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カテゴリ:恋愛小説( 51 )

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   第二十章 それぞれの再会

 ふたりが旅行から帰ったら、先輩の片桐探偵社からファックスが届いていた。
 どうやらシンガポールから帰ってから、すぐに優衣の母親の捜査をやってくれていたらしい。ファックスには辻本綾子の所在と、現在働いている職場の住所と電話番号、そして最近、母親が引っ越したという知人宅の住所などが書いてあった。さすが、人探しのオーソリティー仕事が早いと感心した。

 詳しい状況を聞くため片桐に電話をかけたが、一度目は張り込み中なのか、留守電話になっていた。二時間後に片桐の方からかかってきた。
『ああ、悪りい悪りい~。さっきまでラブホで張り込みやったんだ』
『先輩、忙しいところスミマセン。ファックス見ました。同じ沿線のわりと近い所に住んでいたんですね』
『そうなんだ。子どもを置いて家出した人は案外近くに居るもんさ。たぶん、何度かこっそり様子を見にきていたと思うよ』
『近々、娘と一緒に母親に会いにいきます』
『それがいい。母親も娘に会いたがってるはずだから』
『ところで知人宅より、職場を訪ねた方がいいでしょうか?』
『その知人というのは職場の同僚で、親子ほど年が違うし、たぶん男女のソレとは違うと思うけど……いきなり自宅よりは職場の方がいきやすいだろ? ただ、職場に聞いたことある名前があったんだが……まあ、今のおまえなら大丈夫だろう』
『えっ? 誰ですか』
『人違いかもしれない……』
『誰です?』
『いや、まあ、たぶんいってみたらわかる。じゃあ、俺は仕事に戻るから……』
 最後は曖昧に誤魔化すようにして、片桐が電話を切ってしまった。今は優衣のことしか興味がない圭祐には、それが誰であろうと別に構わない。
 片桐の読み通り、やはり老人介護施設の厨房で働いているみたいだった。
 調理師の資格を持っている母親は、たぶん食堂関係の仕事に就いているだろうと優衣も考えていたようで、この一年の間、優衣なりに母親を捜していたらしい。
 優衣と相談して、その知人宅の住所ではなく、母親との関係がよくわからないので……やっぱり職場を訪ねた方が無難だろうという結論になった。
 もうすぐ母に会えると、優衣はものすごく喜んでいる。少しづつでも、この子を幸せに出来れば、それは圭祐にとって満足なことだった。

 さっそく、明日にでも母親が勤めているデイサービスの施設に、ふたりで訪ねることに――。

「涼子さーん!」
 デイサービスの『ゆーとぴあ』の受付カウンターに座っていると、崎山がやってきた。
 受付業務は本来涼子の仕事ではないのだが、担当者がお昼の休憩を取っている間の一時間だけ、代わりに受付に入っている。
「あのさ、綾子さんが涼子さんの分のお弁当も作ってくれたから一緒に食べよう」
 手に持った大小二つの弁当箱を見せてくれた。大きい方の崎山の弁当箱は涼子の弁当箱の三倍以上の大きさだった。
 崎山の家に住まわせてもらっている綾子は、家賃の替わりに食事を作っている。調理師の綾子は、料理が手早い上、ボリュームがあって美味しいので、食いしん坊の崎山は大喜びである。
 最近では崎山の弁当と一緒に涼子のも作ってくれている。恐縮して断わったのだが、「ひとつ作るのも、ふたつ作るのも手間は同じだから」と、崎山とペアの弁当を作ってこられる。職場での手前、ペア弁当は恥かしいのだが……このふたりのノリにはあがなえない。
 崎山は涼子に合わせて、自分の休憩時間を取っているみたい、その人柄のせいか、崎山は『ゆーとぴあ』では、割りと自由にやらせてもらっているようだ。
 食べ物を目の前にすると、まるで子どもみたいに無邪気にはしゃぐ崎山のことを可愛いと思う。綾子も涼子も、この大きな男になぜか母性本能をくすぐられている。

 ――あれから、涼子は崎山に自分のことを話した。
 過去に婚約者に酷い仕打ちをしたことがあった。だから、自分は恋とか結婚とか考えてはいけない人間なのだと……。
 それに対して、崎山は「俺は涼子さんのことが好きだ。いつか、涼子さんが俺のことを好きになって必要だと思ってもらえるまで、何年でも待つつもりなんだ!」と、そうキッパリと答えた。崎山の真摯な気持ちは嬉しいが、涼子は元婚約者に許されるまでは……その先のステップはとても踏めないのだ。
 あと十五分ほどで担当者が休憩から帰ってくる、それまで崎山は受付カウンターで涼子を待っているつもりみたいだ。大きな弁当箱を抱えてわくわくしている。他のことは我慢できても、食べることに関しては、「待て!」が利かない男である。

 受付カウンターから、正面ドアのガラス越しに『ゆーとぴあ』の駐車場に一台の車が停まるのが見えた。それはシルバーグレーのビートルで、涼子は来客かしらと見ていた。
 シルバーグレーのビートルは元婚約者だったあの人が乗っていた車種と同じだと、ぼんやり考えていたら、車のドアが開いて若い女の子が降りて、こちらに向かって小走りでやってきた。
 ショートヘアーのスレンダーな可愛い娘だった。正面ドアを開けて、真っすぐに涼子の元へきた。
「……あのう。ここに辻本綾子って人が働いていますか?」
「はい。辻本ならおりますが……どちら様ですか?」
「わたし娘です。辻本優衣と言います」
「ええー!」
 その返答に驚いた。隣に座っていた崎山も驚いて、手に持っていた弁当箱を床に落としまった。
「あなたが綾子さんの娘さん?」
「はい!」
 ベージュのコートの中に着ている若草色のセーターには見覚えがある。あれは綾子の手編みのセーターに違いない。
 それにしても綾子に聞いていた容貌と全然違う。優衣は地味でオタクっぽくて、冴えない娘だと確かそう聞いていたが……目の前にいる女の子は、とてもチャーミングで垢ぬけているではないか。
「ちょ、ちょっと、待っててくださいね」
「ええ……」
「崎山くん、綾子さんを大至急で呼んできて……」
 隣にいる崎山に小声で頼んだ。
「よっしゃ! すぐに綾子さんを連れてくるから待っててね」
 慌てて取り落とした弁当箱を拾い上げ、それを持ったまま、綾子が居る厨房へ走って行った。ほほ同時に正面玄関が開いて、優衣の連れと思われる男性が入ってきた。優衣はそっちに振り向いて――。
「おにいちゃん! お母さん、ここに居たよ」
 その男性の顔を見た瞬間、涼子は全身の血が凍りついた。――いつかは謝らなくてはいけないのに……どうしても、怖くて……とても会いにいけない人物だった。
「圭祐……」
「君は……涼子?」
 圭祐も茫然と立ち竦んでいた。「ここで働いていたんだ」
「ええ……そう」
 何から話せばいいのか言葉が見つからず、涼子は俯いてしまった。
「あ、おにいちゃんの知り合いなの?」
 優衣が無邪気な声で訊いた。
「うん。昔の知り合い」
「……じゃあ、綾子さんの娘さんを圭祐が保護していたの? わたしたち家まで彼女を迎えにいったんです」
「そう、今は一緒に暮らしている」
「えっ! そ、そうなの?」
 その返答に涼子は、なぜかひどく動揺してしまった。
 心のどこかで圭祐は今でも自分を想っているかもしれないと、女性特有の思い込みでそう信じていただけに、何だか心をはぐらかされた気分だった。なんとも身勝手なことだが……。

 受付カウンターに崎山が綾子を連れて帰ってきた。調理服を着たままで慌ててきた様子で、崎山に引っ張られて息を切らせていた。周りをキョロキョロ見渡して……どこに娘がいるのか探しているようだった。
「お母さん……」
 娘の方から声をかけた。
 目の前にいるチャーミングな娘が、我が子だと気づいた時の綾子の顔と言ったら――。あんぐりと口を開いて、信じられないという顔で優衣を凝視していた。
 自分の頭の中の記憶とはあまりにかけ離れていたせいのだろう。その娘が優衣だと認識するまで綾子の頭脳はしばらく時間がかかった。
「お、おまえが優衣かい……?」
「そうよ! お母さん」
「すごく、きれいになって……」
「セーターありがとう」
 優衣が着ているセーターを見た瞬間、綾子の目から涙がぽろぽろ零れた。そして娘も母親に抱きついて、わぁーわぁー泣き出した。離れ離れになっていた母娘の再会は感激の涙だった。
 涼子も思わず貰い泣きをしてしまった。崎山もうるうるしていたみたいで目が赤い。圭祐だけが満足そうに微笑んでいた。
 そこへ、事情も分からず休憩から戻ってきた受付の女性は、ただ驚いて何事かとおろおろしていた。軽く事情を説明して、その女性と交代で涼子は休憩に行くことになったが……。
 崎山に、優衣の連れの男性は知り合いだったので少し話があるから……先に休憩を取るよう話した。崎山は圭祐の方を一瞥すると「分かった」と頷いた。圭祐と涼子に何らかの因縁を感じていたようだ。――あれで崎山は勘の鋭いところがある。

 少し話がしたいと涼子の方から誘った。圭祐は別にこだわる風もなく「いいよ」と『ゆーとぴあ』の建物から出て、駐車場までついてくる。
 そして「ここなら優衣の様子が見えるから……」と圭祐がいうので、彼のビートルの前で立ち話をした。
「ご無沙汰しました」
「君も元気そうで良かった」
「ありがとう」
 あの時のことを謝りたいと思っているが……あまりに圭祐が平然としているので、返って話を切り出し難くなった涼子である。
「……あのう、あの時は、いろいろとご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
 涼子は胸の閊えを取り除くためにも、圭祐には頭を下げて謝った。
「――いいよ、そんなことは……もう終わったことだし、僕らはお互い縁がなかったんだ」
「だけど……」
 どう謝罪すれば良いのか困惑している涼子を見て、圭祐は微笑んでいた。《この人、すごく強くなっている》とそう感じた。
「それより仕事どう?」
 圭祐が訊ねた。――たぶん話題を変えるためだろう。
「うん。いろいろ勉強しながら頑張ってる」
「そうか、君には介護職が合っているかもしれない」
「まだまだ、なんだけど……」
「まあ頑張れよ」
「あれ? 圭祐、今日は仕事お休み?」
「……うん。優衣が父親に殴られてケガをして、僕の所へ逃げてきたんだ。――だから、彼女が元気になるまで会社は休職している」
 その返答に涼子は正直驚いた。
 圭祐は仕事に対しては真面目で熱心な性質(たち)、滅多なことでは仕事を休まないタイプの人間だった。その彼が優衣のために休職中だというのだから……まさか信じられない。本当にこの人は変わってしまったのだと、心底納得させられた。

「彼女を大事に思っているのね」
「ああ、一生かけて守り抜きたい、唯一の女性なんだ」
 なんら臆面もなく、そういい切った圭祐。その言葉に涼子は、女として優衣に軽く嫉妬してしまったほど……。
「わたしとは縁がなかったけど、優衣さんとは上手くいきそうね。良かったわ、圭祐が幸せそうで……」
「ありがとう。涼子も幸せになれよ!」
「相変わらず、優しいのね。圭祐って……」
「あははっ」
 曖昧に圭祐が笑った。この優しさが『諸刃の剣』だと彼にはわかっている。

 どうやら綾子は仕事に戻ったみたいだ。優衣が『ゆーとぴあ』の正面ドアから出てきて、真っ直ぐ圭祐の方を見てにこにこ笑っている。その笑顔に圭祐も応えていた。――もう誰にも入り込めない、ふたりだけの愛の世界だった。
「おにいちゃんのこと、お母さんがすごく感謝してたよ!」
「そうかい」
「今度、挨拶にくるって」
「可愛くなった優衣を見て驚いてただろ?」
「うん! みんなおにいちゃんのお陰だっていっといた」
「違うよ、優衣が元々可愛いからさ」
「それから、おにいちゃんがゲーセンで取ってくれた白いクマのぬいぐるみを、お母さんがあたしの部屋から持ってきてくれた」
「良かったなぁー」
 ふたりの会話を聴きながら、圭祐は自分にぴったりな『運命の女性』と巡り会えたのだと涼子は安堵した。自分の我ままのせいで彼を不幸にしたという罪悪感に、いつも苛まれていた涼子だったが、やっと自分自身を解放できる。

ふと、建物の中を見ると、まだ休憩にいかなかったのか、崎山が受付カウンターから、駐車場で立ち話をしている、涼子たち三人の様子を見ていた。――たぶん、圭祐のことを気にしているのだろう。

「じゃあ、帰るよ」
「ありがとうございました」
 ぴょこりと優衣が頭を下げた。素直そうで良い娘だと思った、この子を圭祐は自分の色に染めていくのだろうか。優衣なら、きっと圭祐を幸せにしてくれそうだと涼子は確信した。
 こんなに穏やかな包容力のある圭祐は、涼子が付き合っていた頃にはなかった。優衣を知って圭祐自身も大きく変わっていったのだろう。
 ――心から、このふたりを祝福したい。そう涼子は思っていた。

「僕ら、それぞれの幸せを見つけて生きていこう」
「そうね!」
「涼子、君に……」

『Good Luck』

 圭祐はそういって、照れ臭そうに笑った。その言葉が誰かの受け売りだったから……。
 そして、ビートルのドアを開けて優衣を乗せるとシートベルトを確認して、圭祐も運転席に乗り込んだ。
 涼子に向かって、ふたりは笑顔で手を振ってから、ゆっくりとシルバーグレーのビートルを発進させた。

 グットラック……その言葉に涼子は思わず涙が零れた。
 やっと罪を赦されて心が軽くなっていくようだった。圭祐の優しさには深く感謝している。
 それぞれの幸せを見つけて生きていこう……そうだ! もう一度、恋ができるかも知れないと思った涼子の脳裏に、崎山の顔がちらりと浮かんだ。

 いつの間にか、正面ドアの前に崎山が立っている。
 ――心配そうに、こちらを見ている崎山に手を振りながら、涼子は走っていった。

『あぁー、真っ青な空だ! もう冬は終わったみたい』
 
 空を仰ぎ見て、大きく深呼吸したら、ふわりと心が青空に吸い込まれてしまいそう――。

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   終章 喜びの朝がはじまる

   ずーっと、ね。探していたのだと思う。
   この世で自分とだけピッタリ合う魂を持った人を、
   そして君と出会って、愛する意味を僕はしったんだ。
   愛は求めるものでもなく、与えるものでもない。
   本当の愛は混ざり合って、ひとつになることなんだって!
   そう。君こそが僕の探していた『運命の人』だから。

 ――昨夜から、しんしんと雪が降っていた。一晩で積った雪は街をすっかり雪景色に変えてしまった。陽の光が真っ白な雪に反射してキラキラと眩しい。

 僕と優衣は雪道をしっかりと手を繋いで歩いていた。
 降り積もった雪のせいか、道路は通行止めが多いため、今日は愛車のビートルは置いてきた。珍しく電車に乗って駅で降りて、こうして仲良く歩いているんだ。
 優衣が滑らないように、ちゃんとゴム長靴を履かせている。彼女のお腹の中には新しい生命が宿っていて、それは僕と優衣の大事な『愛の結晶』なのだ――。
 今日は妊婦の定期健診があるので、僕も病院に付き添ってきた。
「優衣の大事なところをお医者さんに診られるのは嫌だなぁー」
「おにいちゃんのエッチ!」
「もう、おにいちゃんじゃないだろ?」
 優衣の左の薬指には真新しいプラチナの指輪がはめられている。
 僕らは、優衣の二十歳の誕生日に教会で結婚式を挙げた。あのダイヤモンドダストを見たホテルの近くの教会だった。ふたりは永遠の愛を誓い合って、優衣は僕の妻になった。
 ダイヤモンドダストを見た日から、一年の月日が流れていた。
 そして、来年には新しい家族も増える。ふたりで家庭を築き、子どもを育てていこう。小さな夢だけど、それが僕らの未来設計なんだ。そのステップを優衣と共に進んでいく――。
「赤ちゃんが産まれるまでは、おにいちゃんだからね」
「一度くらいは『圭祐さん』って、呼んで欲しいなぁー」
「そんなの恥ずかしいから、いやだよ!」
 繋いだ手をブラブラ振りながら、ふたりで笑った。

 ――あんなに暗かった優衣も、今では明るくなってよく笑うようになった。
 その後、優衣の父親は家を売って自分の郷里に帰ってしまったらしい。家族に酷いことをしたのだから、孤独な人生になってもしかたない。
 一年前までは父親の暴力に怯えて、小さくなっていた優衣……心の傷も癒えて、やっと本来の天真爛漫な性格が出てきたようだ。
 今では母親の綾子とも月に一、二度あって買い物や食事にいっている。綾子は崎山という青年の屋敷に住んでいるのだが、そこに涼子も引っ越してきて、今は三人で暮らしているらしい。綾子は「崎ちゃんも涼子さんも良い人だよ。ふたりはいずれ結婚して、グループホームを作るのが夢なんだよ」そんな話をしていた。
 涼子も崎山という青年と一緒に幸せを見つけたようだ。過去の経緯(いきさつ)はどうあれ、かつて愛した女性が幸せになってくれたら、それは嬉しいことだ。人を赦す心を持たぬ者には、本当の幸せを掴むことが出来ない、そう僕は思っているから――。
 だから、涼子にも幸せが訪れるように僕は祈っているんだ。

「優衣、圭祐さんのお嫁さんになれて……だよ」
 小さな声で優衣が呟いたが、肝心な言葉が聴こえてこない。聴こえなくたってわかっているさ。僕も同じ気持ちだから。大事な言葉はそっと胸の中に閉まっておこう。
「こんな可愛いお嫁さんがいて、もうすぐパパになる!」
 ありがとう、優衣。――君のお陰で僕は生きる喜びを感じているんだ。
 来年も、この道をベビーカー押して君と歩こう。人生という長い道のりを僕と一緒に歩いてくれるかい、君は一生の伴侶と決めた女性だから。


   【 しあわせ 】

   『 しあわせ 』って言葉を
   声にだしたら

   淡雪みたいに溶けちゃいそうで

   『 しあわせ 』って言葉を
    のみ込んで

    胸の中でぎゅっと抱きしめている

          優衣


 朝日が昇ると、また新しい一日が生まれる。
 ふたりで幾つもの朝と幾つもの夜を迎えることだろう。繰り返される日常は平凡でありきたりな生活かもしれないが、朝、君が起きると窓のカーテンをサッと開く、そこから眩しい光が差し込んでくる――それは喜びの朝のはじまりである。


― 完 ―


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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-03 14:28 | 恋愛小説
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   第十九章 ダイヤモンドダスト

 圭祐のマンションで優衣と暮らし始めて半月が過ぎた。
 優衣の身体の傷はすっかり治り、心の傷も治ってきたらしく表情が明るくなってきた。たぶん、ヘヤースタイルのせいかも知れないが『マドンナ』から帰って以来、少しおしゃれにも目覚め始めた優衣は日に日に可愛くなってくる。
 この頃には少し余裕が出てきて、家の中で圭祐のために料理や洗濯までやってくれている。調理師の母親に仕込まれた料理の腕もなかなか大したものである。
 本来、優衣は家庭的な娘で家事が好きなようだ。
 まだ父親を怖れて、ひとりでは外出しようとしない。買い物にいくのも、遊びにいくのも、いつも圭祐と一緒じゃないと外へ出ていけないのだ。人見知りの強い優衣は圭祐だけに心を開いてくれる。世間に出るのが怖いなら、ずっと家にいればいいのだと圭祐は思っている。
 小鳥のように籠の中が安心できるらしい。
 優衣のこういう内向的なところが可愛いと思う。《たぶん、自分だけを愛してくれる女性を僕は探し求めていたのだろう》圭祐にとって理想的な女性である。――そんな優衣を守っていこうと心に誓っている。

 ここの生活に慣れて、暇を持て余した優衣は圭祐のパソコンに興味を持ち始めた。今までパソコンを持ったことがなく、学生時代に授業で触ったくらいの経験しかないのだが、珍しく自分から興味を示したので、彼女専用にノートパソコンを買い与えた。
 さっそくインターネットのSNSにブログを作って、優衣は自作の詩を発表し始めた。ネットのコミュニティーに、詩人仲間が出来て作品の批評などし合っているようだ。圭祐はそれは良い傾向だと思って見ていた。リアル社会では引っ込み思案の優衣だがネットでは上手くコミュニケーションが取れているようなので安心した。
 SNSのブログは優衣の楽しみになったようである。


     【 春のワルツ 】

   窓辺の日差しに
   まどろむ人よ
   カーテンの隙間から
   春の風が吹き込んできた

   起きて 起きて
   眠っていては もったいない
   ドアの向こうでは
   新しい季節が始まっている

   さぁ 春の息吹を
   深呼吸して
   優しい想いが満ちて
   心がフワリとしたでしょう

   紅潮する頬 胸の心拍
   ドキドキが止まらない
   その心拍数は三拍子
   春の序曲が聴こえてきた

   さぁ 愛する人の名前を
   そっと囁いて……

   『     』

   その名を呼べば
   胸が熱くしめつけられる
   そう この感じ?
   あぁ 恋におちた!

   春に心を躍らせて
   ふたり手を取りあって
   クルリ クルクル
   ワルツを踊りだす

   あなたの胸の中
   素敵な三拍子のリズム
   フワリ フワフワ
   夢見心地のステップ

   ― 身も心も溶け合って
   ふたりのワルツは終らない ―

          優衣


 こんな詩を書いたからと、優衣が自分のブログを圭祐に見せにきた。
 その詩は、春を夢見るようなワルツのリズムをイメージして書かれた明るい作品だった。今までの優衣の心理状態では絶対に書けない。
 たくさんの人が閲覧してコメントを残してくれていた。みんなに作品を読んで貰うと、やる気が出て嬉しいとブログを見ながら優衣が微笑んでいる。
「優衣、そのカッコの中には、誰の名前を書き込むんだい?」
「――それは内緒だよ」
 そう言って、唇に人差し指を立てて優衣は、ふふふっと笑った。その表情は大人の女性の艶めかしさだった。

 ――少女だと思っていた優衣を、女として意識し始めていることに、圭祐は自分でも気づいていた。

「ねぇ、ダイヤモンドダストって見たことある?」
 ソファーで新聞を読んでいる圭祐に、優衣が突然そんなことを訊いてきた。
「ダイヤモンドダスト……ずーっと昔に、スキー場で見たことがあるよ」
「今、パソコンの動画で見てるんだけど……とってもきれい!」
 キッチンカウンターにノートパソコンを置いて、椅子に腰かけて画面を見ている。
「幻想的で素敵……あたしも……一度見てみたいなぁー」
 食い入るようにダイヤモンドダストの動画を見つめている。たぶん、詩人の魂が求めているのだろう――。
「見にいこうか?」
「えっ?」
「見られるかどうか、天候の問題だから保証できないけど……僕が昔見た、そのスキー場でまた見られるかもしれない」
「いってみたい!」
「そうか、じゃあパソコンからホテルの予約を入れるよ」
 決まれば即行だ。何しろ圭祐は休職中だったので、いつでも出かけられる。平日だったのでスキー場のホテルの予約は難なく取れた。
 さっそくスタッドレスタイヤをビートルに履かせて、ふたりは車に乗って出発する。深い雪道を『ダイヤモンドダスト』という幻想を見にいくために車を走らせた。

   〔ダイヤモンド・ダスト〕
細かい氷の結晶が空気中に浮かび、それが太陽光線できらきら輝いて見える細氷現象。非常に低温で風が穏やかなとき現れる。


 ――そこは見渡す限りの銀世界だった。
 信州にある有名なスキー場で標高が高いので、かなり気温が低く、氷点下20度以下の早朝ならダイヤモンドダストが見られる可能性がある。ここのところ晴天が続いているので上手くいけば――あした朝日の昇る頃に見られるかもしれない。
 圭祐は《きっと神様が、僕らのために見せてくれるに違いない!》根拠はないが、そんな予感がしていた。
 スキー場のホテルには夕方遅くに到着した。
 フロントで渡された鍵でツインルームのドアを開けて中に入ると、ベッドが二台並んでいて、圭祐はちょっとドキリとした。優衣とはもう半月近く一緒に暮らしているが、同じ部屋で寝たことはなかった。
 傷ついて、自分に助けを求めて逃げてきた女性に、手を出すような卑劣な真似だけは絶対にしたくない。
 部屋に荷物を置いて、ふたりは服を着替えた。ここに来る途中にデパートに寄って、ホテルのディナー用に優衣の服を買った。それは淡いピンクで上品な透け感のあるジョーゼットのワンピースでやや襟ぐりが広く、胸元にはコサージュが付いて、裾はたっぷりのギャザーのついたフェミニンなスタイルだった。同色のシルクオーガンジーストールで胸元をふわりと覆う。そして、生まれて初めて履いたという白いハイヒール。

 まるで、舞踏会に出かけるシンデレラ姫みたいな優衣をエスコートして、ふたりはディナーにホテルのレストランへ向かった。
 そこには大きな暖炉があり薪が赤々と燃えていて、生演奏のピアノはサティの『ジムノペティ』を奏でていた。大きなガラス窓を透して見える、一面雪景色のホテルの中庭は、蒼い月に照らされ白々と雪灯りが美しかった。
   そして、ふたりは窓際のテーブルに案内された。テーブルには赤いバラとキャンドルが飾られ、その仄かな灯りが優衣をいっそう美しく映し出す。淡いピンクはまるでウェディングドレスのようだった。
「こんな素敵な所にきたの、初めて……」
 夢見るような顔で優衣が呟いた。使い慣れないナイフとフォークでフランス料理を懸命に食べている。
「優衣は、僕のお姫さまだから、これくらいのことは当たり前なんだ」
「お姫さまなんて……うふふっ」
 口角を上げて微笑んだ優衣の唇が、ゾクッとするくらいセクシーだった。
 赤ワインで少し酔いがまわってきた圭祐は、今宵こそ彼女を自分のものにしたいという欲望が沸々と湧き上がってきて……そんな自分を懸命に諫めていた。
 ――ロマンティックな雪山の夜はふけていく。

 結局、昨夜は飲み過ぎて優衣に介抱して貰ったようだ。
 つい気分が良くてワインのグラスを重ねる内に酔いが回ってしまい、部屋に戻ると、突然の睡魔に襲われてベッドに倒れ込むように眠ってしまった。途中、夜中に目が覚めたら優衣が同じベッドで眠っていた。たぶん、介抱している内に一緒に眠ってしまったのだろう……。
 安らかな寝息を立てて気持ち良さそうに眠っている、お姫さまのおでこにキスをして、優しく抱き寄せ《焦ることはない。ふたりの時間はこれからいっぱいあるんだから……》再び、一緒に眠りに落ちていった――。

「おにいちゃん! 見てー!」
 突然の大声に圭祐は目を覚ました。優衣が窓辺に立って外を眺めながら興奮した声で何か騒いでいる。
 ベッドから起き上がった圭祐は驚いた。確か、昨夜は服を着たままで寝てしまったはずなのに……ホテルの浴衣を着ている。どうやら優衣が着替えさせてくれたようだが、ちょっと恥ずかしくてキマリが悪かった。
「おにいちゃん、早く早く、見て! 見て!」
 窓辺から手招きをして呼ぶ。
「どうしたの?」
「ほらっ! あれ」
 圭祐は眠い目を擦って、窓の外を見た瞬間、思わず歓喜の声をあげた。「ダイヤモンドダストだぁー!」
 その朝、屋外の気温はマイナス20度くらいだろうか。昇りはじめた朝日を受けて、ダイヤモンドダストが静かに舞い上がっていた。空気中の水分が氷となって舞う様子は、キラキラと眩しく神々しいほどの美しさだ。
 ふたりは神様が奏でる『幻想のシンフォニー』に、しばし心を奪われていた。

 ――慌てて服を着替えると、屋外へと飛び出していった。
 こんなマイナス20度もあろうかという激寒の朝に、ホテルの外に出てくるような物好きは誰もいない。そんな真っ白な雪の中で優衣がはしゃいでいた。
「ダイヤモンドダスト!」
 大声で叫んで、兎みたいにぴょんぴょん跳ねる。
「きれい! きれい!」
 空に向かって掌を翳し、クルクル回って踊っている。
 こんな嬉しそうな優衣を初めて見た。ストレートな感動を全身で表現するのは、たぶん優衣自身生まれて初めてだったのではないだろうか――。
 その時、圭祐の瞳に映ったもの『嬉しそうな優衣』と『ダイヤモンドダスト』は、彼の心に限りない喜びを与えた。
「あんまり走り回ると転ぶよ」
 そういった矢先に、雪に足を取られて転んでしまった。
 尻餅をついた優衣を起こそうと、笑いながら圭祐は片手を差し出した。するとその手を、思いがけない強さでギュッと優衣が握り返した。
 そのまま、ふたりは見つめ合っていた。
「おにいちゃんが好き……」
 恥ずかしそうに、小さな声で優衣が呟いた。
「優衣……」 握り合った手をゆっくりと引き寄せて、そのまま腕の中で優衣を抱きしめた。
「君は僕の一番大事な人だ」
 ダイヤモンドダストが舞い上がる中、ふたりは自然と唇を重ねていた。
 優衣の柔らかな唇は誰も触れたことのない新雪のようだった。優衣、君が二度と傷つかないように命をかけて守る。それが僕の使命だって分かったんだ! このまま、時間が止まればいいと思っていた。
 ふたりで見たダイヤモンドダストが消えないように、愛のフォトにして、永遠に心のアルバムに残していこう。

   『ダイヤモンドダストは、神様からの祝福のプレゼントなのだ!』



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-03 14:00 | 恋愛小説
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   第十八章 雪景色が彩られていく

 翌日、圭祐は優衣を連れて知り合いのやっている美容室『マドンナ』へいくことにした。
 高校時代のクラスメイトだった、速水早苗(はやみ さなえ)と圭祐は昔馴染みで、時々は圭祐もカットをして貰いに早苗の店に行くことがある。高校時代に早苗とは短い間だったが付き合っていたこともあった、だが、ふたりの関係は友情以上には発展することはなかった。
 今でも早苗とは会えば、冗談ばかりをいい合う間柄である。圭祐にとって数少ない気の置けない友人のひとりなのだ。
 美容室『マドンナ』のドアを開けると、早苗が人懐っこい笑顔で迎えてくれた。
「あらっ! 圭祐くん、いらっしゃーい」
 高校時代と同じように、今でも“ 圭祐くん ”と呼ぶ早苗は、パッと見は派手だがしっかり者の主婦である。彼女は五歳と三歳の二児の母親なのだ。
圭祐の後ろに隠れている優衣を見つけた早苗は驚いたように、
「おや? 圭祐くんって、妹さんがいたんだっけ?」
「あははっ、妹じゃないさ。ちょっと事情があって面倒みている子なんだ」
「そう、じゃあ今日は彼女のヘアーをしにきたのかな?」
「とびっきり可愛くしてくれよ!」
「この自称カリスマ美容師の早苗さんに、お任せくださいませ!」
「あははっ」
 ふたりのやり取りを、キョトンとした顔で優衣が見ている。

「……うーん。ずいぶん不揃いに切られてるわねぇ……自分で切ったの?」
 父親にハサミでザクザクに髪を切られた後、圭祐が外に出れる程度に切り揃えた髪形である。
「あ、そのう……です」
 困ったような顔で優衣が答えている。
 圭祐はソファーに座って雑誌を読みながら、ヘアーが仕上がるのを待っている。
「きれいに揃えるのには少し短くなるけど、いいかしら?」
「……お任せします」
「それと、黒くてきれい髪なんだけど、ふんわり軽く見えるように、明るくヘアーカラーしてみる?」
「毛染めですか?」
「そう、少し明るくすると顔が優しく見えるわよ」
「……ヘアーカラーやってみます」
「アッシュベージュのきれいなカラーがあるのよ」
「はい」
「それから、毛先の方だけパーマかけてみようか?」
「パーマもですか?」
「うん。大きい目のロットで巻いて、ふんわりしたシルエットに仕上げるの」
「ブローとか、やり方が分からないから……」
「大丈夫! ブローなしで手ぐしだけの楽ちんヘアだよ」
「それならお願いします」
「よっしゃー! この早苗さんにお任せあれ」
 早苗の言葉に、緊張が解れてくすくす笑っている。
 そんな様子をソファーから見ていた圭祐は、リラックスした優衣の顔を久しぶりに見たような気がして、早苗の店に連れてきて良かったと思っていた。
 その後、美容師の顔になった早苗はハサミ捌きも見事に優衣の髪をカットしていった。

「パーマとカラーもしたから時間がかかるわよ」
 インターンの女の子がシャンプー台で優衣の髪を洗っている間に、コーヒーをお盆に乗せて圭祐のいるソファーに早苗がやって来た。
「コーヒーどうぞ」
「ありがとう。時間かかっても構わないよ」
「圭祐くん、今日は平日だけど会社を休んでるの?」
「ああ、しばらく休職しようかと思っている」
「何があったの? 去年、あんな目に合った時でも会社は休まずにいってたくせに……」
「うん。自分のためなら休まないさ」
「……もしかして? あの子のために?」
 早苗はシャンプー台の優衣の方を目で差し示した。「――そうだよ」
「そっか、素直な子だね」
「うん」
「あたしや涼子さんは、圭祐くんの優しさを傷つけてしまうタイプだけど。――あの子は一途でいいよ。きっと一生ひとりの男の人だけを想い続けるタイプだよ」
「……なぜ、そんなことが分かるんだ?」
「長年、美容師やってると髪の感触で分かるんだよ!」
「それじゃあ、霊感美容師だなぁー」
 そういって、ふたりで笑い合った。
 一年前のことは早苗もよく知っていて、渦中の人だった圭祐が愚痴をこぼした、たったひとりの友人だった。時々電話をして、安否を心配してくれる早苗は友人というよりも姉のような存在なのである。
「……もう、あんな辛そうな圭祐くんは二度と見たくないよ」
「早苗にも心配かけた」
「今度は幸せになってよね」
「ああ、今度こそ必要とされる男になるさ」
「応援してるから!」
「うん」
 あの頃の自分は、心配してくれてた友人のことを気づかう余裕さえなかった。今、あらためて早苗には感謝している。こんな風に心に余裕が出来てきたのは、きっと優衣の存在が大きい、やっと本来の自分を取り戻しつつあると圭祐は感じていた。

 ようやくパーマとカラーが終わった、優衣のヘヤースタイルを早苗が櫛で入念に仕上げをしてくれている。
「優衣ちゃん、どう感じ変わったでしょう?」
「自分じゃないみたい……」
 ――鏡に映った自分の姿を見て優衣は茫然となった。
 優衣のヘアーは、ショートボブにふんわりカールでフェミニンな感じがする。明るいカラーで顔全体が柔らかな印象になった。今までの、あの野暮ったさがなくなって……まさか、こんなに雰囲気が変わるとは、美容師の早苗自身すら思ってもみなかった。
 きっとこの子は、好きな男の色に染まっていく女なのだと思った。
「すっごく似合ってるわよ!」
「ありがとうございます」
「ねぇ、お化粧はしたことあるの?」
「化粧はやったことないです」
「そう、じゃあ、メイクもやってあげるからね」
「……はい」
「優衣ちゃんは色も白いし、肌理も細かいから、薄くメイクしただけで化粧映えすると思うわ」
 褒められて、優衣は嬉しそうに照れていた。早苗は慣れた手つきで、優衣の顔にメイクを施していった。今まで自分の外観をあまり気にしていなかった優衣にとって、今日は劇的な変化の日になった。

「ジャーン! お姫さまの登場ですよ」
早苗の後ろで、優衣が恥ずかしそうにもじもじしている。
「恥ずかしがってないで。ほらっ、もっと堂々として!」
 グイッと早苗に背中を押されて、圭祐の目の前に優衣が突き出された。
 見た瞬間、優衣のあまりの変身に圭祐は驚いた。まさか、ここまで可愛くなるとは思わなかった。顔の半分が、いつも長い髪に隠されていたが、実はこんなにチャーミングな顔が隠されていたのかとつくづく眺めた。薄く化粧もしていて、優衣は大人の女性の顔になっていた。
「驚いたなぁー、こんなに変わるなんて……」
「どうよ? 優衣ちゃん、とっても可愛いでしょう?」
「うん。すごく可愛いよ」
 素直に圭祐はそう思っていた。
 決して、優衣の容姿に惹かれて興味を持った訳ではなかったが……それでも、可愛くなると男としては嬉しいものである。
「恥ずかしい……」
 両手で顔を覆った――。今まで、容姿で注目を浴びたことがない優衣にとって身の置き所がないようだ。
 自分のことを不細工だといつも卑下していた優衣だけど、きっと本当の姿を知らないで、自分を醜いアヒルの子だと思い込んでいたのかもしれない――しかし、その本当の姿は白鳥だったんだと、この時、圭祐にはハッキリと分かった。

 優衣のヘアーの出来に美容師として早苗も満足そうだった。
 帰るふたりを出口まで見送りにきて、ドアを出る寸前に、早苗は圭祐だけに聴こえるように耳元でそっと囁いた。
「素直で良い子だよ。ずっと守ってあげなよ」「そう決めている」
「そっか。幸せになるんだよ」
「ありがとう」

『Good Luck』

 祝福の言葉と共に、ふたりの背中に満面の笑みで早苗は手を振った。

 ふたりは美容室からの帰り道、デパートに寄って買い物をした。優衣の新しいヘアースタイルに似合う洋服を、若い娘向けの少しカジュアルなショップでコーディネイトする。
 優衣は母の手編みの若草色のセーターを着たいというので、それに合わせて店員に選んで貰った服は、コットンワッシャーのすそが花びらみたいなカッティングのきなり色のスカートとベージュのファーフード付きダウンコートだった。そして、ブラウンのウエスタンブーツとキャメルのショルダーバックも一緒に購入した。
 試着室から出て来た優衣はシンデレラみたいに美しく変身していた。新しい洋服は彼女によく似合っていて、どこに連れていっても恥ずかしくない容姿だった。
 コーディネイトして貰った服をその場で着替えて帰ることにした。あんまり可愛くなり過ぎたので……男として圭祐は、ちょっと心配になったほどである。
 ショップでは、それ以外にもついでに普段着を二、三着買った。何しろ着のみ着のままで逃げてきた優衣には着る服が全くない、これからは自分が買い与えていこうと圭祐は思っていた。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-02 16:40 | 恋愛小説
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   第十七章 ここに居る理由は、

 優衣を保護してから、今日で六日が経った。
 顔の痣もだいぶ目立たなくなってきて、口の中の傷も治ってきたようで、普通に食事が出来るようになった。
 最初の三日くらいはショック状態で、ほとんどしゃべらなかった優衣だが、少しづつ元気を取り戻したようである。取り分け、髪を切られたことがショックだったようで、兄の健人との思い出を断ち切られた思いがしたのであろう。
 ここに来た時から、優衣は若草色のセーターを握りしめている。寝ている時もずっと放さない。どうしてなのか優衣に訊ねたら――。
「お母さんが、あたしの誕生日に手編みのセーター贈ってくれたの」
「それで、大事に持っているんだね」
「うん。――お母さんの匂いがして心が落ち着くんだ」
「そうか」
 どうやら、父親に殴られた原因は、このセーターに有りそうだと圭祐は勘づいた。
 優衣の母親が見つけるために、片桐に捜査を依頼しているが、現在は出張でシンガポールにいる。彼が帰ってこないことには捜査は進展しない。
 取りあえず自分が保護している限り、これ以上、優衣に危害を加える者はいない。母親を見つけるまでの間、優衣の心のケアに専念しようかと圭祐は考えていた。
「優衣、その髪の毛は何んとかしないといけないね」
「……うん」
「僕がついていってあげるから、明日は美容室にいこうか?」
「……そうする」
 少し不安そうな声で応えた。――素直で可愛い、優衣のそんなところが愛おしいと圭祐は思っている。
 美容室に連れていける程度に、バラバラに切られた髪を圭祐がハサミで揃えた。

「あたしは、いつまでここに居ていいの?」
 テーブルに向い合って、ふたりで夕食を食べている時、ふいに優衣がそんなことを訊いてきた。
「えっ? それは優衣が居たいだけ居ればいいさ」
「あたし、何もできないし、お世話になりっぱなしで……」
「そんなことは気にしなくていいんだ」
「……けど、迷惑じゃない?」
「優衣が傍にいてくれたら楽しいよ」
「ほんとに?」
「ああ、こう見えて、けっこう寂しがり屋なのさ。僕って」
 おどけていうと、優衣が白い歯を見せた。
「そうそう、こないだ読ませて貰った、あの詩――」


     【 紅葉 】

   紅いやら
   黄色いやら
   騒いでるんじゃない

   山の中に勝手に入ってきて
   ジロジロみて
    写真撮って
   弁当食い散らかして
   ゴミだけ残して帰る
   観光客たち

   俺は
   おまえらに怒って
   紅葉(あかく)なってるんだ!


「ああいう詩を読んだら、心がほっこりするんだ」
 その言葉に優衣は嬉しそうに微笑んだ。
 身体の傷も癒えてきて、何もしないでここに居させて貰っていることが、優衣には心苦しい。最近は仕事も休んでいるみたいだし、自分が居るせいでいろいろ迷惑が掛かっている。
 お父さんは怖いけれど、やっぱり自分の家に帰った方がいいかもしれない。――これ以上、甘える分けにはいかないと優衣は思っていた。
「僕は優衣の詩のファンだから、創作に専念できる環境を作ってあげたい」
「どうして? そこまでやってくれるの?」
 ずっと虐げられていた優衣にとって、そんな親切なことを言ってくれる人がいること自体信じられなかった。
「……一年前、挙式直前で婚約者に逃げられた僕は、酷く傷ついて……ずっと心を閉ざしていたんだ。そんな時に優衣と出会って君が毎朝、可愛い詩を届けてくれた。それを読むと元気を貰えた。すっかり厭世的になっていた僕の心に、再び光を灯してくれたのが優衣なんだ。――だから君に感謝している」
「あたしは、ただ……」
 圭祐の言葉に、優衣は驚いて言葉に詰まった。
「もしも、ここを出て行きたいなら優衣の自由だよ。ただし、あんな父親の居る家には絶対に返すわけにはいかない。独立して暮らせるようにアパートを借りてあげるから、お母さんが見つかったら一緒に暮らせばいいよ」
 そこまで優衣のことを考えてくれていたなんて、この人は恩人というよりも……。
「――ここがいい。おにいちゃんの傍にいる」
 優衣は圭祐のことを“おにいちゃん”と呼んでいる。
 きっと、死んだ兄健人の影をまだ引きずっているせいだろう。お兄さんの代わりだと思われていても構わない、優衣が傍に居てくれた方がいいのだ。圭祐の心の氷を溶かしてくれたのは、他ならぬ優衣の存在なのだから――。
 もうあんな辛い思いはしたくない、二度と大事な人を失いたくないと圭祐は思っていた。

 空き部屋があるので、ここを自分の部屋として使えばいいからと、圭祐から個室を与えられた。窓には淡いピンク色のカーテンがかかっていて、白い壁にはきれいな水彩画の額縁が飾ってある。こじんまりした居心地の良さそうな部屋だった。
 昨日のことだった、優衣はベッドの下で一本の口紅を見つけた。それで、この部屋がお兄さんの元婚約者が使っていた部屋だと分かった。
 自分が知らないブランド物の口紅だと思う、肌色より少し濃いピンク色だった、大人の女性の唇に似合いそうな――。その口紅を見ている内に、何だか分からないけれど……メラメラと心の中に炎が燃えるようだった。
 もっと、もっと可愛くなりたい! きれいになってお兄さんに褒められたい! 元婚約者のことなんか、早く忘れてしまって欲しい! そんな心の叫びが聴こえてくる。
 それは初めて体験する感情だった。そんな生々しい想いを抱いたことが今まではなかった。たぶん、それは女として同性に対する対抗心だったのだ。
 ――もしかして、これが嫉妬なの?
 自分の内部で“女”が目覚めてきたことに気づかず、そんな自分に優衣はひどく戸惑っていた。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-02 15:48 | 恋愛小説
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   第十六章 ふたりの新生活

 あの日は、優衣をおんぶして圭祐は自分の部屋に連れて帰った。
 傷を治療して貰うため医者に連れていこうとしたが、頑として優衣が拒んだ。たぶん、父親の暴力を表沙汰にしたくなかったのと、腫れあがった顔を人様に見られるのが恥かしかったからだろう。
 ――見た所、ほとんどが打撲の痕だけで、口の中は切れているが歯は折れていなかった。保冷剤で冷やして経過を見ることにした。それよりも繊細な優衣の心の傷の方がずっと心配だ。
 しかし、手首を切らずに圭祐に助けを求めてくれたことは有難かった。優衣の身体の傷と心の傷が癒えるまで会社を休もうと圭祐は思っている。仮にそれで、出世コースから外れたって構わない。《僕は仕事のために生きているんじゃない。誰かを幸せにするために生きているんだ!》そう考えると、今、傷ついた優衣を救ってあげられるのは、この自分しかいないのだと自負している。

 翌日、優衣は一日中ベッドで泥のように眠っていたが、ふいに目を覚まして、
「クマの……ぬいぐるみ…置いてきちゃった……」
 うわ言のように呟いた。
「またゲーセンで取ってやるから」
「うん……」
 安心したように、再び昏々と眠り続けた。
 余程、ぬいぐるみのことが気になるらしい。――思えば、あの白いクマのぬいぐるみが、ふたりの馴れ初めだった。あのクマは不思議な運命を運んできた“ 幸運のお守り ”かもしれないと圭祐は思った。
 ――ただ今は、優衣の回復を望むばかりだ。
 腫れていた打撲痕はやがて青紫の痣に変わっていった。顔以外にも肩や背中、太腿にも痣が出来ていた。口の中が切れて痛むようなので、お粥やヨーグルトを食べさせた。
 痛みに耐え、ベッドに横たわる、痛々しい優衣の姿を見るていると……こんな酷い目に合わせた父親への怒りで腹わたが煮え滾るが、一応、優衣を預かっていることを伝えたて置いた方がいいだろうと思い、圭祐は優衣の父親に電話をかけた。
 内容は、優衣をこちらで保護していること。あなたが娘に酷い暴力を振るったことは警察沙汰にはしないから、今後一切優衣に近づくなということを告げて、電話を切った。
 こんな男とは、それ以上は話したくもない。
 相手にしてみたら「おまえは誰だ?」と「なんだと?」このふた言しかしゃべれない内に、電話を切られてしまったのだから、釈然としないだろう。こちらの番号が分からないように、もちろん電話ボックスからかけた。
 たとえ父親であっても、優衣をこんなめに合わせた男は許せないと圭祐は思っている。
 ――けれど、優衣はそんな父親を怖れてはいるが、憎んではいないのだ。
「お父さんはね、昔はあんな人じゃなかったよ。お兄ちゃんとキャッチボールしたり、家族で海水浴にもいったことあるし……どんなに機嫌が悪い時でも、お兄ちゃんと喋ってたらいつの間にか機嫌が直ってた。きっと……お兄ちゃんがいなくなって……寂しくて、悲しくて、誰とも上手くいかなくて……あんな乱暴なお父さんになってしまった。たけど……本当は可哀相な人なの……」
 あんな父親でも庇おうとする。
 ――優衣は優しい娘だ。
 とても純粋な心を持っている。 どんなに酷い目に合わされても人を憎むことができない。他人の悪意をすべて自分のせいだと思い込んで、自分自身を責めて、責めて……自傷行為に走ってしまっていたのだろう。
 この子の非力な優しさにつけ込んで、日頃の鬱憤を晴らすために、娘をサンドバッグ代わりに殴ったりするような、あの卑劣な父親から優衣を守っていかなければならないと、圭祐は強く決意したのだ。
 そのため、自分が働く会社に二週間の休暇届けを提出した。一応、優衣がアルバイトしている新聞販売店の方にも、ケガで遠分休むと連絡を入れて置いた。

 着のみ着のままで逃げてきた優衣には着替えがないので、デパートにいってパジャマやホームウェアを圭祐が買ってきたが、さすがに女性物の下着までは恥ずかしくて買えない。
 そこでパソコンからインターネットで購入することにした、優衣に自分の下着を選ばせて至急で注文したら、翌日には商品が届いた。ネットショッピングはとても便利である。
 初め圭祐のベッドに優衣が寝て、圭祐はリビングのソファーで寝ていたが、優衣のために部屋を作ろうと思った。
 少しでも過ごしやすくなるように、彼女自身の部屋が必要だと判断して、ずっと封印して開けたくない部屋だったが、一年ぶりに元婚約者が使っていた部屋を開けた。少し埃臭い部屋はつらい思い出を内包して、再び開け放たれた。
 この部屋の中には簡易ベッドとライティングデスク、ドレッサー、チェストとクローゼットがある。ここでセミナーのレポートを書いていた彼女の姿が目に浮かぶ――。圭祐は二、三度頭を振ると、その記憶を自分の脳から消去しようとした。今、彼女がどこでどうしているかしらないが、自分の夢に向かって頑張ってくれればいいと思う。自分もこれから新しい人生をやり直すのだから、もう彼女のことは関係ない。
 クローゼットの中には彼女の衣類がわずかに残されていたが、一年経っても取りにこないなら、たぶん不要なものだと勝手に判断して、元婚約者の荷物はすべてゴミ袋に入れて処分することに決めた。――この部屋を優衣に使わせるために。
 こうして圭祐のマンションでふたりだけの新生活が始まった。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-01 15:23 | 恋愛小説
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   第十五章 交わらない線

 崎山が一週間ぶりに職場に復帰してきた。
 亜脱臼した肩がまだ上がらないので、当分は送迎車の運転は無理だということで、代わりにデイサービス『ゆーとぴあ』のアクティビティの一環として、利用者たちのカラオケ大会やゲームなどレクリエーションがあるが、その進行係を崎山が務めることになった。
 普段から利用者たちに人気のある崎山は、楽しいトークでレクリエーションの場を盛り上げて、老人たちを喜ばせるのが実に上手い、認知症のおばあさんまで楽しそうに笑っている。――持って生まれたリーダーシップを発揮している。
 崎山は不思議なオーラを放つ男だと、涼子は感心しながら仕事振りを見ていた。

 綾子が崎山家への引っ越を完了させて、崎山のケガもだいぶ回復してきたので、約束通り三人で、綾子の娘を連れ出しにいくことになった。
 辻本家まで、涼子の軽自動車で行くことになったが、大きな身体の崎山は後部座席でちょっと窮屈そうだった。綾子が助手席に座って、自宅までの道案内してくれるという。
 涼子は運転している内に、ここは以前に住んでいた町の近くだということに気づいた。元婚約者とこの町にあるマンションで暮らしていたのだ。ここは出来るだけ近づきたくない場所だった、この町の風景を見ていると、彼の面影が脳裏をよぎって、罪悪感に苛まれ逃げ出したくなってしまう。涼子は運転に集中することで、あまり周りを見ないようにしていた。
 とにかく綾子の娘を救出するため、事情が事情なだけに今は仕方がない。

 古い二階建ての家が見えてきた、ここが自宅だと綾子が指差すので、その家の前に車を停めて三人は降りた。
 綾子は緊張した面持ちで家の前に立って眺めていた、一年振りの帰宅にたぶん複雑な心境なのだろう。玄関前のプランターの草花は枯れ果て、玄関を塞ぐ古タイヤと壊れた扇風機、ゴミ箱や新聞紙と段ボールが乱雑に放置され、雨ざらしで錆びついた自転車……何だか、重たい空気の家だと涼子は感じていた。
 ついに意を決したように、綾子は持っていた自宅の鍵で、玄関のドアを開けて家の中へと入っていった。そして、二階に娘の部屋があるからと階段を上がろうとしたら、物音に気づいて、奥の部屋から初老の男が出てきた。
「綾子!」
 この男がどうやら綾子の夫ようだ。
「あんた! 今日は優衣を引き取りにきたよ」
「なんだとぉー! このアマ勝手に家から出ていきやがってぇー」
 綾子に殴りかかろうと男が腕を振り上げたが、その腕を崎山にむんずと掴まれた。いきなり180cm以上もある大男に、その腕を押さえられたのだからかなり驚いている。
「だ、誰だよ。おまえらは……」
「綾子さん、早く二階の娘さんを連れてくるんだ!」
「は、はい!」
 綾子は階段を駆け登り娘の部屋へ向かったが、しばらくすると降りてきて「娘がいない……」と、がっかりした顔でいった。
「あんた! あの子はどこへいったんだよ」
 崎山に押さえられている夫に向かって訊いた。
「あのガキはこの家から出ていった……」
「なんだって? それは本当かい? まさか、あの子に何かしたんじゃないだろうね」
 綾子は厳しい顔で、夫に問い質すと……。
「五日前の夕方、俺がちょっと怒ったら……そのまんま家から飛び出だしていったんだ」
「あんた! さては娘を殴ったんだろう? あの引っ込み思案の子が自分から家を飛び出すなんて有りえない、よっぽどのことに違いないんだよ!」
「俺は何にもやってねぇーよ……」
「嘘つくんじゃないよ! この野郎がぁー」
 激昂した綾子が、夫に殴りかかろうとするの慌てて涼子が止めた。
「綾子さん、落ち着いて……娘さんが失踪した手掛かりは何かないの?」
「おいっ! 何か知っていることを聞かせて貰おうか?」
 崎山が男の腕をさらに捻りあげて、脅すような凄味のある声で質問した。
 綾子の夫は崎山にビビって抵抗する様子もない。女こどもに暴力を振るうような男ほど、相手が強いと何にも出来ない小心者なのだと涼子は思った。
 それにしても……やっぱり崎山は頼りになる男だ。
「いててぇー! 家出した……あくる日に、男の声で、娘さんは自分が保護してるから、今後いっさい近づくなと……電話があったんだ」
「それは誰よ?」
「知らねぇーよ! 初めて聴いた声だった。若い男の声で……」
「その男の所に、娘が居るんだね?」
「俺は何も知らん!」
 これ以上、訊いてもこの男は何も答えられそうもないので、仕方なく、三人は辻本家から撤退した。

 今回の救出作戦は空振りに終わった――。
 綾子は娘が家出して行方不明になっていることに、ひどくショックを受けて……帰りの車の中でずっと泣いていた。なぜか腕に白いクマのぬいぐるみを持っていた。
「そのぬいぐるみ、娘さんの部屋から?」
「うん。昔、これと同じぬいぐるみを兄の健人がゲームセンターで取ってやってさ。あの子はすごく大事にしていたのに……健人のお棺の中に入れてしまったんだ。――それなのに、今日、あの子の部屋に入ったら、これがベッドに置いてあったから……このぬいぐるみを持っていたら、きっと娘に会える日がくるような気がして、これを持ってきたんだよ」
「綾子さん、きっと娘さんと会えるからね! 一緒に探そうよ」
「そうだよ。娘さんは、あんな暴力親父と居るよりも、自分の意思で家出したというのなら……今いる場所の方が安全かもしれない」
 ふたりで落ち込んでいる綾子を励ました。
「いったい、どこへいってしまったんだろう。あの子、可哀相に……今頃、どうしてるんだろうか?」
「きっと、見つけますから……」
「あたしが、一年前に家出したばかりに……あの子にツライ思いをさせてしまった。みんな、みんな、あたしが悪いんだ。ごめんよ。母さんを許しておくれ……」
 綾子はぬいぐるみを抱きしめて、絞り出すように嗚咽を漏らす。バックミラーに映った崎山もしょんぼりして悲しそうだった。
 帰りの車の中は、まるでお通夜のように重たく沈んだ空気なってしまった。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-30 14:54 | 恋愛小説
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   第十四章 愛する心を封印して

「涼子さーん!」
 お昼の休憩時間に隣接する病院の中庭のベンチで本を読んでいたら、小走りで綾子がやってきた。
「あら、綾子さん」
 煙草と携帯灰皿を持って涼子の隣に座った。
「あのね、崎ちゃんさぁー、明日から職場に復帰できるって!」
「それは良かった」
「涼子さんに会いたがってたよ」
「まさか、そんなこと……」
 涼子はあの日、崎山の家にお見舞いに行ってから、その後は一度も行っていない。二人きりになるのが怖かったから……これ以上、崎山に好意を寄せると、自分を抑えられなくなりそうだったから――。
 綾子は崎山のケガに責任を感じて、あれから毎日、自宅にお弁当を届けに行っていたようである。
「崎ちゃんが元気になったら、すぐに娘を連れ出しにいけるんだ。セーターは小包で送ったけど……ちゃんと、あの子の手に届いたか心配だよ」
 やけに機嫌の良い綾子はひとりでしゃべっている。
「そいで、あたしねぇ、アパート引き払ってさ、崎ちゃんの家に住まわせて貰うことになったんだよ」
「えぇー、本当ですか?」
「うん。屋敷は広いし空き部屋ならたくさんあるから、ここで娘さんと一緒に暮らしたらいいよって崎ちゃんが言ってくれたんだ。家賃代わりに美味しいご飯を作ってくれたらオーケイだってさぁー」
 綾子は、楽しそうに「あははっ」と笑った。
「あたしも崎ちゃんが傍に居てくれたら心強いからね」
「何しろ、スクーターにでも突進する人だからボディーガードには最高です」
 たぶん、綾子はDV旦那の報復を恐れているのだろう。崎山と暮らしていたら、その点まず安心である。
「それから涼子さんも聞いているだろう? 崎ちゃんが、いずれあの家でグループホームを始めたいって、あたしもスタッフに加えて貰うんだ。今は調理師の資格しか持ってないけど、勉強してさ、あたし栄養士の資格も取るよ。崎ちゃんの役に立ちたいんだ!」
「わたしも介護福祉士とケアマネージャーの資格も取るつもりよ」
「うんうん。あたしらも頑張って。崎ちゃんを応援しようね」
「そうね、みんなで理想のグループホームを作りたい!」
「崎ちゃんって、ほんと良い奴だろう?」
「ええ……」
「あんたたちのことも応援してるよ!」
 綾子の励ましに、涼子は俯いて薄く笑った。
 崎山との恋愛ばなしを微妙に避けていることを綾子も気づいていた。
 過去に何があったのか知らないが、まだ若いのに……勿体ないと思う。誰だって触れられたくない過去はあるだろう。自分だってそうだったから……それでも綾子から見て、崎山は性格もいいし、人間の器が大きい。きっと崎ちゃんなら、涼子さんの心の傷を癒してくれる筈だ。お節介だと思われても、この二人には幸せになってほしいと、綾子は願ってしまう。
 その後、何となく会話も途切れてしまって、お昼の休憩が終わると、それぞれの持ち場へと帰っていった。

 週末に、涼子のパソコンに田村カツエから『ホームで社交ダンスの発表会をするので、ぜひ見にきてください』とメールが届いた。しばらく、カツエとも会っていないので、涼子は発表会へ出掛けることにした。
 その日、ホームでは何組かのペアがダンスを披露した。みんな生き生きと楽しそうに踊っている。
 いよいよ最後に登場したカツエは真紅のドレスで、パートナーの男性と明るいラテンのリズムでマンボを踊っていた。艶やかな衣装で達者に踊るカツエはとても八十一歳には見えない。その姿は老いても、なお人生を楽しんでいるようだった。
 カツエはホームのアイドル的存在で、みんなから拍手喝采を受けていた。

「カツエさん、お疲れさまでした」
「きれいなお花ありがとうね」
 涼子が持ってきた、カサブランカとカスミ草を組んだ花束をカツエはとても喜んでくれた。
「ダンスとっても素敵でした」
「日頃の成果をご披露したまでだよ」
 社交ダンスの発表会が終わって、涼子とカツエは談話室でコーヒーを飲んでいた。カツエの傍には曾孫の少女、沙菜(さな)がいる。中学二年生の彼女は二学期から不登校が続いていたが、「家で引き籠ってるくらいなら、ひいおばあちゃんのところに遊びにおいで」とカツエにいわれて、毎日、カツエの住むグループホームに遊びにきている。
「沙菜や、このお花をグレマのお部屋に持っていって、お水につけといておくれ」
「はーい、グレマ」
 カツエから花束を預かると沙菜は部屋に持って行った。
「グレマ? どう言う意味ですか」
「それね。沙菜があたしに冗談で付けた呼び名だよ。おばあちゃんが『グランドマザー』でグランマだろう。だから、ひいおばあちゃんは『グレードアップマザー』でグレマなんだって。面白いだろう」
 そう説明してから、カツエは楽しそうに笑っていた。沙菜はどこかカツエに似ていて自由な発想を楽しむ少女のようである。
「あの子は今、学校にいってないからね。両親はすごく心配しているけどさ……一年や二年レールから反れたって、どうってことないよ。いつだって元に戻せるんだから。人生は机で勉強することよりも、外に出て体験する方がずっと勉強になるんだ」
「確かにその通りかも知れませんね」
「それにあの子はここで、ちゃんとボランティアをやっているよ。配膳やお掃除の手伝いをしている良い子なんだ」
「カツエさんといると誰でも前向きになれるんです」
「そうかい?」
「ええ」
「……なんか、涼子さん元気がないよ。表情がいつもより曇ってる」
「えっ?」
 涼子の顔を見て、カツエがそう言った。さすがに鋭いと涼子は驚いた。最近、崎山のことで悩んでいたので、そのことを見透かされたようだ。そこで、カツエに相談してみようかと思った。
 自分に好意を持ってくれている人がいるが、過去に結婚問題で人を傷つけたことがあるので、自分は人を好きになる資格もないし、結婚など考えてはいけない人間なんだと――カツエに話した。
「それで涼子さんは、その人のことをどう思っているんだい?」
「……嫌いではないし、良い人だと思っています」
「だったら、自分の気持ちを封印することないじゃないか」
「でも……」
 困ったように涼子は俯いた。
「愛することは生きる原動力だよ。愛することを止めたら生きる喜びもない」
「だけど……」
「あたしはいっぱいの人を愛しているよ。家族、友達、仲間、ここのスタッフたちも。みんなからいっぱい愛を貰って生きている。サヨさんは自分が愛されていないと思って、孤独になって、自分自身を愛せなくなってしまったから、自ら死を選んだんだ。可哀相な人だった……」
 たしかにカツエには愛が溢れている。――それがカツエの元気の源だったのだ。
「グレマは彼氏がいるのよ」
 いつの間にか、沙菜が戻ってきて横から口を挟んだ。
「あらっ! 本当ですか? カツエさん良かったね」
「女は愛することを止めてはいけないよ」
 その言葉に自分で照れて「ふふふ」とカツエは笑った。
 ふと見ると談話室の戸口に、先ほどカツエとペアでダンスを踊っていたロマンスグレーの上品な紳士が立っている。もう衣装を着替えていて、こちらの様子を窺っているようだ。涼子と目が合って軽く会釈をされた。
「あっ! こんな時間」
 慌ててカツエが立ち上がった。
「これから、デートなのよ」
「まぁー」
「沙菜や、グレマの着替えを手伝っておくれ! 涼子さんまたねぇー」
 真紅のドレスのカツエは、沙菜を連れて自分の部屋へと帰っていった。

 そして談話室に一人残された涼子の胸には、『女は愛することを止めてはいけないよ』といった。――カツエの言葉がずしりと重くのしかかる。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-29 14:23 | 恋愛小説
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   第十三章 引き裂かれたバースディ

 ――今日は優衣の十九歳の誕生日だった。
 朝刊を配っている時に、そのことを圭祐に告げたら、会社を休んで優衣を映画館へ連れていってくれた。その後、素敵なレストランで美味しいランチを食べて、携帯ショップに寄って、誕生日プレゼントに携帯電話を買ってくれた。もちろん名義は圭祐だが、連絡用に優衣が持ってなさいと渡された。
 父に反対されて、今まで携帯を持つことができず、肩身の狭い思いをしていた優衣にとって、何よりも嬉しいプレゼントだった。
 これで圭祐が早起きしなくても、いつでも連絡を取り合える。――そう思っただけで、二人の距離がぐっと縮まったような、そんな気分になった。

 駅前のロータリーで圭祐のビートルから降りて、優衣は停めておいた自転車に乗って帰宅する。
 自転車のペダルを漕ぎながら、今日は夢のように楽しかったぁーと、今日一日を思い出して優衣の口元がほころぶ。圭祐と一緒にいると心から安らげる。こんな気持ちになったのは久しぶりである。いつも父親の影に脅えて暮らす優衣にとって、圭祐は心の拠り所になりつつある存在だった。
 大好きだった亡き兄の健人を想う気持ちと、圭祐を想う気持ちは、ちょっと違うような気がする。それが、なんなのか優衣にはよく分からないが、心の底から湧き上がる熱い想いに戸惑っている。だけど……優衣は思う、《たぶん、あの人はあたしに同情しているだけなんだわ》あんな立派なマンションに住んで、外車に乗っているような人が、不細工で貧乏な自分なんか……きっと、気まぐれで優しくしてくれているのに違いない。――これは、いつか醒める夢なのだと優衣は思っていた。

 自転車が自宅に近づいてきて、古い二階建ての家の屋根が見えてきた。何だか陰気臭い家だ、母が居た頃には玄関の周りにプランターを並べ花を育てていたが、今は手入れする人もなく、ぜんぶ枯れてしまった。玄関の前には古いタイヤや壊れた家電品などを放り出してあり混沌とした感じなのだ。
 最近、父の義男は仕事にもいかないでずーっと家に居る。
 どうやら職場でトラブルがあって仕事を干されているようだ。父は無口で小心な男だが、何か気にいらないことがあると、いきなり激昂して罵詈雑言を吐き出すので、他人から相手にされなくなる。――そんな状態で生活が逼迫している辻本家では、優衣の収入だけが頼りだ。
 しかし、優衣の新聞配達とパチンコ店の清掃の仕事では、せいぜい月に六万、七万円の収入にしかならない。もっと稼げる仕事を探せと父から口喧しく言われている。 だから父には仕事を探しに行くといって、今日は家を出てきた。きっと帰ったら、仕事は見つかったかと煩く訊かれることだろう。――それを考えた途端に、優衣はひどく憂鬱な気分になった。

 自宅に着いて玄関の前に自転車を停めた。まだ六時前なので今から食事の支度をすれば間に合う。父はいつもきっちり七時に食事が出来てないと機嫌が悪いのだ。
 玄関の鍵を優衣が開けていると、家の前に宅配便の自動車が停まって、自分宛ての小包を渡された。誰だろうと宛名を見たが知らない女の人の名前だった。それほど重い物ではない、しかも配達日指定までされていた、優衣の誕生日の今日だった。
 よく見ると、それは見覚えのある字だ《もしかしたら……お母さん?》逸る気持ちで優衣は小包を開けた。
 小包の中には手編みと思える若草色のセーターが入っていた。
 そして一枚の便箋が――。


   『お誕生日おめでとう。
   優衣、元気に暮らしていますか。
   お母さんも頑張っています。
   きっとおまえを迎えにいくから
   もう少し待っていてください。
                 母より』


 それは家出していた母、綾子からの小包だった。
 セーターは母の手編みのようだ、ちゃんと自分の誕生日を覚えていて、母がプレゼントを贈ってくれたのだ。そして、おまえを迎えにいくと書いてある《あたし、お母さんに捨てられたんじゃないんだ》優衣は嬉しかった。
 若草色のセーターを胸に抱きしめて泣いた。
 涙が後から後から……溢れ出して……止まらない《お母さんの匂いがする》一年前に家出した母親が、恋しくて、会いたくて、優衣は泣きじゃくった。

 その時である。突然、乱暴に玄関のドアが開いて父の義男が出てきた。
「そんな所で何をやっている!」
 優衣の持っているセーターを見た。
「それは何だ?」
「……な、何でもない」
「貸してみろ!」
「いやー!」
 セーターを取り上げようとしたので、優衣は抵抗した。
「なんだとっ! このバカ娘がぁー」
 怒った父は優衣の長い髪を引っ張って、無理やり家の中に引っ張り込んだ。そして箱に入っていた便箋を読んで、それは綾子が送ったものだと分かったようである。
「これは母さんが送ってきたものだな。こんなもん送ってきやがって!」
 いよいよ激昂した父は、優衣からセーターを奪おうとしたが、抱え込んで離さないので殴ったり蹴ったりした。それでも優衣は必死でセーターを守った。
「こんちくしょう! このガキ逆らいやがる」
 そう言うと、父は奥からハサミを持ってきた。
「うっとうしい髪しやがって、俺が切ってやる!」
「やめてぇー!」
 優衣の髪を鷲づかみしてハサミを入れた。優衣は悲鳴を上げて逃げ回ったが、父は執拗に追いかけてきて髪をザクザクと切った。
 そして、泣き叫ぶ優衣の頬を拳で何度も殴りつけた。


   あなたの空と わたしの空は ツナガッテイル

     あなたの時間と わたしの時間は ツナガッテイル

   あなたの想いと わたしの想いも ツナガッテイル

     だから今日も 笑顔で生きていける

                        優衣


 携帯電話のお礼にと、優衣が即興でこんな詩を書いてメールで送信してくれた。
 優衣にとっては始めての携帯電話だったので、初めは使い方が分からないようだったが、圭祐が操作の仕方を丁寧に説明したら、すぐに慣れて初めてのメールを打って、この詩を圭祐に贈ってくれたのだ。
 とても良い詩なので『保存』をかけて携帯に取っておこうと圭祐は思った。

 ――圭祐の携帯が鳴った。
 画面表示を見たら『辻本優衣』と出ている。夕方別れたばかりなのに、どうしたのかと思ったが、買って貰ったばかりの携帯電話が嬉しくて、早速かけてきたのかと思って出てみると――。
「もしもし、圭祐です」
「…………」
 どうしたのだろう? 返事がない。
「もしもし、優衣?」
 微かに泣き声のようなものが聴こえてきた。
「どうしたの? 何があったの?」
 絞り出すような嗚咽が携帯から聴こえてくる。優衣の声に違いない。
「優衣、優衣! どこにいるんだ?」
 泣き声は号泣に変わっていった。きっと優衣に何かあったのだ、圭祐は心臓がドキドキした。
「優衣、落ち着いて……今、どこにいるのか教えてくれ!」
「……こ……うえん……」 やっと、それだけ聴き取れたが、いったいどこの公園なのだろう。圭祐と優衣の家の間には大小三ヶ所の公園があるのだ。
「どこの公園?」
「……ここ……の……」
 ――分かった。どうやらメゾン・ソレイユの敷地内にある公園に居るようだ。
「優衣! すぐいく、そこで待ってろ!」
 圭祐は携帯を握ったままで、急いで部屋から飛び出した。
 マンションのエレベーターに飛び乗ったが、エレベーターの速度が遅く感じるくらいに気が焦っていた。やっと一階に着いて扉が開くと一目散に飛び出して走っていった。

 メゾン・ソレイユの敷地内に小さな児童公園がある。昼間は子どもを連れた若いママたちで賑わうが、夜にもなるとほとんど人影もない。仄暗い街路灯にぼんやりとシルエットが浮かんで見えた。花壇の傍のベンチにぽつんと座って女の子が泣いている。
「優衣!」
 名前を呼んで、急いで傍へ駆け寄った。その声に優衣がゆっくりと顔を上げた。
 ――優衣の顔を見た瞬間、驚きとショックのあまり……圭祐は言葉を失った。
 左の頬から顎にかけて赤く腫れあがっている。瞼も腫れて半分塞がっていたし、唇は切れて血が滲んでいた。さらに悲惨なのは長かった髪がザクザクに切られていた。
《――あまりに酷い……》この痛々しい優衣の姿に……圭祐は思わず涙が零れた。

「優衣、いったい誰にやられたんだ?」
「お父さんが……」
 その言葉を訊いた途端に、《自分の娘に、こんな酷いことをする奴は絶対に許せない!》圭祐は怒りで腹わたが煮え滾るようだった。そんな男は殺してやりたいとさえ思った。泣きじゃくる優衣の肩を強く抱きしめながら言った。
「優衣、もうあんな父親が居る家に帰らなくていい! 僕の傍にいろ」
 圭祐の言葉に、こくりと頷いた優衣はもうあの家には二度と戻りたくないと思っていた。
「優衣はこの手で守る!」
 ――そう宣言して、包み込むように優しく優衣を抱きしめた。そんな二人のシルエットを夕闇が呑み込んでいった。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-28 11:07 | 恋愛小説
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   第十二章 崎山の素顔

 救急車で搬送され、外科病院に収容された崎山だが、命には別条なく、スクーターに体当たりした時に、右肩を捻挫したようで亜脱臼だと診察された。
 涼子とすっかり酔いが醒めて青くなっている綾子は、救急車に乗って病院まで付き添っていったが、診察が終わって出てきた崎山は、入院するほどのこともないと、包帯、絆創膏やテーピングで固定されて、しばらく通院することになった。
 それにしても、走ってきたスクーターに体当たりして、捻挫くらいで済んだのだから、崎山の体力は凄い。さすがスポーツマンだと涼子は驚いた。
 ふたりで自宅まで送るというのに、崎山は「これくらいのケガはヘーキヘーキ!」と病院からタクシーを呼んで、ひとりでさっさと帰ってしまった。
 そして涼子は「自分のせいで崎ちゃんにケガさせてしまった……」と、すっかりしょげて落ち込んでいる綾子を、慰めながら、彼女のアパートまで送っていくことになった。

 ごみごみした住宅街の古い木造アパートの二階に綾子は住んでいる。
 涼子はアパートの前で挨拶して帰ろうとしたが、「お茶だけでも飲んで行ってよ」と、しつこく引き留められて……仕方なく二階にある綾子の部屋まで上がることになった。
 室内は玄関を入って、三畳ほどの台所と手前に四畳半と奥に六畳の和室があり、以外と広いアパートである。あまり家具はないが、洋服ダンスと整理ダンス、四畳半の部屋には炬燵が置いてあって、そこに座るようにと勧められた。
「今、お茶入れるから炬燵に入って待っててね」
 そういい置いて、綾子は台所へ立っていった。
「どうぞ、お構いなく……」
 なんとなく室内を見回すと、座っている炬燵のわきに若草色の毛糸が入ったバスケットが置いてある。何を編んでいるんだろうと、なに気なく涼子は中身を覗いてしまった。
 暖かそうなカシミヤ毛糸でセーターを編んでいるようだ。綾子が着るにしてはサイズが小さいように思えたが……。
「お待たせ」
「あ、ゴメンなさい。勝手にセーター見ちゃった」
「あらま、恥ずかしいわ。編み物は苦手なんだけど……娘の誕生日にセーター送ってあげたいと思って」
「手編みのセーターなんて素敵ですね」
「実はセーターは初チャレンジで下手なんだけど……せめて、一目一目愛情を込めて編んだんだぁー」
 そういうと綾子は薄く笑った。
「きっとお母さんの想いが伝わりますよ」
「セーターは小包で送ろうかと思うんだけど……」
「そうですね。崎山くんがケガして、娘さんを連れ出しにいけなくなっちゃったし」
「いつか娘と一緒に暮らせるようにと二間あるアパートを探した。早く娘に会いたい……」
 別れて暮らしていても、娘との断ち難い親子の絆がある。娘を想う綾子の顔には、苦悩の皺が刻まれていた。

 綾子がお盆の上のカップを涼子の前に置くと、ほんのりと甘い香りがした。「どうぞ」
「あらっ、ゆず茶ですか?」
「寒い時には温まるからね」
「うーん、とってもいい香り」
 涼子はゆずの香りを吸い込んだ。
「涼子さんって、真面目なタイプだけど……なんか可愛い人だよね」
「えっ? わたしって可愛くない女ですよ」
「そんなことないって! いつも一生懸命に頑張ろうって気を張っているところが健気で、なんか放って置けないって、男の人はそう思うかもしれないよ」
「――誰も思ってませんよ。そんなこと」
「崎ちゃんはそう思ってるさ」
「……まさか?」
「あの子は、あれで真剣に涼子さんを好きなんだよ」
「……そんなことは、今は考えられません」
 涼子は困ったように首を傾けた。
「そうかい、まぁーその内考えてやってよね」
 これ以上、しつこく言ったら涼子に嫌がられると思って、綾子は崎山の話を止めた。お節介が過ぎたかもしれないと内心反省していた。
 涼子はゆず茶を飲みながら、崎山のケガの具合を心配していたが……好きとか、そういう具体的な感情を、彼に対して持っていないと自分ではそう思っている。

 翌日、涼子は『ゆーとぴあ』を早退して、崎山の家にお見舞いにいくことにする。 綾子からは「崎ちゃんに食べさせて!」と、特大のお弁当箱を渡された。崎山のお見舞い品は、花やお菓子よりもボリュームのある食べ物が良いと思い、大好きだといっていたフライドチキン10ピースとペットボトルの1リットルのコーラ3本持っていくことにした。
 お見舞い品だけでずいぶんな重さだった、涼子は腕が痛くなってきたが、『ゆーとぴあ』で教えて貰った、崎山の住所と地図を見ながら家を探していた。

 手書きの地図を頼りに歩いていく内に、閑静な住宅街に入っていった。
 古い建物の家が多いが、どこも立派な門構えで敷地が広い。ひょっとして、ここら辺は高級住宅街なのかと思い、キョロキョロしながら涼子は歩く。書かれた番地に近い場所へきてみたら、ひと際大きな屋敷が建っていた。
 白い漆喰の塀でグルリと周りを囲い、門扉は格子戸の付いた純和風で立派な構えである。まるで高級料亭みたいだと涼子は思った。格子戸の隙間から中を覗くと、玄関までかなりの距離があり、よく手入れされた庭木が見えた。建物は平屋だが中はかなり広いようだ。犬の鳴き声がするので番犬でも飼っているのだろう。
 あまりにも、立派な屋敷だったので涼子は圧倒されてしまった。確かに門扉には『崎山』と表札が挙がっていたが……なんだか、入り難いのでこのまま帰りたい気分になった。――あの崎山の庶民的なイメージから、とても想像もできない大豪邸だった。
 少し迷ったが、もしかしたら家を間違えている可能性もあるので、一応チャイムを鳴らしてみた。チャイムにはカメラが付いているので、あちらからも涼子の顔が見えているはずだ。

 ――ピンポーンとチャイムが鳴った。
 こんな時間に誰だろうと、崎山は長い廊下を通って玄関の方へと歩いていく。ここは死んだ祖父が自分のために残してくれた屋敷だが、古臭い日本家屋で何しろだだっ広い。三十畳の大広間とか納戸とか裏庭には蔵まで建っている。
 そのまま、民芸博物館にでもなりそうな家だが、ずっとこの家で育った崎山は使い難いがここが大好きだった。だから祖父母や母との思い出の詰まったこの家から出ていって、お洒落なマンションで暮らしたいとか思わなかった。
 二年前母が亡くなって、ひとりになった時、遠縁の不動産業者が是非、売却してマンションを建てるようにと、しつこく何度もいってきたが、崎山は頑として応じなかった。
 友人たちからも、こんな広い家にひとりで住んでいたら鬱病になるから、一緒に住んでやろうかとまでいわれたが、大きなお世話だ、放っといてくれ! と不愉快に思い、その申し出を断った。母親を亡くしたばかりで傷心の崎山は、そんな言葉を親切だと受け留められない精神状態だったのかもしれない。
 だから、今は愛犬の黒いラブラドール・レトリーバーの『黒豆』とふたり暮らしなのである。

 モニターカメラを覗くと涼子の顔が見えた。
 びっくりして崎山は慌てて身づくろいをした。昨夜はケガで風呂にも入っていないし、会うのが恥ずかしかったが、思いがけなく涼子がきてくれたことがものすごく嬉しかった。
「あ、あれ、涼子さん? ちょ、ちょっと待っててね」
 玄関の扉を開けると、愛犬の黒豆が嬉しそうに駆け寄ってきた。黒豆はいつも広い庭で放し飼いになっている。崎山に飛びついて尻尾を振って愛情を示す、全身真っ黒でちょっと怖い感じがするが、実はとても人懐っこい性格の犬である。
 門扉の向こう側から、涼子がこっちを見ていた。
「ゴメンよ。犬が飛び出すんで鍵をかけてるんだ」
 右肩を脱臼しているので、左手で内側の鍵を開けて涼子を中に入れてくれた。
「崎山くんって、すごいお屋敷に住んでいるのね」
「古いだけが取り柄の家ですよ」
「はい、これ。崎山くんの好きなもの持ってきたわよ」
「おぉー! フライドチキンだ。これが食べたかったんだぁー」
 相好を崩してはしゃいでいる。一緒に黒い犬も尻尾を振っていた。

 この屋敷は伝統的な日本家屋である。障子、床の間、書院窓、欄間、広縁、まるで日本旅館みたいだと思った。中庭の見える客間へ涼子は通されたが、中庭には築山があり、錦鯉が泳いでいる池もあるし、植木はきれいに剪定されていた。ぐるりと見回して《こんな屋敷を維持していくのには、相当なお金がかかるんだろうなぁー》と、ぼんやりと涼子は考えていた。
「お待ち!」
 お盆に湯のみを載せて崎山が運んできた。「肩が痛いのにお茶なんかいいのに……」
「大事なお客様だからお茶くらい出さないと、ご先祖様に叱られるからさ」
 そういって「えへへ」と笑う崎山が、こんな豪邸のお坊ちゃんとは到底思えない。
「ケガは大丈夫?」
「うん。後は日にち薬で治します。それよりスクーターの人は大丈夫だったかなぁ?」
「ええ、スクーターは倒れたけど、運転していた人は大丈夫そうだったよ。自分も脇見運転で、人が飛び出したのに気づかなかったっていってたし。それより乗ってたスクーターに体当たりされてびっくりしてたわよ。ホントに崎山くんたら無茶するんだから……」
「だってさぁー、綾子さんがケガしたら『ゆーとぴあ』の利用者のご飯を誰が作るのさ? 俺がケガした方がマシじゃん!」
「あははっ」
 崎山のヘンな理屈に思わず涼子は笑った。――この男は何を考えているのかよく分からない。

「あぁー、美味かった!」
 フライドチキンを八個食べ、コーラを1リットル飲み乾して、崎山が満足そうに呟いた。涼子は食べている崎山を見ているだけで、もう満腹になったような気がする。――こういう所が、子どもみたいで母性本能をくすぐるのかもしれないと涼子は思った。
「こんな広い家に、本当にひとりきりで住んでるの?」
「ああ、お袋が亡くなってから、ひとりと一匹暮らし」
 中庭のガラス戸の向こう側で、黒豆が嬉しそうに尻尾を振っている。
「お掃除なんかどうしてるの?」
「俺、こう見えて意外と掃除好きなんだ。ま、使ってる部屋だけだけど休日にやってる」
「そうなの。でもお庭の植木の手入れは大変よね? 植木屋さんに頼むの」
「あははっ。それが……俺、通信教育で『庭園管理士』の資格を取ってるんだ」
「えっ? 何それ」
「庭師の資格だよ。福祉介護士の専門学校へ通ってた時に、アルバイトで庭師の手伝いやってたんだ」
「へぇー、凄い! スポーツマンだと思ったら、そんな特技があったなんて……」
 涼子に褒められて、崎山は照れ臭そうに「えへへ」と笑っていたが、底知れぬ能力を秘めた男である。
「お祖父さんが大事にしていた庭木を枯らせたくなかったんだ。ほらっ、築山の所に梅の木があるだろう? ガキの頃、いたずらしてお祖父さんに、あの木に縛られたんだ。昔風の躾だから……」
「あははっ」
「梅の木に縛られて泣いていると、お祖母さんがジュースと飴を持ってきてくれたっけ。縄を緩めて、お祖父さんの機嫌が直るまで大人しくしているんだよって……」
 崎山はどこか遠くを見るような目をして話している。この家の中には、捨てられない記憶や思い出がいっぱい詰まっているのだろう。

「俺、将来、この家でグループホームを経営したいと思っているんだ」
「ここでグループホームを?」
「うん。お年寄りたちが我が家のようにくつろげる。こじんまりしたグループホームを作るつもりだ」
「ええ、この家なら広さも環境も申し分ないと思うわ」
「――その時には、涼子さんもここにきてくれるかな?」
「えっ?」
「一緒にグループホームを運営してほしいんだ」
「もちろんスタッフとして、お手伝いさせてください」
「スタッフじゃなくて……そのう、俺のパートナーとして……一生、そばにいて……」
 崎山は顔を真っ赤にしていた。
 たぶん、それは崎山のプロポーズの言葉だったのかもしれないが……。しかし、涼子は聴こえない振りをする。
「そうねぇ、優秀なスタッフだと認めて貰えたら、ずっと働きますから……」
「……うん。涼子さんには、ずっと一緒に働いて貰いたい!」
「ええ、そうさせて貰います」
 崎山の気持ちは涼子にも分かっていた。
しかし、婚約破棄して傷つけた元婚約者のことを思うと……とても結婚なんか考えられない、自分ひとりが幸せになるなんて申し訳なくて……けっして崎山のことが嫌いではないが、もう恋はしないし、結婚は出来ないと、そう心に決めた涼子だった。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-27 10:20 | 恋愛小説
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   第十一章 母と娘の絆

「涼子さーん!」
 振り返ると、崎山が後ろから追いかけながら涼子の名前を呼んでいる。仕事が終わってタイムカードを押して帰ろうと、ロッカールームに向かって歩いていた時のことである。
 涼子が立ち止まって待っていると、息を切らせながら崎山がやってきた。
「どうしたの?」
「――涼子さんって、以外と歩くの早いなぁー」
「そうかしら? 普通よ」
「後ろから何度も呼んでるのに、さっさっと歩いていくから……シカトされてるのかとちょっとヘコんだ」
「ゴメン! 聴こえてなかったわ」
「あ、さては仕事のことなんか考えていたでしょう?」
「あらっ、バレた」
 たしかに、涼子は仕事のことを考えながら歩いていた。
「涼子さんって真面目だからなぁー。俺なんか仕事終わったら。晩飯なに食べようくらいしか考えてない」
「あはっ、崎山くんらしいわ」
「だけど……気持ちの切り替えって大事だよ。俺、ラグビーやってたでしょう。試合でミスとかして、それをいつまでも引きずってると実力が発揮出来ないんだ。――出来るだけ、早く気持ちを切り替えないと仲間にも迷惑かけちゃうからさ」
「そうね。崎山くんのいう通りかも……」
 涼子は生真面目なタイプなので、いろんなことがいっぺんに出来ない。それはたぶん気持ちの切り替えがヘタなせいかもしれない。結婚に関しても『介護』の仕事と両立できないのが嫌で婚約破棄したくらいなのだから――。つくづく不器用な人間だと涼子は分かっていた。
「そうそう、綾子さんから今週の金曜日に飲み会どうだろうって伝言がきてる」
「金曜日?」
 そういえば、綾子と病院の中庭でそんな約束をさせられたような記憶が……。
「俺はお酒が飲めないけど……三人でいこうよ」
「ええ、別に構わないけど……」
「ホント? ヤッホー! 涼子さんと飲み会なんて超ハッピーだぁー」
 子どもみたいに崎山がはしゃいでる。無邪気な男で面白い。たぶん、涼子とは間逆のタイプである。だが、そんな崎山には自分にない『強さ』を感じているのもたしかだった。

 綾子が飲み会に選んだお店はこじんまりした居酒屋で、料理も美味しいと評判の店である。三人だが掘り炬燵がある個室に案内された。たぶん、予約を入れておいたからだろう。狭い部屋だが、三人で顔を突き合わせてしゃべるには丁度よい広さである。
 さっそく崎山がメニューを見て、あれこれ注文を考えていた。
 涼子にも注文を訊かれたが、特に食べたい物もないし、好き嫌いもないので、崎山と綾子に任せることにした。
 取りあえず、ビールを頼んでコップに注ぐとそれぞれが手にして掲げた。
「カンパーイ!」
「お疲れさまー」
 乾杯して互いの仕事を労う。お酒の弱い崎山はコップに半分ほどのビールを飲んだだけなのに、しばらくするともう顔が真っ赤である。
「お酒弱いねぇー、もうお猿のお尻みたいに真っ赤かだよ」
 綾子が、崎山の顔を見てからかっている。
「俺は食べるの専門だから。ご飯ならいくら食べても大丈夫!」
「崎ちゃんは、頭がお子ちゃまだからお酒がダメなんでしょう」
「あぁー、綾子さんひどいこと言うなぁー」
「あははっ」
 ふたりで冗談をいい合っている。その微笑ましい光景を涼子はにっこりしながら眺めていた。その内、注文の料理が運ばれてくると、崎山はいきなりカツ丼を食べ始めた。
「なんで、カツ丼なんだよ!」
 あきれ顔で綾子が訊く。
「いやー、俺にとっちゃあ、お食事前の前菜がカツ丼なんよ」
「涼子さん、こいつ面白い奴でしょう?」
「あははっ、ホントに……」
 綾子は焼酎のお湯割りを飲みながら、涼子にも話を振ってきた。
「あたしにとっちゃ、崎ちゃんは息子みたいなもんでさぁー」
「おっきい息子さんですね」
「そうでもないさ……もし生きてたら、崎ちゃんより一歳年下の息子がいたんだけど……ね」
「あ、ごめんなさい。辛いこと思い出させて……」
「いいよ。どんなに悲しんでも死んだ者は戻って来ないってことが、最近やっと分かってきたんだ。これも崎ちゃんのお陰かもしれないけどね」
「綾子さん、死んだ息子さんのことをいつまでも悲しんでいても、息子さんは天国で喜ばないよ」
 手羽先をかぶりつきながら、崎山が良いことをいう。二杯目のお湯割りを飲みながら、綾子はしんみりした顔でしゃべる。
「出来のいい息子でさ、家族の自慢だったよ。あの子が死んでから家族がおかしくなったんだ」
「ショックから立ち直れないでいるんでしょう」
「死んだ者の記憶に縛られて、生きている者が大事なものを失ってしまうのは、本末転倒なんだ」
 いつも冗談ばかり言っている崎山が、やけにシリアスなことをいう。
「だけど……家族には絆があるから……」
 つい、涼子が代わりに反論してしまう。三杯目のお湯割りのグラスをテーブルにドンと置くと、綾子が一気にしゃべり出した。
「あたしさぁー、今、家出中なんだよ。旦那と娘を置いて家を出てきちゃったんだ。旦那がDVで、もう我慢ができなくて……殴られるのが怖くて……娘を置いて、あたしだけ逃げ出した」
 綾子のいきなりのカミングアウトに涼子は言葉を失った。
「かれこれ一年経つよ。やっと生活が落ち着いてきたら……娘に会いたくて……」
「娘さんは、大丈夫でしょうか?」
 その問いかけに綾子の顔が、泣き出しそうに歪んだ。
「あたし……娘に悪いことをした。もしかしたら、あたしの代わりに娘が殴られてるかもしれないんだ」
 その言葉に崎山は食べるのをピタリと止めた。
「綾子さん、もしも、そうだったら娘さんを早く助けてあげないとダメだよ」
「崎ちゃん! 娘はとても繊細で傷つきやすい子で……自殺しかねない。何度か家の近くまで様子を見にいったんだけど、あの子は昼間は外に出ないんだよ。おまけに旦那が家に居て、会いにもいけない。電話かけても、いっつも旦那が出るし……あたしも旦那に見つかるのがすごく怖いんだよ」
 よほど夫の暴力が怖いのか、綾子の顔は恐怖に引き攣っていた。

「よし! 綾子さん、一緒に娘さんに会いにいこう。俺も付いていくから」
 キッパリと崎山が宣言した。
「崎ちゃん! ホントに付いてきてくれるの?」
「おう! 任せとけって!」
 身長180cm以上もある立派な体躯の崎山が、一緒に付いてきてくれれば、もう怖い物なしだ。しかもラグビーをやっていた青年とケンカをして勝てる者はそうはいないだろう。
「ありがとう。崎ちゃん……これで、やっと娘とも会える……」
 綾子は目頭を押さえていた。そんな酷い父親と暮らしているのなら、一刻も早く救い出してあげたいと涼子も思った。
「綾子さん、わたしも付いていきます。何かの役に立つかもしれないし、大学時代の友人で弁護士事務所に勤めている人も知っています」
「涼子さんまで……ありがとう」
「みんなで娘さんを救出にいこうぜっ!」
「これで、やっと連れ出せるよ。もうすぐ娘の十九歳の誕生日なんだ、それまでに会える。本当に嬉しい……」
綾子は感極まって泣き出した。 そんな綾子を励ますように、崎山が冗談を言って笑わせている。――この男は大きな身体と同じくらいの抱擁力を持っていると涼子は思った。

 今度の日曜日に、綾子さんの娘を連れ出しにいく計画を三人で決めた。
 その後、喜んだ綾子はかなり焼酎のお湯割りを飲んでいた。居酒屋を出る頃には、もうべろんべろんに酔っ払って足がふらついていた。
 その様子を見て、心配だから送っていくという崎山の言葉に綾子は、
「いいから、いいからー。崎ちゃんは、涼子さんを送ってあげなさいよ」
 そういって、「バイバイ」と手を振って、ふらふらしながら歩き出した。
「綾子さん、大丈夫かしら?」
「危なっかしいなぁー。ちょっと待ってて、タクシー拾って乗せてくるから……」
 崎山は綾子の方へ走っていった、通りに出ると幹線道路も走っているので交通量が多い。酩酊状態の綾子を捕まえて、崎山は「ここに居るように」といい置いて、タクシーを探し始めた。
 その時だった、酔っ払った綾子がふらりと道路へ飛び出した。歩道側だったので、一台のスクーターが角を曲がって走ってくるのが見えた。
「綾子さん!」
 涼子は大声で叫んだ。
 その声に気が付いた崎山がすごい勢いで綾子の方へ走っていった。綾子を助けるために、なんと崎山はスクーターに突進して体当たりをしたのだ。間一髪、スクーターは崎山の体の楯につんのめるようにして、ゆっくりと転倒して止まった、そして……崎山も倒れた。
 その側で、綾子は尻餅を着いて茫然としていた。
 涼子は慌てて二人の方へ走り寄ったが、崎山は腕を押さえてうずくまっていた。……涼子は震える指で携帯から救急車を呼んだ。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-26 13:55 | 恋愛小説