― Metamorphose ―

rennka55.exblog.jp

泡沫恋歌のブログと作品倉庫     

ブログトップ

カテゴリ:散文詩・散文( 16 )

a0216818_21385814.jpg


要らないものが多過ぎる!

下駄箱の中の履かなくなった靴
クローゼットしまい込んだ流行遅れの服
屋根裏部屋に放置された古い布団

断捨離にも体力が必要で
一日延ばしにする内に
どんどん増える 物・物・物!

要らないものが多過ぎる!

積んでるだけで読まない本の山
天袋に放り込んだ引き出物のお茶碗類
冷蔵庫に忘れ去られミイラになった野菜たち

ああ 息苦しい
いたる所に物が溢れかえって
大事なものが探せない

要らないものが多過ぎる!

箪笥の上で埃を被ったぬいぐるみ
買ったけれど使えない便利グッズとか
捨てるのが面倒で未だに鎮座しているブラウン管テレビ

全部捨てたい!
全部捨てたい!

何が要るのか 要らないのか
判断基準も曖昧になって
カオスな物たちに部屋を占領されて
自分の居場所が無くなってゆく

ああ! 
本当に捨てなくてはいけないのは……

要らないものでも
使わないものでも
勿体ないからと
なかなか捨てられない

私の中の“貧乏性”という性分だった――


a0216818_21391936.png

創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-07-16 20:53 | 散文詩・散文
a0216818_20302078.jpg


結婚して18年目だった
子どもはふたり高校生と中学生
もう手は掛からないが
これからお金が掛かる
生活環境が変るのを嫌がって
子どもたちは父親と
家に残ることを選んだ
たとえ継母がきても
お金のない母親と暮らすよりは
マシだと考えたようだ
結果として私は
夫と子どもと両方に捨てられた

離婚した直後に
勤めだした会社で
その人は上司だった
とても几帳面な人物だと
職場のみんなが噂していた
部署替えで 
直属の上司になった時には
正直 嫌だと思っていた
しかし案外と 
部下には寛大な一面もあって
私の仕事のミスを見つけても
決して人前で叱ったりはしなかった
温情のある人だと感謝した

日曜日の昼下がり
ホームセンターで買い物をしていたら
偶然にその人と出会った
何となく挨拶をしている内に
お茶でも飲もうということになって
会社以外でのプライベートな
時間をその人と過ごした
どんな話をしたか
もう大方忘れてしまったが
家族は妻と息子がいると言っていた
定期入れから息子の写真を出して見せてくれたが
そんなものは私には興味がない
ただ 息子の顔が父親とよく似ているなあ
という印象だけが残った
どこにでもいるような平凡な家庭人だと思った
仮にも独身女性の私の前で
家族の話ばかりする男に
多少の苛立ちを覚えたことは否めない

歳月が経って
その人が定年退職になると噂で聴いていた
あれから何度か部署替えがあり
今では直属の上司ではなかったが
ホームセンターで偶然会って
幾度かお茶を飲んだこともある
相変わらず
家族と趣味の話を聞かされたが
まったく危険な香りのしないこの男に
半場 呆れながらも
どこか好感を持っていたようだ

定年退職の送別会で
みんなから贈られた花束に埋もれそうだった
こんないっぱい花束を持って
電車に乗るのは恥かしいと照れる
二次会が終わって帰る時 
タクシーを拾って一緒に乗った
しばらく乗っていると
気分が悪いと男は口元を押さえた
最後だということでたくさんの人に
お酒を勧められていたから
きっと 飲み過ぎたのだろう

私のワンルームマンションが近いので
家で休むように言ってタクシーを降りた
部屋に上がって
ソファーに寝転んで休むように勧めた
ネクタイが苦しそうなので緩めてあげると
背広のポケットから定期入れがポトリと落ちて
彼の息子の写真が見えた
酔いも手伝ったのだろうか
幸せそうな家族が妬ましかったのか
私は悪戯心で息子の写真の替わりに
自分の写真を定期入れに挟んだ
気づいた時の男の驚いた顔を
想像して ひとりほくそ笑んだ
小一時間もすると男はハッと飛び起きて
駅まで歩くと慌てて帰って行った
送別の花束を残したままで……

a0216818_20303190.jpg


その人が亡くなったと
社内の噂で聴いていたが
もう退職した人なので弔問は行かなかった
退職した日から 一度も会っていない
あんな悪戯をした自分自身にも後悔していた
まさか あの男の息子と偶然会うなんて
想像もしていなかった
私の顔を見た瞬間
彼は息を止めて凝視した
その時 私の写真を彼が見たのだと分かった
軽く会釈をして目を伏せて逃げるように
その場から立ち去ったが
背中には若い男の疑念の視線が纏わりつく
ああ きっと誤解されている!

少し時間が経ち過ぎたが
彼の家に手紙を届けた
本当は会って ちゃんと話をしたかった
私は死者にあらぬ汚名をきせてしまったのだから
だけど 息子の怒りの眼を思い出すと
臆病者の私には その勇気がでない
便箋に嘘を書いて行を埋めていく
「お父様は立派な上司でした」
「尊敬申し上げて折りました」
「亡くなられたなんて今でも信じられません」
たぶん これを読んだら
陳腐な手紙だと あの息子は鼻で笑うだろう
それでいいのだ
自分を卑しめて 死者の名誉を回復できれば
それで十分なんだ

私には家族がいない
定期入れから取り出せる幸せもない
あの男と家族が羨ましかったのだ
井戸の底に沈み込むような孤独の中で
暖かな日常に触れたいと
藁にもしがみつく想いで
太陽に向かって掌を伸ばそうとしただけ
ただ それだけだった

深い井戸の底で
溺れそうだった
大きな声で叫んだけれど
誰にも聴こえない
私の叫びが聴こえない
暗い水にのみ込まれて
井戸の底に沈んでいく


a0216818_20305059.jpg

創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-07-15 20:29 | 散文詩・散文
a0216818_20220795.jpg


ある時 独り暮らしの友人が
「孤独死友の会」を作るんだと
楽しそうに話していた
もし そんな会を作ったら
「孤独死できないじゃん!」
と笑ったことがある

寂しいと呟く人の
孤独の意味を考えるとき
独りだから孤独なのか
誰にも理解されないから孤独なのか
必要とされない人間だから孤独なのか
たぶん思いつく理由はこんなものだろう

だが しかし……
これらの中には本当の理由はない

孤独は他者によって与えられるものではなく
自分の都合もしくは自身が原因であることも多い
たとえば自我に拘り 他者との調和を無視して
干渉されることを嫌い 自分で壁を築き
繋がりをシャットアウトしてはいないか?
その結果 気づかない内に
孤立しているということもあるのだ
さらに不幸な場合には家族にも見捨てられる
実際 私の知り合いにはこのタイプが一番多い

孤独なのを人のせいにして
恨んだり拗ねたりしているのだ

孤独になりたくないのならば
自分をオープンにして他人を受け入れること
つまらないジョークでも愛想笑いをして
些細なことで怒ったりしないこと
配偶者の愚痴や癇癪にも動じないこと
不愉快なことでも我慢するしかないのだ
そうすれは円滑な人間関係が生まれて
仲間という輪に入ることができる

いいや! 自分らしく在りたい 
と望むならば孤独も已む無し

孤独は自分自身を育てる時間でもある
たとえば詩人は孤独だと感じるとき
心の中に湧きあがってくる数多の感情をある
そいつを捕まえてコトバに変換すれば
それは詩と呼ばれて 昇華される
詩人にとって孤独は相棒みたいなものだから

しょせん 生まれる時も死ぬ時にも
人は独りぼっちなのだから
孤独を怖れることなどない

「私は独りぼっちで寂しい!」
堪らなくなったら声に出せばよい それだけでよい
自分で「孤独人」と認めてしまえばいいのだ
大丈夫 もう孤独じゃないよ
世の中には「孤独人」が わんさか居るのだから
その輪の中に入っていけるじゃないか

おめでとう!
これで「孤独死友の会」が設立できる


a0216818_20220795.jpg

創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-07-15 18:20 | 散文詩・散文
a0216818_19585920.jpg

<br>そいつは道の真ん中に転がっていた
雨の日だった
合羽を着て自転車を漕いでいたので
私の視界は悪い
遠くから黒い物体が見えた時
壊れた黒い雨傘だと思った
もっと近づくと
黒い長靴に見えた
側を通り過ぎたら
真っ黒なカラスの死体だと分かった時
「ギャッ!」
思わず声をあげた

まさか
歩道の真ん中でカラスが死んでいるなんて
思いもしなかった
そういえば 
あれだけ空を飛びまわっているカラスなのに……
死んだカラスを見たことがない

どこへ いった?

     *

うちの近所に「ヒメちゃん」と呼ばれる野良猫がいた
キレイな三毛猫だったけれど
用心深い性格なので飼い主がつかなかった
町内の猫おばさんから餌を貰っていた
そのヒメちゃんが病気になった
餌も食べず ガリガリに痩せてきた
このままでは死んでしまうと
獣医に連れて行こうとしたが
逃げ回って捕まらない

そうこうした ある日
偶然 私はヒメちゃんを見た
家と家との間の狭い路地へ
ヨロヨロしながら入っていく姿だった
「ヒメちゃん!」
呼んだら 一瞬立ち止まったが
また路地の奥へ奥へと入っていったのだ

その日を最後にヒメちゃんの姿は消えた
衰弱していたから
どこかで死んでしまっているだろうが
ヒメちゃんの亡骸は……

どこへ いった?

     *

平和なこの日本でも
年間一万人近くの人間が
行方不明になっている
この社会情勢で人ひとり消えたぐらい
誰も気づかないってことか

就学年齢になっても所在の分からない
児童がたくさんいるらしい
出生証明書があるのに
死体もなく 痕跡も残さず消えた
神隠しにあったか
あの児童たちはいったい

どこへ いった?

     *

何も見えない
私は虚空へ目を凝らす
白い霧の国を彷徨っているのか
忽然と消えた声なき者たちは

どこへ いった?


a0216818_19591588.jpg

創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-07-15 12:15 | 散文詩・散文
a0216818_19581827.jpg


私は道についてよく考える
別にどうってこともないような
つまらないことをいろいろと……

フェリーニの「道」という映画を
レンタルビデオで観たことがある

ジェルソミーナという 頭は弱いが心の美しい娘と
ザンパノのいう 粗野で暴力を振るう旅芸人の男
ふたりは旅をしているが
ある日 ザンパノが犯した罪のせいで
ジェルソミーナがおかしくなってしまい
足手まといになった彼女をザンパノは「道」に捨てる

この映画は衝撃だった!
道というのは人を捨てる場所だったことが……

a0216818_19583379.jpg

道に落ちているものベスト3

手袋 ハンカチ 空缶

煙草の吸殻もよく落ちていたが
最近はマシになった

道に落ちていたら嫌なものベスト3

犬のうんち ゲロ 死体

夕暮れ時に自転車で道を走っていたら
電信柱の陰にゴミ袋に入った生首がゴロゴロ
よく見たら マネキンの頭だった
ヘアーサロンで練習用に使っていたものだが
こんなものを道に置くなっ!

道に落ちていたら嬉しいものベスト3

現金 友人との再会 ラッキー

半年前に夜道で千円拾いました 超ラッキー!

        *

「道」では
いろんなものが交差している
人が 犬が 猫が 

要らなくなったものは捨てる
ゴミを 友情を 恋を

そして再び構築されていく
思い出と 夢と 未来と

道にはいくつもの選択肢がある
道を選ぶ 道を誤る 道に外れる

前進する限り 目の前に続く地面
それが「未知」なのだ

シンプルに 道ってなんだろう?
今日もそれを考えるために「道」を行く


a0216818_19584430.jpg

創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-07-14 15:55 | 散文詩・散文
a0216818_16304237.jpg


鳥取砂丘を見ると
頭の中でハミングしてしまう曲がある

 月の沙漠をはるばると
 旅のらくだが行きました

異国の世界を唄った
この童謡が小さい時から好きだった

よく「月の砂漠」と書いてあるが
正しくは「月の沙漠」である
「沙」には「すなはま」の意味があり
詩は海岸の風景をモチーフに書いたらしい

それとリンクして
東郷青児の描く黒い瞳の美人画が
私の頭に浮かんでくる
なぜか青児の絵は砂のイメージがするのだ

安部公房「砂の女」は
砂丘の穴の底にある一軒屋に閉じ込められた男と
その家に住む寡婦との同居生活
蟻地獄のような愛憎ドラマか?
これは何度読んでも面白い!

余談だが
サン=テグジュペリの「星の王子さま」と
「砂の女」はどんな時も手放さなかった
私のお守りみたいな本である

       *

私が鳥取砂丘を訪れたのは
たぶん五年振りだったと思う
今日来て感じたことだが
あきらかに砂が減ってきている
砂丘の規模が小さくなったように見えた

「砂丘の砂を持って帰らないでください」

あちこちに書いてあるし
アナウンスでも流していた
……にも関わらず
スーパーの袋に砂を詰めている
中年のオヤジが居た
管理係員の男性に注意されると

「見なかったことにして!」

そう言って
袋に詰めた砂を持って
こそこそと逃げて行った

呆れて物も言えない
何んと 恥知らずなオヤジだ!
こういう人間がいるから自然が破壊される
たったひと袋の砂かも知れないが……
みんながやったらどうなると思う

砂丘の砂はさらさらと
粒子が細かくて きれいだ
園芸用に使うのかも知れないが
盗んだ砂で咲かせた花は
きっと憐れな花だ
それは地球の涙だから

最後は砂の美術館で
砂の彫刻「砂像」というのを見た
固めた砂を彫刻した像やレリーフなどで
どれも立派な作品ばかりだった

「ああ、砂って凄い!」

砂って芸術作品にもなるんだね

       *

鳥取砂丘
砂漠とは違う みずみずしい砂の広がり
海から吹いてくる風も心地よい
この砂丘で 私は今日
いろんなことを教えられた

小さな自分を脱皮できずに
もがき苦しんで 自信を失くした
もう駄目だと自分の才能を諦めかけた
私の存在なんて
しょせん砂丘のひと粒の砂に等しい

砂丘が私にヒントを与えてくれた

「自分の個性を信じること」

人より劣っていると分かっているなら
自分を好きになって もっと自分を褒めて
僅かな個性を伸ばすほか方法がない
ネガティブより ポジティブにいく
そうするより仕方ない

 投げてはいけない
 逃げてもいけない

創作者としての矜持を守るため
無心になって書くしかない
砂の上に写った自分の影を踏んで
一歩一歩 不確実な道を進もうとしている

a0216818_16305678.jpg

創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-07-14 10:28 | 散文詩・散文

散文詩 [事件]

a0216818_16115974.gif


近所の野良猫が仔猫を六匹生んだ
ふわふわグレーきれい毛並の仔猫と
左右の目の色が違うオットアイの白猫と
真っ黒けの黒猫と
背中から耳まで黒っぽいトラ縞でお腹は白い仔猫二匹と
最後の一匹はどんな仔猫だったか思い出せない

駐車場になっている空き地で猫たちが
日向ぼっこをしているのを見たことがある
じゃれあう仔猫たちが可愛いかった
それを見ている母猫の目が優しかった
陽だまりの中 静かな午後だった
その時 たしかに仔猫は六匹いた

最初に私の記憶にない仔猫がいなくなった
次に黒っぽいトラ縞の仔猫の一匹が死んでしまった
ふわふわグレーの猫とオットアイの白猫は
見目が良いので貰い手があり連れていかれた
真っ黒な黒猫もいつの間にかいなくなった
今残っているのは黒っぽいトラ縞の仔猫だけ

六匹の仔猫のうち
行方不明もしくは死んだ仔が三匹
貰われていった仔が二匹
野良のまま残った仔が一匹と
なかなか生存競争はきびしい

だが これが事件なのではない!

       *

ある日 母猫が消えた
一緒に行動している茶トラもいなくなった
この茶トラは母猫ときょうだいで
二匹はいつも毛つくろいをし合っていた 
生後一カ月は経っていたが
仔猫たちだけでは頼りない
まだまだ甘えたいだろうに……
どこにも 母猫の姿が見当たらない

数日後 茶トラだけが帰ってきた
だが 無残なことに尻尾の先が切られている
そこから血を流していた
苦痛に耐えるように うずくまる茶トラ
それ以来 茶トラは人間恐怖症になった
人の気配だけで逃げるようになった
目付きまで変わった
前はこんなに警戒心が強くなかったのに……
いったい何があったのだろう

結局 母猫は帰って来なかった

       *

野良猫に餌をやっている
猫おばさんがいる
近所での評判はすこぶる悪い
猫のおしっこの臭いや
庭に糞されたと住民たちの苦情も多い
だけど猫おばさんは猫の餌やりを止めない
そのせいで野良猫が二十匹くらい棲みついている

まあ 野良猫に餌をやる行為の是非は
この際 置いておいて―― 
<br>私は猫おばさんに訊ねた

「最近 野良猫がいなくなってますよね?」
「うん。猫たち、五十七匹消えてる」
「五十七匹も?」
「そう、今までいなくなった猫を数えたら……」
二、三年の間にそれだけの数の野良猫が消えているのだと
猫おばさんが言う
近くに大きな道路もないし 交通量も多くない
ごく普通の住宅地である
そこで五十七匹も野良猫が消えてるって
ちょっと異常じゃないか

猫おばさんは声をひそめて

「猫を殺す奴がいるんだよ」

その言葉に私は息をのんだ

       *

願わくば 五十七匹消えた猫の話は
猫おばさんの妄想であって欲しい
真偽のほどは分からないが
本当に野良猫たちが誰かの手で
命を消されているとしたら……
こんな怖ろしいことはない

野良猫が五十七匹消えたところで
誰も困らないし 気づかないだろう
平和な日本でも
そんなことニュースにもならない
だが 私にとっては衝撃の事件だった

ただ野良猫だというだけで
生きる権利を奪われたとしたら
それは絶対に許せない!

       *

私は一枚の写真を持っている
仔猫に授乳させている母猫の写真だ
利口そうな目をしていたのに
どこへ行ってしまったのだろう
仔猫たちのお母さん

a0216818_14105175.jpg

創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-07-13 14:09 | 散文詩・散文

散文 [猫の処世術]

a0216818_1447334.jpg



この写真の黒猫は、わたしの知人宅でよく見かけます。
飼い猫ではありません。野良猫ですが人に慣れていて大人しい牝猫です。
この黒猫を知人は「うちのシーサー」と呼んでいます。いつも門柱の上に鎮座しているからでしょうか。
餌はあげてませんが、追いはらったりしないから黒猫も安心しているようで、日当たりもいいので、ここが一番のお気に入りみたい。

この黒猫はかなりのおばあちゃん猫です。
知人の記憶によると、自分たちがこの家に引っ越ししてきた十二年前から、この辺りに棲みついていたようで、年齢はたぶん十二歳以上にはなるだろう。
だいたい野良猫の寿命は、七年くらいだと考えられています。
病気、交通事故、けんか、虐待、餌不足など、過酷な環境で暮らす野良猫たちは、おおむね短命なのです。
――この野良猫ちゃんは、十二歳以上も生きているというのだからビックリだ!

野良だから毛並は汚いけど、見た感じ肥っているし、とっても健康そうだ。
なぜ、野良なのに満ち足りたニャンコライフを生きいてるのか不思議だが、たぶん頭がいい猫だと思う。
まず性格が良い、適度に人懐っこい、それでいて用心深く、人間たちの行動をよく読んでいる。そして鳴き声がとても可愛いとか――。
この子は野良だといいましたが、実は複数のパトロンがいます。

ある時、道でこの黒猫を「クララ!」と呼んで餌を与えているおばあさんを見たことがあります。また、「クロちゃん」と呼び、自宅前で餌を食べさせている主婦もいました。
たぶん他にも何人かパトロンが存在するみたい、地域猫として、みんなに可愛がられています。

この黒猫ちゃんは『処世術』の達人なのです!
パソコンが使えたら、ぜひ『ニャンコによる猫の処世術』という本を書いていただきたい。
愛すべきこの黒猫には、一日でも長く生きて欲しいと願っています。


   創作小説・詩
by utakatarennka | 2016-07-12 14:33 | 散文詩・散文

散文 [創作とわたし]

a0216818_2001620.jpg
【PC壁紙】オトナ女子向け☆オシャレな高解像度Wallpaperまとめ 様よりお借りしました。
http://matome.naver.jp/odai/2135238277327094801



創作とわたしとの関わりを考えてみました。

小さい頃から自分の世界に引き籠って、あれこれ妄想している子どもだった私。
絵を描くのが大好きで新聞のチラシの裏にお絵かきをして一人で遊んでいました。兄弟は多かったのですが、何んというか、今でいうコミ障(コミュニケーショーン障害児)みたいなところがあって、極端に恥ずかしがり屋で知らない人とは喋れない性質でした。

小学校の頃の夢は「無人島で暮らすこと」「宇宙の果ての無人惑星でサバイバル生活したい」そんなことばかり、毎日考えてました。SFやファンタジーの世界に憧れて、現実逃避したかったようです。
今思えば、何んという厭世主義者、余程、日常が嫌だったのでしょう。

中学生の頃は、漫画が好きで将来の夢は漫画家になることでした。
高校では漫画好きの仲間を集めて、同人誌などを発刊したりして、少しでも自分の夢に近づこうと努力していた。

――その夢は直接的ではないが叶った。

同人誌の交流会で知り合った男性と結婚して、後ほど小学館の児童漫画誌に連載を持っていたので、私は漫画家の女房として、アシスタントをしたり、アイデアを考える時のブレーンとして、創作のアシストをやっていた。
連載漫画の仕事は昼も夜もない。不規則な生活だったが自分たちが書いた作品を子どもたちに読んで貰えるのが嬉しかった。コミックスも他誌と合わせて10冊は出版しました。

まあ、その後……いろいろあって、大阪に還って主婦してますが、やっぱり創作が好きで今はネットを媒体にして詩や小説などを発表しています。

どんな形であれ、何らかの方法で創作をしていないと、自分自身の[存在価値]を見出せない人間なのです。呼吸と同じで止めてしまうと窒息しそうになります。
創作が命なんて大層なことは申しませんが、たぶん死ぬまで何かしら書いていくと思います。

――創作という形で、わたしの[生きた証]を残していこうと思っています。


   創作小説・詩
by utakatarennka | 2015-08-22 20:06 | 散文詩・散文
a0216818_11252320.jpg
フリー画像素材 Free Images 1.0 by:isafmedia 様よりお借りしました。http://www.gatag.net/


なぜ人を殺してはいけないのか

読売新聞に、こういう記事が載っていたので興味深く読ませて貰いました。
佐世保の高校一年の女生徒が同級生を殺害した事件について、識者たちからのコメント記事ですが、まあ、どれも釈然としない意見でした。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という、あまりにも当たり前の質問に対して、ハッキリと答えられる人は逆に少ないのではないだろうか?

たとえば、学校でよく言われる「命を大事にしよう」では回答になっていない。
なぜ殺してはいけないのかに対して、それは悪いことだと答えたら、じゃあ、戦争で人を殺すのは悪いことではないのかと突っ込まれる。
戦場では敵を殺さなければ、自分が殺されるという切羽詰まった状況なのだ。
その場合、自己防衛だから人を殺すことも仕方ない行為だろう。
戦争では、たくさん人を殺した人間が勲章を貰って英雄だと讃えられる。
人を殺してはいけないと言いながら、実は殺しても良い殺人がこの世にはある――。
要するに、人を殺す価値観自体が政治やイデオロジーによって様々に変化していくものだ。

大虐殺というなら、ヒトラーが殺したのは2000万人。
これに対し、5000万人を殺した毛沢東、6000万人を殺したスターリンがいる。
ヒトラーはユダヤ人を虐殺した戦争犯罪者として黒歴史に刻まれ、毛沢東とスターリンは共産主義者たちの英雄である。
――歴史的にみて一番多くの人命を奪っているのは共産主義者なのだ。
だが、この殺戮者たちの評価の違いはどこからきている? 
単に殺した人数だけでいうならヒトラーの罪が一番軽いとも言えよう。
共産主義たちが殺した人数の中には、間違いなく罪のない赤ん坊や幼児も含まれていた筈だ。
人を殺したという罪は同じなのに扱いが違うのは、敗者と勝者の違いで、負ければ全て罪を背負い込まされる。
日本は広島と長崎に原爆を落とされて非戦闘員の女や子供、老人を大虐殺されたが、米国が戦争に勝ったので誰も文句を言わない。
中国では現在も『民族粛清』の名の元に、ウイグルやチベットで虐殺を行っています。
こういう現実を無視して「人を殺してはいけません」などと、きれい事がよく言えたもんだ。

佐世保の事件から、大きく脱線してしまったが、「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問には、政治や宗教、個人の事情を無視した上で、理屈ではなく、詭弁を弄することなく――。
究極の答えは、『自分がされたら嫌だから!』これしかないと私は思う。


   創作小説・詩
by utakatarennka | 2014-08-12 11:44 | 散文詩・散文