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画家マリー・ローランサンの詩 【 鎮静剤 】 

画家マリー・ローランサンの詩 【 鎮静剤 】 _a0216818_11441074.jpg
マリー・ローランサン 1929・作「らっぱをもって」


   【 鎮静剤 】
               マリー・ローランサン 
               堀口大學 訳

退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。

悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。

不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。

病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。

捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。

よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。

追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。

死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。





マリー・ローランサン(Marie Laurencin)は、パステル色の美しい女性達を描いた画家のマリー・ローランサンは、1883年にパリのお針女の私生児として生を受けました。

彼女は20世紀初頭から中盤にかけてフランスを代表する女性画家でした。
モンマルトルのピカソのアトリエ、バトー・ラヴォワール(洗濯船)に出入りするようになり、
そこで詩人アポリネールと出会い、運命的な恋に落ちます。
この時ローランサンは22歳、アポリネールは27歳でした。

やがてアポリネールとの6年間の恋は終わりますが、2人は別れた後も文通を続けていました。
別れから5年後、ローランサンはドイツ人男爵と結婚し、アポリネールは他の女性と結婚後すぐに
病気でこの世を去ってしまいまいます。

ローランサンが詩を書き始めたのは、1914年に第一次世界大戦が始まり、結婚したばかりの
夫とスペインに亡命した時でした。
そこで届いたのは、かつて愛したアポリネールの結婚と死の知らせ。「鎮静剤」はそんな時に書き上げられました。


画家マリー・ローランサンの詩 【 鎮静剤 】 _a0216818_12114628.jpg
マリー・ローランサン 写真



アポリネールの死から38年後、ローランサンはパリで心臓発作のため、亡くなります。
埋葬はローランサンの遺志により、白い衣装に赤いバラを手に、アポリネールからの手紙を胸の上に置かれました。

【 鎮静剤 】は、私たち女性が「自分の哀れさ」を受け入れることが出来ず、常にもがき苦しんでいる様を
描いているのでしょうか。
この詩は、その究極形を示しています。


画家マリー・ローランサンの詩 【 鎮静剤 】 _a0216818_11512660.jpg
マリー・ローランサン 1953・作「三人の若い女」



   【 マリー 】
               ギョーム・アポリネール
               飯島耕一 訳

少女よ きみはそこで踊っていた
やがておばあさんが踊るだろうか
はねまわるマクロット・ダンス
鐘がもうじき鳴り渡るだろう
マリーよ 一体いつ帰ってくるのか

仮面の人たちが黙っている
音楽はあんなに遠く
空の奥からやってくるようだ
そうだぼくはあなたを愛したい けれどもそれはやっとのこと
そしてぼくの不幸は甘やかだ

羊は雲のなかに去って行く
羊の毛の房 銀の房
兵士が通りすぎ
どうして一つの心さえ所有できないのか
あの変わりやすい変わりやすい心 そしてぼくにはわからない

どうしてぼくが知ろう おまえの髪がどこへ行ってしまうか
泡立つ海のようにちぢれた髪が
どうして知ろう おまえの髪がどこへ行ってしまうか
ぼくたちの誓いがまきちらす
秋の葉のおまえの手が

ぼくはセーヌのほとりを歩いていった
古い一冊の本をかかえて
川はぼくの苦しみに似ている
流れ流れてつきることを知らない
週は一体 いつ終わるのだろう


画家マリー・ローランサンの詩 【 鎮静剤 】 _a0216818_12132710.jpg
マリー・ローランサン 1923・作「二人の少女」




   【 ミラボー橋 】
              ギョーム・アポリネール
              堀口大學 訳

ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ
  われらの恋が流れる
  わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると
  日も暮れよ 鐘も鳴れ
  月日は流れ わたしは残る

手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう
  こうしていると
  二人の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる

  日も暮れよ 鐘も鳴れ
  月日は流れ わたしは残る

流れる水のように恋もまた死んでゆく
  恋もまた死んでゆく
  命ばかりが長く
希望ばかりが大きい

  日も暮れよ 鐘も鳴れ
  月日は流れ わたしは残る

日が去り 月がゆき
  過ぎた時も
  昔の恋も 二度とまた帰ってこない
ミラボー橋の下をセーヌ川が流れる

  日も暮れよ 鐘も鳴れ
  月日は流れ わたしは残る


画家マリー・ローランサンの詩 【 鎮静剤 】 _a0216818_12352425.jpg
マリー・ローランサン 1923・作「二人の少女」



詩人ギョーム・アポリネールは、イタリア のローマで将校とポーランド女性との間に私生児として誕生しました。

この二つの詩「マリー」「ミラボー橋」は、マリー・ローランサン別れて2年後の、1913年に刊行された『アルコール』と
いう詩集に収められています。
『アルコール』は、句読点を使わないという画期的な手法を用いた詩集でした。

二つの詩は、かつての恋人だったマリー・ローランサンとの恋をモチーフにして詩作したものです。


画家マリー・ローランサンの詩 【 鎮静剤 】 _a0216818_12231920.jpg
ギョーム・アポリネール 写真



この年、1914年の7月に第一次世界大戦が始まり、アポリネールは志願します。
この時はポーランド国籍でしたが1916年2月にようやくフランス国籍を取得できました。
けれど翌月である3月、前線で頭部に重症をおいます。

アポリネールは除隊し、その頃知り合ったジャクリーヌと1918年6月にピカソらを証人にして結婚します。

けれど頭部の怪我の予後に苦しみ、その当時流行していたスペイン風邪にかかり、38歳の若さで、
死んでしまうのです。
死の枕元には、彼が生涯愛し続けたマリー・ローランサンの「アポ リネールと友人たち」の絵が架かっていました。


画家マリー・ローランサンの詩 【 鎮静剤 】 _a0216818_12393924.jpg
マリー・ローランサン 「アポ リネールと友人たち」


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by utakatarennka | 2015-03-03 12:46 | 創作自習室

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