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かんどう脳 ⑧

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言葉が胸を打つ! あなたの脳が震えだす!!


   第四話 マニキュア ③

 朝方、枕もとに置いた携帯で起こされた。
 時計を見れば五時半……誰がこんな早い時間から、液晶画面には「紗江子」の名前が表示されている。
「もし……もし……」
 半分寝ぼけマナコで通話する。
「ああ……あ、あなた……あなた……」
 ひどく取り乱していて、なにを言っているのかよく分からない。
「どうしたんだ? 落ち着いて話せ……」
 紗江子の声の調子に只ならぬものを感じて、俺の眠気も一気に飛んだ。
「莉子が……莉子が倒れた……救急車で運ばれたけど……ううぅ……」 最後は泣き声に変わっていった。
 なんとか搬送先の病院を訊き出して、俺は急いで病院に向かった。通りで拾ったタクシーの中でどうしようもない悪い予感に指先がブルブルと震えた。莉子、莉子に、いったいなにが起こったんだ……?

 病院の受付で訊いて急いでいったら、莉子の病室にはだれもいなかった――。
 どうしたものかと病室の中で右往左往していたら、ベッドを片付けにきた看護師が、遺体を病理解剖するので手術室に運んだと告げられた。
「病理解剖だと!?」
 その言葉を聞いた、途端、我が耳を疑った。
 解剖ということは……死体? 莉子は亡なくなっている? まさか、嘘だ! そんなこと信じないぞ……昨日の夕方まで一緒に居たんだ。十ヶ月振りに娘といろいろ話をした、そして、もう一度、家族をやり直そうと俺は誓った。
 それなのに……それなのに、嘘だろう? こんなことが信じられるかっ!

 手術室の前の長椅子に、魂の抜けた人形みたいに紗江子が茫然と座っていた――。
 こんな早朝でだれも駆けつけてはくれないのだろう。元々、ひとり娘の紗江子には親戚は少ない。俺の方の親戚なんか付き合いもないし……。
 紗江子はショックが強過ぎて、泣くこともできない、事実を受け入れられない状態なのだろう。虚ろな眼で……泣き笑いみたいな表情だった。
「紗江子……」
 ピクリとも動かない。
「おい、紗江子……」
 肩に手をかけて、軽く揺らすと俺を見て、一瞬薄く笑った。
「あなた……」
 そう言うと、見る見る瞳に涙が溢れ出して、いきなり俺に縋って嗚咽を漏らすと、大声で赤子のように号泣した。そんな妻を抱きしめて、俺も心の中で号泣していた。
 まさか、まだ十六歳になったばかりの娘が親より先に逝くなんて……そんな理不尽をどうやって受け入れたらいいんだ。
 これはきっと悪夢なんだ! 俺はまだベッドで眠っている……。なあ、そうなんだろう? だれか夢だといってくれい!
 ひと気のない、早朝の病院の廊下で夫婦は抱き合って泣いた――。

 病名は「急性白血病」だと医師に告げられた。

 昨夜、十時半頃に紗江子が自宅に戻ったところ、リビングで莉子が大量の鼻血を流して意識不明で倒れていたという。一週間ほど前から、体調が悪いと訴えていたが、微熱があるし、たぶん風邪くらいだと思っていた。
 三日前から学校を休んでいたが、もう高校生なので、ひとりで病院に行って診察して貰うように言い置いて、紗江子はいつものように仕事に出掛けたという。七時頃に先輩の家に行くとメールがあったので、ああ、大したことなかったのだと安心していた。
 それが……帰ったら、真っ赤な血の海で莉子が倒れていたので、慌てて救急車を呼んだが、意識が戻ることなく、搬送先の病院でそのまま息を引き取った。
 病理解剖の結果、脳内出血を起こしていたらしい。

 俺は莉子の通夜も葬儀もなんだか他人事をみているような気分だった。
 ショックが強過ぎて、莉子の死をどうしても受け入れられない。――きっと、紗江子もそうだろう。ずっと放心したように……押し黙ったまま、俺に寄り添っている。
 だが、火葬場で白い骨になった莉子を見た瞬間、急に大声で「いやー、いやー!」と赤子のように駄々を捏ねて、人前で号泣した。骨になってしまった我が子の姿を受け入れられず、紗江子は泣き叫ぶ。とてもあの敏腕、女社長とは思えない取り乱し方だった。――俺だって、妻と一緒に泣き叫びたかった。
 あまり残酷な運命、親が子どもの骨を拾うなんて……そんなことを百分の一でも想像したならば、絶対に子どもなんて作らなかった! 莉子の未来は閉ざされて、俺たち夫婦の夢は挫かれた。

 ――俺は紗江子の元へ帰っていった。とても彼女をひとりにはできない。
 子どもを亡くした夫婦ふたりはもう食べていけるだけの収入さえあれば、それで充分だった。
 デザイン会社は父親の代から勤めている信頼できる社員に任せることにした。俺は会社からから依頼されたイラストや企画レイアウトを自宅でするだけの仕事になった。
 今までの罪滅ぼしに、出来るだけ紗江子の傍に居てやろうと思っている。

 紗江子はすっかり無口になって、なにもしゃべらなくなった。
 亡くなった日から、そのままの状態にしてある莉子の部屋に入っては、寝乱れたままのベッドや放り投げられている学生鞄、読みかけの雑誌、そのひとつひとつを手に触れて……静かに涙を流している。
「紗江子……」
「…………」
「泣くな、泣いても莉子は、この部屋には戻って来ない」
「――あたしのせいだわ。ちゃんと健康管理してやらなかったから……仕事に追われて、外食や買ってきた惣菜ばかり食べさせていたから……それで、あんな病気になったのよ」
 紗江子は莉子の死は自分のせいだと深い後悔と自責の念を持っていた。
「違うよ。――俺が悪いんだ。自分勝手なことばかりして、おまえに仕事の負担をかけたせいで、莉子のことをちゃんしてやれなかったんだ」
「たった十六で死なせてしまった……もっと生きて、花嫁衣装も着させてあげたかったのに……莉子、ママを許して……」
 泣きじゃくる紗江子を優しく抱きしめる。――初めて、俺は妻が愛おしいと思った。
 こんなことになったのは全部、この俺が悪いんだ。もっと人生を真面目に生きていたら……莉子は死ななくて済んだのかもしれない。
 俺たち夫婦の不仲が莉子にとって大きなストレスだったことは間違いない、それがほんの少しでも影響してるとしたら……莉子の死を親の責任だとして、俺たちは死ぬまで自分自身を責め続けるだろう。
「父親としても、夫としても……俺は最低の人間だった。許してくれ莉子、紗江子」
 そのとき、床に頭を擦りつけて、初めて妻に謝罪した。

「俺は頼りない夫かもしれないけれど、悲しみをふたりで分かち合うことくらいはできる。おまえの傍にいてもいいか?」
「あなた……」
 その言葉に紗江子の瞳から大粒の涙が零れた。
 たぶんこれは俺にとって初めてのプロポーズだ。我が子を亡くして血の絆はなくなったが、まだ夫婦の『絆』が残っていた。
 莉子が俺に取り戻して欲しいと願っていたのは、これだったのだろうか?
「ふたりで莉子に罪滅ぼししよう」
 この十字架を背負って、ふたりで寄り添って生きていこう。


 天国にいる莉子へ
皮肉なことに、莉子おまえを亡くして父さんは初めてママを本気で愛することができた。かけがいのない我が子を喪ったという、共通の苦しみが俺たちの心に深い絆を作った。

『ママを頼んだよ』

 おまえはダイイングメッセージとして、その言葉を俺に伝えるためにきたか。
 万引きまでして、俺に伝えたいことを言った、あの最後の日は、おまえと少しだけ本音で話ができたのが嬉しいよ。
 小さい時から莉子は勘の鋭い子どもだったから、自分の運命が見えていたんだろうか? それで大好きなママのことが心配で、俺に頼みにきたんだな。
 心配するな! ママを大事にするから、決してママの傍から離れない。

 ――天国にいる莉子に誓うよ。
 いつか、ママの笑顔が戻るまで……。
 マニキュアのように、ママの心の傷をコーティングしてやるさ!


― 完 ―



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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-02-23 20:49 | 現代小説

かんどう脳 ⑦

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言葉が胸を打つ! あなたの脳が震えだす!!


   第四話 マニキュア ②

 ドラッグストアから駅に向かって親子で歩いていく。駅前は帰宅途中のサラリーマンたちの人の群れで賑わっていた。
 俺は万引きをした娘をどうやって叱ればいいのか考えていた。
 昔から人を責めたり、怒ったりするが苦手な人間だったから、そういう場面に出くわしたら、いつも曖昧な態度で逃げてきた。――だが、さすがに今回はそうはいかない。
 莉子はひと言もしゃべらない、なにがあってこんなことをしたのか分からないが……十ヶ月振りに見る娘は、蒼白い顔で俯いて歩いていた。
「なぜ、父さんを呼んだんだ?」
「…………」
「ママじゃなくて、俺を呼んだのは訳があるのか?」
「だって、ママは忙しいから……」
 紗江子はいつも遅くまで会社に残って仕事をしている。そうか、俺みたいな仕事をしない社員のせいで、社長はいつも残業ばかりだ。莉子の言葉に初めて少し反省した。
「――そうだな、家まで送ろうか?」
「ううん。お父さんの家に行きたい」
「えっ!」
「ダメなの?」
 探るような目で莉子が俺を見た。
「いいや、構わないけど……部屋汚いぞ、いいのか?」
「うん」
 たぶん、引っ越ししてから二、三度しか掃除をしたことがない。しかも掃除機がないので適当にホウキでパッパッと掃いておしまいという、いい加減さである。俺は女を部屋に連れ込むのが嫌いなので清潔にしておく必要もないのだ。

『クラブの先輩の家に行くから、帰り遅くなります』
 紗江子にメールを送ってから、莉子は俺の部屋に付いてきた。
 ちょうど玄関に唐揚げ弁当があったので、食べるかと訊くと「うん」と頷いた。冷めていたのでレンジで温めて、冷蔵庫の缶コーヒーと一緒に手渡した。
 ふと、いつも帰りが遅い紗江子だが、莉子の食事なんかどうしているのか気になった。俺が一緒に暮らしていた頃は、紗江子の帰りが遅い日には莉子とファミレスにいったり、ふたりで料理を作ったりしていた。
 マンションのダイニングキッチンで、ひとりぼっちの食事をしている莉子の姿を想像すると……やけに切なくなった。
 黙々とお弁当を食べている莉子の側で、俺は缶ビールを夕飯の替わりにする。
 やはり、なぜ万引きをしたのか理由を訊かなくてはならないだろう。叱るのは理由を訊いてからにしようと思い、ひと口ビールを呑んでから莉子に話しかけた。

「ママと何かあったのか?」
「別に……」
「学校でイジメられてるとか?」
「ないよ」
「じゃあ、どうして万引きなんかしたんだ」
 俺の問いに、莉子は箸を置いて食べるのを止めた。
「――父さんを怒らせたかったから」
「えっ?」
 莉子の言葉に驚いた。
「父さんって、昔から本気で莉子を叱ったり、怒ったりしたことがないよね? いつも物分かりが良いんだ。いつだってそう、傍観者の振りして見て見ぬ振りをしている。面倒なことや厄介なことになったら、素知らぬ振りして逃げてばかりだもん。お父さんって自分のことしか興味がないんだね? それってエゴイストだよ」
 無口な莉子が一気にしゃべった。
 俺はエゴイストか? たしかにそう言われればそうかもしれない。他人に腹を立てないのは、しょせん、どうでもいいと思っているからで、昔から他人とトラブルを起こすのが嫌いだった。だから相手が怒りだす前に、いつも適当に謝ってことを済ませてきた。
 エゴイストねぇー、自分ではそう思っていなかったが、莉子に言われると……なるほど、そうかもしれないと妙に納得した。
「父さんは生きるのがヘタな人間なんだ」
「だから、自分だけ楽になろうとする訳?」
「いいや、そうじゃないけど……」
「そんなの言い訳になってないわ!」
 今日は母娘で俺のことを責めやがる。
 十六歳の娘からこんな辛辣な人間批判されようとは思わなかった。――俺が家を出た後、十ヶ月の間になにがあったんだ?

「さっきドラッグストアの店長が、俺に奥さんをお大事にって言ったけど、あれはどういう意味なんだ?」
 話題をそれとなく変えた。
「あれは……ママが癌で入院しているって言ったから……」
「ええー? 紗江子は、今日も俺に会社で怒鳴っていたぞ」
「嘘よ。そう言って同情を引いたら、少しでも赦して貰えるかと思って……」
「そうか、さすが俺の娘だ。おまえも悪知恵がはたらくようになったなぁー、あははっ」
 俺が茶化すと、莉子がむきになっていい返した。
「父さんは何も分かってない! ママ身体は元気だけど、心はボロボロなんだよ」
「……なんで?」
「ママは仕事で遅くに帰ってきて、いつもキッチンのテーブルでため息つきながら、お酒飲んでいるんだよ。きっと寂しくて悲しいんだと思う。お父さんが出ていったから……」
「まさか? あいつは俺の顔を見るといつも憎々しげに嫌味ばかり言いやがる」
「ママは今でもお父さんが好きなんだよ。――実は離婚届けもまだ役所に持っていってないの」
「ホントに? 紗江子がどうして旧姓に戻らないのか不思議だったが、莉子の名字が変わると世間体が悪いからだと思っていた。そうか……まだ夫婦のまんまだったのか……」
 莉子の口から初めて紗江子の心情を聞いた。
 俺の前ではいつも突っ張っているが、こんなに傷ついていたとは想像もしていなかった。あいつは強い女だと思っていただけに……意外だった。

 元々、この結婚は紗江子が一方的に俺に惚れたところから始まった。
 当時父親の会社に入ったばかりの俺に、紗江子はなにかと親切にしてくれた。いつの間にか、お昼のお弁当まで作って持ってきてくれていた。
 だが俺は紗江子以外にも二人の女と付き合っていた。ひとりは美大時代からの女友だちで紗江子と付き合うまでは半同棲していた。もう一人は十歳年上の人妻でお小遣いをくれる、セックスだけの関係だった。
 たまたま、紗江子が妊娠したので結婚したまでで、ホントのところ俺は、三人の女のだれでも良かったのかもしれない。
 ぶっちゃけ、俺という人間は今まで女を本気で愛したことがない。愛という名の元で、自由を拘束されたり、干渉されるのが嫌だから、いつも女たちとは距離を置いて付き合っていた。女にも、仕事にも、家庭にも、そんな足枷で縛られるのは真っ平御免だ!
 ――たとえば、雲のようにふわふわと自由気ままに生きていたかった。
 そんな俺だから、社長の椅子を紗江子に譲ったら、やれやれ……肩の荷が下りたとばかりに、妻が経営の建て直しに躍起になっている姿を尻目に、会社の金で遊び回っていた。そして水商売の女との浮気がバレて、紗江子の逆鱗に触れた。
 離婚届けの用紙を突き付けられた時も、《まあ、紗江子が怒るのも当然だわなぁー》と半分あきらめムードで判子を押したのだ。
 まさか、こんな俺にまだ未練を持っていることが信じられない。

「莉子に前から聞きたかったんだが、どうして俺は“父さん”で、紗江子は“ママ”なんだ? 普通、両親の呼び方って揃えるもんだろう?」
「うん。お父さんは『家族』だけど、ママは『身内』だもん」
「身内? そうかママは莉子にとって身内なんだ」
 たしかに母と子は胎児のときは子宮の中で臍の緒で繋がっている、こればかりは男には勝てない『絆』の深さがある。――だから父親は家庭の中で孤独になってしまうのかもしれない。しょせん、男は『家族』しかなれない存在なのだから……。
「――だから、莉子にはママの気持ちが分かるんだ」
「そうか、羨ましいなあ。だったら俺の入り込み余地なんかないじゃないか」
 さっき娘の言葉に、柄にもなく俺は傷ついていた。
「違うよ! ママは強がって、父さんには突っ張っているけど、本当は父さんがいないとダメなんだ。キッチンでため息つきながらお酒呑んでるママの姿なんか見たくないよ。ママ、本当は父さんに帰ってきて欲しいんだ。今でも父さんが使っていた部屋をきれいに掃除しているんだから……あたし父さんもママも好きだよ。どっちか親を選ぶなんて……できないよ! お願い、ママの元へ帰ってきて……」
 いつもは無口な莉子がひどく饒舌なのに俺は驚いた。
 そんなにママのことが心配なのか? 万引きをしたのも俺に訴えたいことがあったから? 今、目の前にいる娘は俺の知っている莉子ではないような気がした。
 しかし、そこまでして両親を仲直りさせたいと思う気持ちが健気だった。
「――そうか、一度ママと話し合ってみるよ」
「お願い……」
 さすがの俺もひとり娘の頼みには弱い。
 言いたいことだけ言ったら、胸がスッとしたのか、携帯の時計をチラッと見て「もう帰るわ」立ち上がって玄関の方へ歩いていく、時刻は八時を少し過ぎたところだ。心配なので家まで送ると俺は言ったが、莉子は通りに出たらタクシーを拾って帰るからとすげなく断った。
 じゃあタクシーを拾うまで、ふたりで通りに出て探そうと言ったら、タイミングよく空車がきたので、手を上げて停車して貰った。久しぶりに会った娘と少しでも長く居たかった、そんな子どもみたいな俺がいる。
 タクシーに乗り込む時、俺の方を向いて、
『ママを頼んだよ』
莉子が薄く笑った、その透明の笑顔が儚げで切なくなった。

 タクシーを見送った後、ひとりで部屋に戻った。――見れば、莉子の座っていた場所にぽつんと赤いマニキュアが置かれていた。万引きした品物なので俺のとこに置いていったんだろう。
 なぜ、マニキュアなんか……ふと思った、家族は長く一緒に暮らしていると、いろんなモノが剝がれて、嫌なモノまで見えてくる。その度にネイルを塗って、傷を隠して体裁を整えて暮らしていけばいいってことなんだ。
 もう一度、家族三人でやり直そうかと俺は考え始めていた。



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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-02-22 20:05 | 現代小説

かんどう脳 ⑥

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言葉が胸を打つ! あなたの脳が震えだす!!


   第四話 マニキュア ①

「おはよう……」
 ドアを開けて挨拶をした途端に、俺の目の前にいきなり冊子のようなものが飛んできた。
「遅い! なにやってたの? もう十一時過ぎよ、打ち合わせは十時からとメールしたでしょう!」
 女社長はカンカンに怒っている。
 無理もない遅刻はこれで三回目だ。やる気があるのかと問われたら……さあ、どうだろうか? と答えるしかない、この俺だった。
 俺、河野啓司(こうの けいじ)は、バツ一、中年、金なし、やる気なしの最悪の人間だ。十ヶ月前に妻と離婚、原因は俺の浮気がバレて……浮気癖の治らない夫に、ついに妻の堪忍袋の緒が切れた! 目の前に離婚届けの用紙を突き付けられた。
 そして俺は家から追い出されてしまったのだ。――元々マンションは妻の名義だったので、俺はわずかな荷物を持って家から出ていった。今は小さなワンルームマンションでひとり暮らしだ。
 なによりも辛いのは……今年、高校生になったばかりの最愛の娘、莉子(りこ)と会えないことだった。これも身から出た錆なので仕方ないか……トホホ。
 さて、目の前で俺に悪口雑言、怒りのオーラで罵る女社長こそ、なにを隠そう、元妻の紗江子(さえこ)である。

 元々俺の勤めているデザイン事務所は、紗江子の父親の会社だった。
 美術大学を卒業したが就職もしないでブラブラしていた俺に、大学の先輩がこの会社を紹介してくれた。従業員十数人でやっているこじんまりしたデザイン会社だが、居心地は悪くなかった。
 最初はアルバイトのつもりで軽い気持ちで入社したが、当時父親の会社で経理事務をやっていた、社長の娘の紗江子とデキちゃって……。
 そのまま結婚して、婿養子みたいなカタチで義父の会社で働いていた。

 生まれついてダメな男のオーラが漂う俺は、今までの人生なんとなく女にはモテてきた。
 今も社内では十歳年下の派遣社員の女と付き合っているし、行きつけの飲み屋の女将とはもう五、六年の付き合いだ。
 たぶん俺という男は会社員より、ヒモかジゴロが向いているんだろう――。出来れば、働かないで《女に食わせてもらいてぇー》みたいな。
 そんなことを考えながら社長紗江子の長い説教を馬耳東風で聴いていた。

「――で、分かってるの? 河野さん!」
「……はい」
「遅刻の理由はなんなの?」
「いやそのう、目覚ましのアラームが鳴らなかったんで……」
 俺の言葉に彼女は眉根を寄せてこちらを睨んだ。なにか感に触ったみたいだ。
「アラームが鳴らなかったとか、靴紐がうまく結べなかったとか……いつもそうやって、だれかのせいにするのね。それで世の中渡っていけると思ってるの?」
 無責任な俺の性格を知ってるくせに、今さら責められてもなあー。
「こんなやる気のない人は、もうクビにしたっていいのよ!」
「……はあ、スミマセン」
 俺は気のない返答で謝った。一応、こっちは雇われの身だし……。

 最後に捨て台詞のように、紗江子が俺を睨みつけて言った。
「いい加減、その甘えた性格を直したらどうなの? 男として最低よ!」
 もう夫婦でもない俺たちは、完全に立場が逆転している。離婚した時点で、なぜ俺を会社から放り出さなかったのが、今思えば不思議なくらいだった。
 男のプライドなんか糞喰らえ! この年で失業者にだけはなりたくない。
「申し訳ありません。以後、気をつけますから……」
 元妻に平頭低身で謝った。
 なんだかんだ言っても、お情けで会社に置いて貰っている俺なんだから、いい返す言葉もない――。

 三年前、義父の社長が急死した。
 そのまま経営を引き継いで新社長になった俺だが、経営手腕がまったくない、社長になった途端に注文は減るわ……、顧客は離れるわ……、ライバル会社にごっそり仕事を盗られるわ、もう散々だった。忽ち会社が左前になってしまった。
会社の経理を見ていた妻に言われた。
「あなたに任せていたら、このままでは父の会社が倒産してしまうわ」
 俺はギブアップして、経営は社長の娘の紗江子にバトンタッチ。そこから、彼女の頑張りは奇跡だった。
 離れた顧客の一軒一軒を回って、亡き社長の娘の立場を利用して、泣きついて仕事を回して貰った。お陰でライバル会社に盗られた仕事も少しづつ取り返してきた。その上、新しく出来たファッションビルのデザインや宣伝の仕事まで取ってくるし、タウン誌やネットビジネスも展開していた。
 紗江子には生まれつき経営手腕があったのだ。
 それに比べて俺ときたら……社長なんて元々器ではなかったし、無能振りが露呈しただけだった。――それでも俺だって必死だった、苦手な営業だって頑張っていたんだ。けれども……経営状態が悪くなる一方だったので、だれも俺の頑張りなんて評価してはくれない。

 ――と、言ってみても、今となっては愚痴でしかない。
 会社の赤字の補てんもせず、平社員に降格したといっても、会社に置いて貰っているだけでも感謝すべきなんだろう。けれど、やる気なんていつまで経っても出そうもない、この俺だから……。
「じゃあ、営業にいってきまーす」
 あの後、会社から飛び出し、パチンコ屋で時間を潰して、自分のワンルームマンションに直帰しようとした。
 途中、派遣社員の女から『今夜、会いたい』と何度もメールがきたが、そんな気分になれなかったのでメールは無視していた。
 駅前でほか弁を買って、唐揚げ弁当の唐揚げをつまみにビールでも呑むか、そんなことを考えながら部屋の鍵を開けていたら、ふいに携帯が鳴った。《しつこいなぁーまた派遣の女か?》と思って、液晶画面を確認すると知らない電話番号なので無視しようか悩んだが……何となく受信してしまった。

「もしもし、河野ですが……」
「河野莉子さんの保護者の方ですか?」
 知らない男の声に問われた。
「はあ、河野莉子はうちの娘ですが……」
 その男は駅前のドラッグストアの店長だと名乗った。
 店の商品を娘の莉子が万引きしたというのである。今から保護者の方にきていただきたいと、丁寧だが厳しい口調で言われた。
 買ってきた唐揚げ弁当を玄関に置いたまま、俺は急いでその店へ向かった。

 大手ドラッグチェーンの店舗には薬だけではなく、インスタント食品や菓子類、飲料水、日用雑貨、化粧品まで品揃えが豊富である。生鮮食料品以外なんでも売られていた。
 その店内に入っていって、品出しをしていた女店員に簡単に事情を説明して、店長室へ案内して貰うことにした。たぶん万引き事件なんて、この店ではさほど珍しくもないのだろう。別に驚く様子もなく、彼女は淡々と事務的に取り告いでくれた。

 ドラッグストアの奥の店長室に案内された。八畳くらいの室内には事務机とパソコン、窓にはブラインド、壁側には段ボールが山積まれていた。その中央に会議用の机とパイプ椅子が並べられていた。
 そのひとつに、制服姿の莉子が項垂れて座っていた。机の上には赤いマニキュアが置かれている。――たぶん、これが万引きした商品なのだろうか?
 パッと見、千円もしないような商品である。欲しいなら自分のお小遣いで買えるはず、しかも真っ赤なマニキュアなんて、本当に欲しくて莉子が万引きしたとは到底思えない……。
 ――毒々しい真っ赤なマニキュア。
 高校一年生の莉子は、小さい時から大人しく手の掛からない子どもだった。家でも学校でも優等生の彼女がどうして万引きなんか? よく我が子が犯罪で捕まったときに、親が「まさか、うちの子に限って……悪いことをするような子どもではありません!」そんなベタなセリフが、俺の頭の中をグルグル回っている。

「あのう、河野莉子の父親ですが……」
 女店員の後から入ってきた俺を、莉子はチラッと見たが、そのまま膝に視線を落とした。
「ああ、どうぞ、こちらに座ってください」
 四十代後半の俺と同じくらいの年の店長が莉子の隣の椅子を勧めた。
 その後、店長は莉子が万引きした経緯について説明したが、しごく単純で制服のポケットにマニキュアを隠して、店から出たところを私服警備員に捕まったらしい。万引きも隠す風もなく、側に人が通っていても堂々とポケットに商品を入れたので、警備員も見ていたらしい。
 なんでまた、そんなバカなことをしたのだろう?
「補導して、すぐにここで話を訊いたら素直に謝って本人も反省してました。単独でどう見ても初犯みたいなので、学校と警察には通報しませんでした」
 助かった! 莉子の入学した女子校はこの辺では有名なお嬢様学校で、万引きしたことが学校にバレたら、間違いなく退学処分になるだろう。

「ありがとうございます」
 俺は思わず、その店長にお礼を言った。
「聴けば……いろいろ事情があって、衝動的にやったみたいだしね。まあ、思春期だから、分からないこともないけど、万引きは犯罪だから見過ごす訳にはいかない」
「ハイ、本人にはよーく言い聞かせますので、スミマセン……」
「わたしにも高校生の子どもがいますから、出来るだけことを荒立てたくないんです」
「本当に申し訳ありません」
 まったく、今日の俺は謝ってばかりだ。
「じゃあ、これに著名、捺印お願いしますよ」
 書類を渡された、それは保護者としての念書だった。二度と万引きをしないように家庭で教育します。今度やったら警察に通報しますよ。そういう内容が書かれていた。
「じゃあ、奥さんお大事に……」
 やっと解放された俺たち親子は、帰り際に店長から意味不明の言葉を掛けられた。奥さんって、紗江子のことか?
 あいつは俺を怒鳴りつけるほど元気だ――。



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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-02-21 15:47 | 現代小説

かんどう脳 ⑤

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言葉が胸を打つ! あなたの脳が震えだす!!


   第三話 隣の音 ②

そんなある日、隣の部屋からヒステリックに怒鳴る女の声と
大声で泣く子どもの声が聴こえてきた。
ドアがバタンと開いて、ドサッと何かを放り投げる音がして、
再び、ガチャンと乱暴にドアが閉まる音がした。
外から泣き叫ぶ子どもの声がする。
どうやら、子どもを部屋から閉め出したようだ。

咲江はドアチェーンをしたまま、
細めに開けて外の様子を窺った。
子供がうずくまって泣きじゃくっている。
まあ、こんな小さな子を可哀想に……。

「ぼうや、大丈夫?」
思わず声をかけてしまった。
顔を上げた子供のほっぺたが、真っ赤に腫れあがっている。
母親に殴られたのだろう?
ひどいことを……きっと虐待だわ!

「おばちゃんがジュースあげるからね」
咲江は泣いている子供の手に、缶ジュースを握らせた。
泣くのを止めて、子供は美味そうにジュースを飲んでいる。
その時、咲江にある考えが浮かんだ、
そうだ! この子にポポちゃんのことを訊いてみようと――。

「ねぇ、ぼうや、おばちゃん家で犬飼ってるのは知ってる?」
「うん」
「こないだ、マンションから落ちて死んじゃったの……」
「…………」
「ばうや、だれが落としたか知らない?」
「うん、知ってるよ」
こともなげに子供は答えた。
「えぇーっ! ホント? だれが落としたの?」
「うちのママがそこから放り投げた」
マンションのフェンスを指差しながら子どもが言った。

やっぱり! なんてヒドイことを……
咲江は怒りで頬が紅潮するのを感じていた。
「おばちゃん、ここだよ! ここからママが落とした」
子どもはフェンスにぶら下がり、下を指差した。
「ここね、ここからポポちゃんを放り投げたのね!」
子どもと一緒に咲江も下を覗き込んだ、目がくらむような高さだった。
「ここから落ちたのね……」
「うん」
咲江は落ちないように子どもの腰をギュッと掴んだ。

「やめろ―――!!」いきなり、咲江は背後から羽交い絞めにされた。
それはマンションの管理人だった。
「なにすんの? 離してよっ!」
もがきながら咲江は叫んだ。
「ぼうや、大丈夫か?」
管理人は咲江を放し、フェンスにぶら下がった子どもを抱き下ろした。
「奥さん、今、この子を落とそうとしただろう?」
「なに言っているの? 隣の子どもと下を覗いていただけですよ」
子どもは足元にしゃがみ込んでいた。

「ねぇ、ぼうや」
咲江が頭を撫でようとすると、子どもはビクンと身を硬くした。
「その子どもは隣の子どもじゃないよ! 違う階の入居者のお子さんです」
「嘘っ! そんなバカな、たしかに隣の子どもさんですよ」
管理人は咲江の顔をマジマジと見て、ぽつりと言った。

「隣に人なんか住んでいないんだ……」
「ええー?」
咲江は笑い出しそうになった。
「なにを言っているの? 隣から壁を蹴る音が聴こえてくるのよ」
「奥さん、隣の部屋はあなたが引越しする前から空室で、だれも住んではいない」
「……そんな」
咲江は絶句した。
「隣の部屋はずーっと空き部屋なんだ」
「だけど……音が……それに隣の奥さんが子どもを……」
頭の中が混乱して、訳が分からなくなってきた。
「隣が空き部屋なんて嘘よ! 絶対に人が住んでいるわ!!」
咲江は大声で叫んだ。
「隣の音で苦情を言いにきた時から、奥さんの様子がおかしかったから……
わたしはそれとなく、あなたを見張っていました」
「…………」
「他の入居者からも奥さんへの苦情があったんです!
 早朝に大声を出す、ゴミの袋を破くなど……いろいろあります」
「管理人さん、ポポちゃんを隣の奥さんが落としたんです!」

「犬はあなたが放り投げたんだ! 上の階の人が見てました」
「そんな! ま、まさか……」
咲江は頭がクラクラして立っていられない。
「架空の住人を作って、みんなの気を引くために事件を起こした」
「…………」
「ミュンヒハウゼン症候群って知ってますか?」
「はぁ?」
「すべて、あなたの自作自演で妄想なんです!」
管理人は咲江の腕を掴み、こう言った。
「警察に連絡します」
その冷静な声に反応するように、咲江は気を失った。


ドンドンドン……
なんの音だろう?

また、隣から聴こえてきたわ。


― おわり ―


   ※ ミュンヒハウゼン症候群(英語: Münchausen syndrome )は
     虚偽性障害に分類される精神疾患の一種。
     症例として周囲の関心や同情を引くため に病気を装ったり、
     自らの体を傷付けたりするといった行動が見られる。



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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-02-20 10:53 | 現代小説

かんどう脳 ④

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言葉が胸を打つ! あなたの脳が震えだす!!


   第三話 隣の音 ①

ドンドンドン……
なんの音だろう?

はじめ、咲江には分からなかった。
音は明け方になると、隣の部屋から聴こえてくる。
それはだれかが壁を蹴っている音のようだった。
音は毎日続いて、咲江を悩ませた。

長年連れ添った夫が、去年心筋梗塞で帰らぬ人となった。
子どもは男の子が二人いたが、共に世帯を持ち独立していった。
夫を亡くした当座は、ボーとして何も手に付かなかったが……
少しずつ立ち直って、何かを始めようという意欲がやっと出てきた。

手始めに、長年住み慣れた古家を売ることにした。
家は古いが敷地が広かったので、ソコソコの値で売れた。
そのお金で郊外に分譲マンションを購入した。

10階建てのマンションの7階、端っこの角部屋だった。
間取りは2LDK、広いダイニングで日当たりも良好、見晴らしも最高。
咲江には十分な広さで、終の住処はここだと決めた。

ひとり暮らしを始めてから、いろんなことにチャレンジしようと
市民ホールの絵画教室に週に1回通いはじめた。
最初はわくわくしながら通っていたが、教室の中に偉そうに指図する人がいて、
自分の描いた絵に、勝手に色を塗ったりされて……
咲江は怒って辞めてしまった。

40年近く、専業主婦一筋だった咲江は人付き合いが苦手だった。

結局、家に引きこもってしまった咲江のことを
退屈だろうと、近所に住む次男がパソコンを教えにきてくれた。
最初はチンプンカンプンで覚えられないと何度も音を上げたが、
少しずつマウスを操れるようになっていった。
今度もチャレンジ精神で、ブログサイトに登録してみた。

毎日、パソコンを開いてブログを書いたり、写真を載せたり
他の人の記事を読んだりするのが楽しくなってきた。
それが、ある日、ネットの友だちに挨拶を書き込もうとしたら、
なぜか書き込めなくて……調べてみたら……
自分のHNがブラックリストに入れられたことを知った。

なぜ? こんなヒドイことをされたのか。
理由も分からず、ショックで2~3日落ち込んだが、
どうせ顔の見えない世界だし、ヘンな人もいるのだからと
気を取り直して、やっと咲江は立ち直った。

そんな具合だったので、他府県に住む長男が心配して、
ひとり暮らしは淋しいだろうとペットを飼うことを勧められた。
そして、ヨークシャーテリアの仔犬をプレゼントしてくれた。
「ポポ」と名付けた仔犬は可愛らしく、咲江の孤独を慰めてくれた。
愛犬のポポちゃんと今はふたり暮らし、近所の公園をお散歩したり、
一緒にお買い物に出掛けたりと、平穏な日々を送っていた。

そんな咲江だが、最近、どうも気になることがある。

明け方近くになると、隣の住人が壁を蹴るので、
その音で、いつも目が覚める。
強く蹴るのではなく、規則的にドンドンドンと蹴り続ける。
耳栓をしても、横になっていると、その振動が身体にまで伝わってきて、
そのせいで熟睡できないのだ。

なにをやっているんだろう?
隣の住人は咲江よりの1ヶ月ほど後から、マンションに入居したが……
引っ越しの挨拶もないし、どういう人が住んでるのかよく分からない。

それでも、時々、通路で見かけたことがあったが、
見たところ、30代の夫婦と5歳くらいの男の子が住んでいるようだ。
奥さんは茶髪で派手な化粧をした、昔ヤンキーだったという感じで、
旦那さんは人相が悪く、怖い商売の人みたいに見える。
マンションの通路で、よく子どもを大声で叱りつけていた。
直接、苦情を言いにいくのは怖いし、嫌だったので……
マンションの管理人に相談することにした。

「じゃあ、お隣さんにそれとなく注意して置きましょう」
咲江の苦情を聞いて、管理人が快くそう言ってくれた。
それで、やれひと安心と喜んだ咲江だったが……

やはり、明け方になると……
相変わらず隣の住人の壁を蹴る音が続いた。
本当にお隣さんに注意してくれたのかしら?

もう一度、隣の苦情を管理人に言いにいったら、
「お隣さんは壁なんか蹴ってないと言ってますよ」
「えっ?」
「それより、明け方に大声でお経をあげるのを注意してくれと言われました」
困ったような顔で管理人がそういった。
まあ! 明け方に大声でお経をあげたりしたことないわ!!
とんだ言いがかりだ! あんな隣の言うことを真に受けて……
管理人なんか信用できないわ、怒って咲江は管理人室から出ていった。

翌朝のゴミの回収日、マンションのゴミ置き場に出しにいった。
ゴミ袋を置いて、集合ポストに新聞を取りにいって、
エレベーターで部屋に戻ろうとしたが、
何気なく振り返って、ゴミ置き場を見た瞬間、「あっ」と驚いた!

咲江のゴミ袋が引き裂かれ、中身が散乱しているではないか……
ゴミ袋は引き裂いたように大きく口を開けていた。
これは猫やカラスの仕業ではない。いったい誰がやったの?
そういえば、咲江がゴミを出そうと部屋を出たときに、
お隣さんもゴミ袋を出していた。
まさか……?
ヘンなことを想像して、咲江は頭の中で打ち消した。

不可解なことばかり続くので、絵画教室で知り合った、
同じマンションに住む主婦に相談することにした。
隣の住人にイヤガラセされているように思えてならないと話したら、
マンションの主婦は咲江の話を真剣に聞いてくれて……

隣の部屋の住人はマンション内でも、とても評判が悪い。
挨拶はしない、ゴミの分別が出来ていない、通路で大声でしゃべる。
とにかく苦情の多い人だから、くれぐれも注意してね。
と同情してくれた。
やっぱり、同じ主婦だから分かってくれる!
嬉しくなって、咲江は少し安心した。

――数日後、最悪の事件が起きた。

夕方の散歩に愛犬のポポを連れていこうと思って、
玄関のドアを開けた途端、隣の家族と鉢合わせした。
エレベーターに、一緒に乗り合わせたくないので、
ポポのリードをドアノブに引っ掛けたまま、
いったん部屋の中に、咲江は引っ込んだ。

しばらくして、ドアを開けて外に出たら
ポポの姿が見当たらない!
「ポポ―――!!」
名前を呼びながら、マンションの通路を端から端まで探しまわった。
「いったい、誰がポポちゃんを連れていったの?」
咲江は気が動転していた。

階下も探しにいこうとエレベーターの前で待っていると、
管理人が上がってきた。
手にバスタオルで包んだものを抱いている。
咲江の顔を見るなり、
「奥さん、この犬はお宅の飼い犬ですか?」
とタオルを突き出してきた。
「えっ?」
「マンションの下に倒れてました。たぶん上から落ちたんだと思います」
そういうと管理人はタオルを開いて、中身を咲江に見せた。
「キャ―――!!」
それは変わり果てた、愛犬ポポの姿だった!
ショックのあまり、ヘナヘナと咲江はその場に座り込んでしまった。

いったい、誰がポポちゃんをあんな目に合わせたの?
悲しくて、悔しくて、眠れない日々が続いた。
相変わらず、隣の住人は毎朝壁を蹴ってくる。
犯人は隣の家族かも知れないという疑念が、
どうしても拭い去れないでいた。

だって、お散歩に行こうとして部屋に引っ込んだときも
隣の家族が通路にいたんだもの。あの家族の仕業かもしれないわ。
絶対に警察に突き出してやるから……ポポちゃんの復讐よ!
だが、しかし、犯人だという証拠が何もない……。

それとなく、咲江は隣の住人を見張るようになった。



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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-02-19 20:50 | 現代小説

かんどう脳 ③

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言葉が胸を打つ! あなたの脳が震えだす!!


   第二話 金魚 ②

 そんなある日、思わぬ事件が起こった。

 晴れた日曜日の午後、和哉は鼻歌まじりに金魚の世話に余念がない。今日は水槽を洗うので、バケツの中に入れられ金魚たちは、一階の駐車場の外に置かれている。
 二階のベランダで布団を干していた千秋の目に、電柱の陰に潜む野良猫の姿がチラッと映った。野良猫は金魚を狙って忍び足で近づいて来るではないか。もちろん千秋は夫に教える気などさらさらない。
 なりゆきに目を凝らし、ひたすら傍観者の立場を貫いた。

 猫が金魚の入ったバケツをひっくり返して大きな音がした。駐車場の中で水槽を洗っていた和哉が、異変に気づいて慌てて飛び出してきたが、時すでに遅く……二匹の金魚が無残にも猫の餌食になっていた。
「ちくしょう!」 和哉が大声で叫んだ。
 一匹残った金魚を未練たらしく電信柱の陰から、まだチャンスを窺っていた猫に、和哉は手に持ったスポンジを投げつけた。飛び散った水に驚いて猫は一目散に逃げ去ったが、その後ろ姿にあらん限りの罵声を浴びせる夫だった。
 二階のベランダから一部始終を見ていた千秋は可笑しくて、ププッと噴きそうになった。《ふん! いい気味だわ》内心、ほくそ笑んだ。まさに溜飲が下がるが思いだった。

 ――その晩、夫はすっかりしょげ返って……元気がない、目も虚ろだった。
 いつもなら三膳はお代わりする夕餉のご飯も一膳しか食べず、フーと深いため息をついていた。まさか、こんなにショックを受けるとは想像していなかった千秋だが……さすがにちょっと可哀相になってきた。
食事のあと、水槽の前で、たった一匹だけ生き残った金魚を愛しそうに眺めている。《あなたは、そんなに金魚が大事なの?》そう和哉に訊いてみたかった。
なぜか? その夜、夫は千秋を抱いた。
 セックスレスではないけれど――最近はめったに妻を求めてこなくなっていた。パチンコで大勝した。好きなサッカーチームが勝った。昇給した。子どもたちが早く寝た。エロなDVDを観た……そんな理由で夫婦はセックスをする。
 もう子どもは要らないし、本当は女の子がもうひとり欲しいのだけれど……今の経済状態ではとても無理だと分かっているし、愛情を確かめ合うというよりも、存在を確認し合うような、そんなセックスだった。

「ねぇー」
 久しぶりに夫に抱かれて、心が和んだ千秋。
「……ん?」
 和哉の腕枕でちょっと甘えたい気分だった。
「金魚さぁー、一匹じゃあ寂しいからペットショップで買おうよ」
 その言葉に、天井をジィーと見つめながら和哉が答えた。
「要らない」
「えっ?」
「あの金魚でないとダメなんだ」
「……どうして?」
「おまえは忘れたのか?」
「なぁに?」

 ふたりが結婚して間もない頃だった。近くの神社で夏祭りがあると聞いて、ふたりは浴衣に着替えて出掛けていった。たくさんの夜店の屋台が立ち並び賑やかなお祭りに、新婚のふたりはぐれないように手を繋いで人波の中を歩いた。
 綿あめ、たこ焼き、ヨーヨー釣り、お面屋さんをひやかしたりして、楽しいお祭り見物だった。
 そこに夜店の金魚すくいがあった。大きな長方形のタライの中で金魚や出目金が涼し気に泳ぎ回っていた。小学生と大人四、五人、が楽しそうに金魚すくいをやっていた。
さっそく、千秋が「やりたい、やりたい!」と金魚すくいの紙のアミを買ってチャレンジするが、一匹もすくえず……あっという間に紙のアミが破れてしまった。
「あぁー、悔しい一匹もすくえないなんて……」
「あははっ」
 悔しがる千秋を見て和哉が笑った。
「もう! 笑うんだったら、和哉さんもやってみせてよ」
  プッとホッぺを膨らませて千秋が拗ねた。「分かった、分かった……」と和哉もアミを買って金魚すくいを始めたが……一匹もすくえない内に、紙のアミが半分ほど破れてしまっている。こんな薄い紙のアミでは金魚をすくうのは難しい。
「和哉さんだって、金魚一匹もすくえないかも……」
「待て待て! ここから本気を出すからー」
 和哉は浴衣の袖を捲くって気合を入れた。
「あたしのために頑張ってね!」
「よっしゃー! 俺に任せろ」
 そう言うと和哉は慎重にアミを使って、夜店の水槽の金魚をすくい始めた。
――そこから奇跡の逆転劇。なんと、半分破れたアミで金魚を見事に三匹すくってみせた。
「和哉さん、すごい、すごい!」
 ビニール袋の中で泳ぐ、三匹の金魚を手に提げて千秋が歓喜の声をあげた。
「えへへ……」 褒められて和哉も嬉しそうに照れていた。
「半分破れたアミでも諦めたらダメなのね。これから長い人生、お互いに嫌になることもあるかも知れないけど、絶対に諦めないで和哉さんについていく。諦めたらお終いだって教えてくれたから――この金魚はふたりの愛の記念品だわ! ずっと大事に金魚飼おうねぇー」

「――あんとき、おまえがそう言ったんだ」
「…………」
「だから俺は金魚を大事にしてきた。なのに……今日二匹も死なせてしまった」
 和哉は悲しげにため息をついた。
 ……なんてことだ。
 千秋はすっかり忘れていた――。あの時、ふたりは同じものを見ていたはずなのに……同じ記憶が残っていない。忘れ去られたモノはなぁに?
 恋人同士が結婚して夫婦になった、子どもが生まれてお父さんとお母さんになった、やがて、孫が出来れば、おじいちゃんとおばあちゃんと呼ばれる。そうやって、男女の愛はその形態を変えながら持続していくものなのだ。

 やがて夫婦は家族という人生の墓標に刻まれて終焉を迎える。
 ――あの金魚はあと何年生きるんだろうか? 金魚の命より自分たち夫婦の方が危ういとさえ千秋は思った。

「金魚がいなくなっても、わたしたちには子どもがいるじゃないの」
「うん」
「金魚より子どもたちを可愛がってください」
「そうだなぁー」
 千秋は久しぶりに和哉の手をギュッと握ってみた。
 ゴツゴツした男の手だ、この手をずっと離さずにやっていけるのかな?
 この頃は生活に疲れて相手を見ようとしない。自分の不満の鉾先を身近な人間のせいにして、それで何となく気を紛らわせている日々だった。
 男女の愛に終わりがあっても、夫婦の生活に終わりはない。
 夫婦ってなんだろう? 愛情がなくなっても暮らし続けなければならない男と女?
「もう寝ようか」
「うん……」
 和哉が寝返りを打って背中を向けて眠り始めた。夫の寝息を聴きながら千秋も静かに目を閉じる。

プカリと水槽の中で金魚が泡(あぶく)を吐いた――。


― 終わり ―



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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-02-18 11:28 | 現代小説

かんどう脳 ②

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言葉が胸を打つ! あなたの脳が震えだす!!


   第二話 金魚 ①

 主婦の千秋(ちあき)は仕事から帰ると、まず家中の窓を開ける。夏場、西向きのキッチンは夕方になっても照り返しがきつい。部屋の中にこもった熱気を抜くため、窓辺に扇風機を置き、換気扇を回して空気を循環させる。
 出来るだけクーラーはつけたくない、主婦としては節約を心掛けなければならない。
 汗が引いてきたら、お湯を沸かしコーヒーを準備する。ドリップコーヒーは自分だけのために買い置きしている。日頃はインスタントコーヒーを飲んでいるが、この時間帯だけは、今日一日頑張った自分自身に《ご苦労さん!》そんな思いを込めて、ちょっと贅沢なドリップコーヒーを飲むことにしている。
 猫舌で熱い飲みものが苦手な千秋だが、ゆっくりと冷ましながらコーヒーを啜るのが好きなのだ。キッチンのテーブルに腰を下ろし頬杖をつき、今日の出来事を思い返してみる。

 千秋はスーパーでレジ係の仕事をしているが、うっかり商品の値引きを忘れてお客を怒らせた。いくら謝ってもお客の怒りはおさまらない、そのあげく「店長を呼んでよ!」と大声で凄まれた。
 中年の主婦だが怒り方が尋常ではなかった。確かに値引きを忘れたのはこちらのミスだが、普通のお客なら謝って、差格分のお金を払えば許されるレベルのミスだったのだが――。
 たぶん、あの客は日常に不満があるのか、よほど虫の居所が悪かったのだろう。それで自分より弱い立場のレジ店員に当たり散らしたとしか思えなかった。とんだ災難だったと思いつつ、千秋はコーヒーをひと口啜った。

 ――すると、玄関の方でドアが開く音がした。その後、ガチャガチャと鍵をキーケースにしまう音が……夫の和哉(かずや)が会社から帰って来たようだ。
 今年、三十二歳になる主婦千秋の家族は、夫の和哉、五歳と三歳のやんちゃ盛りの男の子がふたり。夫は真面目な性格だがまったく面白味のない退屈な男だ。
 日々の生活が不幸というほどでもないけれど、なんだか満たされない、物足りない、何となくイライラしちゃう……ありふれた日常だが、こんなものだろうと納得しながら暮らしている。

「なんて早いの」
 壁の時計を見ると、まだ夕方の六時前。和哉の会社は製造業だが不況で受注が減ったせいで残業がなくなり、給料も大幅にダウンして家計は苦しい。おまけに、三年前に新築の分譲住宅を購入したため住宅ローンの返済もある。
 今年の春から家計を助けるために、千秋は五歳の長男を保育園に、三歳の次男を自分の実家に預けてパートの仕事に出ている。スーパーのレジ係だが午前十時から午後三時までのシフトである。
 仕事には慣れてきたが、勤務を終えてからスーパーで買い物を済ませ、保育園に長男を迎えに行って、実家に居る次男を連れて帰る日常。――それを毎日繰り返す。

 和哉の会社はバイクで片道三十分。五時に仕事が終わって真っすぐ帰ればこんな時間になる。たまにパチンコ店で時間を潰す日もあるが、負けが込んで軍資金がないのか、最近では特に帰りが早い。
 長男はテレビのアニメに釘付けで、次男はソファーで夕寝している。一日の中で主婦千秋がひとりだけになれるのわずかなとき……ホッとする間もなく、和哉のご帰還だ。夫が帰ってくれば、主婦である千秋は夕食の準備を始めなければならない。 チッと心の中で舌打ちをする。
「さてと……」
 まだ飲みかけのコーヒーをシンクに流して――。
 千秋はキッチンの前に立ちじゃがいもの皮を剥き始めた。そんな千秋を横目でチラッと見ながら……夫は何も言わずにリビングの奥の自分の定位置(ていいち)へと向かう。

 ――金魚の水槽がある。

 リビングのサイドボードの上に小さな水槽が置かれていて、中には三匹の金魚が泳いでいる。まだ、ふたりが新婚時代にお祭りの夜店ですくった金魚たちである。
 いわば『ふたりの愛の思い出』の金魚たちなのだが――かれこれ六、七年は生きている。金魚って小さい割には意外と長生き……それもそのはず、和哉がその金魚たちを、ことの他大事にしているのだから――。
 彼は会社から帰宅すると妻子をさておき、まず水槽の金魚たちに帰宅の挨拶をする。休日は朝から何時間もボーと水槽の前で金魚を眺めて過ごすこともある。

「パパ遊ぼうよ」
 長男がおもちゃを持って、一緒に遊ぼうとせがんでも……。
「後でな。向うへいってなさい」
 ……と取り合おうとしない。
 水槽の金魚の何が楽しいのか? ただ、ひたすら和哉は金魚に見入っている。
 和哉はどちらかというと無口で妻子とはあまり会話をしない。最近は特に口数が減ってきたような気がする。何が不満なのか知らないが……不満なら、こっちの方にもないわけではない、と言ってやりたい。
 相手に対して興味もなくしてしまい、うっとうしい存在でしかない。結婚して七年目……倦怠期ってやつかなぁー?
 かつて、この男を愛した記憶さえ曖昧になってきている。自分でもどこがよくて結婚したのかよく分からない。しょせん流れで一緒になったような気がする。
「つまらない男だわ」
 サイドボードの前に椅子を置いて、そこに腰掛けて金魚と会話している? そんな夫の後姿に、いいようのない嫌悪感を覚える千秋だった――。

 日曜日のお昼、千秋は子どもたちの大好きなオムライスをテーブルに並べた。
 五歳の長男はわんぱく盛り、いっときもジッとしていられない。家族四人でご飯を食べていると、三歳の次男と些細なことで兄弟けんかを始めた。千秋が長男を大声で叱りつけていると、横から和哉が「うるさい!」と不機嫌そうに怒鳴った。
 その声にムッとして千秋は和哉に言い返した。
「うるさいってなによ!」
「食事の時くらい静かにできないのか?」
「躾で叱っているんでしょう」
「おまえのはギャーギャーうるさいばかりで躾になってない」
「なによ! 父親なんだから、あなたも子どもの世話みたらどうなの?」
「躾っていうのは……」
 和哉が言いよどむと、千秋は畳みかけるように、
「金魚ばかり可愛がらないで、たまには子どもたちとも遊んでよっ!」
「俺は……」
「あたしにばっかり育児を押しつけて、自分は何にもしないくせに……」
「…………」
「父親としての自覚が足りないのよ!」
 その言葉に和哉は黙り込んで、ふいに立ち上がって外へ出ていった。

 口げんかの後、煙草を買いにいくと出ていったが……シンクで茶わんを洗いながら、千秋の腹の虫は収まらない。
 いつも都合が悪くなるとすぐに逃げるのよ、あの人は……。
 金魚ばかり可愛がって、自分の子どもには無関心、父親失格よ、あんな人! 何よりも気に入らないのは――自分だけ現実逃避しようとしている、あの態度よ。
 いつも水槽の金魚を眺めて、自分の世界に浸っている夫の姿を思い出して、千秋は無性に腹が立ってきた。
《あんな金魚なんか死んじゃえばいいんだ!》
 つい、千秋は手に持った食器用洗剤を水槽の中へ。
 数滴零したら、エアーポンプのせいで瞬く間に水槽の中は泡だらけになった。どんどん泡が膨らんで水槽から溢れ出してきた。思いがけない事態に焦った――その時になって千秋はえらいことをやってしまったと愕然とした。
 まずい! これは夫に怒られる。
 泡だらけの水槽の前で千秋が右往左往していると……。
 直後に帰宅した和哉が水槽を見た瞬間面食らって棒立ちになったが、急いで金魚を網ですくい、水槽の水を入れ替えた。――そして金魚たちを無事に水槽の中に戻した。
 すっかり片付いてから、怒気を含んだ声で和哉が千秋に訊いた。
「誰がやったんだ?」
「あ、あのう……」
「誰だ!?」
「……こ、子どものイタズラよ」
 怖い怒りの形相に、千秋は子供のイタズラだと咄嗟に嘘をついてしまった――。その途端、和哉は隣の部屋でアニメを見ていた長男の首根っこを掴んだ。なぜ長男かと言うと、三歳の次男ではサイドボードの上の水槽には手が届かないからだ。――それで犯人は五歳の長男と決め付けられた。
 有無を言わせず長男はお尻をおもいっきり引っ叩かれた。
 訳も分からず、父親に叱られ、殴られた長男は大声で泣いた。その後もいじけて、いつまでも泣いていたが……無実の罪で罰を受けた我が子の肩を抱いて、頭を撫でながら千秋は優しく慰めた。
《ごめんね、ごめんね……》
 翌日には、思いがけなく母親におもちゃを買って貰い大喜びの長男だったが、しかし、それが……せめてもの千秋の罪滅ぼしの品だとも知らず……。
 金魚ごときのことで長男のお尻を引っ叩いた夫を許せないと千秋は思っていた。金魚に八つ当たりした自分の罪も忘れて……憎らしい金魚め!
  いよいよ千秋の金魚への憎悪が増してきた。



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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-02-17 15:18 | 現代小説

かんどう脳 ①

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言葉が胸を打つ! あなたの脳が震えだす!!


   第一話 野兎 ①

「おばちゃん、おばちゃん、聴こえますか?」
「……どうやら、昏睡状態で意識がないようだ」



 ――いいえ、ちゃんと聴こえてるよ。
 お嫁さんと息子の声が……だけど、身体が動かないし、返事もできないんだよ。
 子、孫、曾孫まで、私の最後を見届けに病院に集まってくれたんだね。皆の声が聴けて嬉しいよ。
 人は死ぬ時、過去の出来事が走馬灯(そうまとう)のように頭の中を巡ると聞いたが、浮かび上がってくるのは、血に染まった大陸の大地だった。
 ああ、よくぞ! 生きて祖国に帰ってこれたことか。

 私は十九歳で満州国にいる、いいなづけの元に嫁いだ。
 夫は満州鉄道の技師として、開拓事業に従事しており僻地での仕事が多かった。夫が出張している間は、私ひとりで満鉄の社宅で暮らしていた。
 戦前の日本はアジアの覇者として繁栄を誇っていた。
 大陸満州に渡った日本人たちは裕福な暮らしをしていた。社宅には専任のコックやメイドがおり、社員の妻たちは掃除や洗濯など家事をしなくてよかった。主婦たちは暇を持て余して、満州人(中国人)のコックに弁当を作らせて、みんなでピクニックにいったりして遊んでいた。
 内地では戦争中の食糧不足に人々は苦しんでいたが、満州は食糧も物資も豊富で、ここは別天地だった。

 それが一転したのは、日本が戦争に負けた日からだ――。
 親しくしていた満州人たちが敵になって牙を剥き、八路軍(はちろぐん)やロシア軍が日本人に襲いかかってきたのだ。
 早く逃げないと殺される! 
 大連(だいれん)まで行けば、日本からの引き揚げ船が迎えにきていると聞いた。男たちは仕事で不在、社宅の主婦たちで逃走の相談をする。
 その時、一番上役の奥さんがいった「逃げる途中で赤ん坊が泣いたら、敵に発見されて皆殺しだ。赤ん坊は満州人にやるか、親が殺すしかない」残酷な言葉だが、状況はそこまで緊迫していた。事実、多くの日本人たちが金品を奪われて殺されていたのだ。
 その時、私は八ヶ月の赤ん坊を連れていたが、「そんなことはできない」といったら皆から「非国民」だと激しく非難された。
 けれど、戦時中は国策で『産めよ、増やせよ』といわれて、男の子を産んだら、夫の両親や自分の親も喜んでお祝いをしてくれたのだ。大事な我が子を捨てたり、殺したりなんか絶対に出来ない。――そんなことをしたら、生きて夫に顔向けができない。
 まだ若い母親の私に、「生きて帰れたら、また次の子をつくればいい、みんなのためにその子を犠牲にしなさい!」と厳命されたが、泣いて首を横に振り続けた。

 真夜中に目が覚めたら、社宅の周りが静まりかえっていた。
 どうやら、一番上役の奥さん言うこと利かない私は、社宅の主婦たちから置き去りにされたようだ。
 女だとバレないように長い黒髪をハサミでばっさり切ったら、夫の服を着て、赤ん坊をおんぶ紐で背負い、手荷物だけを持って後を追いかけた。――真っ暗な原野を、大連に繋がる線路に沿ってひたすら歩き続けた。
 ただ、ひとり赤ん坊を背負い逃げ延びるために必死だった。
 二時間ほど歩いただろうか、真っ赤な朝焼けの大地で見たものは……女と子供たちの夥しい死体だった。
 どの顔にも見覚えあった、一緒にピクニックにいった社宅の主婦たち。殺される前に女だけが受ける恥辱、着衣が乱れて、剥きだしの脚がおかしな具合に曲がっていた。ナイフで喉を搔き切られ、腹を裂かれて腸が飛びだしている。どの遺体も死ぬ前に凌辱されて、想像を絶する苦痛を味わってから殺されていた。
 子供たちは一箇所に集められて銃で撃ち殺されていた。昨夜まで、同じ社宅で暮らした主婦たちが無残な屍になっていた。
 この惨状に茫然としながらも《早く逃げないと敵が戻ってくるかも知れない》血に染まった死体に目を背けながら、泣きならがら私は走った。

 ふいに人影が現れて、身構えをしたら、社宅の主婦の生き残りだった。
「あんたを置き去りにすると皆が決めたけど私は反対した。日本人同士でそんな薄情なことをしてはいけない」
 八歳と六歳の男の子を連れた節子さんは、私が追い付くのを待っていて、皆から遅れたせいで命が助かったのだ。
 社宅の主婦節子さんは、私よりも九歳上で、大人しいが芯の強い人だった。
 洋裁が得意で社宅の子供たちの服をよく作ってあげていた。特に親しいわけでもないのに、自分のことを待っていてくれたことが嬉しかった。こんな広い満州の荒野を自分一人で逃げ切ることは到底無理なことだ。
 節子さんにも三ヶ月になる女児がいたが、二人の子供を守るために、乳飲み子を連れて逃げるのは無理だと判断して、満州人に赤ん坊を預けてきたという。
 敗戦国日本人はぎりぎりの命の選択を迫られていたのだ。
 母乳が張って痛いからと私の息子に飲ませてくれたが、乳を吸う赤ん坊の姿に置いてきた我が子を思い出してか、大粒の涙を流していた。

 男装の女二人が子供二人と赤ん坊を連れて、大連目指してひたすら歩く。
 あまりに長い道程に、節子さんの六歳になる次男が足が痛いとグズリだした。
「泣くな、それでも日本男児か!」
 子供の頬っぺたに容赦なく平手打ちをくれた、節子さんは気丈な母である。
 大人も子供も疲れ果てていたが、休むわけにはいかない、ぐずぐずしていたら敵に見つかって殺される運命なのだから……。
 途中、ジープに乗った五人組のロシア兵に出くわした。
 小用するため停車したようで茂みに向かって放尿する。肩から小銃を下げた男たちは煙草を咥えて、喋りながら歩き回っていた。
 慌てて私たちは窪地の茂みに身を潜めたが、すぐ近くで軍靴の音が聴こえる。ロシア兵に見つかったら殺される!

「どうか、神様お助けください」

 早く立ち去って欲しい……そればかりを願って、必死で神様に祈った。
 その時、背中で寝ていた赤ん坊が起きようとして、ムズムズ身体を動かし始めた。私はおんぶ紐を外し、前抱きにして、夫の登山ナイフを我が子の喉元に突き付けた。もし、泣いたら殺す気だった。――そして私も自害する。
 赤ん坊が身体を反った、泣く瞬間! 
 突然、一匹の野兎が目の前に現れて、茂みの外へ飛び出していった。
 ロシア兵は野兎に気を取られて、私たちには気づなかった。みんなで野兎を追い回して銃で仕留めると意気揚々とジープで去っていった。
  ――どれほどの恐怖だったことか、その後、節子さんと二人で手を取り合って泣いた。

 三日三晩歩き通して、私たちは大連に辿り着き、日本からの引き揚げ船に乗ることが出来た。
 京都の舞鶴港に着いて、お互いの夫の安否を気にしながらも、それぞれの郷里へ帰っていった。
 半年後、神戸で婦人服の仕立屋をやっている節子さんから手伝いに来ないかと手紙を貰った。夫の実家で暮らすのも気詰まりなので、実家に帰っていた私は節子さんの誘いを受けて神戸へいった。
 節子さんから洋裁を習いながら、お針子をしていた。女二人と子供たちの生活は忙しいが張りのある生活だった。私の息子の面倒を節子さんの息子たちがよくみてくれていた。
 流血の大地満州から命からがら逃げてきた私たちは、友情を越えた“絆”と信頼感を持っていた。

 三年後、シベリア抑留から夫が還ってきた。
 神戸港に迎えにいった私は夫の胸に縋って泣いた。やっと、やっと家族で暮らせる、その喜びに涙が止まらなかった――。
 夫の就職が大阪に決まったので、そこで家族は暮らし始めた。そして息子の下に妹が二人が生まれた。
 結局、節子さんの夫は日本には還って来なかった……だが、立派に育った息子さんたちがお店を大きくして、今では全国チェーンの婦人服の店舗になっている。
 そして節子さんの次男とうちの長女が結婚して両家は親戚になった。満州から引き揚げてからは、私の人生は平穏無事な日々だった。
        


 思えば、あの時、あのタイミングで飛び出してくれた野兎はまさに神様だった。お陰で長生きさせて貰ったよ。神様ありがとう。

 今から、あの野兎の後を追いかけていくよ――。


― 完 ―



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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-02-16 16:13 | 現代小説
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   第86話 箱の中の呟き

 大きな木の箱から、何やら呟きが聴こえてくる。
「あぁー、もうそろそろ春になったのかしら?」
 ため息交じりの女の声は、どこか気だるく寝むそうだ。

 年に一度、このカビ臭い箱から、わたくしはやっと出してもらえる。
 真っ暗な箱の中ではずっと眠っている。いいえ、寝たふりをしているだけで、時々、薄目を開けて周りを見回しているけど……ただ真っ暗闇で何も見えない。「こんなの退屈過ぎて気が変になりそう!」だから、また寝たふりをする。――そうすると、その内、冬眠状態に入るから。

 何のために存在しているのか分からないけれど、一年に一度の行事のために……。その日を美しく彩るために、わたくしたちは作られた。

 それ以外の日は外にも出してもらえない。
 ずっと箱の中に軟禁状態で、おまけに虫よけの薬の臭いが強烈で息苦しい。でも、それが薄まってきたら、今度はカビの臭いが鼻を突く。大事な着物にカビが生えたらどうしよう! 除湿剤も一緒に入れといてよね。
『○○は顔が命』とかいって、汚れないようにと顔にテッシュを巻かれているから、「ああ~息苦しいよぉ……」去年、片付ける時に扇子をどこかに失くしちゃった。
 あれがないとポーズがきまらないのよ。
 困ったわ! たぶん、この箱のどこかに落ちているんだと思うんだけど……。

 いつもわたくしの右側にいる彼氏が去年、仕舞う時に離ればなれにされちゃった。
 毎年片付ける度に、やり方が違うから困ってしまうわ。
どうやら三人娘の誰かとカップリングされたみたいね。時々クスクス……と女の忍び笑いがするもの。
 あの娘たちときたら身のほど知らずにも程があるわ!
 ……と言っても、私と右側の彼氏とは今では仮面夫婦ですの。愛情なんてとっくの昔に冷めているけど、世間体だけで仲良し夫婦の振りをしているのよ。
 だって、私たちが仲よく並んでいないと絵にならないでしょう?
 ホントは私……最近は右側の彼氏より白いお髭の渋いご老人に萌えていますの。
 あっ! これは絶対に内緒ですわ。シィー……。

 昔は箱から出されると、七段飾りの緋毛氈の上に丁寧に並べられていった。
 わたくしたち夫婦を最初に飾って、三人娘や五人の楽士たち、おじさんが二人と段々と並んでいきました。
 飾り終わったわたくしたちを見て、女の子の瞳はキラキラ輝いていたわ。この日だけは、どこの家の女の子も“お嬢さま”で、きれいな着物をきて誇らし気な笑顔だった。
 ――だって女の子のお祭りですもの。
 近所の女の子たちを集めてミニパーティ! 桃の花を飾り、ちらし寿司や蛤のお吸い物、白酒、菱餅、あられでお祝をしたのよ。
 楽しそうな女の子たちの様子ったら――上段から見ていて、こっちまで嬉しくなっちゃうわ。
 その場を盛り上げる雰囲気作りに欠かせないのは、もちろんわたくしたちの存在よ!

 ああ、もうこんな退屈な箱の中から出たい!     
 

 
 『ねぇ、お雛さまどうするの?』
『もう、明日でしょう?』
『おまえが手伝ってくれないから、お母さんひとりじゃあお雛さま飾れないよ』
『もう、いいんじゃないの。子どもじゃないんだし、女子大生になってまでお雛祭りはやんないよ』
『――そうかい』
『どうせ、すぐに片付けないといけないし、面倒だから、もう出すの止めようよ』
『おまえがそれでいいなら……』
『止めよう、止めよう! それより雛祭りケーキ買ってきてよね』
『お雛さまより、食い気の娘なんて……あははっ』
 
 
 早く、早く! この箱から出してくださいなっ!



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-02-15 10:44 | 夢想家のショートストーリー集
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   第85話 優しさの裏側

半年前まで、ボクらは恋人同士だった。
それが今ではボクのお姉さんか、まるで母親みたい。

「ああ~またこぼしてる」
朝食のトーストを食べるとき、ほんの少しパン屑をこぼしたら、
キミは目ざとく見つけて、ふきんで拭きとろうとする。
「あら、ネクタイがまがってる」
横からボクのネクタイを直そうとするんだ。
そうやって四六時中、なにかを正そうとしている。

「ねえ、コーヒーのお代わりいかが?」
コーヒーカップの中まで、いつも気を配っている。
それがキミにとって、ボクへの愛もしくは、
優しさだと思っているのかい?

最初はキミの優しさが好きだった。
とても気が利くし、いつも気配りしている人。
相手を大事にする、その姿勢にとても好感がもてた。
だからキミと一緒に暮らしたら、
ボクらは幸せになれると思っていたのに……。

そうじゃなかった!
キミは自己満足の優しさを押しつけてくるし、
ひとり合点して、なんでも通そうとするし、
優しさに対する感謝の言葉を求めるようになった。
キミの愛が重たい!

ああ、正直めんどくさい。
なんだか、いつも監視されているようで息が詰まる。
キミの優しさが、ボクから自由を奪っていく。
まるで蜘蛛の糸のが絡みついたようだ。

本当の優しさなんて伝わらない。
言葉を尽くせば、尽くすほど……
優しさから遠ざかって――。
剥き出しのエゴが牙をむく。

「ねえ、コーヒーのお代わりいかが?」
またボクに訊く。
コーヒーのお代わりはいらないさ。
この部屋からボクは出ていくから、
おそらく、二度と、ここへは戻らないだろう。

なぜ、出ていったのか?
残された者は考えることだろう。
優しいキミが傷つかないように、
その理由はあえて言わないでおくよ。
それがボクの優しさだと気づいてほしい。

優しさには、いつも表と裏がある。
見える優しさと、見えない優しさと、
本当の優しさは、月の裏側みたいに、
目を凝らしても見えないけれど、
いつの日にか、その想いは伝わるだろう。

グッバイ マイ ハニー


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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2017-02-14 21:09 | 夢想家のショートストーリー集