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カテゴリ:恋愛小説( 43 )

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   第十二章 崎山の素顔


by utakatarennka | 2017-04-27 10:20 | 恋愛小説
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   第十一章 母と娘の絆

「涼子さーん!」
 振り返ると、崎山が後ろから追いかけながら涼子の名前を呼んでいる。仕事が終わってタイムカードを押して帰ろうと、ロッカールームに向かって歩いていた時のことである。
 涼子が立ち止まって待っていると、息を切らせながら崎山がやってきた。
「どうしたの?」
「――涼子さんって、以外と歩くの早いなぁー」
「そうかしら? 普通よ」
「後ろから何度も呼んでるのに、さっさっと歩いていくから……シカトされてるのかとちょっとヘコんだ」
「ゴメン! 聴こえてなかったわ」
「あ、さては仕事のことなんか考えていたでしょう?」
「あらっ、バレた」
 たしかに、涼子は仕事のことを考えながら歩いていた。
「涼子さんって真面目だからなぁー。俺なんか仕事終わったら。晩飯なに食べようくらいしか考えてない」
「あはっ、崎山くんらしいわ」
「だけど……気持ちの切り替えって大事だよ。俺、ラグビーやってたでしょう。試合でミスとかして、それをいつまでも引きずってると実力が発揮出来ないんだ。――出来るだけ、早く気持ちを切り替えないと仲間にも迷惑かけちゃうからさ」
「そうね。崎山くんのいう通りかも……」
 涼子は生真面目なタイプなので、いろんなことがいっぺんに出来ない。それはたぶん気持ちの切り替えがヘタなせいかもしれない。結婚に関しても『介護』の仕事と両立できないのが嫌で婚約破棄したくらいなのだから――。つくづく不器用な人間だと涼子は分かっていた。
「そうそう、綾子さんから今週の金曜日に飲み会どうだろうって伝言がきてる」
「金曜日?」
 そういえば、綾子と病院の中庭でそんな約束をさせられたような記憶が……。
「俺はお酒が飲めないけど……三人でいこうよ」
「ええ、別に構わないけど……」
「ホント? ヤッホー! 涼子さんと飲み会なんて超ハッピーだぁー」
 子どもみたいに崎山がはしゃいでる。無邪気な男で面白い。たぶん、涼子とは間逆のタイプである。だが、そんな崎山には自分にない『強さ』を感じているのもたしかだった。

 綾子が飲み会に選んだお店はこじんまりした居酒屋で、料理も美味しいと評判の店である。三人だが掘り炬燵がある個室に案内された。たぶん、予約を入れておいたからだろう。狭い部屋だが、三人で顔を突き合わせてしゃべるには丁度よい広さである。
 さっそく崎山がメニューを見て、あれこれ注文を考えていた。
 涼子にも注文を訊かれたが、特に食べたい物もないし、好き嫌いもないので、崎山と綾子に任せることにした。
 取りあえず、ビールを頼んでコップに注ぐとそれぞれが手にして掲げた。
「カンパーイ!」
「お疲れさまー」
 乾杯して互いの仕事を労う。お酒の弱い崎山はコップに半分ほどのビールを飲んだだけなのに、しばらくするともう顔が真っ赤である。
「お酒弱いねぇー、もうお猿のお尻みたいに真っ赤かだよ」
 綾子が、崎山の顔を見てからかっている。
「俺は食べるの専門だから。ご飯ならいくら食べても大丈夫!」
「崎ちゃんは、頭がお子ちゃまだからお酒がダメなんでしょう」
「あぁー、綾子さんひどいこと言うなぁー」
「あははっ」
 ふたりで冗談をいい合っている。その微笑ましい光景を涼子はにっこりしながら眺めていた。その内、注文の料理が運ばれてくると、崎山はいきなりカツ丼を食べ始めた。
「なんで、カツ丼なんだよ!」
 あきれ顔で綾子が訊く。
「いやー、俺にとっちゃあ、お食事前の前菜がカツ丼なんよ」
「涼子さん、こいつ面白い奴でしょう?」
「あははっ、ホントに……」
 綾子は焼酎のお湯割りを飲みながら、涼子にも話を振ってきた。
「あたしにとっちゃ、崎ちゃんは息子みたいなもんでさぁー」
「おっきい息子さんですね」
「そうでもないさ……もし生きてたら、崎ちゃんより一歳年下の息子がいたんだけど……ね」
「あ、ごめんなさい。辛いこと思い出させて……」
「いいよ。どんなに悲しんでも死んだ者は戻って来ないってことが、最近やっと分かってきたんだ。これも崎ちゃんのお陰かもしれないけどね」
「綾子さん、死んだ息子さんのことをいつまでも悲しんでいても、息子さんは天国で喜ばないよ」
 手羽先をかぶりつきながら、崎山が良いことをいう。二杯目のお湯割りを飲みながら、綾子はしんみりした顔でしゃべる。
「出来のいい息子でさ、家族の自慢だったよ。あの子が死んでから家族がおかしくなったんだ」
「ショックから立ち直れないでいるんでしょう」
「死んだ者の記憶に縛られて、生きている者が大事なものを失ってしまうのは、本末転倒なんだ」
 いつも冗談ばかり言っている崎山が、やけにシリアスなことをいう。
「だけど……家族には絆があるから……」
 つい、涼子が代わりに反論してしまう。三杯目のお湯割りのグラスをテーブルにドンと置くと、綾子が一気にしゃべり出した。
「あたしさぁー、今、家出中なんだよ。旦那と娘を置いて家を出てきちゃったんだ。旦那がDVで、もう我慢ができなくて……殴られるのが怖くて……娘を置いて、あたしだけ逃げ出した」
 綾子のいきなりのカミングアウトに涼子は言葉を失った。
「かれこれ一年経つよ。やっと生活が落ち着いてきたら……娘に会いたくて……」
「娘さんは、大丈夫でしょうか?」
 その問いかけに綾子の顔が、泣き出しそうに歪んだ。
「あたし……娘に悪いことをした。もしかしたら、あたしの代わりに娘が殴られてるかもしれないんだ」
 その言葉に崎山は食べるのをピタリと止めた。
「綾子さん、もしも、そうだったら娘さんを早く助けてあげないとダメだよ」
「崎ちゃん! 娘はとても繊細で傷つきやすい子で……自殺しかねない。何度か家の近くまで様子を見にいったんだけど、あの子は昼間は外に出ないんだよ。おまけに旦那が家に居て、会いにもいけない。電話かけても、いっつも旦那が出るし……あたしも旦那に見つかるのがすごく怖いんだよ」
 よほど夫の暴力が怖いのか、綾子の顔は恐怖に引き攣っていた。

「よし! 綾子さん、一緒に娘さんに会いにいこう。俺も付いていくから」
 キッパリと崎山が宣言した。
「崎ちゃん! ホントに付いてきてくれるの?」
「おう! 任せとけって!」
 身長180cm以上もある立派な体躯の崎山が、一緒に付いてきてくれれば、もう怖い物なしだ。しかもラグビーをやっていた青年とケンカをして勝てる者はそうはいないだろう。
「ありがとう。崎ちゃん……これで、やっと娘とも会える……」
 綾子は目頭を押さえていた。そんな酷い父親と暮らしているのなら、一刻も早く救い出してあげたいと涼子も思った。
「綾子さん、わたしも付いていきます。何かの役に立つかもしれないし、大学時代の友人で弁護士事務所に勤めている人も知っています」
「涼子さんまで……ありがとう」
「みんなで娘さんを救出にいこうぜっ!」
「これで、やっと連れ出せるよ。もうすぐ娘の十九歳の誕生日なんだ、それまでに会える。本当に嬉しい……」
綾子は感極まって泣き出した。 そんな綾子を励ますように、崎山が冗談を言って笑わせている。――この男は大きな身体と同じくらいの抱擁力を持っていると涼子は思った。

 今度の日曜日に、綾子さんの娘を連れ出しにいく計画を三人で決めた。
 その後、喜んだ綾子はかなり焼酎のお湯割りを飲んでいた。居酒屋を出る頃には、もうべろんべろんに酔っ払って足がふらついていた。
 その様子を見て、心配だから送っていくという崎山の言葉に綾子は、
「いいから、いいからー。崎ちゃんは、涼子さんを送ってあげなさいよ」
 そういって、「バイバイ」と手を振って、ふらふらしながら歩き出した。
「綾子さん、大丈夫かしら?」
「危なっかしいなぁー。ちょっと待ってて、タクシー拾って乗せてくるから……」
 崎山は綾子の方へ走っていった、通りに出ると幹線道路も走っているので交通量が多い。酩酊状態の綾子を捕まえて、崎山は「ここに居るように」といい置いて、タクシーを探し始めた。
 その時だった、酔っ払った綾子がふらりと道路へ飛び出した。歩道側だったので、一台のスクーターが角を曲がって走ってくるのが見えた。
「綾子さん!」
 涼子は大声で叫んだ。
 その声に気が付いた崎山がすごい勢いで綾子の方へ走っていった。綾子を助けるために、なんと崎山はスクーターに突進して体当たりをしたのだ。間一髪、スクーターは崎山の体の楯につんのめるようにして、ゆっくりと転倒して止まった、そして……崎山も倒れた。
 その側で、綾子は尻餅を着いて茫然としていた。
 涼子は慌てて二人の方へ走り寄ったが、崎山は腕を押さえてうずくまっていた。……涼子は震える指で携帯から救急車を呼んだ。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-26 13:55 | 恋愛小説
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   第十章 過去は振り向かない

 優衣の母親捜しの件で大学時代の先輩、片桐智和(かたぎり ともかず)に電話をしたら、明後日から仕事でシンガポールにいくけど、今夜なら少し時間があるというので、急遽、ショットバーで会うことになった。
 片桐は大学卒業後、官庁に勤めていたけれど、宮使いは性に合わないと三年で退官すると、バックパッカーになって世界中をひとり旅してきた男である。一年ほど放浪の旅をして日本へ帰ってきた時には、まるで中東の傭兵みたいな逞しく不敵な面構えになっていた。
 その後、片桐は叔父が経営する『片桐探偵社』で働くことになった。
 アメリカに半年ほど探偵修行にもいっていたらしい。探偵社での主な業務は浮気調査と素行調査、たまに行方不明人を捜すことがあるという。片桐のようなアクティブな男には、探偵業が性に合っていると圭祐は思った。

 片桐に指定された店『Bar Tomorrow』は、雑居ビルの地下にあった。
 薄暗い階段を降りて、重い木の扉を押し開けたら、大人の隠れ家のようなショットバーがそこにあった。店内は間接照明で落ち着いた雰囲気が漂う、長いカウンターと後ろの棚には色とりどりの洋酒瓶が並べられていて、バーテンダーはお客の注文を訊いてからシェイカーを振ってカクテルを作る。
 あまり広くない店内を見回して片桐を探すと、カウンターの奥に座っていた。手に持ったグラスをちびりちびりと飲んでいる様子だった。黒っぽいジャンバーとよれよれのチノパンを穿いた先輩はパッと見は風采が上がらない。
 圭祐の姿を見つけて、片桐が手招きをした。
 「よお!」
「こんばんは」
 空いている隣の席に腰を下ろすと、バーテンダーにマティーニを注文した。
「おまえから電話なんて珍しいじゃないか」
「ええ、電話では詳しい事情は説明できませんでしたが、先輩に捜して欲しい人物がいるんです」
「……まさか、元婚約者か?」
「ち、違いますよ!」
「そうか。だったら良かった。あれから一年になるんだなあ」
 一年前だったら、その話題に触れられたら、圭祐は焼けた鉄にでも触ったように過剰反応していたことだろう。今はそうでもなくなってきている、鈍感になった自分が自分でも不思議なくらいである。
「この女性を探して欲しいんです」
 あの日、ビートルの車内で優衣がトートバックの中から取り出した、家族写真の中に写っていた母親の顔を写メしたものを見せた。
「ふぅ~ん。おばさんじゃん。おまえ、このいう熟女が趣味になったの」
「ひどいなあー。その人は知り合いの女の子の母親で一年前に家出して行方不明なってるんです」
 母親の名前と年齢、優衣から聞いた特徴などについて説明する、圭祐の言葉をメモに取りながら、ところどころ質問を入れる。すっかり探偵の顔になった片桐先輩である。
「旦那と喧嘩して家出したんだな? 男性関係はなさそうか?」
「それはなかったみたいです。夫婦仲が悪くて、夫が暴力を振るっていたのが原因みたいだった」
「DVかぁ~。結構多いんだよな。調理師免許を持ってるんだったけ」
「ええ、家出する前は社員食堂で働いていたようです」
「中年女性で調理師の資格があるんだったら、たぶん同じ仕事を選んでいるだろう。社員寮の賄いや学校食堂、それから老人ホームの厨房なんかが可能性として高い。その線で調査してみるか」
「さすが先輩はプロですね」
「見つけるのにそんなに時間はかからないと思うけど、俺さ、明後日からシンガポールへ一ヶ月ほど出張なんだ。それまでに片付けたい仕事もあるし……その後でも良ければ引受けるけど、急ぎなら他の業者を紹介してもいいぞ」
「いいえ、先輩にお願いしたい。早い方がいいけど、やっぱり知ってる人の方が安心できるから……」
「分かった。俺に任せなさぁ~い」
 優衣の母親の写真を写メで先輩のスマホに送った。――これには商談成立である。

「ところで……おまえ、もう大丈夫なのか?」
 氷で薄まったハイボールを飲みほすと、おもむろに訊いてきた。
 一年前、片桐先輩にも結婚式の招待状を送っていた、その後、破談になったためお断りとお詫びの手紙を送った人たち、その一人であった。
「もう過去は振り向かない。そう誓った」
「そっか。圭祐、おまえは強くなったな」
「そうでもないさ。かなり苦しんだよ。やっと最近ふっ切れてきたんだ」
「俺はおまえがまだメソメソしてんじゃないかと心配してた」
 破談直後は人々の好奇の目にさらされていた。
 いろんな人が同情やら慰めの言葉を圭祐にいってきたが、そっとして欲しかったので、誰ひとりの言葉にも耳をかさなかった。――ただ、頑なに自分の殻に籠っていた。
 そんな中、片桐からメールが届いた。『ドンマイ!』たったそれだけの言葉だったが、かえって嬉しかった。ぶっきら棒だが、昔から片桐は後輩思いの優しい先輩だった。
「彼女と僕は縁がなかったんだ。お互いに結婚相手として相応しいと思って選んだけれど、運命がリンクしてなかった」
 世間並みならいいと安易に決めた結婚だった。相手の気持ちを深く理解しようとする努力が足りなかった、それゆえ破談になったのだろう。
「まあ、結婚してからトラブル起こすより、結婚する前に見切った方が利口かもしれん。この仕事やってると男女の修羅場を度々見せられるからな……」
「彼女が今幸せなら、それでいいんだ。恨みごとなんかいいたくない」
「それでこそ男だ!」
 パシッと片桐が背中を叩いた。手に持ったマティーニを口に含み、アルコールに少し力を借りる。
「僕は今……本当に守ってあげたいと思える相手に巡り合ったから」
「そうか、おまえの表情が明るくなってたから、これは何かあると思った」
「えっ? そんなことが分かるんですか?」
「そりゃあ、探偵だから勘が鋭くなくっちゃ~この仕事は勤まらないさ」
 片桐が叔父の探偵社を手伝うようになって、調査員が五人も増えたらしい。企業の業績や裏金、政治家や暴力団関係など、片桐は海外まで調査にいくことあるという。
「俺はおまえが元気そうで安心した」
 ちらっとロレックスの時計を見て、
「悪い。今夜はおまえと飲みたかったけど、そうもいかない。今から浮気の張り込みがあるんだ」
 酒豪で鳴らした片桐がハイボールをちびりちびり飲んでいるのはオカシイと思っていたら、まだ仕事が残っていたのか。忙しいのに、わざわざ時間を割いてくれた先輩の優しさに圭祐は感謝した。
「ああ、それから……さっきのDV旦那の件だがな、もし他に家族が同居してるなら、その人が暴力の犠牲になってなきゃいいんが……じゃあ、また連絡するよ」
 そういい置いて、片桐は足早にショットバーから出ていった。

 暴力の犠牲? 片桐が最後にいった、あの言葉が気にかかる。
 父親の話をする時、いつも優衣の目が脅えたような色になる。常に父親の影にビクビクしている様子だった――。
 ビートルの中で見せて貰った家族写真には父親が写っていない。四、五年前に撮影したものだろうか、今より明るい表情の中学生の優衣と利口そうな顔つきの高校生、たぶんこの人が亡くなった兄か、それと母親と三人で写っていた。寂しい時には、いつもこの写真を眺めるんだといっていた。
 出来るだけ早く、優衣の悲しみを取り除いてやりたかった。マティーニをもう一杯だけ飲んでから帰ろうと圭祐は思った。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-25 10:39 | 恋愛小説
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   第九章 あっちの空とこっちの空

     【 ひこうき雲 】

   青い画用紙に
   白いクレヨンで
   一本線をひいた

   あっちの空とこっちの空
   きみの空とわたしの空

   ふたつにわられたお空が
   さみしくて呼びあった

   おーい おーい

   あっちの空はくもってる
   こっちの空は雨になりそうだ

   そしたら風がふいてきて
   白いクレヨン消しちゃった

   ひこうき雲もふきとんで
   ふたつのお空はなかなおり
   よかったね 青い空

          優衣


「あっちの空とこっちの空」そう書いた優衣の詩は、どこかふたりの距離を感じさせる。優衣のいる空のことは何もしらない。――だけど、あの子が幸せじゃない境遇だということは何となく分かっている。
 優衣の瞳がいつも遠い過去を見つめているのは、きっと、今が幸せではないからなんだと思う。いつの日か、優衣が現在を見つめて生きていけるように、何が出来るのか圭祐は自分なりに考えてみようと思っていた。

 伝えたいことがあるので、優衣の配達の時間を待っていた。
 ポストに新聞が挿し込まれた音がしたので、慌ててドアを開けて様子を見た。
「優衣ー!」
 圭祐の呼び声に振り返ったその姿は、ブルーフォックスのイヤーマフを付けて、髪は水色のシュシュで束ねられていた。
「おはようございます」
「あ、プレゼント身に付けてくれているんだね」
「はい……」

 「優衣に良く似合ってる!」
 圭祐のその言葉に、はにかんで頬を赤らめる。
 すっきりと髪をまとめ毛皮のイヤーマフを付けた彼女は予想以上にチャーミングだった。この娘も少しだけ身なりに気を配れば、容貌は決して悪くないのに……と圭祐は思った。
「今度、どこかへ出かけないか?」
「えっ」
「日曜日は用事とかある?」
「ううん。何も……家に居るだけ……」
「そっか。だったら今度の日曜日にドライブにいこう」
「ドライブ?」
「そう、僕の車で少し遠出をしよう。山と海どっちがいい?」
「……海。寒いけど、冬の海を見てみたい」
「よし分かった。日曜日、九時に駅前のロータリー交差点の所で待っているから、いいかい?」
「うん」
 嬉しそうに優衣が頷いた。その表情に満足そうに圭祐も頷いた。
 そして「配達ご苦労さま!」と声をかけ、ポケットで温めておいた缶コーヒーを優衣に手渡した。
 太い新聞の束を手に、次第に遠ざかる優衣の姿が見えなくなるまで見送ってから、圭祐は自分の部屋に戻った。

 駅前のロータリー交差点の中央には、小島のような大きな花壇があり、四季折々の花が咲いている。今は冬なので三色すみれが黄色や紫、白と鮮やかな色彩でいろどられている。花壇の真ん中には、金属で作られたモニュメントが設置されて時計塔の役目を担っている。
 いわゆる、ラウンドアバウトと呼ばれる方式で、中心の小島のような花壇の周りを既走車両を優先し周回するシステムで、ロータリー交差点の利点を生かしつつ、欠点を改良したものなのである。
 目立ちやすいモニュメントの近くに、愛車のシルバーグレーのフォルクスワーゲンを停めて、優衣がくるのを圭祐は待っていた。
 モニュメントの時計が九時を指す五分前に、きょろきょろしながら優衣が駅前を歩いてくる。初めて会った時にも着ていた黒っぽいジャケットとイヤーマフを付け、オタクっぽい布のトートーバッグを手に提げていた。
 先に気がついた圭祐が車を移動させて、優衣の方へと近づいていって、車のウィンドウを開けて「優衣」と声をかける。
 きれいな外車が傍らに停まったので優衣は面食らっていた。
「おはよう。これが僕の車だよ」
 圭祐は車から降りて、優衣のために助手席のドアを開けた。それはニュービートルという、丸いフォルムのアンティークなデザインのドイツ車で、右ハンドルである。
「素敵な車ですね。こんなの初めて乗った……」
 日頃、父の軽貨物の助手席にしか乗ったことのない優衣は、ひどく緊張しながら乗り込んだ。
「ビートルは古い車だけど、これは新型のビートルなんだ」
 優衣が助手席に座ると、シートベルトをするように促して、圭祐も車に乗り込んだ。
「外車って、すごい……」
 車内を見まわして優衣が呟いた。
 この車をテレビや写真などで見たことあったが、まさか実際に自分が乗れるなんて考えてもみなかった。
「さーてと、お姫さま。今日は海までお連れしましょう」
「やだ、あはは……」
 圭祐がおどけていうと優衣は嬉しそうに笑った。
 ステアリングホイール脇に設けられた一輪挿しには小さな鈴蘭が活けてある。鈴蘭の花言葉は『幸福が訪れる』優衣への想いを込めて、圭祐が選んだ花である。――爽やかな鈴蘭の香りが仄かに漂ってくる。

「飲みものあるから、どうぞ」
「ありがとう」
 ドリンクスタンドには缶コーヒーが挿してある。ふたりっきりで車に乗り込んだら、引っ込み思案の優衣は緊張して無口になってしまった。カーステレオから軽いJポップを流す。なんだかお互い話の糸口が見つからない。
「――詩はいつから書いてるの?」
 優衣が貝になってしまわないように、さりげなく圭祐から質問をする。
「えっと……小学生の高学年くらいから……きれいな詩を書くと、お兄ちゃんや友だちが褒めてくれるから……」
「そうか、自分のために詩は書かないのかな?」
「……自分のために書いた詩は真っ暗で、誰にも読ませられない」
「暗い詩でも、それが優衣の心を映した言葉なら読んでみたいな」
「あのう。本当に読んでみたいですか?」
 そういうと、優衣は膝の上に置いたトートーバッグに目を落とした。そこには二冊の詩のルーズリーフが入っている。
 優衣は躊躇しながらも、その一冊を圭祐に渡した。


     【 石ころ 】

   泣き出したいほど辛いとき
   心のスイッチをOFFにする
   何も見えない 何も聞こえない 何も感じない
   そうすれば悲しくても
    顔は笑っていられる

   すべてをシャットアウトして
    自分の殻の中へ逃げ込む
   弱いわたし 不器用なわたし 意固地なわたし
   心が傷つかないように
    そうやって自分を守ってきた

   アルマジロのように固まって
   壊れそうな自分を隠しているの
   触れられないように
   石ころみたいに転がりながら
   それでも守りたい 小さなプライド


 優衣自身の詩は、現実逃避と自己憐憫、そして自虐的な詩ばかりだった。
 そこには、生きることへの希望も喜びもなく、絶望感と悲しみだけが漂う。まだ、大人にもなっていない彼女が、なぜ、人生をそこまで悲観するのか、その理由を圭祐は知りたいと思った。

 ドライブ途中の『道の駅』でふたりは休憩をとることにした。
『道の駅』の中にはレストランやコーヒーショップ、お土産物屋があった。その中に洒落た洋菓子店が見つかったので、優衣におやつを選ばせた。彼女は「これ前から食べてみたかったの!」とガラスケースに陳列された、カラフルな色どりのマカロンを見て喜んだ。
 ドライブ中に食べるマカロンを三つほど選んで、後は詰め合わせにして、お土産に持たせた。
 再び、ビートルに乗リ込むと真っ直ぐ海に向かって走らせる。
 優衣は久しぶりのドライブらしく、車の窓から流れる風景を楽しんでいた。まだ若いのだから、もっと外へ出て、いろんなことを楽しんだら良いのに……だが、それが許されない事情が優衣にはあるようだ。
 やがて、ビートルは海に沿って伸びている湾岸道路を走り始めた。白い砂浜と冬の荒い海。雪も少しちらついて外はかなり寒そうだった。どこかに停車できる場所はないかと探しながら運転していたら、しばらく走ると『海の公園』と書かれた標識が見えた。そこのパーキングに車を停めて、ふたりは車窓から海を眺めていたが、優衣が「海岸にいってみたい」といい出した。
 
「海岸は、かなり風が強いし寒いよ。大丈夫?」
「うん。海好きだけど……あんまりいったことなくて、波打ち際までいって見てみたい」
 優衣が着ている黒いジャケットは、だいぶ着古しているようで生地が薄くなっている。この娘はおしゃれに興味がないというよりも……着る物をあまり持っていないのかもしれないと、圭祐はそう思った。
「そっか。優衣は詩人だから綺麗な風景を心のアルバムに取っておきたいんだね」
「――そうかもしれない」
「あ、そうだ。後部座席に僕のウインドブレイカーが積んであるから、それを羽織ったら少しは寒さが凌げると思うよ」

 圭祐の紺色のウインドブレイカーを羽織った優衣と海岸の方へ降りていく。海からは容赦なく激しい風が吹き荒む。おまけにみぞれ交じりの冷たい雪まで降ってきた。ふたりは向い風に押し戻されそうになりながらも、海へ海へと歩いていく……。
 ――その姿は、まるで『心中の道行』みたいだと、圭祐は心の中で自虐的に嗤った。

 海岸の波打ち際に立って、ふたりは海を眺めていた。
 夏なら海水浴で賑わう砂浜も、今の季節は海からの漂流物や海藻などで薄汚れている。沖の方では、カモメたちが強い風に吹き飛ばされそうになりながら海面すれすれを飛んでいく。遠く水平線は鉛色の空を映している。――冬の海は、蒼く冷たく心まで凍えそうだ。
「そろそろ車に戻ろうか?」
 じっと海を見ている優衣に焦れて、圭祐が声を掛けた。
「あたしが小学生の頃、夏になるといつも家族で海水浴にきたんだよ」
「海水浴かあ、子どもの頃には僕もよくいった」
「いつも海が怖くて、なかなか入れないあたしを、お兄ちゃんが手を繋いで一緒に入ってくれたんだ」
「優しいお兄さんだね」
「うん。なのに……優衣をひとり置いて、お兄ちゃん天国に逝っちゃった」
 冷たい風にあてられた優衣の頬はリンゴのように真っ赤になっている。血色が良くみえるが、このままでは風邪を引きそうだ。圭祐は用意して来た言葉を優衣に言おうと決めた。
「優衣、僕とひとつだけ約束して欲しいことがあるんだ」
「……なぁに?」
「どんなに辛いことがあっても、ひとりで苦しんで……手首を切ったりしないでくれ! 苦しい時には、この僕を頼ってきて欲しいんだ」
「――ありがとう。あたし、今まで相談できる人がいなかったから……」
「優衣、今の願いは何?」
 そう訊くと、しばらく考えていたがぼそりといった。
「お母さんに会いたい」
「そうか」
 優衣の母親は一年前に家出している。
「死んだお兄ちゃんとは、二度と会えないけど……生きているお母さんとは会いたい……早く会いたいよう……」
「そうか」
「お母さんは、あたしを置いて出ていった、ずっと寂しかった……」
 優衣が嗚咽を漏らす。
「分かった! 絶対に探し出してあげるから。お母さんの名前と歳は?」
「辻本綾子、四十七歳……」
「きっと、お母さんと逢えるからね。大丈夫だよ」
 泣いている優衣を圭祐は優しく抱き寄せた。《震える小鳥を胸に抱く……》この娘は絶対に自分が守ってやると、圭祐はそう心に誓った。
 強風に立ち向かうように肩を寄せ合って、ふたり波打ち際に立っていた――。

 海岸からの帰り道。食事をしようと優衣を誘ったが……「夕食の時間に間に合わないと、お父さんに叱られるから……」と車内でサンドイッチを食べた。駅前に着いて、車を降りると慌てて自転車で帰っていった。
 母親が家出した後、どうやら優衣と父親は上手くいっていないようだと圭祐は感じた。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-24 21:10 | 恋愛小説
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   第八章 ひとりで頑張らない

 涼子は『吉田家の事件』で、警察から事情聴取を受けたが、ショックであまり詳細には覚えていなかった。その代わり崎山が警察にいろいろ説明してくれたみたいである。事件の日は警察署から職場に戻ったが、動揺していて仕事が手に着かず早退して家に帰った。
 その晩、急な発熱で涼子はダウンしてしまった。どうやら風邪を引いたみたいで喉が痛く、身体が熱っぽい。だるくて何もする気になれなくて……今日で三日目、涼子は職場を休んでいる。市販の風邪薬を服用しているが、病院でちゃんと治療を受ければ、すぐに治るような風邪だと分かっているが、病院にもいかず家で寝ていた。何となく、今は病気の自分に甘えていたい気分なのだ――。

『介護』の仕事を始めて一年……涼子はこの仕事にやり甲斐を感じて、自分の天職だとさえ思っていた。
 いつも、きちんと職務を果していると自負していた。――それなのに、先日の『吉田家の事件』で、涼子は何も出来なかった。木偶の坊みたいに突っ立ったまま、ただ見ていただけの自分が情けない、しかもパニックを起こして泣き出してしまった。

 かつて、涼子が『介護』の仕事をすると決めた時に多くの人を傷つけた。
 婚約者には挙式一ヶ月前に婚約破棄して、ふたりの家から飛び出した。自分の両親に結婚をしないと告げた時、母親に「どうか、式だけでも挙げておくれ」と懇願された。親戚や友人、近所の人にもご祝儀やお祝いの言葉を貰っている手前、結婚が破談になったなんて世間体が悪くて、恥ずかしくて、もう外にも出られないと泣かれた。父親は愚痴ぐちとはいわなかったが「おまえの婚約者とご両親に申し訳ない……」と肩を落としていた。
 その後、涼子の両親は婚約者の実家に謝罪にいったが、会っては貰えなかったそうだ。相手の両親とすれば、大事な息子の将来に泥を塗ったと激怒していることだろう。どんなに責められても仕方ないことだと、涼子にも分かっている。
 それなのに……そこまで犠牲を払って、選んだ『介護』の道だったのに……自分は無能者だった。そのことを思い知らされて、ショックのあまり涼子は働く気力を失い、そのせいか、風邪まで引き込んでしまった。

 寝込んで三日目、ようやく涼子はベッドから起き上がったが……頭がフラフラする。この三日間、水以外ほとんど何も口にしていなかったことに気がついた。ずっと眠っていたようだ、途中、何度か携帯の呼び出し音が鳴ったが、無視して、さらに眠り続けた。
 今の体調は風邪だけではなく……少し鬱になりかけているのかなぁーとも思う。
 取りあえず、何か食べなくてはと立ち上がってキッチンまでいき、お湯を沸かして、インスタントのカップスープを作って飲んだ。バターロールとヨーグルトも少し食べたら、ちょっとだけ元気が出た。

 風邪は回復してきたが涼子の心は重かった。こんな自分が『介護』の仕事を続けていても迷惑にならないだろうか。太田サヨのことも、自分が会いにいってあげなかったので……寂しくて、自殺したのかも知れないのだ。
 結局、誰ひとりとして救えないし、何の役にも立ってはいないのだ。自己嫌悪で涼子は自分ばかりを責めていた。
 明日には出社しなければいけないと思うのだが、どうにも気が重くて……《仕事どうしよう? このまま辞めちゃおうかなぁー》そんなことをぼんやりと考えていたら、いきなり玄関のチャイムが鳴った。
 パジャマ姿だし、病み上がりでやつれて元気もないし、人と会うのは億劫だったので『居留守』を決め込もうとチャイムを無視していたら、今度は玄関のドアをドンドンと激しく叩き始めた。
 もう! うるさいわね。いったい誰なのよ? ムッとして立ち上がり、こっそり玄関の覗き穴から見たら、でかい図体の崎山が立っていた。

 涼子が玄関のドアを開けると、元気な崎山が飛び込んできた。
「ほい、お見舞い!」
 いきなり、目の前にフライドチキンが入ったバケツみたいな箱を突き付けられた。
「あれれ、涼子さん。すっかりやつれちゃって……」
「うん……」
「俺、心配で様子を見にきたんですよ。ご飯食べてなかったでしょう?」
「ありがとう。熱があって、食欲がなかったから……」
 あんまり、しつこくドアを叩くので……仕方なくパジャマの上からカーディガンを羽織って玄関を開けたら、やたら元気でハイテンションな崎山に、頭がクラッとして、開けるんじゃなかったと、深く後悔している涼子であった。
「ダメじゃないですか。これ一緒に食べましょう!」
 チキン10ピース入りのバケツを目の前でブラブラさせながら、崎山がいう。
「お見舞いって……ホントは自分が食べたくて買ってきたんでしょう?」
「あれ、バレたかあー!」
 まるで悪戯っ子みたいに、えへへと崎山が屈託なく笑う。
「もう、とにかく中に入ってよ。どうぞ」

 涼子の部屋はワンルームなので、小さなキッチンと奥に十畳ほどの洋間があるだけだ。当然、寝室兼居間なので、ベッドのある部屋に男性を通すのは憚れるが……崎山だと、あまり異性を感じられないし、涼子は内心、この男は、性欲よりも絶対に食欲の方が勝っているのに違いないと思っていたから、善しとしたのである。
 寝乱れたベッドを見られるのは、ちょっと恥ずかしいが……病人だから仕方がない。冷蔵庫に発熱用に買って置いたスポーツドリンクがあったので、ペットボトルごと崎山に渡すと、もう、すでにバケツを開けて、チキンにかぶり付いていた。
「いやー、うまい、うまい!」
 あっという間に5ピース食べてしまった。
「フー。いつ食べてもフライドチキンはうまいなあー」 やっと、人心地ついたのか。今度は五百リットルのスポーツドリンクを一気飲みした。豪快な男である。あきれ顔で見ている涼子に気がついて崎山が……。
「どうしたの? 食べてないじゃないですか?」
「崎山くんの食べる姿を見ているだけで、お腹がいっぱいになったわ」
「体力つけないと風邪治りませんよ」
「でもね……。病み上がりの人のお見舞いにチキンはおかしいでしょう?」
「えっ! そうですか? 俺は熱があっても焼き肉いけますけど……」
「それは崎山くんだけ!」
「えへへ」
 何を言われても気にする風もなく、飄々とマイペースな崎山。ほんとうは、こんなタイプの人間が『介護』には向いているのかもしれない、涼子はそう思った。
 自分のペースを崩さない……実は人間相手の仕事ではそれが一番難しいのだ。

 その後、さらにチキンを3ピース食べた崎山は満足したみたいで、ニコニコしていた。この男はまったく何しにきたのよ? と思いながらも、どこか憎めない存在なのである。
 婚約者だった人は神経質で繊細なタイプだったが、崎山は無神経で大雑把、こちらも気を使わなくて済む分だけ疲れないタイプである。
「あのさー」
「うん?」
 ちょっと、神妙な顔で崎山が何かいいかけてきた。
「こないだの吉田さんの件……涼子さんにはショックだったよね? あの時、涼子さんが車の中で泣いてたんで……俺、ビックリしたんだ」
「……まさか、泣くと思わなかったでしょう?」
「うん。何て言うかぁー、その……やっぱし女の人だなぁーって思った」
「不甲斐ない奴だと幻滅したよね?」
「いいや。俺……泣いてる涼子さん見て、キュンときた!」
「えっ?」
「可愛いなぁーって、抱きしめたくなった!」
「ぶっ! ま、まさか」
 涼子は噴いてしまったが、崎山の顔が赤くなっていた。
「――わたし、あの時……何も出来ずに突っ立っていただけで介護者として失格だったわ」
「涼子さんは真面目過ぎるから、ああいう場面に直面するとパニックになっちゃうんだ。俺はラグビーやってたし、少々の流血くらいどうってことないからさ」
「自信失くした。自分の職務を果たせないなら辞めた方がいいのかなぁーって……今は思ってる」
「はあ? 何いってるの? 職務とかそんな言い方は傲慢でしょう?」
 急に崎山が厳しい顔で切り返した。涼子は驚いて、黙って、次の言葉を待った。
「俺、そんな風に上から目線で仕事を語る人は好きじゃない。職務とか、そんな義務感で行動する前に、人間としてどうするべきか。――それが先決でしょう?」
 確かに、あの時の崎山の行動は冷静沈着で適切だった。
 何からすべきか心得ていたように思える。それは職務ではなく、人間として取った行動の結果なのだろうか。崎山という男の一見、大雑把でいい加減そうな人柄の裏に隠された。男らしい行動力には、涼子も少し魅かれ始めていた。

「なぁーんちゃってね! 偉そうにいってゴメン!」
 崎山はテレ隠しに頭を掻いた。
「……ううん。たしかに崎山くんのいう通りかもしれない。わたし、思い上がっていたのかもしれない」
「何もかも、ひとりで頑張らない」
「うん」
「仲間がいるんだから、自分の手に余ることは頼んだらいいんだよ」
「そうね」
「ひとりの十歩より、みんなの一歩だから……」
「崎山くん、良いこというね」
「こないだ、立読みした本に書いてあった」
「あははは」
 崎山としゃべっていると涼子の憂鬱な気分が少しずつ晴れてゆく――。
「ところで、崎山くん。仕事はもう終わったの?」
「あっ! しまった。 もう一軒、利用者の家に迎えにいかなきゃあー」
「ええー! チキン食べてる場合じゃないでしょう!」
「やばい、やばい!」
 そう言いながら、崎山は慌てて涼子の部屋から飛び出していった。真面目なのか不真面目なのかよく判らない。しかし、なんだか癒される不思議な男だ。

 涼子は三日間休んで、四日振りにデイサービス『ゆーとぴあ』に復帰した。
『吉田家の事件』の後だったので、みんなが気を使って心配してくれていたのがよく分かる。実際、風邪だったのだが、それ以外の要因で体調が悪くなったのもたしかである。崎山と話してから、ふっきれたみたいで少し心が軽くなったように思える。
 午前中はお年寄りの入浴の介助などをやっていたが、やっぱし身体が本調子ではないのでかなり疲れた。お昼の休憩時間、隣接する病院の中庭で本でも読もうかとベンチを探していたら、そこには先客がいた。涼子の気配に気づいて相手も振り向いた。
 先客は綾子さんと呼ばれている、調理室で働く四十代後半の女性だった。
 涼子とほぼ同じ時期に『ゆーとぴあ』に勤めた始めた人だが、調理師免許を持っているので、厨房での仕事をかなり任されているらしい。崎山は、この綾子にオムライスやチャーハンをよく作って貰っている。
 職場の噂では、綾子はテキパキと仕事はよく出来る人だが、あまり職場の仲間たちとは付き合いがなく、どことなく陰のある人で、アパートにひとりで暮らしているらしい。
「どこもかしこも禁煙でさぁー。携帯灰皿持って、ここで吸うしかないんだよ」
「そうですね……」
 綾子は煙草を指に挟んで旨そうに吸っている。煙草を吸わない涼子には返答のしようもない。
「あんた、もう大丈夫なのかい?」
「えっ? はい、風邪は治りました」
「崎ちゃんがねぇー、すごーく心配してたんだよ」
「そ、そうですか?」
 崎山と綾子は親しい仲である。
「あんたが休んでる時さぁー、崎ちゃん元気なくて……あたしが作った『特製オムライス』残したんだよ。それで事情を訊いたら、涼子さんが今日で三日も休んでて、俺、心配で仕方ないって言うから、だったら、お見舞いに行きなさいよ。ってハッパをかけたんだよ」
「へぇー、そうなんですか?」
 自分のいない所で、自分が話題になっているのを聞くのは面映ゆい。あの日、崎山が涼子の家にお見舞いにきたのは、どうやら綾子のハッパのお陰のようだ――。

「崎ちゃん、いい奴だよ。あんたどう思う?」
「えっ! そんなこと急に言われても……」
いきなり、綾子が崎山のことを打診するようなことをいってきたが、涼子としては答えようがない。
「まっ、付き合ってみないと分からないだろうし……」
 綾子は煙草を咥え、眉間にシワを寄せて何か考えている様子だ。
「そうだ! 今度、三人で飲みにいこうよ」v「えぇー!」
「いいじゃないの、三人で飲み会しよう。あんたは飲めるんだろう?」
「まあ、少しは……」
「崎ちゃんは図体の割にお酒弱いんだよ」
「あ、そうなんですか?」
「あいつは食べるの専門でさぁー。コップ一杯のビールで顔が真っ赤っかかなんだ。マントヒヒみたいになってさ」
 そういった綾子が、うぷぷっと笑った。
「じゃあ決めたよ。日にちは後で連絡するから、よ・ろ・し・く」
 一方的に綾子が涼子にいい置いて、携帯灰皿で煙草を揉み消すと、さっさっといってしまった。あっけに取られて、返答もしないままに『三人飲み会』の件を承諾した形になってしまった。
 たぶん、綾子は崎山と涼子をくっつけようと目論んでいるのだろうが……涼子には、そんな気持ちは毛頭ないし、自分には婚約破棄で多くの人を傷つけた過去があるので、どんなに良い人が現れても絶対に好きになったりはしない。
 過去に、《婚約者を傷つけた自分は結婚して幸せになる資格はない》と涼子は思っているから、一生結婚はしないと固く心に誓っていた。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-24 10:08 | 恋愛小説
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   第七章 しゃぼん玉とんだ

     【 しゃぼん玉 】

   ピューと
   赤いストローから
   とびだす
   しゃぼん玉たち

   ふわふわと
   ただよいながら

   ごっつんこして
   はじけた
   木の枝にぶつかって
   はじけた
   カラスにつつかれた

   ピューと
   元気いっぱい
   とびだす
   しゃぼん玉たち

   風にだって
   負けないんだから

   あの子の家まで
   とんでけ
   学校の屋根まで
   とんでけ

   しゃぼん玉とんだ
   あたしの夢ものせてって

          優衣


 毎朝、優衣の小さな詩から『元気』を貰ったと圭祐は思っている。
 子どものような心で書かれた優衣の詩は、無邪気で素直に心に響く。だからお礼をしたい気持ちになって、優衣に何かプレゼントを考えていた。
 今日、久しぶりに雑貨屋を覗いて、女の子の喜びそうな可愛い小物を買った。こんなものを買うなんて……一年前の圭祐には考えられないことだったが、是非、これを優衣に付けて貰いたいと思ったのだ。
 優衣は自分のことをとても卑下しているが、圭祐には彼女がダイヤモンドの原石のように思えるのだ。今は悲しみで輝きが曇っているが……いつか、きっと輝く宝石になれる。
 そうなるために、優衣の力になってあげたいと圭祐は思っていた。

 早朝、圭祐はベッドに置いた携帯のアラームで目を覚ました。
 ――三時四十五分、通常、こんな早い時間に起きることはないが、朝刊を配っている優衣に会うため早起きだった。
 眠い顔を冷たい水で洗い、コーヒーメーカーをセットして、好きな音楽をかける。二杯目のコーヒーを飲んでいる最中に、ガタンと何かがドアポストに挿し込まれる音がした。優衣が朝刊を配っていったようだ。慌てて、圭祐は部屋から飛び出した。
「優衣!」
 ドアを開けて呼びかけると、驚いたように振り返った。
「お、おはようございます」
「おはよう。ねえ、配達の仕事は何時に終わる?」
「えっと……五時過ぎには終わると思います」
「そっか。じゃあ、こないだ行った駅前のハンバーガーショップで、五時過ぎに待ってるから、これる?」
「はあ? はい……」
 困ったような顔で優衣が返事をした。「優衣にプレゼントを渡したいんだ。待ってるから必ずきてくれよ」
「はい!」
 今度は嬉しそうな声での返事だった。「じゃあ、頑張れ!」圭祐の励ましの声に、再び優衣は新聞を配り始めた。
 携帯を持っていない優衣との連絡手段は直接話す、この方法しかなかったのだ。

 駅前のハンバーガーショップで優衣を待っていたら、五時半頃に彼女が走り込んできた。きょろきょろ店内を見回して圭祐を探している。カウンター近くの四人掛けのテーブルに座っていた圭祐は、軽く手を上げて優衣に合図を送ると、すぐに気が付いて彼女は息を切らせながらやってきた。
「遅くなってごめんなさい」
 謝りながら席に着いた。
「忙しいのにきてくれて、ありがとう」
「いいえ」
 優衣は恥ずかしそうに俯いて笑った。そんな彼女の表情を黒い髪が覆い隠す。
「あ、何か食べる? 朝早いからお腹空いただろう」
「うん……」
 立ち上がって、カウンターへ行こうとする優衣の肩に軽く手をのせ席に押し戻した。
「――いいから座ってなよ、僕が買ってきてあげるから」
 優衣に注文を聞いて、圭祐が代わりに買いにいく。

 ようやく優衣が食べ終わるのを待って、圭祐は持って来たプレゼントを渡した。
 若者向けの雑貨店で買ったので、ピンクのリボンで可愛らしくラッピングがされている。受け取った瞬間「わあー!」と優衣は歓喜の声を発した。「開けて見てごらん」と圭祐に促されて、ラッピングを丁重にはがしながらプレゼントを開けていく優衣。
 中から出て来たものは――。
「イヤーマフ?」
「うん。耳が冷たいだろうと思って……」
 そのイヤーマフはブルーフォックスの青みがかった白い毛皮が耳あてに付いていた。ふわふわと柔らかく、ゴム紐タイプなので軽くて、しかもドーナツ状の構造で耳が塞がらないので、ちゃんと外部の音も聴こえるようになっている。
 新聞を配達する優衣が長時間付けていても頭が痛くならないように、圭祐が考えた末に選んだプレゼントだった。
「ありがとう。だけど、こんな高価なものは……」
「優衣が気に入ったなら使って欲しいんだ。いつも詩をプレゼントして貰ってる、それに対する、ささやかなお礼だから……気にしないで」
「すごくきれいなイヤーマフで嬉しいです。この青白い毛皮の色が好き!」
「気に入って貰えて良かったぁー。あ、それと、袋の中にもう一つプレゼントが入っているはずだよ」
「えっ?」
 袋の中を探って、優衣は小さな袋を見つけた。
「これは?」
「開けてみなよ」
 薄い水色のフリルのシフォンシュシュ。
「これって、髪留めですか?」
「イヤーマフを付ける時に、長い髪をそれで束ねればいいと思ってさ」
「ええ……」
「髪の毛、すごく長いね。いつから伸ばしているんだい?」
 優衣の髪は背中から腰近くまである。それを束ねないで無造作に伸ばしているので、顔が隠れて陰気な感じがする。
「三年前くらい……お兄ちゃんが死んでから、ずっと髪を切っていない」
「どうして?」
「お兄ちゃんが撫でてくれた、この髪を切り落としたくないから……」
「そっか……」
 優衣の心の中で『兄の存在』を、少しでも形として留めて置きたいと思っているのだろうか。……その健気さが不憫だと圭祐は思う。
「だけど、視界が悪いから髪は束ねた方がいいよ」
「……でも、あたし不細工だから顔も髪の毛で隠したい」
「そんなことない! 優衣は顔も心もきれいだよ」
 圭祐の発したその言葉に驚いたように目を見張った優衣だが、その後、俯いて沈黙してしまった。――たぶん、からかっていると思ったのだろう。

「あっ! もう帰らないとお父さんに叱られる」
 急に慌てて、優衣が立ち上がった。
「ごめんよ。引き留めて……」
「今日はありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げて、来た時と同じようにバタバタと小走りで去っていく。
 余程、父親が怖いのだろうか。どうも複雑な家庭の事情がありそうだと圭祐は感じていた。

 優衣が家の鍵を開けて、中に入ると父の義男が玄関に立っていた。
「遅い! なにやってたんだ!」
 いきなり大声で怒鳴られた。
「ご、ごめんなさい……新聞が一部余って、それで入れ忘れた家を探してたから……」
 咄嗟に嘘を付いた。朝から男の人と喋っていたなんてバレたら……父に殴られる。圭祐から貰ったプレゼントは、いつも持ち歩いている布のトートーバックの中に隠しておいた。
「この愚図が! さっさと朝飯の支度をしろ」
「は、はい」
 慌てて、優衣は台所へと走っていく。
「新聞配達なんか、いつまでやってるつもりだ! もっと金になる仕事を探せ。駅前のキャバクラで募集してたぞ、おまえは来月で十九だから、もう働けるだろう?」
 優衣の背中に義男の言葉が続く。――キャバクラなんかで働くくらいなら、死んだ方がマシだと優衣は強く思った。
 今、アルバイトで稼いでいるお金は全て父に渡している。
 その中から五千円だけ小遣いとして優衣は貰っているが、自分の衣類、日用品、お菓子などをそれで買っている。そして、父からは十日に一万円だけ渡されて、それで二人分の食費を賄っている。お金に細かい父にはレシートや明細をきちんと見せなければならない。しかし、それっぽっちのお金では誤魔化しようもない。カツカツの生活である。
 腰痛持ちの父は軽貨物の仕事が減って、最近では家でブラブラしている日も多い、さらに、働いていた母親が家出したので、現金収入が減ってしまった。義男は何んとか優衣を働かせて収入を得ようと考えているようだ。
 辻本家では長男健人を喪って、そこから全ての歯車が狂い始めていた。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-23 12:23 | 恋愛小説
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   第六章 心だけでは支えられないこと

 涼子の働いているデイサービスの施設は大きな病院が経営している。
 認知症や身体の不自由な高齢者を昼間の時間だけ預かって、介護する家族の精神的、肉体的な負担を軽減するための施設である。利用者は週に何日か曜日を決めて利用している。
 ここでは食事、入浴、アクティビティ、送迎バスなどのサービスなどが、介護保険適用であれば要介護度別の一割負担で利用が可能なのである。
 高齢化社会でのニーズが大きく、涼子の勤務するデイサービスの『ゆーとぴあ』では百名以上の利用者が登録されている。

「涼子さーん!」
 後ろから大声で呼ばれ、振り向くと介護福祉士の崎山貴志(さきやま たかし)がニコニコしながら手を振っていた。
 崎山は涼子より三歳年下の二十五歳の青年である。介護の仕事が好きで大学卒業後、二年間、福祉の専門学校に通って介護福祉士の国家資格を習得しているが、大型免許を持っているためか『ゆーとぴあ』では、主に利用者たちの送迎バスの運転手をさせられている。学生時代にはラグビーをやっていたという崎山は、体育会系のがっしりした体躯で、いつも元気いっぱい声も大きい。
「なぁに?」
 涼子が素っ気ない返事をしても、崎山は嬉しそうに、
「今日ね。涼子さんとデートなんだ! バスの送迎シフトが一緒で、俺うれしかったぁー」
「なにいってんの? これは仕事でしょう」
 少し苦笑しながら、崎山にいい返した。
 崎山は気にする風もなく、ニコニコしている。この男は頭の中も体育会系なのか陽気で単細胞。しかしながら『ゆーとぴあ』の老人たちには、とても人気があって、見るからに『頼れるお兄さん』といった感じなのだ。
 涼子と崎山は一年前、ほぼ同時期に『ゆーとぴあ』に就職した。なんだかんだ言っても、ふたりは同期なので親しい間柄である。
「でもさ。利用者が乗ってくるまではふたりきりでしょう? だからデート!」
「もう、真面目にやってください!」
 ムッとした顔で涼子が崎山を叱る。

 そこへ施設の調理室で働くパートのおばさんがやってきて、崎山に伝言をつたえた。
「崎山さん、調理室の綾子さんが『特製オムライス』出来たから、食べにおいでっていってますよぉー」
「わーい! オムライス食べる、食べる!」
 崎山は送迎バスを運転する前に、腹ごしらえするつもりのようだ。
 この男、身体も大きいのでとにかくよく食べる。調理室のおばさんたちとも仲良し、よく内緒で食事を作って食べさせて貰っているみたいだ。
「涼子さん、待っててね。俺、オムライス食べてくるからー」
 そう言い置いて、崎山は慌てて調理室のほうへ小走りでいく。
「もうー、遅れないでよ!」
 食べ物には目のない、子どもみたいな崎山の後ろ姿に、涼子は思わず笑みが零れた。

『特製オムライス』を食べてきた崎山は、送迎車出発時間ぎりぎりセーフで走ってきた。「お口にケチャップが付いてるわよ」涼子に注意されて「えへへ」手の甲で拭う崎山に、《こんな勤務態度で大丈夫かしら?》ちょっと怒りモードの涼子であった。 今日の利用者の送迎はバスではなく、大型のワゴン車だった。車椅子で乗れるリフトも付いている。鼻歌まじりにご機嫌で車のハンドルを握る崎山の隣、助手席に涼子は座った。
 崎山はハンサムとは言えないが、目鼻のキリリとした男らしい顔立ちである。いかにもスポーツマンという感じで髪も短く刈っていて、おしゃれではないが清潔感がある。服装はスポーティタイプのものが多く。ラグビーをやっていただけに身長は180cm以上、体重も80キロは下らない。実に立派な体躯をしている。
 涼子には不思議だった。こんな若くて元気な青年が、なぜ選りに選って『介護』という地味で重労働なのに、その割には報われない低賃金の職場を選んだのだろうかと……。
「ねえ、崎山くんって、どうして介護の仕事を選んだの?」
「はあ、俺ですか? 小さい時からおばあちゃんっ子で年寄りが大好きなんですよ」
「おばあちゃんっ子なの?」
 その返答にププッと思わず涼子は噴いた。
 こんなおっきい男が、自称おばあちゃんっ子なんて……なんだか滑稽だった。
「俺、父親が早くに亡くなっちゃって、母親の実家で育てられたんですよ。母親は会社で働いていたんで、いっつもお祖母さんに甘えてたから。年寄りの話とか聴くのが好きだったし、年寄りって可愛いですよねぇー」
「へえ、そうだったの」
「それが……お祖父さんもお祖母さんも高齢になって介護が必要になったんですよ。うちの母親がひとりで両親の介護をやってたんですが……ものすごく大変で、俺も手伝っていたけど、やっぱし大変だった……」
 当時を思い出してか、崎山の表情が曇ってきた。
「……それでも、なんとか両親を見送った母親は介護疲れか、半年後にふたりを追うようにして亡くなって……俺、ひとりが残された。――大学四年生で就職も決まっていたけど……その時、思ったんですよ。『介護』には、もっと男の力が必要ではないかと、女性にだけ任せるには、あまりに負担が大き過ぎるのではないかと……それで、就職先を断ってアルバイトしながら介護の専門学校に通ったんです」
「立派だね! 崎山くん見なおしたよ」
 涼子は崎山の話を聞いて、彼が生半可な気持ちで『介護』の仕事を選んだのではないことを知って、すごく感動した。
「えへへ」
 と、照れ臭そうに崎山が笑った。どこか少年みたいで可愛いと涼子は思った。

 そうこうしている内に、今日のデイサービス利用者、吉田家の前に着いた。
 家は古い平屋の木造住宅である。利用者は七十五歳のおばあさんだが、認知症がかなり進んでいて、物忘れや徘徊、そして時々暴れたりするので、介護をしている夫のおじいさんは大変である。
 最近になって、デイサービスを利用し始めたが、子どものいない夫婦だったので、それまではおじいさんがひとりで介護をしていたようだ。
 迎えに行っても、おばあさんの機嫌の悪い時は暴れたりして、車に乗せられないことも度々あった。
 介護疲れで憔悴し切っている、おじいさんの方がむしろ心配なくらいだった。

「おはようございます。吉田さーん」
 チャイムを鳴らしたが返事がない。玄関ドアが少し開いていたので、「吉田さん、デイサービスです」涼子は中へ声をかけた。しばらく様子を窺っていたが……人の気配はするが返答がない。高齢者ということもあって、心配になり涼子は家の中に上がってみることにした。
「吉田さん、どうかしましたか? 入りますよ」
 玄関で靴を脱いで上がり、居間のガラス戸を開けて涼子が見たものは――。

 居間の畳の上、血まみれのおばあさんがうつ伏せで倒れていた。頭から大量の血を流して……。壁にもたれたおじいさんは、血の付いた杖を握りしめて、茫然自失の状態だった。
 見た瞬間、涼子はヒィーと呻いて後ずさりしながら……悲鳴を上げた。慌てて外に飛び出し崎山に助けを求めた。血相変えて、裸足で飛び出て来た涼子の様子に、崎山はただならぬ事態を感じ取って、すぐさま車から降りてきた。

 ――部屋に入った崎山は、まず状況を把握して、倒れているおばあさんの脈を取って、すぐに救急車の出動要請をした。その後、壁にもたれていた、おじいさんの手から血の付いた杖と外すと、ひと言、ふた言、声をかけて落ち着かせようとしていた。そして、玄関で顔面蒼白で震えている涼子をワゴン車に乗せ座らせると……。
 崎山は救急車と警察の到着を部屋の中で待っていた。

 あの時、室内に入って、血まみれのおばあさんを見た瞬間、涼子はショックのあまり頭の中がショートしたみたいだった。介護者として何かしなければならないはず……なのに身体が動かない。頭の中はパニック状態で《怖い、怖い!》と、ただ震えていた。
 崎山が部屋に入って、てきぱきとやってくれているのをただ茫然と眺めているだけ。――気がついたらワゴン車の座席で涼子は泣いていた。
 こんな意気地なしで、無能者だと思ってもみなかった。結婚まで断わって、人の心を踏みにじってまで、やりたいと思った介護の仕事なのに、ほんとうに必要とされる時に、自分は何も出来ないで……ただ震えて見ていただけだった――そんな不甲斐ない自分を知って、自己嫌悪で涼子は潰れそうになった。

 その後、救急車で病院に運ばれたおばあさんは、命に別条はないということだった。警察に逮捕されたおじいさんは、取り調べ室で事件の原因について「デイサービスにいくのを嫌がって、おばあさんが暴れ出したから、なだめてる内に、ついカッとなっておばあさんを殴ってしまった。その後は興奮して自分が何をやったのかよく覚えていない」と刑事に答えた。「おばあさんに酷いことをした。本当に申し訳ない……」とおじいさんは泣きながら謝っていたという。
 そして、近所へ事情聴取にきた刑事は、日頃から、おじいさんの献身的な介護振りを知っている近所の人たちから「どうか、おじいさんを許してやってください」と、口々に懇願されたという。
 昔気質のおじいさんは、『自分の女房の世話ぐらい、わしが看る!』と頑なにひとりでおばあさんの介護を頑張ってきたが、認知症が段々とひどくなって、真夜中の徘徊などで目が離せなくなった。その上、時々興奮して暴れ出すと手が付けられない。物を投げる、ひっかく、さらに噛みついたりして、おじいさんの生傷は絶えなかった。
 しかも、介護するおじいさんの方も、七十八歳という高齢者で持病をいくつか抱えていて健康体ではなかった。見るに見兼ねた近所の人たちが、デイサービスのことを教えてあげて、やっと利用するようになったのである。
 高齢者が高齢者を『介護』をすることは、精神的にも肉体的にも負担が大きく、ヘタをすると共倒れになり兼ねない状況なのである。

 ――高齢者の『介護』は、心だけでは支えられないことなのだ。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-23 10:00 | 恋愛小説
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   第五章 第五章ポストの中の詩

 圭祐は今まで、どんな人間が毎朝朝刊をポストに入れていってくれるのか、なんて考えたこともなかった。
 朝起きてポストを覗いて新聞が入っているのは当たり前と思っていた。誰がいつ、どんな風にポストに入れていくのか、なんて……まったく興味がなかった。
 ある朝、ポストを覗くと新聞と一緒にメモのような紙が挟んであった。開いてみると、そこには一編の詩が書かれていた。


     【 どんぐりのキモチ 】

   おいっ
   おいらたちを拾うんじゃない
   可愛いからってもって帰るなっ

   おいらたちは種なんだ
   ちゃんと土の中にうめてくれよ
   いつか 立派などんぐりの木になるから

   池に放りこむなっ
   どじょうなんか 友だちじゃない
   おいらを使って
   やじろべぇなんか作るなっ
   どんぐりの背くらべ?
   ヘンテコリンなことわざにすんなっ

   へへん ざまぁーみろ
   栗みたいに
   おいらは食べられないぜぇ

   だ・か・ら
   拾ってもって帰らないでくれよ
   おいらたちの一粒一粒が
   だいじな “ 命 ” なんだ!

          優衣


 それは可愛らしい詩だった。
 朝からほのぼのとした気分に圭祐はなれた。たぶん、その詩は昨日会った少女『優衣』が新聞と一緒にポストに入れていったようである。《ゲームセンターで取ってあげた、白いクマのお礼のつもりかな?》と思った。
  キッチンカウンターでコーヒーを飲みながら、圭祐はなんとなく優衣のことを考えていた。《詩を書くような繊細な神経の少女だが、いろいろ辛い境遇みたいで……ぽきっと折れてしまわないだろうか》少し心配になる。
 圭祐は少女のことを考えながらコーヒーを飲み終え、出社の支度を始めた。

 優衣は二冊のルーズリーフを持っている。
 一冊は自分自身の感情や心の傷を書いた暗い詩と、もう一冊は子どもの気持ちで書いたほのぼのとした明るい詩である。
 明るい方の詩は、今は亡き兄健人が気にいってくれて「優衣の詩はうまいなぁー、うまいなぁー」と、よく褒めてくれていた。
 子どもの頃から、引っ込み思案で気の弱い優衣は友達ができなくて、自分の世界に引き籠もっていた。だから、詩を書くことで自分の気持ちを他人に伝えようとしていたのかもしれない。そんな方法でしかコミュニケーションが取れない不器用な優衣を理解し、その才能を一番認めてくれていたのが兄だった。
 優衣の心の拠り所は常に兄健人の存在であった。だから事故で亡くなった……その喪失感は時間が経ったら解決するというレベルの問題ではなかった。――優衣は自分自身の存在さえ見失ってしまいそうになった。
 だから、時々優衣は思う《お兄ちゃんではなく、あたしが死んでいた方が両親も喜ぶし、みんなに取って、その方がほんとうは良かったのに……どうして、神様はお兄ちゃんを連れていったの?》そう思うと自分が生きていることが罪のように思えて、剃刀で手首に傷をつけてしまう。流れだした赤い血で我に返って、傷口に包帯を巻く、自分自身の『死ねない弱さ』に、さらに自己嫌悪をつのらせていく――。
 優衣はいつも心の中で叫んでいる「誰かあたしを救ってください! ダメなら、どうか殺してください!」と……。

 圭祐のポストには、今日も朝刊と共に可愛らしい詩が届く。


     【 水たまり 】

   雨上がりの道
   水たまりに
   あたしがうつってる

   お友だちと
   けんかした

   水たまり
   赤い長ぐつで
   ちゃぷちゃぷしたら

   お水ゆれて
   泣きべそ顔になった

   小さな水たまり
   大きなお空うつして
   きらきら光る

   あした
   お友だちに
   ごめんねって言うよ

          優衣


 優衣がポストに届けてくれる小さな詩。なんだか朝から気持ちがほっこりする。こんな感じは、たぶん一年振りかも知れない。子どもの書いたような詩だが、自分の心の傷に薄いオブラートみたいな膜を貼ってくれているような気がしてならない。


     【 でんでん虫 】

   でんでん虫
   おまえって、ふしぎなやつ
   いったいなんなの

   貝かな
   虫かな
   ナメクジなのか
   貝だったら、好き
   虫だったら、ふつう
   ナメクジだったら、大きらい

   でんでん虫
   いつも雨ふりにいるけど
   ふだんはどこにいるの

   葉っぱのうらかな
   木の中かな
   それとも、土ん中

   分からないことばかり
   でんでん虫について
   今日、考えてみた

                     優衣


 自分と同じ、心に傷を持つあの少女がどんな想いで、こんな詩を書いているのだろうかと、圭祐は不思議に思う。想像の世界で美しいもの、優しいもの、楽しいものと語り合っているのだろうか?
 この詩は、少女の現実逃避の産物かも知れない。
 自ら『生きている価値のない人間』だと卑下していたが、きっと、そうやって心象風景の中で自分を解放しているのだろうか。童心に還ったような明るい詩だが、どこか悲しみを押し殺しているようだ。
 そう考えると、優衣が不憫に思えて仕方がない――。

 ――優衣はもう止めようと思った。
 子どもの書いたような詩を大人に読ませるのは、たぶん迷惑かも知れない。きっと……一瞥して、丸めてごみ箱に捨てられていることだろう。相手の都合も考えず、毎日ポストに詩を入れていった、そんな自己満足な自分が恥ずかしかった。
 それというのも、あの人が死んだお兄ちゃんと雰囲気が似ていたので、勝手に分かって貰えると思い込んでいただけなんだ。
 恥ずかしい、恥ずかしい……こんな幼稚な心しかない自分自身に優衣は恥入っていた。
 圭祐に亡き兄の幻影を見ていただけに過ぎなかった。

 十四階建のマンションの『メゾン・ソレイユ』の入居者は、各フロアに二十室ほどあるので世帯数は二百軒を下らない。その内の約半分に新聞購読者がいる。
 夕刊はマンションの一階にある集合ポストへまとめて配れるが、朝刊は下まで取りに行くのが面倒だし、パジャマ姿では外へ出られないからと、各部屋のドアポストに配って欲しいという要望が圧倒的だった。なので、朝刊だけは各部屋のドアポストに配ることになっている。
 しかし、マンションはどこもセキュリティが厳しくオートロックなっている。通常、エントランスにあるチャイムを押して、中の住人に玄関の扉を開けて貰って入るシステムなっている。だが、朝の早い新聞配達人はそうもいかないので、マンションと契約して、玄関の扉を開けるパスワード番号を教えて貰っている。その番号は時々変更されるのだが――。

 優衣は『メゾン・ソレイユ』のパスワードを押して扉が開くと中へ入って、正面にあるエレベーターで最上階まで上がっていく。手に持ったずっしりと重い新聞の束。今からこれを十四階から順々に配っていくのである。
 マンションは雨降りの日は濡れなくて済むので助かるが、真っ暗な早朝にひとりでエレベーターに乗るのは怖い。たまにマンションの住人と乗り合わせることがあるが……じろじろ見られて恥かしい。見知らぬ人に「ご苦労さま」とか声を掛けられるのも苦手だし、一度、朝帰りの酔っ払った男性にエレベーターの中で絡まれて怖い目にあったこともある。
 いつも《どうか誰もエレベーターに乗ってきませんように!》と、優衣は祈りながら最上階へとエレベーターで上っていく――。

 十四階のフロアのドアポストに朝刊を挿して、そこから十三階、十二階と階段で駆け降りながら朝刊を配達していく、かなりの重労働である。それでも人と会わずに働けるこの仕事が精神的に楽でいい。わずかなアルバイト代から家に生活費を入れている。父はもっと稼げる仕事を探せと口煩くいうが、引っ込み思案で人見知りの優衣には、この仕事が精一杯なのである。
 七階のフロアに降りて、新聞を配っていたら、こんな早朝に誰かが通路の所に立っているのが見えた。もし酔っ払いで絡まれたら嫌だなと優衣は身構えながら……少しづつ新聞を持って通路を進んでいった。
「あっ!」
 思わず、声が出た。
「おはよう」
 通路に立っていたのは圭祐だった。手を振って優衣に微笑みかけている。
「そろそろ君が来る時間だと思ってね」
「……待っていてくれたんですか?」
「うん。二、三日前からポストに詩を入れてくれないから心配していたんだ」
「あのう迷惑かと思って……」
「君の可愛い詩を毎朝楽しみにしていたんだよ」
「ほんとに……」
 優衣の瞳が輝いた。
「ほらっ、これ」
 温かい缶コーヒーを優衣に手渡してくれた。
「寒いだろう? それ飲んで温まりなよ」
「……ありがとう」
「冷めないように僕のポケットの中で温めて置いたから」
 そういうと圭祐は照れ臭そうに笑った。
 プルトップを引き上げて優衣はひと口飲んだ。缶コーヒーは程好い温度だった。
 普通なら人見知りが強い優衣は、こんな風に人から貰ったものを、その場で飲んだり絶対に出来ないタイプである。それが不思議なことに圭祐にだけは素直に反応できる。
 なぜだか自分でも分からないけれど、圭祐は最初から特別な存在のように思えて仕方がない。

 「ご馳走さまでした」
 缶コーヒーを飲み終えて、まだ配達があるのでお礼をいって仕事に戻ろうとした。
「あ、缶はこっちで捨てておくから……」
「すみません」
「寒いけど頑張れよ」
 優しい笑顔で圭祐が励ましてくれる。
 その笑顔に亡き兄健人がダブって見える《まるでお兄ちゃんみたい……》なんだか嬉しくて優衣は涙が零れそうになった。
「君、携帯のメール教えてくれないかな?」
「……あのう、携帯持っていないんです。お父さんがダメだって言うから」
 今どき、携帯を持っていない子は珍しいと圭祐は驚いた。
「それに誰からもメールとかこないから……」
 そういって優衣は薄く笑った。
 俯くと長い黒髪で顔の半分が隠れてしまう、その髪はまるで自分自身を隠すための蓑のようだった。
「じゃあ……」
 ペコリと頭を下げて、再び優衣は新聞を配達し始めた。
 圭祐はしばらく優衣の後ろ姿を見送っていたが、姿が見えなくなったと同時に自分の部屋に引っ込んだ。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-22 22:15 | 恋愛小説
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   第四章 歩き疲れた道

 太田サヨの一周忌なのでお墓参りにいかないかと、里見涼子のパソコンにメールが届いた。メールの送り主は一年前、サヨの亡くなった事情を詳しく聞かせてくれた、あの時のおばあさん、田村カツエ八十一歳からである。
 その後、涼子はカツエの居るグループホームへ何度か面会にいって、ふたりはすっかり仲良しになった。
 カツエは元気なおばあさんで、短歌、社交ダンス、カラオケ、日舞と趣味が豊富で好奇心が強い。七十歳過ぎからパソコン教室へ通いパソコン操作も覚えて、今はウェブサイトのブログに自作の短歌などを載せている。さらにTwitterやFacebookなども始めたようで、ネットでの交友関係もかなり広い。
 カツエのノートパソコンに涼子のメールアドレスを登録しておいたので、時々こうやってパソコンにメールを送ってくる。スマホは画面が小さいので文字が打ちにくいからと、やはりお年寄りにはスマホよりパソコンの方が使いやすいようだ。

 カツエの信条は『人生楽しまなくっちゃ損よ!』である。
 その精神でいろんなことにチャレンジするタイプの人間なのだ。七十五歳の時にスカイダイビングをやってみたいといい出して、家族に慌てて止められたというパワフルおばあさんなのだ。
 涼子が面会にいくと、カツエはとても喜んでくれる。
「あたしは若い人とおしゃべりするのが大好だよ! 話題が楽しいからさ。それに比べて年寄りの話ってツマラナイわよ。年金、病気、最後には……お墓の話しだもの」 そういって、あははっと屈託なく笑う。
 カツエはサヨと違って、物事をポジティブに捉える明るい性格なのである。身体も達者で杖など頼らなくとも、しゃきしゃき元気に歩く。

 三十代の後半でカツエは未亡人になった。夫の残した小さな会社を引き継ぎ働きながら、子どもを三人育て上げた。陽気で面倒見の良い性格なので、家族には大事にされていた。
 グループホームに入居することを家族に相談したら大反対されたが、残りの人生は子どもたちに迷惑かけず自由にやっていきたいという、カツエの強い希望での入居であった。
 だから毎週、カツエの元には家族や友人たちがひっきりなしに訪れている。最近は中学生になった曾孫の女の子がよくやってきて、カツエと遊んでいるようだ。
「あのさ、パソコンで2チャンネルとかいう若者のサイトを曾孫が見せてくれたんだけど……あんた『初音ミク』って知ってるかい? ロボットなんだよ。可愛い女の子の絵姿でね、人間みたいに歌ってさ、レコードまで出しているんだって、驚いたよ!」
 さも不思議そうに、カツエはいう。
 こんな風に素直に反応するカツエのことを、曾孫は可愛いおばあちゃんだと思っていることだろう。新しいモノと古いモノが頭の中には混在しているようで、CDをレコードというところがいかにもカツエらしい。

 サヨの墓参の日、グループホームまでカツエを軽自動車で迎えにいった。
 墓地の場所は聞いていたので、涼子はカーナビに行き先を登録しておいた。隣の市だが車で小一時間くらいの距離だと思う。軽いドライブといった感じで、ふたりでランチを食べて帰る予定である。
 到着時間を知らせておいたので、カツエはホームの介護士さんと玄関で待っていてくれた。介護士さんに「今日はカツエさんをお預かりします」と挨拶をして、書類に記入しての外出である。ホームの入居者を勝手に連れ出すことは絶対に出来ないことだ。
 自動車のドアを開けてカツエを乗せた。カツエの今日の出で立ちは和服であった。渋い藍色の大島紬袷小紋で上から藤色の道行コートを羽織っていた。
「カツエさん、今日のお召し物とっても素敵ですね!」
 涼子がいうと、カツエはにっこりと微笑んだ。女は幾つになっても服装を褒められると嬉しいものなのだ。
「朝から着付けの先生を呼んで着せて貰ったんだよ」
「すごく似合ってますよ」
「あたしたちの若い頃は戦争があってさ、おしゃれどころじゃなかったよ。モンペに防空頭巾だったからさぁー」
「大変な時代でしたね」
「そうだね。終戦になって焼け野原で……その後は働いて、働いて、やっと余裕が出来た頃にはおばさんになってて、おしゃれしても誰も振り向いてくれないんだよ。ったくさぁ~」
 眉根を寄せて肩をすくめ残念のポーズをした。その格好に思わず涼子は噴いてしまった。カツエはお茶目なおばあさんだ。
 カツエくらいの年齢の人たちが、日本の変遷を一番よく知っている世代だろう。終戦のどん底、高度経済成長期、そして衰退していく現在と……全てを見てきた戦前生まれの人たちなのだ。
 ――それは日本国の足跡であり、彼らの歩いてきた道だった。

  太田サヨの眠る霊園は小高い丘にあった。まだ新しい霊園らしくきれいに整地されて碁盤の目のように道が通っている。宗派は関係ないみたいでキリスト教の十字架の付いた墓石もあった。霊園の周辺には桜の木がたくさん植えられていて、春にもなれば、美しい眺めだろうが、生憎、この季節は冬枯れて木々が寒々しい。霊園の事務所で太田家のお墓の場所を聞いて、涼子はカツエと探した。
 教えて貰ったように、碁盤の目に添っての縦と横の番号が合わさった位置に『太田家』と刻まれた墓石があった。かなり広い聖地で太田家の先祖代々のお墓のようだ、カツエは持ってきた仏花をそこに活けた。涼子はサヨの好きな栗饅頭とお茶を供えた。
 線香を立てて、サヨのお墓の前でふたりは手を合わせた。生前のサヨの優しい笑顔を思い出して、涼子は切なくて目頭が熱くなってきた。カツエはしゃがんで長いこと手を合わせて拝んでいた。
「サヨさんを叱っておいたよ」
 ようやく顔を上げて、カツエがそんなことをいう。
「えっ?」
「どうせお迎えがくるのに、なんで自分から逝っちゃうんだよ。――そんなことをしたら……残された者が悲しい想いをするだろうって叱ってやった!」
「そ、そうですか」
 まさか、墓参りにきて死者に説教するとは思わなかった。
 カツエはサヨの死は自殺だと決め込んでいるようで、身近にいて、その兆候を感じていたのだろう。――警察は事故と自殺の両方の線で捜査していたが、ハッキリとした結論は出なかった。
「だけど……サヨさんは寂しかったんだと思います」
「年寄りが寂しいのは当たり前だよ。親も兄弟も連れあいも友だちもみんな死んで逝っちゃうんだから……長生きすれば、するほど人間は孤独なるんだ」
 怒ったような顔でカツエがいう。さらに、
「あたしなんか去年から今年にかけて、五人も知人が鬼籍に入ったんだよ。だけどね。寂しいからって……そんな理由で死んだら意気地なしだ。寂しいなら、みんなにもっと甘えれば良かったんだ」
「サヨさんは真面目な人だから……」
「あの人はお嬢さん育ちで、人生の荒波に揉まれたことがないから脆いんだね」
 ずばずばと思ったことをいうカツエだが、さっぱりした気性である。
「さぁーて、サヨさんや。涼子さんがまたお墓に連れてきてくれるって言ってくれたから、また会いにくるからね。寂しがるんじゃないよ」
 サヨの墓石にそう言い残して、カツエは立ち上がった。
 仏花以外のお供え物は、カラスが漁るので待ち帰るようにという霊園規則なのできちんと片付けて、ふたりはサヨの墓前を後にした。

 車窓から流れいく郊外の風景を眺めながら、ゆっくりと車を走らせる。たまの遠出は楽しいらしく、にこにこしながらカツエは助手席に乗っている。
「疲れませんか?」
 涼子はハンドルを握りながら、ちらっとカツエの方を見た。
「大丈夫だよ。それより涼子さん、お腹が空いたよ」
「丁度、お昼ですものね。なにを食べましょうか?」
「……うーん、そうだねぇー」 カツエは真剣に悩んでいるようだ。
「じゃあ、この近くで和食のお店でも……」
「イタリアンが食べたい!」
 いきなりカツエが大声で叫んだ。
「イ、イタリアンですかぁー?」
「そう、あたしはパスタやピザが食べたいんだよ」
 とても八十一歳のおばあさんの嗜好とは思えない。
「ホームのご飯は和食ばかりでうんざりだよ。年寄りには白身魚と豆腐でも食べさせておけば文句はいわないだろうくらいに思ってるのかね。たまには、年寄りだってハイカラな料理も食べてみたいよ」
 そういって、あははっと元気よく笑った。
「じゃあ、この近くのイタリアンのお店をスマホ探してみますね」
 いったん路肩に自動車を停止してから、涼子はスマホで近くのイタリアンレストランのお店を検索し始めた。

 涼子が検索して見つけたレストランは、そこから車で二十分ほどの距離にあった。道路沿いファミリーレストランやアウトレットのお店が立ち並ぶ一角。その奥まった場所で、派手な看板も何もない、こじんまりした佇まいのレストランである。
 初めてのお店なので、味はどうか分からないが、『イタリア家庭料理』の店と書いてあったので、ちょっと興味を惹かれてふたりはここに入ることにした。
 ドアを開けると、カランとカウベルが鳴った。店内は狭くカウンターの他にテーブルが三客あった。他に客もいなかったので、涼子とカツエは奥の四人掛けのテーブルに座った。お店のインテリアはイタリアの田舎風で古臭いマリオネットやベネチアン・グラスなどがセンス良く飾られて、落ち着いた雰囲気が漂っていた。

 カツエも気にいったらしく「あら、素敵なお店ねぇー」ときょろきょろ見回して満足そうだった。
 四十代と思える女性がメニューを持って注文を訊きにきた。なんとなくこのお店の女主人のような感じがして、店の規模からいっても夫婦で経営しているようだ。
 メニューを開いて「本日のランチです」と指し示した。カツエは渡されたメニューをひと通り見てから、
「あたしはカルボナーラがいい!」
 まるで女子高生みたいな注文の仕方だった。
 涼子はペペロンチーノとふたりで摘まむためにピザを一つ頼んだ。それにしても、カツエのカルボナーラはお年寄りの胃に重くないか、ちょっと心配になる。
「若い時から洋食が好きなんだよ」
「カツエさんって、ハイカラですね」
 カツエは胃袋も元気で、ハンバーガーやフライドチキンなど、若者の食べ物も大好きなのだ。やはり年を取っても、食べることに好奇心のある人は老けこまない。

 運ばれて来た料理をふたりは堪能した。パスタの茹で加減といい、ソースの味といい、申し分ないもので、ピザは本場イタリア風のクリスピーな生地、パリッと歯触りが良くて美味しかった。食後のエスプレッソを飲みながら、ふたりはおしゃべりをした。
「美味しかったよ」
 満足顔でカツエがいった。
「ええ、とっても!」
「生きてないと、こんな美味しいものは食べられないのにさ……」
「……ですね」
 サヨのことをいっているのだろう。
「幸も不幸も考え方ひとつなんだ。自分で『幸せ』と思えば幸せだし、『不幸』と考えれば不幸になっちゃうから、あたしは、いつも自分は『幸せ』だと思うことにしてるのさ」
 あははっと楽しそうに笑う。その屈託ない笑顔に、彼女の強かな人生を見たような気がする。

  食事が終わり、そろそろ帰りましょうかと立ち上がりかけたら、突然、カツエが思い出したように、
「そうだ! 涼子さんに渡すものがあったんだ」
 帯のような金糸銀糸で織られた和風バッグから、カツエは小冊子を取り出し涼子に渡した。
「なんですか?」
「サヨさんの短歌だよ」
「えっ?」
「あたしたち、ホームで『短歌の友』を作っていてね。毎週集まって歌会していたんだよ。その時の短歌を全部パソコンで記録していたから、その中のサヨさんの短歌をコピーしたんだ」
「そうなんですか」
「若い涼子さんに、サヨさんの遺した短歌を持っていて貰えれば、あの人の供養になるかと思って……」
「ありがとう、カツエさん」
 涼子は渡された短歌の小冊子を捲って見る。
 そこにはサヨの老いる悲しみ、生きる孤独、死への願望みたいなものが詠まれていた。


   つくづくと吾が手の甲の おぞましや 骨に張りつく皺の醜さ

   歩くこと叶わぬ脚は車椅子 冥土へ向かいゆるりと歩む

   眠れない孤独な夜の闇に問う 死ぬと生きると どちらが楽か


 それは老人の心情を詠んだ、悲しい短歌ばかりだった。
 サヨが『既死念慮』の状態であったことが、小冊子の短歌からひしひしと伝わってきた。
 生きることに絶望して自ら命を絶ったサヨと、生きることを貪欲に楽しもうとするカツエ。共に長く生きてきた筈なのに、考え方が全然違うふたりの老女。――この違いは、いったいどこからきているのかと不思議に思う。たぶん、持って生まれた性格と心の持ちようが違うせいのなんだろうかと涼子は考えた。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-22 21:43 | 恋愛小説
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   第三章 【 taboo word 】

 身を切るような冬の冷気。指先とつま先が凍えて感覚がなくなる。剥きだしの耳は冷たい風に晒されて千切れそうに痛い。自転車のペダルを漕いで、優衣は今日も朝刊の配達を終える。
 高校卒業後、就職活動に失敗した優衣は、近所の新聞店で朝刊の配達のアルバイトをやっている。人見知りで人間関係が苦手な優衣は誰とも話さないでひとりでやれる、この仕事を気にいっているが、朝が早いのと冬の寒さはさすがに辛い。
 まだ夜も明けきらない早朝に優衣はこっそりと家に帰る。
 父の部屋からイビキが聴こえる。まだ父は眠っているようだから起こさないように……そっと忍び足で二階の自分の部屋に戻る。もしも寝ているところを起こそうものなら、寝起きの悪い父に怒鳴られるから――。

 優衣は古い二階建ての分譲住宅に、父の辻本義男(つじもと よしお)とふたりで暮らしている。母は去年の暮れに、父とけんかをして家を出ていってしまった。
 義男は軽貨物で運送の仕事をしているが、この不景気で仕事の注文も思うようにない。働いていた母の収入もなくなり――辻本家の生活は貧窮していた。
 義男は酒も飲まない小心な男だが、仕事の憂さを家族にあたることで晴らそうとするタイプの人間だった。家族に対して文句や愚痴が多く、気にいらないことがあると大声で怒鳴ったり、手を上げることもしばしあった。
 母が出ていった今、優衣は家事と父の世話を任されている。

 優衣は不機嫌で短気な父が怖かった――。
 早朝の仕事で昼間は寝ていて、夕方から早朝にかけて起きているが、出来るだけ父とは顔を合わせたくなかった。
 日常の生活態度について、義男は口喧しく小言をいう。少しでも優位が口応えしようものなら、義男の平手打ちが容赦なく飛んでくる。優衣のような繊細な少女には毎日が恐怖の連続だった。
 そのせいで情緒不安定になって、自分さえいなければと……自己嫌悪に落ち込んで、その苦しみから逃れるために、自分の身体を傷つける自傷行為リストカットをやってしまう。
  まるで出口のない暗闇のトンネルを彷徨うような、ぎりぎりの精神状態だった。

 そんな優衣の唯一の趣味は詩を書くことである。
 苦しい時、悲しい時、寂しい時……詩を書くことで自分自身を慰めてきた。心の中を吐露することで、少しでも浮き上がろうとしていたのかも知れない。
 ルーズリーフに書き込まれた、優衣の詩。


     【 水底 】

   悲しみは 涙となって溢れだし
   しょっぱい味のプールになった
   わたしの苦しみは終わらない
   涙のプールに落ち込んで
   どんどん深みに沈んでいく
   どんなに足掻いても
   浮かび上がることができない
   この水圧から逃れられない
   水底から見える空は
   あんなに明るくて
   手を伸ばせば掴めそうなのに
   わたしの悲しみは終わらない
   このままプールの水底で
   息を止めて沈んでいたい
   まるで水死体のように


 義男も昔はあんな気難しい人間ではなかったが、可愛がっていた長男の健人(けんと)を交通事故で亡くして、その後、自分も仕事で腰痛になったり、仕事が減って家計が苦しくなったり、妻が家出したりと立て続けの不幸の連続に、すっかり心が荒んでしまったのだ。

 優衣はいつも亡くなった兄の健人のことを想っていた。
 幼い頃から気が弱くて引っ込み思案の優衣は、五歳年上の兄の背中に隠れるようにして生きてきた。健人は学校の成績も良く、スポーツ万能で、明るく元気でみんなの人気者だった。
 優衣のこともよく可愛がってくれた。健人は兄だけど、憧れの異性でもあった。《大きくなったら、お兄ちゃんのお嫁さんになりたい》それが幼い頃の優衣の口癖だった。世界一大好きな男性はお兄ちゃん健人なのだ。
 家族にとって太陽のような存在だった健人が、バイク事故で急死したのは三年前の冬のことだ――。道路をバイクで走行中、後ろから追い越してきたトラックに追突され、反対車線に弾き飛ばされて、対向車に轢かれて即死だった。

 健人の葬儀の日、父も母も悲しみで打ちひしがれていた。
 出棺の時、優衣は兄がくれた白いクマのぬいぐるみを《優衣だと思って一緒に連れて行って……》泣きながら、兄の棺の中に入れた。
 その時だった、父義男の呟く声が聴こえた。「なんで健人なんだ? 優衣だったら良かったのに……」はっきりと耳に聴こえた。義男は健人の代わりに優衣が死んでくれたら良かったのに――と、そう思っていたのだ。
 日頃から、父は長男である健人に大きな期待を持っていた。それに比べて、優衣には冷ややかだった。大事な健人が死んで、要らない子の優衣が生きてることが、義男には納得できなかったのだろうか。――そして、父の言葉は鋭いナイフのように優衣の心に突き刺さった。
 その時のショックで優衣は引き籠りになり学校も不登校になった。
 それから家族の歯車が狂い始めた、《お兄ちゃんが死んでから、うちの家族はバラバラになってしまった》優衣の嘆きも天国の兄には届かない。両親の仲も悪くなって、ついに母が家を出ていってしまった。
 あれから一年になろうとするが、母から優衣の元になんの連絡もない《お母さんは優衣のことを捨てたんだ!》悲しくて、寂しくて、耐えられない日々だった。

  あの時、父が呟いた「なんで健人なんだ? 優衣だったら良かったのに……」その言葉は――。
 親として決して言ってはいけない言葉だった。

 優衣のルーズリーフに悲しみの詩がひとつ。


     【 taboo Word 】

   君が天使なら
   私が悪魔になって
   その綺麗な翼に傷をつけよう

   もしも君が悪魔なら
   私が天使となって
   君の罪に裁きを下そう

   これは 君を傷つけるためだけ
   ただ そういうゲームなのさ

   理不尽は【 taboo word 】
   もう 逃げ場なんかないんだ

   世の中には善も悪もないのさ
   在るのは悪意に充ちた
   自己満足だったりして……

   18782+18782=37564
   イヤナヤツ+イヤナヤツ=ミナゴロシ
   ほら 素晴らしい数式だろう?

   全ての罪を懺悔するがいい
   絶望の淵までゲームは終わらない

   理不尽は【 taboo word 】
   発狂しそうな太陽を投げつけた


 二階の優衣の部屋は六畳の和室でベッドと机と本箱がある。女の子の部屋にしては、かなり殺風景だ。部屋に余計なものを置かない主義の優衣にはこの方が落ち着く。
 赤い綿入りの袢纏を羽織り、小さな電気ストーブにかじりつくようにして暖を取る。冬の冷気で身体の芯まで冷え切っているから、なかなか暖まってこない。
 自動販売機で買ったホットココアをひと口飲むと、温かな甘さが口の中に広がって、ほっとするひと時だ。――それは、一日の内で優衣が安らげるわずかな時間だった。

 ふと、昨日ゲームセンターで会った、廣瀬圭祐のことを考えていた。《あの人、なんで泣いたんだろう?》あんなスーツを着たサラリーマン風の立派な大人が、まさか涙を零すと思わなかった。
 ――きっと、ひどく傷ついているのだろう。
 その婚約者の人が、今でも大好きなのかもしれない。だったら《あの人は可哀相だなぁー》と優衣は思った。あまり異性には興味のない奥手な優衣だが、圭祐のことはちょっと気になった。
 それというのも、圭祐は優衣の亡くなった兄健人に雰囲気がよく似ていたからだ、ゲームセンターで白いクマのぬいぐるみを渡された時、お兄ちゃんと似ている! と一瞬、茫然となったほどに――。
 昔、健人が優衣のために白いクマをUFOキャッチャーで取ってくれた時も、昨日と同じようにベンチに座って待っていたら、健人が「これ、取れたよ」と言って優衣に渡してくれたのだ。そのシチュエーションさえ同じで、まるでデジャヴのようだった。――兄健人の姿がダブって見えた。
 今朝、昨日のお礼にメゾン・ソレイユの七〇七号室のドアポストに、優衣の小さな詩を書いたメモと一緒に朝刊を入れてきた。《えへへ、ちょっと恥ずかしいけど、あの詩を気にいって貰えたらいいなぁー》そんなことを考えて、ひとり照れ笑いをしていた。

「優衣、優衣―!」
 突然、階下から優衣を呼ぶ怒鳴り声がした。
 父が起きたようだ。今から朝食を作りにいかなければならない。ゆっくりと優衣は降りていく、暗く冷え切った階段の底には絶望的な日常しかなかった――。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-21 21:08 | 恋愛小説