「中国に返せ」パンダ不要論が意外とド正論の訳 ②

パンダ必要派に「寂しい」「悲しい」以外の理由なし
一方、パンダを求める人々はどんな主張があるのか。その答えは主にテレビの報道・情報番組で見られます。
報道・情報番組の定番は、パンダ好きや上野アメ横商店街の人々へのインタビュー。さまざまな年齢層の男女に話を聞いていますが、どの番組も出てくるコメントは「寂しい」「悲しい」ばかりであることに気づかされます。
さらにもう1つよく見られる傾向は、コメントをしながら涙ぐむ人を映し、「○○県から来た」というテロップを表示するなどの演出。
前述したような不要論を述べる人々を扱わず、パンダ返還を嘆く人のみをピックアップして情に訴えかけるような映像が、両者の温度差を広げているように見えます。
パンダを求める人々が「寂しい」「悲しい」に終始するのはネット記事のコメント欄も同様であり、それ以外のさしたる理由はないのでしょう。

理路整然とした不要論に対抗できるようなコメントは見当たりませんし、「議論したら分が悪いことをわかっていてそれを避けている」というニュアンスも感じられます。
見逃せないのは、木原稔官房長官の「現在、複数の地方自治体や動物園からパンダの貸与を希望する声が寄せられていると承知しております。政府としてはこうした要望を踏まえ、パンダを通じた交流が継続されることを期待しています」というコメント。
「上野におけるパンダの経済効果は年間308億円」という報道があったように、ビジネスとしてのうまみがあるのは確かであり、それを狙っている人々も「寂しい」「悲しい」と情に訴えかけるような声をあげています。
これは裏を返せば、経済的な恩恵を受ける人々ですら「寂しい」「悲しい」以外の主張が難しいということ。経済面でパンダが必要な人々ですら「今どうしてもパンダが日本にいるべき」という理由をあげられなければ、今後も不要論が上回っていくのでしょう。
もともと経済的な恩恵を受ける人々とパンダ好き以外は、「かわいいし、いてもいいけど、『どうしても』というレベルではない」「いなくなっても生活は変わらないし、気にならないと思う」が本音。
不要論が活発になった今、「それでもいい」と思っているのではないでしょうか。
上野動物園のパンダ「53年15頭」の歴史
そしてもう1つあげておきたいのは、上野動物園におけるパンダの歴史とメディア報道について。
パンダが日本にはじめてやってきたのは、今から53年前の1972年。当時は中国からの贈与だったカンカンとランランが上野動物園に来園しました。
以下、上野動物園の歴史をあげていくと、80年にホァンホァンが来園。82年にフェイフェイが来園。86年にトントン、88年にユウユウが上野で誕生しました。
92年にリンリンが来園。2003年にシュアンシュアンが来園。11年にリーリーとシンシンが来園。17年にシャンシャンが上野で誕生。21年にシャオシャオとレイレイが上野で誕生。また、85年と12年には生後数日間で亡くなった子もいました。

53年間で15頭が飼育され、上野動物園におけるパンダの不在期間は08年4月から11年2月のみ。長きにわたりメディアは、来日、誕生、返還、死亡のたびに大きく報じてきました。
特に初来日の72年と不在期間を経て来園した11年は報道が過熱しましたが、それ以外でも「パンダ」が関わると大きく報じるというスタンスは昭和時代から変わっていません。














