― Metamorphose ―

rennka55.exblog.jp

泡沫恋歌のブログと作品倉庫     

ブログトップ

四葉のクローバー [前編]


    
   第一章 再会

 自転車で片道二十五分、いつも通いなれた平川徹(ひらかわ とおる)の通勤時間だ。
 夜勤明けの朝、冷たい早春の風に吹かれながらペダルを漕ぐ、仕事で疲れた身体には、朝の日差しが眩しくて思わず目を細めてしまう。
 平川徹(ひらかわ とおる)は小さな町工場で働いている。
 この不況で人手を減らした分、徹たち残った従業員に仕事の負担がかかる。残業をしても生産が間に合わず、削減した人数の分の夜勤が回ってきた。高校にも入っていない低学歴の徹には、サービス業か肉体労働のほか仕事がない。安い給料できつい仕事だけど、それでも仕事があるだけ有難いと思っている。
 家が貧しく家計を助けるために、中学生の頃からずっとアルバイトをやってきた。一生懸命に働き続けたら、きっとそのうち暮らしが楽になるかもしれないと、そんな根拠のない希望を抱いて、日々を生きてきたのだ。
 徹は誰にもいえない秘密を抱えていた。
 過去に大罪を犯した咎人だから、文句など言ってはいけない身だと、いつも自分自身に言い聞かせている。今でも悪夢にうなされる恐怖の残像、決して消し去ることのできない罪の記憶だった。
 死ぬまでこの罪を償う、贖罪することで生きている理由を見出そうとしている。

 去年の春に、母が病気で亡くなった。
 元々母子家庭だったので、高校生の妹の亜矢と今はふたり暮らしだ。家に帰ったら、妹を起こして、朝ごはん食べさせてから学校に送り出さなければ、そんなことをぼんやり考えながら、自転車のペダルを漕いでいた。
 四つ角を曲がったら、徹の住んでいる古いアパートが見える。
 あれ、白い人影が自分の部屋の前に立っている。誰だろう? こんな朝早くに……。誰かこのアパートの住人を待っているのか? それとも、うちの妹の友人だろうか?
 ほどなく自転車はアパートに到着、白い人影は白いコートを着た女性だった。
 サドルから降りると自転車を押して自分の部屋の前に近づく、その女はじっと徹の方を見つめていた。軽く会釈をして、徹は自分の部屋の前に自転車を止めた。

 その人は美しい女性だった。
 歳はたぶん自分と同じくらいか、二十歳前後に見える。黒く長いストレートヘアーで、肌が抜けるように白く、黒目の大きな愛らしい顔だった。
 服装も派手ではなく、仕立ての良さそうな白いコートを上品に羽織っている。おおよそ、この界隈で見かける奴らとは人種が違っているように思える。

 徹は部屋を開けようと、ジャンバーのポケットに手を突っ込んで鍵を探っていたら、なぜか、その人は徹の真後ろに立ってじっと見ている。そして……、
「トオルくんですか……?」
 小さな声で囁くように訊いた。
「えっ! 俺、徹だけど……あんた誰?」
 鍵を開けながら驚いて振り向いた。
「これ覚えていますか?」
 そう言って、手に持っていた紙を開いて中身を見せた。

 それは、四つ葉のクローバーの押し花だった。
 干乾びて茶色く変色していたが、葉っぱが四枚ある四つ葉のクローバー。
 「可奈子(かなこ)……」
 驚きで徹は目を見開いた。
 その四つ葉のクローバーは、十年前に徹が可奈子にあげたものだった。同時に、徹の脳裏にはあの事件の記憶が甦ろうとしていた。
 切なく甘い記憶と凄惨な記憶が交互にフラッシュバックする。十年たった今も、夢でうなされるあの怖ろしい事件が……。

 ――思いがけない、可奈子との再会に、驚愕して徹は立ち竦んだ。


   第二章 貧困

 十年前、小学校五年生の徹は父とふたり暮らしだった。
 父の平川慎一(ひらかわ しんいち)は土木作業員で貧しい、その日暮らしの生活を送っていた。親子は住む所にも追われ、町外れの廃屋に勝手に住まい雨露をしのぐ生活であった。
 ガス・水道・電気は無く、水は近所の公園の水道から汲んできて、やかんや鍋に溜めて置き、カセットボンベでお湯を沸かし煮炊きをしていた。夜になると明かりはロウソクだけだった。

 その半年前、父の慎一は工事現場の足場から転落した。
 脚を複雑骨折し、後遺症で歩行が少し不自由になり、そのせいで脚が痛いと仕事をサボるようになった。
 そして朝から酒を飲んでは管を巻いていた。
 母の芳恵(よしえ)は働かない夫と、二人の子供を養うために水商売に出ていた。仕事で酔って深夜に帰宅する芳恵に、父は何が気に入らないのか……。
「このアバズレ!」
「淫売!」
 汚い言葉で罵っては暴力を振るっていた。
 元はと言えば、飲んだくれて働かない自分が悪いのに……仕事で男性客相手にお酒を飲んで帰る妻に嫉妬して暴力を振る、父はそんな男だった。毎夜、徹は母の悲鳴と父の怒号を子守唄に眠った。

 徹の両親は共に天涯孤独な境遇同士だった。
 父の慎一は幼い頃に両親が別れて、親戚中をたらい回しにされ養い親に虐待されて育った。
 子供の頃、寒の師走に養父に家から閉め出され、軒下で凍死寸前だったのを近所の人に発見され助けられたと父は徹に話したことがあった。
 悲惨な子供時代を送った父はイビツな人間に育ってしまった。義務教育終了を待たず、家を飛び出し、放浪しながら大人になった。

 母の郁恵は生まれたときから、両親の顔も知らず養護施設で育った娘である。
 そんな寂しい境遇のふたりが、家族欄団に憧れ家庭を持ったはずなのに……。生活苦から憎み合うことしかできず、そして子供の頃に虐待を受けた父は妻や子供を殴ることで、うさを晴らそうとする。
 弱いものが、弱いものを虐める『負』の連鎖は止まらない――。

「銭湯に行ってくる」
 ある日、母は五歳の妹の亜矢(あや)を連れてと家を出たまま帰って来なかった。
 夜になっても帰って来ないふたりを心配して徹は銭湯まで迎えにいった、暖簾を片付けに出てきた銭湯の主人に母と妹は来てないかと訊ねたら、今日は来てないと言われた。
 慌てて家に帰って箪笥の中を調べたら、母と妹の身の回り物がごっそりなくなっていた。母は妹を連れて家出したのだと、その時になって徹にも分かった。
 そして自分は母に捨てられたのだと――徹は悟った。
 その日から父の酒の量が前にもまして増えた、酔っ払って徹にも暴力を振るった。母がいなくなってアパートの家賃が払えず滞納して、ついに大家から追い出され親子で町外れの廃屋に住まうことになったのである。


   第三章 廃屋

 有刺鉄線を抜けて廃屋の中に入っていく、今はここが徹にとって我が家だった。
 住む人も無く何十年も打ち捨てられた古屋は傾き床は抜け、伸びきった雑草に覆われ外からは容易に見えない。立ち入り禁止の札と回りには有刺鉄線で張り巡らしていた。
 この近所の子供たちは、ここを『お化け屋敷』と呼んで、誰ひとり近づかない。
 まさか、こんな所に人が住んでいるとは誰が想像できよう。
 割れた窓ガラスを開けて中に入る。一番手前の部屋を片付けて、なんとか寝起き出来るようにした、こんなあばら家でも野宿するよりは、ずっとマシなのだから――。

 小学校五年生の徹は給食を食べるために学校へ通っている。顔に生傷を作って登校する徹に、若い担任教師はいつも、
「おい、大丈夫か?」
 心配げな顔で訊ねたが……。
「大丈夫です!」
 何を訊かれても徹は、そうとしか答えなかった。
人に同情されたくなかったし、こんな状況を知られることが死ぬほど嫌だった。
 クラスメイトも徹の家庭のことは、薄々気づいているが……大人しいけど怒らせると何を仕出かすか分からない徹を、内心怖れているようだ。
 虐められなかったけれど、誰もが遠巻きに見ているだけで助けてはくれない。家庭でも学校でも、徹はいつもひとりぼっちだった。そこに居場所なんかなかった――。

 早く帰ると飲んだくれて機嫌の悪い父親に殴られるので、出来るだけ家に帰らないようにしていた。いつも酔い潰れて寝込んだ頃合いを見計らって、こっそり廃屋に戻った。
 家に帰るまで徹は、知り合いの自転車屋のお爺さんの手伝いをして食べ物やわずかなお駄賃を貰っていた。他にもお弁当屋の奥さんが同情して、ときどき売れ残りの弁当やおにぎりを分けてくれる。お礼に店の片づけや溝掃除などを手伝った。

 それでも時間がつぶし切れない時は、原っぱで四つ葉のクローバーを探した。
 徹が幼いとき、母が原っぱで見つけて「四つ葉のクローバーに願い事をすると、きっと叶って幸せになれるんだよ」と言ったから、母の言葉を信じて、徹は四つ葉のクローバーを探していた。
「母ちゃんと妹の亜矢に会えますように!」
「一緒に暮らせるように!」
「父ちゃんが殴らないように……」
 そう願って徹は四つ葉のクローバーを探し続けた。
 今の徹にとって《ふたたび家族で暮らせる》その願いだけが生きる希望だった。早く大人になって、絶対に母ちゃんと亜矢を探すんだ!
 どんなに辛くても涙ひとつ見せない徹だったが、原っぱでひとり四つ葉のクローバーを探しながら、気がつけば涙が頬を伝っていた。

 日が暮れて廃屋に帰ると、いつものように酔っ払った父が、珍しく徹に話しかけてきた。
「なあ、徹……なんで父ちゃんは何をやっても上手くいかないんだろう?」
 徹は返答に困って黙っていた。
「生まれた時から貧乏で、親もなくて……おまけに、ケガで脚は悪くなるし、母ちゃんは出て行くし、アパートも追い出される……」
 愚痴りながら焼酎を煽る父だった。
「良いことなんか何もない、これも貧乏が悪いんだ!」
 そう言って拳で床を叩いた。
「おまえ駅前にある佐伯病院(さえきびょういん)って知ってるか? 新築のでっかい病院だ」
「……うん、知ってる」
 そう訊かれて、駅前に最近新築された立派な病院を頭に思い浮かべていた。
「父ちゃん、工事であの病院にいってたけど、隣に院長先生の自宅があるんだが……」
 父が何を言いたいのか徹には分からなかった。
「でっかい家で駐車場にはなぁー、ベンツやら外車が三台も止まってやがる! ちくしょう! 金持ちばかり良い思いしてやがる。なあ、徹、世の中は不公平だと思わないか?」
「うん……」
 どう答えて良いか分からない、答えが気に入らないと父に殴られる。
「徹……俺ら貧乏人があんな金持ちから、ほんの少しお金を貰っても悪くないだろ?」
 父の目は異様な光を放っていた。
「真面目にやってもダメなんだ! 一発デカイことやって、こんな生活から抜け出してやる!」
 そう叫んで、父は焼酎を一気に煽り、コップを壁に向けて投げつけた! 
 父の慎一がそのとき、いったい何を考えていたのか、後になって徹にもよく分かった。


   第四章 誘拐

 今日は珍しく父が朝から仕事に行くと出掛けていった。
 それで安心した徹は、いつもよりも早く廃屋に帰ってきたら、どういう訳か父の慎一はもう帰っていた。驚いた徹だったが、それよりさらに驚いたのは、見知らぬ女の子が口にガムテープ、手をヒモのようなもので縛られ部屋に横たわっていたのだ。
「父ちゃん! その子は……?」
「死んじゃあいないさー、怖くて気を失っているだけだ」
 女の子を足でつつきながら父が言った。
「父ちゃん……父ちゃん……」
……徹には、この事態が飲み込めない。
「徹、その子は俺らにとっちゃあ大事な金ズルだから……」
 そこまで聞いて、少しづつ徹にも状況が分かってきた。『誘拐』その二文字が頭の中をグルグル回り始めた、まさか父ちゃんが……?
「徹、おまえが手紙書け、子供の筆跡だとバレない」
 なんて親だ! 子供に犯罪の片棒を担がせようとしている。徹は訳も分からぬまま、父の命令を聞くより仕方がなかった。

 どうやら父は、かなり以前から誘拐の計画を練っていたようなのである。
 病院の工事現場から偶然見かけた院長先生の娘、両親の愛情たっぷりに育てられた、この娘を誘拐のターゲットにしようと絞り込んでいたのだ。
 それから幾度となく、佐伯家の様子を窺っていたようで、私立小学校に通う少女の送り迎えには、いつも母親が車を運転しているようだが、週に一度、水曜日だけは母親に用事があり、少女はひとりで駅まで歩いて電車で通学している。
 その日をつきとめて、自宅からひとりで出てきた少女を無理やり車に押し込み連れ去ったのである。誘拐に使った軽のミニバンは知り合いの工務店から、こっそり拝借してきたもので、もちろん父は車の免許証など持ってはいない。

「なぁー徹、身代金はいくらがいい?」
「金持ちからガッポリ巻き上げてやろうぜ!」
「一千万……いや、あの家なら三千万くらいは出せるだろう」
 酒を飲んで上機嫌でひとりでしゃべる父だったが、自分がやっている怖ろしい犯罪を何とも思っていないのだろうか?
 父がマトモではないと徹にも分かっていたが……結局、父に命じられるままに徹は身代金要求の脅迫状を書かされた。大学ノートを破り、鉛筆書きのその脅迫状は誰が見ても、子供のイタズラ書きにしか見えない、ちゃっちいモノだった。
 父が女の子の持ち物を付ければ、ホンモノに見えると言うので、徹は気を失って横たわる少女のポケットから持ち物を探った。

 間近で見た少女は色が白くて、まつ毛の長い愛らしい顔だった。
 いかにも育ちが良さそうで、ひと目で《俺らとは全然違うなぁー》と徹にも分かった。
 ポケットから真っ白なハンカチが出てきた、それを手紙に付けることにする。ハンカチには桃色の糸で「kanako」と刺繍がしてあった。“かなこ”それが、この少女の名前だろうか?
 こんな犯罪に巻き込まれた少女が気の毒で仕方なかったが……暴力で言うことをきかす父が怖くて、とても逆らえない徹だった。

 徹は父に命じられ手紙を直接、佐伯家のポストに投函しにきた。
 病院も立派だが、院長先生の自宅も大きな屋敷だった、父に言われた通りに病院のポストではなく、自宅の方のポストに入れる。
 広い庭にはラブラドールが二匹放し飼いにされていて、徹を見て勢いよく吠えた。ビビリながらも何とか投函できたが、この家では帰って来ない娘を家族は心配しているんだろうなぁ? そして自分が書いた手紙を見て、さらに酷いショックを受けるんだろう。
 小学生の徹にだって罪の意識はある、悪いことと知りながら、父が犯した罪の片棒を担いでいる自分も犯罪者なのだろうか? 
 そんなことを考えながら、佐伯家のポストから逃げるように遠ざかった。


   第五章 暗闇

 廃屋に帰ると、少女は目を覚まして泣いていた。
 ガムテープで覆われた口から小さな嗚咽と、鼻水をすする音が聴こえる。少女はいつまでも泣き続けていた。
ついに父が怒鳴った!
「やかましい! いつまでも泣くなっ! このガキがぁー!」
 少女の胸ぐらを掴んで殴りかかろうとした。
「父ちゃんやめろっ!」
 とっさに徹は父の腕を掴んで止めた。
「徹、てめぇー!」
 怒った父は徹の顔を二、三発、拳で殴った。その後、酒が切れてイライラした父は買ってくると外へ出ていった。

 あまりのことに少女は目を見開いてキョトンとしていた、茫然自失……。
 親になんか殴られたこともない、こんな場面を真近で見るのは、おそらく生まれて初めてだろう。きっと、この子は両親に大事に育てられているのに違いない、そう徹は思った。
 父がいないから、苦しそうなので少女のガムテープを剥がしてやった。よほど息苦しかったのか少女は大きく口を開けて深呼吸をした。
「ごめんな……」
 何を言っていいか分からず、とりあえず少女に謝った。
「あのー」
 もじもじしながら消え入りそうな声で……。
「トイレに行きたい……」
 頬を赤らめ少女はうつむいた……。
 そういえば朝からこんな状態で、ずっとおしっこも我慢していたんだ。
「逃げないって約束するなら、ヒモほどいてやるから……」
「うん、約束するから……」
 必死に尿意を堪えながら少女は頷いた。
 廃屋の周りは街灯もなく真っ暗闇だった、月だけがふたりを見ている。

 あんなお嬢様でも、やっぱしおしっこするんだなぁー、ヘンなことに感心して、クスッと徹は笑う。
 徹の住んでいる廃屋にトイレと呼べるようなものはない。父も徹も男だから周辺で適当に済ませている、大きい方は公園のトイレに行っている。まさか、可奈子を公園のトイレに連れて行く訳にはいかない。街灯もない廃屋の周辺は真っ暗闇である。懐中電灯を持ってふたりは外に出た。
「ここでしろ!」
 草むらを指差し、可奈子のヒモをほどいてやる。キツク縛られていた手首は赤く擦りむけて痛々しい、可哀相に……。
「見ないでねぇー」
「俺、見ないから……」
「でも、側に居てください……」
 心細げに可奈子が言う、この闇がよほど怖ろしいのだろう。やがて放尿する音が闇に響く。

 終わった後、手を洗いたいと言うので貴重なやかんの水をかけてやる。
 ガムテープとヒモはほどいたままだけど……父が帰るまでそのままにしておこうと徹は思った。
 おしっこを済ませて、少し落ち着いたのか可奈子はひとりでしゃべり始めた。
「わたし可奈子……」
 クルッとした瞳で徹を見た。
「佐伯可奈子(さえき かなこ)、小学五年生、聖神小学校に通っています」
 聖神小学校、名前は聞いたことがある。この近辺のお金持ちの子が通う有名私立小学校だ。そこの制服だろうか? 可奈子は濃紺のセーラー服に臙脂色のベレー帽をかぶっていた。
「俺……トオル、俺も五年生だ……」
「トオルくんも可奈子と同じ五年生なんだぁー」
 にっこりと微笑んだ、そんな可奈子がストレートに徹は可愛いと思った。

「血が……」
 徹の顔をまじまじと見て可奈子がつぶやく。さっき、父親に殴られたとき唇が切れて少し血がにじんでいた。
「こんなのへっちゃらだよ……」
 いつも殴られている徹にとって、これくらいの傷は軽い方である。
 母が水商売に出ていた頃、小さな妹の亜矢が夜になると母を恋しがってグズった。酔っ払って管を巻いていた父は、泣き止まない妹に癇癪を起こして叩こうと手をあげた。そんな時、いつも妹をかばって徹が代わりに殴られていた。
 あの時も、とっさに徹は父を止めようとしていたのだ。
 ふいに妹のことを思い出して、徹は目頭が熱くなった……。いつか貧乏から脱出したら、きっと家族でまた暮らせる日がくるんだ。

「可奈子のせいでごめんなさい……」
 少女はうっすら涙ぐんでいた。
 自分の置かれている状況よりも、父に殴られケガをした徹を心配しているのか?
「トオルくん、痛い……?」
 可奈子の指が徹の唇に触れた、瞬間、何故か心臓がドキドキした。
 こんな感情は初めてだった、女の子に触れられてこんなに胸が熱くなったことはない。人に同情されるのは死ぬほど嫌いな徹だったけれど……。
 可奈子の優しい言葉が――何故か心に浸みていくのが分かった。
 その夜、ふたりは手と手をヒモで結んで寄り添うようにして、一緒に眠った。






創作小説・詩

by utakatarennka | 2017-05-25 13:49 | 現代小説