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― Metamorphose ―

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ダイヤモンドダスト vol. 5

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   第五章 ポストの中の詩

 圭祐は今まで、どんな人間が毎朝朝刊をポストに入れていってくれるのか、なんて考えたこともなかった。
 朝起きてポストを覗いて新聞が入っているのは当たり前と思っていた。誰がいつ、どんな風にポストに入れていくのか、なんて……まったく興味がなかった。
 ある朝、ポストを覗くと新聞と一緒にメモのような紙が挟んであった。開いてみると、そこには一編の詩が書かれていた。


     【 どんぐりのキモチ 】

   おいっ
   おいらたちを拾うんじゃない
   可愛いからってもって帰るなっ

   おいらたちは種なんだ
   ちゃんと土の中にうめてくれよ
   いつか 立派などんぐりの木になるから

   池に放りこむなっ
   どじょうなんか 友だちじゃない
   おいらを使って
   やじろべぇなんか作るなっ
   どんぐりの背くらべ?
   ヘンテコリンなことわざにすんなっ

   へへん ざまぁーみろ
   栗みたいに
   おいらは食べられないぜぇ

   だ・か・ら
   拾ってもって帰らないでくれよ
   おいらたちの一粒一粒が
   だいじな “ 命 ” なんだ!

          優衣


 それは可愛らしい詩だった。
 朝からほのぼのとした気分に圭祐はなれた。たぶん、その詩は昨日会った少女『優衣』が新聞と一緒にポストに入れていったようである。《ゲームセンターで取ってあげた、白いクマのお礼のつもりかな?》と思った。
  キッチンカウンターでコーヒーを飲みながら、圭祐はなんとなく優衣のことを考えていた。《詩を書くような繊細な神経の少女だが、いろいろ辛い境遇みたいで……ぽきっと折れてしまわないだろうか》少し心配になる。
 圭祐は少女のことを考えながらコーヒーを飲み終え、出社の支度を始めた。

 優衣は二冊のルーズリーフを持っている。
 一冊は自分自身の感情や心の傷を書いた暗い詩と、もう一冊は子どもの気持ちで書いたほのぼのとした明るい詩である。
 明るい方の詩は、今は亡き兄健人が気にいってくれて「優衣の詩はうまいなぁー、うまいなぁー」と、よく褒めてくれていた。
 子どもの頃から、引っ込み思案で気の弱い優衣は友達ができなくて、自分の世界に引き籠もっていた。だから、詩を書くことで自分の気持ちを他人に伝えようとしていたのかもしれない。そんな方法でしかコミュニケーションが取れない不器用な優衣を理解し、その才能を一番認めてくれていたのが兄だった。
 優衣の心の拠り所は常に兄健人の存在であった。だから事故で亡くなった……その喪失感は時間が経ったら解決するというレベルの問題ではなかった。――優衣は自分自身の存在さえ見失ってしまいそうになった。
 だから、時々優衣は思う《お兄ちゃんではなく、あたしが死んでいた方が両親も喜ぶし、みんなに取って、その方がほんとうは良かったのに……どうして、神様はお兄ちゃんを連れていったの?》そう思うと自分が生きていることが罪のように思えて、剃刀で手首に傷をつけてしまう。流れだした赤い血で我に返って、傷口に包帯を巻く、自分自身の『死ねない弱さ』に、さらに自己嫌悪をつのらせていく――。
 優衣はいつも心の中で叫んでいる「誰かあたしを救ってください! ダメなら、どうか殺してください!」と……。

 圭祐のポストには、今日も朝刊と共に可愛らしい詩が届く。


     【 水たまり 】

   雨上がりの道
   水たまりに
   あたしがうつってる

   お友だちと
   けんかした

   水たまり
   赤い長ぐつで
   ちゃぷちゃぷしたら

   お水ゆれて
   泣きべそ顔になった

   小さな水たまり
   大きなお空うつして
   きらきら光る

   あした
   お友だちに
   ごめんねって言うよ

          優衣


 優衣がポストに届けてくれる小さな詩。なんだか朝から気持ちがほっこりする。こんな感じは、たぶん一年振りかも知れない。子どもの書いたような詩だが、自分の心の傷に薄いオブラートみたいな膜を貼ってくれているような気がしてならない。


     【 でんでん虫 】

   でんでん虫
   おまえって、ふしぎなやつ
   いったいなんなの

   貝かな
   虫かな
   ナメクジなのか
   貝だったら、好き
   虫だったら、ふつう
   ナメクジだったら、大きらい

   でんでん虫
   いつも雨ふりにいるけど
   ふだんはどこにいるの

   葉っぱのうらかな
   木の中かな
   それとも、土ん中

   分からないことばかり
   でんでん虫について
   今日、考えてみた

                     優衣


 自分と同じ、心に傷を持つあの少女がどんな想いで、こんな詩を書いているのだろうかと、圭祐は不思議に思う。想像の世界で美しいもの、優しいもの、楽しいものと語り合っているのだろうか?
 この詩は、少女の現実逃避の産物かも知れない。
 自ら『生きている価値のない人間』だと卑下していたが、きっと、そうやって心象風景の中で自分を解放しているのだろうか。童心に還ったような明るい詩だが、どこか悲しみを押し殺しているようだ。
 そう考えると、優衣が不憫に思えて仕方がない――。

 ――優衣はもう止めようと思った。
 子どもの書いたような詩を大人に読ませるのは、たぶん迷惑かも知れない。きっと……一瞥して、丸めてごみ箱に捨てられていることだろう。相手の都合も考えず、毎日ポストに詩を入れていった、そんな自己満足な自分が恥ずかしかった。
 それというのも、あの人が死んだお兄ちゃんと雰囲気が似ていたので、勝手に分かって貰えると思い込んでいただけなんだ。
 恥ずかしい、恥ずかしい……こんな幼稚な心しかない自分自身に優衣は恥入っていた。
 圭祐に亡き兄の幻影を見ていただけに過ぎなかった。

 十四階建のマンションの『メゾン・ソレイユ』の入居者は、各フロアに二十室ほどあるので世帯数は二百軒を下らない。その内の約半分に新聞購読者がいる。
 夕刊はマンションの一階にある集合ポストへまとめて配れるが、朝刊は下まで取りに行くのが面倒だし、パジャマ姿では外へ出られないからと、各部屋のドアポストに配って欲しいという要望が圧倒的だった。なので、朝刊だけは各部屋のドアポストに配ることになっている。
 しかし、マンションはどこもセキュリティが厳しくオートロックなっている。通常、エントランスにあるチャイムを押して、中の住人に玄関の扉を開けて貰って入るシステムなっている。だが、朝の早い新聞配達人はそうもいかないので、マンションと契約して、玄関の扉を開けるパスワード番号を教えて貰っている。その番号は時々変更されるのだが――。

 優衣は『メゾン・ソレイユ』のパスワードを押して扉が開くと中へ入って、正面にあるエレベーターで最上階まで上がっていく。手に持ったずっしりと重い新聞の束。今からこれを十四階から順々に配っていくのである。
 マンションは雨降りの日は濡れなくて済むので助かるが、真っ暗な早朝にひとりでエレベーターに乗るのは怖い。たまにマンションの住人と乗り合わせることがあるが……じろじろ見られて恥かしい。見知らぬ人に「ご苦労さま」とか声を掛けられるのも苦手だし、一度、朝帰りの酔っ払った男性にエレベーターの中で絡まれて怖い目にあったこともある。
 いつも《どうか誰もエレベーターに乗ってきませんように!》と、優衣は祈りながら最上階へとエレベーターで上っていく――。

 十四階のフロアのドアポストに朝刊を挿して、そこから十三階、十二階と階段で駆け降りながら朝刊を配達していく、かなりの重労働である。それでも人と会わずに働けるこの仕事が精神的に楽でいい。わずかなアルバイト代から家に生活費を入れている。父はもっと稼げる仕事を探せと口煩くいうが、引っ込み思案で人見知りの優衣には、この仕事が精一杯なのである。
 七階のフロアに降りて、新聞を配っていたら、こんな早朝に誰かが通路の所に立っているのが見えた。もし酔っ払いで絡まれたら嫌だなと優衣は身構えながら……少しづつ新聞を持って通路を進んでいった。
「あっ!」
 思わず、声が出た。
「おはよう」
 通路に立っていたのは圭祐だった。手を振って優衣に微笑みかけている。
「そろそろ君が来る時間だと思ってね」
「……待っていてくれたんですか?」
「うん。二、三日前からポストに詩を入れてくれないから心配していたんだ」
「あのう迷惑かと思って……」
「君の可愛い詩を毎朝楽しみにしていたんだよ」
「ほんとに……」
 優衣の瞳が輝いた。
「ほらっ、これ」
 温かい缶コーヒーを優衣に手渡してくれた。
「寒いだろう? それ飲んで温まりなよ」
「……ありがとう」
「冷めないように僕のポケットの中で温めて置いたから」
 そういうと圭祐は照れ臭そうに笑った。
 プルトップを引き上げて優衣はひと口飲んだ。缶コーヒーは程好い温度だった。
 普通なら人見知りが強い優衣は、こんな風に人から貰ったものを、その場で飲んだり絶対に出来ないタイプである。それが不思議なことに圭祐にだけは素直に反応できる。
 なぜだか自分でも分からないけれど、圭祐は最初から特別な存在のように思えて仕方がない。

 「ご馳走さまでした」
 缶コーヒーを飲み終えて、まだ配達があるのでお礼をいって仕事に戻ろうとした。
「あ、缶はこっちで捨てておくから……」
「すみません」
「寒いけど頑張れよ」
 優しい笑顔で圭祐が励ましてくれる。
 その笑顔に亡き兄健人がダブって見える《まるでお兄ちゃんみたい……》なんだか嬉しくて優衣は涙が零れそうになった。
「君、携帯のメール教えてくれないかな?」
「……あのう、携帯持っていないんです。お父さんがダメだって言うから」
 今どき、携帯を持っていない子は珍しいと圭祐は驚いた。
「それに誰からもメールとかこないから……」
 そういって優衣は薄く笑った。
 俯くと長い黒髪で顔の半分が隠れてしまう、その髪はまるで自分自身を隠すための蓑のようだった。
「じゃあ……」
 ペコリと頭を下げて、再び優衣は新聞を配達し始めた。
 圭祐はしばらく優衣の後ろ姿を見送っていたが、姿が見えなくなったと同時に自分の部屋に引っ込んだ。



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   創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-04-22 22:15 | 恋愛小説

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