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カテゴリ:散文詩・散文( 9 )

散文 [猫の処世術]

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この写真の黒猫は、わたしの知人宅でよく見かけます。
飼い猫ではありません。野良猫ですが人に慣れていて大人しい牝猫です。
この黒猫を知人は「うちのシーサー」と呼んでいます。いつも門柱の上に鎮座しているからでしょうか。
餌はあげてませんが、追いはらったりしないから黒猫も安心しているようで、日当たりもいいので、ここが一番のお気に入りみたい。

この黒猫はかなりのおばあちゃん猫です。
知人の記憶によると、自分たちがこの家に引っ越ししてきた十二年前から、この辺りに棲みついていたようで、年齢はたぶん十二歳以上にはなるだろう。
だいたい野良猫の寿命は、七年くらいだと考えられています。
病気、交通事故、けんか、虐待、餌不足など、過酷な環境で暮らす野良猫たちは、おおむね短命なのです。
――この野良猫ちゃんは、十二歳以上も生きているというのだからビックリだ!

野良だから毛並は汚いけど、見た感じ肥っているし、とっても健康そうだ。
なぜ、野良なのに満ち足りたニャンコライフを生きいてるのか不思議だが、たぶん頭がいい猫だと思う。
まず性格が良い、適度に人懐っこい、それでいて用心深く、人間たちの行動をよく読んでいる。そして鳴き声がとても可愛いとか――。
この子は野良だといいましたが、実は複数のパトロンがいます。

ある時、道でこの黒猫を「クララ!」と呼んで餌を与えているおばあさんを見たことがあります。また、「クロちゃん」と呼び、自宅前で餌を食べさせている主婦もいました。
たぶん他にも何人かパトロンが存在するみたい、地域猫として、みんなに可愛がられています。

この黒猫ちゃんは『処世術』の達人なのです!
パソコンが使えたら、ぜひ『ニャンコによる猫の処世術』という本を書いていただきたい。
愛すべきこの黒猫には、一日でも長く生きて欲しいと願っています。


   創作小説・詩
by utakatarennka | 2016-07-12 14:33 | 散文詩・散文

散文 [創作とわたし]

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創作とわたしとの関わりを考えてみました。

小さい頃から自分の世界に引き籠って、あれこれ妄想している子どもだった私。
絵を描くのが大好きで新聞のチラシの裏にお絵かきをして一人で遊んでいました。兄弟は多かったのですが、何んというか、今でいうコミ障(コミュニケーショーン障害児)みたいなところがあって、極端に恥ずかしがり屋で知らない人とは喋れない性質でした。

小学校の頃の夢は「無人島で暮らすこと」「宇宙の果ての無人惑星でサバイバル生活したい」そんなことばかり、毎日考えてました。SFやファンタジーの世界に憧れて、現実逃避したかったようです。
今思えば、何んという厭世主義者、余程、日常が嫌だったのでしょう。

中学生の頃は、漫画が好きで将来の夢は漫画家になることでした。
高校では漫画好きの仲間を集めて、同人誌などを発刊したりして、少しでも自分の夢に近づこうと努力していた。

――その夢は直接的ではないが叶った。

同人誌の交流会で知り合った男性と結婚して、後ほど小学館の児童漫画誌に連載を持っていたので、私は漫画家の女房として、アシスタントをしたり、アイデアを考える時のブレーンとして、創作のアシストをやっていた。
連載漫画の仕事は昼も夜もない。不規則な生活だったが自分たちが書いた作品を子どもたちに読んで貰えるのが嬉しかった。コミックスも他誌と合わせて10冊は出版しました。

まあ、その後……いろいろあって、大阪に還って主婦してますが、やっぱり創作が好きで今はネットを媒体にして詩や小説などを発表しています。

どんな形であれ、何らかの方法で創作をしていないと、自分自身の[存在価値]を見出せない人間なのです。呼吸と同じで止めてしまうと窒息しそうになります。
創作が命なんて大層なことは申しませんが、たぶん死ぬまで何かしら書いていくと思います。

――創作という形で、わたしの[生きた証]を残していこうと思っています。


   創作小説・詩
by utakatarennka | 2015-08-22 20:06 | 散文詩・散文
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なぜ人を殺してはいけないのか

読売新聞に、こういう記事が載っていたので興味深く読ませて貰いました。
佐世保の高校一年の女生徒が同級生を殺害した事件について、識者たちからのコメント記事ですが、まあ、どれも釈然としない意見でした。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という、あまりにも当たり前の質問に対して、ハッキリと答えられる人は逆に少ないのではないだろうか?

たとえば、学校でよく言われる「命を大事にしよう」では回答になっていない。
なぜ殺してはいけないのかに対して、それは悪いことだと答えたら、じゃあ、戦争で人を殺すのは悪いことではないのかと突っ込まれる。
戦場では敵を殺さなければ、自分が殺されるという切羽詰まった状況なのだ。
その場合、自己防衛だから人を殺すことも仕方ない行為だろう。
戦争では、たくさん人を殺した人間が勲章を貰って英雄だと讃えられる。
人を殺してはいけないと言いながら、実は殺しても良い殺人がこの世にはある――。
要するに、人を殺す価値観自体が政治やイデオロジーによって様々に変化していくものだ。

大虐殺というなら、ヒトラーが殺したのは2000万人。
これに対し、5000万人を殺した毛沢東、6000万人を殺したスターリンがいる。
ヒトラーはユダヤ人を虐殺した戦争犯罪者として黒歴史に刻まれ、毛沢東とスターリンは共産主義者たちの英雄である。
――歴史的にみて一番多くの人命を奪っているのは共産主義者なのだ。
だが、この殺戮者たちの評価の違いはどこからきている? 
単に殺した人数だけでいうならヒトラーの罪が一番軽いとも言えよう。
共産主義たちが殺した人数の中には、間違いなく罪のない赤ん坊や幼児も含まれていた筈だ。
人を殺したという罪は同じなのに扱いが違うのは、敗者と勝者の違いで、負ければ全て罪を背負い込まされる。
日本は広島と長崎に原爆を落とされて非戦闘員の女や子供、老人を大虐殺されたが、米国が戦争に勝ったので誰も文句を言わない。
中国では現在も『民族粛清』の名の元に、ウイグルやチベットで虐殺を行っています。
こういう現実を無視して「人を殺してはいけません」などと、きれい事がよく言えたもんだ。

佐世保の事件から、大きく脱線してしまったが、「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問には、政治や宗教、個人の事情を無視した上で、理屈ではなく、詭弁を弄することなく――。
究極の答えは、『自分がされたら嫌だから!』これしかないと私は思う。


   創作小説・詩
by utakatarennka | 2014-08-12 11:44 | 散文詩・散文
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一年生になったら、一年生なったら~♪ 友達百人できるかなぁ~♪

小学校の頃、こんな歌があったように思うが、果たして百人も友達がいたら楽しいでしょうか?
まあ、子供だったら、そうやって一緒に遊んだ子の数を自慢して、人気者だと周りにアピールしたいでしょうね。
日本の学校教育では、『みんな仲よく』を、推奨していることなので仕方ない。

どうも社会的にみて、友人が少ないということは、人望がない、暗い人間だと思われて、ボッチに対する風当たりも強いようだ。
けれども、よくよく考えてみて、友達なんて多ければいいというものではないと思う。 
たくさんの友人と付き合うとなると、自分の時間や自由やお金だってなくなる。
必ずといって厄介な友人がいて、あれこれ振り回されて、ストレスが溜まりそうだ。
気の合わない人、メンヘレで鬱陶しい人などは、友人の範疇に入れない方が利口です。
気疲れする相手と無理して付き合おうとすれば、相当なストレスになります。

ああ、ここで勘違いしないでくださいよ。
これは会社で必要な人脈の話ではなく、あくまで友人のことですから――。
友人というものは厳選した少ない人数と親密に付き合っていく方が絶対に楽しい。
気の置けない関係になってしまえば、お互いに長く友情を温めていける。
携帯の電話帳みたいに、やたらと人数ばかり集めても仕方がないのが友人なのだ。

偏向報道テレビ局やTwitterで、頭の中がお花畑の人たちが、『隣国だから仲よくしよう♪』なんて……よく呟いてますがね。
どうして、隣国だから仲よくしなくっちゃいけないの?
むしろ、隣国だからこそもっと警戒して、相手が尋常でなければ付き合わないという選択肢もある筈でしょう。
相手が、こっちを猛烈に嫌っているのに『仲よくしましょう』って、どんだけお人好しなんですか?
そんなこと言ってるから舐められて、妄言や捏造で卑しめて、あげく謝罪させられて金を強請られるんです。

どうしても仲よくしたいって方々は、どうぞ隣の国に移り住んで存分に仲よくしてください。
間違った歴史観をおし付けて、関係ない人まで巻き込んで、さも正論のように『仲よくしましょう』なんて言わないで貰いたい。
彼らのいう、『隣国だから仲よくしよう♪』の裏に潜む欺瞞に騙されてはいけない。

そんな偽善はお断りだ!  
友達百人なんて要らないし、基地外の隣国は相手にしたくない。

みんな仲よくなんかできない!

   創作小説・詩
by utakatarennka | 2014-07-31 10:26 | 散文詩・散文
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今まで観た映画で一番印象的だった作品は?
そう問われたら、私は即座にフランス映画の『天使』と答えます。
この映画を観たのは、たぶん三十年以上も昔だと思いますが、当時、吉祥寺に五十人劇場という小さな映画館があって、そこの看板を見てふらっと入って観た映画が『天使』でした。
――なぜ一番印象に残ったのか。
その映画が名作だとか、感動したとか、かっこ良かったとか、そういう理由ではありません。
また、その映画が好きとか、嫌いとか、そんなレベルではなく、今でもなお、驚きをもって回想できる映画だからです。

 『天使』 L'ANGE (1982年)
【監督】パトリック・ボカノウスキー
【音楽】ヴァイオリン:ミシェール・ボカノウスキー、ビオラ:レジス・パスキエ、チェロ:フィリップ・ミユレール、コントラバス:フィリップ・ドロゴーズ
【スタッフ】映像・特殊効果:パトリック・ボカノウスキー、撮影:フィリップ・ラヴァレツト、装置・ミニチュア:クリスチヤン・ダニノス、パトリック・ポカノウスキー、仮面:クリスチャン・ダニノス


ストーリーの詳細については、興味のある方はDVDなどで鑑賞されたらよいと思います。

私の海馬に残った記憶だけで、この『天使』という作品を解説すれば、映像はモノクローム、ストーリー性はなく、同じシーンをカメラアングルを変えて何度も見せられる。
カメラテストかと思うほどに、何度も何度も繰り返し見せられる。
それは天井から吊るした人形にサーベルで突き刺す仮面の男だったり、テーブルからゆっくり落ちる壷と飛び散るミルクなどである。
シュール過ぎて、何を描いているのすら分からない。
感情移入を挟む余地すらない。

音楽は弦楽四重奏の不調和音、絃を掻き鳴らす、ギィ―――、ギィ―――、ギュオォォ―――と、耳を劈く高音が館内に鳴り響いた。
それは音楽というより耳障りな騒音だったともいえる。
最初の五分で館内から逃げ出さなければ、一生映像のトラウマになりそうな代物だった。

――果たして、これを映画と呼べるのか!?

フランス映画、『天使』という作品の芸術性が全く理解できない。
だが、映像はノスタルジックで美しかったし、不思議な世界観も嫌いではない。
三十年以上経過した今も、私の頭の中には『天使』がモヤモヤしている。

 「いったい何を表現したかったの?」

たぶん、
その答えは――私が神に召されて『天使』になるまで見つけられそうもない。


   創作小説・詩
by utakatarennka | 2014-07-04 13:44 | 散文詩・散文

散文 [ルール破り!]

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人は何を信じれば良いのか? 
とにかく世の中には情報が多過ぎて混乱をきたします。

先日、韓国で起こった旅客船セウォル号の沈没事故で、「そこを動かないで下さい!」という
アナウンスを信じて、その場から動かず客室の留まった多くの修学旅行の学生たちが死亡しました。
かたや、乗客を見捨てて我先にと逃げた船長とデッキで隠れて煙草を吸っていた高校生たちが
最初に救助されて無事でした。
いわば、動かないでというルールを守った正直者が死んで、乗客を避難させるというルールを
守らない卑怯者の船長や未成年者なのに喫煙していた不良が助かったのです。
これって、なんだか釈然としませんよね?

ルールっていったい何でしょう?
歴史的にみてもルールを破ったものが勝利しています。

たとえば、宮本武蔵は勝負の時間にわざと遅れて、佐々木小次郎を精神的に追い込んで勝利しました。
源義経は源平合戦の時に数々の当時の戦の作法を破っています。
義経が得意とする奇襲作戦もそのひとつだし、船上の戦いに於いて船頭に矢を放ってはいけないという
ルールを無視、船頭を狙い撃ちして運航不能に陥った船を次々と沈めて、壇ノ浦で大勝利! 
平家を滅亡させたのです。
第二次世界大戦、アメリカは広島と長崎に原爆投下! これは当時の世界法に照らし合わせても
明らかに違法です! 非戦闘員である一般市民を狙って爆撃してはいけないと記されてあります。
しかも原子爆弾という逃げようのない兵器ですから……。
結局、ルールを無視したアメリカが、日本を無条件降伏させて戦勝国になりました。
勝利のためなら手段を選ばない! 
卑怯な行為も『正しい』と言い切るメンタリティーこそが強さだったのかも知れません。

昔から日本人はみんなと同じが良い、ルールは必ず守ろうと教えられてきましたが、
ある意味怖ろしい洗脳だと思います。
何か、事が起こった時に、自分の頭で判断しないで、周りの状況に流されて行動するのは
大変危険だと思います。
時と場合によって、ルールなんか守っていては絶対に生き残れない!
『モラルは守っても、押し付けられたルールは場合によっては無視しても良い!』
あくまで自己責任ですが、自分の命を守るためにルール破りも已む無し!

   創作小説・詩
by utakatarennka | 2014-05-08 20:52 | 散文詩・散文
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皆さん、どうか勘違いしないでください。
私は今から『音』に関する話を、ここで述べようとしているのです。
何となく[チン!]という音からイメージして浮かんだことを書いてみましょう。
たとえば、薬缶はなぜ、チンチンと音を発てて沸騰するのか?
それはたぶん、アルマイトなどの素材だと蒸気で蓋が浮き上がり、それが上下して
チンチン鳴るではないでしょうか。
我が家では電子レンジのことを[チン!]と言います。
昔、ターンテーブルが回って……、ちなみに電子レンジのターンテーブルを考えたのは
松下電器のパートのおばさんだと、昔、会社の上司に聴いたことがあります。
これが凄い特許権になったとかで、パートのおばさん、頭を回して考えたんでしょうかね。
話は戻って、電子レンジの出来上がりの音が[チン!]と鳴ったことに由来していますが、
現在、我が家で使われている電子レンジは[ピーピーピー]と、ピーが三度鳴っています。
それでも、頑なに[チン!]と言い続けています。
次に[チン!]で思い出したことは、昭和二十年八月十五日の玉音放送(ぎょくおんほうそう)で、
「朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」
その中で、天皇陛下が肉声で「朕(ちん)」と申されていたことです。
それまで天皇陛下のような高貴な方の自称名詞を知らなかったので、ご自分のことを
[チン!]と呼ぶのだということを知って驚きました。
この「朕」という自称名詞は、秦朝以前の一人称。秦代以降は皇帝専用の自称となった。
皇帝=emperor と呼ばれるのは、世界中で日本国の天皇陛下だけです。
その位はイギリスのエリザベス女王よりも上なのです。
「ペンギンにも皇帝がいるやんか!」という、お馬鹿な突っ込みを入れた者には、
このわたくしがグーパンチで制裁を下しますよ。
この[チン!]という音を[チ―――ン]と長く伸ばせば、何となく終了の音になってしまいます。
[カ―――ン!]というゴングの音はスタートの合図だから、何となく[カ―――ン]と[チ―――ン]で、
開始と終了がイメージ出来るなんて、本当に擬音って面白いですね。
では、この雑文も[チ―――ン]で締めくくりましょう。

 ※ にゃんこのお玉のことを[猫の鈴カステラ]というらしい(笑)

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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2013-09-10 06:06 | 散文詩・散文

散文詩 [緑病]

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 散文詩 [緑病]

私はかつて[緑病]と呼ぶべき奇妙な病気に罹ったことがある。
それは十八歳くらいの時で、高校を卒業して初めて社会人となって働き始めた頃のことだった。
なぜか緑色に魅かれて、服も靴もバッグも帽子も身に着ける物がすべて緑色になってしまったのだ。決してセンス良くはない、奇妙な緑色の娘にしか見えないだろう。
どうしてあれほどに緑に一色になったのか、今もって謎である。元々さほど好きな色ではなかったのだが、当時はあの色に癒されていたのかも知れない。
高校から大企業に就職して、機械の部品の中に組み込まれた歯車みたいになって働いていたら、半年の間で約6キロ痩せてしまった。仕事がキツイというよりも、人間関係や会社の雰囲気に慣れるのに必死だった。
雁字搦めの生活が苦痛で何度も泣きたくなった。社会に順応性のない私が、自分を抑えて抑えて働いていたのだから、今考えても、それは相当なストレスだったと思うのだ。
緑色の持つ色のイメージである、自然や癒し、平穏などといったことを深く望んでいたのだろうか。それは自らの嗜好で求めたものではなく、自分を護るための鎧甲冑のようなものだったのだ。そして不本意な生活を強いている社会への怒りを封印するための緑色だったのかも知れない。
その頃の自分は無知で未熟で不安定な生き物だったから――。
まあ、その点については今もあまり変化はないが、ただ、世間の荒波に揉まれて、確実に『打たれ強い人間』へとは進化している筈である。
三年後に私はついに会社を辞めて、東京へと飛び出していった。
その途端、まるで憑きものが落ちたように緑色に興味を示さなくなってしまった。そして緑一色は悪趣味だと気付いて、私の身の周りから緑色はどんどん駆逐されていったのだ。
現在、草や木以外で緑色を美しいと感じることはあまりなくなった。
そういえば、ある時、街で全身緑色の老婦人を見たことがあったが、決してセンス良くなかった。痛々しいほどの緑尽くしに、この人は『心が病んで……』そうだなあという印象を持った。たぶん、当時の緑色の自分も気味の悪い病人にしか見えなかったことだろう。
何か一点に強く拘るということは、何かから逃れたい気持ちの表れだったのだろうか。[緑病]だった自分を、今の自分が冷静に分析してみると思い当たることも多々ある。
あれは自分の中で[緑病]と呼ぶべき、不思議な現象だった。


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 緑色の心理効果

心や身体の疲れをいやす。
目の疲れに効果的。
鎮静作用、緊張緩和など
リラックスの作用がある。
穏やかな気持ちを与える。

 緑色から連想するイメージ

自然、癒し、受動的、安定、健康、回復、平和、植物、さわやか、若さ、新鮮、おだやか、安息、安全、やすらぎ、幸福、生命力、平穏、未熟、希望、環境、再生、くつろぎ、若々しい

 緑色から連想するもの

JRの窓口、野菜、宝くじ、緑茶、アウトドア、葉っぱ、ピーマン、山、信号、草、森、宝石、芝、ゴルフ場、メロン、カエル、胡瓜、牧場、黒板、四つ葉のクローバー、植物、わかめ、野菜、田園、青葉、春風、公園


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 「緑」をイメージした映画

 緑の光線(1985年・フランス)
独りぼっちの夏休みを何とか実りあるものにしようとする若い女性の旅を、優しい南仏の光に包まれる幸福を観る者にも味わわせながら、おっとりと軽妙に語っていくロメールの技に感服してしまう、最良のバカンス映画。恋に恋する彼女の理想は高く、昔からの男友達も、新たに現われた男性もなんとなく拒んでしまう。この優柔不断さを“あるある”と頷いてしまう向きも多いのではなかろうか。題名の“緑の光線”とは日没の際、一瞬見えると言われる光のこと。もちろん、それを見た者は幸福を得られると言いならわされており、主人公は愛する人と共にその光を見るのを夢見ているのだが……。女性スタッフ3名のみ(そこに出演者たちが手伝いで加わる)の小編成、16mm撮影という身軽さで、こんなに奥行きのある作品を飄々と作ってしまうロメールのこの映画作法にこそ、ヌーヴェル・ヴァーグの精神が原型のまま息づいている。


 緑の館 (1959年・アメリカ)
革命騒ぎの祖国を逃れて南米オリノコ河上流のジャングルに入り込んだベネズエラの青年アベル(アンソニー・パーキンス)は、人跡まれな南米ギアナの森の中で、神秘的な少女リマ(オードリー・ヘップバーン)を見いだす。二人は、たがいにひきあうものを感じ、愛情という苦しいものを胸の中に抱きながら、近づいては遠のき、はなれてはまた近づく。しかし、とうとう二つの心の溶けあう日が訪れる。だが、少女は青年のとめるのもきかず、楽しい希望に胸ときめかせながら、一人さきに、自分の森に戻り、惨劇に……南米ギアナの密林に咲いた美しいロマン。
当時ヘップバーンの夫であったメル・フェラーが初監督したファンタジックなラブ・ストーリー。それまで都会的エレガントな魅力をふりまくことの多かった彼女だが、ここでは野性的な中から神秘的な個性を醸し出そうとしている節も大きく感じられる。彼女としては、いわゆるイメージチェンジを図りたい時期であり、それを夫が察知したことが製作のきっかけだったのかもしれない。


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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2013-05-16 18:09 | 散文詩・散文
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   詩人 黎子の恋 - 詩的恋愛論 -

「もう、この恋は終わらせてしまう方が良いかも知れない」
 男との電話を切った後で、黎子はそう感じた。なんとなく空々しい会話が鼻についてきた。
 しゃべっていて、話が長くなってきた時に、ふいに言葉を遮ったり、話す前に次の予定を話して段取りよく会話を終わらせようとしていたり、忙しいとか、疲れたとか……そんな愚痴や体調不調を相手に訴えだしたら――もう潮時なのだ。
 わたしの声が聴きたくて掛けてきた電話ではなく。義務感みたいなものか、単なるご機嫌伺いでしかないのだから。

 ――別れたって構わない。

 そう黎子は思っていた。旬は過ぎた、この恋はもう枯れようとしている。芳しい香りが残っている内に別れた方がきれいな想い出のままで終われる。

 愛とか恋とか……そんな言葉を無防備に信じられるほど、自分は若くはないのだと黎子は分かっていた。永遠の愛とか、至上の愛とか、そう思えたのは一時の錯覚でしかなく、恋愛とは、ふたりでするのではなく、心の中でひとりでするもの……かも知れないとさえ思えてきた。
 詩人の黎子は生きた言葉が欲しくて、男の心をいろいろと弄るのだ。そこから溢れ出た言葉のエナジーを吸収し、インスパイアして詩作をしている。
 まるで、吸血鬼カミーラのような女なのだ。

 詩人は嘘付き、そして妄想家――。
 しょせん他人の言葉など信じていないし、彼女は自分の妄想を真実として人に伝える。何よりも自分の世界を愛しているのだ。小さな内なる宇宙へ、そこには彼女自身を形成する全ての記憶と創作のイマジネーション、そしてパッションがあるのだ。
 もっとも詩人のコアな部分、そして自己愛に凝り固まった本性が隠れているのだから……他人には決して覗かれたくない。要するに、それが詩人の魂なのだ。

 ――かつて、恋愛詩を書きまくっていた黎子自身が「恋愛」を一番信じていない。

 もう「恋愛」などという欺瞞に満ちた言葉は要らない。
 信じれば傷つく、信じられなければ悲しい、そんな曖昧な感情で心を掻き乱すのはもうお終いにしたい。愛してくれなくてもいいから、自分を理解して欲しい――男に望むのは、ただ、それだけ。
 「恋愛」はチューインガムみたいに甘い時に噛んで、味が無くなったら吐き棄てればいい。――それでいいんだ。
 そう黎子の心の中で結論付けた時、手に持っていた携帯がチカチカ点滅して鳴り出した、それはメールの着信音だった。
画面を開くと先ほどの男から、

『黎子愛している』

 ――気恥かしい言葉が書いてある。

 さっき電話を切る時、黎子の声が不機嫌そうだったので、それを気にしてリップサービスのようだが、彼なりに女に対する執着があるのだろう。
 わざわざ嘘を上書きしてきた、そんな男のけなげさが可愛いと笑みが零れた。また、そのメールを『保存』する黎子もまた愚かな女に違いない。

 男の精一杯の嘘を疑うのはもう止めよう。死ぬまでバレない嘘を男がついてくれるなら、黎子もまた死ぬまで騙された振りをしていたい――嘘でも信じ続けていれば、それは真実に近づくだろう。

 ――それこそが至上の愛だと、そう黎子は思った。


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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2012-02-07 14:50 | 散文詩・散文