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カテゴリ:恋愛小説( 52 )

寿司を喰う女 ⑤

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写真は回転寿司スシローにて撮影したものです。


   寿司を喰う女 ⑤

 俺の目の前にともこが座っている、テーブルを挟んでも近い距離だ。
 彼女は伏せ目がちで黙り込んでいる、もしかして怒っているのかな? 何か話しかけないと……気まずい空気が流れている。俺は緊張して上手く言葉がでてこなかった。
 さっき、強引に誘ったことをともこに謝ろうと思いながら、それも見苦しいからと毅然とした態度でいようと思い返す。
 店員がおしぼりと水を持ってきて、注文が決まったら呼び鈴を押してくれといったので、メニューを渡して注文を選ばせようとしていたが、ともこはざっと見てから「あなたの好きなものを頼んでください。私は好き嫌いがありません」と言ったので、刺身の盛り合わせと焼き鳥、唐揚げ、肉じゃが、サラダなど無難そうなものを五品と生中を注文した。

 やっと場の雰囲気に馴染んで、料理がくるまで軽い会話を楽しむ。
「この店は地元でも美味しいと評判の居酒屋なんですよ」
 さも、この店に何度も来ているような口ぶりで話す。
「素敵なお店ね。こういうところにくるのはずいぶん久しぶりだわ」
 店内を見回しながら、ともこが言う。
「実は俺も、こんなところに女性を誘うのは何年か振りです」
「そうなの? 私で良かったの?」
「この土地にきて、まだ一年も経たないし、あなたしか知り合いの女性がいません」
「私もこの街にきて半年くらい。知り合いはお弁当屋のおばさんと……」
 言いかけて、僕の方を見て黙ってしまった。
 その後の会話の口ぶりから、ともこは他所から流れてきて一人で暮らしているようだった。僕らはお互い孤独だということは確かなようだ――。もう結婚も女も懲り懲りだと思っていたのに……どこか自分と同じ孤独な匂いがする、ともこのことが気になって仕方ないのだ。
「あのう、あなたの名前を教えてくれませんか?」
「えっ?」
 きょとんとした顔でともこが俺を見た。
 食事に誘って置きながら、お互いの名前も知らないなんて不自然だ。
「俺は千葉聡史(ちば さとし)といいます。この近くのビルで輸入雑貨の仕事をやっています」
「……私は鈴木ともこ。平凡な名前でしょう?」
 そういうと薄く笑った。
 その時、初めて名前を知ったのだが“鈴木ともこ”というのは、目立たないようにしている彼女の印象にぴったりだと感じた。
 名前を知ったことで、二人との距離が縮まったような気がしたのは俺だけだろうか? 

「このお刺身、新鮮で美味しい」
 鰤の刺し身を箸で挟んで口に運ぶ、きれいな箸使いだ。寿司屋のカウンターでは見れない、ともこのしぐさが見られて嬉しい気分になる。
 そういえば、前の妻は箸の持ち方がめちゃくちゃだった。一緒に食事をしていて、それ気になった、何度も直すように注意したが、逆切れされて利かなかった。愛情が冷めてきてからは一緒に食事をするのさえ、嫌悪感を覚えたくらいだ。
 生中で乾杯した後、日本酒に替えた。
 俺のお猪口には絶妙のタイミングで酒が注がれている、サラダを取り分けてあるし、小皿に刺し身用の醤油が入っている。気づかないうちに、俺のためにともこがやってくれていた。――こんな気配りの利く女性だったら、幸せな結婚生活が送れたかもしれないなあ……そんな思いが湧きあがってくる。前の結婚で得れなかった家庭的な雰囲気を、俺はともこに求めていたのだろうか。

 瑠庵のメニューには酒の肴がいろいろと揃っている、白子ぽん酢と豆腐とえびの茶巾蒸しが食べたいと、ともこがいうので追加注文した。
「和食が好きなんですか?」
 旨そうに食べているともこにそう訊くと、一瞬、箸を止めて、茫然とした。
「……和食好きなのに、なんで選ばなかったんだろう」
 遠い目をして、意味深なことを言う。
「選ばなかったって?」
「フランス料理だったの」
「えっ?」
 その後、ともこは自分のことを話し始めた。
 大学卒業後、調理師専門学校で料理を学び、都内のホテルの厨房に就職したという。そのホテルは誰でも知っている一流ホテルだった。寿司職人だった祖父に憧れて、本当は板前になりたかったけれど、女には無理だと祖父にいわれたので板前を諦めて、フランス料理の道を選んだというのだ。
 大学を卒業して、調理師専門学校でフランス料理を勉強して、一流ホテルに就職したような人が、なぜ、こんな地方都市の片隅の弁当屋で働いているのだろうか? 喉まで出かかった疑問を俺はグッと吞みこんだ。おそらく、それは……人には言えない複雑な事情があるかもしれない、それは容易には聞き出せない話だろうと直感したからだ。
 その後、二人は黙々とお酒を飲んだ。久々に酒の友がいて楽しい、ともこが二合、俺は三合も飲んだら、結構、酔いがまわってきた。
 店を出る直前、ともこに携帯電話の番号を聞いたら、「私はどこにも留まることのできない人間だから……誰かと繋がりを持つことは避けたいのです」そういって断られてしまったが、「何か困ったことがあれば連絡ください」自分の携帯電話を書いた紙をともこの手に握らせた。どうにか彼女との繋がりを持ちたいと俺は必死だった。



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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-10-19 16:37 | 恋愛小説

寿司を喰う女 ④

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写真は回転寿司スシローにて撮影したものです。


   寿司を喰う女 ④

 週末、いつもの回転寿司で鈴木ともこと会った。
 俺は少し早くきて、店の入口でともこが現れるのを待っていたのだ。
 彼女は黒っぽいカーディガンに白いブラウス、紺のフレアースカートとローヒール、いつもの目立たない地味な服装で現れた。軽く会釈をして店内に入ろうとするともこの腕を掴んで止めた、彼女は振り向き驚いた顔で俺を見た。
「今日は寿司じゃなくて、他のものを食べにいきませんか?」
 少し怒ったような緊張した面持ちで話しかけた。
「他のものって?」
「この近くに洒落た居酒屋があるんです。一緒にいきませんか?」
「居酒屋って……」
「お酒はダメなんですか? じゃあ食事だけでも」
「いいえ、お酒は飲めますが……私、こんな格好だし……」
「そんな堅苦しいお店じゃないんです」
「ええ、でも……」
「あ、そのう、こないだの唐揚げ弁当がすっごく美味しかったから、お礼がしたい!」
 苦し紛れに適当な理由をつけた。
 実際、ともこが働く『お多福』の唐揚げ弁当は美味かった。あの後、二度ほどお多福の弁当を買いに行ったが、カウンターの上に弁当を置く、ともこの手しか見れなかった。
「お弁当作りは私の仕事だからお礼なんていいんです。どうか、気にかけないでください」
 そういって店内に入ろうとドアの取っ手を握ったともこの背中に向って叫んだ。
「違うんだ! 君と一緒に食事がしたい」
 その言葉にゆっくりと振り返り、ともこはまじまじと俺の顔を見る。
「……からかってるの?」
「違うよ。いつも一人で夕飯食べてるから君に付き合って欲しいんだ」
「でも……」
 ともこは俯いて、靴の爪先を眺めながら迷っている様子だった。
「行こう!」
 躊躇しているともこの腕を掴んで俺は歩き出した。結局、勢いに圧されて彼女はついてきた。少々強引なやり方だがこうでもしないと、ともこを誘えない気がしたから――。

 回転寿司から歩いて五分ほどの場所に、今夜行く予定の居酒屋がある。そこに着くまで、二人は無言で歩いた。強引に誘って置きながら、俺は少し後悔していたのだ。
 実際、ともこのことは何も知らない、名前も知らなかったし、寿司が好きなこととお多福で働いていること以外、何も彼女の情報を持っていない。もしかしたら、結婚しているかもしれないし、子どもがいるかもしれない。そんな女性だったら、こんな風に誘ったら迷惑ではないか。しかし、週末に一人で回転寿司のカウンターで寿司を食べている彼女に、そういう家庭的なものは微塵も感じられない。
 俺と同じに何処からか流れてきて、この土地で暮らしているようにしか見えない。――あくまで俺の推察に過ぎないのだが……俺と同じ他所者の匂いが、ともこから漂ってくるのだ。

 居酒屋『瑠庵(るあん)』は、黒壁漆喰作りのモダンな日本家屋、創作料理が売りで地元の若者に人気のお店だと、地元民の寺田さんから聞いてきた。昨日、下見を兼ねて一人で来店して料理を食べたが、和洋折衷で手の込んだメニューばかりだった。ここなら彼女も気に入るだろうと一人合点して『瑠庵』に決めたのだ。
 週末ということもあって、店内は席待ちの客が数組いたが、昨日きた時に予約を入れて置いたので、すんなりと席へ案内して貰えた。隣とは大きな間仕切りで隔ててある個室風の四人掛けの席で、ここなら人目を気にせずゆっくりと食事ができる。
 いつもの回転寿司のカウンターでは、横並びに座っていたが、今日初めてともこと向い合って座った。



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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-10-19 14:23 | 恋愛小説

寿司を喰う女 ③

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写真は回転寿司スシローにて撮影したものです。


   寿司を喰う女 ③

 俺の住居である、この事務所では自炊はいっさいやらない。
 たまにカップ麺のお湯を沸かすくらいで、ほとんど外食かコンビニ弁当にしている。立派なキッチンがあるのだが、ここで食事を作ったら公私の区別がつかなくなるし、所帯じみてくるのが嫌だった。絶望的な結婚生活を体験した俺は、家庭的なものに対してことさら反抗的だった。
 時々、パートの寺田さんが自分のお弁当と一緒に俺の分も作ってくれたことがあったが、丁重にお断りした。手作り弁当とか家庭料理とか……そんなものはこれからの俺の人生には無縁だと思っている。寺田さんはいい人だけど、人から干渉されるのも嫌だし、彼女の好意に甘えたくないと思う自分がいる。
 お昼になると近所のコンビニに弁当を買いに行くのが日課だが、さすがに毎度メニューを替えてもコンビニ弁当には飽き飽きしてきた。コンビニ弁当ばかり食べている俺のことを心配してか、寺田さんが手作り弁当の店を紹介してくれた。ここから歩いて十五分くらいのところに、その弁当屋があるらしい。
 今日は納品もないので暇だし、ぶらぶら歩いて弁当でも買いにいこうと思い立った。

 ごく普通の住宅地の中に、そのお弁当屋はあった。
 寺田さんに書いてもらったメモ書きの地図はかなりアバウトで、少し入り組んだ目立たない場所にあったので、俺は道に迷ってしまった。犬の散歩させていた老人に店の名前を言って訊いたら、こっちこっちとわざわざ案内してくれた。安くて量が多くて美味しいと近所では評判のお店だった。
 手作り弁当の店『お多福(おたふく)』は、民家の一階を改造して店舗にしている。弁当を受け渡しするカウンターと出来上がりを待っているお客用の長椅子があるだけのこじんまりしたお店だった。弁当のメニューもそう多くはないが、写真を見る限りどれも美味しそうだ。
 厨房から「いらっしゃい」と、おばさんが出てきた。
「ご注文は?」
 と訊かれて、とっさに唐揚げ弁当と答えた。
「お客さんは初めての人かい? うちは常連さんが多いからね」
 弁当屋のおばさんが俺の顔を見てそんなことをいう。
「ええ、まあ……」
「一人暮らし? うちのお弁当は独身向けに栄養のバランスを考えて、野菜や煮物も多く入れてるんだよ」
「そうですか」
「この近所に住んでるの? おふくろの味が売りのお弁当屋だから、どうぞご贔屓に」
「はあ……」
 曖昧に答える。
 あれこれとおばさんが話しかけてくる。
 悪気はないのだろうけど詮索されているようであまりいい気がしない。長椅子に腰かけて弁当が出来上がるまで、手持ち無沙汰だからスマホを弄りながら待っている。
 しばらくすると、「お待ち!」と声がして、暖簾の奥から若い女が顔を出し、カウンターの上に弁当を置いた。その顔を見た瞬間、「あっ」と声が出た、鈴木ともこだ。いつも回転寿司で会う、鈴木ともこがここで働いていたなんて……俺の方に気付いて、ともこは驚いた顔をしたが、軽く会釈をして厨房に引っ込んだ。
 実のところ、この時点では鈴木ともこという、彼女の名前をまだ知らなかった――。
 唐揚げ弁当を受け取って帰る途中、あの弁当屋はおばさんがウザイから止めようかと思ったけれど、鈴木ともこがあそこで働いているなら、また行こうと思った。
 この唐揚げ弁当も彼女が作ったものだと思うと、なぜか胸が高鳴る。



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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-10-10 19:57 | 恋愛小説

寿司を喰う女 ②

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写真は回転寿司スシローにて撮影したものです。


   寿司を喰う女 ②

 いつものように回転寿司のカウンターに座っていると、鈴木ともこが隣に座った。
 ここで顔見知りになった我々は軽く会釈をした。今日も百円皿の寿司ばかり食べている彼女に……思い切って俺は、中トロ、大トロ、赤身鮪など六貫盛り合わせた特選寿司の鮪盛りを勧めた。
 「二皿頼んだので、もし良かったら食べてください」
 いきなり特選寿司の大皿を目の前に置かれて、ともこは目を丸くしていた。
「どうか遠慮しないでください。間違って二つ注文したんですから……」
 カウンターの上のタッチパネルを押し間違えたと言い訳したが、スマートな勧め方ではないことは自分でも分かっている。そんなベタな嘘をついてでも、ともこに旨い寿司を食べたさたいという衝動を抑えられなかった。
「いいんですか?」
「どうぞ、どうぞ」
 俺は愛想笑いを作って勧める。
「……実はこれ食べてみたかったんです。一回のお寿司代は八百円までって決めてるんで注文できなかった」
「そうでしたか」
 特選寿司の鮪盛りは九百八十円プラス消費税なので、彼女の予算を越えてしまう。
「じゃあ、お言葉に甘えて、いただきまーす」
 そういって、寿司を口に運んだ。
「あら、美味しい! ほっぺが笑っちゃう」
 ほっぺを両手で押さえて、お茶目な風にそういう。
「それって? ほっぺが落ちるんじゃなくて……?」
「ええ、嬉しくてほっぺがひとりでに緩んでくるんです」
 ともこの笑顔は子どものように無邪気で可愛いかった。
「寿司が好きなんですね」
「母方の実家が寿司屋だったんです。小さい頃、お店に行くとカウンターの中で注文した、お寿司をお祖父ちゃんが握って食べさせてくれたんです。とっても美味しくて……今も忘れられない味なの」
「個人経営の寿司屋さんは少なくなりましたね」
「お祖父ちゃんのお店も今はありません」
「それは寂しいですね」
 しょんぼりと項くともこ。
「最近は回転寿司ばかり……。けれど、お寿司が安くで食べられるので助かります」
「同感です!」
 こうして、ともこと俺の話の糸口が結ばれた。
 旨そうに寿司を食べるともこの横顔を見ていると、なぜか俺まで満たされた気分を味わった。
 二人は寿司が取り持つ縁だった――。

 離婚直後、大学時代の先輩が輸入雑貨の会社をするので手伝ってくれないかと声を掛けられた。
  別れてからも、金の無心や復縁を迫りに会社まで押しかけてくる元妻が疎ましく、今の会社を辞めて、誰も知らない土地で暮らしたいと思っていた俺には、願ったり叶ったりの話なので先輩の誘いを受けることにする。
 収入は以前の半分になったが、離婚で手痛い目にあった俺は、一生独身で自由気ままに暮らしていきたい思っていたから、収入なんか二の次だと考えることにした。
 先輩の会社はイタリアのヴェネチアン・グラスと装飾タイル、インテリア用品や食器類、美術品も一部取り扱っていた。一年の半分を先輩はイタリアに渡って商品の買い付けをしていた。イタリアから送られてくる荷物を得意先の店に納品するのが俺の仕事だった、他にパートの四十代主婦の寺田さんが事務と電話番をしている。
 いつも社長は出張中だし気楽な仕事だった。
 暇な時には、寺田さんとおやつを食べたり、テレビを観たり、のんびり過ごしていた。
 雑居ビルの三階にある2LDの事務所の奥の八畳間を自由に使ってもいいというので、その部屋を住居として俺は暮らしていた。だから、あまり金も使わなかった。
 余談だが、イタリアに一年の半分は出張している社長である先輩には、どうもイタリアに愛人がいるようだった。シルビアというイタリア人女性で、時々、国際電話で話しをするが、日本に五年間留学していたというから、なるほど流暢な日本語を喋る。地元のバイヤーとの細かい交渉はどうやら彼女がやっているようだ。先輩とシルビアは日本で知り合い二人でこのビジネスを始めたということだった。
 だが、先輩には日本にれっきとした妻がいる。五歳と三歳になる子どももいるのだ。
 イタリアにいるシルビアとの二重生活を今後どうするつもりなのか心配になる。先輩の奥さんがどこまで気づいているのか知らないが、もし気づいていたとしても今の生活を捨てる気がないなら、わざと気づかない振りを続けていくつもりだろうか。
 俺が両親に離婚話を打ち明けた時、母は「離婚なんて……世間体が悪いわ」と息子の心配よりも世間体を気にした。父は「もう少し我慢できなかったのか」と辛抱が足りないように言われた。――それ以来、両親とは会っていない。元妻に居場所が知れたら困るので、今の住所さえ教えていない。
 結局のところ、結婚なんて体裁ばかりだと思った。こんな風に結婚生活とは欺瞞に溢れたものなのだと学習させられた。――そして、俺は心底失望していった。



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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-10-09 19:46 | 恋愛小説

寿司を喰う女 ①

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写真は回転寿司スシローにて撮影したものです。


   寿司を喰う女 ①

 鈴木ともこと名乗る女と出会ったのは、全国チェーンの回転寿司のカウンター席だった。
 一皿百円が売りのこの店はいつも家族連れで賑わっている。ほとんどテーブル席ばかりだが、隅っこに単身者用のカウンター席が設けてあった。その席に隣同士で座ったのが縁だった。
 ともこは一人でカウンターに座り、鮪、イカ、エビなど百円の寿司を五皿と茶碗蒸しを食べて帰る、その量はいつも決まって同じだった。二十代後半かと思われるが地味な服装で目立たないようにひっそりとして、黙々と寿司を食べる姿が反って印象的だった。
 一人暮らしをするようになった俺は、たいてい週末の夜には近所にある回転寿司で食事を済ませることが多い。二人の時間帯が合致するせいか、カウンター席でよく隣同士になった。
 一度、ともこが注文した鯛を間違えて、俺がレーンから取ってしまったことがあった。レーンから取った寿司はもう戻せない。「すいません」俺が謝ると、「同じ鯛だし、あなたが注文したお寿司を頂きますから、構いませんよ」ともこは迷惑そうな顔もしないで、後から流れてきた俺の鯛と交換してくれた。
 この時、大人しそうだが、芯のしっかりした女性だなあと感じた。
 ともこは長い髪を後ろにまとめゴムでくくり、アクセサリー類はつけず、化粧っ気もない。しかし間近でよく見ると、色が白くて、肌理も細かく、歯並びもきれいな小顔の可愛らしい女性だった。もう少しお洒落に気を配れば、美人になるだろうと思った。なぜか、意図的にひと目を避けている風にも見える、この女性に……少なからず興味を持った。
 それにしても、この俺が――。あんなひどい目にあったにも関わらず、再び、女性に対して興味を示し始めているなんて……自分でも不思議だった。

 妻と離婚して一年が経とうとしていた。
 二年間の結婚生活にピリオドを打った俺は、晴れて独身者に戻っていたが、この頃には人恋しい気持ちも少し湧いてきていた。だが、元妻との復縁だけは真っ平だ! 今思うと、まったく酷い結婚生活だった。
 俺が勤めていた食品会社の親睦会コンパで妻と知り合った。
 当時派遣社員だった妻は、スタイル抜群、華やかな服装で人目を惹く美人だった。男女社員たちが集まったコンパのアイドル的存在で、参加していた男性社員たちの一番の狙い目が彼女だった。
 みんなの注目を浴びる妻に、ひと目惚れしたのは俺の方だった。三ヶ月ほど交際して結婚を決めたが、どんな人物なのか実はよく分かっていなかった――。

 一緒に暮らし始めてから妻の本性が分かった。
 まず、ズボラな性格で炊事も洗濯も掃除も家事いっさいやらない。結婚した途端、仕事を止めて家でごろごろしている。子どもは嫌いだから要らないと、新婚三ヶ月でセックスレス宣言された。
 俺が仕事から帰っても食事の用意は出来てなく、妻はソファーに寝転がって、テレビを観ているか、ゲームをやっている。その傍らにはカップ麺や宅配ピザの空箱が散乱している。――これじゃあ、何のために結婚したのか分からない。
 子どもがいないのだから外で働けばというと、結婚したら専業主婦になるのが私の夢だったという。まったく家事もしないくせに何が専業主婦だ! ただの怠け者のくせして、俺に食べさせて貰おうなんて虫がいい、まるでニート……いや、パラサイトだと思った。
  最初の半年は惚れた弱みで妻の自由にさせていた。一年目は主婦らしく家事をするように俺が文句を言うと口げんかになった。二年目からは地獄だった! この二年間で15キロも肥った妻を見るのもウンザリ、寝室も別々になって、すっかり愛想を尽かしていた。
俺の方から、何度も離婚の話を切り出したが、いつも妻は「別れない」の一点張りだった。俺に対する愛情もないくせに別れたくないのは、三食昼寝付きの快適な生活を手放すのが嫌だったからだろう。

 急激に肥ったことで、俺に嫌味を言われるのにも、辟易した妻はスポーツジムに通うと言いだした。
 少しでも以前の容貌を取り戻してくれるならと俺も賛成する。ジムに通い出して、ダイエット効果で痩せてきれいになってきたが……どうも妻の様子がオカシイ。
 服装や化粧が以前のように派手になり、外出がやたらと多くなって、しょっちゅうスマホをいじっている。
 どうやらダイエットの効果は他にあったようだ。探偵を雇って妻の身辺調査をやってみたら、やっぱり出てきた。スポーツジムのインストラクターの若い男と浮気をしていたのだ。
 俺は浮気の証拠を集めて、それを妻に突きつけて離婚を迫った。最初は「別れたくない」と泣いて謝った妻だが、俺の「別れる!」という意思の強さに観念してか、やっと離婚届けに判子を押してくれた。
 別れる時に、俺名義の貯金通帳を返して貰ったら……なんと残高が千円もなかった。会社で働いて貯めた金と年に二回のボーナス、結婚の祝いに両親に貰った現金やら、少なく見積もっても四、五百万はあったはずの貯金がきれいさっぱりなくなっている。
 妻に問い質すと、生活費に使ったという。家事もしない、料理も作らないくせに、何が生活費だ! たぶん、スポーツクラブで知り合った若い男にでも貢いだのだろう。俺が働いて稼いだ金で、二人で遊び回っていたという訳か――。考えただけで胸糞悪いが、これで悪妻と縁が切れるなら『手切れ金』だと思って堪え忍んだ。
 やっと離婚が決まった日には、シャンパンを買い俺は一人で祝杯を挙げた。

 ――だが、そう簡単には終わらなかった。別れたはずの元妻が金の無心くるのだ。
 離婚したのに無職のままで、男にも逃げられて、借金までもあって、結局、この俺に泣きつくしかないらしい。しかも自分の母親まで連れてきて、俺に復縁を迫ってくるのだから始末が悪い。
 結婚していた頃には、やれ稼ぎが悪いだの、やれ出世が遅いだの……母娘して俺の悪口を散々言って蔑ろにしてきたくせに、どの面さげてくるんだ! 俺がきっぱり断わると、挙句「うちの娘に優しくしてあげないから、浮気をされたのよ」とババアがぬかしやがった!
 ふざけんなっ! 今さら復縁を迫るなんて虫がよすぎる。……この女とは完全に縁を切りたい。これ以上、つきまとわれるのは真っ平だと強く思った俺は、こいつらから逃げようと決心した。
 あれから一年……会社に退職願いを出して、遠い街でひっそりと暮らしている。



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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-10-08 16:30 | 恋愛小説
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   第二十章 それぞれの再会

 ふたりが旅行から帰ったら、先輩の片桐探偵社からファックスが届いていた。
 どうやらシンガポールから帰ってから、すぐに優衣の母親の捜査をやってくれていたらしい。ファックスには辻本綾子の所在と、現在働いている職場の住所と電話番号、そして最近、母親が引っ越したという知人宅の住所などが書いてあった。さすが、人探しのオーソリティー仕事が早いと感心した。

 詳しい状況を聞くため片桐に電話をかけたが、一度目は張り込み中なのか、留守電話になっていた。二時間後に片桐の方からかかってきた。
『ああ、悪りい悪りい~。さっきまでラブホで張り込みやったんだ』
『先輩、忙しいところスミマセン。ファックス見ました。同じ沿線のわりと近い所に住んでいたんですね』
『そうなんだ。子どもを置いて家出した人は案外近くに居るもんさ。たぶん、何度かこっそり様子を見にきていたと思うよ』
『近々、娘と一緒に母親に会いにいきます』
『それがいい。母親も娘に会いたがってるはずだから』
『ところで知人宅より、職場を訪ねた方がいいでしょうか?』
『その知人というのは職場の同僚で、親子ほど年が違うし、たぶん男女のソレとは違うと思うけど……いきなり自宅よりは職場の方がいきやすいだろ? ただ、職場に聞いたことある名前があったんだが……まあ、今のおまえなら大丈夫だろう』
『えっ? 誰ですか』
『人違いかもしれない……』
『誰です?』
『いや、まあ、たぶんいってみたらわかる。じゃあ、俺は仕事に戻るから……』
 最後は曖昧に誤魔化すようにして、片桐が電話を切ってしまった。今は優衣のことしか興味がない圭祐には、それが誰であろうと別に構わない。
 片桐の読み通り、やはり老人介護施設の厨房で働いているみたいだった。
 調理師の資格を持っている母親は、たぶん食堂関係の仕事に就いているだろうと優衣も考えていたようで、この一年の間、優衣なりに母親を捜していたらしい。
 優衣と相談して、その知人宅の住所ではなく、母親との関係がよくわからないので……やっぱり職場を訪ねた方が無難だろうという結論になった。
 もうすぐ母に会えると、優衣はものすごく喜んでいる。少しづつでも、この子を幸せに出来れば、それは圭祐にとって満足なことだった。

 さっそく、明日にでも母親が勤めているデイサービスの施設に、ふたりで訪ねることに――。

「涼子さーん!」
 デイサービスの『ゆーとぴあ』の受付カウンターに座っていると、崎山がやってきた。
 受付業務は本来涼子の仕事ではないのだが、担当者がお昼の休憩を取っている間の一時間だけ、代わりに受付に入っている。
「あのさ、綾子さんが涼子さんの分のお弁当も作ってくれたから一緒に食べよう」
 手に持った大小二つの弁当箱を見せてくれた。大きい方の崎山の弁当箱は涼子の弁当箱の三倍以上の大きさだった。
 崎山の家に住まわせてもらっている綾子は、家賃の替わりに食事を作っている。調理師の綾子は、料理が手早い上、ボリュームがあって美味しいので、食いしん坊の崎山は大喜びである。
 最近では崎山の弁当と一緒に涼子のも作ってくれている。恐縮して断わったのだが、「ひとつ作るのも、ふたつ作るのも手間は同じだから」と、崎山とペアの弁当を作ってこられる。職場での手前、ペア弁当は恥かしいのだが……このふたりのノリにはあがなえない。
 崎山は涼子に合わせて、自分の休憩時間を取っているみたい、その人柄のせいか、崎山は『ゆーとぴあ』では、割りと自由にやらせてもらっているようだ。
 食べ物を目の前にすると、まるで子どもみたいに無邪気にはしゃぐ崎山のことを可愛いと思う。綾子も涼子も、この大きな男になぜか母性本能をくすぐられている。

 ――あれから、涼子は崎山に自分のことを話した。
 過去に婚約者に酷い仕打ちをしたことがあった。だから、自分は恋とか結婚とか考えてはいけない人間なのだと……。
 それに対して、崎山は「俺は涼子さんのことが好きだ。いつか、涼子さんが俺のことを好きになって必要だと思ってもらえるまで、何年でも待つつもりなんだ!」と、そうキッパリと答えた。崎山の真摯な気持ちは嬉しいが、涼子は元婚約者に許されるまでは……その先のステップはとても踏めないのだ。
 あと十五分ほどで担当者が休憩から帰ってくる、それまで崎山は受付カウンターで涼子を待っているつもりみたいだ。大きな弁当箱を抱えてわくわくしている。他のことは我慢できても、食べることに関しては、「待て!」が利かない男である。

 受付カウンターから、正面ドアのガラス越しに『ゆーとぴあ』の駐車場に一台の車が停まるのが見えた。それはシルバーグレーのビートルで、涼子は来客かしらと見ていた。
 シルバーグレーのビートルは元婚約者だったあの人が乗っていた車種と同じだと、ぼんやり考えていたら、車のドアが開いて若い女の子が降りて、こちらに向かって小走りでやってきた。
 ショートヘアーのスレンダーな可愛い娘だった。正面ドアを開けて、真っすぐに涼子の元へきた。
「……あのう。ここに辻本綾子って人が働いていますか?」
「はい。辻本ならおりますが……どちら様ですか?」
「わたし娘です。辻本優衣と言います」
「ええー!」
 その返答に驚いた。隣に座っていた崎山も驚いて、手に持っていた弁当箱を床に落としまった。
「あなたが綾子さんの娘さん?」
「はい!」
 ベージュのコートの中に着ている若草色のセーターには見覚えがある。あれは綾子の手編みのセーターに違いない。
 それにしても綾子に聞いていた容貌と全然違う。優衣は地味でオタクっぽくて、冴えない娘だと確かそう聞いていたが……目の前にいる女の子は、とてもチャーミングで垢ぬけているではないか。
「ちょ、ちょっと、待っててくださいね」
「ええ……」
「崎山くん、綾子さんを大至急で呼んできて……」
 隣にいる崎山に小声で頼んだ。
「よっしゃ! すぐに綾子さんを連れてくるから待っててね」
 慌てて取り落とした弁当箱を拾い上げ、それを持ったまま、綾子が居る厨房へ走って行った。ほほ同時に正面玄関が開いて、優衣の連れと思われる男性が入ってきた。優衣はそっちに振り向いて――。
「おにいちゃん! お母さん、ここに居たよ」
 その男性の顔を見た瞬間、涼子は全身の血が凍りついた。――いつかは謝らなくてはいけないのに……どうしても、怖くて……とても会いにいけない人物だった。
「圭祐……」
「君は……涼子?」
 圭祐も茫然と立ち竦んでいた。「ここで働いていたんだ」
「ええ……そう」
 何から話せばいいのか言葉が見つからず、涼子は俯いてしまった。
「あ、おにいちゃんの知り合いなの?」
 優衣が無邪気な声で訊いた。
「うん。昔の知り合い」
「……じゃあ、綾子さんの娘さんを圭祐が保護していたの? わたしたち家まで彼女を迎えにいったんです」
「そう、今は一緒に暮らしている」
「えっ! そ、そうなの?」
 その返答に涼子は、なぜかひどく動揺してしまった。
 心のどこかで圭祐は今でも自分を想っているかもしれないと、女性特有の思い込みでそう信じていただけに、何だか心をはぐらかされた気分だった。なんとも身勝手なことだが……。

 受付カウンターに崎山が綾子を連れて帰ってきた。調理服を着たままで慌ててきた様子で、崎山に引っ張られて息を切らせていた。周りをキョロキョロ見渡して……どこに娘がいるのか探しているようだった。
「お母さん……」
 娘の方から声をかけた。
 目の前にいるチャーミングな娘が、我が子だと気づいた時の綾子の顔と言ったら――。あんぐりと口を開いて、信じられないという顔で優衣を凝視していた。
 自分の頭の中の記憶とはあまりにかけ離れていたせいのだろう。その娘が優衣だと認識するまで綾子の頭脳はしばらく時間がかかった。
「お、おまえが優衣かい……?」
「そうよ! お母さん」
「すごく、きれいになって……」
「セーターありがとう」
 優衣が着ているセーターを見た瞬間、綾子の目から涙がぽろぽろ零れた。そして娘も母親に抱きついて、わぁーわぁー泣き出した。離れ離れになっていた母娘の再会は感激の涙だった。
 涼子も思わず貰い泣きをしてしまった。崎山もうるうるしていたみたいで目が赤い。圭祐だけが満足そうに微笑んでいた。
 そこへ、事情も分からず休憩から戻ってきた受付の女性は、ただ驚いて何事かとおろおろしていた。軽く事情を説明して、その女性と交代で涼子は休憩に行くことになったが……。
 崎山に、優衣の連れの男性は知り合いだったので少し話があるから……先に休憩を取るよう話した。崎山は圭祐の方を一瞥すると「分かった」と頷いた。圭祐と涼子に何らかの因縁を感じていたようだ。――あれで崎山は勘の鋭いところがある。

 少し話がしたいと涼子の方から誘った。圭祐は別にこだわる風もなく「いいよ」と『ゆーとぴあ』の建物から出て、駐車場までついてくる。
 そして「ここなら優衣の様子が見えるから……」と圭祐がいうので、彼のビートルの前で立ち話をした。
「ご無沙汰しました」
「君も元気そうで良かった」
「ありがとう」
 あの時のことを謝りたいと思っているが……あまりに圭祐が平然としているので、返って話を切り出し難くなった涼子である。
「……あのう、あの時は、いろいろとご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
 涼子は胸の閊えを取り除くためにも、圭祐には頭を下げて謝った。
「――いいよ、そんなことは……もう終わったことだし、僕らはお互い縁がなかったんだ」
「だけど……」
 どう謝罪すれば良いのか困惑している涼子を見て、圭祐は微笑んでいた。《この人、すごく強くなっている》とそう感じた。
「それより仕事どう?」
 圭祐が訊ねた。――たぶん話題を変えるためだろう。
「うん。いろいろ勉強しながら頑張ってる」
「そうか、君には介護職が合っているかもしれない」
「まだまだ、なんだけど……」
「まあ頑張れよ」
「あれ? 圭祐、今日は仕事お休み?」
「……うん。優衣が父親に殴られてケガをして、僕の所へ逃げてきたんだ。――だから、彼女が元気になるまで会社は休職している」
 その返答に涼子は正直驚いた。
 圭祐は仕事に対しては真面目で熱心な性質(たち)、滅多なことでは仕事を休まないタイプの人間だった。その彼が優衣のために休職中だというのだから……まさか信じられない。本当にこの人は変わってしまったのだと、心底納得させられた。

「彼女を大事に思っているのね」
「ああ、一生かけて守り抜きたい、唯一の女性なんだ」
 なんら臆面もなく、そういい切った圭祐。その言葉に涼子は、女として優衣に軽く嫉妬してしまったほど……。
「わたしとは縁がなかったけど、優衣さんとは上手くいきそうね。良かったわ、圭祐が幸せそうで……」
「ありがとう。涼子も幸せになれよ!」
「相変わらず、優しいのね。圭祐って……」
「あははっ」
 曖昧に圭祐が笑った。この優しさが『諸刃の剣』だと彼にはわかっている。

 どうやら綾子は仕事に戻ったみたいだ。優衣が『ゆーとぴあ』の正面ドアから出てきて、真っ直ぐ圭祐の方を見てにこにこ笑っている。その笑顔に圭祐も応えていた。――もう誰にも入り込めない、ふたりだけの愛の世界だった。
「おにいちゃんのこと、お母さんがすごく感謝してたよ!」
「そうかい」
「今度、挨拶にくるって」
「可愛くなった優衣を見て驚いてただろ?」
「うん! みんなおにいちゃんのお陰だっていっといた」
「違うよ、優衣が元々可愛いからさ」
「それから、おにいちゃんがゲーセンで取ってくれた白いクマのぬいぐるみを、お母さんがあたしの部屋から持ってきてくれた」
「良かったなぁー」
 ふたりの会話を聴きながら、圭祐は自分にぴったりな『運命の女性』と巡り会えたのだと涼子は安堵した。自分の我ままのせいで彼を不幸にしたという罪悪感に、いつも苛まれていた涼子だったが、やっと自分自身を解放できる。

ふと、建物の中を見ると、まだ休憩にいかなかったのか、崎山が受付カウンターから、駐車場で立ち話をしている、涼子たち三人の様子を見ていた。――たぶん、圭祐のことを気にしているのだろう。

「じゃあ、帰るよ」
「ありがとうございました」
 ぴょこりと優衣が頭を下げた。素直そうで良い娘だと思った、この子を圭祐は自分の色に染めていくのだろうか。優衣なら、きっと圭祐を幸せにしてくれそうだと涼子は確信した。
 こんなに穏やかな包容力のある圭祐は、涼子が付き合っていた頃にはなかった。優衣を知って圭祐自身も大きく変わっていったのだろう。
 ――心から、このふたりを祝福したい。そう涼子は思っていた。

「僕ら、それぞれの幸せを見つけて生きていこう」
「そうね!」
「涼子、君に……」

『Good Luck』

 圭祐はそういって、照れ臭そうに笑った。その言葉が誰かの受け売りだったから……。
 そして、ビートルのドアを開けて優衣を乗せるとシートベルトを確認して、圭祐も運転席に乗り込んだ。
 涼子に向かって、ふたりは笑顔で手を振ってから、ゆっくりとシルバーグレーのビートルを発進させた。

 グットラック……その言葉に涼子は思わず涙が零れた。
 やっと罪を赦されて心が軽くなっていくようだった。圭祐の優しさには深く感謝している。
 それぞれの幸せを見つけて生きていこう……そうだ! もう一度、恋ができるかも知れないと思った涼子の脳裏に、崎山の顔がちらりと浮かんだ。

 いつの間にか、正面ドアの前に崎山が立っている。
 ――心配そうに、こちらを見ている崎山に手を振りながら、涼子は走っていった。

『あぁー、真っ青な空だ! もう冬は終わったみたい』
 
 空を仰ぎ見て、大きく深呼吸したら、ふわりと心が青空に吸い込まれてしまいそう――。

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   終章 喜びの朝がはじまる

   ずーっと、ね。探していたのだと思う。
   この世で自分とだけピッタリ合う魂を持った人を、
   そして君と出会って、愛する意味を僕はしったんだ。
   愛は求めるものでもなく、与えるものでもない。
   本当の愛は混ざり合って、ひとつになることなんだって!
   そう。君こそが僕の探していた『運命の人』だから。

 ――昨夜から、しんしんと雪が降っていた。一晩で積った雪は街をすっかり雪景色に変えてしまった。陽の光が真っ白な雪に反射してキラキラと眩しい。

 僕と優衣は雪道をしっかりと手を繋いで歩いていた。
 降り積もった雪のせいか、道路は通行止めが多いため、今日は愛車のビートルは置いてきた。珍しく電車に乗って駅で降りて、こうして仲良く歩いているんだ。
 優衣が滑らないように、ちゃんとゴム長靴を履かせている。彼女のお腹の中には新しい生命が宿っていて、それは僕と優衣の大事な『愛の結晶』なのだ――。
 今日は妊婦の定期健診があるので、僕も病院に付き添ってきた。
「優衣の大事なところをお医者さんに診られるのは嫌だなぁー」
「おにいちゃんのエッチ!」
「もう、おにいちゃんじゃないだろ?」
 優衣の左の薬指には真新しいプラチナの指輪がはめられている。
 僕らは、優衣の二十歳の誕生日に教会で結婚式を挙げた。あのダイヤモンドダストを見たホテルの近くの教会だった。ふたりは永遠の愛を誓い合って、優衣は僕の妻になった。
 ダイヤモンドダストを見た日から、一年の月日が流れていた。
 そして、来年には新しい家族も増える。ふたりで家庭を築き、子どもを育てていこう。小さな夢だけど、それが僕らの未来設計なんだ。そのステップを優衣と共に進んでいく――。
「赤ちゃんが産まれるまでは、おにいちゃんだからね」
「一度くらいは『圭祐さん』って、呼んで欲しいなぁー」
「そんなの恥ずかしいから、いやだよ!」
 繋いだ手をブラブラ振りながら、ふたりで笑った。

 ――あんなに暗かった優衣も、今では明るくなってよく笑うようになった。
 その後、優衣の父親は家を売って自分の郷里に帰ってしまったらしい。家族に酷いことをしたのだから、孤独な人生になってもしかたない。
 一年前までは父親の暴力に怯えて、小さくなっていた優衣……心の傷も癒えて、やっと本来の天真爛漫な性格が出てきたようだ。
 今では母親の綾子とも月に一、二度あって買い物や食事にいっている。綾子は崎山という青年の屋敷に住んでいるのだが、そこに涼子も引っ越してきて、今は三人で暮らしているらしい。綾子は「崎ちゃんも涼子さんも良い人だよ。ふたりはいずれ結婚して、グループホームを作るのが夢なんだよ」そんな話をしていた。
 涼子も崎山という青年と一緒に幸せを見つけたようだ。過去の経緯(いきさつ)はどうあれ、かつて愛した女性が幸せになってくれたら、それは嬉しいことだ。人を赦す心を持たぬ者には、本当の幸せを掴むことが出来ない、そう僕は思っているから――。
 だから、涼子にも幸せが訪れるように僕は祈っているんだ。

「優衣、圭祐さんのお嫁さんになれて……だよ」
 小さな声で優衣が呟いたが、肝心な言葉が聴こえてこない。聴こえなくたってわかっているさ。僕も同じ気持ちだから。大事な言葉はそっと胸の中に閉まっておこう。
「こんな可愛いお嫁さんがいて、もうすぐパパになる!」
 ありがとう、優衣。――君のお陰で僕は生きる喜びを感じているんだ。
 来年も、この道をベビーカー押して君と歩こう。人生という長い道のりを僕と一緒に歩いてくれるかい、君は一生の伴侶と決めた女性だから。


   【 しあわせ 】

   『 しあわせ 』って言葉を
   声にだしたら

   淡雪みたいに溶けちゃいそうで

   『 しあわせ 』って言葉を
    のみ込んで

    胸の中でぎゅっと抱きしめている

          優衣


 朝日が昇ると、また新しい一日が生まれる。
 ふたりで幾つもの朝と幾つもの夜を迎えることだろう。繰り返される日常は平凡でありきたりな生活かもしれないが、朝、君が起きると窓のカーテンをサッと開く、そこから眩しい光が差し込んでくる――それは喜びの朝のはじまりである。


― 完 ―


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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-03 14:28 | 恋愛小説
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   第十九章 ダイヤモンドダスト

 圭祐のマンションで優衣と暮らし始めて半月が過ぎた。
 優衣の身体の傷はすっかり治り、心の傷も治ってきたらしく表情が明るくなってきた。たぶん、ヘヤースタイルのせいかも知れないが『マドンナ』から帰って以来、少しおしゃれにも目覚め始めた優衣は日に日に可愛くなってくる。
 この頃には少し余裕が出てきて、家の中で圭祐のために料理や洗濯までやってくれている。調理師の母親に仕込まれた料理の腕もなかなか大したものである。
 本来、優衣は家庭的な娘で家事が好きなようだ。
 まだ父親を怖れて、ひとりでは外出しようとしない。買い物にいくのも、遊びにいくのも、いつも圭祐と一緒じゃないと外へ出ていけないのだ。人見知りの強い優衣は圭祐だけに心を開いてくれる。世間に出るのが怖いなら、ずっと家にいればいいのだと圭祐は思っている。
 小鳥のように籠の中が安心できるらしい。
 優衣のこういう内向的なところが可愛いと思う。《たぶん、自分だけを愛してくれる女性を僕は探し求めていたのだろう》圭祐にとって理想的な女性である。――そんな優衣を守っていこうと心に誓っている。

 ここの生活に慣れて、暇を持て余した優衣は圭祐のパソコンに興味を持ち始めた。今までパソコンを持ったことがなく、学生時代に授業で触ったくらいの経験しかないのだが、珍しく自分から興味を示したので、彼女専用にノートパソコンを買い与えた。
 さっそくインターネットのSNSにブログを作って、優衣は自作の詩を発表し始めた。ネットのコミュニティーに、詩人仲間が出来て作品の批評などし合っているようだ。圭祐はそれは良い傾向だと思って見ていた。リアル社会では引っ込み思案の優衣だがネットでは上手くコミュニケーションが取れているようなので安心した。
 SNSのブログは優衣の楽しみになったようである。


     【 春のワルツ 】

   窓辺の日差しに
   まどろむ人よ
   カーテンの隙間から
   春の風が吹き込んできた

   起きて 起きて
   眠っていては もったいない
   ドアの向こうでは
   新しい季節が始まっている

   さぁ 春の息吹を
   深呼吸して
   優しい想いが満ちて
   心がフワリとしたでしょう

   紅潮する頬 胸の心拍
   ドキドキが止まらない
   その心拍数は三拍子
   春の序曲が聴こえてきた

   さぁ 愛する人の名前を
   そっと囁いて……

   『     』

   その名を呼べば
   胸が熱くしめつけられる
   そう この感じ?
   あぁ 恋におちた!

   春に心を躍らせて
   ふたり手を取りあって
   クルリ クルクル
   ワルツを踊りだす

   あなたの胸の中
   素敵な三拍子のリズム
   フワリ フワフワ
   夢見心地のステップ

   ― 身も心も溶け合って
   ふたりのワルツは終らない ―

          優衣


 こんな詩を書いたからと、優衣が自分のブログを圭祐に見せにきた。
 その詩は、春を夢見るようなワルツのリズムをイメージして書かれた明るい作品だった。今までの優衣の心理状態では絶対に書けない。
 たくさんの人が閲覧してコメントを残してくれていた。みんなに作品を読んで貰うと、やる気が出て嬉しいとブログを見ながら優衣が微笑んでいる。
「優衣、そのカッコの中には、誰の名前を書き込むんだい?」
「――それは内緒だよ」
 そう言って、唇に人差し指を立てて優衣は、ふふふっと笑った。その表情は大人の女性の艶めかしさだった。

 ――少女だと思っていた優衣を、女として意識し始めていることに、圭祐は自分でも気づいていた。

「ねぇ、ダイヤモンドダストって見たことある?」
 ソファーで新聞を読んでいる圭祐に、優衣が突然そんなことを訊いてきた。
「ダイヤモンドダスト……ずーっと昔に、スキー場で見たことがあるよ」
「今、パソコンの動画で見てるんだけど……とってもきれい!」
 キッチンカウンターにノートパソコンを置いて、椅子に腰かけて画面を見ている。
「幻想的で素敵……あたしも……一度見てみたいなぁー」
 食い入るようにダイヤモンドダストの動画を見つめている。たぶん、詩人の魂が求めているのだろう――。
「見にいこうか?」
「えっ?」
「見られるかどうか、天候の問題だから保証できないけど……僕が昔見た、そのスキー場でまた見られるかもしれない」
「いってみたい!」
「そうか、じゃあパソコンからホテルの予約を入れるよ」
 決まれば即行だ。何しろ圭祐は休職中だったので、いつでも出かけられる。平日だったのでスキー場のホテルの予約は難なく取れた。
 さっそくスタッドレスタイヤをビートルに履かせて、ふたりは車に乗って出発する。深い雪道を『ダイヤモンドダスト』という幻想を見にいくために車を走らせた。

   〔ダイヤモンド・ダスト〕
細かい氷の結晶が空気中に浮かび、それが太陽光線できらきら輝いて見える細氷現象。非常に低温で風が穏やかなとき現れる。


 ――そこは見渡す限りの銀世界だった。
 信州にある有名なスキー場で標高が高いので、かなり気温が低く、氷点下20度以下の早朝ならダイヤモンドダストが見られる可能性がある。ここのところ晴天が続いているので上手くいけば――あした朝日の昇る頃に見られるかもしれない。
 圭祐は《きっと神様が、僕らのために見せてくれるに違いない!》根拠はないが、そんな予感がしていた。
 スキー場のホテルには夕方遅くに到着した。
 フロントで渡された鍵でツインルームのドアを開けて中に入ると、ベッドが二台並んでいて、圭祐はちょっとドキリとした。優衣とはもう半月近く一緒に暮らしているが、同じ部屋で寝たことはなかった。
 傷ついて、自分に助けを求めて逃げてきた女性に、手を出すような卑劣な真似だけは絶対にしたくない。
 部屋に荷物を置いて、ふたりは服を着替えた。ここに来る途中にデパートに寄って、ホテルのディナー用に優衣の服を買った。それは淡いピンクで上品な透け感のあるジョーゼットのワンピースでやや襟ぐりが広く、胸元にはコサージュが付いて、裾はたっぷりのギャザーのついたフェミニンなスタイルだった。同色のシルクオーガンジーストールで胸元をふわりと覆う。そして、生まれて初めて履いたという白いハイヒール。

 まるで、舞踏会に出かけるシンデレラ姫みたいな優衣をエスコートして、ふたりはディナーにホテルのレストランへ向かった。
 そこには大きな暖炉があり薪が赤々と燃えていて、生演奏のピアノはサティの『ジムノペティ』を奏でていた。大きなガラス窓を透して見える、一面雪景色のホテルの中庭は、蒼い月に照らされ白々と雪灯りが美しかった。
   そして、ふたりは窓際のテーブルに案内された。テーブルには赤いバラとキャンドルが飾られ、その仄かな灯りが優衣をいっそう美しく映し出す。淡いピンクはまるでウェディングドレスのようだった。
「こんな素敵な所にきたの、初めて……」
 夢見るような顔で優衣が呟いた。使い慣れないナイフとフォークでフランス料理を懸命に食べている。
「優衣は、僕のお姫さまだから、これくらいのことは当たり前なんだ」
「お姫さまなんて……うふふっ」
 口角を上げて微笑んだ優衣の唇が、ゾクッとするくらいセクシーだった。
 赤ワインで少し酔いがまわってきた圭祐は、今宵こそ彼女を自分のものにしたいという欲望が沸々と湧き上がってきて……そんな自分を懸命に諫めていた。
 ――ロマンティックな雪山の夜はふけていく。

 結局、昨夜は飲み過ぎて優衣に介抱して貰ったようだ。
 つい気分が良くてワインのグラスを重ねる内に酔いが回ってしまい、部屋に戻ると、突然の睡魔に襲われてベッドに倒れ込むように眠ってしまった。途中、夜中に目が覚めたら優衣が同じベッドで眠っていた。たぶん、介抱している内に一緒に眠ってしまったのだろう……。
 安らかな寝息を立てて気持ち良さそうに眠っている、お姫さまのおでこにキスをして、優しく抱き寄せ《焦ることはない。ふたりの時間はこれからいっぱいあるんだから……》再び、一緒に眠りに落ちていった――。

「おにいちゃん! 見てー!」
 突然の大声に圭祐は目を覚ました。優衣が窓辺に立って外を眺めながら興奮した声で何か騒いでいる。
 ベッドから起き上がった圭祐は驚いた。確か、昨夜は服を着たままで寝てしまったはずなのに……ホテルの浴衣を着ている。どうやら優衣が着替えさせてくれたようだが、ちょっと恥ずかしくてキマリが悪かった。
「おにいちゃん、早く早く、見て! 見て!」
 窓辺から手招きをして呼ぶ。
「どうしたの?」
「ほらっ! あれ」
 圭祐は眠い目を擦って、窓の外を見た瞬間、思わず歓喜の声をあげた。「ダイヤモンドダストだぁー!」
 その朝、屋外の気温はマイナス20度くらいだろうか。昇りはじめた朝日を受けて、ダイヤモンドダストが静かに舞い上がっていた。空気中の水分が氷となって舞う様子は、キラキラと眩しく神々しいほどの美しさだ。
 ふたりは神様が奏でる『幻想のシンフォニー』に、しばし心を奪われていた。

 ――慌てて服を着替えると、屋外へと飛び出していった。
 こんなマイナス20度もあろうかという激寒の朝に、ホテルの外に出てくるような物好きは誰もいない。そんな真っ白な雪の中で優衣がはしゃいでいた。
「ダイヤモンドダスト!」
 大声で叫んで、兎みたいにぴょんぴょん跳ねる。
「きれい! きれい!」
 空に向かって掌を翳し、クルクル回って踊っている。
 こんな嬉しそうな優衣を初めて見た。ストレートな感動を全身で表現するのは、たぶん優衣自身生まれて初めてだったのではないだろうか――。
 その時、圭祐の瞳に映ったもの『嬉しそうな優衣』と『ダイヤモンドダスト』は、彼の心に限りない喜びを与えた。
「あんまり走り回ると転ぶよ」
 そういった矢先に、雪に足を取られて転んでしまった。
 尻餅をついた優衣を起こそうと、笑いながら圭祐は片手を差し出した。するとその手を、思いがけない強さでギュッと優衣が握り返した。
 そのまま、ふたりは見つめ合っていた。
「おにいちゃんが好き……」
 恥ずかしそうに、小さな声で優衣が呟いた。
「優衣……」 握り合った手をゆっくりと引き寄せて、そのまま腕の中で優衣を抱きしめた。
「君は僕の一番大事な人だ」
 ダイヤモンドダストが舞い上がる中、ふたりは自然と唇を重ねていた。
 優衣の柔らかな唇は誰も触れたことのない新雪のようだった。優衣、君が二度と傷つかないように命をかけて守る。それが僕の使命だって分かったんだ! このまま、時間が止まればいいと思っていた。
 ふたりで見たダイヤモンドダストが消えないように、愛のフォトにして、永遠に心のアルバムに残していこう。

   『ダイヤモンドダストは、神様からの祝福のプレゼントなのだ!』



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-03 14:00 | 恋愛小説
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   第十八章 雪景色が彩られていく

 翌日、圭祐は優衣を連れて知り合いのやっている美容室『マドンナ』へいくことにした。
 高校時代のクラスメイトだった、速水早苗(はやみ さなえ)と圭祐は昔馴染みで、時々は圭祐もカットをして貰いに早苗の店に行くことがある。高校時代に早苗とは短い間だったが付き合っていたこともあった、だが、ふたりの関係は友情以上には発展することはなかった。
 今でも早苗とは会えば、冗談ばかりをいい合う間柄である。圭祐にとって数少ない気の置けない友人のひとりなのだ。
 美容室『マドンナ』のドアを開けると、早苗が人懐っこい笑顔で迎えてくれた。
「あらっ! 圭祐くん、いらっしゃーい」
 高校時代と同じように、今でも“ 圭祐くん ”と呼ぶ早苗は、パッと見は派手だがしっかり者の主婦である。彼女は五歳と三歳の二児の母親なのだ。
圭祐の後ろに隠れている優衣を見つけた早苗は驚いたように、
「おや? 圭祐くんって、妹さんがいたんだっけ?」
「あははっ、妹じゃないさ。ちょっと事情があって面倒みている子なんだ」
「そう、じゃあ今日は彼女のヘアーをしにきたのかな?」
「とびっきり可愛くしてくれよ!」
「この自称カリスマ美容師の早苗さんに、お任せくださいませ!」
「あははっ」
 ふたりのやり取りを、キョトンとした顔で優衣が見ている。

「……うーん。ずいぶん不揃いに切られてるわねぇ……自分で切ったの?」
 父親にハサミでザクザクに髪を切られた後、圭祐が外に出れる程度に切り揃えた髪形である。
「あ、そのう……です」
 困ったような顔で優衣が答えている。
 圭祐はソファーに座って雑誌を読みながら、ヘアーが仕上がるのを待っている。
「きれいに揃えるのには少し短くなるけど、いいかしら?」
「……お任せします」
「それと、黒くてきれい髪なんだけど、ふんわり軽く見えるように、明るくヘアーカラーしてみる?」
「毛染めですか?」
「そう、少し明るくすると顔が優しく見えるわよ」
「……ヘアーカラーやってみます」
「アッシュベージュのきれいなカラーがあるのよ」
「はい」
「それから、毛先の方だけパーマかけてみようか?」
「パーマもですか?」
「うん。大きい目のロットで巻いて、ふんわりしたシルエットに仕上げるの」
「ブローとか、やり方が分からないから……」
「大丈夫! ブローなしで手ぐしだけの楽ちんヘアだよ」
「それならお願いします」
「よっしゃー! この早苗さんにお任せあれ」
 早苗の言葉に、緊張が解れてくすくす笑っている。
 そんな様子をソファーから見ていた圭祐は、リラックスした優衣の顔を久しぶりに見たような気がして、早苗の店に連れてきて良かったと思っていた。
 その後、美容師の顔になった早苗はハサミ捌きも見事に優衣の髪をカットしていった。

「パーマとカラーもしたから時間がかかるわよ」
 インターンの女の子がシャンプー台で優衣の髪を洗っている間に、コーヒーをお盆に乗せて圭祐のいるソファーに早苗がやって来た。
「コーヒーどうぞ」
「ありがとう。時間かかっても構わないよ」
「圭祐くん、今日は平日だけど会社を休んでるの?」
「ああ、しばらく休職しようかと思っている」
「何があったの? 去年、あんな目に合った時でも会社は休まずにいってたくせに……」
「うん。自分のためなら休まないさ」
「……もしかして? あの子のために?」
 早苗はシャンプー台の優衣の方を目で差し示した。「――そうだよ」
「そっか、素直な子だね」
「うん」
「あたしや涼子さんは、圭祐くんの優しさを傷つけてしまうタイプだけど。――あの子は一途でいいよ。きっと一生ひとりの男の人だけを想い続けるタイプだよ」
「……なぜ、そんなことが分かるんだ?」
「長年、美容師やってると髪の感触で分かるんだよ!」
「それじゃあ、霊感美容師だなぁー」
 そういって、ふたりで笑い合った。
 一年前のことは早苗もよく知っていて、渦中の人だった圭祐が愚痴をこぼした、たったひとりの友人だった。時々電話をして、安否を心配してくれる早苗は友人というよりも姉のような存在なのである。
「……もう、あんな辛そうな圭祐くんは二度と見たくないよ」
「早苗にも心配かけた」
「今度は幸せになってよね」
「ああ、今度こそ必要とされる男になるさ」
「応援してるから!」
「うん」
 あの頃の自分は、心配してくれてた友人のことを気づかう余裕さえなかった。今、あらためて早苗には感謝している。こんな風に心に余裕が出来てきたのは、きっと優衣の存在が大きい、やっと本来の自分を取り戻しつつあると圭祐は感じていた。

 ようやくパーマとカラーが終わった、優衣のヘヤースタイルを早苗が櫛で入念に仕上げをしてくれている。
「優衣ちゃん、どう感じ変わったでしょう?」
「自分じゃないみたい……」
 ――鏡に映った自分の姿を見て優衣は茫然となった。
 優衣のヘアーは、ショートボブにふんわりカールでフェミニンな感じがする。明るいカラーで顔全体が柔らかな印象になった。今までの、あの野暮ったさがなくなって……まさか、こんなに雰囲気が変わるとは、美容師の早苗自身すら思ってもみなかった。
 きっとこの子は、好きな男の色に染まっていく女なのだと思った。
「すっごく似合ってるわよ!」
「ありがとうございます」
「ねぇ、お化粧はしたことあるの?」
「化粧はやったことないです」
「そう、じゃあ、メイクもやってあげるからね」
「……はい」
「優衣ちゃんは色も白いし、肌理も細かいから、薄くメイクしただけで化粧映えすると思うわ」
 褒められて、優衣は嬉しそうに照れていた。早苗は慣れた手つきで、優衣の顔にメイクを施していった。今まで自分の外観をあまり気にしていなかった優衣にとって、今日は劇的な変化の日になった。

「ジャーン! お姫さまの登場ですよ」
早苗の後ろで、優衣が恥ずかしそうにもじもじしている。
「恥ずかしがってないで。ほらっ、もっと堂々として!」
 グイッと早苗に背中を押されて、圭祐の目の前に優衣が突き出された。
 見た瞬間、優衣のあまりの変身に圭祐は驚いた。まさか、ここまで可愛くなるとは思わなかった。顔の半分が、いつも長い髪に隠されていたが、実はこんなにチャーミングな顔が隠されていたのかとつくづく眺めた。薄く化粧もしていて、優衣は大人の女性の顔になっていた。
「驚いたなぁー、こんなに変わるなんて……」
「どうよ? 優衣ちゃん、とっても可愛いでしょう?」
「うん。すごく可愛いよ」
 素直に圭祐はそう思っていた。
 決して、優衣の容姿に惹かれて興味を持った訳ではなかったが……それでも、可愛くなると男としては嬉しいものである。
「恥ずかしい……」
 両手で顔を覆った――。今まで、容姿で注目を浴びたことがない優衣にとって身の置き所がないようだ。
 自分のことを不細工だといつも卑下していた優衣だけど、きっと本当の姿を知らないで、自分を醜いアヒルの子だと思い込んでいたのかもしれない――しかし、その本当の姿は白鳥だったんだと、この時、圭祐にはハッキリと分かった。

 優衣のヘアーの出来に美容師として早苗も満足そうだった。
 帰るふたりを出口まで見送りにきて、ドアを出る寸前に、早苗は圭祐だけに聴こえるように耳元でそっと囁いた。
「素直で良い子だよ。ずっと守ってあげなよ」「そう決めている」
「そっか。幸せになるんだよ」
「ありがとう」

『Good Luck』

 祝福の言葉と共に、ふたりの背中に満面の笑みで早苗は手を振った。

 ふたりは美容室からの帰り道、デパートに寄って買い物をした。優衣の新しいヘアースタイルに似合う洋服を、若い娘向けの少しカジュアルなショップでコーディネイトする。
 優衣は母の手編みの若草色のセーターを着たいというので、それに合わせて店員に選んで貰った服は、コットンワッシャーのすそが花びらみたいなカッティングのきなり色のスカートとベージュのファーフード付きダウンコートだった。そして、ブラウンのウエスタンブーツとキャメルのショルダーバックも一緒に購入した。
 試着室から出て来た優衣はシンデレラみたいに美しく変身していた。新しい洋服は彼女によく似合っていて、どこに連れていっても恥ずかしくない容姿だった。
 コーディネイトして貰った服をその場で着替えて帰ることにした。あんまり可愛くなり過ぎたので……男として圭祐は、ちょっと心配になったほどである。
 ショップでは、それ以外にもついでに普段着を二、三着買った。何しろ着のみ着のままで逃げてきた優衣には着る服が全くない、これからは自分が買い与えていこうと圭祐は思っていた。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-02 16:40 | 恋愛小説
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   第十七章 ここに居る理由は、

 優衣を保護してから、今日で六日が経った。
 顔の痣もだいぶ目立たなくなってきて、口の中の傷も治ってきたようで、普通に食事が出来るようになった。
 最初の三日くらいはショック状態で、ほとんどしゃべらなかった優衣だが、少しづつ元気を取り戻したようである。取り分け、髪を切られたことがショックだったようで、兄の健人との思い出を断ち切られた思いがしたのであろう。
 ここに来た時から、優衣は若草色のセーターを握りしめている。寝ている時もずっと放さない。どうしてなのか優衣に訊ねたら――。
「お母さんが、あたしの誕生日に手編みのセーター贈ってくれたの」
「それで、大事に持っているんだね」
「うん。――お母さんの匂いがして心が落ち着くんだ」
「そうか」
 どうやら、父親に殴られた原因は、このセーターに有りそうだと圭祐は勘づいた。
 優衣の母親が見つけるために、片桐に捜査を依頼しているが、現在は出張でシンガポールにいる。彼が帰ってこないことには捜査は進展しない。
 取りあえず自分が保護している限り、これ以上、優衣に危害を加える者はいない。母親を見つけるまでの間、優衣の心のケアに専念しようかと圭祐は考えていた。
「優衣、その髪の毛は何んとかしないといけないね」
「……うん」
「僕がついていってあげるから、明日は美容室にいこうか?」
「……そうする」
 少し不安そうな声で応えた。――素直で可愛い、優衣のそんなところが愛おしいと圭祐は思っている。
 美容室に連れていける程度に、バラバラに切られた髪を圭祐がハサミで揃えた。

「あたしは、いつまでここに居ていいの?」
 テーブルに向い合って、ふたりで夕食を食べている時、ふいに優衣がそんなことを訊いてきた。
「えっ? それは優衣が居たいだけ居ればいいさ」
「あたし、何もできないし、お世話になりっぱなしで……」
「そんなことは気にしなくていいんだ」
「……けど、迷惑じゃない?」
「優衣が傍にいてくれたら楽しいよ」
「ほんとに?」
「ああ、こう見えて、けっこう寂しがり屋なのさ。僕って」
 おどけていうと、優衣が白い歯を見せた。
「そうそう、こないだ読ませて貰った、あの詩――」


     【 紅葉 】

   紅いやら
   黄色いやら
   騒いでるんじゃない

   山の中に勝手に入ってきて
   ジロジロみて
    写真撮って
   弁当食い散らかして
   ゴミだけ残して帰る
   観光客たち

   俺は
   おまえらに怒って
   紅葉(あかく)なってるんだ!


「ああいう詩を読んだら、心がほっこりするんだ」
 その言葉に優衣は嬉しそうに微笑んだ。
 身体の傷も癒えてきて、何もしないでここに居させて貰っていることが、優衣には心苦しい。最近は仕事も休んでいるみたいだし、自分が居るせいでいろいろ迷惑が掛かっている。
 お父さんは怖いけれど、やっぱり自分の家に帰った方がいいかもしれない。――これ以上、甘える分けにはいかないと優衣は思っていた。
「僕は優衣の詩のファンだから、創作に専念できる環境を作ってあげたい」
「どうして? そこまでやってくれるの?」
 ずっと虐げられていた優衣にとって、そんな親切なことを言ってくれる人がいること自体信じられなかった。
「……一年前、挙式直前で婚約者に逃げられた僕は、酷く傷ついて……ずっと心を閉ざしていたんだ。そんな時に優衣と出会って君が毎朝、可愛い詩を届けてくれた。それを読むと元気を貰えた。すっかり厭世的になっていた僕の心に、再び光を灯してくれたのが優衣なんだ。――だから君に感謝している」
「あたしは、ただ……」
 圭祐の言葉に、優衣は驚いて言葉に詰まった。
「もしも、ここを出て行きたいなら優衣の自由だよ。ただし、あんな父親の居る家には絶対に返すわけにはいかない。独立して暮らせるようにアパートを借りてあげるから、お母さんが見つかったら一緒に暮らせばいいよ」
 そこまで優衣のことを考えてくれていたなんて、この人は恩人というよりも……。
「――ここがいい。おにいちゃんの傍にいる」
 優衣は圭祐のことを“おにいちゃん”と呼んでいる。
 きっと、死んだ兄健人の影をまだ引きずっているせいだろう。お兄さんの代わりだと思われていても構わない、優衣が傍に居てくれた方がいいのだ。圭祐の心の氷を溶かしてくれたのは、他ならぬ優衣の存在なのだから――。
 もうあんな辛い思いはしたくない、二度と大事な人を失いたくないと圭祐は思っていた。

 空き部屋があるので、ここを自分の部屋として使えばいいからと、圭祐から個室を与えられた。窓には淡いピンク色のカーテンがかかっていて、白い壁にはきれいな水彩画の額縁が飾ってある。こじんまりした居心地の良さそうな部屋だった。
 昨日のことだった、優衣はベッドの下で一本の口紅を見つけた。それで、この部屋がお兄さんの元婚約者が使っていた部屋だと分かった。
 自分が知らないブランド物の口紅だと思う、肌色より少し濃いピンク色だった、大人の女性の唇に似合いそうな――。その口紅を見ている内に、何だか分からないけれど……メラメラと心の中に炎が燃えるようだった。
 もっと、もっと可愛くなりたい! きれいになってお兄さんに褒められたい! 元婚約者のことなんか、早く忘れてしまって欲しい! そんな心の叫びが聴こえてくる。
 それは初めて体験する感情だった。そんな生々しい想いを抱いたことが今まではなかった。たぶん、それは女として同性に対する対抗心だったのだ。
 ――もしかして、これが嫉妬なの?
 自分の内部で“女”が目覚めてきたことに気づかず、そんな自分に優衣はひどく戸惑っていた。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-02 15:48 | 恋愛小説
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   第十六章 ふたりの新生活

 あの日は、優衣をおんぶして圭祐は自分の部屋に連れて帰った。
 傷を治療して貰うため医者に連れていこうとしたが、頑として優衣が拒んだ。たぶん、父親の暴力を表沙汰にしたくなかったのと、腫れあがった顔を人様に見られるのが恥かしかったからだろう。
 ――見た所、ほとんどが打撲の痕だけで、口の中は切れているが歯は折れていなかった。保冷剤で冷やして経過を見ることにした。それよりも繊細な優衣の心の傷の方がずっと心配だ。
 しかし、手首を切らずに圭祐に助けを求めてくれたことは有難かった。優衣の身体の傷と心の傷が癒えるまで会社を休もうと圭祐は思っている。仮にそれで、出世コースから外れたって構わない。《僕は仕事のために生きているんじゃない。誰かを幸せにするために生きているんだ!》そう考えると、今、傷ついた優衣を救ってあげられるのは、この自分しかいないのだと自負している。

 翌日、優衣は一日中ベッドで泥のように眠っていたが、ふいに目を覚まして、
「クマの……ぬいぐるみ…置いてきちゃった……」
 うわ言のように呟いた。
「またゲーセンで取ってやるから」
「うん……」
 安心したように、再び昏々と眠り続けた。
 余程、ぬいぐるみのことが気になるらしい。――思えば、あの白いクマのぬいぐるみが、ふたりの馴れ初めだった。あのクマは不思議な運命を運んできた“ 幸運のお守り ”かもしれないと圭祐は思った。
 ――ただ今は、優衣の回復を望むばかりだ。
 腫れていた打撲痕はやがて青紫の痣に変わっていった。顔以外にも肩や背中、太腿にも痣が出来ていた。口の中が切れて痛むようなので、お粥やヨーグルトを食べさせた。
 痛みに耐え、ベッドに横たわる、痛々しい優衣の姿を見るていると……こんな酷い目に合わせた父親への怒りで腹わたが煮え滾るが、一応、優衣を預かっていることを伝えたて置いた方がいいだろうと思い、圭祐は優衣の父親に電話をかけた。
 内容は、優衣をこちらで保護していること。あなたが娘に酷い暴力を振るったことは警察沙汰にはしないから、今後一切優衣に近づくなということを告げて、電話を切った。
 こんな男とは、それ以上は話したくもない。
 相手にしてみたら「おまえは誰だ?」と「なんだと?」このふた言しかしゃべれない内に、電話を切られてしまったのだから、釈然としないだろう。こちらの番号が分からないように、もちろん電話ボックスからかけた。
 たとえ父親であっても、優衣をこんなめに合わせた男は許せないと圭祐は思っている。
 ――けれど、優衣はそんな父親を怖れてはいるが、憎んではいないのだ。
「お父さんはね、昔はあんな人じゃなかったよ。お兄ちゃんとキャッチボールしたり、家族で海水浴にもいったことあるし……どんなに機嫌が悪い時でも、お兄ちゃんと喋ってたらいつの間にか機嫌が直ってた。きっと……お兄ちゃんがいなくなって……寂しくて、悲しくて、誰とも上手くいかなくて……あんな乱暴なお父さんになってしまった。たけど……本当は可哀相な人なの……」
 あんな父親でも庇おうとする。
 ――優衣は優しい娘だ。
 とても純粋な心を持っている。 どんなに酷い目に合わされても人を憎むことができない。他人の悪意をすべて自分のせいだと思い込んで、自分自身を責めて、責めて……自傷行為に走ってしまっていたのだろう。
 この子の非力な優しさにつけ込んで、日頃の鬱憤を晴らすために、娘をサンドバッグ代わりに殴ったりするような、あの卑劣な父親から優衣を守っていかなければならないと、圭祐は強く決意したのだ。
 そのため、自分が働く会社に二週間の休暇届けを提出した。一応、優衣がアルバイトしている新聞販売店の方にも、ケガで遠分休むと連絡を入れて置いた。

 着のみ着のままで逃げてきた優衣には着替えがないので、デパートにいってパジャマやホームウェアを圭祐が買ってきたが、さすがに女性物の下着までは恥ずかしくて買えない。
 そこでパソコンからインターネットで購入することにした、優衣に自分の下着を選ばせて至急で注文したら、翌日には商品が届いた。ネットショッピングはとても便利である。
 初め圭祐のベッドに優衣が寝て、圭祐はリビングのソファーで寝ていたが、優衣のために部屋を作ろうと思った。
 少しでも過ごしやすくなるように、彼女自身の部屋が必要だと判断して、ずっと封印して開けたくない部屋だったが、一年ぶりに元婚約者が使っていた部屋を開けた。少し埃臭い部屋はつらい思い出を内包して、再び開け放たれた。
 この部屋の中には簡易ベッドとライティングデスク、ドレッサー、チェストとクローゼットがある。ここでセミナーのレポートを書いていた彼女の姿が目に浮かぶ――。圭祐は二、三度頭を振ると、その記憶を自分の脳から消去しようとした。今、彼女がどこでどうしているかしらないが、自分の夢に向かって頑張ってくれればいいと思う。自分もこれから新しい人生をやり直すのだから、もう彼女のことは関係ない。
 クローゼットの中には彼女の衣類がわずかに残されていたが、一年経っても取りにこないなら、たぶん不要なものだと勝手に判断して、元婚約者の荷物はすべてゴミ袋に入れて処分することに決めた。――この部屋を優衣に使わせるために。
 こうして圭祐のマンションでふたりだけの新生活が始まった。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-01 15:23 | 恋愛小説