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れきし脳 ⑨

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古の人の情けに涙して 粋を知らぬは脳なしか



   第四巻 五百年の楓 ①

 ああ、わたくしはどれほど長く待っていたことだろうか?
 百年、二百年、三百年……いえいえ、そんなものじゃない。――もう五百年にもなるであろう。この楓の木にわたくしの魂が宿ったのは、世の中が戦国時代と呼ばれた室町幕府の頃であった。


 わたくしは宮中で女房と呼ばれる女官でございました。
 姫君に歌や書を教えるのが仕事でしたが、京の都が戦火に見舞われたので、遠く甲斐の国まで逃れてきました。それというのもわたくしがお仕えする姫君がこの地を治める豪族と婚礼したからでございます。
 京の都しか知らぬわたくしたちには、地方での暮らしは辛いものでございました。言葉が通じぬ、不味い食膳、雅を知らぬ館の主(あるじ)の粗暴な振舞い、このような愚人に仕えることは恥と嘆いておりました。
 都に住む高貴な家柄の姫君が、このような辺鄙な土地に望んで来たわけではありません。
 度重なる戦(いくさ)に都は荒れ果てて、住んでいた館も焼かれ、夜盗どもに強奪されて、父君も病に臥せってしまい、日々の暮らしにも貧窮する有り様に……そんな時に現れたのが、武士団として都の警備にあたっていた豪族でいらっしゃる、この館の主でした。
 武士の身分は低いため、貴族の娘を妻に迎えたいと望んでおられたので、姫君の館を建て直し、武士団を警護につけ、高価な金品を山積みして、その見返りとして姫君を所望されたのです。
 姫君の輿入れにはわたくしのほか、乳母殿と侍女が二人お供しましたが、乳母殿はこの地に着いて、間もなく病で亡くなられてしまい、侍女の一人は里心がついて都に帰ると書置きを残したまま行方知れずに……もう一人の侍女は武士団に手篭めにされて自害いたしました。
  姫君の元に残ったのは、とうとうわたくし一人でございます。

 その内、姫君はご懐妊されましたが、ちっともお喜びではなかった。
 赤子が産まれたら、この地にずっと留まらなければならない。いつか都に帰りたいと願っている姫君にとって、それは耐えられないことでした。
 館の主に「ややが生まれたら、都に里帰りさせていただきます」という条件を出されたようでございました。
 いよいよ月満ちて、出産となりましたが、これが大変な難産でに苦しまれて、苦しまれて……赤子を産み落とし、とうとう力尽きて姫君は亡くなられてしまわれた。
 ああー、わたくしは嘆き悲しみ、どれほど泣いたことでしょう。
 大事な姫君を喪ってわたくしの居場所もなくなったので、館の主に「都へ帰らせてください」と、お暇乞いをいたしましたところ、赤子が大人になるまで側に居て、都の流儀やや歌や書を教えるようにと申し渡されましたが、わたくしは乳母ではありません。
 こんな寂れた土地にひとりで残るのは心底嫌だったので、重ねてお暇乞いを陳情したところ、「都の女子(おなご)は色が白くて、別嬪じゃのう」と好色なことを申されて……亡き姫様の代わりに、わたくしに側室になれとおっしゃいました。

 都生まれのわたくしが厳つい東国武士なんぞと……嫌じゃ! 虫酸が走る。
 側室にされる前に都へ戻りたいと、こっそり屋敷を抜け出して、わたくしは都を目指して旅に出ました。供の者を付けない女のひとり旅が危険なことは重々判っておりましたが、已む無く決意したのでございます。
 わずかな身の回りの品と、亡き姫君の遺髪と形見のギヤマンの櫛を持ち出しました。この櫛はポルトガル人の宣教師が宮家に献上した宝物で、婚礼の時に姫のご両親が持たせてくれたものでございます。そんな大事な品をここに置いてはいけません。――わたくしが持ち出したことがしれれば、きっと追手が掛かることでしょう。
 ただ気掛かりなのは、姫が産んだ赤子のこと……乳飲み子を連れてはいけない。女児なので家督争いなどに巻き込まれることもあるまいし、乳母をつけて大事に育てて貰えると信じて、この地に置いていくことにいたしましょう。
 何としても都に戻って、お里のご家族に姫君が亡くなられたことをお伝えしなければなりません。――どうやら館の主は姫君の死を都に隠しておられる様子なのです。

 ある夜、闇夜に紛れてわたくしは出奔いたしました。
 ひたすら都を目指して、女の脚で山越えをいたします。深い山道に分け入って、城下より遥か遠くなって参りました。――ここまでくれば追手が見つかるまいと安心したのもつかの間、山狩りをする武士たちの声が風に乗って聴こえてきました。
 ああ、このままでは追いつかれてしまう。
 わたくしは焦って真っ暗な山道を駆け出しました。何度も木々にぶつかりましたが、見つかれば連れ戻される。――それだけは真っ平でございます。
 急に身体がふわりと浮き上がったかと思ったら、瞬間、ずりずりと山の斜面を滑り落ちていったのです。途中、木に引っ掛かり止まりましたが、わたくしは気を失ってしまいました。

 気をついた時、見知らぬ誰かに背負われておりました。
 それは広くて温かな男の背中でした。どうやら、木にぶら下がっていたところを助けられたようです。わたくしはその男の家に運ばて介抱されました。そこは貧しい山小屋でございます。
 男の名は喜助(きすけ)という木こりで、山で炭焼きをして、時おり雉や野兎などを捕まえて、市で売ったりするのが生業の者でした。両親を亡くして、今は小屋にひとりで暮らしているのだという。
 わたくしの足は酷く腫れあがって、どうやら足首を挫いてしまったようで痛くて痛くて……とても歩けません。これでは旅は無理だと諦めるほかない……。
 喜助はわたしの足が治るまでここに居ればよいと言ってくれました。
 なぜ女がひとりで無謀な山越えをしたのか。――など、という余計なことをいっさい訊かない寡黙な男でした。
 その日から、喜助は動けないわたくしのために食事の世話や小用を足す時にも手を貸してくれて、真に心根の優しい男でございます。

 毎晩、囲炉裏の傍で喜助は観音像を彫っておりました。
 小刀一本で彫った観音像は見事な出来映えで、頼まれていた、裕福な長者や商家に持っていってお金や食糧と交換して貰うのだそうです。
 わたくしに餅を食べさせてやりたいからと夜なべをして木彫りの観音様を彫っていました。
 山暮らしだが、どこか気品のある面立ちの喜助は平家の落ち武者の家系だと聞きました。平家はかつて都で貴族のように暮らしていた武士団のことで、源平の合戦で負けて一族は滅亡したが、その生き残りが山野に潜んで暮らしていたのです。
 姥桜(うばざくら)と言われたわたくしから見て、喜助は十歳ほど若い、少年の面影が残る顔に、山野で育った肉体は逞しく野性味があります。

 ある晩、わたくしの傷もそろそろ癒えてきた頃でした。
 囲炉裏端で、黙々と観音像を彫っていた無口な喜助が、珍しく話し掛けてきた。
「おまえは都からきた女か?」
 喜助が訊ねた。
「そうじゃ、京の都に帰ろうとしておった」
「都の女はおまえみたいにきれいなのか?」
「わたくしはもう若くない……」
「今まで見た、どの女よりもおまえはきれいだ」
「戯れをもうすでない」
「俺は木にぶら下がっていたおまえを見つけたとき、空から天女が舞い降りたのかと思ったほどじゃ……」
「嘘? 恥かしい……」
 わたくしは喜助の言葉に恥かしくなって袖で顔を隠した。
「隠さないで! もっと見たい」
 袖を払うと喜助は熱い眼差しで見つめた。囲炉裏の炎に照らされて、わたくしの顔は真っ赤になっていたことでしょう。
「名を教えて欲しい」
 世話になりながら、この男に名前すら教えていなかった。
「紅芭(くれは)」
「おまえが好きだ……」
 わたくしの肩を強く抱きしめました。
「紅芭、俺の嫁になってくれ!」
 突然の喜助の告白に、まるで小娘にように胸が高鳴りました。
 そのまま二人は抱き合い、身体を重ねました。小窓から差し込む月の光に酔ってしまったのでしょうか? いいえ、それは――あがなうことのできない運命だったのでございます。
  
 この身分違いの若者にわたくしは抱かれてしまいました。
 そろそろ傷も癒えて旅立ちを考え始めていたので、喜助と深い仲になってしまい、別れを切り出せなくなってしまいました。いずれ都へ帰らなくてはならぬ、この身にとって……喜助との縁は断ち難く辛いものでございます。
 ひと月ほど喜助と夫婦のようにして暮らしておりました。
 傷が治ったにも関わらず、旅立つ決心がつかず悩む日々。一日一日と延ばす内、このまま喜助と一生添い遂げたいという想いが、日に日に強くなって参りました。――わたくしも喜助のことを深く愛していたのです。




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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-03-21 18:40 | 時代小説

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