどろんでいた、キリちゃんの髪の匂いが男の本能をくすぐる。
「今、なん時……?」
携帯の時計を見てキリちゃんが起き上がった。

「シャワーに入ってくるわね」
そういうとベッドの周りに散らばった下着類を集めてシャワールームに入っていった。もう、お開きかいなぁー? もっともっとキリちゃんを抱いていたい僕は残念だったが……しつこいのは嫌われるので、僕ものろのろを帰る準備を始めた。
それにしても……キリちゃんてば、情熱的だったなぁー。シャワーの音を聴きながら、先ほどのふたりの情事を思い出して、ニヒヒとスケベ笑いが零れる。
一年前に恋人を亡くして、ずっと傷心だった僕の心に灯りが燈った。キリちゃんと結婚して絶対に幸せになるんだ!

――僕の中で幸せな未来図が拡げられていくようだった。


   第六章 危険な女

水蜜糖のような甘いひと時、ラブホテルから出て……。
ふたたび僕のパジェロEXCEEDに乗ってきたキリちゃんは、せっかくだから伊吹山の方へドライブに行きましょうという。
まだ、時間は正午を少しばかり過ぎたくらいだ。僕は空腹なので、どこかで食事でもしないか? と、キリちゃんに持ち掛けたが……是非、見たい珍しい高山植物がこの先に群生いるので一緒に見たいと言うのだ。
日が暮れたら見えないからと、行先を急かされた。
その高山植物(僕には興味がない)を見にいってからでも、食事はいいかと思いキリちゃんの意見に従う。
惚れた弱みでキリちゃんには、何ひとつ逆らえない僕だった――。

パジェロのカーナビをキリちゃんが勝手にイジって目的地を設定した。
僕は訳も分からないまま、カーナビが指示する場所へとハンドルを握り運転をする。それにしても、ずいぶんと険しい山道へ入るんだな?
おおよそ……地元の林業の人しか知らないような、けもの道へパジェロが入っていく。四輪駆動でないとこんな山道は絶対に無理だ。
ふと、疑問に思った……キリちゃんにリアルで乗っている僕の車(パジェロミニ)の話をしたっけ?
どうして、こんな険しい山道を走らせるんだろう?

曲がりくねったカーブを走り、どんどん林道から外れていった。そして道の行き止まりには、見渡すかぎり青紫の花畑があった!
こんな山の中に、こんなきれいな花が群生しているとは思わなかった。

「ここは誰も知らない秘密の場所よ」
「すごいなぁー、紫のきれいな花だ!」
その花は濃い青紫で平安時代の貴族の冠のような形の花だった。実家の母親が庭で育てている釣鐘草にも少し似ているが、初めてみる花だった。
「わたし、大学は薬学部で漢方薬とか研究していたのよ」
「仕事は薬剤師さん?」
「そうよ」
「へぇー、キリちゃんって頭良いんだね」
何気なく、僕が花に触ろうとした瞬間、
「触らないで!」
キリちゃんがきびしい声で制止した。
「えっ!」
慌てて飛び遠のいた僕は、ビックリしてキリちゃんを見た。
「その花は毒があるのよ」
「……え、ええっ!?」
「車に戻りましょうか?」
「うん……」
僕の頭の中で、あの花はいつかパソコンの検索で見たことがあるような気がしたが……。
あの花はなんだろう? ――どうしても思い出さない。
パジェロに戻った僕らはしばらく取り留めのない会話をしていた。主に僕の仕事のことや家族ことなどキリちゃんに話す、予備知識として知っていて貰いたいと思って……。
もしかして……さっきのセックスで子どもがデキたら結婚するつもりだったし、デキてなくとも、僕はキリちゃんと結婚したいと思っていた。

セックスの最中にキリちゃんは何度も「赤ちゃんが欲しいの」とか「あなたの種で妊娠したい……」とか、喘ぎながら何度も呟いていた。余程、彼女は子どもが欲しいみたいだった。
――それとも、一種の性癖なのかな?
『妊娠』というキーワードで絶頂感を感じるとか、そんなフェチ? ますます不思議なキリちゃんだけど、そんな彼女に惹かれていく僕だった。

車の中でしゃべっている最中にキリちゃんの携帯電話が鳴った、マナーモードだったのでバイブの振動だけだが、パピヨンの中で揺れている。
バッグから携帯を取り出して、メールを確認してからパチンと閉じた。
「さて……」
そう呟くと携帯をバッグにしまい、僕の方を見て……。
「ねぇー、喉が乾かない?」
キリちゃんが明るい声で訊いた。

彼女は自分のバッグから缶コーヒーとエビアンを取りだした、そして缶コーヒーのプルトップを外すと僕に手渡した。
スレンダーな体型を保つためにダイエットに気を使っているらしい、キリちゃんはミネラルウォーターしか飲まないようだ。
丁度、お腹も空いていたし喉も渇いていたので、その缶コーヒーを一気に飲みほした。飲み終わった僕を、じっと見ていたキリちゃんは……。
「美味しかった?」
と訊いたので、
「うん、喉渇いていたから……」
にこやかに僕は答えた。
「10分ほど……わたしの話しを聞いてよ」
「10分? いいや何分でも聞くよ」
そう答えるとキリちゃんは携帯の時計をチラッ見てから、しゃべり始めた。

「けっして誰にも言わないでください」
そういって、彼女は唇の前に人差し指を立ててシィーと合図をした。
「実はしょうちゃんがネットでいつもチャットしてたのは、わたしじゃなくて……」
「ん?」
「わたしの夫なの」
「へ……?」
はぁ? 意味が分からない。
「だから、夫なのよ」
「えぇ―――マジ?」
嘘? なにいってんだ? キリちゃんは離婚して独身だって言ったじゃないか、それは嘘だったのか?
「うちの夫はネットで女の振りして男の人と遊ぶのが趣味なんです」
「ネカマ?」
キリちゃんの言葉に耳を疑った。
まさか、自分がそんなベタなネットのトリックに引っ掛かっていたとは……信じたくもない。

「わたしたち夫婦は結婚して5年経つけど、セックスは年に数回しかしたことないんです、しかも、ここ1年は全くナシで……そのせいで子どもが作れないの」
「セックスレス?」
「わたし、どうしても赤ちゃんが欲しいんです! 夫は抱いてくれないこと以外は素晴らしい人なんです」
「…………」
何いってんだ? そんな夫なら別れてしまえばいい、僕ならキリちゃんを満足させてあげられるのに……。
「わたし、ネットで夫とイチャイチャしている男たちにすごく焼きもちを妬くんです!」
「だって、こっちは女だと思っているから……」
ネカマに騙されていた自分が悔しくて、チッと舌打ちをする。
「男だろうと女だろうと……わたしから夫の愛情を奪う人間は殺したいほど憎い!」
「なにいってんだよ、キリちゃん……」
「夫に抱いて貰えなくて、赤ちゃんが産めなくて、わたしがこんなに苦しんでいるのに……ネットで楽しいそうに、わたしの夫とラブラブしてるなんて許せないわ!」
明らかにキリちゃんの様子が変だ! ギラギラした目で異常に興奮している。

「だからぁー、そんな夫とは離婚して僕と結婚すればいいじゃん!」
「嫌よ! わたし夫を愛しているの! 夫以外の男なんかぜんぶクズよ!」
「何だよ、それっ、ふざけんなっ!」
キリちゃんの言い方が頭にきて、僕は声を荒らげた。
「夫の代わりに夫の恋人の男とセックスして赤ちゃんを産んだら……きっと夫も喜んで、一緒に育ててくれるわ」
夢見るように、うっとりした顔でキリちゃんがいう。
「僕の気持ちはどうなるんだ? おまえら夫婦に騙されて、あげく種馬がわりかよ?」
「いいじゃない、最後にいい思いしたんだから……気持ち良かったでしょう」
ウフフッと妖しい笑い声を洩らす。そのキリちゃんの姿が突然ぶれて目に映る。
「ほらっ、見て、しょうちゃんの遺書よ」
白いコピー紙を僕の顔の前でひらひらさせる。

     ― 遺書 ―

愛するOO子を事故で亡くし、僕は生きる望みを失くした。
もうすぐ結婚式の予定だったのに、一緒にドライブ行こうと買った
パジェロミニ EXCEEDの助手席は、彼女のために空けておくよ。
ひとりじゃあ、寂しくて生きていけない。
もう死にたい、僕は死ぬしかないんだ。
OO子のいない世界なんか、なんの希望も持てないから。
パジェロミニ EXCEEDに乗って、彼女の世界へ旅立ちます。
                           Syochan85

それは1年ほど前、恋人を亡くした直後に酒を飲んでヤケクソになって書いた遺書だった。
僕のブログの日記のどこかに書いたものだが……。
どうして? キリちゃんが知っているんだろう? たしか非公開になっていたはずなのに……。

「……で、僕はどうなるんだ?」
さっきから、頭がフラフラして意識が朦朧となってきた。
「わたしカマキリだから、交尾した雄は食い殺さないと気が済まないの」
「嘘だろう? なんで……」
「トリカブトで殺した雄はこれで3匹めよ!」
「トリカブト……」
そういえば、さっき見たあの花――あれはトリカブトだったんだ。
あははっとキリちゃんの笑い声がかすかに聴こえる。なんで、なんでぇー僕がそんな不条理な理由で殺されなくっちゃいけないんだ……あぁー意識が遠のいていく……。
もう……ダメだ……。

男がハンドルにうつ伏して動かなくなるのを見定めてから、女は携帯を取り出し通話を始めた。
「もしもし、あなた? もう死んだわよ」
「…………」
「ちょうど10分でトリカブトが効いたみたい、苦しまずに逝ったから……」
「…………」
「どうしたの?……泣いてるの? 今度こそ、彼の赤ちゃん産むから泣かないで……お願い」
「…………」
「早く迎えに来て、死体と一緒は嫌よ!」
「…………」
「そこからなら、後10分くらいで来れるでしょう?」
「…………」
「うん、待っているから……そうね、すごく喉が渇いたわ」
そういうと手に持ったエビアンのミネラルウォーターを勢いよく女は煽った。

「あなた愛しているわ」

そういって彼女は携帯を切った。――そしてミネラルウォーターを飲みほした。


   第七章 見知らぬ男

どのくらい、気を失っていたんだろう?
意識が戻って目を開いたら……見知らぬ男の顔が、僕を覗き込んでいた。

「しょうちゃん?」
低音だが優しい声で呼ぶこの男は誰だ? 歳はたぶん僕より4~5歳上かな? 
レンズの薄い眼鏡をかけた知的で品の良い……なかなかスマートな美男子……そう、日本の奥さまたちに絶大な人気を誇る漢流ドラマ「冬の……」の、あの人を思わせる風貌だった。

「君を巻き込んですまない……死ななくて良かった」
「…………」
僕はまだ頭の中が痺れた状態で言葉が出てこない。ここは……そう僕のパジェロミニの中だ。
男は運転席のドアを大きく開いて、覗き込んで僕に話しかけてくる。
「即効性の睡眠薬だから……気つけ薬で目を覚まさせたんだ、大丈夫?」
なんとか上体を持ち上げて、のろのろと頭を振りながら座席から身体を起こした僕。朦朧とする脳で助手席を見て、心臓が飛び出すほど驚いた!

「キリちゃん?」
彼女は目を見開いたまま、口から血を流して動かない……完全に死んでいるようだ。
「キ、キ、キリちゃん死んでいる……」
ショックで一気に目が醒めた!
「蟷螂こと、本当のキリちゃんはわたしなんだ」
「…………」
あまりのことに僕の心臓はバクバクするが、睡眠薬のせいで身体が思うように動かない。
「わたしが妻を殺した。しょうちゃん……わたしたち夫婦の話しを聞いてくれないか?」
そういうと、静かな声で男が話し始めた。

「あなたが本当のキリちゃん……?」
僕はこの男と、毎晩ラブラブチャットをしていたのか?
「しょうちゃんに、真実を知って貰いたいんだ、少し長くなるけど話を聞いて欲しい」
どっちみち、頭がフラフラしてる僕は逃げだすこともできず、この状況では男の告白を聞くしかないだろう?

――静かな声で男が話し始めた。

わたしはN県で父親の代から続く歯科医を開業している者だ。
妻と知り合ったのは、彼女が高校生で父親の歯科医院に患者として来院したのが始まりだった。まだ医学生だったわたしは、父の歯科医院で手伝いをしていた。
当時から女性にはモテるわたしだったが、初めて妻を見た時は「可愛い娘だなぁー」と興味を惹いた。
妻の方も、わたしに一目惚れしたらしく歯の治療が終わってからも、毎日毎日、歯科医院にやってきて、あげく受付のバイトに雇われた。
妻の実家は大きな薬局で、妻も薬剤師を目指して受験勉強していたんだ。
医者と薬剤師は良い取り合わせだろう?
男は当時を思い出してか? フッと薄く笑った。

妻が大学を卒業、薬剤師になり、わたしは歯科医師になった。
その頃、父が病気で身体を壊して歯科医院を続けられなくなったのを期に、わたしたちは結婚して、父の歯科医院を引き継いだ。

妻が恋愛時代から、かなり焼きもち妬きの性格なのは分かっていたが……。
むしろ、結婚してからの方が、さらにひどくなってきた。歯科医院で雇っている、歯科衛生士や受付の女の子にも焼きもちを妬いて、つまらない理由で辞めさせたりするようになった。
その上、わたしに興味を示す女性患者にまでヒステリーを起こして、時々トラブルになり、歯科医院の評判まで落とす始末で……。さすがに、わたしやわたしの母に厳重注意され、それが原因で歯科医院の手伝いをさせて貰えなくなったんだよ。

そのことで、さらにフラストレーションが溜まった妻は……。前よりいっそう、わたしに対する監視が厳しくなってきたんだ!
家に居ると四六時中、側に付いて回るし、たまに気晴らしにひとりで出掛けようものなら……。携帯に5分置きにメールを送り続けるし、もう息が詰まりそうで……。
何度も別れ話で夫婦ゲンカになったが、その度に妻は泣いて「捨てないでくれ」と縋ってくるんだよ。

そこまで話して、男はフゥーと深い溜息を漏らす。
さぞや、地獄の修羅場だったのだろう? なんだか、この男が妙に気の毒に思えてきた。
惚れられ過ぎるのも幸せかどうか、考えさせられる。

結婚して1年過ぎた頃から、子どもの出来ないわたしたち夫婦に周りがいろいろ言ってくるようになった。「子どもはまだなの?」その質問が、専業主婦をしている妻には死ぬほど辛かったようだ。
その頃はまだ、妻とも普通にセックスをしていたが……。
「わたしは元々……それはど、その行為に執着するタイプではなかったので……妻には不満だったようだ」
男は苦笑いをして、照れたように瞳を伏せた。
たしかにイイ男だ!
キリちゃん(死んだ方)が焼きもち妬いて、おかしくなる気持ちも分からなくもない。

「子どもが欲しい、子どもが欲しい……と、妻がそればかりを言うようになって、わたしは妻とのセックスが……まるで義務のように感じて、段々気が重くなって……そういう気分にならなくなってきた」
……だから、彼女はあれの最中に赤ちゃんが欲しいっていったのか?
なのに、母親になれないまま死んだキリちゃんが可哀相だった。
「いろいろ検査したんだが……どうも彼女の方に原因があったようなので、それで妻は余計に……」
男は言葉を詰まらせて……唇を噛みしめた。


   第八章 嫉妬する女

――さらに、男の話は続く。
浮気されるんじゃないかと、妻の監視がいよいよ厳しくて……ひとりで外出できないわたしは、3年くらい前からネットサイトで遊ぶようになった。
診察を終えて、食事を妻と食べてから、自分の部屋に引き籠ってネットで遊ぶ、これが唯一のわたしのストレス解消法だった。最初はネットゲームで遊んでいたが、その内……アバターコレクションにハマってしまった。毎月十数万のアバターを買い続けたよ。
「たかがネットのアプリ、こんなものと……分かっていても、どうしても止められないのがアバターだよ」
「そうですよね」
「コンプリートしようと思うと、なおさら……」
「……ですね」
僕もアバ廃人一歩手前まで逝った? ので、そんな彼の気持ちは理解できなくもない。
しっかし……十数万って!? さすが歯科医師だ――。

「その頃からなんだ、アバター交換に有利なように女性のハンドルネームを持つようになったのは……」
「あのサイトのアバ廃人たちはHNを十数個持っているのはザラですよ」
「わたしは、女性になりすましている内に……それが快感になってきたんだ」
「…………」
ネカマに騙されていた僕は、ちょっとムッとした。
「すまない……しょうちゃん、君も騙してしまったね」
「もう、いいです……」
今さら謝られても……しょうがないし……。

僕の隣には死人がひとり居る。
今さら、そんな問題ではないはずだ。今、この男が僕を殺害しようとすれば……睡眠薬のせいで自由が効かない僕を殺すことは容易だ。
しかし……この男からはそんな殺気は全く感じられないし、ここまできたら、真実を全て聞いてしまいたいという、僕の好奇心もあった。
恐怖を感じながらも、この男の話に耳を奪われた。

毎日、ネットでネカマになって遊んでいたら、いろんな男たちが言い寄ってきたよ。
実は男に結婚を申し込まれたこともあるんだ、そういって苦笑いをする男。熱心にネカマのキリちゃんにラブコールする男性がいてね。わたしたちは仲良くなって恋人ごっこをしていたんだよ。

そう、付き合いだして三ヶ月くらい経った、ある日、彼は何の連絡もなく急にネットにこなくなったんだ。心配したわたしはネット仲間に、彼の消息を訊いて回っていたら……そしたら、なにか事件に巻き込まれて死んだらしいと情報を掴んだ。
それで新聞をネットで検索して詳しく調べたら、その事件と該当するものが見つかった。

   東京都M市でO月O日未明。
   ホテル『マリリン』の駐車場で、駐車していた車の中から若い男性の遺体発見。
   男性はM市に住む会社員OOOOさん(28歳)とみられる。
   OOOOさんの体内から毒物トリカブトが検出され、他殺された可能性が高い。
   同ホテルに一緒に入室した若い女性の行方を警察では追っている。

トリカブトの毒と聞いて、わたしは嫌な予感がしたんだ。
妻は薬剤師で特に東洋漢方には詳しくて精製方法もかなりよく知っていたからね。
結局、その事件はゆきずりの犯行とみられ、一年経った今も犯人は見つかっていない。

その次にネカマのキリちゃんが親しくなったのはO県K市に住む大学生だった。ネットの世界は気が合えば年齢も性別も関係がない。
彼も付き合い出して、四ヶ月ほどでネットから忽然と消えてしまった。

気になって、O県の地方紙をネットで検索して読んでいると、こんな記事が……。

   同県K市でO月O日午前九時。
   サンシャインコーポ二〇四号室住む、O大学三年生OOOさん(21歳)が
   部屋で血を流して死んでいると、バイト先の店長から通報があった。
   三日前からバイト先を無断欠勤していた、OOOさんの様子を見に来て遺体を発見。
   部屋には遺書と思われるものがあり、トリカブトによる服毒自殺とみられる。
   なお、警察ではトリカブトを入手した経路など詳しく調べている。


彼もまた、トリカブトによる死亡だった。

その頃から、わたしはネットのマイページを誰かに覗かれているような気がしてならない。前の日にネットを落ちた時と……なにか、どこか違うんだ。メールも誰かに読まれているような……そんな気がする。
それで何度もパスワードを変更してみたが……すぐにまたパス抜きされるんだ、だけど、レアなアバターが盗まれてもいないし、いったい誰が……?
考えられるのは、診察中にわたしの部屋のパソコンをイジれるのは……そう、妻だけだ。

もしかして妻が……?
そんな疑念を拭えないまま……わたしたち夫婦は冷めた生活を続けていた――。
「そして、しょうちゃん……君と知り合った」
「うん……」
「君のブログの日記を読んで、君の孤独に惹かれたんだ。わたしには妻がいるが心はいつも孤独だったからね」
「どこか、共感し合えたってことですか?」
「そう。ネットを熱心にやっている人はしょせん孤独な人間が多いんだ」
「……そうかもしれない」
なぜか、この男の言うことに素直に頷いた。

君と仲良くなってから、また頻繁にマイページを覗かれているみたいに感じるようになった。幾らパスワードを変えてもダメだし……わたしがINしてる時間帯にも相手も同時に、わたしのHNでINしているみたいで完全に見張られている感じだった。
そして、君が嫌がらせのメールを送られた……と聞いて、やっぱし妻が怪しいと思った。
あの日……君からボイスチャットをしようともち掛けられて困って黙っていると……急に妻がわたしの部屋に入ってきて。
「わたしが何とかしてあげるわ!」
彼女がそう言った。
ビックリした! やっぱし、わたしのHNでパソコンに入って、ふたりの会話の一部始終を見ていたんだ!



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-13 08:50 | ミステリー小説

危険なネット ①

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表紙の絵の著作権は鶴田二郎氏に帰属します


   第一章 ゲームサイトの女

「けっして誰にも言わないでください」
そういって、彼女は唇の前に人差し指を立ててシィーと合図をした。
そして悪戯っぽくウィンクする。
小悪魔みたいで、なんてコケティッシュなんだぁー。
先ほどの彼女との情事を思い出して……またしても反応しそうになった。
この先……どんな話を聞かせるのか? 
ドキドキしながら彼女の告白を待っていた。

彼女と僕が知り合ったのは、ネットにあるゲームサイトだった。
このサイトにアカウントを持っていた僕は、会社から帰るといつもパソコンを立ち上げ、サイトのマイページを開いて、ネットの友人たちに挨拶をして回る。
僕のハンドルネームは『Syochan85』ネットの仲間からは『しょうちゃん』と呼ばれている。
今年で32歳になるが、いまだに独身ひとり暮らしだ。

――実は1年前に、3年間付き合っていた彼女を不慮の事故で亡くした。
近々結婚する予定だっただけに、そのショックは大きく……。
到底、立ち直れそうもない僕はリアル(現実)の女性よりもネットの世界の女性の方が心を開きやすくなっていた。
僕の悲しみをブログの日記に書くと、彼女たちが優しい言葉で慰めてくれる。
それで僕はなんだか癒されて満足していたのかもしれない。
サイト内のゲームやコミュニティにも参加して、ネットの友だちも増えて、それなりに楽しいネットライフだった。

僕が登録しているサイトには、アバターといわれる自分の分身のような画像がプロフィールに表示されている、ネットユーザーはアバターに顔(表情)や服、背景などをつけて、自分好みのキャラクターを作っていく。
アバターが着けてる服や背景は、ガチャと呼ばれる有料のアイテムからランダムに出てくる。
ウェブマネーで買うのだが、どうしても欲しいアイテムがあって、コンプリートしようとすれば、ガチャを何度々も回してしまい、軽く万札が飛んでいく……それがアバターコレクションだ。
1度アバターにハマると中毒のようになって止められない。
実際、いい大人がそんなパソコンの中のアイテムに年間何十万円も使っている。
信じられないような話だが、これは事実なのである。今まで、そういうアバター廃人を何人も見てきたのだから――。

ゲームも好きだけど、アバターのコレクションにも興味を持ちだした僕はサイト内にある、アバター交換所でお目当てのアバターアイテムを探していた。
アバター交換所というのはユーザー同士でお互いに持っているアバターとアバターを交換し合うわけだが、同等対価のアバターでないと取引成立は難しい。
僕が交換希望しているのは、とても人気の高いアバター背景でネットオークションでも1~2万円で取引されている。
……だが、今持っているアバターではとても交換条件に見合わない、諦めて引っ込めようかと思っていたら、交換希望の表示がでた!
「うっそー?」
正直ビックリした! この交換だと相手が大損なことは分かっている。
相手の気が変わらない内にと……僕は慌てて交換OKのボタンをクリックした。
「やったぁー!」
これで僕のアイテムバックに相手と交換したアバターが入った!
欲しかったアバターアイテムがGETできて、僕は有頂天になった。
だけど、こんな損な交換をさせたことに対して相手に申し訳ない気持ちもあった。
相手のハンドルネームは『蟷螂』? かまきり? また凄いHNだなぁー。
さっそく、『蟷螂』を検索して相手のマイページまでいってみた。

意外なことに、相手は女性だった!
しかも、かなりのアバ廃人らしく、ゴスロリ調のアバターを着て、かなりレアなペットと背景とエフェクトでマイページを飾っていた。
「うひょー、凄いレアアバばっかりだ!」
たぶん総額で10万円くらいはしそうな高額アバターを表示していた。
取りあえず、彼女の伝言板に、
「交換ありがとうございます。交換して頂いたアバターは大事に使わせて頂きます」
と書き込んで置いた。

翌日、マイページを立ち上げると『蟷螂』からメールが届いていた。

こんにちは。
交換したアバター気に入って貰えて良かったです。
いろいろレアなアバター持っています。また交換しましょうね。
どうぞよろしく。
                   蟷螂

「へぇー、イイ人だなぁー♪」
だけど、ここはネット……相手の顔が見えないし、美味しい話には裏がありそうと、僕は少しだけ用心していた。

実際、ネットでは相手の顔が見えないから、女性だと思っていたら男性だったりもする。
いわゆる『ネカマ』というネットのオカマことだが、アバター表示で男女を区別するサイトほど実はネカマが多いのだ。
アバターコレクションやってる内に、男性が女性のファッションに目覚めて、ついに『ネカマ』になってしまった男性を知っているが……とっても可愛いフェイスのアバターで、着けてる服もキャピキャピでセクシー、ハンドルネームも「モモコ」とか女性名にすれば、どこから見てもキュートな女の子である。
まさか、アバターの本体が40歳の会社員、2児の父親なんて誰も想像できないだろう。
そういうトリッキーさ、こそがネットなのだ!


   第二章 チャットルームの女

それから『蟷螂』と名乗る女性は朝晩、僕の伝言板に挨拶をしていくようになった。
時々、伝言板で話をするようになって、僕らは少しずつ仲良くなっていった。
その頃から、どんな女性だろうかと僕の中で想像が広がってゆく――高価なアバターを着けているし、たぶん社会人だろう。ネットにかなりお金をかけてるみたいだし、案外若くないかも、もしかしたら主婦だったりして。
ネットの相手に対して、リアルのことは訊けない……ネット社会のマナーとして、相手が言わない限り、こちらから年齢や職業、住んでる地域などについて、訊ねてはいけないのである。

――そういうことはネット社会の常識として、暗黙の了解なのだ。

そんなある日。
『蟷螂』からメールがきて、サイト内のチャットルームに誘われた。
ふたり部屋を作ったので入室用パスワードを教えるから、来てねと書いてあった。
チャットのふたり部屋というのは、『鍵』をかけられるので、他の人が入って来れない、入室用のパスワードをあらかじめ決めて置いて、それを打ち込んでから入室するのである。
そこはサイトのカップルたちがよく使っている場所だった。

チャットルームでふたりっきりで会話ができるとあって、僕はわくわくした。
異性に興味を持ったのは1年振り以上だ、僕も心の中では分かっているんだ。
死んだ彼女のことは、もう忘れなくてはいけないってことは……。
チャットルームにいって、彼女が教えてくれた部屋の入室用パスワードを打ち込んだ。『蟷螂』は先にきて待っていた。

若者の多いこのサイトでは、ほとんどの会話は顔文字で行われている。
顔文字は若者たちの新しいコミュニケーション方法で、言葉プラス感情表現を記号文字で作って絵にできるのだ。
これらの顔文字は専用サイトからインストールして辞書登録して、一発変換できるようにしてある。
特にチャットでは早く打ち込める、この顔文字がとても便利なのだ。
取りあえず、僕らはこのサイトのやり方で挨拶をした。

僕: (*´・ω・)ノ ・゚:*:゚★⊃`ノ八”`ノ八☆・゚:*:゚
彼女: ⊃`ノ八゛`ノ八_〆(●ゝ∀・●)ゞ^☆
僕: Syochan85です( ´艸`)ド-ゾ (っ´▽`)っ))ヨロチク
彼女: (○´-ω-)っ[蟷螂]ト申シマス。(。-ω・)ゞヨロシクネ♪
僕: 今日はチャット誘ってくれてヾ(@^∇^@)ノアリガトー♪
彼女: 楽しくお話しましょう( 〃´艸`)ネッ

こんな風にいい大人が顔文字で会話している。
これもネット社会の新しいコミュニケーションのひとつの方法だし、慣れてくるととても楽しい。
だいたい、こういう顔文字を500~1000文字くらい登録しているのが、このサイトでは普通なのだ。

チャットルームで僕らはリアルの話もいろいろした。
彼女、『蟷螂』は30歳で去年離婚したが子どもはいないと言っていた。親の遺産で悠々自適な生活をしているが、やっぱし夜になると人恋しいので人が集まるネットで遊んでいるそうだ。
寂しい者同士でふたりは意気投合した、彼女の住所は僕の住む隣の県でそんなに遠くなかった。
いつかリアル(現実)で会えるかもしれない……僕の中で、ほのかな期待が広がった。

チャットの日から僕らは急に親密になった。
サイト内のゲームルームでパチンコや麻雀などをして、ふたりで遊んだり。
ある日、無料で遊べるゲーム『ババ抜き』の部屋に入ったときだが……小学生か中学生の子どもに「アバターをくれ!」やら「マネーをください!」とか、しつこく付き纏われて難儀した。
無料で遊べるゲームルームには、子どもが多いのでマナーがなってない奴らも多い。

このサイトではウェブマネー(ネットで使うお金)で有料のゲームをしたり、ガチャでアバターを買ったりして、マイページをデコレーションすることができる。
お金を持っている大人たちは高価なアバターをつけて、有料のゲームで遊んだりしてセレブなネット生活を謳歌できるが……ネットでお金が使えない小・中学生にはそれができない。
だから、高そうなアバターを着けてる人を見つけると、誰かれなしにアバターやお金をくれと要求してくる、それが物乞い(ものごい)といわれる、荒らしである。

困った存在だが仕方がない。
お金を使わないと楽しめないサイトのシステムが悪いのだ。ネットで遊んでいる自分の子どもが、まさか物乞いをしているとは親も知るまい……。
――こういう恥知らずな行為ができるのもネットだから?
いくら子どもとはいえ、物乞いや伝言板に悪口を書いていく迷惑行為などしてよい筈がない。
顔が見えないネットの世界、子どもたちは誰に対しても自分と同等だと思い、厚顔無恥な自己主張を繰り返す、こんな子どもが大人になったらどうなるのか?
しかし注意したくとも、後で大勢の仲間たちを連れて仕返しに伝言板を荒らされるのが怖くて……大人たちは相手にしないで、ただただ逃げるだけである。

毎日、会社から帰るとパソコンを立ち上げて『蟷螂』(かまきり)こと、キリちゃんと会うのが楽しみになっていた。
残業のない日は晩飯を食べて、風呂に入って、後は寝るだけの準備万端でネットに入るのだが、9時半くらいにINすることが多い、キリちゃんはだいたい先にネットにきている。
僕がマイページを開くと伝言板には、いつも彼女の挨拶が書き込まれている。
それを確認してから、キリちゃんの伝言板に挨拶にいって、今日はなにして遊ぶか、メールで打ち合わせてからゲームをすることになっている。

今日はキリちゃんがチャットルームにいこうというので、入室用パスワードを決めてから、僕らは同時にふたり部屋に入った。
ここなら誰にも邪魔されずに、ふたりだけの時間が過ごせるから、僕らはふざけてこんな顔文字を書き込んだ。

僕:「キリちゃん( *´ω`)φ….大好き♪」
彼女:「:。*スリ(( ´-ω-)-ω-` )」スリ*。:゚」
僕:「エイッ!!(ノ。>ω<)ノ ⌒【愛】」
彼女:「【愛】ヽ(>ω<ヽ)キャッチ!! 」
僕・彼女:「*+・。.ずぅぅっと(●>∀<)人(>∀<○)一緒ww.。・+* 」

とても、リアルではできないような恥ずかしいことを堂々とやれる。
これがネットの凄いところで、いい大人が顔文字で愛を語っているのだから面白い。

今日のチャットでキリちゃんが『ラブ友』にならないかという。
『ラブ友』とは、仲良しさんと一緒にアバターを表示されるシステムである。たいていネットの彼氏と彼女がお揃いのアバターをつけてプロフィールに表示されていることが多い。このサイトではネットの彼氏は「OOさんです」とプロフィールに書き込んでいれば、もう誰もちょっかいを出さない。
アバターもカップル用の『赤い糸』や『ラブレター』『結婚指輪』などあって、お揃いでつけて、ふたりの愛を周りに見せつけている。
痛いシステムだが、こういうのは結構人気がある。
しかも、ふたりでラブラブのアバターを『プリショット』というネット写真みたいなのも撮れて、それをアルバムに保存ができるのである。

「だけど……僕はキリちゃんみたいなレアアバを持ってないよ」
「大丈夫、わたしが何とかしますから!」
「ラブ友はやっぱし背景やペットもお揃いでないとかっこ悪いもんなぁー」
「わたしアバ倉庫にいろいろ持ってるから、ご心配なく」
「ホント? じゃあキリちゃんに任せるよ」
素直にキリちゃんの申し出に甘えることにした。


   第三章 アバター廃人の女

ネットの世界でこんな可愛い彼女がいて僕は嬉しかった。
キリちゃんのアバターなら仲間にも自慢ができるし、サイトにはサイトのそこだけで通用する価値観があって、キリちゃんのアバターは最高にチャーミングなのだ。

翌日、サイトに入るとキリちゃんから僕のアイテムバックにアバターが数点送られていた。ふたりで『ラブ友』表示用のアバターだが……どれも凄いレアなアバターだった!
ネットオークションのレートでも、総額で5万円は下らない代物である。
よくまあ、こんなアバターが集められたものだと、ただただ驚いた! 
そして、どうして僕にここまでしてくれるんだろうかと不思議に思った。ただのネットの彼氏みたいなものなのに……僕に気があるのかな? まさか会ったこともないのに?
そして、僕の中でキリちゃんへの妄想がどんどん広がっていく――。
こんなにチャーミングなアバターなんだから、本体(アバターの所有者)もきっと可愛いに違いない!
勝手な思い込みを抱いている僕だった。

キリちゃんと『ラブ友』になって、ふたりでプロフィールに表示することになった。
僕のマイページに見にきたネットの友人たちはまず、アバターがつけてる服や背景、ペットがレアなのに目を見張った。
ネット友だちには、アバターコレクションが趣味のアバター廃人が多い。
アバターアイテムを買うのに、月に2~3万円使ってる奴らもザラにいる。そんな彼らから見たら、それが高価なアバターだと瞬時に分かる。
その次に、僕の相方キリちゃんのチャーミングなアバターを羨望の目で見ている。
『アバ廃人』は『アバ廃人』同士、相手のアバターも良くないと友だちになりたがらない。アバター廃人には、自分たちの美意識とプライドがあるからだ。そして仲間内でのアバターの交換や情報収集も大事なのである。

僕の伝言板には、
「しょうちゃん、ネットの彼女すごく可愛いなぁ~(* ̄。 ̄*)ウットリ」
「彼女にアバ揃えて貰ったのか?∑d(*゚∀゚*)チゴィネ!!」
「このサイト№1のベストカップルだね(*`ノω´)コッソリ」

こんな顔文字でみんなが冷やかしていく、最初は恥ずかしかったが……今では誇らしい気持ちもある。このままリアル(現実世界)に戻らずに、ここに居たい気さえする。
しっかし……これだけのレアアバをふたり分もぽんと揃えられるキリちゃんは、どんだけ『アバ廃人』なのかと驚くばかりだ。

翌日、サイトにINすると……。
僕のフレンド登録から、友だちがひとり消えていた。
『ルミナちゃん』と呼ばれる、ゲーム・コミュニティの女友だちである。
フィッシングゲームで知り合ったルミナちゃんとは、釣り場で2、3度チャットをしたことがある。サイト内のフィッシングランキングでは常に上位ランクの彼女が、今までのステータスを捨ててまで、アカウントを消したことが信じられない。
もしネット内で何かトラブルがあったとして、しばらく休眠することがあっても、アカウントまでは消さないものだ。
たしか、ルミナちゃんはアバターもいいものをいっぱい持っていた筈なのに……消したら、全部なくなってしまうじゃないか。
ひと言の挨拶もなく、急に消えてしまうなんて信じられない。
いつも僕が落ち込んでいると、優しい言葉をかけてくれるルミナちゃんがなぜ? 急に?
ネットの世界ではアカウントを消えてしまうと連絡が取れなくなってしまう。ルミナちゃんと仲良しのフレンドたちに訊いてみたが、誰もルミナちゃんの連絡先を知らなかった。
どうしてルミナちゃんは消えたんだ……? なにかリアルの事情でもあったのだろうか。
やり場のない寂しさで僕は凹んでしまった。

ひとりだけ、ルミナちゃんと特に仲の良かったフレンドがメールをくれた。

『ルミナは
しょうちゃんのことが好きだったのよ。
気付かなかったの? 』

――と、書いてあった。

……そんなことを言われても僕は気付かなかったし、顔の見えないネットの世界では言葉にしなければ感情は伝わらない。
たしか、ルミナちゃんは御主人と小学生の子どもが二人いたはず、僕にとって彼女はネットの姉貴みたいな存在だった。
たぶん、キリちゃんと僕が『ラブとも』になったりして、親しげにしているのが、よほどショックだったかもしれない。
今さらそんなこと言われても……どうすることもできないじゃないか。
ネットの世界は一度連絡が途絶えたら、もう捜すことさえできない。

ルミナちゃんはアカウントを消すことで、すべてを忘れてリセットしたんだ。
もしかしたら、新しいアカウントを作って、新しいネット生活をもう一度やり直しているのかもしれないし……ネットは何度でも消して、またやり直しが利く世界なのだから……。
僕はルミナちゃんが元気になって、このサイトに戻ってきてくれることを、ただ願うしかなかった。

――薄情かもしれないがネットは、去る者は追わずの世界なのだ。

時が経つに連れ、僕はルミナちゃんのことを忘れて……。
キリちゃんと楽しいネット生活をおくっていた。僕らはレアアバでアバターを着飾り、『ラブとも』ごっこをして楽しんでいたんだ。
僕はネットの女の子たちに勘違いやちょっかいを出されないように、あえてプロフィールにネットの彼女は『キリちゃん』と書き込んで置いた。
ここでは他の女の子を付き合う気はないし、キリちゃんも同様にネットの彼氏は『しょうちゃん』と周知して、ふたりでラブラブ宣言をした。

ただひとつだけ……キリちゃんについて気になることがあった。
彼女はあれだけのアバター持ちだし、ステータスも高いのに……ほとんどフレンドがいない。てか……僕、以外の誰とも付き合っていなさそうだ。
伝言板にはいつも僕しか書き込んでいないし、友たちが少ないことに少し疑問を抱いていた。

もしかしたら……、『蟷螂』はサブのハンドルネームなのかな?
メインのハンドルネームは別のところに持っているのかもしれない。だったとしたら……
サブIDの『キリちゃん』と付き合うのなんて、騙されてるみたいでイヤだった。
どうしても、キリちゃんがサブのハンドネームなのではないかという疑念がぬぐい去れない。
直接、彼女に訊こうかと思ったが……。
嫌われるのが怖くてそれもできない、サブだって、メインだって……。
僕の『キリちゃん』に変わりないんだから、そう思うことで納得しようとしていた。
……が、しかし、好きになればなるほど彼女のことをもっとよく知りたいという気持ちを抑えられない。――そんなジレンマに苦しんでいた。


   第四章 ネット人格の女

ある日、僕のメールボックスに知らないハンドルネームの人からメールが届いていた。
開いてみてビックリした!

★警告★
『蟷螂』は危険だ!
        - 優しい悪魔 -

そう書いてあった。
驚いた僕は、その人物のマイページにいこうとして名前の上をクリックしたら……。
【現在、『優しい悪魔』さんのアカウントは削除されて存在していません。】

……と、サイトの運営事務局のテロップがでた。
なんだって!? 
こいつは僕にこのメールを送るためだけに、アカウントを作って、そして消して逃げたのか?
なんでわざわざそんな面倒なことを……。
こいつは流しの『荒らし』の仕業ではないと思った。

そして、その翌日にも知らないメールが届いていた。

《 警告 》
『蟷螂』はいっぱいサブHNをもっている。
あの女は荒らしだ、気をつけろ!
            - ネット荒らし -

こんなことが書いてあった。
そのマイページにいくとやっぱしアカウントが消えていた。
いったい、こいつは誰なんだ?
なんでこんなことを僕に書いてくるんだ? なんのつもりなんだ!?
不気味なメールに僕はイラついた。

また、翌日も同じように……。

警告
『蟷螂』はおまえを狙っているぞ!
あいつは悪魔だ、地獄に堕ちろ!
            - 地獄のピエロ -

くっそー、もう頭にきた!

いったい、なんの目的でこんな不愉快なメールを送ってくるんだ?
こいつの正体は誰なんだ? 僕の中でいろんな人間の可能性を考えてみる、ネットの世界では誰だって『荒らし』なれるのだから……。
僕に悪意を持っている奴か、はたまたキリちゃんに嫉妬してる奴か?
もしかしたら、消えたルミナちゃんかもしれない? ひょっとしたら、キリちゃん自身の自作自演だって有り得るじゃないか。ああ、頭が混乱してきた。

ここはネット、ひとりの人間がいろんな人格になれる魔法の世界なんだから――。

今夜は、どうしても聞きたいことあったので、キリちゃんをチャット部屋へ誘った。
いつものように、ふたり部屋に入った僕らはラブラブな挨拶をする。

僕:「キリちゃん☆・゚:*(〃ノω`)ε`*)チュッ*:゚・☆大好き」
彼女:「お返しの(*´∀`*(`〃 ) ちゅっ♪」
僕:「アナタヮ*ゝω・)σ…ヽ(*ゝω・*)/最高☆」
彼女:「アナタガヾ( ´∀`)八(´∀` ) チュキチュキ♪」
僕・彼女「。:゚+.赤ィ糸デ(((++(。U`ω´u。)d~~~b(。uдu。)++)))ツナガッテル.+゚:。 」

いつもの調子で一発変換の顔文字でチャットをしていたが……先日の荒らしのことをキリちゃんに話した。何か心当たりはないかという僕の質問に対して、彼女は「しらないわ」とたった5文字で切り返した。
チャットでは顔も声も分からない、だから相手がどんな反応なのか窺い知ることができないのだ。

その次にどうしてフレンドを作らないの?
と彼女に質問してみたら……
「前に変な人にネットストーカーされてからフレンドは作らないの」
そう言えば『ラブとも』でネットのカップルなのに、僕らはフレンド登録さえしていない。キリちゃんが隠し事をしているようで釈然としない。

「チャット部屋は止めて、スカイプかメッセンジャーでボイスチャットをしようよ」
僕は以前から考えていたことをキリちゃんに話した。
スカイブやメッセンジャーのボイスチャットとは、パソコンにイヤ―マイクを繋いで、音声で話しをすることである。学生たちがネットゲームでRPG(ロールプレインゲーム)をする時に、仲間たちとおしゃべりしながら敵と戦える便利な機能である。
サイトからインストールするだけで、何時間おしゃべりをしても無料なのだ。

「ボイスチャットがしたいの?」
「うん、やろうよ」
「考えさせて……」
そう答えるとキリちゃんは黙ってしまった。
もし本体が男だったらボイスチャットはできないだろう、僕はキリちゃんを試しているんだ。
もしかして、もう落ちたのかと思うほど長く待たされて……やっと、キリちゃんがチャットを返してきた。

「分かったわ、ボイスチャットじゃなくてリアルで会いましょう」
「ええぇ―――!?」
ビックリした!
まさか、リアル(現実)で会うなんて、キリちゃんが言いだすとは想像していなかった。

「まさか? ホントにー?」
「もちろん、本気よ」
「僕は嬉しいけど、ホントにいいのか?」
「しょうちゃんはあたしのことを疑っているんでしょう?」
「そんなことはないよ」
「嘘! だったら、リアルのあたしを見せてあげるわ!」

キリちゃんは、そう言うと会う日にちを一方的に告げてチャットから落ちてしまった。
……もう落ちたのかと思うくらい、長く待たされた後のキリちゃんの豹変ぶり、人が変わったような態度に僕は驚いた。
本当にキリちゃんはリアルで会ってくれるんだろうか?
僕は半信半疑まま、彼女の指定した場所にいこうと考えていた。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-12 07:54 | ミステリー小説

さつじん脳 ⑤

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死ねばいいと恨みますか?
さつじん脳にスイッチが入りました!


    第三話 とりかえっこ ②

 有馬家に着いて僕が駐車場にBMWを停めていると、先に降りていた兄が五百坪はある屋敷の敷地をぐるりと眺めて「これは全部、おまえ一人で相続したのか?」と訊いてきた。「そうだ」と答えると、「おまえは運がいいよなあー」と恨みがましい言い方をされた。
 二十年前、あの時〔とりかえっこ〕を止めよう言った僕に「これは遊びじゃない」と突っぱねたのは兄の方だったくせに、そのことを忘れて、自分だけ貧乏くじを引いたみたいな顔をされたら堪ったもんじゃない。――内心、僕はムッとしていた。
 屋敷の玄関を開けて中に入る。
「なあ、和久。住む所に困っているんだ。こんな広い屋敷だし俺もここで暮らしてもいいか?」
「兄さん、明日からしばらく僕は旅行だから無理だよ。通いの家政婦さんとお手伝いさんにも暇を出したくらいだから……」
「――そうか、長い旅行なのか?」
「たぶん、三ヶ月くらいかなあ……」
 屋敷の中の長い廊下を通って、兄を部屋に案内した。
 広々としたリビングには黒い革張りの応接セットとホームバーのカウンターがある。生前、お酒が好きだった父親が世界中から集めた銘酒の瓶が棚に飾られている。
「おおー、すげえ! 高そうな酒ばっかり置いてる」
「僕はあまり飲まないから好きな酒を飲んでもいいよ」
「そうか、それは有難い」
 物欲しそうな顔で兄は棚の酒類を見ていたが、
「あっ! あれは?」
 ひとつの瓶を指差した。
「ドン・ペリニヨンだよ。特別の日に飲むシャンパンで、ヴィンテージもの」
「飲んでみたい!」
「これはドンペリの中でも最高級品エノテーク・プラチナだよ」
「飲みたい、飲みたい!」
 子どもみたいにはしゃぐ兄だった。
「――じゃあ、二十年振りの兄弟再会を祝してドンペリを開けるとしようか」
 ポンッと威勢のよい音を立ててコルクが天井に飛んだ。
 バカラのシャンパングラスにドンペリを注いで「乾杯」とグラスをカチッと当ててから僕らは一気にグラスを煽った。

「プハーッ、うまい!」
 高級なシャンパンも品のない兄が飲むとチューハイにしか見えない。
 しかも、いつの間にか兄は僕の手からドンペリの瓶を奪い、口に咥えてラッパ飲みをしていた。こんな下劣な人間が飲むには勿体なさ過ぎるお酒だが、――そんなことは構わない。
「なあ、和久。俺とおまえは双子なのに、おまえだけ贅沢な生活をして不公平じゃあないか。同じ父親なのにおまえはセレブで俺はどん底の生活なんて……」
 酔いが回ってきたせいか、兄がぐちぐちと文句を言い出した。
「俺はガキの頃、お袋の男に殴れたり蹴られたりして散々な目に合ってきたんだぜぇー」
「……兄さん、百万円取ってくるからここで待っててよ」
 そんなことは僕の知ったことじゃない。リビングに兄を一人残して僕は部屋から出て行った。
 二十年振りに邂逅した兄は零落した敗北者だった。
 もしかして〔とりかえっこ〕をしなかったら、今の兄の姿が自分だったかも知れない――。同じ双子でも育った環境によって大きく変わるものだと、兄を見ていて僕はそう確信した。



「兄さん……」
 部屋に戻ると、あっちこっちの引出しを開けて物色中だった。僕が声をかけると背中をビクッとさせて、決まり悪そうな顔で振り向いた。
「そんなところに金目のものは置いてないよ」
「いやー、ちょっと、親父の写真が見たいなあ……と思ってさ」
 苦しい言い訳でしかない。
 持ってきた百万円の札束を見ると、僕から引っ手繰るようにして、お札を数えはじめた。そんな兄を見ていると――まるで、ビデオテープで再生されている自分自身を観ているようで、言いようのない嫌悪感だった。
「これっぽっちじゃあ、足りない。もっと金はないのか」
 百万円をジャンバーのポケットに捻じ込みながら兄がいう。
「いいや、兄さん。今日はこれだけにしてくれよ」
「この家なら、かなりの現金があるだろう?」
「――もう帰ってくれないか」
「うるせい! 早く金をよこせっ!」
「断わる!」
「なんだと、この野郎! ぶっ殺すぞっ!」
 いきなり兄が殴りかかってきた。ミゾオチに膝蹴りを入れられて、うっと呻きながら僕は前屈みに倒れて気を失った。
 
「起きろよ! 和久」
 汚いブーツが僕の頭を蹴った。
 気が付いたら、ベルトで後ろ手に縛られて床に転がされていた。
「金庫の場所と鍵と番号を教えろ!」
 とうとう兄の本性が出たようだ。
「兄さん、何をする気だ?」
「和久、よく聴け! 今日から俺が有馬和紀になって、この家の財産は全部いただくぜ。おまえは俺の代わりに土の中にでも埋まってろ! あははっ」
「なに言ってるんだ!? 正気なの兄さん……」
「ああ、正気だぜ。こんな貧乏くじみたいな人生とはおさらばだ。ガキの頃、おまえと名前を〔とりかえっこ〕しただろう? もう一回〔とりかえっこ〕して俺の和紀を還して貰うだけだ。すぐには殺さない、おまえにはいろいろ教えて貰うことがあるからさ」
「兄さんがこんな恐ろしい人間だと知っていたら家になんか入れなかったのに……」
「おまえは昔から甘ちゃんだったからなあ」
 たしかに子どもの頃は、兄の言いなりだった。
「それから、これは……兄弟のおまえにだけ教えてやるが……」
 口を歪めてニタリと笑うと、わざとらしく声をひそめる。
「……高二の時にお袋を殺したのはこの俺だ。酔っ払って夜中に帰ってきて絡みやがったから、アパートの階段から蹴り落としてやったんだ。警察では事故死ってことでカタがついたけどな」
 母親殺し! この凶暴な人間が僕の片割れともいうべき双子の兄弟なのか。――なんと、おぞましいことだ!
「おいっ! 早く金庫の在り処を教えろ。鍵は、鍵はどこだ?」
 ポケットからサバイバルナイフを取り出して、僕の喉元に押しつけた。こんな物騒なものを持ち歩いている兄は完全に犯罪者だ――。
「ポケットにある。上着の右側のポケットに入れてあるんだ。奥の方まで手を突っ込んでみて……」
「ああ、こっちのポケットだな。――よおし!」

「うぎゃあ!」
 僕のポケットを探っていた兄が悲鳴と共に手を引っ込めた。その手には何本かの注射針が刺さっている。
「イテテッ! 何をしやがる!?」
「その注射針には毒が塗ってある。ヒオスチンというアルカロイド系の毒薬だよ。麻酔にも使われていて、ゆっくりと眠るように死ねる」
「和久、お、おまえ……。嘘だろう!?」
「嘘なもんか。もうすぐ眠くなってくるよ。そして二度と目覚めない」
「な、なんでこんなもんを……最初から俺を殺す気だったのか?」
 手に突き刺さった注射針を抜きながら、兄は狼狽していた。
「――そうでもない。兄さんがこんなことさえしなければ、三ヶ月後には遺産として有馬家の全財産を相続できたんだ。遺言状を作成して弁護士にそうするように頼んで置いたのに……残念なことだよ」
「この家の遺産をこの俺が……?」
「僕は余命三ヶ月と医者に宣告されている。脳の奥に悪質な腫瘍があって手術もできないんだ。おまけに進行も早くて……。実は明日からホスピス・緩和ケア病棟に入院して抗がん治療は受けないで、ゆっくりと死を待つ運命だったんだ。だが、兄さんと会って考えが変った。――僕は死ぬ前に〔とりかえっこ〕した、本当の名前に戻りたいと思った」
「今日、おまえと会ったことは偶然じゃないのか?」
「そうさ。兄さんのことはね、興信所に頼んで調査済み。恐喝と詐欺で二回服役しているね。結婚歴は三回いずれも離婚、子どもはいない。サラ金やヤミ金から約二千万円の借金を抱えている。ね、そうでしょう?」
 さっきまでの悪ぶった兄は鳴りを潜め、今は恐怖で顔が引きつっている。
「あの喫茶店に現れることは知っていた。――だから、僕は賭けたんだ。もしも、ホスピスに入院する前に兄さんと出会えたら〔とりかえっこ〕した、僕の本当の名前を還して貰おうと……。兄さんにはお金を渡して外国にでも行って貰い、その間、僕は和久に戻って生きてみたかった、死ぬ前に……。最初から殺す気なんてなかったさ。――だけど、ひどい人間なんで双子の僕としては、兄さんを残して逝けないと判断したから」
「お、おい、げ、解毒剤をくれ……」
「――ないよ。病気がひどくなって苦しんだ時、僕が自殺するためのものだから」
「ゲ、ゲームオーバーだ。こんな遊びは止めよう」
「兄さん、これは遊びじゃないんだ」



 意識が朦朧としてきたのか、やたらと首を振って睡魔と闘っている。兄さん、そんなことをしても無駄さ。致死量のヒオスチンが体内に摂取されているんだから……。
 やがて、崩れるように倒れて永遠の眠りに着いた。
 死体の手から落ちたサバイバルナイフを拾って、後ろ手の縛めを外した。ああ、心も身体も自由になった。どうせ、死ぬのなら最後に曽我和久(そが かずひさ)に戻って、残された生命を燃やし尽くしてから死んでやる。
 ホスピス・緩和ケア病棟に行くのはもう止めた――。

「兄さん、僕らの遊び〔とりかえっこ〕やっと終わったよ」

 不様な姿で床に転がっている、もう一人の自分。――さよなら、和紀。僕の双子の兄さん。 



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カクヨム 
泡沫恋歌 『さつじん脳』


   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-01-28 09:02 | ミステリー小説

さつじん脳 ④

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死ねばいいと恨みますか?
さつじん脳にスイッチが入りました!


    第三話 とりかえっこ ①

『二十年前、僕らは大事なものを〔とりかえっこ〕したんだ』                  

 意味もなく本のページを捲っていく、文字の上を目がスクロールするだけで内容は全然頭に入ってこない。何も持たないで喫茶店に長く居るのは気が引けるので、そのために電子ブックリーダーを持ってきているのだが……。
 体調を崩した僕は仕事を辞めて一ヶ月、毎日ぶらぶらしながら過ごしていた。亡くなった両親の遺産があったので経済的には困っていない。――ただ、途轍もなく時間を持て余していた。
 毎日、電子ブックリーダーを持って喫茶店で読書をするのが僕の日課だった。その日も、いつものように喫茶店で読んでいると、後ろの席に座った男女が激しい喧嘩を始めた。
「アンタなんか最低の男よ!」
 女の金切り声の後、バシャッと水が飛んできて、僕の電子ブックリーダーにかかった。乱暴に席を立つ音がして女は走り去っていく。どうやら、男はコップの水を顔にかけられたようである。
 水に濡れた液晶画面を慌ててナプキンで拭いていると、
「水かかりましたか? スミマセンねぇー」
 後ろの席の男が謝った。
 振り向いてそいつの顔を見た瞬間、僕は心臓が止まりそうなくらい驚いた。――何故なら、僕と全く同じ顔をしていたからだ。
「――もしかして? 和紀か?」
「おまえは和久?」
 そいつは間違いない! 曽我和紀(そが かずのり)二十年前に別れた双子の兄だった。



 兄の名前は和紀(かずのり)、弟の僕は和久(かずひさ)という。
 僕らは見分けが付かないくらい、そっくりな一卵性双生児だった。それで九歳の時、僕と兄は大事なものを〔とりかえっこ〕したんだ。
 ある日、兄の和紀がこう言った。
「なあ、和久。俺の名前と〔とりかえっこ〕しないか?」
「――え、なんで?」
「俺、この名前キライなんだ」
 見た目は同じに見える双子だが、小学校では僕は優等生で、兄は勉強嫌いで成績も悪かった。おまけにイタズラ好きの兄は担任の女教師にイタズラをして、もの凄く怒られたことがある。それ以来、事あるごとに教室でよく叱られるようになったそうだ。
 身から出たサビとはいえ、それが嫌なので自分とクラスを変わってくれと言い出したのだ。嫌だと僕は即座に断ったけれど――我がままな兄にしつこく泣きつかれて、遊びだから、一週間だけ名前を〔とりかえっこ〕しようと利かない。しぶしぶながら僕は和紀になって兄と入れ替わることになった。
 兄のクラスで授業を受けていたが、案の定、兄と入れ替わったせいで女教師に逐一注意をされたり、立たされたりと散々な目に合っていた。しかし、一週間近くなると僕が大人しいので反省して良い子になったと勘違いされて、逆に可愛がられるようになってきた。
 兄の方は弟の和久に成りかわり、やりたい放題イタズラして叱られていたようだった。

 僕らの〔とりかえっこ〕も、明日には元に戻そうとしていた矢先に、とんでもない事件が起こった。
 実は僕らを生んだ母親は愛人だった。父親の有馬和臣(ありま かずおみ)はビル管理や不動産運営で収入を得ている資産家で、二十歳も年下の水商売の女に手をつけて僕らを生ませた。
 愛人の子の僕らは世間的には私生児なのだが、父親から毎月多額の養育費を貰っていたので暮らし振りは裕福だった。
 母親は子育てに興味がなく、酒と男とギャンブルが大好きで、僕らは幼い頃からベビーシッターや家政婦たちによって育てられてきた。――だから、僕らが入れ替わっても母親ですら、そのことに気づいていなかったのだ。
 ――まさか。
 それが運命の分かれ道になろうとは思ってもみなかった。
 本家(父親の家)には僕らの異母兄弟に当たる長男が一人いた。まだ結婚もしてなかったので後継ぎはいない。その長男が自動車事故で急死してしまったのだ。
 ショックも大きかっただろうが、息子が亡くなった父親は妻に僕らのことを打ち明けて、せめて双子の一人だけでも引き取って跡取りとして育てたいと言い出した。反対するかと思った、本家の妻はすんなりとその案を受け入れて、突然、僕らの片方が有馬家に養子にいくことが決まった。
 その時、僕と兄は入れ替わったままで、僕が兄の和紀で、兄が弟の和久だった。
 通常として、同じ双子だから上の男の子を引き取りたいと本家から言ってきた。父親は僕らが生まれてからは母親に養育費を払うだけで、ほとんど通って来なかったので、僕ら兄弟の見分けは父親にもつかない。
 酒好きで男にだらしない僕らの母親に浮気心で手を付けたものの……たぶん父親は深く後悔していたのだろう。僕らをDNA鑑定して実子だということだけは認めていたようだ。
 そんな事情で僕ら兄弟は離ればなれになることなった。一人は父の有馬家へ、一人は母の元に残る……。
 当時、まだ九歳だった僕らは母親と暮らすことを希望した。いくらだらしない女でも虐待する訳でもないし、美人の母親は男の子にとって自慢でもある。絶対に本家には行きたくない! きっと継母にひどく虐められるんだ。
 ――そう思って、僕らの両方が本家に行くことを拒否していた。ところが間の悪いことに……その時、僕は上の男の子の和紀になっていたのだ。
 僕は必死で親たちに訴えた! 本当は僕が下に男の子の和久だと……だが、兄は自分こそ和久だと主張して、無理から僕を本家にいかそうとする。泣きながら言った「兄さん、〔とりかえっこ〕を止めようよ!」
 兄は九歳の子どもと思えない冷ややかな口調でこう言った。
「これは遊びじゃないんだ」
 そのひと言で僕の運命は決まってしまった――。
 
 結局、兄の代わりに和紀となって、本家の有馬家に引き取られていったのは僕、和久だった。
 有馬家は広い敷地に大きな屋敷が建てられていた。僕は使用人たちから「ぼっちゃん」と呼ばれてかしずかれた。
 心配していた継母は想像と反する善良な女性だった。「子どもには罪はないのだから……」と愛人の子である僕のことを、亡くなった長男の代わりに可愛がってくれた。
 ここに来て、僕は兄と名前を〔とりかえっこ〕して良かったと思った。それ以降、元々想い出の薄い母親のこともやんちゃな兄のことも忘れて、有馬家の跡取り息子として満ち足りた生活を送ってきたのだ。


「和久、いい暮らししてそうだな」
 オーダーメイドの紺のブレザー、上からベージュのバーバリーマフラーを巻いた僕を、しげしげと見て兄がそう言った。
 和久、今は自分の名前になっているくせに、二十年振りに二人きりで話す時には、本当の名前で呼ぶのがおかしい。自分の席から飲みかけのコーヒーを持って、僕の席に移ってきた兄は、フェイクな皮ジャンに膝が擦り切れたジーズを穿いていた。――そんな兄は薄汚れた胡散臭い感じだった。
「ああ、お金には困ってないよ」
「そうか、いいなあ。俺は借金まみれで……さっきも付き合っていた女に金の無心をしたら断わられて、おまけに水までぶっかけられたぜぇー」
 フフンと兄は自虐的に笑った。
 その後、金を貸してくれとせがんできたので、札入れから現金で十万円ほど渡したら目を丸くしていたが。――これっぽっちじゃあ足りないから、もっと貸して欲しいと厚かましいことを言い出した。

 たしか僕が有馬家に引き取られる時、父親は僕らの母親とはきれいに縁を切って別れたはずだった。その時に多額の手切れ金と残った子どもの養育費として、五階建てのマンションを譲渡されたと聞いている。きちんとお金の管理さえしていれば、僕の目の前に、こんな惨めな兄はいないだろうに……。
「お母さんはどうしてる?」
 僕が訊ねると、
「お袋か? ああ、とっくに死んださ。俺が高二の時だった。酔っ払ってアパートの階段から落っこちて死にやがった。あいつにはひどい目に合わされたからなあー」
 酒と男とギャンブル好きの母親は有馬和臣と別れてから、貰った手切れ金で派手に遊び回っていた、ギャンブルの借金が増えたり、あげく男に騙されたりして、五年もたない内に全財産を使い果たしてしまった。その後、水商売に戻ったが、若くもないホステスに客もつかず落ち目になるばかりだった。
 有馬家に何度かお金の無心に泣きついたようだが、『今後一切関わりを持たない』と別れる時に、自分で書いた念書を楯に援助を断られていた。――まあ、そんな母親だから、兄もずいぶん苦労をさせられ、高校の時にはグレて家を出ていたようだ。
「なあ、和久……俺は明日までにヤミ金に百万円払わないと殺されるかもしれないんだ。頼む! 今すぐ百万円貸してくれよう」
 兄は泣きそうな顔で僕に縋ってきた。
 本当に、今すぐ百万円いるかどうか疑わしいが、どん底の兄に比べて、お金の苦労なんか僕は今までしてこなかった。あの日、名前を〔とりかえっこ〕したお陰で裕福な人生を歩めたのだから、百万円くらい兄にくれてやってもいいとさえ思った。
「兄さん、今はそんな現金ないから家まで取りに帰るよ」
「ホントか!? 貸してくれるんだなあ。よし俺もおまえの家まで付いていくさ」
 金を貸して貰えると聞いた途端、目を爛々と輝かせた。そんな兄の顔は詐欺師臭かったが、まあ、そんなことはどうだっていい――。

 その後、喫茶店の駐車場に停めてあった、僕のBMWで二人して有馬家まで行くことになった。車に乗ると兄は「おまえ、すげえ高級車に乗ってるんだなあー」と、羨ましそうにシートを汚い手で撫で回していた。
「ところで、俺らの親父は元気か?」
 今度は兄が質問してきた。
「いや、三年前に病気で亡くなったよ。育ててくれた義母さんも去年他界した」
「和久、おまえ結婚は?」
「してない。今は僕ひとり暮らしなんだ」
「――そうか」
 少し間をあけてからポツリと兄が応えた。その後、考え込むように黙り込んだ。――そんな兄を横目で僕は観察していた。  



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カクヨム 
泡沫恋歌 『さつじん脳』


   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-01-27 08:11 | ミステリー小説

さつじん脳 ③

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死ねばいいと恨みますか?
さつじん脳にスイッチが入りました!



   第二話 幻冬雪女

 冬山に吹雪が荒れ狂う。激しい雪は視界を遮り、冷たい礫となって森や山荘の窓を打ちつける。まるで怒り狂う女のように、白い雪は狂気を孕んで、人の心を弄ぶ――。
「ねぇ、今、何か音がしなかった?」
「ん? 別に……」
 女が淹れたコーヒーを飲みながら、男は携帯アプリのゲームをやっている。
 ――今日で三日目だ。
 週末から、泊りがけでスキーにやって来ていた二人だが、激しい吹雪が続いてスキーはおろか、下山もできない悪天候で山荘にカンヅメ状態になっていた。
「ビシッって、何か軋むような……そんな音が……」
「吹雪の音じゃないのか? それか軒のツララが落ちたんだよ」
 この山荘に着いてから、連日の吹雪にカップルは退屈しきっていた。
「声が聞こえる……」
「はぁ?」
「――誰かが喋っているわ」
「何を言っているんだよ。この山荘には俺たち二人しか居ないじゃないか。君が週末を二人きりで過ごしたいって言うから、知り合いに頼んで、この山荘を借りたんだから……」
 怪訝な顔で男が答えるが、女は黙って耳を澄ませている。
「静かに! よく聴こえないわ」
「きっと吹雪の音だよ。ヒューヒュー吹雪く音が叫び声に聴こえているんだ。――けど、参ったなぁー、スキーも出来ないし、これじゃー山荘に軟禁状態だ」
 ため息まじりに男がぼやく。
「えっ? えっ……今、なんて言ったの」
「おいっ、俺に背中向けて、誰と喋っているんだよ?」
「雪女がきた……」
「はぁ? なにふざけてんの!」
「…………」
 女は黙リ込んだまま、吹雪の音に耳を澄まし、時々頷いて……誰かと内緒話でもしているようだ。
 そんな女の様子に戸惑いながらも……男は機嫌を取ろうとしていた。
「ははん。さては、怖い話してキャーとか言って、俺にしがみつく? そんでもって二人ベッドで温まる?  あはは……」
「…………」
「おい、どうしたんだよ? 黙り込んでないで、こっち向けよ!」
 さすがにイラついた男が、女の肩に手を掛けようとした瞬間。

「わたしに触るなっ!」
 ものすごい剣幕で女が怒鳴った。
 男の手は思い切り払われて、肩透かしをくらってバランスを崩し、前のめりになって転びそうにだった。
「あぶねぇー、いったい何を怒ってるんだよっ!」
「あなたは私を騙してるのね?」
「はぁ……? 急になんだよ」
「雪女がわたしに言ったんだよ。その男は嘘つきだって……」
 男は黙って女の様子を見ていた――。
「あなた、今年入社した庶務課の女の子にバースディ・プレゼントあげたんだって……」
 この二人は同じ会社に勤める、社内恋愛カップルなのだ。
「いや……それは、同じ課の後輩だし、仕事の事でいろいろ面倒みてやってる子だから、別に好きとかそんなんじゃなくて……その子が欲しいCDがあるって言うから、そんな高いものでもないし、誕生日だから……」
「わたしがいるのに、なぜ他の女に優しくするのよ!」
「ごめん……」
 男は女の機嫌が悪いので素直に謝った。
「あなた、こないだ、経理課のS子と一緒に飲みに行ったんだって?」
「あぁー、あれは居酒屋でたまたま会ったんだよ。それに俺以外にも会社の奴らいたし……」
「……あなた、元カノのM子のことが、今でも好きなんでしょう?」
「――何を今さら、あいつとは君と付き合うようなってからキッパリ別れた」
「そうかしら……?」
「そのことは君が一番よく知っているだろうに。なにを今さらバカなこと言ってるんだ!」
 ネチネチと詰問する女に。――さすがに男も声を荒げた。


 突然、女が泣きだした。
 ヒィーヒィーと喉を鳴らし、吹雪くような声で嗚咽を漏らす。
「あなたって人は、そうやって、いつも、いつも……わたしを騙して、陰でこそこそ他の女と遊んでいるんだぁー」
「泣くなよ! 俺たち、来月結婚するんだぜ。俺のことが信用できないのか?」
 昔の事を蒸し返しいちいち疑う、そんな女の態度に男はうんざりしていた。
「雪女が、そいつは浮気者だって言うんだ」
「おまえ変だぞ! いつもと様子が違う。気分が悪いなら寝ろよ! 明日下山するから」
「吹雪は止まないわ。私たちはここに閉じ込められたのよ」
 薄笑いを浮かべて女がそう言う。
「いったいどうしたんだ? まるで別人みたいに……。そういえば、おまえ前に言ったことあるよなぁー。子供の時にエレベーターの故障で閉じ込められてから……密室がすごく怖いって! 雪で閉じ込められた山荘、ここは密室と同じなのか? 閉所恐怖症ってやつか? だから情緒不安定になっているんだろ?」
 女には男の話など聴こえてはいない。
 完全に自分の世界に入り込んで……見えない何かと話していた。――外ではなおも激しく吹雪が荒れ狂う、白い獣が牙を剥くように。
「……雪女がわたしに言うのよ。その男はおまえを愛していないって」
「もう、いい加減にしてくれっ!」
 疑心暗鬼に凝り固まった女の態度に、男は苛立ち怒鳴った。
「やっぱり……愛してなかったのね。ひどいわ……騙されていたんだ、わたし」
「愛してるさ! だから俺たち来月結婚するんじゃないか」
「わたしだけを愛してくれないのなら……あんたなんか、もうしらない」
「はぁ?」
「もう死ねばいい……」
「悪い冗談はやめろよ!」
「死ねばいい、死ねばいい……」
 段々と平常心を失っていく女に、男は恐怖すら感じていた。
「おいっ! 大丈夫か? 頼むから……俺の話を聞いてくれよ」
 女はブツブツ……ひとりごとを言いながら、ふらりと立ち上がると、暖炉の方へ歩いていった。
 そして振り返った女の手には、暖炉の火掻き棒が握られていた。
「そんなもの持ってどうするつもりだ?」
 ニヤリと薄く笑って、突然、ものすごい勢いで男めがけて、火掻き棒を振り下ろした。
「ウギャーーッ」
 男は叫び、そのまま頭を押さえて床に倒れ込んだ。
 男の頭部からは鮮血が迸る。女は鬼の形相で男の頭部めがけて火掻き棒を振り下ろす。頭を押さえ這いずり逃げ回っていた男だが、やがて……血まみれでうずくまる。
「死ねばいい、死ねばいい!」
 狂ったように、女は執拗に火掻き棒を振り下ろし続けた。
「浮気者なんか! 死ねばいいんだぁー!」
 女の着衣に鮮血が飛び散って、真っ赤に染っていく。
 なおも女は火掻き棒を握り、動かなくなった男を打ち続ける。彼女の目は狂気で爛々と輝いていた。
「あっはっはっはっはっ」

 警察署の一室。ベテラン刑事は部下の報告を聞いていた。
「――遺体は頭部を滅多打ちされ頭蓋骨陥没に寄る外傷性ショック死とみられる。被害者の遺体は、二人がいつまで経っても下山しないのを不審に思って、様子を見にきた山荘の管理人によって発見通報されました」
「しかし惨たらしい遺体だなぁー」
 現場検証の写真を見ながら、ベテラン刑事は顔をしかめて呟いた。
「容疑者の女の様子はどうなんだ?」
「発見された容疑者の女は、血まみれで錯乱状態、意味不明なことを喋っています」
「……意味不明なこと?」
 ベテラン刑事は怪訝な顔つきで、背広の胸ポケットを探ると煙草を取り出し、百円ライターで火を付け、ゆっくりと吸い始めた。
「はあ……、それが何を聞いても、雪女がきたとか、雪女が殺ったとか……さっぱり意味が分かりません」
「雪女だと? 来月結婚予定の幸せなカップルに、あの山荘で何があったんだろう?」
「さあ、ただ女は自分の親しい友人に、彼氏の周りの女たちに嫉妬して、妄想する癖があって……苦しいと話していたようです」
 ベテラン刑事は煙草を深く吸いゆっくりと煙を吐く。
 部下の報告を聞きながら、紫煙のゆくえをぼんやり眺めていたが、ふと思い付いたように……。
「妄想?」
「はい、妄想癖が加害者の女にはあったようなんです」
「恋人の男は妄想で殺されたってわけか? あの女は狂っているようだなあ」
煙草を灰皿におしつけ消すと、ベテラン刑事は言い放った。
「精神鑑定。必要有りだな!」


 ――留置場の壁に向かって、ブツブツと女は呟やいている。
「……彼を殺したのは、わたしにそっくりな女で……真っ白な雪女なんです! 刑事さん、わたしが犯人じゃあないわ……」
 そうやって無実を訴える女。
 しかし、その眼は、もはや現実の世界を見てはいない。狂った雪女は、真っ白な雪原をただひとり彷徨っていく――。


― 了 ―


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カクヨム 
泡沫恋歌 『さつじん脳』


   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-01-26 09:56 | ミステリー小説

さつじん脳 ②

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死ねばいいと恨みますか?
さつじん脳にスイッチが入りました!



   第一話 スのつく危険なお仕事でーす! ②

 半年前、国立国会図書館の地下深くに密かに造られた諜報部員のオフィスに俺は居た。無人の部屋には大型のコンピューターが設置されて、俺はATMみたいな機械にIDカードを差し込んだ。すると青白い光が描きだす、ジェームス・ボンドの立体ホログラムが浮かび上がり、新しい任務について説明してくれた。
『ハロー、ミスター・ニンジャ』
 ニンジャというのが俺のコードネームだ。
『日本転覆を謀る、国際陰謀団が東京の某所に潜伏しているという情報が入った』
 イケメン男優スパイのホログラムがキザな格好で喋っているが、このキャスティングを考えた奴は相当イタイ人間だろう。
『国際陰謀団は中韓の手先だと思われる。マスコミを使った情報操作をおこない、原発問題や放射能や9条などでデマを流して、日本国民を混乱させようとしているのだ。放って置くと大変危険な活動家たちである。潜入捜査で、その活動を見張り、黒幕を暴き出し、状況判断によっては抹殺することも止む無し!』
 今回の任務は相当ハードそうだ。抹殺許可まで出ているとは侮れない敵とみた。
『すでに一名が潜入捜査に入っている。その者には君のことを知らせてある。――だが、君の方は最終段階まで仲間とのアクセスを禁止する。一時的に記憶喪失となって、某所での情報収集をやって貰うことになるだろう』
 日頃から、スパイは自分以外の仲間のことは何も知らされていない。もしも敵に捕まっても知らないのなら自白できないからだ。
『では、成功を祈る。ミスター・ニンジャ!』
 青白いホログラムのイケメンがニッと白い歯を見せて消えた。
 その映像を最後に、俺の記憶はプッツリと途絶えてしまった。たぶん、この後に麻酔銃を撃たれて、記憶にブロックを掛けてから、あの『サソリ荘』に放り込まれたのだろう。

 ――やっと、記憶が戻ってきたが、だが俺はハッキリと敵の正体が掴めていなかった。

 覚醒したばかりの俺は……ぼんやりしたまま椅子に座っていたが、その時、どこからか銃弾が飛んできた。ビックリして机を倒して楯にするが、見るとババアが教壇からこちらへ発砲しているではないか!? 
 日頃から、常軌を逸したババアとは思っていたが、まさか拳銃乱射犯になろうとは思ってもみなかった。
 そして、横を向いてもっと驚いた! あの気弱そうな苅野さんが銃で応戦している。

 いったい、どうなってるんだ!?

 果たして、俺の味方はどっちだ? ババアか苅野さんか? どっちが敵なんだぁー!? 
 この銃撃戦のさなか、丸腰の俺は100%不利じゃねぇーか!!
バーンと銃声が轟いて、ババアが倒れた。
 どうやら、苅野さんの銃弾を喰らったようだ。教壇の裏で倒れているババアの方へ、ゆっくりと歩いていく、どうやら止めを射すつもりらしい。
 それにしても苅野さんの銃の腕前は漫画家とは思えない。――いったい彼は何者なんだ!?

「糞ババア死ね……」

 腰を屈めてババアの心臓に銃口を向けた、その瞬間、教壇が倒れて苅野さんに直撃した。
 そして、ムクッと起き上がったゾンビババアが、
「ニンジャ、そいつが黒幕だよ! 早く殺っちまいなっ!」
 そういって、リボルバーをこっちへ投げて寄こした。
 キャッチした俺は、無言で苅野玄のコメカミに弾丸を撃ち込んだ。
 もんどり打って倒れた彼は息絶えた――。
 
 俺のコードネーム・ニンジャを知っているということは……先に潜入捜査に入っている仲間というのが、もしかして、この大家のババアのことだったのか――。
「大家さん大丈夫か?」
「ああ、防弾チョッキ着ててよかった」
「まさか、あの苅野さんが黒幕だったなんて……」
 見るからにショボイ中年男だった。
「おまえがグズグズしてるから、アタシの命が危険に晒されたじゃないか」
「……先に、潜入捜査に入っている俺の仲間って大家さんだったんですか?」
「そうだよ。潜入というか。アタシのアパートに奴らを住まわせて見張ってたんだよ」
「俺が見た感じ、目立った動きがなかったようだったが……」
「おまえの目は節穴かよっ!?」
 大声で怒鳴られた。
「苅野がサソリ荘に住むようになって、うちの店子が胡散臭い奴らばかりになった。怪しい宗教で若者を洗脳したり、国籍不明の密入国者たち。善良な市民を脅すヤクザと外国からの出稼ぎ売春婦とか……アイツは中韓から資金を貰って、日本を卑しめるプロパガンダをマスコミを使ってやってたんだ。日頃、気弱なオヤジを演じているから、みんな騙されてたのさ」

 ――そうだったのか。苅野さんの好人物ぶりに俺も騙されていた。

「そこまで調査が進んでるなら……俺の任務って……意味ないじゃん」
「バカだねぇー、ニンジャは苅野の目を眩ますためのダミーだよ。自分の部屋の隣に怪しい人物が住んでいると、そっちの方に気を取られて……アタシにはボロを出すために仕向けたのさ」
「俺ってダミーだったんですか?」
 この半年は任務は何だったんだと心底落ち込む――俺だった。
「見張られていたのはおまえの方さ、今日も尾行されてたの気づいてないだろ?」
「…………はぁ」
 ――もう言葉がない、俺はスパイ失格だ。新しい仕事をハローワークで探そうかな。
「一年前からアパートを購入して、大家に成りすまして、こっちは罠を張ってたんだよ。いきなり現れたおまえに、苅野は神経を尖らせていたさ。ラーメンに仕込んだ睡眠薬でおまえを眠らせて、自白させようとしたが『サソリ荘』以前の記憶がない……奴は焦ってたね」
「そりゃあ~記憶をブロックしてたから……」
「ついに行動にでたのさ。おまえの正体を知ろうと、この部屋に呼び寄せて探るつもりが自分自身がボロを出しちまった」
「ボロ?」
「“私が愛したスパイ”というキーワードで、おまえの記憶ブロックを解除した。しかも苅野が中韓から指令された、任務こそが“私が愛したスパイ作戦”だったのさ、だから計画がバレたと過剰反応して、先に銃を撃ってきたのはアイツの方なのさ」
「――そうだったのか!」
苅野さんの豹変振りにはマジで驚いた。
「まさかアパートまで罠だったとは……」
「情報収集しながら家賃も稼げる、こんな美味しい仕事はないよ」
 カカカッと威勢よくババアが笑う。

「いったいスパイと大家さん、どっちが本業ですか?」
「スパイはアルバイトさ。アタシはCIAのスパイと結婚してたんだ。アメリカでは旦那と一緒に諜報活動やってたよ。その旦那が亡くなったんで日本に舞い戻ってきたけど、スパイの腕を買われてね。時々、内閣情報調査室から仕事の依頼がくるんだよ」
「大家さんってすごい人なんですね」
 CIAで活動してたなんて、映画に出てくるようなスパイじゃん。
「おまえのさぁー、その表情が……」
「へ?」
「ブラック企業で働いてる従業員みたいで、慢性的な疲労感を湛えた表情がいいんだよ」
 それって、褒めてるつもり? 失礼なババアめ!
「スパイは目立っちゃダメなのさ。かっこ良くて女にモテるなんて……007が創った幻想で現実はそうじゃない」
「だから、俺のコードネームが“忍者”で目立たないように……」
 ババアの説明に納得させられた。
「アタシのコードネームはレディーだよ。これから任務の時はレディーとお呼び!」
 こんな皺くちゃババアに“レディー”なんて……俺は絶句していた。

「任務終了! やっと自分の顔に戻れるわ」 
 そう言うとババアは、まるでパックを剥がすように顔の皮膚をペリペリと捲っている。白髪交じりのカツラを外したら、新しい顔がでてきた。
「アメリカでは特殊メイクと演技の研究もしてたの。私は変装が得意なのよ」
 大家のババアこと“レディー”変装を外したら、なんと三十代の美しい女性の素顔が現れた。そして年寄りの嗄れ声から、優しいトーンの声に変わっていた。
「これが君の素顔だったんだね」
 眩しいほどに魅力的な彼女に、俺の目は釘付けになった。
「コードネーム・ニンジャ、潜入捜査は大成功よ!」 
「国際陰謀団の黒幕は苅野玄だった。レディー、君のお手柄だ!」 
 長い潜入捜査から解放された、二人のスパイは抱き合って任務完了を喜んだ。
 大家のババアの演技にすっかり騙されていた、こんな美しい素顔が隠されていたなんて想像もできなかった。

 ――美女スパイの虜になった俺は、やっぱりスパイ失格かなぁ~?


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カクヨム 
泡沫恋歌 『さつじん脳』


   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-01-25 11:17 | ミステリー小説

さつじん脳 ①

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死ねばいいと恨みますか?
さつじん脳にスイッチが入りました!

 

   第一話 スのつく危険なお仕事でーす! ①

「なんじゃあーこりゃあ!?」
 自分の目を疑い、瞼を擦って、もう一度その文字を見なおした。

『スパイ急募』

 俺は今、ハローワークの中にあるパソコン求人検索ルームに居る。
 希望する条件をパソコンで検索してくださいと、ハローワークの職員に言われて、入力した条件に合致した職業が、まさかの『スパイ』だった。

 今朝、ボロアパートの六畳一間の部屋で寝ていたら、突然、大家のババアに乱入された。
「いつまで寝てんだい? このろくでなし!」
 枕を蹴飛ばされて、ビックリして飛び起きた。
「家賃を払わんか! 三ヶ月も溜まってんだ」
 八十近いババアが大声で騒ぎ立てるが、無一文の俺には払えない。
「なんで働かないんだよ。今すぐ職業安定所で仕事みつけてこいや!」
 もの凄い剣幕に圧倒されて、アパートを飛び出しハローワークにやってきた。
 学歴なし、資格なし、高給希望で仕事を探していたら、検索でなんと『スパイ』が引っ掛かった。PC画面の雇用条件を読んでみる。
 年齢学歴経験不問、未経験者の方には親切に指導します。各種保険あり、時給5000円(危険手当あり)、支度金10万円。
 おおっ! 時給5000円とはすごい! けど時給? スパイなのにタイムカード押すのか? しかも10万円の支度金が貰えるなんて好待遇だよ。
 それにしても、今どきは人出不足だからスパイだってハローワークで求人するんだ。半信半疑ながらもカウンターで、この職業をいったら職員は別に驚く風もなく、面接場所を書いたメモを渡してくれた。

 メモに書いてあった場所は薄汚い雑居ビルの七階だった。
 ドアプレートには『人材開発プロジェクト』と書いてあるが、胡散臭い雰囲気が漂っている。普通の人間なら、ここでUターンして帰るところだが、生活が貧窮している俺は躊躇する余裕などない。ノックをして中に入っていった。
 室内は二十畳くらいはあるだろうか? 白い壁とリノリュームの床、正面にホワイトボードと教壇があり、手前には長机とパイプ椅子が二脚、その椅子の一つに男が座っていた。
 後ろ向きで顔は見えないが、後頭部の禿げ具合に見覚えがあった。
「やあ!」
 振り向いた男の顔を見て驚いた。
 俺の部屋の隣に住む、苅野玄(かりの げん)という売れない漫画家だった。
「どうして苅野さんが?」
「家賃が溜まってて、大家のばあさんにハローワークにいけと言われて、ここを紹介されたんだ」
 苅野さんは若い頃は売れっ子漫画家だったらしいが、落ちぶれて妻子に逃げられた中年男なのだ。最近では漫画の原稿依頼もなく相当貧窮している様子だった。

 俺たちの住むアパート『サソリ荘』は硝子戸を開けて玄関に入ると、下駄箱があり、そこで靴を脱いで、スリッパに履き替えてから上がるのだ。
 中央廊下を挟んで六畳一間の部屋の扉が並んでいる。アメニティーは共同便所、共同炊事場のとなりに食堂があって四人掛けテーブルが二卓置いてある。
 風呂はなく、シャワーなら一回(15分間)百円で大家に頼めば使わせて貰える。
 しかも各部屋に鍵が付いていないので、今朝のように、大家のババアに勝手に入って来られる。プライバシーなんてものはなく、寮みたいな建屋で築五十年は経っているだろう。
 家賃は光熱費込みで、1万2千円だから……まあ、かなり破格の安さかもしれない。
 地域でも有名なボロアパート、この『サソリ荘』には変わった住人が多い。
 二階建てのアパートの一階には大家の自宅と俺と苅野さんが住んでいる。二階の住人たちは出入りの激しい外国人労働者たちやカルト教団の信者、風俗の女と刺青の入ったヤクザが居る。
 怖ろしくヤバイ雰囲気なのだが……なぜか、みんな大家のババアには絶対服従でトラブルもなく過ごしている。

「僕も大家さんにドヤされてきました」
「ほぁ、鈴木君もかね。あの因業ババアには誰も敵わないよ」
「あの迫力には逆らえません」
「うむ」
 苅野さんが大きく頷いた。
 気弱そうな彼は、大家のババアによく怒鳴られているのを目撃する。
たぶん、借金でもあるのだろうか? アパートの溝掃除や庭の草取りなんかを時々やらされている。
 共同炊事場でかちあったら、俺がモヤシを苅野さんは玉子を分け合ってラーメンを作る。そして食堂のテーブルで世間話をしながら一緒に食べる。ババアの経営する『サソリ荘』は、苅野さんや俺みたいな社会からブロックアウトされた孤独な人間には、まんざら住み心地が悪くもない。
 不思議なことに、ボロアパートに住む以前の俺の記憶がない――。
 いつの頃からか、アパートの部屋で仕事もしないで暮らしていたが、この鈴木という名前も部屋の表札に貼られたもので、本当の名前なのかどうかも分からない。
 ずっと無職の俺が飢え死にしないでやっていけてるのも不思議だ。
 まあ、俺自身が謎の人物だし、そんな人間をスパイを選ぶなんて滑稽なのだが、しかも同じ日に同じアパートの住人が、同じ仕事(スパイ)を面接にくるなんて、あまりに偶然過ぎる。 

「揃ったところで面接やるよ!」
 入ってきた面接官を見て、俺も苅野さんも椅子から転げ落ちそうになった。
 なんと、そいつは大家のババアだった! これはもう偶然といえないレベルの不自然さだろう。
「おまえたちが家賃を払わないから、アタシもアルバイトやってんだ」
 さも当然という顔つきで、この不条理を簡単に説明された。
「まず、健康診断だよ」
 自己申告の身長と体重を書類に記入、片目を瞑って、ポスターの文字を2つ3つ答えたら、それで視力検査は終了だった。
 いい加減な健康診断だ! 待てよ、視力検査だけで健康診断といえるのかあ?

「次は体力測定」
 俺と苅野さんでペアを組む、一人が上体を前にかがめて両手で自らの両足首あるいは膝を掴んで支持し、もう一人がそれを開脚しながら跳び越える馬跳び(うまとび)を、お互い馬と飛び手になって交互に10回くらいやった。
 日頃の運動不足でゼェゼェ……と息を切らしてしまった俺だが、ババアは「足腰は大丈夫そうだから合格!」と軽くOKサインだ。
 危険な任務をこなすはずのスパイが、馬跳びだけで合否を判断するなんて信じられない。

「筆記テストいくよ」
 ――が、そういう疑問を考える隙を与えず、テスト用紙が配られた。
 問題は三つだけ。Q1. 円周率を答えよ。Q2. 脱原発に賛成・反対・分からない、三つの選択肢。
 俺は円周率は3.14と書き、脱原発は分からないと答えた。隣の苅野さんのテスト用紙を覗いたら脱原発賛成を大きくマルで囲んでいた。
 そして最後の問題がまったく意味不明なのだ。

 Q3. 私が愛した【 す 】の付くものなぁに? 

 1. 酢昆布 2. すっとこどっこい 3. スパイ

 なんじゃあーこりゃあ!? 私が愛した酢昆布、これはないなぁー。私が愛したすっとこどっこい、意味分からん……?

 私が愛したスパイ 
 私が愛したスパイ?
 私が愛したスパイ!!

 その言葉のせいで、突然なにか弾けた。
 俺の頭の中に記憶が流れ込んでくる。『私が愛したスパイ』それは記憶の封印を解くためのキーワードだった。


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カクヨム 
泡沫恋歌 『さつじん脳』


   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-01-25 10:40 | ミステリー小説

饒舌なる死者 最終話

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「会社の者ですが、急な出張で迎えに来られなくなったので、私が代わりに来ましたと流暢な英語で話し掛けたらさ、すっかり信用して車に乗ってきたよ」
「な、なぜだ!? ナオミには関係ないだろう? どうして、どうして彼女を……」
「おまえと結婚しようとするから、天罰が下ったんだよ!」
 婚約者のナオミが殺されてしまった! 俺の想い描いたアメリカンドリームがガラガラと音を発てて崩れていく――。ショックのあまり眩暈がしそうになった。
「おまえは由利亜と永遠の愛を誓ったんだ。それは由利亜が死んでも変わらない。あのペアリングを嵌めた日から運命は決まっていた。あたしと由利亜の最後の電話で、おまえを誰とも結婚させないでと懇願された。――ずっと、由利亜のその言葉を守ってきたんだよ」
 死んでも他の女に盗られたくないというのか。凄まじいほどの俺への執着心だ。
「おまえは狂ってる! 死んだ人間との約束で、生きてる人間を殺してもいいのか!?」
「あたしにとって、由利亜の意思は絶対なんだ!」
「――おまえも古賀も俺に復讐するために生きてきたのか?」
「古賀君は由利亜が自殺した原因は自分にもあるんじゃないかと、ずっと苦しんでいたんだ。死にたいという彼を……今死んでも犬死にだから、あたしがいいというまで死ぬなと言い聞かせてきたんだ。あの男は写真は撮ったけれど、由利亜に指一本触れてないよ。あたしらにとって由利亜は神聖な存在なんだ!」
「俺が悪かった。もう……もう許してくれ……頼む……」
 珠美の前で土下座して謝った。
「見苦しい奴め! 今さら謝っても遅いよ」
「命だけは助けてくれ! まだ死にたくない!」
 冷静さを失った俺は、子どものように泣き喚いていた。
「もう終わりだよ――。あたしも、おまえも……いずれ死ぬのだから」
 そう言って、珠美は大声で笑った。
「……どういう意味だ?」
「あたしは病気になった。だから、おまえも道連れにする」
 その後、珠美の口から病名を聞かされた。それは性交渉によって感染する、あの病気――。ヒト免疫不全ウイルスHIV感染、頭の中がパニックになった。
「おまえの背中の爪跡に、あたしの血をたっぷりと塗り込んでやった!」

「チクショウ―――!!」
 俺は珠美に飛びかかって彼女を殴っていた。何発か弾を撃ち込まれたが、それでも殴り続けた。今まで女を殴ったことなどなかったが、これは怒りでもない。憎しみでもない。
 ――恐怖だった。この女は化物なんだ。今、殺さないとこの俺が殺される!
 珠美は銃弾が無くなると俺の腕に噛みついた。肉を喰い千切る凄まじさで、引き離そうと顔を拳で何発も殴ったら歯が折れて、俺の腕に刺さっていた。飛び散った珠美の血が眼にも入った。   
 珠美は顔から血を流しながら激しく抵抗していた。
 ついに身体に銃弾を浴びた俺は力尽きて倒れた。薄れゆく意識の中で聴いた、珠美の最後の言葉は――。
「由利亜があの世で私たちを待っている……」

 

 銃声を聴き付けたホテルの従業員によって救急車が呼ばれ、警察に通報された。
 修羅場と化したホテルの部屋には血まみれの男女が倒れていた。何発か弾丸を撃ち込まれた俺は病院に運ばれたが、急所を外れていたお陰で命が助かった。珠美も俺に殴られて血まみれだったが命には別条無しだった。
 一見、ホテルでの痴情のもつれかと思われた事件が、その後の調べで日系米国人ナオミ・ミヤシタ殺害犯人だと分かった。
 空港内の監視カメラには、珠美とナオミが一緒に歩いている画像が何枚も映っており事件への関与が疑われていたが、警察の取り調べに対して、珠美は黙秘権を行使して、ひと言も喋らなかったという。
 サンフランシスコに居た珠美は、ギャングの溜まり場テンダーロインでギャングの情婦だった。ドラッグの運び屋として国際手配されている犯罪者であった。

 その後、事件の解明を見ずに朱美は留置所で病死した。病名はたぶん……俺に告げた、あの病気だろうか。
 ――朱美が死んだと聞いた俺は、いよいよ『死へのカウントダウン』が始まったと思った。恐怖心から病院へ診察に行くことさえ躊躇した。

 そして、数ヶ月後に俺は発症していた。
 現在の医学では治せない難病……今は病院のベッドから起き上がることもできない状態になった。――あいつらに復讐されて、ゆっくりと俺は死んで逝く運命なのだ。



 由利亜が死んで十年経っても、珠美も古賀もその亡霊に縛られて生きてきた。
 あの日、俺に渡したシルバーリングに刻まれた言葉、『love is eternity』それを貫徹させるために、他の女と俺が結婚することを絶対に許さない。――その由利亜の意思を二人は守っていたのだ。
 俺が邪慳に扱って捨てた女だったが、その影響力は凄まじいものだった。
 まさか、十年後に、由利亜を『女神』と崇める二人の人物から、こんな形で復讐されるとは思ってもみなかった。
 
「死人に口無し」ということわざがあるが、あれは嘘だった。――死人ほど饒舌な者はいない。
 死して、なお人の心をコントロールできる死者がいるという事実なのである。
 最後に、この手記を書き残すことで、俺は「饒舌なる死者」となる。ここに書かれてあることが真実か嘘かは読む人の判断に委ねよう。

 これは死に逝く者の、最後の足掻きというべきダイイング・メッセージなのだ――。


― 完 ―




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世界平和記念聖堂のマリア像の壁紙からお借りしました。http://hiroshima.catholic.jp/~pcaph/cathedral/ja/?p=69

                
   創作小説・詩
by utakatarennka | 2013-12-19 20:46 | ミステリー小説

饒舌なる死者 ⑩

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「今すぐ、おまえを殺してもいいんだよ。だけど、簡単に殺すのは惜しいほど憎んでいるから、震えながら話を聴いて貰おうか」
 凄身のある声でゆっくりと珠美が喋る。銃口を向けられた俺は硬直して動けない。
「由利亜が電車に飛び込む、数分前、あたしに電話があったんだよ。それは死を臨んだ由利亜のダイイング・メッセージだった。最後に由利亜とあたしは大事な約束したんだ。――その約束がなかったら、おまえを殺して、あたしは由利亜の後を追っていただろう」
 約束って? 由利亜は珠美にいったい何を託したんだ。
「あたしは由利亜との約束を守るためにお金と自由が必要だった。そのために、まず、自分の父親を殺したのさ。吞んだくれのろくでもない奴だった。女房に家出されて、娘が成長したら性的関係を強要するような変態オヤジだった。泥酔状態で風呂に浸かっているところを湯船に沈めて溺死させてやった。日頃から、酒浸りだったので事故死ということで簡単に片付けられた。父親の保険金を持って、東京にいるおまえを追い掛けた」
 父親を殺したという珠美の告白に、俺は震えあがった。

「東京に行ってからは、おまえの大学やマンションの近くの喫茶店やコンビニで働きながら見張っていたんだよ。大学三年の時に同棲していただろう? あたしが居るコンビニへ女とよく買い物に来てたし、調べたら、おまえと結婚するとか女が言い触らしていたよ。――ウザイので片付けてやったよ」
 最後のひと言で、同棲していた彼女の死が事故死ではなく、珠美に殺されたのだと理解した。
 ずっと俺は珠美に見張られていたことに驚いたが、しかし、こんな美人のコンビニ店員が居たら、この俺が気づかない訳がない。たぶん、今の顔や容姿は美容整形などによって創り変えられたものだろう。
「おまえのババア相手の怪しいバイトも知ってるさ。中年の人妻とセックスして銭を稼いでいただろう。まあ、おまえの特技といえばそれだけだから……。由利亜とあたしは中学からレズだったんだ。彼女の家に泊りにいくといつも抱き合って一緒に寝ていた。――だから、あたしは男に抱かれても感じない。今でも、オナニーでないとオーガズムに達することができない。由利亜じゃないとダメなんだ!」
 珠美と由利亜はレズビアンだったとは!?
 そう言えば、処女だった由利亜の肉体が予想以上に早く開発されたのは、そういう下地があったからなのか……。元々、由利亜はセックスに依存するタイプだったのかも知れないと、俺は今わかった。
 珠美は不感症!? じゃあ、あの嬌態は演技だったというのか。

「企業に勤めたおまえがサンフランシスコに転勤になった時、あたしも付いて行ったよ。向うでは、テンダーロイン周辺の通りで夜の街に立っていたんだ。その内、ギャングの女になってさ、いろいろヤバイことにも手を染めたけれど……おまえを見張ることだけは止めなかった」
 そう言ってニンマリと笑った。
 俺はずっと珠美にロックオンされた状態だったのか!? 気づなかったとはいえ、考えてみれば……背筋が寒くなるほど怖ろしいことだった。
 しかも、ギャングの情婦だったとは……。
「サンフランシスコで、日系人の弁護士と知り合っただろう? 名前はナオミ・ミヤシタ、親は大金持ちだ。彼女は今日、日本に来る予定だったね。おまえの代わりにあたしが空港まで迎えに行ってやったよ」
 ちょっと待て! ナオミは来日が遅れるとメールで言ってきた筈だ!?
 俺は血の気が引くような……不安に襲われた。
「前にホテルで、おまえの携帯のメールアドレスを書き変えて、ナオミのメールが届かないようにして置いた。同時に、ナオミには携帯が故障したので新しいアドレスにメールを送るように指示したのさ。『急な仕事で来日予定が少し遅れます。忙しいので連絡しないでください』というナオミのメールはあたしが送ったんだ。そしておまえに成りすまして、ナオミとメールのやり取りをしていた」
 シャワー浴びている間に、俺の携帯にそんな細工をしていたとは……なんて狡猾な女だ。
「まさか、まさかナオミを……」
 うろたえる俺を見て、薄笑いを浮かべた珠美は、
「そろそろニュースになっている頃かも知れない」
 リモコンでテレビをつけた。

『八時のニュースをお伝えします。千葉県佐倉市にある印旛沼の遊歩道に停まっていた乗用車の中で若い女性が死んでいると歩行者からの通報がありました。女性は頭部を拳銃で撃たれて、すでに死亡しており、車は盗難車でした。警察では被害者の身元と目撃者を探しています』

 このニュースが流れた瞬間、俺の膝がガクガクと震えた。頭を撃ち抜かれたナオミのイメージが頭の中に広がっていく――。




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「石膏の天使の翼」からお借りしました。http://www.antiquestruffle.com/a&c/na1210.htm


   創作小説・詩
by utakatarennka | 2013-12-17 07:34 | ミステリー小説