ネットに棲むモンスター ⑤
第九章 見えない敵
学校から帰ったら、自分の部屋にあるノートパソコンを開いた。
受験に必要だからと去年、親から自分専用のノートパソコンを買ってもらった。リビングにあるデスクトップは家族と共有なので、妹や弟が検索やゲームなどいろんな用途で使うので、自分に必要な『お気に入り』なども登録できないし、家族がいる部屋では長時間パソコンをいじっているわけにもいかない。すぐに妹や弟が「お兄ちゃん、何やってるの?」と後ろから覗き込むからだ。
自分専用のノートパソコンを買ってもらってからは、パスワードをかけて他人に覗かれないように設定してある。
まず部屋に鍵をかけてから、僕はパソコンの電源を入れて、立ち上がったらパスワードを入力し、メールなどをチェックする。その後『のべるリスト』を開き『村井秋生』という偽の秋生が作品を更新してないか調べにいった。
つい、一時間ほど前に連載の続きを更新していた。
やったー! これでIPアドレスを見れたはずだ。IPアドレスさえ分かれば、それを辿ってナッティーがそいつのパソコンの中に入って、どんな奴か相手の顔を確認できる。 ――もう少しで秋生を嵌めた犯人を見つけられるんだ。
いつもナッティーがいるゲーム&アバターのSNSのウインドウを開いて、彼女に呼びかけた。
「ナッティー、ナッティー」
いつもなら、すぐに現れるはずのナッティーが……。五分経っても、十分経っても姿を現わさない。――いったい、どうしたんだろう?
小一時間経った頃に、
「ツ……バサ……くん……」
か細い声がパソコンの中から聴こえた。同時に、薄くぼやけたナッティーのアバターも表示された。
「ナッティーどうしたんだい?」
「……しばらく意識を失っていた」
「大丈夫かい?」
「うん、なんとか……」
ナッティーのアバターは、少しずつ鮮明さ取り戻した。
「IPアドレスは確認できたの?」
「――それがダメだった。あの小説投稿サイトをずっと見張っていたの。そしたら偽者が秋生くんのファームで投稿したから、ナッティーは慌てて、そいつのIPアドレスを見てやろうとパソコンの中を覗き込んだら、その瞬間に……意識を失ったぁー」
「ええっ!?」
「そいつのパソコンには強い瘴気(しょうき)が漂っていて、とても覗けないよぉー!」
ナッティーが泣きそうな声で叫んだ。
「幽霊を一撃する瘴気っていったい……? ただのパソコンじゃなさそうだ」
「そうなのよ。――あのパソコンにはIPアドレスも付いていなかった気がする」
「ええっ? そんなバカなことが……!?」
IPアドレスが付いてないパソコンなんて常識的に考えて在りえない。
「いきなりドス黒い瘴気に当てられて、コトンと意識を失った時はもう死んだかと思ったわ」
「――ナッティーはもう死んでいるから、それ以上は死ねない」
「そりゃあ、そうだけど……」
いつものジョークだが、とても笑える気分ではなかった。
パソコンに瘴気が漂っているって……いったい敵は何者なんだ? 信じられないようなナッティーの言葉に、僕は自身『見えない敵』に対する恐怖が現実味を帯びてきた――。
※ 瘴気(しょうき)とは、古代から、ある種の悪い病気を
引き起こすと考えられた「悪い空気」。
もしくは、熱病を起こさせるという山川の毒気。
気体または霧のようなエアロゾル状物質と考えられた。
第十章 秋生の残像
マンションのエントランスを抜けて扉が開くといつも飛び込んでくる残像がある。
秋生が死んだ、あの日の光景――道に流れ出した真っ赤な血と白いシートに包まった物体。
思い出したくないので僕は目を瞑るが、海馬に刻まれた記憶が何度も何度も、あの日の残像を僕に見せる。
秋生の死体が発見されたあたりに時々花束が置かれている。たぶん、秋生のお母さんは供えたのだろう。僕もその側に秋生の好きだった炭酸飲料の缶を置いた。だが、いつの間にか取り払われている。マンションの管理人が片付けたのだろうか。
きっと、マンションの管理者としては、ここが人の死んだ場所だという記憶を、みんなに早く忘れ去って貰いたいのだろうけど……。僕やおばさんにとって『秋生の記憶』は、秋生が死んだからと言って、簡単に消すことなんかできやしない。
秋生のホームページの小説を読むことで、僕は『秋生の記憶』を新たにしている。ああ、秋生はこんなことを考えていたんだ。そうか、秋生はこんなことに興味があったんだなあ――。
そんな風に、僕の中で『秋生の記憶』は今もなお更新されているのだ。
それでも、あの場所だけは見たくない! ナッティーは自縛霊になって秋生は死んだ場所に居るかもしれないと言ったが……僕にはそうは感じられなかった。
道路側に面した通路の奥には自転車置き場がある。通学に自転車を使っている僕は毎日、あの場所を通らなくてはいけないのだ。ツライので目を背けるが、意識とは別に、僕の目はそこに貼りつく。そして、いつも秋生を守ってやれなかった自分の不甲斐なさを嘆いているのだ。
――あの場所に珍しい人が立っていた。
秋生が入っていた『文芸部』の部長で創作仲間だった深野(ふかの)さん――。秋生の遺体が発見された場所をジーッと見つめている。
手に何も持っていないので献花にきたわけではなさそうだ。何をやっているんだろう? 自転車置き場から出てきた僕は、彼の側を通り過ぎると間際に「――ちはっ」と軽く会釈をした。
「あっ! 君は……」
深野さんは驚いたように振り向いた。
「ども、秋生と幼馴染だった福山翼です」
「ああ、確か君のクラスは3-Eだったね」
「秋生は3-Bだからクラスは違うけど、ずっと僕らは親友でした」
薄い眼鏡のフレーム越しに、悲しい目で深野さんは僕を見ていた。
「そうか……じゃあ、君も辛いね」
「……はい」
今さらながら、その言葉に僕はうなだれる。
「僕と村井は創作仲間で文芸部やネットの小説投稿サイトでも作品を発表して、お互いに触発されながら成長してきたのだ。――なのに、彼に死なれて……悲しくて、虚しくて、僕は創作ができなくなってしまった」
深野さんは独りごとのように、僕の方を見ずに一気にしゃべった。
「……その気持ち分かります」
「僕たちは小説家になるのが夢だったのに……」
あの日、火葬場で僕と同じように、秋生のために肩を震わせて嗚咽を漏らしていた、深野さんだから……。僕らは同じ傷を舐め合うようだった。
「なにか、秋生の自殺の原因とか知りませんか?」
僕の知らない秋生を知っている深野さんだから、思い切って聞いてみた。
「自殺の原因? あれは堪えたかも知れないなあ……」
「なんですか?」
「僕らは『のべるリスト』という小説投稿サイトに作品を書いていたんだけど、村井の小説は人気があって、すぐに人気作家ランキングの1位になったんだよ。――それでね、村井の人気がオモシロクない連中がいて、同じサイトの作家たちから嫌がらせを受けていたようなのだ」
「本当ですか?」
「ああ、嫌な書き込みされたり、悪口をミニメールで送ってきたり、自分らのコミュニティの仲間同士で村井の小説のことをこけ落としたりと、かなり陰湿なイジメにあったようだ」
「そうですか……」
やはり秋生は小説投稿サイトでも虐めに合っていたんだ。
もしかしたら、3ちゃんネルの秋生に対する誹謗中傷の掲示板も『のべるリスト』の奴らの仕業かもしれない。
『のべるリスト』のプロフィールに秋生は自分の写真を載せていた。自己紹介文には都立高校の三年生で文芸部所属、血液型AB、10月17日生まれなど公開していた。そのせいで秋生の個人情報がネットに流れてしまった――。
だから、あんな掲示板を挙げられて、いかにも秋生自身を知っている者の仕業のように見せかけたのかもしれない。さすが物書き、そういう悪知恵だけは働くのだ。
なんて卑劣な奴らだ! 同じ趣味の者同士なのに……大勢でひとりを潰そうとするなんて、こんな虐めをするような連中は器の小さい奴らじゃないか。
他人の才能を嫉妬する前に、もっと自分たちも創作に精進しろよ! と、僕はそいつらに怒鳴りつけたくなった。