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― Metamorphose ―

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れんあい脳 ④

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今、キュンと鳴ったのは
胸ではありません。
あなたの脳が恋をした音です♡



   第三話 黒猫と女 ①  

 女は部屋で黒猫を飼っていた。
 小さな古い平屋に猫とふたりで暮らしている。いつも野暮ったい服を着て、化粧っ気もなく、地味で目立たない、この女はもうすぐ五十歳に手が届く。
 親兄弟もなく天涯孤独な境遇と聞くが、さりとて近所付き合いもなく、ひっそりと息を潜めるようにして暮らしている。

 女の左腕は肩より上がらない。
 酒癖の悪い夫が生きていた頃に酔っ払って暴力を振るわれた。激しく壁に身体を打ちつけられて、その時に女の肩は脱臼したが、そのまま治療も受けず放って置いたら、患部に肉が巻いて固まってしまったのだ。
 そして女の飼っている黒猫もまた後ろ脚が不自由である。左右の足の長さが不揃いなため歩く姿がよろよろしている。
 大雨の日に、道路の側溝に嵌って死にかけていた仔猫を拾った。たぶん野良猫が産んだ仔猫で親にはぐれて車にでも撥ね飛ばされたのだろう。まだ片手に乗るくらいの小ささで「ミャーミャー」と弱々しく鳴いていた。
 別に猫好きという訳でもなかったが、こんな所で死んでしまう仔猫が憐れに思えて、放って置くのも薄情だと……仕方なく家まで連れて帰ったのだが、まさか命が助かるとは思ってもみなかった。
 瀕死の仔猫は生き延びた、そして女の唯一の家族となった。

 一年ほど前から、こんな女の元にも通ってくる男がいた。
 見るからに風采の上がらない初老の男である。ねずみ色の背広を着てきちんとネクタイを締めた、一見、地方公務員の窓際族といった風貌である。
 週に一、二度、夕暮れ時に柘植の生け垣の前に佇んでいる男の姿が見かけられる。女が玄関をあけて招き入れると男は躊躇なく敷居をまたぐ。しかし女が気づかないでいると、しばらく生け垣の前で待っているようだが、音もなく立ち去る後ろ姿を見送ったこともある。
 決して自分からドアをノックしない不思議な男なのだ。

 この家の主だった酒乱の夫は、八年前に肝硬変であっ気なくこの世を去った。
 残されたものは、この古い平家と夫の遺族年金だったが、ここにきて女は初めて夫に感謝した。住む家と年金があればなんとか暮らしていける。生前の夫から受けた暴力のせいで女の身体はあちらこちら不自由だったので、無理して働くことができないのである。
 子どもがいない女は孤独だったが、その分質素な暮らしにも耐えていける。週に三日、ビルの清掃アルバイトを始めることにした。
 そこで知り合ったのだが、ねずみ色の背広の男だった。
 けれどもビルで働くサラリーマンとお掃除のおばさんが直接話しをすることはまずない、単なる顔見知り程度の知り合いでしかなかった。

 日曜日、女は飼い猫のキャットフードを買うために大型店舗のホームセンターに出かけた。いつも安売りの時にはキャットフードをまとめ買いをしている。猫の砂も必要だし、重いのでカートを押してホームセンター内を歩き回っている時に男を見たのだ。
 喫煙所近くの構内ベンチに座って、何をするでもなく、茫然と人の流れを見ているだけの男。その顔は無表情で何を考えているのか、窺い知ることもできない。ただ漫然と雑踏の中の風景の一部として溶け込んでいたのだ。――そんな男の姿がやけに印象的で、その孤独な姿が自分に似たものを感じさせた。
振り返って、振り返って、そんな男の姿を見ていた。
 そのホームセンターへ日曜日に行く度に、何度か、その場所で男の姿を目撃した。人が行き交う雑踏の中で男が座っている周辺だけが、なぜか仄かに浮き上がって見えたりもする。何となく気になって、無口な女にしては珍しく、自分から話かけてみようと思った。
「いつも、ここで何をしているのですか?」
「人を見ている」
「誰か探しているのでしょうか?」
「いいや、ただ、自分と関係ない人たちを眺めているだけ」
「お暇なんですか?」
「さあ、自分はいてもいなくてもいい人間だから暇といえば暇なんだろう」
 そう言うと、フフンと鼻を鳴らして自虐的に笑った。
「そうですか。わたしも同じ人間です」
「あんたも……」
 茫然と視線を漂わせていた男が、初めて女の方を見た。
「親も夫も子どももいません。ひとりぼっちで誰にも必要とされていない」
「そうか……」
 納得したように呟いて男は黙ってしまった。
 女はいつの間にかカートを置いて、男と同じベンチに腰をおろしていた。奇妙な連帯感がそこから伝わってくる、この人とは同じ毛色の人間かも知れないと……。無言のまま二人はただその場所に座っていた。

 次にホームセンターで会った時に、思い切って男を自分の家に誘ってみた。
 別に恋心とかそんなものではない。ただ、この男の放つ空気が妙に自分と馴染んだからだ。――あまりしゃべらない、この無口な男といると何んとなく心が安らいだ。
 女は勇気を出して言った。「近くに家があるのでお茶でも飲んでいきませんか?」突然の申し出に男は不思議そうに女の顔を凝視していたが、「うん」とひとつ頷いた。
 女の後ろをのこのこついてきた男は遠慮勝ちに部屋に入ってきたが、広縁で日向ぼっこしていた黒猫は闖入者に驚いて箪笥の上に緊急避難した。
 臆病で人見知りが激しい黒猫は、飼い主の女にしか懐かない。
 この家は古い平屋だが、日当たりの良い広縁だけが自慢だった。後ろ脚の悪い猫はほとんど家飼いにして外に出したことがない。女と猫は日中この広縁でよく過ごしていた。
「猫を飼ってるのか?」
「ええ、唯一の同居人です」
「名前は?」
「クロちゃん」
「オス?」
「ううん。メス猫だけど黒いからクロちゃんって呼んでる。いい加減な名前でしょう? 拾ってきた時は死にそうで、まさか生き延びると思わなかった。――もう五年クロちゃんと暮らしてるの」
「この猫は生きる使命を神様に与えられていたのだろう」
「たとえば……」
「ひとり暮らしの女の人を慰めるとか……」
「それって、私のことね」
「あはは」
「クロちゃんのお陰で寂しさが紛れてるわ」
「猫は可愛いなあ」
 男は猫好きなのか、箪笥の上の猫を見上げて目を細めてそういった。
 結局、その日はお茶を二杯飲んで小一時間居て帰っていった。酒も煙草も嗜まない慎ましい男である。
 そんな、ふたりの様子を箪笥の上から黒猫がじっと見ていた。

 その日から、週に一、二度、夕暮れ時に生け垣の前に男が佇むようになった。
 いつも招き入れると、野良猫みたいにそっと入ってくる男だが、最初の頃は少し話をして小一時間で帰っていった。
 その内、話が途絶えると女の腰を抱くようになった。すると、女は「ちょっと待って……」と、隣の部屋に布団を敷く、ふたりはそこで抱き合った。
 別に情熱的とかそんなのではない。女は夫に受けた暴力のせいで不感症だった。
 ただ、会話が途絶えた男女のすることといえば、これしかなかった。男は女の肉体を丹念に前戯してから、無理なく挿入するので嫌ではなかった。どちらかといえば、男は淡泊な方だったから自分の快楽よりも女を喜ばせようとしてくれていた。
 かつての夫はセックスと暴力は一緒だった。酒を飲んで、女を散々殴ってからセックスをした。それは快楽とはほど遠く、苦痛と嫌悪しかなかった。切れた口の中は血の味がして、そこに舌を入れてくる夫が心底憎かった。
 暴力的なセックスで肉体的苦痛を味わってきた女だが、この男に抱かれて、初めて一人の女として扱って貰えた。この男の愛撫はなんと慈愛に充ちているのだろう、同じ男なのにこうも違うものかと女は驚いた。
 ――セックスに対する嫌悪感も少し薄らいできたようだ。

 二人は家財道具がひしめいた六畳間で抱き合った。下着姿になって女が布団に潜ると、背広をきれいに畳んでから男も隣に潜りこむ、初めは優しく髪をなでたりして、そっと耳にキスをする。首筋から乳房にそって舌を這わせると乳首を舐めたり吸ったりして、感じ始めた女は思わず身体をのけ反らす。女の秘所に男が指を挿入した、そこは温かく潤んでいた。きっと身体は男を求めているのだろう。
 この歳で自分の性器が開発されたことに女は驚いていた。
 男とは身体の相性が良かったのかも知れない。そんな人に巡り合えた奇跡を女の身体は全身で受け止めている。――オルガズムというものを初めて女は体験した。
 ことが終わると、男はスーと寝息を立てて眠ってしまう。余程疲れているのか、少し悲しそうな寝顔が愛しくも思える。小一時間も寝ると男はスッと起き上がり、きちんと身支度を整えてから帰っていく、決して泊ったりしない。
 女も引き留めたりしない、玄関まで見送ったりもしない。男は部屋に入ってきた時と同じようにこっそりと帰っていくのだ。
 時どき、玄関の框の上に封筒が置かれていることがある。
 中には一万円札が入っていたりする。男の心ばかりの謝礼だろうか? こんなおばさんを抱いて、お金まで置いていくなんて、本当に善良な人物だと思った。
 このお金で、今度男が来たら寿司でも取ろうかしら、と――女は考える。




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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2016-12-13 14:22 | 恋愛小説

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