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― Metamorphose ―

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時代小説掌編集 桜の精

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表紙はフリー素材 [ 四季の素材 十五夜 ] 様よりお借りしました。
http://ju-goya.com/


    其の三 吉兆の猫

「まことに寝子(ねこ)というだけあって一日中寝てばかりおるわ」
 不機嫌そうな乳母の声が瑠璃姫の居る、御簾(すみ)の中にまで聴こえてきた。その後、ぎゃんと猫の鳴き声がした、廊下で寝ていた猫を乳母が蹴飛ばしたのかもしれない。
 乳母の機嫌が悪そうだと思っていたら、どかどかと瑠璃姫の御簾に乳母が入ってきた。
「姫君! なぜ、弾正尹(だんじょうのかみ)に文をお返しにならなかったのですか?」
「乳母や、猫に手荒なことをしてはなりませぬ」
「弾正尹の少将から、私へ文がきて《姫君は気位が高くて、とてもお相手が務まりません》と断られてしまったではありませんか」
「あの男の馬面は嫌いじゃ……」
「そんなことばかりいっているから……」
 その後につづく言葉を吞み込んで、呆れたように乳母が溜息を吐いた。

 近江国(おうみのくに)瀬田(せた)に住まう瑠璃姫は、父君は近衛大将(このえたいしょう)、母君は中宮に仕える女官であった。内裏で近衛大将に見染められた母君は宮仕えを辞して、夫が用意した屋敷に住まうことになったが、近衛大将の北の方は悋気の強いお方で、都に居を構えることを許さなかった。
 それゆえ、都より遠い琵琶湖を望む、瀬田に屋敷を構えることになった。瑠璃姫が生まれて、瀬田の長者の娘が乳母(めのと)として奉公にあがった。生後まもなく我が子を亡くし、夫とも疎遠になっていたので、屋敷に召されて姫君を育てることを生甲斐と感じていた。
 乳母は田舎育ちだったが、若い頃、都で貴族の屋敷に奉公したことがあり、都育ちの女主人を尊敬し憧れていた。七歳の時に母君が亡くなってからも、ずっと瑠璃姫の側で世話をしてくれたのだ。乳母は朗らかで活発な性格、姫君にはきびしいが情の厚い女である。

「また、そんな穢れの者を御簾に入れて……」
 瑠璃姫の膝の上のでは真っ白な猫が眠っていた。銀波(ぎんなみ)という、さざ波のように毛並が銀色に輝き、吉兆とされる金目銀目の美しい牡猫である。
 屋敷では穀物や衣類などを鼠の害から守るために通常五、六匹の猫を飼っているが、その内で銀波は姫君の一番のお気に入りだった。かれこれ齢十五になる老猫である。
「そんなことより銀波が心配じゃあ、餌も食べないで寝てばかり……このままでは……」
 姫君はしくしくと泣かれた。
「その猫はもう寿命でございます。それよりも年頃の姫君の元に通ってこられる公達がいないことの方が……乳母には悲しゅうございます」
 乳母も桂(うちき)の袂で涙を拭っていた。
 瑠璃姫を殿上人の北の方にして、京の都にかえるのが乳母の夢だった。そのために姫君を美しく聡明に育てあげたのだ。
 しかし当の姫君は殿御には興味がなく、尼にでもなって母君の御霊を弔いたいと思っていた。

 あんなに具合の悪かった銀波が突然消えてしまった。
 屋敷中どこにもいない、侍女たちが外まで捜しにいったが見つからない。猫は死期が迫ると、どこかへいってひっそりと死ぬといういい伝えがある。それでも諦め切れない姫君だったが、ある夜、こんな夢を見た。
 ――夜明けの湖畔、朝霧の中を姫君が歩いていると、真っ白な狩衣姿の公達が現れて、
「お世話になりました。どうか私のことは捜さないでください。とうに魂は天に召されているのです」
「お前は……、もしや銀波か?」
「さようでございます」
 瞳は美しい金目銀目だった。
「銀波は御霊(みたま)となって、姫君の幸せを願い見守って参ります」
 そう告げて、姫の前からすーっと消えていった。――そこで目を覚ました姫君は、銀波の死を確信して涙を零した。

 傷心の姫君の元に立派な公達が通ってこられるようになった。
 式部大輔(しきぶのたゆう)藤原兼通(ふじわらのかねみち)は、父君は右大臣、母君は大納言の家柄の娘で、由緒正しき血統の嫡男(ちゃくなん)である。まだ若いので正五位、式部大輔と官位は低いが、将来有望な公達なのだ。
 この度の縁、どの殿御とも今まで深く心を通わすことがなかった姫君だが、兼通とは仲睦まじく、夜も更ければ、塗籠の中から……時おり漏れくる姫君のあられもないお声に、乳母が赤面するほどであった。
 塗籠の中で、兼通が姫に不思議な話をきかせた。
 瀬田川に舟遊びにきたが、陰陽道の方違(かたたが)えで、瀬田の長者の屋敷に逗留することになったが、連れの者が急な病に罹り、しばらく長者の元に逗留していた。
 毎日、所在なくしていたら、一匹の白い猫が現れて、毎日兼通のことを見ていたという。ある日、「自分についてこい」といわんばかりに、にゃーにゃー鳴いて呼ぶのだ。白い猫は兼通の前を歩き、時々立ち止まって、ついてきているかたしかめながら歩く、そして猫に案内されたのが、瑠璃姫の住む屋敷だったというのだ。
 その白い猫の眼は金目銀目だったという。――もしや銀波の御霊なのかもしれない。

 やがて瑠璃姫と乳母は生まれ故郷の瀬田唐橋(せたのからはし)を渡り、京の都、右大臣家の寝殿造りの北の対に住まうことになった。嫡男、藤原兼通の正室として迎え入れられたのだ。兼通は通っていた女人たちと別れられて、瑠璃姫様、おひとりだけを寵愛なされた。
 瀬田の姫君の玉の輿は京童たちの口の端に上がって、忽ち噂話になったが幸せな姫君だとだれもが羨み微笑んだ。

 これが吉兆の猫、銀波の結んだ縁(えにし)である。




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 〔 参照 〕

弾正尹(だんじょうのかみ) ― 律令制度における弾正台の長官( かみ)である。従三位相当。職務として、非違の糾弾、弾劾を司る。

近江国瀬田(おおみのくにせた) ― 現在の滋賀県大津市瀬田、瀬田唐橋(せたのからはし)で有名な土地。

近衛大将(このえのだいしょう) ― 日本の律令官制における令外官のひとつ。宮中の警固などを司る左右の近衛府の長官。

中宮(ちゅうぐう) ― 日本の天皇の妻たちの呼称のひとつ。

北の方(きたのかた) ― 公卿・大名など、身分の高い人の妻を敬っていう語。

悋気(りんき) ― ねたむこと。特に情事に関する嫉妬。やきもち。

式部大輔(しきぶのたゆう)― 日本の律令制の官職のひとつ。式部省の式部卿に次ぐ地位だった。

塗籠(ぬりごめ) ― 土 などを厚く塗り込んだ壁で囲まれた部屋のこと。初期の寝殿造りでは寝室として使われ た。

方違(かたたがえ) ― 外出または帰宅の際、目的地に特定の方位神がいる場合に、いったん別の方角へ行って一夜を明かし、翌日違う方角から目的地へ向かって禁忌の方角を避けた。

   創作小説・詩
by utakatarennka | 2016-11-27 20:06 | 掌編小説集

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