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ラボ・ストーリー ⑤

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   Dr.Yamada file.5【飛びます☆飛びます☆飛べません↓ 】

「いい加減にしてください!」

 空港の国際線ロビーに若い男の怒号が響き渡った。
「シィー、佐藤君、声が大きい……」
 口の前に人差し指を立てて、辺りを窺うように中年の男が諫めた。二人は大和大学で細菌学を研究する山田博士とその助手の佐藤である。
 山田博士が培養したスーパー酵母菌が化学雑誌で取り上げられ一躍注目を浴びて、この度パリで開催される世界細菌学シンポジュウムで、その研究発表をすべく、二人分の旅費と航空券が送られてきた。
 だが、肝心の山田博士が飛行機に乗ろうとしないのである。
「だってぇー、博士がいつまで経っても決心しないのが悪いんです」
「だから、私は個人的に鎖国しているんだよ」
「はぁ? 今は21世紀ですよ。飛行機に乗れない人間がいるなんて信じられない」
「乗れないじゃない。乗らないんだ!」
「どっちも同じ意味でしょう」
「断じて違う! 乗らないは自分の意思で拒否しているのだ」
「もぉー! 屁理屈捏ねてないで、さっさっと搭乗しましょう」
 イライラした佐藤が博士を急かせるが、
「待ってくれ! まだ心の準備が……」
「……ったく、二時間前から空港のロビーで心の準備をやってるんだから」
 うんざりした顔で佐藤が言った。
「私だって飛行機に乗って、パリの細菌学会で研究発表したいさ」
「じゃあ、飛行機に乗りましょう」
 博士の腕を掴もうとしたが、その手を振り払われた。
「イヤだ! とても怖くて乗れない」
「チッ! もう時間がない」
 時計を見ながら、佐藤が舌打ちをする。ふと博士の手荷物に目を止めて――。
「博士、鞄に貼ってるステッカーはなんですか?」
「交通安全のお札」
「首からさげてるのは?」
「お守り」
「手に持ってるもの?」
「清めの塩」
「ばっかじゃないの!」
 佐藤の罵声が空港ロビーに響く。行き交う人々がふり向いた。

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「アンタ、それでも科学者ですか?」
「科学者だって、困った時には神頼みするさ……」
「飛行機は最も安全な移動手段で、10万飛行時間当たりの死亡事故件数が0.07件、東京=ニューヨーク間を毎日往復したとして、438年、毎日乗リ続けて1回だけ事故に遭うレベルなんです」
「嘘だ! 鉄が空飛ぶなんてオカシイ……鉄だから絶対に落ちる!」
 科学者らしからぬ博士の言い草に、佐藤は大きく溜息を吐いた。
「こんな弱虫だったなんて……博士に幻滅した」
「誰だって、弱点はあるだろう?」
「僕が研究室に入って、間なしの頃、実験用のマウスを掴めなくておろおろしてたら、博士が言いましたよね。『佐藤君、たかがネズミ一匹掴めないようなお譲さんは、うちの研究室には要らない』って、あん時の博士の人を小馬鹿にした言い方を――。僕一生忘れませんからね」
「あの時のことをまだ根に持っていたとは……」
「持ってますよ!」
「執念深い男だねぇー」
 フンと、佐藤は鼻を鳴らした。
「研究室の冷蔵庫に入れて置いた僕のプリンを勝手に食べた犯人は博士でしょう?」
「な、な、何を言うんだ。証拠でもあるのかね?」
「山田博士のデスクの下のゴミ箱に、空のプリンのカップが捨てられてましたもん」
「し、しまった!」
「助手として情けない」
「まあ、そう言わずに……」
「それより僕は猛烈に悔しいんです!」
 いきなり握り拳を振り上げて、佐藤が博士に向って滔々と語る。
「山田研究室の納豆菌と酒麹とくさや菌を交配培養させて作った、スーパー酵母菌は1ヶ月服用すると、見た目年齢が10歳若返るアンチエイジングパワーを発揮します。癌細胞がみるみる消えてなくなる驚異の力があります。まさに人類が待ち望んだ奇跡の酵母菌です」
「そう、十年の歳月をかけて生まれたスーパー酵母菌だ」
「世界中に研究発表するチャンスを逃していいんですか?」
「だが……」
「山田博士の到着をパリの学会が待ち望んでいるんですよ」
「……ああ、私はどうしたらいいんだ」
 博士は頭を掻きむしって悶絶する。
「さあ、飛行機に乗って世界へ飛び立とう!」
「で、でも、飛行機怖い……」
「機内では、ガンガンお酒を飲んで酔っ払って寝ちまうってのはどう?」
「いくら飲んでも酔わない性質(たち)だ」
「睡眠薬で眠らせて、けど薬がない」
「ああ、ダメだ……」

 その時、空港ロビーにパリ行き搭乗を促すアナウンスが流れた。
「タイムリミット! 博士早く!」
 腕を掴んで引っ張ったが、博士は椅子にしがみつき動こうとしない。
「私はただの高所恐怖症だけではないんだ。閉所恐怖症も入っていて、パニック症候群で過呼吸になってしまう」
 博士は目に涙を浮かべて訴える。
「それよりも……飛行機に乗った途端、腰を抜かし失禁してしまうかも……」
「えっえぇ―――!?」
「そんなことになったら、恥かしくて、お天道様の下を歩けなくなる」
 頭を抱えて、博士は嗚咽を漏らす。
「……博士は、こんなチャンスを棒にふる気ですか?」
「佐藤君、これを……」
 研究発表の資料の入った鞄を助手に渡した。
「私の代わりに、君がパリの学会で発表してくれたまえ!」
「えっ!?」
「頼む! 佐藤君」
「博士……分かりました!」
 二人は固く手を握り合った。
 そして佐藤は慌てて、出国ゲートへ走って行く。山田博士は涙にむせびつつ、その後ろ姿を見送った。

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 あろうことか、パリの学会では博士の代理で研究発表した佐藤が脚光を浴びていた。
『スーパー酵母菌が人類を救う!』
『細菌学会に若きホープ現る!』
『天才科学者サトウ博士!』
 海外の化学雑誌に、スーパー酵母菌の開発者として佐藤の写真がデカデカと掲載された。

 日本では、飛行機に乗れないせいで、助手に手柄を奪われてしまった山田博士が『飛行機が怖くなくなる酵母菌』の研究に没頭していた――。




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創作小説・詩

by utakatarennka | 2019-02-24 15:22 | SF小説

by 泡沫恋歌