― Metamorphose ―

rennka55.exblog.jp

泡沫恋歌のブログと作品倉庫     

ブログトップ

<   2017年 01月 ( 36 )   > この月の画像一覧

さつじん脳 ⑤

a0216818_09552760.png
死ねばいいと恨みますか?
さつじん脳にスイッチが入りました!


    第三話 とりかえっこ ②

 有馬家に着いて僕が駐車場にBMWを停めていると、先に降りていた兄が五百坪はある屋敷の敷地をぐるりと眺めて「これは全部、おまえ一人で相続したのか?」と訊いてきた。「そうだ」と答えると、「おまえは運がいいよなあー」と恨みがましい言い方をされた。
 二十年前、あの時〔とりかえっこ〕を止めよう言った僕に「これは遊びじゃない」と突っぱねたのは兄の方だったくせに、そのことを忘れて、自分だけ貧乏くじを引いたみたいな顔をされたら堪ったもんじゃない。――内心、僕はムッとしていた。
 屋敷の玄関を開けて中に入る。
「なあ、和久。住む所に困っているんだ。こんな広い屋敷だし俺もここで暮らしてもいいか?」
「兄さん、明日からしばらく僕は旅行だから無理だよ。通いの家政婦さんとお手伝いさんにも暇を出したくらいだから……」
「――そうか、長い旅行なのか?」
「たぶん、三ヶ月くらいかなあ……」
 屋敷の中の長い廊下を通って、兄を部屋に案内した。
 広々としたリビングには黒い革張りの応接セットとホームバーのカウンターがある。生前、お酒が好きだった父親が世界中から集めた銘酒の瓶が棚に飾られている。
「おおー、すげえ! 高そうな酒ばっかり置いてる」
「僕はあまり飲まないから好きな酒を飲んでもいいよ」
「そうか、それは有難い」
 物欲しそうな顔で兄は棚の酒類を見ていたが、
「あっ! あれは?」
 ひとつの瓶を指差した。
「ドン・ペリニヨンだよ。特別の日に飲むシャンパンで、ヴィンテージもの」
「飲んでみたい!」
「これはドンペリの中でも最高級品エノテーク・プラチナだよ」
「飲みたい、飲みたい!」
 子どもみたいにはしゃぐ兄だった。
「――じゃあ、二十年振りの兄弟再会を祝してドンペリを開けるとしようか」
 ポンッと威勢のよい音を立ててコルクが天井に飛んだ。
 バカラのシャンパングラスにドンペリを注いで「乾杯」とグラスをカチッと当ててから僕らは一気にグラスを煽った。

「プハーッ、うまい!」
 高級なシャンパンも品のない兄が飲むとチューハイにしか見えない。
 しかも、いつの間にか兄は僕の手からドンペリの瓶を奪い、口に咥えてラッパ飲みをしていた。こんな下劣な人間が飲むには勿体なさ過ぎるお酒だが、――そんなことは構わない。
「なあ、和久。俺とおまえは双子なのに、おまえだけ贅沢な生活をして不公平じゃあないか。同じ父親なのにおまえはセレブで俺はどん底の生活なんて……」
 酔いが回ってきたせいか、兄がぐちぐちと文句を言い出した。
「俺はガキの頃、お袋の男に殴れたり蹴られたりして散々な目に合ってきたんだぜぇー」
「……兄さん、百万円取ってくるからここで待っててよ」
 そんなことは僕の知ったことじゃない。リビングに兄を一人残して僕は部屋から出て行った。
 二十年振りに邂逅した兄は零落した敗北者だった。
 もしかして〔とりかえっこ〕をしなかったら、今の兄の姿が自分だったかも知れない――。同じ双子でも育った環境によって大きく変わるものだと、兄を見ていて僕はそう確信した。



「兄さん……」
 部屋に戻ると、あっちこっちの引出しを開けて物色中だった。僕が声をかけると背中をビクッとさせて、決まり悪そうな顔で振り向いた。
「そんなところに金目のものは置いてないよ」
「いやー、ちょっと、親父の写真が見たいなあ……と思ってさ」
 苦しい言い訳でしかない。
 持ってきた百万円の札束を見ると、僕から引っ手繰るようにして、お札を数えはじめた。そんな兄を見ていると――まるで、ビデオテープで再生されている自分自身を観ているようで、言いようのない嫌悪感だった。
「これっぽっちじゃあ、足りない。もっと金はないのか」
 百万円をジャンバーのポケットに捻じ込みながら兄がいう。
「いいや、兄さん。今日はこれだけにしてくれよ」
「この家なら、かなりの現金があるだろう?」
「――もう帰ってくれないか」
「うるせい! 早く金をよこせっ!」
「断わる!」
「なんだと、この野郎! ぶっ殺すぞっ!」
 いきなり兄が殴りかかってきた。ミゾオチに膝蹴りを入れられて、うっと呻きながら僕は前屈みに倒れて気を失った。
 
「起きろよ! 和久」
 汚いブーツが僕の頭を蹴った。
 気が付いたら、ベルトで後ろ手に縛られて床に転がされていた。
「金庫の場所と鍵と番号を教えろ!」
 とうとう兄の本性が出たようだ。
「兄さん、何をする気だ?」
「和久、よく聴け! 今日から俺が有馬和紀になって、この家の財産は全部いただくぜ。おまえは俺の代わりに土の中にでも埋まってろ! あははっ」
「なに言ってるんだ!? 正気なの兄さん……」
「ああ、正気だぜ。こんな貧乏くじみたいな人生とはおさらばだ。ガキの頃、おまえと名前を〔とりかえっこ〕しただろう? もう一回〔とりかえっこ〕して俺の和紀を還して貰うだけだ。すぐには殺さない、おまえにはいろいろ教えて貰うことがあるからさ」
「兄さんがこんな恐ろしい人間だと知っていたら家になんか入れなかったのに……」
「おまえは昔から甘ちゃんだったからなあ」
 たしかに子どもの頃は、兄の言いなりだった。
「それから、これは……兄弟のおまえにだけ教えてやるが……」
 口を歪めてニタリと笑うと、わざとらしく声をひそめる。
「……高二の時にお袋を殺したのはこの俺だ。酔っ払って夜中に帰ってきて絡みやがったから、アパートの階段から蹴り落としてやったんだ。警察では事故死ってことでカタがついたけどな」
 母親殺し! この凶暴な人間が僕の片割れともいうべき双子の兄弟なのか。――なんと、おぞましいことだ!
「おいっ! 早く金庫の在り処を教えろ。鍵は、鍵はどこだ?」
 ポケットからサバイバルナイフを取り出して、僕の喉元に押しつけた。こんな物騒なものを持ち歩いている兄は完全に犯罪者だ――。
「ポケットにある。上着の右側のポケットに入れてあるんだ。奥の方まで手を突っ込んでみて……」
「ああ、こっちのポケットだな。――よおし!」

「うぎゃあ!」
 僕のポケットを探っていた兄が悲鳴と共に手を引っ込めた。その手には何本かの注射針が刺さっている。
「イテテッ! 何をしやがる!?」
「その注射針には毒が塗ってある。ヒオスチンというアルカロイド系の毒薬だよ。麻酔にも使われていて、ゆっくりと眠るように死ねる」
「和久、お、おまえ……。嘘だろう!?」
「嘘なもんか。もうすぐ眠くなってくるよ。そして二度と目覚めない」
「な、なんでこんなもんを……最初から俺を殺す気だったのか?」
 手に突き刺さった注射針を抜きながら、兄は狼狽していた。
「――そうでもない。兄さんがこんなことさえしなければ、三ヶ月後には遺産として有馬家の全財産を相続できたんだ。遺言状を作成して弁護士にそうするように頼んで置いたのに……残念なことだよ」
「この家の遺産をこの俺が……?」
「僕は余命三ヶ月と医者に宣告されている。脳の奥に悪質な腫瘍があって手術もできないんだ。おまけに進行も早くて……。実は明日からホスピス・緩和ケア病棟に入院して抗がん治療は受けないで、ゆっくりと死を待つ運命だったんだ。だが、兄さんと会って考えが変った。――僕は死ぬ前に〔とりかえっこ〕した、本当の名前に戻りたいと思った」
「今日、おまえと会ったことは偶然じゃないのか?」
「そうさ。兄さんのことはね、興信所に頼んで調査済み。恐喝と詐欺で二回服役しているね。結婚歴は三回いずれも離婚、子どもはいない。サラ金やヤミ金から約二千万円の借金を抱えている。ね、そうでしょう?」
 さっきまでの悪ぶった兄は鳴りを潜め、今は恐怖で顔が引きつっている。
「あの喫茶店に現れることは知っていた。――だから、僕は賭けたんだ。もしも、ホスピスに入院する前に兄さんと出会えたら〔とりかえっこ〕した、僕の本当の名前を還して貰おうと……。兄さんにはお金を渡して外国にでも行って貰い、その間、僕は和久に戻って生きてみたかった、死ぬ前に……。最初から殺す気なんてなかったさ。――だけど、ひどい人間なんで双子の僕としては、兄さんを残して逝けないと判断したから」
「お、おい、げ、解毒剤をくれ……」
「――ないよ。病気がひどくなって苦しんだ時、僕が自殺するためのものだから」
「ゲ、ゲームオーバーだ。こんな遊びは止めよう」
「兄さん、これは遊びじゃないんだ」



 意識が朦朧としてきたのか、やたらと首を振って睡魔と闘っている。兄さん、そんなことをしても無駄さ。致死量のヒオスチンが体内に摂取されているんだから……。
 やがて、崩れるように倒れて永遠の眠りに着いた。
 死体の手から落ちたサバイバルナイフを拾って、後ろ手の縛めを外した。ああ、心も身体も自由になった。どうせ、死ぬのなら最後に曽我和久(そが かずひさ)に戻って、残された生命を燃やし尽くしてから死んでやる。
 ホスピス・緩和ケア病棟に行くのはもう止めた――。

「兄さん、僕らの遊び〔とりかえっこ〕やっと終わったよ」

 不様な姿で床に転がっている、もう一人の自分。――さよなら、和紀。僕の双子の兄さん。 



a0216818_09000979.jpg

カクヨム 
泡沫恋歌 『さつじん脳』


   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-01-28 09:02 | ミステリー小説

さつじん脳 ④

a0216818_09552760.png
死ねばいいと恨みますか?
さつじん脳にスイッチが入りました!


    第三話 とりかえっこ ①

『二十年前、僕らは大事なものを〔とりかえっこ〕したんだ』                  

 意味もなく本のページを捲っていく、文字の上を目がスクロールするだけで内容は全然頭に入ってこない。何も持たないで喫茶店に長く居るのは気が引けるので、そのために電子ブックリーダーを持ってきているのだが……。
 体調を崩した僕は仕事を辞めて一ヶ月、毎日ぶらぶらしながら過ごしていた。亡くなった両親の遺産があったので経済的には困っていない。――ただ、途轍もなく時間を持て余していた。
 毎日、電子ブックリーダーを持って喫茶店で読書をするのが僕の日課だった。その日も、いつものように喫茶店で読んでいると、後ろの席に座った男女が激しい喧嘩を始めた。
「アンタなんか最低の男よ!」
 女の金切り声の後、バシャッと水が飛んできて、僕の電子ブックリーダーにかかった。乱暴に席を立つ音がして女は走り去っていく。どうやら、男はコップの水を顔にかけられたようである。
 水に濡れた液晶画面を慌ててナプキンで拭いていると、
「水かかりましたか? スミマセンねぇー」
 後ろの席の男が謝った。
 振り向いてそいつの顔を見た瞬間、僕は心臓が止まりそうなくらい驚いた。――何故なら、僕と全く同じ顔をしていたからだ。
「――もしかして? 和紀か?」
「おまえは和久?」
 そいつは間違いない! 曽我和紀(そが かずのり)二十年前に別れた双子の兄だった。



 兄の名前は和紀(かずのり)、弟の僕は和久(かずひさ)という。
 僕らは見分けが付かないくらい、そっくりな一卵性双生児だった。それで九歳の時、僕と兄は大事なものを〔とりかえっこ〕したんだ。
 ある日、兄の和紀がこう言った。
「なあ、和久。俺の名前と〔とりかえっこ〕しないか?」
「――え、なんで?」
「俺、この名前キライなんだ」
 見た目は同じに見える双子だが、小学校では僕は優等生で、兄は勉強嫌いで成績も悪かった。おまけにイタズラ好きの兄は担任の女教師にイタズラをして、もの凄く怒られたことがある。それ以来、事あるごとに教室でよく叱られるようになったそうだ。
 身から出たサビとはいえ、それが嫌なので自分とクラスを変わってくれと言い出したのだ。嫌だと僕は即座に断ったけれど――我がままな兄にしつこく泣きつかれて、遊びだから、一週間だけ名前を〔とりかえっこ〕しようと利かない。しぶしぶながら僕は和紀になって兄と入れ替わることになった。
 兄のクラスで授業を受けていたが、案の定、兄と入れ替わったせいで女教師に逐一注意をされたり、立たされたりと散々な目に合っていた。しかし、一週間近くなると僕が大人しいので反省して良い子になったと勘違いされて、逆に可愛がられるようになってきた。
 兄の方は弟の和久に成りかわり、やりたい放題イタズラして叱られていたようだった。

 僕らの〔とりかえっこ〕も、明日には元に戻そうとしていた矢先に、とんでもない事件が起こった。
 実は僕らを生んだ母親は愛人だった。父親の有馬和臣(ありま かずおみ)はビル管理や不動産運営で収入を得ている資産家で、二十歳も年下の水商売の女に手をつけて僕らを生ませた。
 愛人の子の僕らは世間的には私生児なのだが、父親から毎月多額の養育費を貰っていたので暮らし振りは裕福だった。
 母親は子育てに興味がなく、酒と男とギャンブルが大好きで、僕らは幼い頃からベビーシッターや家政婦たちによって育てられてきた。――だから、僕らが入れ替わっても母親ですら、そのことに気づいていなかったのだ。
 ――まさか。
 それが運命の分かれ道になろうとは思ってもみなかった。
 本家(父親の家)には僕らの異母兄弟に当たる長男が一人いた。まだ結婚もしてなかったので後継ぎはいない。その長男が自動車事故で急死してしまったのだ。
 ショックも大きかっただろうが、息子が亡くなった父親は妻に僕らのことを打ち明けて、せめて双子の一人だけでも引き取って跡取りとして育てたいと言い出した。反対するかと思った、本家の妻はすんなりとその案を受け入れて、突然、僕らの片方が有馬家に養子にいくことが決まった。
 その時、僕と兄は入れ替わったままで、僕が兄の和紀で、兄が弟の和久だった。
 通常として、同じ双子だから上の男の子を引き取りたいと本家から言ってきた。父親は僕らが生まれてからは母親に養育費を払うだけで、ほとんど通って来なかったので、僕ら兄弟の見分けは父親にもつかない。
 酒好きで男にだらしない僕らの母親に浮気心で手を付けたものの……たぶん父親は深く後悔していたのだろう。僕らをDNA鑑定して実子だということだけは認めていたようだ。
 そんな事情で僕ら兄弟は離ればなれになることなった。一人は父の有馬家へ、一人は母の元に残る……。
 当時、まだ九歳だった僕らは母親と暮らすことを希望した。いくらだらしない女でも虐待する訳でもないし、美人の母親は男の子にとって自慢でもある。絶対に本家には行きたくない! きっと継母にひどく虐められるんだ。
 ――そう思って、僕らの両方が本家に行くことを拒否していた。ところが間の悪いことに……その時、僕は上の男の子の和紀になっていたのだ。
 僕は必死で親たちに訴えた! 本当は僕が下に男の子の和久だと……だが、兄は自分こそ和久だと主張して、無理から僕を本家にいかそうとする。泣きながら言った「兄さん、〔とりかえっこ〕を止めようよ!」
 兄は九歳の子どもと思えない冷ややかな口調でこう言った。
「これは遊びじゃないんだ」
 そのひと言で僕の運命は決まってしまった――。
 
 結局、兄の代わりに和紀となって、本家の有馬家に引き取られていったのは僕、和久だった。
 有馬家は広い敷地に大きな屋敷が建てられていた。僕は使用人たちから「ぼっちゃん」と呼ばれてかしずかれた。
 心配していた継母は想像と反する善良な女性だった。「子どもには罪はないのだから……」と愛人の子である僕のことを、亡くなった長男の代わりに可愛がってくれた。
 ここに来て、僕は兄と名前を〔とりかえっこ〕して良かったと思った。それ以降、元々想い出の薄い母親のこともやんちゃな兄のことも忘れて、有馬家の跡取り息子として満ち足りた生活を送ってきたのだ。


「和久、いい暮らししてそうだな」
 オーダーメイドの紺のブレザー、上からベージュのバーバリーマフラーを巻いた僕を、しげしげと見て兄がそう言った。
 和久、今は自分の名前になっているくせに、二十年振りに二人きりで話す時には、本当の名前で呼ぶのがおかしい。自分の席から飲みかけのコーヒーを持って、僕の席に移ってきた兄は、フェイクな皮ジャンに膝が擦り切れたジーズを穿いていた。――そんな兄は薄汚れた胡散臭い感じだった。
「ああ、お金には困ってないよ」
「そうか、いいなあ。俺は借金まみれで……さっきも付き合っていた女に金の無心をしたら断わられて、おまけに水までぶっかけられたぜぇー」
 フフンと兄は自虐的に笑った。
 その後、金を貸してくれとせがんできたので、札入れから現金で十万円ほど渡したら目を丸くしていたが。――これっぽっちじゃあ足りないから、もっと貸して欲しいと厚かましいことを言い出した。

 たしか僕が有馬家に引き取られる時、父親は僕らの母親とはきれいに縁を切って別れたはずだった。その時に多額の手切れ金と残った子どもの養育費として、五階建てのマンションを譲渡されたと聞いている。きちんとお金の管理さえしていれば、僕の目の前に、こんな惨めな兄はいないだろうに……。
「お母さんはどうしてる?」
 僕が訊ねると、
「お袋か? ああ、とっくに死んださ。俺が高二の時だった。酔っ払ってアパートの階段から落っこちて死にやがった。あいつにはひどい目に合わされたからなあー」
 酒と男とギャンブル好きの母親は有馬和臣と別れてから、貰った手切れ金で派手に遊び回っていた、ギャンブルの借金が増えたり、あげく男に騙されたりして、五年もたない内に全財産を使い果たしてしまった。その後、水商売に戻ったが、若くもないホステスに客もつかず落ち目になるばかりだった。
 有馬家に何度かお金の無心に泣きついたようだが、『今後一切関わりを持たない』と別れる時に、自分で書いた念書を楯に援助を断られていた。――まあ、そんな母親だから、兄もずいぶん苦労をさせられ、高校の時にはグレて家を出ていたようだ。
「なあ、和久……俺は明日までにヤミ金に百万円払わないと殺されるかもしれないんだ。頼む! 今すぐ百万円貸してくれよう」
 兄は泣きそうな顔で僕に縋ってきた。
 本当に、今すぐ百万円いるかどうか疑わしいが、どん底の兄に比べて、お金の苦労なんか僕は今までしてこなかった。あの日、名前を〔とりかえっこ〕したお陰で裕福な人生を歩めたのだから、百万円くらい兄にくれてやってもいいとさえ思った。
「兄さん、今はそんな現金ないから家まで取りに帰るよ」
「ホントか!? 貸してくれるんだなあ。よし俺もおまえの家まで付いていくさ」
 金を貸して貰えると聞いた途端、目を爛々と輝かせた。そんな兄の顔は詐欺師臭かったが、まあ、そんなことはどうだっていい――。

 その後、喫茶店の駐車場に停めてあった、僕のBMWで二人して有馬家まで行くことになった。車に乗ると兄は「おまえ、すげえ高級車に乗ってるんだなあー」と、羨ましそうにシートを汚い手で撫で回していた。
「ところで、俺らの親父は元気か?」
 今度は兄が質問してきた。
「いや、三年前に病気で亡くなったよ。育ててくれた義母さんも去年他界した」
「和久、おまえ結婚は?」
「してない。今は僕ひとり暮らしなんだ」
「――そうか」
 少し間をあけてからポツリと兄が応えた。その後、考え込むように黙り込んだ。――そんな兄を横目で僕は観察していた。  



a0216818_08323130.jpg

カクヨム 
泡沫恋歌 『さつじん脳』


   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-01-27 08:11 | ミステリー小説

さつじん脳 ③

a0216818_09552760.png
死ねばいいと恨みますか?
さつじん脳にスイッチが入りました!



   第二話 幻冬雪女

 冬山に吹雪が荒れ狂う。激しい雪は視界を遮り、冷たい礫となって森や山荘の窓を打ちつける。まるで怒り狂う女のように、白い雪は狂気を孕んで、人の心を弄ぶ――。
「ねぇ、今、何か音がしなかった?」
「ん? 別に……」
 女が淹れたコーヒーを飲みながら、男は携帯アプリのゲームをやっている。
 ――今日で三日目だ。
 週末から、泊りがけでスキーにやって来ていた二人だが、激しい吹雪が続いてスキーはおろか、下山もできない悪天候で山荘にカンヅメ状態になっていた。
「ビシッって、何か軋むような……そんな音が……」
「吹雪の音じゃないのか? それか軒のツララが落ちたんだよ」
 この山荘に着いてから、連日の吹雪にカップルは退屈しきっていた。
「声が聞こえる……」
「はぁ?」
「――誰かが喋っているわ」
「何を言っているんだよ。この山荘には俺たち二人しか居ないじゃないか。君が週末を二人きりで過ごしたいって言うから、知り合いに頼んで、この山荘を借りたんだから……」
 怪訝な顔で男が答えるが、女は黙って耳を澄ませている。
「静かに! よく聴こえないわ」
「きっと吹雪の音だよ。ヒューヒュー吹雪く音が叫び声に聴こえているんだ。――けど、参ったなぁー、スキーも出来ないし、これじゃー山荘に軟禁状態だ」
 ため息まじりに男がぼやく。
「えっ? えっ……今、なんて言ったの」
「おいっ、俺に背中向けて、誰と喋っているんだよ?」
「雪女がきた……」
「はぁ? なにふざけてんの!」
「…………」
 女は黙リ込んだまま、吹雪の音に耳を澄まし、時々頷いて……誰かと内緒話でもしているようだ。
 そんな女の様子に戸惑いながらも……男は機嫌を取ろうとしていた。
「ははん。さては、怖い話してキャーとか言って、俺にしがみつく? そんでもって二人ベッドで温まる?  あはは……」
「…………」
「おい、どうしたんだよ? 黙り込んでないで、こっち向けよ!」
 さすがにイラついた男が、女の肩に手を掛けようとした瞬間。

「わたしに触るなっ!」
 ものすごい剣幕で女が怒鳴った。
 男の手は思い切り払われて、肩透かしをくらってバランスを崩し、前のめりになって転びそうにだった。
「あぶねぇー、いったい何を怒ってるんだよっ!」
「あなたは私を騙してるのね?」
「はぁ……? 急になんだよ」
「雪女がわたしに言ったんだよ。その男は嘘つきだって……」
 男は黙って女の様子を見ていた――。
「あなた、今年入社した庶務課の女の子にバースディ・プレゼントあげたんだって……」
 この二人は同じ会社に勤める、社内恋愛カップルなのだ。
「いや……それは、同じ課の後輩だし、仕事の事でいろいろ面倒みてやってる子だから、別に好きとかそんなんじゃなくて……その子が欲しいCDがあるって言うから、そんな高いものでもないし、誕生日だから……」
「わたしがいるのに、なぜ他の女に優しくするのよ!」
「ごめん……」
 男は女の機嫌が悪いので素直に謝った。
「あなた、こないだ、経理課のS子と一緒に飲みに行ったんだって?」
「あぁー、あれは居酒屋でたまたま会ったんだよ。それに俺以外にも会社の奴らいたし……」
「……あなた、元カノのM子のことが、今でも好きなんでしょう?」
「――何を今さら、あいつとは君と付き合うようなってからキッパリ別れた」
「そうかしら……?」
「そのことは君が一番よく知っているだろうに。なにを今さらバカなこと言ってるんだ!」
 ネチネチと詰問する女に。――さすがに男も声を荒げた。


 突然、女が泣きだした。
 ヒィーヒィーと喉を鳴らし、吹雪くような声で嗚咽を漏らす。
「あなたって人は、そうやって、いつも、いつも……わたしを騙して、陰でこそこそ他の女と遊んでいるんだぁー」
「泣くなよ! 俺たち、来月結婚するんだぜ。俺のことが信用できないのか?」
 昔の事を蒸し返しいちいち疑う、そんな女の態度に男はうんざりしていた。
「雪女が、そいつは浮気者だって言うんだ」
「おまえ変だぞ! いつもと様子が違う。気分が悪いなら寝ろよ! 明日下山するから」
「吹雪は止まないわ。私たちはここに閉じ込められたのよ」
 薄笑いを浮かべて女がそう言う。
「いったいどうしたんだ? まるで別人みたいに……。そういえば、おまえ前に言ったことあるよなぁー。子供の時にエレベーターの故障で閉じ込められてから……密室がすごく怖いって! 雪で閉じ込められた山荘、ここは密室と同じなのか? 閉所恐怖症ってやつか? だから情緒不安定になっているんだろ?」
 女には男の話など聴こえてはいない。
 完全に自分の世界に入り込んで……見えない何かと話していた。――外ではなおも激しく吹雪が荒れ狂う、白い獣が牙を剥くように。
「……雪女がわたしに言うのよ。その男はおまえを愛していないって」
「もう、いい加減にしてくれっ!」
 疑心暗鬼に凝り固まった女の態度に、男は苛立ち怒鳴った。
「やっぱり……愛してなかったのね。ひどいわ……騙されていたんだ、わたし」
「愛してるさ! だから俺たち来月結婚するんじゃないか」
「わたしだけを愛してくれないのなら……あんたなんか、もうしらない」
「はぁ?」
「もう死ねばいい……」
「悪い冗談はやめろよ!」
「死ねばいい、死ねばいい……」
 段々と平常心を失っていく女に、男は恐怖すら感じていた。
「おいっ! 大丈夫か? 頼むから……俺の話を聞いてくれよ」
 女はブツブツ……ひとりごとを言いながら、ふらりと立ち上がると、暖炉の方へ歩いていった。
 そして振り返った女の手には、暖炉の火掻き棒が握られていた。
「そんなもの持ってどうするつもりだ?」
 ニヤリと薄く笑って、突然、ものすごい勢いで男めがけて、火掻き棒を振り下ろした。
「ウギャーーッ」
 男は叫び、そのまま頭を押さえて床に倒れ込んだ。
 男の頭部からは鮮血が迸る。女は鬼の形相で男の頭部めがけて火掻き棒を振り下ろす。頭を押さえ這いずり逃げ回っていた男だが、やがて……血まみれでうずくまる。
「死ねばいい、死ねばいい!」
 狂ったように、女は執拗に火掻き棒を振り下ろし続けた。
「浮気者なんか! 死ねばいいんだぁー!」
 女の着衣に鮮血が飛び散って、真っ赤に染っていく。
 なおも女は火掻き棒を握り、動かなくなった男を打ち続ける。彼女の目は狂気で爛々と輝いていた。
「あっはっはっはっはっ」

 警察署の一室。ベテラン刑事は部下の報告を聞いていた。
「――遺体は頭部を滅多打ちされ頭蓋骨陥没に寄る外傷性ショック死とみられる。被害者の遺体は、二人がいつまで経っても下山しないのを不審に思って、様子を見にきた山荘の管理人によって発見通報されました」
「しかし惨たらしい遺体だなぁー」
 現場検証の写真を見ながら、ベテラン刑事は顔をしかめて呟いた。
「容疑者の女の様子はどうなんだ?」
「発見された容疑者の女は、血まみれで錯乱状態、意味不明なことを喋っています」
「……意味不明なこと?」
 ベテラン刑事は怪訝な顔つきで、背広の胸ポケットを探ると煙草を取り出し、百円ライターで火を付け、ゆっくりと吸い始めた。
「はあ……、それが何を聞いても、雪女がきたとか、雪女が殺ったとか……さっぱり意味が分かりません」
「雪女だと? 来月結婚予定の幸せなカップルに、あの山荘で何があったんだろう?」
「さあ、ただ女は自分の親しい友人に、彼氏の周りの女たちに嫉妬して、妄想する癖があって……苦しいと話していたようです」
 ベテラン刑事は煙草を深く吸いゆっくりと煙を吐く。
 部下の報告を聞きながら、紫煙のゆくえをぼんやり眺めていたが、ふと思い付いたように……。
「妄想?」
「はい、妄想癖が加害者の女にはあったようなんです」
「恋人の男は妄想で殺されたってわけか? あの女は狂っているようだなあ」
煙草を灰皿におしつけ消すと、ベテラン刑事は言い放った。
「精神鑑定。必要有りだな!」


 ――留置場の壁に向かって、ブツブツと女は呟やいている。
「……彼を殺したのは、わたしにそっくりな女で……真っ白な雪女なんです! 刑事さん、わたしが犯人じゃあないわ……」
 そうやって無実を訴える女。
 しかし、その眼は、もはや現実の世界を見てはいない。狂った雪女は、真っ白な雪原をただひとり彷徨っていく――。


― 了 ―


a0216818_14331684.jpg

カクヨム 
泡沫恋歌 『さつじん脳』


   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-01-26 09:56 | ミステリー小説

さつじん脳 ②

a0216818_09552760.png
死ねばいいと恨みますか?
さつじん脳にスイッチが入りました!



   第一話 スのつく危険なお仕事でーす! ②

 半年前、国立国会図書館の地下深くに密かに造られた諜報部員のオフィスに俺は居た。無人の部屋には大型のコンピューターが設置されて、俺はATMみたいな機械にIDカードを差し込んだ。すると青白い光が描きだす、ジェームス・ボンドの立体ホログラムが浮かび上がり、新しい任務について説明してくれた。
『ハロー、ミスター・ニンジャ』
 ニンジャというのが俺のコードネームだ。
『日本転覆を謀る、国際陰謀団が東京の某所に潜伏しているという情報が入った』
 イケメン男優スパイのホログラムがキザな格好で喋っているが、このキャスティングを考えた奴は相当イタイ人間だろう。
『国際陰謀団は中韓の手先だと思われる。マスコミを使った情報操作をおこない、原発問題や放射能や9条などでデマを流して、日本国民を混乱させようとしているのだ。放って置くと大変危険な活動家たちである。潜入捜査で、その活動を見張り、黒幕を暴き出し、状況判断によっては抹殺することも止む無し!』
 今回の任務は相当ハードそうだ。抹殺許可まで出ているとは侮れない敵とみた。
『すでに一名が潜入捜査に入っている。その者には君のことを知らせてある。――だが、君の方は最終段階まで仲間とのアクセスを禁止する。一時的に記憶喪失となって、某所での情報収集をやって貰うことになるだろう』
 日頃から、スパイは自分以外の仲間のことは何も知らされていない。もしも敵に捕まっても知らないのなら自白できないからだ。
『では、成功を祈る。ミスター・ニンジャ!』
 青白いホログラムのイケメンがニッと白い歯を見せて消えた。
 その映像を最後に、俺の記憶はプッツリと途絶えてしまった。たぶん、この後に麻酔銃を撃たれて、記憶にブロックを掛けてから、あの『サソリ荘』に放り込まれたのだろう。

 ――やっと、記憶が戻ってきたが、だが俺はハッキリと敵の正体が掴めていなかった。

 覚醒したばかりの俺は……ぼんやりしたまま椅子に座っていたが、その時、どこからか銃弾が飛んできた。ビックリして机を倒して楯にするが、見るとババアが教壇からこちらへ発砲しているではないか!? 
 日頃から、常軌を逸したババアとは思っていたが、まさか拳銃乱射犯になろうとは思ってもみなかった。
 そして、横を向いてもっと驚いた! あの気弱そうな苅野さんが銃で応戦している。

 いったい、どうなってるんだ!?

 果たして、俺の味方はどっちだ? ババアか苅野さんか? どっちが敵なんだぁー!? 
 この銃撃戦のさなか、丸腰の俺は100%不利じゃねぇーか!!
バーンと銃声が轟いて、ババアが倒れた。
 どうやら、苅野さんの銃弾を喰らったようだ。教壇の裏で倒れているババアの方へ、ゆっくりと歩いていく、どうやら止めを射すつもりらしい。
 それにしても苅野さんの銃の腕前は漫画家とは思えない。――いったい彼は何者なんだ!?

「糞ババア死ね……」

 腰を屈めてババアの心臓に銃口を向けた、その瞬間、教壇が倒れて苅野さんに直撃した。
 そして、ムクッと起き上がったゾンビババアが、
「ニンジャ、そいつが黒幕だよ! 早く殺っちまいなっ!」
 そういって、リボルバーをこっちへ投げて寄こした。
 キャッチした俺は、無言で苅野玄のコメカミに弾丸を撃ち込んだ。
 もんどり打って倒れた彼は息絶えた――。
 
 俺のコードネーム・ニンジャを知っているということは……先に潜入捜査に入っている仲間というのが、もしかして、この大家のババアのことだったのか――。
「大家さん大丈夫か?」
「ああ、防弾チョッキ着ててよかった」
「まさか、あの苅野さんが黒幕だったなんて……」
 見るからにショボイ中年男だった。
「おまえがグズグズしてるから、アタシの命が危険に晒されたじゃないか」
「……先に、潜入捜査に入っている俺の仲間って大家さんだったんですか?」
「そうだよ。潜入というか。アタシのアパートに奴らを住まわせて見張ってたんだよ」
「俺が見た感じ、目立った動きがなかったようだったが……」
「おまえの目は節穴かよっ!?」
 大声で怒鳴られた。
「苅野がサソリ荘に住むようになって、うちの店子が胡散臭い奴らばかりになった。怪しい宗教で若者を洗脳したり、国籍不明の密入国者たち。善良な市民を脅すヤクザと外国からの出稼ぎ売春婦とか……アイツは中韓から資金を貰って、日本を卑しめるプロパガンダをマスコミを使ってやってたんだ。日頃、気弱なオヤジを演じているから、みんな騙されてたのさ」

 ――そうだったのか。苅野さんの好人物ぶりに俺も騙されていた。

「そこまで調査が進んでるなら……俺の任務って……意味ないじゃん」
「バカだねぇー、ニンジャは苅野の目を眩ますためのダミーだよ。自分の部屋の隣に怪しい人物が住んでいると、そっちの方に気を取られて……アタシにはボロを出すために仕向けたのさ」
「俺ってダミーだったんですか?」
 この半年は任務は何だったんだと心底落ち込む――俺だった。
「見張られていたのはおまえの方さ、今日も尾行されてたの気づいてないだろ?」
「…………はぁ」
 ――もう言葉がない、俺はスパイ失格だ。新しい仕事をハローワークで探そうかな。
「一年前からアパートを購入して、大家に成りすまして、こっちは罠を張ってたんだよ。いきなり現れたおまえに、苅野は神経を尖らせていたさ。ラーメンに仕込んだ睡眠薬でおまえを眠らせて、自白させようとしたが『サソリ荘』以前の記憶がない……奴は焦ってたね」
「そりゃあ~記憶をブロックしてたから……」
「ついに行動にでたのさ。おまえの正体を知ろうと、この部屋に呼び寄せて探るつもりが自分自身がボロを出しちまった」
「ボロ?」
「“私が愛したスパイ”というキーワードで、おまえの記憶ブロックを解除した。しかも苅野が中韓から指令された、任務こそが“私が愛したスパイ作戦”だったのさ、だから計画がバレたと過剰反応して、先に銃を撃ってきたのはアイツの方なのさ」
「――そうだったのか!」
苅野さんの豹変振りにはマジで驚いた。
「まさかアパートまで罠だったとは……」
「情報収集しながら家賃も稼げる、こんな美味しい仕事はないよ」
 カカカッと威勢よくババアが笑う。

「いったいスパイと大家さん、どっちが本業ですか?」
「スパイはアルバイトさ。アタシはCIAのスパイと結婚してたんだ。アメリカでは旦那と一緒に諜報活動やってたよ。その旦那が亡くなったんで日本に舞い戻ってきたけど、スパイの腕を買われてね。時々、内閣情報調査室から仕事の依頼がくるんだよ」
「大家さんってすごい人なんですね」
 CIAで活動してたなんて、映画に出てくるようなスパイじゃん。
「おまえのさぁー、その表情が……」
「へ?」
「ブラック企業で働いてる従業員みたいで、慢性的な疲労感を湛えた表情がいいんだよ」
 それって、褒めてるつもり? 失礼なババアめ!
「スパイは目立っちゃダメなのさ。かっこ良くて女にモテるなんて……007が創った幻想で現実はそうじゃない」
「だから、俺のコードネームが“忍者”で目立たないように……」
 ババアの説明に納得させられた。
「アタシのコードネームはレディーだよ。これから任務の時はレディーとお呼び!」
 こんな皺くちゃババアに“レディー”なんて……俺は絶句していた。

「任務終了! やっと自分の顔に戻れるわ」 
 そう言うとババアは、まるでパックを剥がすように顔の皮膚をペリペリと捲っている。白髪交じりのカツラを外したら、新しい顔がでてきた。
「アメリカでは特殊メイクと演技の研究もしてたの。私は変装が得意なのよ」
 大家のババアこと“レディー”変装を外したら、なんと三十代の美しい女性の素顔が現れた。そして年寄りの嗄れ声から、優しいトーンの声に変わっていた。
「これが君の素顔だったんだね」
 眩しいほどに魅力的な彼女に、俺の目は釘付けになった。
「コードネーム・ニンジャ、潜入捜査は大成功よ!」 
「国際陰謀団の黒幕は苅野玄だった。レディー、君のお手柄だ!」 
 長い潜入捜査から解放された、二人のスパイは抱き合って任務完了を喜んだ。
 大家のババアの演技にすっかり騙されていた、こんな美しい素顔が隠されていたなんて想像もできなかった。

 ――美女スパイの虜になった俺は、やっぱりスパイ失格かなぁ~?


a0216818_10513255.jpg

カクヨム 
泡沫恋歌 『さつじん脳』


   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-01-25 11:17 | ミステリー小説

さつじん脳 ①

a0216818_09552760.png
死ねばいいと恨みますか?
さつじん脳にスイッチが入りました!

 

   第一話 スのつく危険なお仕事でーす! ①

「なんじゃあーこりゃあ!?」
 自分の目を疑い、瞼を擦って、もう一度その文字を見なおした。

『スパイ急募』

 俺は今、ハローワークの中にあるパソコン求人検索ルームに居る。
 希望する条件をパソコンで検索してくださいと、ハローワークの職員に言われて、入力した条件に合致した職業が、まさかの『スパイ』だった。

 今朝、ボロアパートの六畳一間の部屋で寝ていたら、突然、大家のババアに乱入された。
「いつまで寝てんだい? このろくでなし!」
 枕を蹴飛ばされて、ビックリして飛び起きた。
「家賃を払わんか! 三ヶ月も溜まってんだ」
 八十近いババアが大声で騒ぎ立てるが、無一文の俺には払えない。
「なんで働かないんだよ。今すぐ職業安定所で仕事みつけてこいや!」
 もの凄い剣幕に圧倒されて、アパートを飛び出しハローワークにやってきた。
 学歴なし、資格なし、高給希望で仕事を探していたら、検索でなんと『スパイ』が引っ掛かった。PC画面の雇用条件を読んでみる。
 年齢学歴経験不問、未経験者の方には親切に指導します。各種保険あり、時給5000円(危険手当あり)、支度金10万円。
 おおっ! 時給5000円とはすごい! けど時給? スパイなのにタイムカード押すのか? しかも10万円の支度金が貰えるなんて好待遇だよ。
 それにしても、今どきは人出不足だからスパイだってハローワークで求人するんだ。半信半疑ながらもカウンターで、この職業をいったら職員は別に驚く風もなく、面接場所を書いたメモを渡してくれた。

 メモに書いてあった場所は薄汚い雑居ビルの七階だった。
 ドアプレートには『人材開発プロジェクト』と書いてあるが、胡散臭い雰囲気が漂っている。普通の人間なら、ここでUターンして帰るところだが、生活が貧窮している俺は躊躇する余裕などない。ノックをして中に入っていった。
 室内は二十畳くらいはあるだろうか? 白い壁とリノリュームの床、正面にホワイトボードと教壇があり、手前には長机とパイプ椅子が二脚、その椅子の一つに男が座っていた。
 後ろ向きで顔は見えないが、後頭部の禿げ具合に見覚えがあった。
「やあ!」
 振り向いた男の顔を見て驚いた。
 俺の部屋の隣に住む、苅野玄(かりの げん)という売れない漫画家だった。
「どうして苅野さんが?」
「家賃が溜まってて、大家のばあさんにハローワークにいけと言われて、ここを紹介されたんだ」
 苅野さんは若い頃は売れっ子漫画家だったらしいが、落ちぶれて妻子に逃げられた中年男なのだ。最近では漫画の原稿依頼もなく相当貧窮している様子だった。

 俺たちの住むアパート『サソリ荘』は硝子戸を開けて玄関に入ると、下駄箱があり、そこで靴を脱いで、スリッパに履き替えてから上がるのだ。
 中央廊下を挟んで六畳一間の部屋の扉が並んでいる。アメニティーは共同便所、共同炊事場のとなりに食堂があって四人掛けテーブルが二卓置いてある。
 風呂はなく、シャワーなら一回(15分間)百円で大家に頼めば使わせて貰える。
 しかも各部屋に鍵が付いていないので、今朝のように、大家のババアに勝手に入って来られる。プライバシーなんてものはなく、寮みたいな建屋で築五十年は経っているだろう。
 家賃は光熱費込みで、1万2千円だから……まあ、かなり破格の安さかもしれない。
 地域でも有名なボロアパート、この『サソリ荘』には変わった住人が多い。
 二階建てのアパートの一階には大家の自宅と俺と苅野さんが住んでいる。二階の住人たちは出入りの激しい外国人労働者たちやカルト教団の信者、風俗の女と刺青の入ったヤクザが居る。
 怖ろしくヤバイ雰囲気なのだが……なぜか、みんな大家のババアには絶対服従でトラブルもなく過ごしている。

「僕も大家さんにドヤされてきました」
「ほぁ、鈴木君もかね。あの因業ババアには誰も敵わないよ」
「あの迫力には逆らえません」
「うむ」
 苅野さんが大きく頷いた。
 気弱そうな彼は、大家のババアによく怒鳴られているのを目撃する。
たぶん、借金でもあるのだろうか? アパートの溝掃除や庭の草取りなんかを時々やらされている。
 共同炊事場でかちあったら、俺がモヤシを苅野さんは玉子を分け合ってラーメンを作る。そして食堂のテーブルで世間話をしながら一緒に食べる。ババアの経営する『サソリ荘』は、苅野さんや俺みたいな社会からブロックアウトされた孤独な人間には、まんざら住み心地が悪くもない。
 不思議なことに、ボロアパートに住む以前の俺の記憶がない――。
 いつの頃からか、アパートの部屋で仕事もしないで暮らしていたが、この鈴木という名前も部屋の表札に貼られたもので、本当の名前なのかどうかも分からない。
 ずっと無職の俺が飢え死にしないでやっていけてるのも不思議だ。
 まあ、俺自身が謎の人物だし、そんな人間をスパイを選ぶなんて滑稽なのだが、しかも同じ日に同じアパートの住人が、同じ仕事(スパイ)を面接にくるなんて、あまりに偶然過ぎる。 

「揃ったところで面接やるよ!」
 入ってきた面接官を見て、俺も苅野さんも椅子から転げ落ちそうになった。
 なんと、そいつは大家のババアだった! これはもう偶然といえないレベルの不自然さだろう。
「おまえたちが家賃を払わないから、アタシもアルバイトやってんだ」
 さも当然という顔つきで、この不条理を簡単に説明された。
「まず、健康診断だよ」
 自己申告の身長と体重を書類に記入、片目を瞑って、ポスターの文字を2つ3つ答えたら、それで視力検査は終了だった。
 いい加減な健康診断だ! 待てよ、視力検査だけで健康診断といえるのかあ?

「次は体力測定」
 俺と苅野さんでペアを組む、一人が上体を前にかがめて両手で自らの両足首あるいは膝を掴んで支持し、もう一人がそれを開脚しながら跳び越える馬跳び(うまとび)を、お互い馬と飛び手になって交互に10回くらいやった。
 日頃の運動不足でゼェゼェ……と息を切らしてしまった俺だが、ババアは「足腰は大丈夫そうだから合格!」と軽くOKサインだ。
 危険な任務をこなすはずのスパイが、馬跳びだけで合否を判断するなんて信じられない。

「筆記テストいくよ」
 ――が、そういう疑問を考える隙を与えず、テスト用紙が配られた。
 問題は三つだけ。Q1. 円周率を答えよ。Q2. 脱原発に賛成・反対・分からない、三つの選択肢。
 俺は円周率は3.14と書き、脱原発は分からないと答えた。隣の苅野さんのテスト用紙を覗いたら脱原発賛成を大きくマルで囲んでいた。
 そして最後の問題がまったく意味不明なのだ。

 Q3. 私が愛した【 す 】の付くものなぁに? 

 1. 酢昆布 2. すっとこどっこい 3. スパイ

 なんじゃあーこりゃあ!? 私が愛した酢昆布、これはないなぁー。私が愛したすっとこどっこい、意味分からん……?

 私が愛したスパイ 
 私が愛したスパイ?
 私が愛したスパイ!!

 その言葉のせいで、突然なにか弾けた。
 俺の頭の中に記憶が流れ込んでくる。『私が愛したスパイ』それは記憶の封印を解くためのキーワードだった。


a0216818_10051996.jpg

カクヨム 
泡沫恋歌 『さつじん脳』


   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-01-25 10:40 | ミステリー小説

居酒屋 「村さ来」

a0216818_7493387.jpg


先日、娘と一緒に居酒屋「村さ来」にいってきました。

昔、会社に勤めたいた頃は、よく職場の女性たちと『村さ来』で飲み会をやってました。
十年ぶりくらいに行ったら、ずいぶん店の雰囲気が変わってました。

以前は、ものすごく活気のあるお店だったけど、今は各テーブルを仕切っていて、
あまりお客もいなくて・・・

そのせいか、暖房が利いてなくて、ものすごく寒い! 
お酒呑む気になれんかったわ('ェ';)

a0216818_7555311.jpg
きゅうりの漬物、これが一番美味しかったかもしれない


a0216818_757237.jpg
イカの一夜干しはわりと美味しいです


a0216818_759511.jpg
とんぺい焼きはボリュームがありました!


a0216818_802192.jpg


昔、行ってた「村さ来」は、安きて、ボリュームがあって、にぎやかな居酒屋ってイメージでしたが、
久しぶりにいったら、なんか普通の居酒屋になってた(*´-ω-`)=3フゥ


村さ来 香里園店
村さ来 香里園店
ジャンル:和個室居酒屋
アクセス:京阪本線香里園駅 徒歩2分
住所:〒572-0084 大阪府寝屋川市香里南之町30-14(地図
姉妹店:村さ来 寝屋川駅前店
ネット予約:村さ来 香里園店のコース一覧
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 寝屋川×居酒屋
情報掲載日:2017年1月24日
チェーン店情報:村さ来


a0216818_881778.jpg


   ブログ
by utakatarennka | 2017-01-24 08:12 | 食べ歩き・グルメ

Dr.Yamada World ⑬

a0216818_22143262.jpg
【1920×1080】 クールで かっこいい壁紙 900+ 【フルHD】様よりお借りしました。
http://matome.naver.jp/odai/2133583394265151801?page=2


   Dr.Yamada file.13 【 スカポンタン☆ 】

 大和工科大学の地下、薬品倉庫の奥深く、『劇薬』『火気厳禁』『混ぜるな! 危険』と書かれたプレートより、さらに危険なラボがあった。
 そこには大学の疫病神と呼ばれるDr.山田とその助手の佐藤が、日夜、極秘(胡散臭い)研究に明け暮れていた。

「あれぇ? 僕のプリンがなぁ~い!」
 冷蔵庫に頭を突っ込んだまま、助手の佐藤が叫んだ。
「博士あんたか? また勝手に食べたのか!?」
「プリン二個あったから、てっきりわたしの分だと思って食べた」
 顕微鏡を覗きながら、Dr.山田が平然という。
「しかも二個とも食べるなんて……どういう神経してるんですか?」
「一個は僕の分で、もう一個は優しさだと思った」
「違う! 一個は今日の僕の分で、もう一個は明日の僕の分だ。博士の分は買ってない!」
「そうなの? 優しい助手をもって幸せだと思ったのは、わたしの思い過ごしだったとは残念だよ」
「黙れ! ぽんこつ博士」
 怒った助手の佐藤は自分のパソコンに向かった。

「佐藤くん、このデーターの分析を大至急やってほしい」
「イヤです!」
 助手の佐藤はパソコンの技術はハイレベルなのだが、いったん怒らせると一週間は研究の手伝いをやらない偏屈者だ。 
「もう、食べちゃったことだし水に流そうよ」
 機嫌を取りながら、Dr.山田がいうと、
「絶対にイヤだ! このことは日記に書いてずーっと忘れない」
「たかがプリン一個のことで、君も女々しい男だね」
 Dr.山田の言葉が、佐藤の怒りにガソリンを注いだ。
「このプリンはただのプリンじゃなぁ~い! 僕の大好きな声優のミカリンがボイスやってるんですっ!!」
 パソコンのモニターにアニメーションを流した。

『プルルン♪ プルルン♪ プルル~ン プリン♪ さあ、召し上がれ~♪』

 巨乳の萌えキャラが胸を揺らしながらプリンを食べる。そのアニメをロリ声のミカリンがやっている。
「ミカリンが宣伝してる、このプリンを買うため、あっちこっちのコンビニを駆けずりまわったんです。ご飯も食べずにプリンを探しまわった、この僕の苦労をなんだと思ってるんですかっ!」
 チンチンに焼けた薬缶のように頭から湯気を出して佐藤が怒鳴った。
「スマン! わたしが悪かった。このプリン買ってくるから」
「もういいです。家に帰ったら三つ箱買いしてます」
「プリンだらけ……」
 助手の狂信ぶりに絶句するDr.山田であった。
 佐藤はミカリン王国というファンクラブに所属していて、自分のことをミカリン姫の下僕だと思っている、熱狂的ファンなのだ。

「このデーターの分析を頼むよ」
 頃合いをみて、再び佐藤に仕事の依頼をする。
「しりません!」
「ねぇーねぇー頼む。佐藤くんだけが頼りなんだ」
 拝み倒してでもやって貰おうと、Dr.山田はプライドをかなぐり捨てた。
「だいたいさぁ~、ここの研究費ってどこから出てるんですか?」
 大学では厄介者扱い、その存在すら忘れられている山田ラボには、研究費の予算など計上されていない。
「そりゃあ、全世界百万人のDr.山田ファンからのカンパだよ」
「ファン? そんなのいるわけねーよ! 世間に見捨てられた山田ラボに、研究費くれるような物好きはいません!」
「まあ、研究費捻出のために、いろいろ副業もやってるし……」
「副業って? ニセ金つくってんじゃない?」
 ギクッ☆
「今、ギクッって肩動かなかった? 本当にニセ金つくってんの?」
「それも副業のひとつだけど……他にネットでいろいろ……」
「博士はネットで詐欺とかやってません? それって犯罪ですよ」
「バレなきゃあ、大丈夫」
 涼しい顔でDr.山田がいう。
「それに幾つかのパソコンを経由してるから、佐藤くんのも……」
「うわぁ~!! いつの間にか犯罪の片棒担がされたぁ~」
 慌てて、パソコンのIDを変更する佐藤である。
「佐藤くんほどの腕なら、ハッカーだってやれるだろう」
「こないだ、首相官邸のパソコンに侵入しましたよ」
「ええっ!?」
「ミカリンのためにお金稼いでます。いわば僕の副業」
 しれっとした顔で佐藤がいう、それも立派なネット犯罪だ。
「佐藤くんのハッキング技術なら刑務所に入ってもすぐに脱獄できるよ」
「刑務所でパソコン触らせて貰えると思う? 僕はパソコンがないと生きていけない」

 佐藤のスマホからミカリンの歌が聴こえた。どうやらメールが届いたようだ。
「ミカリンからメールが届いた!」

『下僕番号4390番 
シュガーちゃん、先日贈ってもらったゴディバのチョコ美味しかったよ。
今度は、京都辻利の京ラテとわらび餅が食べたいなぁ~♡』

 下僕の佐藤は、ミカリンの私書箱に貢物として毎月プレゼントを送っている。
「やったー、ゴディバのチョコ喜んでくれた♪」
「うむ。あれは美味かった」
「えっ、なんか言った?」
「な、なにも……」
 慌てて口を押さえるDr.山田である。なんか怪しいぞ。
「じゃあ博士、明日、新幹線で京都の辻利本店までいってきまーす♪」
 すっかり機嫌が直った助手は仕事を始めた。

 佐藤はアカウントを乗っ取られていることに、まだ気づいていない。
 Dr.山田はこんなペテン師まがいのやり方で、助手を喜ばせることが“優しさ”だと勘違いしているだけに始末が悪い。


― End ―


a0216818_14393485.jpg




   創作小説・詩
by utakatarennka | 2017-01-22 12:34 | SF小説

ふしぎ脳 ⑱

a0216818_14343390.png

ふしぎ ふしぎ 不思議がいっぱい! 
頭の中を覗いてみたい☆



   第八話 彷徨える人形 ③

 vol.Ⅵ

どのくらい、心を失くしていたのだろう?
気がついたとき、人形は薄汚い雑多なガラクタ屋にいた。
周りには信楽の狸や千成ひょうたん、七福神の置き物、
贋物くさい掛け軸などと一緒に、ガラスケースに放り込まれていた。

美しかった人形も長い年月の間に……
白いエプロンドレスは外されてなくなって、 
真紅のドレスは色褪せ、青磁の肌は薄汚れ、
髪もくしゃくしゃで、ひどく陰気臭い人形になっていた。
そんな人形を誰も買う人もなく、店先に忘れさられて……
毎日、ため息ばかりついて人形は暮らしていた。

そんなある日、貧しげな身なりのひとりの老婦人が、
人形を指差し、これが欲しいと店主に告げた。
値段のことで少し揉めていたが……
このまま店先に置いても一向に売れそうもない、
アンティークドールを、しぶしぶ老婦人に売り渡した。

久しぶりに、持ち主のできた人形は少しウキウキした。
おばあさんのキャリーバックに乗せられて、
奥まった路地の、小さな古い平屋に連れて帰られた。
だけど家の中はこじんまりして、とても清潔で快適だった。
そして人形は、ここでおばあさんとふたり暮らし始めた。

おばあさんの日課は毎朝、仏壇に手を合わせる事から始まる。
仏壇には亡くなった夫と、7歳で亡くなった娘の位牌が納められていた。
いつも仏花とお供えを絶やさなかった。
都会に息子が家族と住んでいるが、ひとり暮らしの母親の元に、
あまり訪れたことはなかった。

いつもひとりぼっちで、おばあさんは寂しそうだった。

人形のことは、亡くなった娘の名前を借りて、
『なおみ』とおばあさんは呼んでいた。 
「娘が西洋人形を欲しがってねぇ~」と人形に話しかけた。
「うちは貧乏だから、そんな高い人形は絶対に無理だからって、
買ってやれなんだぁ~あんなに早く死ぬんだったら……」
無理してでも、買ってやればよかったと、
おばあさんは後悔していた。
「最後に、なおみの棺の中に入れてやれれば良かった」
と嘆いて、
「なおみ、お母さんを許しておくれ!」
おばあさんは深いため息をついて、仏壇に手を合わせて
亡くなった娘にいつまでも詫びていた。

その姿は死んだ者より、死者の想い出にすがって生きている方が、
その何倍も悲しくみえると人形は思った――。

おばあさんと人形は毎日平穏な日々を送っていた。
人形のためにおばあさんは新しいドレスを縫ってくれた。
娘の形見の服をほどいて、ひと針ひと針と手で縫っていた。
それは少し不恰好だったけど、おばあさんの真心が込められて、
とても嬉しかった。
大事に扱ってくれるおばあさんが大好きだった。

「なおみ、じゃあ行ってくるよ」
脚の悪いおばあさんは、キャリーバックを押して、
いつものように買い物に出掛けていった。

だけど、どうしたことか?
そのまま、何日たってもおばあさんは帰ってない。
「おばあさん どこへ行ったの?」
人形は心配しながら、ひたすらおばあさんの帰りを待っていた。
暗い部屋の中で、虚しく時計の針が時を刻むのを聴きながら……

数日経った、ある朝、知らない人たちがドカドカ家の中に入ってきた。
それは都会に住む息子の家族だった。
その時初めて、買い物帰りに、おばあさんがトラックにはねられて、
亡くなったことを人形は知った。
この家に、おばあさんの遺品の片付けにやってきたようだ。
おばあさんの荷物は、ことごとくゴミとして捨てられていった。
あまりのショックに、人形は呆然としていた……

人形もゴミ袋に投げ込まれようとした、その瞬間、
「それは取っといて!」息子の嫁がいった。


 vol.Ⅶ

おばあさんの人形は、都会のマンションに連れてこられた。
マンションの室内では、2匹のコーギー犬が飼われていた。
ダンボールの箱から取り出された人形の髪を掴んで、 
息子の嫁は、犬たちに向ってこういった。
「ほらっ、新しいオモチャよ!」
人形を犬たちに放り投げた。

喜んで興奮した犬たちは、
2匹で人形を咥え、引っ張りあって遊んだ。
「やめて! やめて!」人形は泣き叫んだ!
じゃれ合う犬たちによって、
人形の髪もドレスもボロボロにされていった。
「まるで悪夢だわ……」なすがままだった。
フランスの人形職人のおじいさんが作った、
自慢の人形がぼろ屑のような無残な姿にされていく……
それはプライドの高い人形には耐え難い辱めだった!

とうとう人形は捨てられてしまった。
犬が散歩に咥えていって、そのまま公園の片隅に忘れられた。

「なんだこりゃ? 汚い人形だな!」
それを見つけた小学生の男の子たちに、
サッカーボール代わりに蹴飛ばされ、踏んづけられた。
蹴られる度に、人形は心の骨が折れるようだった。
あぁ~心が砕けていく……

今は腐敗した生ゴミといっしょにゴミ箱の中にいる。
人形のガラス玉の眼に映る空は、どんより暗く重かった。
今までの持ち主たちのことを、ぼんやりと考えていた。
結局、みんな不幸だった、いつも悲しい末路だった。
わたしの本当の名前は不幸の人形なのだろうか?

だけど、人形は何もしていない。
見ていただけに過ぎないのに……ただ見ていた。 
神さまは、何ひとつとして願いを叶えてはくれなかった。
いつだって、運命という河に流されていくしかなかった!
わたしは何もできない、ただの人形だから……

遥か西洋のフランスから、東洋の国にやってきた、
彷徨える人形の、長い長い旅路が、
ようやく終わろうとしている。
もうすぐ、ゴミの回収車がやってくるだろう。
パッカー車に投げ込まれて、こなごなに潰されて、
他のゴミと混じって、人形のカタチなんかなくなってしまう、
もう、それでいいと思った。

もし生まれ変われるなら、心の無い人形になりたい。
何もできないのに、心があるのは辛過ぎるから……
見ているだけは、悲し過ぎると人形は泣いていた。

そして、ゴミの回収車に投げ込まれる刹那 
「Je veux ne regarder rien!」人形は叫んだ。


もう、何も見たくない……


だけど、人形の声は誰の耳にも聴こえなかった。


― 彷徨える人形 完結 ―




a0216818_1758381.jpg




   創作小説・詩
by utakatarennka | 2017-01-21 10:50 | ファンタジー小説

ふしぎ脳 ⑰

a0216818_14343390.png

ふしぎ ふしぎ 不思議がいっぱい! 
頭の中を覗いてみたい☆



   第八話 彷徨える人形 ②

 vol.Ⅳ

煤けた貧相な骨董品のお店だった。
蚤の市に並ぶような、ガラクタと一緒に、
ガラスケースに入れられ、人形は店の片隅に飾られた。

あんな女の姿を見なくて済むと思っただけで、
むしろ清々した気分で人形は嬉しかった。
ただ、あの青年のことだけが気がかりだった――。
「今ごろ、どうしているのだろう?」
ひとり部屋に取り残されて、絶望した彼の姿が浮かんできて、
胸が締め付けられた。

どのくらい、経っただろうか……
ガラスケースの上に、うっすら埃がかぶる頃に、
人形は誰かの視線を感じて眠りから覚めた。
眼鏡をかけた小柄な東洋人の男がひとり、
しげしげと食い入るように人形を眺めていた。
やがて店主に声をかけ、
たどたどしいフランス語で値段の交渉を始めた。
あら、わたしを買うつもりなのかしら?

彼は仕事でフランスにきていた旅行者だ。
祖国で待つ、妻へのお土産にアンティークドールを探していた。
この店で人形を見るなり、「これは掘り出し物だ!」と内心喜んだ。
しかしながら、幾らかでも値切って買おうと彼は必死だった。
もう何年も売れ残っている人形にうんざりしていた店主は、
東洋人の男のいう値段に譲歩して人形を売り渡した。

そして人形は彼の旅行鞄に詰められて、
何日々も船に揺られ、見知らぬ国へ連れて来られた。
そこは言葉も習慣も全く違う、 JAPONという東洋の国だった。

やっと窮屈な旅行鞄から取り出された人形を、
ひと目見るなり、東洋人の男の妻は歓喜の声をあげた!
「まあ、なんて綺麗なお人形なの!」
その美しさに目を見張った。
奥さんは、『メアリー』という名前を人形に与えた。

人形好きの奥さんは、部屋いっぱいに人形を飾っていた。
それは東洋の人形で、市松人形と呼ばれている。
黒い髪とキモノを着た、少女の人形たちだった。
市松人形たちが解らない言葉で話していた。
「あの人形、髪の色が黄色いわ!」
「目も青いのよ! ヘンな格好だし、みっともないわね」
「本当、なんて気持ち悪いんでしょう!」口々に人形を罵った。

西洋人形の彼女は、みんなから除け者扱いされたけど……
ひと目みるなり人形が気に入った奥さんは、
お部屋の一番良いところに人形を飾ってくれた。
居心地の良い家に、とても満足していた。

奥さんは、出張がちで留守の多い夫をいつも家で待っていた。
夫婦には子供はなく、ひとりぼっちで孤独な時間が長かった。
家事を済ませたら、庭のお花をいじったり、愛猫とじゃれて遊んだり、 
人形相手におしゃべりをしたりして、一日を過ごしていた。
そうやって、淋しさを紛らわせようとしていたのかもしれない。

そんな奥さんが、この頃そわそわして気もそぞろになった……
窓辺でため息をついたり、毎日、誰かに手紙を書いていると、
ときどき夢みる乙女のような瞳の色になった。

ある日、ひとりの男性が奥さんを訪ねてきた。
どう見ても、奥さんよりずっと年下らしい男性は、
優しげな声で話しかけていた。 
はにかんだ奥さんは下ばかり向いて、男性の顔をまともに、
見れずに頬を赤らめていた。
突然、男は奥さんの手を握ると抱き寄せた。

ふたりは惹きあうように抱き合ったままソファーに崩れた。
「まあ、奥さんなんてことを!?」人形は驚いた。
純情な奥さんが、夫以外の人、
この男性を好きになったのだと分かった。

奥さんは夫の留守中、家でこの男と逢うようになっていった――。


 vol.Ⅴ

ふたりの蜜月は、そう長くは続かなかった……
ついに奥さんの浮気が、夫にバレてしまったのだ。

それから人形が見たものは、凄惨な夫婦の修羅場だった。
妻の浮気に激怒した夫は、奥さんに暴力をふるうようになった。
大人しく優しかった旦那さんは、 まるで人格が変ったみたいだ。

奥さんが可愛いがっていた猫を殺した。
夜になると、寝室で妻を殴ったり蹴ったりした。
人形に聴こえてくるのは、毎晩、毎晩……
旦那さんの怒号と、奥さんの悲鳴と号泣だった。
人形は、誰かに助けを求めて叫びたかった。
「お願い! 奥さんを助けて!」
「このままでは、旦那さんに殺されてしまう!」
人形も泣き叫んでいた、何もできない人形の身が悲しい。
奥さんを助けたくても、動けない無力な自分に絶望していた。

一日中、奥さんは外出もしないで家で臥せっていた。
夫に殴られた傷が痛むのか、苦しいそうに呻いていた……
特に顔は紫色に腫れあがり、切れた唇から血が滲んで、
とても痛々しかった、その顔を見るのが人形には辛かった。
奥さんは鏡で自分の顔を見て泣いていた。

女の顔を、こんなになるまで殴るなんて!
人形は激しい怒りで心がどす黒くなるようだった。
いくら妻の浮気を許せないとはいえ、あまりに酷すぎる。
そんなに憎いのなら、なぜ別れないんだろう?

妻を殴りながらも、彼は妻を愛していた。
それは嫉妬という、男の執着心だった。
あまり深く深く愛し過ぎて…… 
愛と憎しみの境界線が見えなくなっていたのだ――。

なぜ奥さんは夫の暴力から逃げないんだろう?
……ただ、彼女は待っていたのだ。 
この家にいれば、恋人が助けに来てくれると信じて……
だけど恋人の若い男は夫に凄まれて、
奥さんを見捨てて逃げてしまっていた。

愛は哀しい、人間は悲しい、と……人形はそう思った。

ついに、怖れていたことが起こった。
真夜中、家の中に男の絶叫が響き渡った!
その声に、恐怖で人形は身の毛がよだった。
「あの声は旦那さんの声だわ、いったい何が起こったの?」

いきなり部屋のドアが開いて、奥さんが入ってきた。
長襦袢の前がはだけ半裸身、全身におびただしい血を浴びて……
手には血のついた包丁が握られていた。
ひと目でなにが起きたのか、人形にも察しがついた。
奥さんは、ついに夫を殺してしまったのだ!

真っ赤な血のついた手で、奥さんは人形を掴んだ。
胸に抱きしめて、愛おしそうに頬ずりをした。
奥さんは誰かの名前を呟いていた、何度も、何度も……
その名前は奥さんをもて遊んで逃げた。
あの若い男の名前だった!

男の名を呼びながら、奥さんは泣いていた。
涙をぽろぽろこぼしながら…… 
子供のように声をあげて、泣きじゃくっていた。
それは、あまりにも哀れな女の姿だった。
人形も一緒に、奥さんと声をあげて泣いた。

やがて、奥さんは放心したように……
ゆっくりと、包丁の刃の先を自分の喉にあてた。
「奥さん、何をするつもりなの!?」人形は驚いた。
「やめて、やめて! お願い馬鹿なことはしないで!」

大きく頷くように、包丁で自分の喉を刺し貫いた。
悲鳴と共に鮮血が降ってくる、人形のドレスにも、髪にも、顔にも……
ぜんぶ奥さんの血だ! 血が雨のように降ってきた。
「お願い、死んじゃあダメよ!」人形は叫んだ。

「奥さん、奥さん! 死なないで!」

奥さんは人形を抱きしめたまま、こと切れた……
あまりに凄惨な死ざまだった、そして人形も心を失った……

そして世間では、人形のことを『血塗られた人形』だと呼んだ 。




a0216818_17465390.jpg




   創作小説・詩
by utakatarennka | 2017-01-20 17:49 | ファンタジー小説

ふしぎ脳 ⑯

a0216818_14343390.png

ふしぎ ふしぎ 不思議がいっぱい! 
頭の中を覗いてみたい☆



   第八話 彷徨える人形 ①

 vol.Ⅰ

路地裏のゴミ箱に人形が捨てられていた。
散乱腐敗したゴミの中で、汚い人形は周りに同化してみえた。

その人形は古いアンティークドールだった。
青磁の肌に碧眼、金髪のカールが美しかった人形だが、
今は泥で汚れドレスは破れ髪はクシャクシャで、
千切れた片方の足はどこにも見当たらない。
ただ憐れな姿を晒していたのだ。

――人形は泣いていた。
青いガラスの瞳は曇った空を映して……
見えない瞳は哀しみの雫で濡れていた。

19世紀のヨーロッパはイギリスの産業革命と、
フランス革命の影響のもと、東西文化が著しく交流した時代であった。
人形の世界においても、流行のファッションを身に着けた、
パリジャンヌと呼ばれる人形は、華やかなパリの空気を伝える、
美しい存在として女の子たちの憧れの的だった。

19世紀パリの街角、人形工房でビスクドールの彼女は作られた。
年老いた人形職人のおじいさんは人形に『カトリーヌ』という名前をつけた。
青磁の肌と青いガラスの瞳、真紅のドレスと白いエプロンドレス、
子供の姿態をしたベベ・タイプの、それは華やかで美しい人形だった。
ずっとおじいさんの自慢の作品であった。
お気に入りのカトリーヌを、おじいさんは最後まで手放さずに、
ずっと自分の工房に置いていた。

ある夜、おじいさんは人形のカトリーヌ相手に若い頃の話を始めた。
青年の頃、心から愛した女性と結婚できなかったこと、
どうしても彼女のことを忘れられなくて、おじいさんは生涯独身を通した。
『カトリーヌ』とは、おじいさんが心から愛した女性の名前だった。
人形はその人の容姿を写して作られていた。
青磁の肌、金色の髪……そして青い瞳は、
おじいさんの哀しみを湛えて泣いているみたいに潤んで見える。

おじいさんは愛した人の面影を写した人形のカトリーヌを、
深く愛していたから、まるで恋人に囁くように話しかけていた。
人形のカトリーヌはもちろん話すことはできなかったが、
おじいさんの話すことは理解できた。
たぶん、あまりに精魂を込めて作った人形だったので、
心が宿ったのかも知れない。
カトリーヌはおじいさんの傍で長く一緒に暮らしていた。

だが、寒い寒い冬の朝、年老いたおじいさんは、
心臓発作を起こして、あっけなく亡くなってしまった。
発作を起こしたおじいさんは苦しみもがいていたが……
やがて息絶えて、動かなくなってしまった。
その一部始終を人形は見ていたが、何もできずに、
「おじいさん、おじいさん……」と、
ただ叫び続けるしかなくて、
張り裂けそう悲しみで、青い瞳は蒼く沈んでいった。

おじいさんの最後の言葉は「カトリーヌ愛してる……」だった。


 vol.Ⅱ

人形職人のおじいさんが亡くなって、カトリーヌは遺品になった。
生前に取引のあった人形店に引き取られ、お店のショーウィンドウに
カトリーヌは飾られた。
自分が売り物になるなんて、想像していなかったカトリーヌにとって、
それは屈辱だった。

お店の人形たちは、カトリーヌを見て意地悪な声で、
「あなたのドレスは流行遅れだわ」
「なんて、陰気な瞳の色なの?」
「生意気な顔ね!」
口々に嫌味を言われたけれど……
おじいさんが作った自慢のビスクドールとして、 
カトリーヌは誇りを持っていたから、何をいわれても胸を張っていた。

そんなある日、ショーウィンドウに飾られた人形は、
プチ・ブルジョワの小さな娘の目に留まった。
彼女はカトリーヌを見た瞬間、桃色の頬を更に紅潮させて、
「まあ、とっても可愛い人形だわ!」
キラキラと瞳を輝かせた。
「お父さま見て、この人形の青い瞳がとても素敵よ」
傍らの父親に指で示す。
「ねぇ、この子はうちに来たいっていってるみたい」
ひとり娘を溺愛している父親は、可愛い娘のおねだり勝てない、
その場でお金を払って人形を買った。

小さな娘の胸に抱きしめられて、 
カトリーヌは新しい家に引き取られていった。
「あなたは今日から、わたしの妹よ」
ずっと妹が欲しかった、小さな女の子は人形に、
『ミッシェル』と、新しい名前をつけた。
わたしにはカトリーヌという名前がありますといったが、
その声は誰にも聴こえない。

いつも可愛い少女の胸に人形は抱かれていた。 
眠る時にはベッドの傍に置かれて、窓辺から差し込む月明かりで
安らかに眠る少女の寝顔を眺めるのが好きだった。
この天使のような無垢な魂の少女のことを、人形も深く愛していた。

やがて少女から成長した彼女は美しい娘になった。
「ミッシェル、わたし好きな人ができたの!」
柔らか頬を桃色に頬を染めて、人形だけにうちあけ話をした。
娘の好きな人の話を人形は微笑みながら聴いていた、
心から、この娘の幸せを願いながら……
この娘と暮らす日々が、人形にとって満ち足りた日々でした。

それなのに……、ああ、神さまはあまりに残酷だった!
18歳の誕生日を目前に、喘息の発作で娘は天に召されてしまった。
なんてこと! 娘の死が信じられず人形は茫然とする。
悲しみの青い瞳は、毎日々、娘の姿を探し求めていた……

突然、愛娘を失った父親はショックで酒びたりになった。
母親は悲しみで憔悴して病気になり寝込んでしまった。
人形は淋しい家族の末路を、その瞳に映して……
青い瞳は蒼く蒼く翳っていく……
ああ、心の中に悲しみの雨が降ってくる。


 vol.Ⅲ

ある日、ひとりの青年がこの悲しみの家を訪れた。
亡くなった娘の遺品を何かくれまいかと、父親に所望した。
彼こそが、娘が生前の好きだったその人だ。

青年の一途な娘への想いに、父親は心打たれて、
「娘を思い出すから、これを見るのが辛い……」と、 
娘が可愛がっていた人形を、形見として、その青年に手渡した。

そして人形は青年の住むアパートメントへ連れて行かれた。
さっそく人形に「マリアンヌ」と、娘の名前をつけて呼んだ。

貧乏画学生の青年の部屋には、
生前の娘の生き生きとした姿態を写した、
キャンバスが何点も置かれていたが……
それが返って人形には娘を思い出して、とても辛かった。 

青年は絵を描きながら、人形相手に亡くなった娘の、
思い出話をよくしていた。
ふたりでよく行ったカフェのこと、一緒に観たオペラのこと、
初めてマリアンヌを抱きしめてキスした時の感動やら……
そして最後はいつも泣いていた、人形も一緒に泣いた。
人形と青年は悲しみを分ち合った。
この純粋な青年を人形も好きになり始めていた。

けれど若い彼にはやがて新しい恋人ができた。
その女は絵のモデルだといっていたが、
真っ赤なルージュと派手なドレス、強い香水をプンプンさせた、
まるで娼婦のような女だった。

初めて青年の部屋に訪れた時、いきなり人形の足を掴んでから、
逆さまにして、
「あら、まっ、人形のくせにパンティだって穿いてるわ! ぎゃははっ」
大口を開けて、下品な声で笑った。
最低の女だと思った! 人形は怒りと屈辱で頬が熱くなった!
なぜ青年がこんな女を好きなったのか? 
人形には到底理解できなかった。

“生身の人間は、しょせん思い出だけでは生きてはいけない”
そのことを人形には理解できるはずもない。

やがて、ふたりは青年のアパートメントで一緒に暮らし始めた。
その女は人形を手荒く扱った、自慢のドレスにワインをこぼしたり
癇癪を起こして床に投げつけられたりした。
「なんて酷い女!」人形は彼女を嫌悪していた。
しかも、その女は派手で金使いが荒く、借金まみれだった。
好きになった女を救えるのは、自分しかいないという自負から…… 
青年は好きな絵を諦めて、朝から晩まで女のために働きはじめた。

それなのに……
青年がいない日、女は昼間から男をくわえこんで情事に耽っていた。
その嬌声に人形は目と耳を塞ぎたかった。
「こんな女は、死んでしまえ!」心で何度も呪っていた。

そんな日々が続いた、ある日……
ついにその女は新しい恋人と、青年が留守の日に出ていこうと、
荷物をまとめていた。
やれやれ、これでまた平穏な日々を送れると思っていた人形だったが、
部屋を出て行くときに何を思ったか?
女がいきなり人形を掴んでバックの中に乱暴に突っ込んだ。
「嫌っ! わたしをどうつもり?」人形は叫んだ!

アンティーク雑貨のお店に、人形は売られてしまった――。




a0216818_17355694.jpg




   創作小説・詩
by utakatarennka | 2017-01-20 17:38 | ファンタジー小説