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<   2011年 11月 ( 17 )   > この月の画像一覧

夢回廊 後編

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  第五回廊

 ――こんな夢をみた。
 自分は中学生くらいに戻って、教室でテストを受けている所だった。
それは自分の苦手な数学のテストで、さっぱり問題が分からず困っていた。しかもテストが終わらないと教室から出られないので、焦りまくっていたが、いくら考えても問題が解けない!
 教室からはどんどん人がいなくなって、チラホラと人の頭が見える程度になり、広い教室には、ほとんど生徒が残っていない。最後のひとりに自分がなりそうで……もう怖くて周りを見ることもできない状態だった。

 ――自分は昔から数字に弱かった。
 電話番号が覚えられない、買った品物の値段をすぐ忘れる、数をかぞえるとよく間違える。正直、九九も頼りない人間なのである。
 数字は自分にとってトラウマとも言うべき弱点で、仕事が上手くいかない時や悩み事が多い時ほど、決まって、この数学のテストの夢をみる。

 カチカチカチ……壁に掛けた時計の音が、やけに大きく聴こえてくる。
 数学の答案用紙は一問も埋まらないまま、時間だけが虚しく過ぎていく……。ただ、ただ、解けないテスト用紙を握って脂汗を流している。――そんな情けない自分の夢。

 
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  第六回廊

 ――こんな夢をみた。
 明け方の浅い夢の中で、一年前に亡くなった母の夢をみた。
 昔住んでいた古い平屋の奥の六畳間、縁側のある部屋にちょこんと母が座っている。まだ四十代くらいの姿で、今の自分とほぼ同じ年代である。自分が幼かった頃に、家でよく着ていた銘仙の着物の姿だった。それは灰色がかったくすんだ色調で、生地が玉虫色に光る感じの典型な銘仙の柄だった。 地味な着物だが、それは母によく似合っていたと思う。自分の中の母のイメージはこの銘仙そのものだ。
 長い間、母は家で和服の仕立てをやっていた。毎日、呉服屋さんから預かった反物で着物を縫っている。いつも反物の切れはしを持たされて、手芸屋さんに絹糸を買いに行くのが自分の仕事だった。昼間はずっと正座して縫い針でチクチクと着物を縫っている。それが眼に浮かぶ母の姿だった。
 十五年前に亡くなった父は、昔気質な職人でお酒が大好きだった。金があれば、お酒ばかり呑んでいた。しかも酔うと酒癖の悪い父は、些細なことで腹を立てて、母を殴っていた。父に足蹴りされて、肋骨が折れたこともある。晩年、母が怖い夢を見たと云ったことがあった。――それは、酒に酔った父に殴られて逃げ回る夢だという。その言葉に自分は、ただ、ただ、涙を流した。こんな歳になっても、若い頃に受けた暴力の恐怖に脅える母が哀れだった。身体に刻まれた暴力の記憶は死ぬまで消えないのだ。

 夢の中では、死人(しびと)はしゃべらない。
 冥界にいる母は、生前の苦しみを忘れたように、薄っすらと微笑んで穏やかな顔だった。何か、手に持っている。それは橙色のほおずきだった。子どもの頃、いつも仕立ての仕事が忙しく、遊んでくれたことなどない母が、ほおずきの実を鳴らして遊んでくれたことが、一度だけあった。後にも先にも、あれが初めて母が遊んでくれた記憶である。
 ほおずきを貰って家に持って帰ったが、自分は遊び方を知らない。ほおずきの中身をくり出して音を鳴らして遊ぶのだが、鳴らし方が分からなかった。音なんか出ないと、ブツブツ文句を云って怒っていると、
「貸してごらん」と、仕立て物を縫っていた母が手をだした。
 そして、ほおずきを口に含むと音を鳴らした。
 ギュウ、ギュウ、ギュウー
 ほおずきを舌で押しつぶすようにして鳴らしている。ちっとも綺麗な音じゃない。まるで牛ガエルの鳴き声みたいだった。それでも、母が遊んでくれたことが自分には嬉しかったのだ。
 ギュウ、ギュウ、ギュウー
 また、ほおずきを鳴らす。自分の知らない、子どもみたいな母の姿だった。貧しい生活に追われ、生活費の足しにと懸命に仕立て物を縫っていた母も……。子どもの頃には、縁側でほおずきを鳴らしたことがあったのだろう。
 ギュウ、ギュウ、ギュウー
 ほおずきの音が、晩夏の夕暮れに哀しく響いた。

 あなたを見送ってから一年、あっ、いう間に過ぎたけど、最近になって、あなたのことをよく考えているんだ。
 あなたに不満ばかりをぶつけてきたが、心配をかけたり、怒らせていたのは、いつも自分の方だった。実際のところ、あなたが母として、こんな自分を産んで良かった、幸せだと感じることがあったのかな? 母娘だから、分かり合えるっていうのは嘘だね。時間が経たないと分からないことばかりだった。結局、母娘ってお互いに肝心なことを話さずに終わってしまう関係なのかも知れない。
 娘として何もしてあげられなかった。――こんな、親不幸な自分をあなたは許してくれますか? ごめんね。いっぱい謝りたいんだよ。だから……夢でもいいから、お母さん、あなたに逢いたいよ――。


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  第七回廊

 
 ――夢の続きは終わらない。
 果てしない砂の海を漂っていた。白い砂の波が、ずぼずぼと自分の足を引きずり込もうするから、遅々として進まず、方角すら分からない。砂漠の遊牧民のように、駱駝の背に揺られて、自分は木彫りの男の人形を胸に抱き、今日で百と何日か旅を続けていた。
 ――月が昇ると、木彫りの人形は人の姿に変る。
 夜の間だけ、ふたりは人の姿で話ができる。だが、触れれば忽ち人形の姿に変ってしまう。愛し合っていても、お互いに触れ合うことも契ることもできない。――そんな呪いをふたりはかけられていた。
 今宵も男は人の姿に変ると、自分の側でいろんな話を聴かせてくれる。自分は呪いをかけられる前の記憶を持っていない――。だから、男の話すことが本当のことかどうか判らないまま、ただ、黙って聴いているだけ……白いターバンを巻いた異国の男は恋人だと云う。愛するあまり、シバ神の踊り子だった自分を神殿から連れ去ったせいで、人形に変る呪いをかけられてしまった。砂漠の蜃気楼が見せるオアシスに、呪いを解く泉があって、そこで沐浴すれば呪いが解けるという。それを求めて旅を続けているのだと、異国の言葉で男がぼそぼそと話す。毎夜、砂漠を彷徨う夢を自分はみていた、夢だと知りながら、そこから逃れられない、もどかしさ。夢が現実を喰っていく――。

「おまえは俺と旅をしていて哀しくないのか?」ふいに、そんなことを男が云う。
 哀しいと思っていても……これは夢なのだから、と心の中で思ったが、なにも云わず黙っていると、
「俺は、おまえに触れることもできず、ただ砂漠を彷徨っているのが苦しいのだ」
 怒りを含んだ声で、男が云った。
「いっそ人形のおまえを壊して、俺も砂漠で朽ち果てる。こんな旅は終わりにしたい」
 男の夢では人形に変るのは自分の方ので、踊り子の人形と男が旅をしているのだ。――この回廊のような、堂々巡りの夢を終わらせるには人形を壊すしかないのだろうか? 自分もそう思い、こっくりと頷いた。
 明日、陽が沈む前にお互いの人形を壊そうと誓い合って、ふたりは最後の時を過ごした。やがて朝日が昇り、砂の上にコトリと人形が落ちた。自分は、人形の男を拾い上げて胸に抱くと、ラクダの手綱をひき、再び当てどない砂漠の旅を続けてゆく。

 狂気のような砂漠の熱風がこの身を焼く。生きながらにして、自分は焼かれていた。――夢の中で。陽が昇った瞬間、ひたすら陽が沈むことだけを願う、そんな苦しい夢に、ついに終わりがくる。陽が沈みかけたら、自分は木彫りの男の人形を壊す覚悟なのだ。
 もうすぐ、白い砂漠の地平線に陽が沈む。夢の終わりが近づいてきた。少しずつ太陽が落ちていく。揺らぎながら陽炎のように、ゆらゆらと……。ほとんど、地平線に太陽が隠れかけた時、自分は手に持った石の礫で、男の人形を壊そうと腕を振り上げた。
 ――が、その瞬間、太陽の色が緑に変った!
「みどりの太陽!」
 緑の閃光、太陽が強く輝き緑色に変る現象を「グリーンフラッシュ」という。この緑色の光を見た者は幸せになれると云われている。ああ、緑の太陽、緑の光線だわ。これに願いをかけたら叶うのかしら? どうか、ふたりを人の姿のままで居らせてください。木彫りの男の人形を胸に抱きしめ、何度々も自分は祈った。
 人形の男は、いつしか人の姿に変り自分を抱きしめていた。ふたりは唇を重ねて抱擁した。もう、触れ合っても人形にはならない。緑の光線のせいで呪いが解けた! ふたりは抱き合ったままで、砂漠の砂の上を転がっていた。異国の言葉で「愛している」と男が何度も云うと、自分は嬉しくて男の身体をなおも強く抱いた。


「おや、珍しい人形ですね?」
 砂漠の町のバザール、小さな土産物屋の前で、ひとりの観光客が足を止めた。その声に土産物屋の店主は、棚の上に置かれたまま長い時間が経って砂を被っている物を、フッと吹いてから客の前に見せた。――それはアラビアンナイトの踊り子とターバンを巻いた男が抱き合っている人形だった。
「こいつ、ですかい? キャラバンが砂漠の砂の中から見つけた人形でさあー。これは不思議な人形でしてね。月が昇ると人の姿に変ると云い伝えがあるんですよ。まあ、人の姿にはなりませんが……時々真夜中に、睦合う男女の声が聴こえたりすることがあるんで、魔術師に見て貰ったら、強い念のこもった人形だから大事に持っていろ。と云われました。――だから、これは売り物ではありません!」
 土産物屋の店主はそういうと人形を元の棚に戻し、別の物を観光客に売りつけようと、ペルシャ織りの絨毯を開いて見せていた。

 抱き合った木彫りの人形は、愛を永遠に封じ込めて……今宵も『夢回廊』を彷徨う。


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  第∞(むげん)回廊 

 ――こんな夢をみた。
 気がつくと、そこは見渡す限りの砂の海であった。地平線の向こう、遥か彼方まで砂に覆い尽くされた世界。天上にはナイフのような新月とスワロフスキーみたいに星々が煌めいている。ここは何処だろう? 
 自分は駱駝の背に揺られていた。アラビンナイト風の衣装を身に着けて、まるで東郷青児の描く女のように、深い憂いの睫毛を瞬かせて砂の大地を眺めて……。もしかして、ここは砂漠なのかしら?
駱駝の手綱を見知らぬ男を引いている。シンドバットのようなターバンを巻いた異国の若い男だった。
「眼を覚ましたのか」と気配に気づいて、声を掛けてきた。
 知らない国の言葉だったが、何故か意味は理解できた。ここはどこですかと自分が訊ねようとしたら、男はくぐもった声で、
「おまえと今日で百日、砂漠を旅している」と云う。






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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2011-11-25 15:14 | ファンタジー小説

夢回廊 前編

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  第一回廊 

 ――こんな夢をみた。
 気がつくと、そこは見渡す限りの砂の海であった。地平線の向こう、遥か彼方まで砂に覆い尽くされた世界。天上にはナイフのような新月とスワロフスキーみたいに星々が煌めいている。ここは何処だろう? 
 自分は駱駝の背に揺られていた。アラビンナイト風の衣装を身に着けて、まるで東郷青児の描く女のように、深い憂いの睫毛を瞬かせて砂の大地を眺めて……。もしかして、ここは砂漠なのかしら?
駱駝の手綱を見知らぬ男をひいている。シンドバットのようなターバンを巻いた異国の若い男だった。
「眼を覚ましたのか」と気配に気づいて、声を掛けてきた。
 知らない国の言葉だったが、何故か意味は理解できた。ここはどこですかと自分が訊ねようとしたら、男はくぐもった声で、
「おまえと今日で百日、砂漠を旅している」と云う。
 まさか、こんな灼熱の砂漠を百日も旅ができる筈がない。
「昼間のおまえは小さな木彫りの人形で、日が暮れて月が出ると人の姿に変わる。きっと、これはシバ神の呪いなのだ」
 そう云うと男は哀しげに溜息をついた。どうして、この男と砂漠を旅しているのか、シバ神の呪いとは何なのか、疑問ばかりでいくら夢とはいえ、不思議な話だと自分は思っていた。
「シバ神の踊り子に恋をして、おまえを神殿から連れ去った。だが昼間の太陽がおまえを人形に変えてしまう。日が暮れて人の姿に戻っても、わたしが触れようとすれば、忽ち(たちま)人形の姿に変る。どんなに愛していても契ることもできない」
 異国の男は肩を震わせ泣いている。ああ、なんて酷い呪いなのだろう。これはシェーラザードが、夜伽(よとぎ)に王に聴かせたアラビアンナイトの一話なのかも知れない。
「砂漠の蜃気楼が見せるオアシスに、呪いを解く泉があると訊いた。その泉で沐浴すれは人の姿のままでいられる。今日で百日も探しているが何処にも見つからない」
 疲れ果てた男は、駱駝の手綱を放しガクリと膝を折って、そのまま砂にうつ伏して砂を掴んで地面に叩きつけている。この男の絶望感がひしひしと伝わるが、自分は何もできず。――ただ茫然と見ていた。
 やがて、東の空が白んできた。ああ、もう夜が明けてしまう。木彫りの人形に変る前にこの男に何か云って置かなければ……だけど、いったい何を云えばいい? 焦れるばかりで言葉が出てこない。男は砂漠の砂にうつ伏したままで微動だにしない。
 ひとりで駱駝の背からスルリと降りると、男の肩に自分は手を掛けた。瞬間、男の姿はスッと消えて、砂の上に木彫りの人形がコトリと落ちた。
 人形に変ったのは自分ではなく男の方だったのだ。もしかして、男の方から見たら自分が木彫りの人形に変ったように見えるのだろうか。
砂の上に落ちていた男の人形を拾って、そっと胸に抱く。そして駱駝の手綱を取るとゆっくりと歩き始めた。永遠に見つかりそうもない泉を探して――。
 今日で百と一日、自分は人形の男と砂漠を旅している。東の空には、血のように真っ赤な太陽が昇ってきた。灼熱の太陽がジリジリとこの身を焼き尽くすようだ。


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  第二回廊

 ――こんな夢をみた。
「薄情者!」
 そう叫んで、立ち去る男の背中に向けてテッシュの箱を投げつけた。だが間一髪、玄関のドアに阻まれて、男には当たらなかった。
 ドアの向こうから笑いながら立ち去る男の靴音が聴こえてくる。あんな男とは絶対に別れてやる。二度と来るな! 男への怒りが収まらない。
 自分は風邪を引いてアパートで臥せっていたのだ。たぶん熱があるのだろう、寝汗をかいて寝苦しい。その男はどうやら自分の恋人のようで、看病か見舞いに来てくれたようなのだが……。
 夢なので男との経緯が掴めず、シチュエーションだけで成り立っているのだ。
 ふたりで取り留めのない話をしていたら、いきなり男の携帯電話が鳴った。二言三言相手と会話して、すっと男が立ち上がると、病気で臥せっている自分のハンドバックから現金を抜いて、
「ちょっと金欠やねん、これ一枚貸してや」樋口一葉をヒラヒラさせながら云う。
 てっきり看病に来てくれたものと思い込んでいた自分は、何故お金がいるのかと男に訊ね返すと、
「スマン! これから俺デートやねん」と云って、へらへら笑った。
 自分の財布から抜いたお金で今から女とデートだと? なんて不実な男なんだ。
「これは見舞いや」
 コンビニの袋に入ったプリンとヨーグルトを得意そうに自分に見せた。こんな安い物で誤魔化されるもんかっ!
「じゃあ、また来るわ」そわそわと男が帰る支度を始めた。
「アホ・ボケ・カス!」自分は悪態を吐いた。
 あははっ……と、男は動じる風もなく笑っていた。
 だから、玄関に向かう男の背中にテッシュの箱を投げつけたが命中せず……だった。
 糞! ムカつく。
 ふと見ると、男が座っていたベッドの脇に何かが落ちている。それは男の携帯電話だった。そういえば、さっき携帯が鳴っていたが、あれはデートの相手からだったのかも……。ベッドから手を伸ばして携帯を拾うと着信履歴を調べた。「えみこ」女の名前があった。
 ――この女が相手だな。証拠はないが確信を持ってそう決めた。何しろ夢は思い込みだけで成立する世界だから。自分は男の携帯からリダイヤルを掛けた。ツルツツツゥーと呼び出し音の後で、やや甲高い女の声がした。
「あ、もしもしOOくん?」
 女はOOと親しげに男の名を呼んだ。
「…………」
「どうしたん?」
「OOくんのお友だちOO子よ。あのさぁー、あたしのベッドに携帯忘れていったってOOくんに伝言しといてねぇ。よ・ろ・し・くー」
 わざとタメ口で云うと一方的に切ってやった。今頃、相手の女がどんな顔をしているか、想像しただけで笑える。自分は結構、底意地の悪い女のようだ――。

 夢の中だから時間は突然経つ。
 さっき出て行った男が夜明けと共に帰ってきた。ドアを細めに開けて、中の様子を窺ってからこっそり入ってきたようだ。いきなり自分のベッドの脇に座って、財布からお札を一枚取り出すと、
「これ、使わへんかったから返すわ」と云う。
 寝ている自分の目の前で樋口一葉をヒラヒラさせた。どうやら、デートはお流れに……ざまぁみろ!
 何故か、男は横を向いて横顔しかこちらに見せない。なんだか不自然だ! 自分は起き上がり男の顔をグイッと両手でこっちに回したら……なんとっ! 男の左の頬には爪で引っ掻かれた傷がきっちり三本ついていた。(人差し指・中指・薬指の爪跡)
 ブッと噴きだした。あっはっはっはっ……自分はお腹を抱えて大笑いをした。
「薄情なやっちゃ……」
 溜息交じりに、男の情けない声が聴こえた。滑稽だが、ちょっぴり気の毒にも思えてきた。

 ――枕もとに置かれた、樋口一葉も笑っていた。


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  第三回廊

 ――こんな夢をみた。
 長い髪をツインテールに結んだ自分は、三十年前の女子高生だった。母校の校庭をスケッチブックと絵の道具を持って美術部の部室へ向かって歩いていた。部室は美術室で一年の新入部員は、そこで石膏デッサンばかりやらされる。
 美術部に入ってはみたが、あまり絵が上手くない自分は、劣等感で退部したいと何度も考えていたが、言い出す勇気がなくて……それと、ある理由で続けていた。
「OOちゃん」
 呼び声がして振り向くと、Y子とM美が学生食堂へ続く渡り廊下に立っていた。このふたりとは小・中・高と同じで親友である。自分たち三人は入学式のあくる日、美術部の先輩たちの勧誘に捕まって、まんまと入部させられてしまったのである。
 どうやら、ふたりは部活の前に食堂で腹拵えするつもりだ。運動部ではないが、じっと絵を描いているのも意外とお腹が空いてくるもので、運動して身体でも動かしていれば、空腹も紛れるかも知れないが、絵を描く作業は集中力がいるので、お腹が空くとそればかり気になって散漫になってしまう。
「なあ、食堂でパン食べよう?」
「うん、いいけど……」
 お小遣い前で、たぶん自分の財布には百円くらいしか入っていない。一番安いパンなら買えるかな? こんな時にお金がないと云うのは恥ずかしい。
 ここは私学の女子高なので裕福な家庭の子女が多い。自分の家は豊かでないのに親友たちと同じ高校へ入りたいがために、親が無理をして通わせて貰っている。夏休み以外はアルバイト禁止なので、いつも自分はお小遣いが足りない。――そんなことも劣等感だった。
 食堂で軽く食べて、三人で部室に行ったら、副部長の藤野さんが独りで油絵を描いていた。キャンバスには、初夏の庭に咲く、薔薇、バーベナ、ダリアなどの花々が描かれていた。きれいな絵だったが、どこか物足りなさがあった。
 藤野先輩は美術部で一番絵が上手いのに、副部長なのは控え目な性格のせいだと思う。だけど、部活には一番熱心な先輩だった。新入部員の我々三人は、美術準備室からデッサン用の石膏を持ってきた。昨日まで手のデッサンだった。今日はY子が石膏の足を持ってきた。
「石膏の足なんて珍しい」
「うわっ、水虫があるよ」
「ゲッ、汚いなぁー」
 こちょこちょ……擽った(くすぐ)りして、石膏の足を玩具に三人は遊んでいた。どんなに騒いでも、副部長の藤野先輩は怒ったりしない、我関せず、自分の作品に集中している。
 長い黒髪をおさげに結って、色白で聡明な眼差しの藤野先輩は憧れの人だった。彼女が校庭を歩いているだけで、自分の眼は自然と釘付けになった。心の片隅にいつも先輩の存在を意識していた。――だから女子高生活は楽しかった。
 大好きな藤野先輩だったが、ほとんど会話をしたことがない。人と話している声や会話の内容をこっそり聴いているだけで幸せだった。きっと面と向かって喋ったりしたら、自分は恥ずかしくて林檎みたいに赤くなってしまう。
「あ……」かすかに空気を揺らすような、藤野先輩の声がした。
 自分だけ気ずいて振り向くと、先輩は筆を止めて何かを凝視していた。開け放した教室の窓から二羽の紋白蝶が入ってきて、まるで追いかけっこをするように、ふわふわと教室の中を飛んでいた。やがて藤野先輩の描きかけのキャンバスの上に、二羽の蝶々は同時にとまった。
 その瞬間、スッと自分の視界から紋白蝶の姿が消えた。
「あれ?」
 あの蝶々はどこへ行ったの? 自分は教室の中を見回した。
「あっ!」
 不思議なことに二羽の紋白蝶は藤野先輩の絵の中に居た。キャンバスに描かれた、初夏の庭、花々の上を蝶々たちは飛んでいたのだ。まるで、絵の中に吸い込まれてしまったように。――そして、その絵は二羽の紋白蝶に寄って完成された。
「先輩、白い蝶々が……」
 キャンパスを指差し、キョトンとしている自分を見て、
「うふふ」藤野先輩が悪戯っぽ(いたずら)く笑った。
《これは、ナ・イ・ショ……》藤野先輩の声が耳の中を擽った(くすぐ)。この魔法は先輩と自分だけの《秘密》で、永遠の指きりゲンマンなのだ。


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  第四回廊

 ――こんな夢をみた。
 青い空と青い海、ふたつのコラボレーションに彩られた浜辺の風景。白い砂浜には人影もなく、自分はひとりで早朝の海辺を散歩していた。サマードレスにビーチサンダル、たぶんこの近くの住人なのかも知れない。朝の海辺の空気はたっぷりのオゾンを含んで肺の中まで爽やかだった。自分は潮風に吹かれながら、桜貝などを拾ったりして、ぶらぶらと歩いていた。
 砂浜をずっと行くと、波打ち際に「砂の城」みたいなものが作られていた。誰が作ったのか知らないが「砂の城」は、波が来る度に少しずつ削られて小さくなっていく。自分は思わず座りこんで崩れゆく「砂の城」を手で守っていたら、砂の中、指の先に何かが触れた。なんだろう? と、摘まんで引っ張り出したら、それは鍵だった。
 それは銀色でビーズや偽物の宝石でキラキラと飾られた、玩具みたいな鍵だった。どうして、ここに埋められていたのか知らないが、こんなチャチな鍵が何かを開けるためのものとは思えない。何気なく自分は鍵を持って、クルリと回し、鍵を開ける振りをしてみたら……。
 カチャリ! 何か開いた音がした。――自分はクラッと眩暈がした。

 目を開いたら、そこは想像も出来ないような場所だった。
 どこか外国の街角みたいで、たくさんの人々が道を行き交っていた。人々はクラッシックな衣装で、女性は長いドレスにお洒落な日傘を差して、男性はシルクハットに黒いタキシードのような服を身に着けていた。そんな中、自分はサマードレスにビーチサンダルだったが、誰ひとり気にも留める様子もない。――なんとも不自然なことだ。
 遥か向こうに凱旋門のような建物が見えた。もしかして、ここは十九世紀頃のパリだろうか? 自分は以前から世紀末のフランスの文化には興味があったから――。
「アール・ヌーヴォー」それはフランス語で「新しい芸術」という意味である。植物模様や流れるような曲線が特徴で、ガラス工芸家のエミール・ガレやロートレック、ミュシャ、ビアズリーなど日本でもよく知られるグラフィック・アーティストたちが活躍したのも、この時代である。
 もしかしたら、あの鍵を回したせいで、自分はこんな場所に来てしまったのかも知れない。――この鍵は果して魔法の鍵なのだろうか? 
 街角でボーと立っていると、花売り娘がやってきて、小さなブーケを差し出して、自分に買ってくれと云っているようだ。――夢の中とはいえ、フランス語は皆目分からない。お金を持っていないので「ノンノン!」と断った。
 そうすると、次に知らない男がやってきた。彼は花瓶みたいな大きなグラスに赤ワインを注いで、呑め! と云うように自分の顔の前にグラスを突きつけた。「ノンノン!」そんなにいっぺんには飲めないわ。
 急に賑やかな音楽が聴こえてきたと思ったら……自分はいつの間にか、フレンチカンカンの踊り子になっていた。派手な化粧と香水の匂いをプンプンさせた踊り子たちが、自分を捕まえて無理やり踊らせようとしている。あまりに早いリズムについていけず、自分はフラフラになった……。もう、許して! 「ノンノンノン!」大声で叫んで、持っていた鍵を、空中でクルリと回した。
 カチャリ! 扉が開く音がした。フッと、意識が遠のく……。

 ――気がつくと、自分は氷の上に倒れていた。
 一面、雪と氷に覆われた世界。ここは何処だ、シベリアか? 北極か? 南極か? 氷の世界なのに、サマードレスの自分はちっとも寒いと感じていない。これも夢のせいだろうか? 起き上がって、グルリと見回した。おっ、ペンギンがいるぞ! あれは皇帝ペンギン、たしか南極に住んでいるペンギンたちだ。氷の上をペンギンたちが群れをつくって、こっちに向かったヨチヨチと歩いてくるではないか。これはたまらん! ピングーみたいで可愛すぎる。自分はワクワクしていた。
 すると、モソモソと……白い氷の岩が動いた。なんだろうと見ていたら、それは大きな白クマに変った。ええー! 嘘? ちょっと待ってよ。白クマは、たしか北極に住んでいるはずなのに……。ここは南極だったよなあ? だって皇帝ペンギンがいるのだから……。だけど、そんな学術的問題は夢の世界では通用しなかった。
 氷だと思っていた白い岩がどんどん白クマに変身していく、そしてペンギンたちの群れを白クマたちが襲い始めた。こ、これは酷い! ペンギンたちが次々と捕食されていく、真っ白な氷の世界が、赤い血に染まっていく。弱肉強食の惨劇が繰り広げられた――。自分は震えながら見ていたが、その内、一匹の白クマが自分を目がけて突進してきた。
「ひえぇぇぇー!」
 カチャリ! 鍵を回して、自分は逃げ出した。

「ハァー、危なかった……」
 溜息交じりに呟く、また別の場所に自分は移動していた。今度は何処にでもあるような児童公園の中のベンチに座っている。やっと、マトモな所へ帰って来られたと、ひと安心。さて、これからどうしたものかと思案していると、いきなりひとりの男が現れて、
「おまえ、どこへ行ってたんだ。早く帰ろう!」
 と、自分の腕を引っ張る。誰だろう、この男は? 能面の蝉丸(せみまる)のような、のっぺりした顔をしている。目はあるのだか、糸みたいに細い。
「子どもたちが待っているから、早く!」
 温和そうな顔と裏腹に、ひどくせっかちな男である。自分は訳が分からないまま、男の家に連れて行かれた。
 その家は町外れの荒れ地にぽつんと建っていた。かなり古い平屋で、近所には、一軒も家がなく寂しい場所だった。玄関を開けるとすぐに居間で、丸い昔風の座卓に男の子が三人座っていた。たぶん四、五歳だと思うのだが、気味が悪いくらい男とそっくりな顔した、しかも三つ子である。
三つ子たちは自分を見ると大きな声で、
「母ちゃん、ご飯、ご飯、ご飯!」
 丸い座卓を叩いて、大合唱を始めた。ああ、五月蠅い(うるさ)! なんて食い意地の張った子どもたちだろう。仕方なく……自分は台所に立って、食べ物を探したら、特大のシリアルの箱があった。 冷蔵庫には牛乳もあるので、やかましい三つ子たちに、これを食べさせ黙らせようと思った。
 大きな丼鉢に、シリアルをてんこ盛りに入れて、上から牛乳をぶっかけて、丸い座卓の上に三つ並べた。すると、三つ子たちはすごい勢いで食べだした。あっという間に、もう空っぽだ。
「母ちゃん、ご飯、ご飯、ご飯!」
 また座卓を叩いて大騒ぎだ。チッと舌打ちしながら、また同じものを作って並べた。ガツガツと食べる三つ子たち、こいつら犬か?
「母ちゃん、もっと、ご飯、ご飯、ご飯!」
 食べるのが早すぎて間に合わない、牛乳なしでシリアルを与えたら、またしても凄い食べっぷりである。とても、小さな子どもとは思えない食欲だ!
「母ちゃん、もっと、もっと、ご飯、ご飯、ご飯!」
 どうしよう? シリアルの箱が空っぽだ! 三つ子たちの底なしの食欲が怖ろしくなった。今から作っても間に合わない。蝉丸(せみまる)の能面のような、三つ子たちが丼鉢を持って自分に迫ってきた。
「ひいぃぃぃー!」
「母ちゃんが、ご飯だ、ご飯だ、ご飯だぁー!」
 ガブリ! 三つ子のひとりが自分の足に齧りついた、もうひとりが腕を噛んだ!
「うわーっ! やめてぇー」絶叫した。
「おまえらが母ちゃんを食べちまうから、父ちゃんがまた探しに行かにゃあ、いかんじゃろが……なあ」
 蝉丸(せみまる)の能面の男が、のんびりした口調で云う。母ちゃんを食べるって……? 自分に齧りついてくる三つ子たちを足で払い、いざりながら部屋の中を逃げ回っていたら、ガタンと、押し入れの襖に背中が当たった、その拍子に戸が外れた。すると、中から大量の髑髏(どくろ)が転がり出た。――これは、もしかしたら食べられた母ちゃんたちの骨なのか?
 なおも、三つ子たちはピラニアのように喰らいついて離れない。このままでは自分は食べられてしまう! 気がつけば、三つ子たちの頭に一本、小さな角が生えていた。ひょっとして、こいつらは「餓鬼(がき)」なのか? そして、男の頭には立派な角が二本生えているではないか。こ、ここは鬼の棲み処だったのだぁー! ぎょえぇぇぇー!
 あ、三つ子のひとりが、自分の持っていた鍵を食べようとしている。慌てて取り返すと、自分は必死で鍵を回した。 カチャリ!

 青い空と青い海、ふたつのコラボレーションに彩られた浜辺の風景。
 ここは元いた世界だ。やっと自分は帰って来られたみたい。ああ、こんな怖い夢ばっかり、もう懲り懲りだ。手に持った不思議な鍵を苦々しい思いで見つめていた。こんな鍵なんか……、海に向かって放り投げようと自分は決めた。
「こんな鍵なんか、銀河の果てまで飛んで行けー!」
 大声で叫ぶと、全力投球で海に向かって鍵を放り投げた。カチャリ!

 ――銀河の果てに放り投げられたのは、なんと自分だった!




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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2011-11-25 14:59 | ファンタジー小説

月 ― 花鳥風月 ―

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               表紙は「四季の素材 十五夜」様よりお借りしております。
               http://ju-goya.com/


 【 月詠み 】

赤い月・青い月・黒い月
月はいろんな想いを映してくれる
わたしの心を捕えて放さない
あの月は魔物……


  赤い月
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男の背中ニ 爪ヲ立て
傷口から滴ル血で
夜の月ヲ 赤く染めル
背徳の赤い月ヲ見てはイケナイ
月の狂気が わたしヲ惑わス

『 愛は全てを奪うこと 』

熱く滾ル 生命の水ヲ
この身ニ注ぎ込ンデおくレ


  青い月

青白き月の夜
交ざり合えない『 コトバ 』は
ため息になって消えていく
封印された『 コトバ 』が
月の雫に融けていく

哀しみの月姫
玲瓏なる青き月の光よ
その冷たい横顔は
千の夜の孤独を越え
ひとり天上を目指し昇りゆく


  黒い月

自然破壊 環境汚染 
そして核戦争
望み過ぎた人類は 
自ら墓穴に墜ちた
科学の力で 
神に近づこうとする人類を
嘲り嗤うかのように 
神が罰を与えた
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草木は枯れ 水は干上がり 
空気は黒い毒ガスに
青い惑星は
生き物が死に絶え 
死の星になった
人類の累々たる屍が 
未来を呪って横たわる
地から這い出た蟲どもと 
貪欲な鴉が死肉に群がる

太陽は昇らない 
星々は瞬かない 
そこは常闇の世界
荒野を渡る風が 
引き裂くように啼いた
まるで地球の
断末魔の叫びのように 
人類の傲慢さに 
神は怒りの鉄槌を打った

人類の末路を
黒い月が見下ろしていた
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  蒼い月

漆黒の闇の中 
蒼い月が出ましたら
魔女の化身 
黒猫は月に嗤う
今宵 愛しい男に
呪いをかけませう
あなたを誰にも渡さない 
逃さない
どんなに足掻いても 
後戻りはさせないわ
月夜の接吻は 
何故か血の味がした

星屑も消え 
蒼い月は水面に揺れる
魔女の化身 
黒猫は月に啼く
今宵 
疵つけ合うように求めあう
あなたを恋い慕う 
この熱情は狂気となり
闇を引き裂き 
無限地獄へ堕ちていく
愛の刻印 
背中に深い爪痕を遺します


 【 月下美人 】

漆黒の闇の夜 
天上には燦燦と月は輝く
夜の華 月下美人は 
月に焦がれて
艶やかな花弁で 
ひと夜の恋に堕ちる

たとえ許るされない恋でも 
心に嘘はつけない
愛すれば愛するほどに 
この恋は苦しみに変る
今宵 苦い『 罪の杯 』を 
ひと思いに煽ってしまおう

どんなに間違っていても 構わない!
たとえ狂ってると云われても 構わない!
すべてを壊してしまっても 構わない!

あなたに 愛するあなたに 
触れていたい
愛を感じていたい 
それだけが生きる望みだから
儚き華 月下美人よ 
その哀しみをわたしは知る




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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2011-11-24 18:24 | 花鳥風月

風 ― 花鳥風月 ―

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             「四季の素材 十五夜」様よりお借りしております。
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 【 風葬 】

白い砂浜から そよそよ吹いてくる
こんな静かな風が 吹く日に
わたしが死んでいくのは相応しい

何も告げずに消えます
今なら 少しは泣いてくれますか?
愛し過ぎた男は 身体だけでは縛れない

風よ わたしの魂魄
愛しい人の元に運んでおくれ


あぁ 優しい風が頬なでる
穏やかな午後 ひとりで逝く
わたしを哀れと想ってくれますか?

いつか 終わる愛の終焉を見たくない
あなたに捨てられる わたしを見たくない
断てない未練で 苦しむのに耐えられない

小さなプライド守るために
小さな命を捨てるのは間違いですか?
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かすれいく 意識の中で
あなたの声を想い出そうしていた
ふたりの夜 肌のぬくもり忘れない

砂は風紋を描きさらさらと流れる
わたしの朽ち果てた肉体も やがて
砂となり風と共に地上を舞う

風よ この想い魂魄となり
愛しいあの人の心に宿りますように


 【 風 】

私の視線を微妙にかわす 
……あなた

その姿を執拗に追い求める 
……わたし
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獲物を狙うハンターのように 
……辛抱強く

あなたを捕まえて 
カーテンに隠れてキスをした

つぎの瞬間 
ふわりと身をかわし消えてしまう

あなたを繋ぎ止められない 
苛立ちに唇を強く噛む

あなたは風 
わたしの心を揺らして通り過ぎるだけ


 【 向い風 】

向い風が吹き荒れて
わたしを白線へ押し戻す
もがけばもがくほど
重くなったコートは
身体から熱を奪っていく
向い風いつの日か
そよ風に変わるだろうか

向い風が容赦なく
わたしを地面に叩きつける
嘲笑が聴こえてきた
込上げる怒りに
足元の砂を蹴り上げた
向い風に負けまいと
キリッと立ち向かう

向い風苦しくても
わたしは逃げない
それは正しさを
証明するためではない
すべてを見届けるまで
向い風に耐えて耐えて
わたしはここに居る




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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2011-11-24 14:59 | 花鳥風月

鳥 ― 花鳥風月 ―

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            「四季の素材 十五夜」様よりお借りしております。
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 【 小さな天使 】

小さな命が 
神に召されてしまった……
白い翼の小さな天使は 
わたしに幸せのカケラをくれた
籠を開けると 
ちょこんと手に乗ってくる
部屋の中をひと飛びすると 
わたしの肩に止まったね
その可愛らしい姿に 
いつも癒されていたのに……
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小さな天使を
死なせてしまった……
もう冷たくなって鳴かない 
固くなって動かない
あの日 泣きながら 
おまえを大地に埋めたよ
そこから空へお帰り 
大空には籠なんかないんだ
自由に空を飛びまわったら 
天国へと羽ばたいてお行き

愛らしいおまえは 
わたしの小さな天使だったよ


 【 鴉 ― crow ― 】

市街地の道路の隅に 
転がる猫の死体
それに群がる鴉たち 
餌に有りつけたとばかりに
黒い嘴でひき裂き 
死体をむさぼり喰らう

死肉は鴉の胃の腑で 
甘美な果実に変わる
狡猾な脳 強靭な生命力 
邪悪な黒い魔物 
血に染まった嘴で 
一羽の鴉が天を仰いで鳴いた

蒼穹の空を舞う 
黒い翼の支配者たちよ
その眼に映るのは 
累々たる人類の屍なのか 
滅びの運命カタストロフ 
警鐘は打ち鳴らされり


 【 翼 】
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大空に心を飛ばそう
美しいコトバを追いかけて
風船のようにふわふわ漂いながら
心の中に綺麗な模様を描く
それは私だけのオリジナル
私には 『 創作 』という翼がある

誰にも理解されなくて傷ついたことも
酷い誹りに涙を流したこともある

『 正しさ 』は数の力だろうが
『 真実 』はひとりでも証明できる
ほんの小さなため息で
心の翼は萎れてしまうから
自分 もっと強くなれ!
私には『創作』という夢がある




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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2011-11-23 14:58 | 花鳥風月

花 ― 花鳥風月 ―

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                「四季の素材 十五夜」様よりお借りしております。
                 http://ju-goya.com/


 【 さくら 】

凍てつく季節を
乗り越えて
うす桃色 春の息吹 
ふたりはいつも
想い合う気持ちで繋がっている
さくら心に咲いた

愛することは
認め合うこと
惹かれ合うこと
信じ合えること
心をあなたに委ねたから
寂しさに泣いた夜はもう来ない
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想いを込めたさくら
春風に舞いあなたを包む
永遠の時を数え
その想いは深い
あなたの姿見失わないように
さくら散らさない

わたしのさくら
あなたのために咲く
あなたという光溢れる季節に
出会えた喜びに咲く
愛しい人よ
さくら満開に咲き誇る


 【金木犀 】

夕暮れの街 自転車で走っていく
     わたしの頬を 少し冷たい秋の風が撫でていく
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金木犀の甘い香りが 風に運ばれて来た
     不意にあなたの面影が 心に浮かんだ

思い出すのが辛くて 忘れられない想い出
     憎むことで あなたに執着し続けた

『 もう 許してあげなよ 』 心の声が聞こえた
     あなたがわたし以外の人を 選んだ事実に変わりはない

夕暮れの街 零れ落ちた涙の雫を
     金木犀の風が 空高く舞い上げる

もう あなたのことを忘れよう そして……
     明日から 新しい自分の一歩を踏み出そう


 【 小さな花 】

小さな花が咲いていた 
街路樹の植え込みの片隅で
ひっそりと人知れず咲いていた
ある日 ひとりの青年が立ち止まった
小さな花を見つけて 
しげしげと眺めてこう言った
『 ああ、なんて可愛い花なんだろう 』 
にっこりと青年は微笑んだ

小さな花は驚いた 
こんなわたしを見つけて
可愛い花と言って
あの青年は微笑んでくれた
初めて存在を見つけられて
小さな花は嬉しかった
 
その日から あの青年のために
咲き続けようと誓った
小さな花は毎日々
雨の日も風の日もずっと待ち続けた
あの青年が 
もう一度 わたしを見て
にっこりと微笑んでくれるのを!
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風のように 小さな花の前を 
自転車が颯爽と走り抜けた
あの青年だ! 
その瞳は真っ直ぐに未来を見つめていた
足元の小さな花など目もくれない 
もう存在すら忘れ去っている  

  『 わたしをあなたの手で引き抜いて 
    道端に投げ捨ててください!   』

そう叫ぶと小さな花は 
悲しみに萎れて枯れてしまった

次の年から 
その場所に小さな花は咲かなくなった……


 【 月見草 】

月見草
月を慕いて
其の掌を
天に延ばす

切ない想い
蒼き月の雫
哀しみに
花びら濡らす

月見草
闇に恋して
朝日に萎れる
黄檗色で嗤う人  

        ※ 黄檗色(きはだいろ) ― 薄い黄色
 

【 たんぽぽ 】

あなたのそんな言葉で
わたしを縛ることなんか
できないわ
優しくされたって
あなたの自由にならない

わたしの心はわたしのもの
いつも自由でいたいから
だから あなたの手を
そっと払うの

たんぽぽのように
無邪気なわたしの恋は
春一番が吹いたなら
ふわりと綿毛になって 
大空に飛び立つ

ゆらゆらと春風と
ワルツを踊りながら
軽やかなステップで
光降りそそぐ その場所へ

今 舞い降りる


 【 花束 】

疲れたあなたの心を
わたしの詩(うた)が癒すのなら
この想いを詩にしよう
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詩はわたしの使える
唯一の魔法だから
あなたのために使おう

凍てついた心を
あなたが包み込んで
優しく溶かしてくれたから

わたしはあなたの
掌の温もりを知らない
心の温もりなら知っている

触れられなくても
伝わるものはあるんだ
この想い詩にして伝えよう

感謝の気持ちリボンで結んで
わたしの詩を花束に変えて
あなたの心に届けましょう

   『 As far as there is love
     This bouquet does not die 』




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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2011-11-23 10:37 | 花鳥風月

RESET vol. 19 最終章

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 最終章 リセットされた人生

 青い空、コバルトブルーの海、そして真っ白な砂浜。海を渡る暖かな潮風。
 この世の楽園のような島だ。ここ沖縄の離島に移り住んで早一年になろうとして居る。こちらの生活にもすっかり慣れて、色白だった啓子の肌は小麦色に日焼けして健康的な島の娘になった。

 あの後、都会暮らしを捨てて、三人でこの島にやって来たのだ。全ての財産を処分し、マンションは賃貸にして人に貸して、わずかな賃貸収入を得ている。
 この島で釣り船屋を経営している。宏明の大学時代の先輩を頼って、突如、都会から、この離島にやって来た三人を、島の人々は最初は好奇の目で見ていたようである。
 たぶん、父親と娘とその子どもと思っていたようだが――真実は夫婦と夫の愛人なのだ。
 まあ誰も信じないだろうけど……。

 都会と違って、この島ではお金を使うこともない。宏明は小型の漁船を手に入れて漁に出るし、啓子は庭で野菜やドラゴンフルーツを育てている。
 わずかな日用品以外、この島では何も要らない。お金も要らない、時計も要らない、そう、時はゆっくりと静かに流れていくのだ――。

「マンマ……」
 やっと、よちよち歩きを始めた、さっちゃんが、啓子に連れられて浜辺を散歩している

 一歳になったばかりの幸恵は育てやすい赤ちゃんだった。
 あの時〔若返りカプセル〕リセットを飲んだ幸恵は危篤状態から、反転、数日間昏々と眠り続け……ついに赤ん坊にまでリセットされてしまった。
 〔若返りカプセル〕リセットは、今まで、若返りカプセルの一年、五年、十年、二十年……と飲み続けた啓子が飲めば、たぶん元の年齢にもう一度、リセットされるシステムかも知れないが……。
 全く薬を飲んでいない幸恵だから、赤ん坊にまでリセットされてしまったようだ。――こうして赤ん坊から、また成長し初めているのだ。

 啓子たち三人はこの島にやって来たが、娘の愛美は都会に残って働いている。やっとデザイン事務所に就職が決まり好きな絵を描いて生活しているようだ。三ヶ月に一度はこの島にやって来て、美しい自然と触れ合って癒されて、また都会へと帰っていく。

 アメリカに住んでいる長女の沙織には何も事情を知らされていないが……。先日、パソコンにメールが届いて「夫の仕事の都合で、このままアメリカに半永住しそうです」と書いて寄こした。今の啓子だと、とても長女には逢えない、何しろ沙織よりも十歳は若い母親なのだから……。

 イタリアへ料理の修業へ行く石浜と、一緒に付いて行った奈緒美からもメールが届いた。先日、イタリアの教会で石浜とふたりきりで結婚式を挙げたらしい。今、奈緒美のお腹の中には石浜の赤ちゃんが居て、とても幸せだと書いていた。「これもみんな啓子ちゃんのお陰です!」とっても感謝されているみたい。妊婦なので禁酒させられているのが、ちょっと辛いなんて愚痴をこぼしていたが、石浜との愛を育てている奈緒美にとって、幸福な人生の始まりなんだと思う。

「キャッキャッ」
 白い砂浜に小さなヤドカリを見つけ、さっちゃんがはしゃいでいる。
「あらっ、ヤドカリさん見つけたの?」
 啓子も一緒にヤドカリを目で追っている。一歳になったばかりの幸恵は本当に可愛い。生まれ持った優しい性格が、もう育ち始めている。――決してヤドカリを捕まえようとはしない。
 かつては夫の愛人で憎むべき女だったが、もうそんなことを啓子は気にしない。
 今、この瞬間の幸恵が我が子のように愛おしいのだ。《幸恵さんはリセットされて、前の人生の記憶も失くしてしまったのかしら?》
 赤ん坊の幸恵に聞くことも出来ない。
 前の人生では……悲しいことばかりのあなたの人生だったけど、今度は宏明とわたしとで幸せな人生を送らせてあげたい! そう心の中で啓子は強く願っている。あなたが二十歳になったら、あの真珠の指輪をきっと返すからね。
 幸恵さん、あなたもわたしも新しい人生をリセットしたのよ!

 ――沖の方から漁船が一艘、島に向かって帰って来るのが見えた。あれは宏明の乗った漁船である。
 海は静かだし《今日はどんな珍しい魚が獲れたかしら?》この島では、そんな呑気なことしか考えない。あぁー潮風が心地よい。
 さっちゃんを抱き上げて、漁船に向かって大きく手を振る。
「ヒロさーん!」
 すると、漁船の方から宏明も手を振って応えている。紅葉のようなちっちゃなお手々で、さっちゃんも一緒に手を振る。
 ――幸せな光に包まれた充ち足りた時間が、ゆっくりと流れていく。この島は新しい人生の楽園。

 不思議なリセット〔若返りカプセル〕は、たぶん、人生を考え直すために、神様が、啓子にかけた魔法なのかも知れない――。
             
                                           
― 完 ―




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   創作小説・詩 
by utakatarennka | 2011-11-17 18:50 | 現代小説

RESET vol. 18

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 第十八章 啓子の選択肢

 家に帰ってきた母、啓子の様子がおかしい。
 すっかりしょげて……元気がない。
 父のアパートで何かあったのだろうか?
「愛美ちゃん、お母さんもうダメかも知れない……」
 そう言って、溜息をついて黙り込んだ啓子である。
「どしたの? ねぇー、何があったの?」
 こんな沈んだ母を見たことがない……。いつも元気で天然だけが取り柄の、あの母が深刻な顔で考え込んでいた。何を聞いても、「うん……」と生返事で、すっかり自分の殻に閉じ籠ってしまっている。

 今日、幸恵の思わぬ懺悔を聞いて啓子はひどく動揺して悩んでしまった。
 離婚届けには絶対に判子を押さないつもりだったが……あの幸恵の言葉で全て許して宏明の『妻の座』を譲ってもいいと思った。
 最後に幸恵さんを幸せにしてあげたい! 
 死に逝く人への餞(はなむけ)に離婚届けに判子を押してもいいとさえ啓子は思っていた。愚かな選択肢かも知れないが……もう、自分は宏明に頼らなくても、生きていけそうだと思う。娘の愛美も当分はお嫁に行きそうにもないし、母娘水いらずで、しみじみ暮らしていこうか。
 ――そんな気持ちに啓子はなってしまった。

 そして、今日も宏明の住むアパートを啓子は訪ねた。トントンとノックをするが、返事がない。しばらく戸口で待っていると、ようやくドアを開いた。
 やっと部屋から出て来た。宏明は疲労困憊していた。
「昨夜から……幸恵が重体なんだ」
 そう言って、眠そうに目を擦った。今は強い鎮痛剤で幸恵は眠っているらしい。
「なにか食べたの?」
 目の下に隈が出来ている。一晩中付きっきりで看病していたようだ。やっと幸恵の容体落ち着いて、ウトウト……仮眠している時に啓子が訪問したようだ。
「いや……何も……食ってない」
「そう、ちょっと待っててね!」
 部屋に上がって来た啓子は、タッパに入ったものをレンジで温めた。それを食器に移してキッチンのテーブルに置くと、
「さあー、召しあがれ」
「おや、ビーフシチューじゃないか」
「食べてみて!」
 宏明は大きなスプーンでビーブシチューを掬いあげて口に運んだ。
「…………」
 黙って、味わっているようだ。
「……どう?」
「…………」
 もうひと匙、口にふくんだ。
「美味しい?」
 宏明は静かにスプーンを置いた。
「……啓子……か?」
「あなた……」
「君は……啓子なのか?」
「そうよ」
「なぜだ……?」

 ――啓子のビーフシチュー。
 それは啓子にしか作れない味だった。長い結婚生活で作りあげた、いわば『家庭の味』なのだ、そこには啓子の家族への愛が込められていた。ひと口食べれば分かる味なのだ。
その後、啓子は若返った経緯(いきさつ)を手短に宏明に説明した。非常に驚いた宏明だが、ひと目見た時からケイちゃんが昔の啓子にソックリなので、他人の空似にしても似過ぎていると、不思議に思っていたらしい。

「今日、あなたに渡すものがあって来たのよ」
 そう言うとハンドバッグの中から、封筒を宏明に渡した。
 封筒の中身を取り出した宏明は、驚いて啓子の顔を見た。それは離婚届の用紙だった。きちんと啓子の署名と判子が押してあった。
「いいのか?」
「……はい」
「すまない」
「幸恵さんを籍に入れてあげてください」
「啓子……」
「若返ったことだし。わたしだって新しい相手を探します」
 宏明を見て、啓子が薄く笑った。
「啓子、すまない……。なあ、人の生きる意味ってなんだ? 大事な人を幸せにすることじゃないのか? 俺はやっと気がついたんだ。金じゃない、物じゃない。――人は心でしか人を幸せには出来ないんだ!」
「ええ……そうだと思う」
「俺は決めたんだ。この不幸な人生しか生きて来れなかった女を、最後に幸せにしてやるんだと……」
「…………」
 宏明の決意を複雑な気持ちで、啓子は聞いていたが――。
「人生はリセット出来ないんだ。だから……今、この瞬間だけでも『幸せ』だと思って、幸恵を死なせてやりたいんだ。――これは俺の彼女への罪滅ぼしだから……啓子許してくれ!」
 そう言って、宏明は啓子に深々と頭を下げて詫びた。
 今の啓子なら、宏明が幸恵さんを幸せにしてあげたい気持ちも分かってあげられる。

「そんなの認めないからっ!」
 いきなり声が聴こえた。宏明と啓子は驚いて振り向くと玄関に愛美が立っていた。いったい、何時からそこに居たんだろう? いつもの冷静な愛美と違って泣きそうな顔でふたりに訴えている。

「離婚なんて、あたしが認めない!」
「愛美……どうして、ここへ?」
「お母さんの様子が心配だったから……後を付けて来た」
「ごめんね。もうお父さんと離婚するって決めたの」
「――そんな大事なことを、自分たちだけで決めないでよ」
「すまん! 父さんが全部悪いんだ」
 頭を下げて宏明が詫びると、
「お父さんの過去の懺悔のために、わたしたち家族は捨てられる? そんなの自己中じゃない?」
「…………」
「イヤだよ! お父さんとお母さんが別れたら、あたしはどっちの親を選べばいいの? 親を選ぶなんて、そんなこと出来ないよ!」
「愛美ちゃん……」
 その言葉に啓子も切なくなった。
「あたしもお姉ちゃんも親が居なくても生きていける歳だけど……家族という塊を壊したくないよ。そんなの悲しいよ……離婚したらイヤだよう!」
 そう言って、愛美が泣きだした。
 離婚は自分たちだけの問題ではない。子どもの心まで傷つけるのはさすがに啓子には辛過ぎる。せっかく心を決めて、ここに来たのにまた心が揺れる。――どうしたらいいんだろうか? 宏明も愛美の言葉に衝撃を受けたようで、口を一文字に結んで押し黙ったまんまだ。
「ダメだよ、お父さんもお母さんも離婚なんて……しないでよう……」
 しゃくりをあげて愛美が泣いていた。

「……コウちゃん」
 隣の部屋から幸恵の声がした。静かに立ち上がって宏明が様子を見に行く。
「幸恵、大丈夫か……」
「コ、コウちゃんのミニカー……」
 幸恵は息も荒く苦しいそうで、うわ言を喋っている。もうこれ以上自宅での看病は到底無理そうだ。
「ミニカー買って……い……く……」
「おいっ、幸恵!」
「幸恵さん、しっかりして!」
 いよいよ危険な状態だ。このまま昏睡状態に陥ったら意識が戻らないままで逝ってしまうかも知れない。《どうか死なないで! 幸恵さん》啓子は心の中で祈っていた。
 ――その時、啓子はふとアレの存在を思い出した。そうだ! アレを使うしかない。ダメ元でも試してみる価値がある!

「愛美、あんたスクーターで来たの?」
「うん」
「今すぐ、家に帰ってあの薬を取って来てちょうだい。お母さんのあの薬を……キッチンのテーブルの上に置いてあるから!」
「えぇー! あの薬って、まさか? お母さんどうするつもりなの」
「いいからっ! 今すぐ取って来てちょうだい!」
 いつになく厳しい口調の啓子に、愛美はそれ以上訊かずに「分かった」と家までスクーターで薬を取りに行ってくれた。
どの道……このままでは幸恵さんは死んでしまう。もしかしたら、あの薬で奇跡が起こるかも知れない。――これは最後の賭けなんだ!

 まだ幸恵の息がある内に急がないと……。
 最後の希望〔若返りカプセル〕リセットに賭けてみようと啓子は思った。そして、愛美が家から急いで持って来た〔若返りカプセル〕リセットを、幸恵の口に入れると、無理やり水で喉の奥に流し込んだ。
 宏明は啓子が何を始めたのか、オロオロしながら見ていたが……。啓子の真剣な表情に何も言えずに居る。愛美も黙って母の行動を見て居た。

「幸恵さん、あなたの人生をリセットしてあげる!」

 ――それから、幸恵は静かに……昏々と眠り始めた。





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   創作小説・詩
by utakatarennka | 2011-11-17 18:45 | 現代小説

RESET vol. 17

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 第十七章 啓子の進むべき道

「きれいなお花ありがとう」
 隣の部屋のベッドから小さな声がした、幸恵の声だ。
「あー、さっきはごめんなさい。突然帰っちゃって……」
「戻ってきてくれて……良かったわ……」
 とても弱々しい声……。
「せっかくだから、幸恵にも挨拶して行ってくれよ」
 そう言われて、宏明に付いて幸恵が寝ている部屋に入った。病人はベッドで点滴をしながら寝かされていた。

 ――この女がっ!
 一瞬、啓子の中に憎しみの感情が、突き上げてきたが……。
 先日、チラッと見た時よりもさらに痩せ細って幸恵はかなり衰弱していた……もう余命幾ばくもないことは見て録れる。
「きれいなお嬢さん」
「…………」
「いくつ?」
「二十歳」
「二十歳……コウちゃんが生きていたら……今、二十歳だよ」
 死んだ子どもの歳を数えている。愚かなことと分かっていても、子を亡くした親なら死まで、その子の歳を数え続ける――。
 啓子も流産と死産で我が子を二人亡くしているから、幸恵の気持ちは痛いほどよく分かる。
 同情が先に立って、どうしても憎むべき相手なのに憎めない。こんな状態の幸恵を捨てて、宏明にも家に帰ってくれなんて……とても人として言えない。しょせん、お人好しの啓子なのである。
 ……子どもが二十歳ってことは、二十年前か……やはり北陸に出向していた頃からの関係だったんだ――。

「おばさん……痛いことないですか?」
 あまりに痛々しい幸恵の姿に、啓子は思わず訊いた。
「ううん。とても強いお薬で抑えているから……痛くないのよ」
 そう言って、幸恵は弱々しく笑った。
「病院に入院するように、いくら言って聴かせても利かないんだよ。この人は……」
 横から宏明が口を挟んだ。
「病院で死ぬには嫌! ヒロさんやコウちゃんの傍で死にたい……」
「…………」
 幸恵の頑とした決意に啓子は言葉を失った。
「この人は若い時から、ずっと苦労してひとりで生きてきた人なんだ。――だから最後に我がままを通させてやりたいんだ」
 死を覚悟した、病人の我がままに誰もあがなうことなんか出来ない。
「ヒロさん……この娘さんに……」
「あのー、わたしケイです」
「そう、ケイちゃんにあれをあげてください」
「あれって……? あぁー分かった!」
 宏明は立ち上がって、幸恵の小さな鏡台の引き出しから小箱を持って来た。蓋を開けると真珠の指輪が入っていた。
「もし……迷惑じゃなかったら……この指輪貰って下さいな……」
「えぇー?」
「娘がいないので……形見に貰って欲しいの。お花のお礼として……」
「……そんな、どうしよう」
「ケイちゃん、頼むから幸恵の指輪貰ってやってくれよ」
 いきなり高価な指輪をあげると言われても、どう返答したらいいのか困ってしまう。
 しかも、啓子は本妻なのに……。夫の愛人から『形見』貰うなんて前代未聞である。すがるような目で幸恵がこっちを見ている。「いらない」とは言えない空気だった。

 アパートからの帰り道、幸恵から貰った、真珠の指輪が入った箱を手に持って、啓子は複雑な心境だ。――もしも、夫の宏明からのプレゼントだったら突き返してやろうと思ったが…。それは幼い頃に亡くなった幸恵の母親の形見の品だと言う。大事な指輪なので、誰かに持っていて欲しいと懇願された。
 ――なぜ? わたしに?
 前から親しい奈緒美でもなく、なぜ、わたし、なんだろう?
 この指輪を持っていて、いいものかどうか? 捨てるに捨てられず啓子は悩んだ。とにかく、もう少しふたりの様子をみたいので「またお邪魔します」と言って帰って来たが ……。
 なぜ、この指輪をわたしが? 不思議で仕方がない啓子だった――。

 マンションまで歩いて約一時間の道のりも二十歳の啓子の足では丁度良いウォーキングコースだ。五十五歳だった頃の啓子は三十分歩くのもキツイ時があった。関節を痛めてからは、さらに歩くのが億劫だったが、今、自分は健康を満喫している。《若いって素晴らしいわ!》健康も若さも失くしてみて、初めてその価値が分かるもんなんだ。
 不思議な薬〔若返りカプセル〕で手に入れた。この若さと健康に啓子は感謝していた。

 マンションに帰って、愛美に今日のことを話した。
 啓子にとって愛美は唯一の相談相手で、感情が先走る自分の良きアドバイザーでもある。 
 さすがに『コウちゃん』という異母兄弟の話をする時は話し辛かったが、「そうなの……」と以外と軽く受け止められた。その反応に《ホントにこの子って、クールだわ!》啓子は呆れた。
 ……だが、実は愛美もそれなりにショックは受けていたのだ。自分の中で父親像が崩れていくようで本当は悲しかったけど……自分が動揺すると、この天然母の気持ちに火を付けることになると思って、あえて平静を装っていただけで、弟が居たこと、そしてその子がすでに死んでしまっていることなど……新事実に、愛美もかなり動揺していた。

「結局、お母さんはどうしたいの?」
「お父さんのこと? 自分でも分からないの。でも心配だから様子を見に行く」
「一緒に居る女の人に嫉妬しない?」
「確かに悔しいけど……病気が重くて死にそうだから……可哀相だと思う」
「その人が死んだらお父さんが帰って来ると思う?」
「それは分からない。幸恵さんが好きで家を出で行ったのか、わたしが嫌いであっちに行ったのか、どっちか分からないもの」
「お母さんも変な薬飲んで若返っちゃって、お父さんと普通に対面出来ないもんね」
 あまりにも若返り過ぎた啓子はもう知り合いとは、誰も逢えない。
「そうなのよ。わたしだって、この先どうなるか、分からないし……」
「その薬って、いつまで効果が続くんだろうか?」
「分からない」
 ――分からないことだらけで、母娘してため息をついた。

 翌日は、お昼過ぎに宏明のアパートを訪問した。狭いアパートで病人と、一日中一緒に居る宏明は啓子の訪問をことのほか喜んでくれた。
 そして冷蔵庫から買い置きの缶コーヒーを渡してくれる。ちらっと覗いた冷蔵庫の中は缶詰やレトルト食品ばかりが入っていた。《ちゃんとしたもの食べてるのかなぁー?》妻の気持ちで啓子は心配になった。
「ケイちゃん、来てくれてありがとう。ヒロさんが退屈してるから、話し相手になってあげて……」
 隣の部屋から幸恵が言った。
 今日は薬臭いお部屋が、良い香りがするように、鎮静効果のあるローズマリーのポプリを持って来たが、病人には、この香りが強過ぎないか心配だった。
「この香り、大丈夫ですか?」
「ローズマリーの香りね。シャンプーにも入ってるから好きな香りよ」
「良かったぁー」
「ケイちゃん優しい……」
「……いえいえ」
 幸恵に「優しい」と言われ、複雑な心境で啓子は曖昧に笑った。この人が夫の愛人でなければ、決して嫌いなタイプの人ではないと思っていた。
「ケイちゃん、実は頼みがあるんだが……」
 ひどく恐縮しながら宏明が、啓子に話しかけた。
「えっ? なんですか?」
「しばらく散髪に行ってないんだ。散髪に行ってる間、幸恵の様子を見てては貰えないだろうか?」
 いつも身なりの良い。宏明の髪が伸びてボサボサになっている。きっと本人は気になってしょうがないはずだ。そういうところは几帳面な宏明なのだ。
「はい。いいですよぉー」
「そうかい。それは有難い!」
 よほど気になっていたのか、宏明はすぐさま支度すると急いで出掛けていった。

 狭い部屋の中で幸恵と啓子と、ふたりっきりになった。
 なんだか啓子の方が緊張してしまう。自分は本妻なんだから堂々として居ればいいものを啓子はドギマギして身の置き処がない。
 ……この沈黙が肌にピリピリと痛く感じてしまう。男女の修羅場を経験したことがない、啓子は小心者なのだ。
「あのー、喉渇きません?」
「……おねがい」
 目を瞑ったまま幸恵がか細い声で言う。
 ストローのついたマグカップを持って来て、幸恵の口に含ませる。少しだけ飲んでもういらないと、イヤイヤをした。
 見ているだけでも辛くなるほど衰弱した彼女を、憎い女だけど……自分とさほど歳が変わらないというのに……もう死んでしまうなんて可哀相だと啓子は思う。
「ヒロさん……」
「えっ?」
「良い人やから……うちみたいな者のために……家庭も会社も捨ててしまった……」
 急に何を思ってか? 幸恵がひとりでしゃべり出した。
「どうせ、うちは死ぬんやから……放って置いて言うたのに……俺のせいで不幸な人生になったと言うんや……けど、違う!」
「…………」
 幸恵は何を話そうとしているのだろうか?
「ヒロさんの奥さんに申し訳ない……」
「……ええ?」
「二十年前にヒロさんの子どもを勝手に産んだから、うちは罰が当たったんや……」
「それは……」
「不倫の子やけど……うちは子どもが欲しくて……欲しくて仕方なかった。――ヒロさんにも、奥さんにも、バレないように隠れて産んだんや、コウちゃん……けど五歳で死なせ
てしまった……不憫な子やった。うちみたいなアホなもんが親やったばかりに……」
 そう言うと、幸恵の頬に涙が伝って零れた。
「そんなことない! コウちゃんは、幸恵さん愛されて、この世に生を受けたんだから……そんなに自分を責めないで!」
 思わず、啓子はそう言った。
「……うちはずっとヒロさんの奥さんに、心の中で詫びてたんや」
「…………」
 いったい、幸恵は何を言うつもりだろう。
「これだけは分かって欲しい。うちは奥さんからヒロさんを奪おうなんて、一度も思ったことはない! ヒロさんのためにも奥さんとは別れないで欲しいって思ってから……」
「……幸恵さん」
 なぜ? なぜ、見ず知らずのケイちゃんのわたしに、そんな話を幸恵はするのだろう? 不思議だ、まるで啓子に聞かせるために話しているようで不思議でならない、死を悟って誰かに懺悔を聞いて貰いたいのか?
 死病のせいで幸恵には霊感みたいなものが――現れたのかも知れない。
《わたしのことが分かっているの?》そんな気さえする。
「奥さん、堪忍な……堪忍な……」
 幸恵がはらはら涙を流す。憎んでいた相手だが、今は不憫で仕方がない。
「もういいから泣かないで……幸恵さん」
 啓子はハンカチで幸恵の涙を拭った。
 死期が迫って……自分に詫びてくれた、この不幸な女性に、これ以上鞭打つことも、憎むことも、もはや出来なくなった。甘いと言われようが、お人好しと笑われようが……幸恵のことを心底憎めない啓子だった。
 ……気づけば啓子も幸恵の掌を握って、一緒に泣いていた。


 


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   創作小説・詩
 
by utakatarennka | 2011-11-17 18:40 | 現代小説

RESET vol. 16

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 第十六章 挫けないで! 啓子

 マンションで啓子は娘の愛美と母子家庭のような生活をしている。
 娘は母を心配してワンルームマンションの自分の部屋からずっと、ここに居続けてくれている。母と娘だけの気楽な暮らしだが、大きく違うのは母親が二十歳で娘より年下に見えることである。時々、どっちが親か子か分からなくなるけど……夫がいない今、愛美の存在は啓子の心の支えだった。
 いつも三時になると母娘はティータイムを楽しんでいる。紅茶好きの愛美がティーポットで美味しいお紅茶を入れてくれる。その日の気分でアッサムだったり、ダージリンだったりメニューは変わる――今日はローズティとコンビニで買ったスイーツだった。
 シフォンケーキをフォークで崩しながら、何気なく啓子が訊いた。
「ねぇー、愛美は彼氏っていないの?」
「……ん?」
 フォークでケーキを口に運んでいた愛美がなぜという顔で啓子を見た。
「あんたって、男の人にあんまり興味なさそうだし……」
「失礼ね! 彼氏じゃないけどボーイフレドぐらいなら居るよ」
「そう。いろいろ付き合ってから結婚相手を選んだ方がいいよ」
「なによ? それって、お母さんはお父さんを選んだこと、後悔してるってことなんだ」
「そうじゃないけど……お母さんはお父さんしか知らないから。他と比べられないのよ」
「お母さんって『箱入り奥様』だもんね」
 そう言って、愛美がウフフッと笑った。確かに啓子は男といえば宏明しか知らなくて……それで良かったのか? 悪かったのか? 判断する材料もない――。
 今になっては、もっと遊んでから結婚相手を決めれば良かったとつくづく思っている。

「ところで、お父さんの様子はどうなの?」
「うーん……。とても戻って来れそうもないみたい」
「お母さんは、そんなんでいいの? 他所で女の人と暮らしてるお父さんを許せるの?」
「……相手は病人だし、なんか事情がありそうで、とても踏み込めないわ」
「お母さんって、お人好しね!」
「その女の人に酷いこと言って、お父さんに嫌われたくないし……」
「嫌われたくないってことは……まだ、お父さんが好きなんだぁー!」
「……そうかなぁー?」
「お母さんって、ホント可愛い人だわ」
 キャハハと愛美が笑った。
「親をからかうんじゃありません!」
 プイッと怒った振りをした啓子に、愛美はお代わり紅茶をポットで注いでくれる。こんな母娘の暮らしも悪くないかなぁーと思い始めている。

 ――あの日、公園で見たのは、宏明の孤独な後ろ姿だった。
 あの背中には無理やり《全てを捨てしまおう!》とする。何か強い意思を感じ取った。 きっと夫はあの女性が亡くなっても、自分たちの元へは、もう帰って来ないような、そんな気がしてならない。
 どうして夫が妻や家族を捨てる気持ちになったのか、どうしてもその理由を啓子は知りたい。その本当の理由が分かるまでは、離婚届けに判子を押すべきか、破り捨てるべきか判断が出来ないでいる。

 翌日、啓子はショッピングモール街の花屋で、薄紫のトルコ桔梗とカスミ草で小さな花束を作って貰い、それを持って宏明のアパートを訪ねることにした。
 宏明のアパートの部屋の前に立つと、急に胸がドキドキして迷ったが、勇気を出してドアをノックした。啓子にとって、これは敵陣に乗り込むような気構えだった。ややすると、中から「はい……」と低い男の返事がした、宏明の声である。ドアを細めに開けて、
「どなた?」
「こんにちは」
「あぁー、君か?」
「お見舞いに来ました」
 さっと花束を目の前に突き出した。
「やっ、ありがとう。病人が寝てるから静かに入ってくれよ」
 そういって、宏明はドアを開けて中に入れてくれた。二階の奈緒美の部屋と全く同じ作りだが、この部屋はひどく寂しい感じがする。壁にはカレンダーしか掛かっておらず、殺風景でどこか仮住まい風だった。薬臭い匂いもする。奥の間のベッドで病人が眠っているようだ。
 1Kのキッチンの椅子に座るように勧められて、何もないからと冷蔵庫から缶コーヒーを出して手渡してくれた。見ればシンクの周りの洗い物もきれいに片付いていて、たぶん宏明が洗ったのだろうか? 家では家事をいっさい手伝わない人だったくせに……。
 三十年も連れ添った夫なのに、全てが新鮮な驚きだった――。

「花、ありがとうね」
「いいえー」
「花瓶ってあるかなぁー?」
 宏明はシンクの下の扉を開けて、ごそごそと中を探している。
「あのー、大きなコップでもいいけど」
「うん、そうだね。これでいいかな?」
 ジョッキのような大きなマグカップを宏明は手に持っていた。
「ええ。お花はあたしがやりますから」
 思わず立ち上がって、マグカップを受け取り、シンクに立って啓子は花を挿した。トルコ桔梗が清々しくきれいだった。
「薄紫の桔梗。その色は幸恵が特に好きな色なんだ」
「そうなんですか?」
「後で病人が見える場所に花を飾って置くよ」
「ええ……」
 嬉しそうに花を眺める宏明《あの人には優しいのね……》啓子は病人には嫉妬しないように自分を抑えていたが、やはり夫が女性に優しくするのを見ると、嫉妬の炎がメラメラと……。

「ヒロさん……」
 蚊の鳴くような小さな声で病人が呼んだ。宏明は立ち上がって、病人のベッドの傍までに行った。
「幸恵、起きたのかい」
「ヒロさん、あのね……」
「どうした?」
「コウちゃんの夢をみたの……」
「宏司の夢を……?」
「うん、あの子が夢の中で……、お母さん約束していたミニカー早く買ってよ。って駄々をこねるんです」
「そうか……」
「だから……もうすぐ、お母さんもコウちゃんの元へ行くから、その時にミニカー買ってあげるからって言ったんです」
「……幸恵」
「そしたら、あの子、嬉しそうにお母さん早く来てよねって……」
「もう、いいよ。幸恵そんな悲しいことは……頼むから言わないでくれ……」
「ヒロさん、わたし……死ぬのなんて怖くないよ。もし、来世があるなら一度死んで生まれ変わりたいの」
「幸恵……」
 絶句してうな垂れる宏明……。どうやら、ふたりは子どもの話をしているようだ。《コウジ?》誰だろう? 幸恵のベッドの傍には小さな仏壇が置かれている。あの位牌が死んだ子どもかしら? 《コウジって?》もしかしたら、夫と幸恵さんの間に出来た子ども?
 ふたりの会話を聴いて憶測だけど……そんな気がして啓子は酷いショックを受けた。

 その場に居たたまれなくなった……啓子は泣き出しそうだった。
「あのー、起こしちゃってごめんない。わたし帰ります」
 そう言って、立ち上がって帰りかけたら……。
「待って……」
幸恵が止めた。
「ケイちゃん、せっかく来たんだから、幸恵に挨拶してからにしてくれよ」
 ふたりに引き留められたが、
「…………」
 振り向きたくなかった、泣きそうな顔を見られるのは嫌だった。涙が零れ落ちる前に、慌てて後ろ手でドアを閉めて、逃げるように駆け出した。しばらく走ると宏明がベンチに座っていたあの公園があったので、そのベンチに座って啓子はひとりで泣いた。
 夫があの女性との間に子どもまで作っていたことがショックだった。まさか、そこまで深い関係だとは思ってもみなかった。さすがに動揺した。自分が惨めだった……。拭っても、拭っても……涙が止まらない。
 あの状況から考えて……もう夫はわたしの元には帰って来ないだろう。たとえ帰って来たとしても……心は幸恵さんのものだし、抜け殻みたいな、宏明なんか見たくもないわ。
だけど、全てを受け入れて前に進もうと誓って来たのに、こんな所で逃げ出してはいけない……。
 もう泣かない《逃げたら負けよ!》啓子は意気地なしの自分を叱りつけた。

「きれいな桔梗ですね」
「うん、さっきの娘さんがお見舞いに持って来てくれたんだよ」
 ベッドに寝ている幸恵から良く見える場所に宏明は花を飾った。
「まだお礼も言ってないわ」
「どうしたのかな? 急に帰ったから……」
「なにか……気を悪くしたのかしら?」
「さぁー、何だか不思議な娘だよ。あははっ」
 その時、トントントン……と遠慮がちにドアを叩く音がした。
「あれ? 誰だろう」
 と宏明は立ち上がって、玄関にドアを開けに行った。
「はい。どなたですか?」
「あのー、ケイです。さっきはすみません」
「ケイちゃんかい?」
 ふたたび宏明がドアを開けてくれた。バツの悪そうな顔で啓子が立っていた。
 もう逃げ出さないで、全てを見定るつもりで、啓子は戻って来たのだ。相手の女性のことも知りたい。なぜ宏明が家庭も会社も捨てて、この女性を選んだのかその理由が知りたかった。
「さっきはどうしたんだい?」
 部屋に入ってきた啓子に宏明が訊ねた。
「携帯が……」
「携帯?」
「ショッピングモールでお買物した時に、お店に忘れて来たことに気づいて……慌てて取りに行って来たんです」
 そんな言い訳を公園のベンチで啓子は考えて来たのだ。
「若い人は携帯がないと不自由で困るんだよなぁー」
「はい」
「そう言えば……俺の娘もしょっちゅう携帯電話をイジっている」
 そうそう。愛美は食事中も携帯をイジってるわ。何度、注意しても止めないし……。啓子は愛美に言われて、新しい携帯に買い替えてみたが、機能が複雑過ぎて使いこなせず……やっぱし、楽らくフォンの方が使い易くて良かったと後悔していた啓子である。





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   創作小説・詩
 
by utakatarennka | 2011-11-17 18:37 | 現代小説