― Metamorphose ―

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井戸の底に沈む

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       こちらの作品は「詩誌AVENUE」様に向けて創作したものです。

       写真は写真素材 FREE PHOTO 1.0 Eonn 様よりお借りしてます。
       http://www.gatag.net/



 【 井戸の底に沈む 】

結婚して18年目だった
子どもはふたり高校生と中学生
もう手は掛からないが
これからお金が掛かる
生活環境が変るのを嫌がって
子どもたちは父親と
家に残ることを選んだ
たとえ継母がきても
お金のない母親と暮らすよりは
マシだと考えたようだ
結果として私は
夫と子どもと両方に捨てられた

離婚した直後に
勤めだした会社で
その人は上司だった
とても几帳面な人物だと
職場のみんなが噂していた
部署替えで 
直属の上司になった時には
正直 嫌だと思っていた
しかし案外と 
部下には寛大な一面もあって
私の仕事のミスを見つけても
決して人前で叱ったりはしなかった
温情のある人だと感謝した

日曜日の昼下がり
ホームセンターで買い物をしていたら
偶然にその人と出会った
何となく挨拶をしている内に
お茶でも飲もうということになって
会社以外でのプライベートな
時間をその人と過ごした
どんな話をしたか
もう大方忘れてしまったが
家族は妻と息子がいると言っていた
定期入れから息子の写真を出して見せてくれたが
そんなものは私には興味がない
ただ 息子の顔が父親とよく似ているなあ
という印象だけが残った
どこにでもいるような平凡な家庭人だと思った
仮にも独身女性の私の前で
家族の話ばかりする男に
多少の苛立ちを覚えたことは否めない

歳月が経って
その人が定年退職になると噂で聴いていた
あれから何度か部署替えがあり
今では直属の上司ではなかったが
ホームセンターで偶然会って
幾度かお茶を飲んだこともある
相変わらず
家族と趣味の話を聞かされたが
まったく危険な香りのしないこの男に
半場 呆れながらも
どこか好感を持っていたようだ

定年退職の送別会で
みんなから贈られた花束に埋もれそうだった
こんないっぱい花束を持って
電車に乗るのは恥かしいと照れる
二次会が終わって帰る時 
タクシーを拾って一緒に乗った
しばらく乗っていると
気分が悪いと男は口元を押さえた
最後だということでたくさんの人に
お酒を勧められていたから
きっと 飲み過ぎたのだろう
私のワンルームマンションが近いので
家で休むように言ってタクシーを降りた
部屋に上がって
ソファーに寝転んで休むように勧めた
ネクタイが苦しそうなので緩めてあげると
背広のポケットから定期入れがポトリと落ちて
彼の息子の写真が見えた
酔いも手伝ったのだろうか
幸せそうな家族が妬ましかったのか
私は悪戯心で息子の写真の替わりに
自分の写真を定期入れに挟んだ
気づいた時の男の驚いた顔を
想像して ひとりほくそ笑んだ
小一時間もすると男はハッと飛び起きて
駅まで歩くと慌てて帰って行った
送別の花束を残したままで……

その人が亡くなったと
社内の噂で聴いていたが
もう退職した人なので弔問は行かなかった
退職した日から 一度も会っていない
あんな悪戯をした自分自身にも後悔していた
まさか あの男の息子と偶然会うなんて
想像もしていなかった
私の顔を見た瞬間
彼は息を止めて凝視した
その時 私の写真を彼が見たのだと分かった
軽く会釈をして目を伏せて逃げるように
その場から立ち去ったが
背中には若い男の疑念の視線が纏わりつく
ああ きっと誤解されている!

少し時間が経ち過ぎたが
彼の家に手紙を届けた
本当は会って ちゃんと話をしたかった
私は死者にあらぬ汚名をきせてしまったのだから
だけど 息子の怒りの眼を思い出すと
臆病者の私には その勇気がでない
便箋に嘘を書いて行を埋めていく
「お父様は立派な上司でした」
「尊敬申し上げて折りました」
「亡くなられたなんて今でも信じられません」
たぶん これを読んだら
陳腐な手紙だと あの息子は鼻で笑うだろう
それでいいのだ
自分を卑しめて 死者の名誉を回復できれば
それで十分なんだ

私には家族がいない
定期入れから取り出せる幸せもない
あの男と家族が羨ましかったのだ
井戸の底に沈み込むような孤独の中で
暖かな日常に触れたいと
藁にもしがみ付く想いで
太陽に向かって掌を伸ばそうとしただけ
ただ それだけだった





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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2012-03-04 15:22 | 詩誌AVENUE