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― Metamorphose ―

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掌編小説集 おじさんの楽園 ⑥

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フリー画像素材 Free Images 1.0 by: jeremy 様よりお借りしました。http://www.gatag.net/


   Action.6 【 スモーキング・ワールド 】

「星座を見てくる」
 そう言って俺はダウンジャケットと携帯用灰皿を持ってベランダにでる。ポケットから煙草を取り出し火をつけ、一服深く煙を吸い込む。
 この寒空に誰が星なんか見たいもんか! 
 我が家は室内での喫煙は厳禁なのだ。妻は大の煙草嫌いで俺に禁煙しろと喧しい。「夫が煙草を吸うと妻の肺がんの確率が増加するのよ。あなたは私を殺す気なの?」と嫌味をいう。おまけに娘には喘息があり家族の前では絶対に煙草が吸えない。
 だが、絶対に禁煙なんかするもんか! 煙草は俺の生きがいなのだ。三十五年ローンで買ったマンションの月々返済するために働いてるのはこの俺様だぞ。それが気兼ねなく一服できる場所が吹きっ晒しのベランダなんて……納得できない!
 その時、夜空に流れ星が降ってきた。
『自由に煙草が吸いたい』
 流れ星が燃え尽きるまで早口で三回唱えた。
 これで願いは叶うか? 子供染みた自分に自嘲しながら、部屋に戻るとリビングのソファーで妻が煙草を吸っていた。一瞬、我が目を疑った。
「お前、どうして煙草なんか……」
「はぁ? いつも吸ってるでしょう」
 そう言って鼻から煙を吐いた。そこへ大学生の息子が咥え煙草入ってきた。
「母さん、煙草が切れた」
「あら、もう無くなったの」
 妻は鍵の掛かる抽斗から煙草を取り出した。
「煙草の値段が高騰してるから、一本でも人にあげちゃダメよ!」
 今まで俺が煙草を吸うとけむそうに手で煙を扇いでいた息子まで煙草を吸うようになっている。しかも禁煙だった家の中で堂々と……なら俺もここで吸ってもいいってことか。寒空に震えながら吸わなくていいと思うと嬉しくなってきた。プカプカ遠慮なく煙草を吸ってやった。
 流れ星に願いが叶ったのかも知れない。夢じゃなければ、これは“奇跡”違いない!

 翌朝、通勤中に俺は信じられない光景を見た。
 スーツを着たサラリーマンも美人のOLも学生服の高校生まで、みんな歩きながら煙草を吸っているのだ。さらに驚いたのは大きなお腹を抱えた妊婦やベビーカーを押した若いママまで歩き煙草していることに……。群衆が喫煙しているせいで歩道は煙草の吸殻だらけだった。
 電車の中も禁煙でなく、乗客は火が付いた吸殻を床に投げ捨てて平然としている。車両火災になったらどうするんだ! 喫煙マナーがなってない。
 出勤して驚いことは、うちの会社は五年前からオフィス全面禁煙だったのだが、もしルールを破ると罰金まで払うことになっていたのに、堂々と社員たちみんなが煙草を吸っているではないか。
 昨日まで喫煙者は白い眼で見られながら、廊下の片隅の喫煙所でこっそり吸っていたというのに……何処でも吸えるなんて最高だ!
 午後から会議が始まった。いつもなら会議中も禁煙だったが、部長以下、全社員が煙草をふかしている。そのせいで会議室は煙で真っ白になってきて、愛煙家のこの俺でさえ咽そうだった。
 女子社員が咥え煙草で机にお茶を置いた。湯呑みにポトリと煙草の灰が落ちたが気にする風もない。空気清浄機はないのかと訊いたら「それなぁ~に?」と女子社員に訊き返された。
仕方なく俺が窓を開けたら、
「窓を開けるなっ! せっかくの煙が出るだろーがっ!」
 えらい剣幕で部長に怒鳴られ皆に睨まれた。いくら何でも煙が充満して、これじゃあ身体に悪いと思うのだが……。

 家に帰ったら、妻がソファーに寝そべって煙草をふかしていた。
 室内の家具やソファーは白を基調にしたものが多いのだが、ヤニで黄色く変色して、カーテンと障子紙はセピア色になっていた。おまけにあっちこっち煙草の焼け焦げだらけだし、何だか家の中が薄汚れて見える。
「おい、飯の用意はどうした?」
「出来てるわよ。ほらっ」
 しゃくった顎の先、テーブルに梅干とみそ汁が置かれていた。
「なんだこりゃあ? メインはどこだ」
「ないわ。今月煙草が高騰して二十万もかかったのよ。だから粗食で我慢して」
「煙草代に二十万だと冗談か? お前が煙草止めろ!」
「絶対にイヤ! 禁煙するくらいなら餓死した方がマシよ」
 ニコチンで黄色くなった歯を剥いて妻が怒りだした。
「パパもママも喧嘩は止めて!」
 煙草をふかしながら高校生の娘が入ってきた。
「お、お前まで吸ってるのか? 喘息があるのに煙草はダメだ!」
 娘の煙草を取り上げようとしたら、
「パパひどーい! これは虐待よ」
 大声で泣き喚いた。
「子どもから煙草を奪うなんて、それでもあんた父親なの!」
 激怒した妻に殴られ、息子まで出てきて俺は家族にボコられた。
「煙草を吸うのは人間の権利だ! 誰にも犯すことのできない人権なのだ」
 息子が父親の俺を足蹴にしてそう宣言した。
 この世界では、家族がむきになって喧嘩するほど煙草を吸うのが重要なことだというのか、いったいどうなってるんだ?
 ただ俺は自由に煙草が吸いたいと願っただけなのに……。
 
 突然、娘が喘息の発作を起こして咳が止まらず苦しみだした。
「喘息の発作が起きたら煙草を吸うのよ!」
 無理やり妻が娘に煙草を吸わそうとしている。
「みんなで煙草の煙を吐きかけて!」
 喘息で死にそうな娘になんてことをするんだ。
「止めろ! 救急車を呼ぶんだ」
「ダメ! 救急車呼んだら10シガレットもかかるのよ」
「なんだと?」
「煙草の煙は喘息にも癌にも効くのよ。もっともっと煙を吐いて!」
 狂ってる! ニコチン中毒で常軌を逸してる! こんなの“奇跡”じゃない。

 娘が顔色蒼白になっていく……。頼むから、俺が禁煙するから娘を助けてくれい!




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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2016-03-02 14:31 | 掌編小説集

by 泡沫恋歌