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泡沫恋歌のブログと作品倉庫     


by 泡沫恋歌
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つげ義春、第47回アングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞! ⑤

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※ 私がもっとも敬愛する漫画家のつげ義春がフランスにて、『第47回アングレーム国際漫画祭』で特別栄誉賞を受賞されました!
つげ義春の芸術性、偉大さは世界が認められているようです。
あの昭和感溢れる『つげ義春の世界』がヨーロッパ人にも理解できるんだ? むしろそのことに驚いたわ!?
もっと深く理解するためにも生い立ちや作品年表など、Wikipediaのつげ義春に関する記述を載せることにしました。




つげは井伏鱒二の影響もあって国内旅行を好み、旅を題材とした作品を多く描いている。『初茸がり』を始め『海辺の叙景』、『紅い花』、『西部田村事件』、『二岐渓谷』、『オンドル小屋』、『ほんやら洞のべんさん』、『もっきりやの少女』、『庶民御宿』、『会津の釣り宿』など多くの作品は実際の旅の体験と印象から生まれたものである。
つげが旅を始めたきっかけは、水木しげるのもとでアシスタントを始めた翌年の1965年(昭和40年)頃からで、仕事のしすぎから腱鞘炎を患い仕事を半年ほど休み暇になったために、友人の立石慎太郎と旅行をし始めた。無職で収入がないことから立石の車での野宿をしながらの旅であった。
当初は立石のオートバイで奥多摩、千葉周辺が多く、立石が5万円で中古自動車を買って以降は下仁田、鬼石の奥の渓谷、秩父、万場方面へ行く。当時は旅行関係の書物も多くはなく、車であったため特に目的地を定めず出かけた。立石は特に旅行好きではなかったが、暇人であったため、つげが誘えば車で同行し、親不知から能登半島一周、さらに飛騨の白川郷から高山、乗鞍を越えて白骨温泉を通り松本経由で甲州街道で帰るような旅行をしたこともある。
途中で喧嘩になったが、その後、立石が旅行に誘う際には「また暗い気持ちになりましょう」と名文句を残した。
当時は2人とも独身であり、『北越雪譜』の秋山郷へ行ったり、屋敷温泉にも投宿した。しかし目的地には、いわゆる観光地は含まれず、例えば能登でも輪島の朝市などは素通りしている。景勝地を外すのは通俗的だという理由からではなく、初めから興味がないためである。
また当初は『文化地理体系』を読み、そこに描かれる生活に関心を持つことが多かった。のちに、つげの旅の気持ちに近いものとして添田知道の『利根川随行』を挙げている。
1980年代半ばには、大正・昭和初期の文学作品を多く読み、その影響から当時の雰囲気に逆行するような志向の懐古趣味的な旅、それはしかし現実ではありえないために、心の中で時間を逆行させるような旅を志向している。

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また、その頃には奥多摩の小河内よりさらに奥の丹波などのいくつかの集落に関心を持ち、その理由としては「暗い暗い山奥へ入っていきたい」心境であることを挙げ、山奥の粗末な生活や貧しい暮らしに惹かれる心境を語っている。
また、山の生活にあこがれを持つと同時に、現代が何も進歩しておらず、ますます不自由になっており、金銭的価値を否定し、「都会の生活は嘘で生きている。価値のひとつもないところで生きているというのは、嘘で固まっているということだ。生命体としての人間にとっては山の生活が一番ふさわしいんじゃないか」と発言している。
川本三郎は自著の中で「つげ義春には旅の漫画が実に多い」と述べている。
北海道を訪問していない理由について『ガロ』1993年8月号収録の『つげ義春旅を語る』に、「北海道はやっぱり歴史が浅いっていうイメージがあってね。あと何となく遠いっていう感じがするんですよね。」と述べているほか、2014年の『東京人』7月号誌上で川本三郎とのインタビューに答え「お寺などは別にして、瓦屋根の普通の民家がない」ことなどを挙げている。
九州へは熊本まで行っているが鹿児島は訪れていない。熊本へ行ったのは1968年に蒸発するつもりで博多在住のファンの看護士を頼って行ったものである。この際には相手の仕事の都合で翌週まで会えず、杖立温泉や湯平温泉あたりをさまよっていた。
このとき、目的もなくさまよっている状態に、社会との関連性を喪失し、どこにいようが自分の存在の実感が消滅し、蒸発したようにこの世にいながらいない状態を実感。後年、こうした経験から乞食に関心を持つに至る。寒さは苦手らしく「日本列島が沖縄のあたりに位置していたらよかったと、よく思いますよ」と答えた。

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発言

愛煙家だが、「ぼくの煙草は健康のためです。血管が膨張する病気なので、煙草で少し収縮させた方がいいのです」。

「マンガは芸術ではないと思っている。しかし、どんな芸術も最終的には意味を排除することが目的だと思う。だから意味のない夢を素材にした一連の夢ものを描いたり、夢日記を付けたりした」。

選挙では「毎回入れるとこ(=投票政党)変わる」と言いつつ、『つげ義春日記』の1976年の項では自分は貧乏なので日本共産党に入れたと述べており、2013年の参院選でも「はい、やっぱり共産党に入れましたよ」「保守系に対抗できるのは他にないですから。でも政治思想にはまったく関心ないですね」と語っている。

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原画

「ガロ」以降の作品は、すべてつげ義春自身で保管しているが、『必殺するめ固め』(1979年)だけは川崎市民ミュージアムが購入した。
この作品は完成作ではなかったため、下書きや書き損じを雑誌などにはさんで古紙回収に出したものを抜いた者がいて、売りに出されたものを川崎市民ミュージアムが買ったらしい。

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精神科医・心理学者の解釈

   福島章
精神科医で専門は犯罪精神医学の福島章は、つげ作品の時期を5期に分類した。
 第1期
習作期 - 模倣時代。白土三平、手塚治虫などに影響された描法で、彼らを真似ることでつげは漫画家に「なった」。
 第2期
初期 - 貸本漫画時代。先人の影響を残しながらも、ストーリー展開や構成にいくらかユニークなものが現れる。しかし、このころまでの作品だけであったなら、読み捨てられ凡百の作家で終わっていた。
 第3期
中期 - 貸本漫画時代。『沼』に始まる、つげ独自の世界を構築する時代。この時期の作品が全共闘世代とつげを結び付けた。
 第4期
絶頂期 - 『ねじ式』、『ゲンセンカン主人』を頂点とする、きわめて短い、しかし衝撃的な作品を発表した時期。
 第5期
弛緩期 - 自己模倣期。自作の傑作の森の贋金作りをしていた。ムンクが『叫び』その他の傑作を、さまざまな形で模倣したがごとく。屈折したアイロニーという魅力があるとはいえ、緊張した迫力は喪失している。自己模倣とは『ゲンセンカン主人』に対する『やなぎ屋主人』、『山椒魚』に対する『蟹』など。
 第6期
虚脱期虚脱期 - 「旅日記」ものや「夢日記」ものなどを主に『夜が掴む』、『退屈な部屋』、『必殺するめ固め』以降の作品で、構成力の低下が著しい。


   河合隼雄
ユング派の河合隼雄は、つげの性格を「内向 - 感覚型」ととらえ、つげが同時代に与えた衝撃を、現代社会の持つ外向的思考、外向的感覚に対するアンチテーゼの提起によると考えた。
『沼』を分析することによって、内向 - 感覚型人間の持つ「溶解体験」、「自我同一性の崩壊の危険」を指摘。作中の主人公の青年の沼への発砲を、距離を取り戻すための「儀式」と解釈した。


   横山博
ユング派の横山博は「『ゲンセンカン主人』と『もっきり屋の少女』-つげ義春の引き裂かれた女性イメージ」と題する論文で『ゲンセンカン主人』を例に挙げ、 つげの赤面恐怖症を統合失調症の前駆症状ないしは近縁領域と捉え、つげが少年期にエリク・H・エリクソンのいう「基本的信頼」の欠如やマイケル・バリントの「基底欠損」にさらされざるを得なかったことでユング的にいう「母親原型」に守られた形での幼児・子供原型を生き切れなかったとみている。
これはつげの母が生活に追われ、つげに対し母性を与えるだけの余裕がなく、つげの著作からは兄への愛情は語られるが、母への愛情は語られていないことなどから推測して、満たされなかった母性への強い渇望があり、それが現代人が持つ不安とともに『ねじ式』に描かれることとなったとし、つげは「所定めぬ異邦人(エトランゼ)」なのだという。
多くの人が持つ安心感を持つことができる逗留場所である場所や母性がつげには得られなかったことが、彼が近代化に取り残され既視感を伴うような辺鄙な温泉場へ赴くことで地域の共同体からこれまでに渇望しても得られなかった「母なるもの」を体験する。
また、『ゲンセンカン主人』のラストシーンの2人のそっくりな男の遭遇は精神病理学的には「ドッペルゲンガー」に酷似しているという見方を示した。自分自身の分身と出会うとき、周囲は嵐になる。内面の不安、恐怖の外部空間への投影がラストシーンだという。

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つげが影響を与えた人物

日野日出志 - 1966年の「チーコ」に大きな衝撃を受け、「つげ義春のようなマンガを描きたい」という思いでマンガを描きつづけたという。

はるき悦巳 - 「つげ義春がめっちゃ好きやね。今はそう読めなくなったけど、もう、漫画描くのいやになるくらい好きやからね」、「同じ雑誌に載るというだけで、何もつげ義春と机を並べて仕事する訳でもないのだが、「あのつげ義春と共演できる!!」と思うとボーっとなって自分を見失ってしまうのだ」と発言している。

蛭子能収 - 「それまでの旅物とか温泉物は、それ程好きっていう訳ではなくて、『ねじ式』を読んで一変しましたねえ」、「映画の世界では、芸術映画ってたくさんありましたけど、漫画の世界では、そんなことありえないって思ってたんですよ。漫画は、普通のストーリーで進んでいくものだって。でも、つげ義春さんの『ねじ式』っていうのを読んで、ビックリしたんですよ。漫画でもこんな芸術っぽいものが出来るんだ、受け入れられるんだって。強い影響を受けましたね」と発言している。

雁屋哲 - 「つげ義春を一言で表現したいと思ったら「天才」という言葉以外は思い浮かばない」、「つげ義春の作品を、日本人全員は読め、と私は言いたい」と絶賛している。

佐藤秀峰 - 高校生の時に初めてつげ義春の作品を読み、最初は意味がわからなかったが、やがて絵の魅力に取り憑かれ、「僕は原稿中のベタの面積が比較的大きい(画面が黒っぽい)漫画家なのですが、これは間違いなくつげさんの影響です。それまで、漫画は線画が基本であると思っていた僕にとって、線じゃなく白と黒という色で表現する漫画があることに驚き、強烈にカッコイイと思いました。絵を眺めるだけでも飽きず、繰り返し読みました。もちろん(?)模写もしまくりましたよ」と発言している。

弘兼憲史 - 影響を受けた漫画家の名に手塚治虫、上村一夫、つげ義春、永島慎二を挙げ、「最初は手塚さんで、それから永島さんの『漫画家残酷物語』で、大学時代はつげさんの『ねじ式』、あと上村さんの『怨獄紅』や『密猟記』『同棲時代』あたりをずっと読んでいました」と発言している。

川上弘美 - 好きな漫画家の名を挙げて「白土三平,手塚治虫に始まり,萩尾望都,大島弓子,山岸凉子,つげ義春につげ忠男,いがらしみきおに諸星大二郎,しりあがり寿」と発言している。

小西康陽 - 「小学校高学年の時に,なんか家庭教師の人が,早稲田の学生さんの人が来てて,その人がいろんないっぱい新しいマンガとか教えてくれて,「ガロ」とか読んでた.つげ義春とか佐々木マキとか好きになって」と発言している。

植芝理一 - 『ねじ式』に影響を受けた独自の作風を持つ。

花輪和一 - 『ねじ式』を読み衝撃を受け漫画家を志す。

江口寿史 - 好きな漫画家の筆頭につげ義春を挙げ、「ねじ式」のパロディ作品「わたせの国のねじ式」を発表している。

よしながふみ - 「わたしは、つげ義春さんのマンガが好きで」と表明。「つげさんのマンガの中で、売ろうとしていた石が全然売れなくて、奥さんがばーんてその石を投げて、もう、こんなのやだーっ、あんたにはマンガしかないのよって言って、後ろに喘息の子どもがうぇーって泣いてて、最後にお寺の鐘がゴーン。あれ、元気出るんです、すっごい。もう何度読んでも、このゴーンてとこで元気が出ます」と発言している。

久住昌之 - 高校時代『つげ義春作品集』をきっかけにつげファンとなり、特に『つげ義春とぼく』を「奇跡の一冊」と絶賛している。

逆柱いみり 『ねじ式』を読み漫画家を志す。

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by utakatarennka | 2020-02-24 18:59 | ブログ