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― Metamorphose ―

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鳰の海 其の参

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イラストはフリー素材 [ 四季の素材 十五夜 ] 様よりお借りしました。http://ju-goya.com/


   第三巻 塗籠の睦言

 式部大輔が帰ってから、乳母に叱られた。
「姫君なんですか、あの慎みのない、お言葉は……高貴な姫君が自分から『お越しください』などと、殿御に云うものではありませぬ」
 いつも無愛想だと怒るくせに『お越しください』と云ったら、もっと怒られた。乳母なんか嫌いじゃあ。ぷくっと脹れて、姫君は几帳の影で拗ねていた。だけど、今日お逢いした兼通様とは、また逢いたいと思っていた。乳母が云うように、慎みのないことを口走ってしまったなら、きっと愛想を尽かされて……もう来てはくれまい。
 ……そう思っていたら、翌日、兼通から昨夜のお礼の文が来た。それには近々訪問しますと書いてあった。乳母の湖都夜は大喜びだった。――そして、瑠璃姫も嬉しかった。

 それから、五日も経たない内に兼通は再び通って来られた。今度は二度目ということで、先日の堅苦しい挨拶だけではなく、御膳も振舞い、侍女たちが和琴などを奏でて、和やか雰囲気になっていた。兼通からも姫君へ絹の反物がお土産に持参された。
 ――いよいよ夜も更けて、屋敷の灯火がひとつ、またひとつと消されてゆく。
 乳母と侍女たちはしずしずと退出していく。兼通はそっと、瑠璃姫の几帳の中に入って来られた。恥かしそうに扇でお顔を隠しておられる姫君の手を取って、優しく抱きしめて、美しい御髪(おぐし)を撫でておられた。
「あなたの髪は瑠璃鳥の羽根のように、艶やかで美しい」
 兼通の声に姫君の頬は紅潮し、身体が熱く火照ってきて、胸が脈打つ……さらに強く包み込むように抱きしめられた。
 そして、ふたりは抱き合ったまま、縺れ込むように塗籠(ぬりごめ)へ入っていった。

 塗籠の中では姫君は、兼通に身体を預けた。
 なさるように帯を解き、香をたきつけた羅(うすもの)を脱ぐと、惜しげもなく白い肌をさらした。
「姫の肌は白くたおやかで、内裏の池に舞い降りる白鷺(しらさぎ)のようです」
そして、優しく丹念に愛撫して、姫君の秘所を熱く濡れさせた。耳元に熱い男の吐息がかかった時に、
「あっ……あぁ……」
 思わず、お声を漏らしてしまわれた。恥かしげにお口に手をあてられた姫君に、
「わたしが触れると、姫が美しい声で囀られる。もっと、囀(さえず)りを聴かせておくれ」
 と、兼通がもうされたので、姫君も大胆になられた。
 後は、なすがまま身体を開き、心地よい小舟に揺られながら夢心地だった。今までの男たちは何だったのかと思うほどに、兼通とのまぐあいは姫君を夢中にさせた。かつて達したことのない領域まで、幾度も誘(いざな)われて悦楽の高みへのぼった。夜が明けるまで、ふたりは幾度も愛し合って、満ち足りた疲れを共に……抱き合って眠った。

 翌朝、ふたりは昼近くまで塗籠の中で眠っていた。
 塗籠の外から、遠慮がちな乳母の咳払いを耳にして、ようやく起き上がった。目が覚めた時、愛しい男の顔が側にあって、この方の妻になれて幸せだと瑠璃姫は思った。
 身支度を整えると、侍女が膳を運んできた。契りを結んだ、お祝いの紅白餅を兼通とふたりで食べた。
「兼通様はどうして、こんな片田舎に通ってこようと思われたでしょう」
 思い切って、気になっていたことを訊いた。
「先日、方違えで瀬田の長者の家に逗留した折に、わたしは長者の家の者に付いて、瑠璃姫の屋敷をこっそり訪れました。田舎の割には立派な造りの館だと見ていたら、丁度、姫君が几帳から出て来られて、乳母殿と一緒に廊下で何やら楽しげに話しておられた。京の澄ました女人しか知らぬ、わたしにはそのお姿が愛らしく、好ましく思えたのです」
 見知らぬ殿御に顔を見られたことを……恥ずかしいと姫君は思われたが、昨夜、契ったふたりはもう夫婦だから、恥ずかしがることもないのである。
「わたくしは都育ちではないので、不調法者でございます」
 姫君がそう申されると、
「そんなことは気になさるな。わたしが元服(げんぷく)した頃に若い乳母が屋敷に居ました。その者は近江国の生まれで、鳰(にお)の海(うみ)や瀬田の夕照(せきしょう)の美しさなどよく話して聞かせてくれた。わたしが、その乳母をたいそう気にいっていたものだから……。他の侍女たちに妬まれて、ひどい仕打ちを受けて、乳母は病になり、里へ下がり近江の地で亡くなったと聞く。未だ若くて、わたしに力がなかったばかりに……あの人に可哀相なことをしました」
 兼通は悲しそうな顔で瞳を伏せられた。その乳母に今でも後悔の念を抱いているのだろうか。たぶん、その乳母が若い兼通に閨房(けいぼう)の手解きをした女人なのかも知れない。都の公達は童貞から乳母に女体の扱いを学ぶという。そういう仕来りが殿上人(てんじょうびと)にあると、以前、湖都夜に聞いたことを瑠璃姫は思いだした。
 その後、牛車でお帰りになられる兼通のお姿を、名残惜しげに姫君は屋敷の廊下でいつまでも見送っていた。
 お戻りになられてから、ほどなく瀬田の姫君の元へ、後朝(きぬぎぬ)の文が届けられた。その文に返事を書いて使いの者に渡すと、この「ご縁が長く続きますように」姫君と乳母は、阿弥陀様に掌を合わせてお祈りをした。

 それからは、五日、六日おきに、遠方にも関わらず、兼通は姫の元へ通って来られた。
 来る度に姫君や乳母、侍女たちにまで、都の珍しい品物を持参してくださる。誠に気の利く殿御で「今宵参られます」と、先まわりの者が告げたならば、屋敷中がぱっ活気づいて、姫君は化粧をして、衣装を調える。長い下げ髪に、瑠璃の桂(うちき)を上に単衣(ひとえ)を重ね、紅袴姿の姫君は凛として美しく、乳母でさえ感歎の溜息を漏らすほどであった。
 お迎えの支度をする度に、こんな片田舎の屋敷が女主人と共に輝きを取り戻してゆくようだった。
 夜も更ければ、塗籠の中から……時おり漏れくる姫君のあられもないお声に、乳母の湖都夜が赤面するほどであったが、今まで、どの殿御とも深く心を通わすことがなかった姫君だったのに、兼通とは仲睦まじく、ほんとうに良かったと乳母は涙ぐんで喜んだ。
 ――瑠璃姫は、兼通という男を身も心も深く愛し始めていた。


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 ■塗籠《ぬりごめ》⇒ 寝殿造りの母屋の一部に 設けられた、厚い壁で囲まれた部屋。板扉をつけて出入りする。寝室として使われ た。

 ■几帳《きちょう》⇒ 平安時代以降公家の邸宅に使われた、二本のT字型の柱に薄絹を 下げた間仕切りの一種。

 ■不調法者《ぶちょうほう》⇒ 行き届かず、 手際の悪いこと。

 ■元服《げんぷく》⇒ 奈良時代以降、 男子が成人になったことを示す儀式。
 ふつう、11~16歳の間に行われ、髪を結い、服を 改め、堂上家以上は冠、地下《じげ》 では冠の代わりに烏帽子《えぼし》を着用した。

 ■瀬田《せた》の夕照《せきしょう》⇒ 近江八景のひとつ

 ■後朝《きぬぎぬ》⇒ 衣を重ねて掛けて共寝をした男女が、翌朝別れるときそれぞれ身につける、その衣。
 男女が共寝をして過ごした翌朝。また、その朝の別れ。




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創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-11-03 13:09 | 時代小説

by 泡沫恋歌